過去よりの使者


 大きなガラスの窓辺で、青いロングスカートの神官服を着た女性が外を見下ろしていた。いつものエプロンは身に着けていない。
 赤い前髪は長く、目元まで隠していて表情は伺えない。
 女性の名をリルリィーアという。こう見えても捜査局の支部長だ。
 館の庭には、焚き火が複数あり、その脇に紺色の制服を着て長い棍棒を持った捜査官が、屋敷に背を向けて見張りに立っていた。
「何か気になることでも、ありましたか?」
 男の声にリルリィーアは振り向いた。
 そこにはこの館の主がいた。アインツベルクというなの亡命貴族だ。男は剣を帯びている。
 その脇には、娘のローゼが父のズボンの裾にすがり付いていた。
「こら。ローザは甘えん坊だな」
 アインツベルクは娘の頭をくしゃくしゃとなでた。梳られた長い金髪が崩れるが、ローゼは目を細めて頬を父親の胸に当てていた。
 リルリィーアはそんな二人を見て口元を緩めた。
「いえ。念のため、外の様子を見ていただけです」
「大丈夫よね。リルリィーアさん」
 ローザは言った。
「こんなにたくさんの人でパパを守ってくださるし。それに、リルリィーアさんがここにいるもん」
 ローザのぷっくりとしたほっぺたがが、ランタンのせいでますます赤っぽく見える。
 少女の背後で、少女の影がちらちら揺れている。影は彼女の背後の扉を半分ぐらい覆っている。
 と、その扉が音もなく開いた。
 壁の影で見えないが、廊下にもランタンが置いてある。そのせいで廊下はちょっとだけ明るい。
「ん? どうしたのかな?」
 ローザは扉にゆっくりと近寄った。
「待て」
 リルリィーアはそれを止めた。  ローザは止まり、リルリィーアを振り向いて首をかしげた。
 リルリィーアは扉をしばらく見ていたが、だれも入ってこなかった。
 そして誰の気配もしなかった。
「何だ? 勝手に開いただけか?」
「部下の方ではありませんか?」
 アインツベルクは言った。
「いいえ。用があるなら既に告げているでしょう。普通。おーい。オルト、ベルダ? いないの?」
 リルリィーアは廊下に立っているはずの部下の名を呼んだ。
 返事がない。
 二人の気配までない。
 リルリィーアは壁越しでも「人がどこにいるか」は大体わかる。目が見えなくて戦闘できないと死ねる環境だったので。
 訓練すれば気配はある程度消せるが、見張りの二人は消せない(そもそも見張りなので消す意味はないが)。
「どこ行ったんだ?」
「ちょっとこう、生理現象では?」
「そうだったらあとでひっぱたいてやる、いや失礼。やさしく教育して差し上げますわ」
 軽口を叩いてはいるが実はそれどころではない。
 リルリィーアはこめかみのあたりがちくちくするのを感じていた。
 誰かから見られている。
 しかしどこからかわからない。
 そもそもそんな視線は存在しないのではないか。そんな気もする。
「アインツベルク卿、ローザ様。どうか私のそばを離れないように」
 ローザが戻ってきた。
 彼女の背後で影がちらちら動く。
 すごく嫌な気分だ。
 廊下にいた二人の部下の返事がない。
 常識的に考えて、二人いっぺんにしゃべれない状態になるということは考えられない(サボりだったらあとで殴る)。
 ということは外部的要因、つまり侵入者によって二人いっぺんに無力化されたと考えるべきで。
 音ひとつないのが不気味だ。
 誰も動かない。
 ランタンの炎だけが揺れていて、それにあわせて影が揺れる。
 壁で巨人が踊っているみたいだ。
 リルリィーアの体を、何かが通り過ぎた。
 主観的にそう感じたということではあるが。それは光であり、かつ闇そのものだった。人間の持つ意識。殺気と呼ばれるものだ。
 気配が急に現れた。呼吸のリズム。それがアインツベルクのすぐ脇に。
 リルリィーアの視界の隅で影が動いた。
 黒い影が蛇のように伸び、宙に舞い、その持ち上げた鎌首をアインツベルクの首めがけて伸ばした。
 細い紙が首を切断。ころんと頭が外れ、回転しながらながら落下を始める。
 飛び散った血が薄く延びた影に触れる。それはあっさりと通過して地面に点を穿った。
 頭が頭頂部を床に当てて、弾みながら転がってくる。赤い染料を塗りたくりながら。
 リルリィーアの靴にこつん、と当たって止まった。
 胴体が倒れた。首から湧き出る血が次第に増えてゆく。
 寒気がした。
 目の前の首、にではない。
 心臓がどくん、と跳ねた。体が勝手に戦闘態勢を取ろうと熱くなる。
 体の中は嫌に熱いのに、背を冷たい汗が流れ落ちる。
 リルリィーアは視線を向けた。
 物理法則を無視して、いまだに宙にその薄っぺらい姿をさらしている影の根元を。

 そこには一人のメイド服を着た女性が立っていた。彼女の足元から、影が伸び上がっていた。
 不思議なことに、彼女の背後には影がなかった。
 彼女はリルリィーアと同じ赤い髪をしていた。ランタンのせいで燃えるような色だ。
 そして、長い前髪。目元まで隠れて表情が良く見えない。仮面みたいだ。
 服装以外はリルリィーアそっくりだ。もっともリルリィーアもこのメイドも、肌が露出しているのは両手首から先と顔の下半分、首ぐらいなものである。
「はじめまして。お姉さま」
 メイドはそう告げた。
「そしておやすみなさい。永遠に」
 メイドの足元で、様子を伺っていた影の蛇が、ローザめがけて伸びた。
 リルリィーアはスカートを捲り上げて中に手を突っ込んだ。
 一振りの剣を抜き(例によってこのサイズではスカートに入りきらないが本来は)、そのまま振り上げた。
 刀身には溝があり、リルリィーアの魔力を受けて青く光っている。
 薄く延びる影を下から無理やり切り飛ばした。致命傷を与えないために刃をつぶしてあるので、殴り飛ばすというのが適切かもしれない。影が砕けて、破片になって宙に散った。それは床に一度跳ねた後空気に掻き消えるように消えた。
 リルリィーアは目の前のメイドをにらみつけた。
 メイドは笑っている。
「ちと覚えがないが……誰だ」
 メイドは答えずに、再び影を操って薄い刃にした。
 一気に六本。
 上、右上、右、下、左下、正面。
 視界が闇に染まる。
 自分とローザに迫りくるそれを、リルリィーアはまとめて殴りつけた。
 一本、外した。それは左下からすくいあげるようにリルリィーアの胸を狙った。
 神官服を胸の下から肩まで切り飛ばした。神官服は祝福をこめた糸で編まれているので、斧でも斬れないぐらい頑丈(中の人間は知らんが)ではあるが、それを斬ってしまっている。
 負傷自体は軽いが。一呼吸遅れて、めくれた神官服から覗く乳房から赤い線が見える。
 階段を駆け上がる足音が聞こえる。
 ここでの騒ぎを聞きつけた捜査官が駆け上がって来ているのだろう。
「いらんひとがくるようで。その子は預けておきますわ。またの機会に」
「誰だ、お前はっ」
「私は、あなたですよ。お姉さま」
 砕け散った闇の向こうから声がした。
 闇が晴れると、そこには誰もいなかった。気配も消えている。
「なんだっていうのよ……いまさら、あんな姿でいるなんて」
 リルリィーアは剣を持った手を下げたまま、空いている拳でテーブルを殴った。  ランタンが跳ねる。幸いにも転倒しなかった。
 リルリィーアは、胴体だけになったアインツベルクを見た。
 当然即死である。
 ローザを見ると、表情がなかった。座り込み、胸に丸いものを抱いていた。
 父親の首だ。
 かける言葉が見つからない。
 リルリィーアがローザに手を伸ばすと。
「触らないで」
 ローザは、さっきのメイドとリルリィーアを勘違いしているのか、父親の首にしがみつき、リルリィーアを睨んで叫び続けた。
「嘘つき。パパを守ってくれるって言ったじゃない!」


 リルリィーアは、ローザの手を引いて暗い夜道を歩いていた。
 神殿を裏から見ると、ランプの明かりが窓から漏れてきて綺麗だ。いまごろは子供たちがおのおのの部屋で勉強したり遊んだりしているはずだ。遠目にはまだ見えないが。
 かすかな星明りの下を、リルリィーアはローザを引っ張って歩いていた。神官服の上に、借りた上着を羽織っている。その後ろに、護衛の捜査官が二人続いている。一人はそろそろ寒くなってきたというのにシャツ一枚だ。捜査官の二人はあたりを警戒しながら、右手でランプを持ち、左手は腰の剣に添えている。
 三人の中央にはローザがいた。
 胸元を父親の血でべっとり赤黒く染めていた。
 右手をリルリィーアに取られ、足がもつれないように必死に追いすがる。腕を引っ張り返すが、びくともしない。どんどん先に行かれて体が前のめりになっているので力が入らない。
「やめてよ。離してよ。痛いんだから」
 ランプの橙色の光がローザの頬を照らす。濡れていた。
「いーから。黙って付いて来い」
 リルリィーアはローザの腕を袖の上からつかんで離さない。
「離してよっ!」
 ローザの甲高い悲鳴が闇を裂く。
 ローザは開いている左手で、リルリィーアの手の甲を思いっきりひっぱたいた。
 クリーンヒット。いい音が響いた。
 手のひらがが熱い。
 それでも、リルリィーアは手を離さなかった。
「あっ。なに。離さないのがわるんじゃないの」
 立ち止まってローザを振り向いた。
 光に照らされて、彼女の髪はますます赤く見えた。
 目元まで前髪で隠れて表情は良く見えない。怒っているのか。
 ローザはびくっとした。
「狙われているんだ。今すぐ襲われないとも限らないから。すまないが急ぐぞ」
 そう告げると再びリルリィーアは歩き始めた。
 さっきよりもテンポを落としてゆっくり歩いている。
「なによ。まだ終わらないっていうの?」
 リルリィーアは答えない。
 ローザは後ろを見た。何か迫ってくるような感じがした。
 後ろには捜査官が二人、ランプを持って立っている。
 それでもローザは安心できなかった。
 ついさっき、捜査局ミトフェム支部最強のリルリィーア・アークフィードがいるにもかかわらず、パパは。
 リルリィーアは裏の玄関から神殿に入った。
神殿の後ろ半分は孤児院になっている。そこでは親のいない子供たちが共同生活をしている。
 リルリィーアはそこで母親代わりをしている。十歳のときに孤児院に入ってから、彼女もずっとそこで暮らしている。
 廊下は暗い。
 少し歩いて、大きな扉を開けた。
 大きな広間だった。いつもは食堂代わりに使ったり集会場として使っている。
 部屋の半分では、机をよけて、子供たちが輪になって遊んでいた。
 向こうには、一人の女の子が机に突っ伏していた。脇に大きな本が広げられたままおいてあった。
 少女はエプロンドレスを着ていた。
 ふわふわとした金色の髪が背中に流れている。その下で、白い帯が背中で交差しているのが見えた。
 少女はむくりと起き上がり、目をごしごしこすった。
「あぅっ」
 あくびをする。
「よく眠っていたようだな。ティナ」
 少女はびくっ、とした。目をぱちくりさせると。
「あ。お姉ちゃん。どうしたの?」
 寝ぼけていて気が付かなかったらしい。
 少女はティナという。こう見えても“聖女”にしてここミトフェム神殿の神殿長だ。
 幼いけど。まだ十歳。
 リルリィーアは、車座になっている子供たちに言いつけた。
「おい。お茶を頼む。それと、誰か彼女に着替えを貸してやれ」
 はーい。と返事をして、女の子二人が調理場へと行った。もう一人が広間から出て行った。
 リルリィーアは上着を脱ぐと、シャツ一枚だった捜査官に手渡した。
「すまないな」
「どういたしまして」
 捜査官は受け取るとそれを羽織った。
「それでは、後は頼む」
「わかりました」
 捜査官二人は去っていった。まだ仕事があるのだろう。
 リルリィーアの神官服は、胸元で縦に大きく斬れていた。
 乳房にも黒い線がある。血が止まってかさぶたになっている。
「はわわ。どうしたのお姉ちゃん」
「ちょっとな。大丈夫だから」
「大丈夫じゃないよぅ。傷、残っちゃうよ」
 ティナは傷口に触れて目を閉じた。
 ティナの背中に、光が集まった。
 それは翼を形取り、大きく展開する。
 “聖女”の持つ光の翼である。
 ティナの手が光り。次の瞬間にはリルリィーアの乳房の傷は消えていた。
「ありがとう、な」
 リルリィーアはティナの頭をぽんぽん叩いた。
「えへへ」
 リルリィーアは胸のあいているところを手で押さえると、ローザに向き直った。
 ローザは目を見開いてぽかーんとしていた。
「どうした?」
「な、なに。いまの」
「まぁ治療魔術のちょっと強くて天然入っていると思いねぇ」
「うう。天然じゃないもん」
 ティナの抗議は無視。
「つーわけで、だ。事件が解決するまで、ここにいるように」
 リルリィーアはローザにそう告げた。
「え?」
「さっき奴が言っていただろう。だから、犯人が捕まるまで……ここにいろ」
「やだ。おうちに帰る」
 ローザはぷいっと脇を向いた。
「一人だと危ないから駄目だ」
「なによ。あなたがいてもパパ助からなかったんじゃないの!」
 叫んでから自分の言葉にはっとした表情をした。
 リルリィーアはしばらく押し黙っていた。
「あの、ね。お姉ちゃん」
「とにかく。ここにいろ。信じなくてもいい。必ず守るから」
 リルリィーアはティナを呼び寄せ、耳に何かを呟くと部屋から出て行った。
「そういったのにパパ殺されちゃったじゃないの」
 ローザの目から涙かこぼれた。


 リルリィーアは自室に戻ると、真っ暗な中テーブルまで歩き、慣れた手つきでランプを覆うガラスを上げた。
 芯に指先をむけ、[発火]の魔法をかける。
 部屋が明るくなった。
 本来なら二人部屋であるが、リルリィーアはここを一人で使っている。
 部屋は基本的に殺風景で、ベッドが二つと机があるだけだ。しかし、机の上は書類でごちゃごちゃしていた。
 捜査局で使っている資料やら、支部長としてチェックしなければならない報告書である。時間が足りないので持ち帰って処理している。
 ほかの部分が整然としている分だけ異様である。
 リルリィーアはワンピースになっている神官服を脱いだ。
 続けてシャツ、ブラまではずした。ブラは切断面のあたりに血がくっついていた。捨てないと。
 上半身裸で、下半身はショーツとガーターベルトのみになった。
 指先で、大きく膨らんだ胸を撫でた。先ほど受けた傷はティナの力で完全に消えている。
 だが痛みの記憶まで消えるわけではない。
 娘に抱きかかえられたアインツベルクの頭が脳裏に浮かぶ。
 お前が殺したんだ。
 そういわんばかりに、記憶の中のローザの瞳はリルリィーアを断罪していた。
「うーっ」
 リルリィーアは目の前のベッドを拳で打ち下ろした。
 重たい音がしてベッドがしなった。
『はじめまして、お姉さま』
 メイドはそういった。
 あのころの自分と同じ姿で。
『私は、あなたですよ。お姉さま』
「いったい。誰がこんなふざけたことを」
 拳を振りかぶる。
 もう一度ベッドを叩こうとしたところで、拳がぴたりと止まった。
「いかん。折れたらまずい」
 落ち着こうとして深呼吸。
「また壊して予算足りないって怒られる」
 ベッドの下から箱を引きずり出す。ふたを開けて中から代えの神官服とエプロン、ブラにシャツを取り出す。
「すみません。アインツベルク卿。あなたはお守りできませんでしたが。娘さんは、必ず」
 リルリィーアは自分に誓った。


 着替え終わったあと、ごろんとからのベッドに転がって天井を仰ぎ見る。
「毛布持ってこないとな……ローザの分」
 リルリィーアの隣で寝かせるつもりだ。
「お姉さまか……誰だ、いったい」

 夢を見ているのだろう、とリルリィーアは思った。
 自分はメイド服を着ていた。だから夢である。単純な理由だ。もうこんなものを着ることもないというのに。
 リルリィーアは赤いじゅうたんの上に立っていた。その昔ガルディアと呼ばれていた王宮の最深部、王族の居住区画である。
 子供用の紺色のワンピースの上に白いエプロン。かがんで避けると、フリルつきの髪留めの上を剣がぶん、と通り過ぎた。
 目の前には黒ずくめの男たちが四人、立っていた。全員剣を抜いている。
 リルリィーアはかがんだまま踏み出し、剣を振りぬいて無防備な男の腹に拳を殴った。
「ごぶぁっ」
 身長の差のぶんだけ、ぴったりくっついた格闘戦ではちっこいリルリィーアのほうが有利である。
 腹を打たれて前かがみになった男の首筋を、軽く指でなぞった。
 それだけで男の頚動脈が切れて、楔形に傷口ができた。
 指先に細く集中した魔力の刃だけで切り裂いたのだ。
 黒ずくめは剣を落として倒れこんだ。
 このために赤いわけではないのだろうが、絨毯の上に血があふれ出る。しかし、絨毯の赤と血液は明らかに色が違った。
 血が付くと洗濯が大変なんだよねぇ。
 ほかにも、既に黒ずくめが五人、首や足を切られて転がっている。
 大の大人が十人、ちっこいメイドにいいようにやられている。
「つまんない」
 リルリィーアは言った。
 目元まで赤い前髪で隠れているので表情はよく見えないが、ほっぺがぷっくり膨らんでいた。
「おじさんたち、弱くて練習にもなんない。かえっていいよ」
 こんなこと、八歳になるガキに言われたくない。
 もっとも、「はい、そうですか。失礼します」というわけにもいかない。そんなんでは国王暗殺もできない。
 黒ずくめたちは視線で合図を交わすと、三人で同時に切りかかった。
 リルリィーアはそのちっこいからだで、壁に向かってとんだ。  壁を蹴ると天井に飛ぶ。
 下から掬い上げるように斬撃が来た。それをリルリィーアは靴の裏で受けた。
 刀身を踏んでさらにジャンプ。空中で半回転して天井にぴたりと足の裏で張り付いた。
 魔力だけでくっついている。
 これは魔力強化の訓練の一環で、呪文を介さずに魔力を制御する訓練のひとつだ。壁や天井を拭き掃除するときにはしごが要らないというメリットもある。
 リルリィーアは男の一人の背後に降りた。落下中に指先で男の首筋をかききった。
 別の黒ずくめがリルリィーアに向かってくる。
 リルリィーアは首筋を切られた男を、えいっと押しやった。
 体がぶつかる。
 その一瞬の好きに踏み込んで、下から上へ手刀で脇腹から肩口まで切り上げた。
 さらに別の男が来た。剣を上段に構えて振り下ろしてくる。
 リルリィーアはスカートを捲くりあげた。
 そして一本の箒を取り出した。先端で喉を突く。
 気管がつぶれた。
 拳を握って、そいつの顔を打ち抜いた。
 全員気絶したところで、リルリィーアは悲鳴を上げた。
「ああっ……絨毯汚すと姉さまに殺される……ううぅ」

 ……寝ていたらしい。
 リルリィーアはずきずきする頭を抑えてベッドから起き上がった。
「……体は全部覚えている、か」
 リルリィーアは手を振った。まだねっとりとした血の感触が残っているような気がする。
 メイド服を着た赤毛の少女。
 それはかつてのリルリィーアの罪の姿。
「あんな格好をして……くっ、なんだというのだ」
 暗い廊下を明かりもつけずに歩く。
 礼拝堂に出た。月がないので真っ暗だ。
 祭壇の前にひざまずいて、手を合わせる。
 右手が痺れる。
 正面にあるはずの、兄妹の神様の像は何も答えてくれないが、それでも祈らずにはいられなかった。
 しかし何を祈ればいいのか?
 お救いください? 祈れば救われるというのか? リルリィーアの足元に転がった人たちは祈る暇もなかったというのに。
 ただ救いを求めるように、床にへたり込んでいた。
 どのくらい経ったのだろう。
 明かりがひとつ、奥からやってきた。
 ランタンに一枚の光る羽を入れたティナだ。
「大丈夫。お姉ちゃん?」
 ティナが寄ってきた。
 ウェーブのかかった金髪は天使の翼のようであった。汚れひとつないエプロンを身に付けて、リルリィーアの前に立った。
「全然戻ってこないから心配で」
 リルリィーアはティナを引っ張った。そしてぎゅっと抱きしめる。
 リルリィーアはしゃがみこみ、ティナの髪を撫でた。
「心配しなくて、もう大丈夫だから」
 さらさらする金髪を撫でる手にはもう血の感触はない。


 翌朝。空はいやみなぐらいに晴れていた。
 リルリィーアは一応非番だった。本来の予定なら朝まで護衛して、引継ぎをしたあと、ふらふらと神殿に帰って食事をしてからぱたんきゅーと寝るはずなんだが。
 それはさておき朝である。朝食の時間。掃除が終わった子供たちが広間に集まってくる時間だ。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
 ティナが隣で心配そうに眺めている。
「ん? ああ、問題ない」
 リルリィーアはぼーっと窓から空を眺めながら、キャベツの千切りをしていた。
 たたたたたんと高速で包丁がまな板を叩く。
 手元なんか全然見てないにもかかわらず、キャベツ丸ごと一個が一息ごとに千切りになってまな板の上に広がる。
 リルリィーアは見もしないで新しいキャベツを手に取る。
「ねえ、お姉ちゃん……」
 再びキャベツがあっという間に千切りになる。
「大丈夫だってば」
「そうじゃなくて……多すぎない? これ」
 リルリィーアが別のキャベツを手に取り、半分ぐらい千切りにしたところで、ぴたり、と包丁が止まった。
「……」
 キャベツがボール八つに山盛りになっている。
 いつもは四つあれば足りる。
「……」
「今日はキャベツのキャベツ和えのキャベツ添えだね」

「決めましたわ!」
 ローザが、元気良くというよりもやけっぱちといった感じで、扉を押し開けて広間に入ってきた。
 広間には食事のため座っている子供たちが騒いでいたが、迫力に全員ぴたっと話をやめ、ローザを見た。
 様子がおかしいので、調理室から出てティナは様子を伺った。
「どうしたの?」
 ティナが首をかしげて、代表して問いかけた。
「わたしが、パパを殺した犯人を捕まえて差し上げますわ」
 びしっとティナを指差した。
「なんだなんだなんだ? お前ら朝っぱらから」
 つられてリルリィーアも来た。
 ローザは中央のテーブルを大回りして著利室の前まで来た。
「昨日一晩中考えましたわ。これからどうしたらいいか」
「そうか」
「そして思いつきました。私が犯人を捕まえて、パパの無念を晴らしてやるんだ、って」
「ふむむ。気持ちは良くわかった」
 リルリィーアはうなずいた。
「しかし、それは捜査局の仕事だ。大人に任せておきなさい」
「ぐぅ」
「なんかあったら力を借りるから、な」
 リルリィーアはローザの頭をぽんぽん撫でたが、ぺちっと払われた。
「子供みたいにしないで」
「いや子供だろう。まぁ落ち着け。これから食事にするが、食欲はあるか?」
「もちろんですわ」
「そうか。じゃぁ、座って待っていろ」
 リルリィーアはひとつの椅子を指差した。
 子供たちはわくわくしながら待っていた。
 そこでローザがおとなしく待っていると、ひとつの盆が運ばれてきた。
 キャベツの山盛りが。
「なっ」
 ローザは唖然とした。
 もっとも、キャベツだけがあるわけではない。焼きたてのパンと鶏肉の入ったシチューがあるが、盆の中央に、皿の上に山のようにうずたかく積まれた千切りキャベツの山があった。
 ここの神殿ではいつもこんなのを食べているのかと思ったが、辺りを見回すと子供たちも唖然としていた。
 ごんごんごんと金属バケツを棒で叩く音がした。
 そっちをみると。リルリィーアが鍋を持っておたまで叩いて楽器みたいにしていた。
「はい全員聞け。もったいないからキャベツは全部食べるように。以上」
 そういうと調理室に戻っていった。
 反論のすきもなく。
「えー」とか「やだー」とか「またぁ」とか言う声がしたのはリルリィーアがいなくなってからのことだった。
「はいはい。朝のお祈りしますよ」
 ティナが調理室から出てきて前に立った。
「はい。今日も神様のお恵みに感謝して」
「お恵みってのはキャベツのことなのかよぅ」
 子供の一人が愚痴った。


「誰が殺したんだろう」
 ローザはキャベツの山にフォークをぐさっと差した。
「うう。全然減らない」
 絶望的なまでに大量のキャベツを前にため息ひとつ。あきらめて口にそれを放った。
「なんかこころあたりでもないのか?」
「ほにゃほむほんにゃ!」
「食ってからでいいぞ」
 リルリィーアももしゃもしゃとキャベツを食べていた。
「うわーっ。よくそんなにキャベツだけ食べられるよぅ」
 ティナがあきれた。
「なにを言う。キャベツは健康にいいんだぞ」
「背もおっきくなる?」
「それは聞いたことないなぁ」
「うみゅぅ」
 ティナは焼きたてパンをちぎると口に入れた。
「んはっ。パパはなんもわるいととしてないわよ!」
「大抵の遺族はそういうんだ。普通」
「お姉ちゃんちょっとひどいよ」
「しかしだな。世の中には逆恨みというものもあるんだ。だれかこうないのか? 借金に来て断られて呪いの言葉を吐いていった奴とか、昔アインツベルク卿が告発して恨みを持っている奴とか」
「うーん。聞かないよぅ」
「そういえばお姉ちゃん?」
 牛乳をごくごくのんでいたティナがたずねた。
「そもそも。どうしてわざわざ護衛をしてたんの?」
「知らん」
 リルリィーアは即答した。
「しらんって……」
「上からの命令でな。詳細は教えてもらってない。『アインツベルク卿が狙われているという情報があるので、別命があるまで護衛を付けろ』ということだ」
「上ってどこ?」
「枢機卿のアクトレーベン卿だ」
 ガルド帝国と戦う神殿側の方面軍司令官である。
「あのひと良くも悪くも秘密主義者だからなー」
「ううぅ。あのおじさん苦手だよ」
 リルリィーアはあごに手を当てた。
「なんか狙われる理由があったってことだよな……」
「パパは狙われるようなことなんかしてません!」
 ローザは机をどんと叩いた。
「うわっ」
 ティナの目の前にある千切りキャベツ山が、地震で崩れ去ってキャベツが丘になった。
「うう。ひどいよ」
「早く食べないからだ。まぁ、まて。ローザ。お父上はどういう仕事していた?」
「んー。領主様のところに言って、亡命してきた人たちがこれこれこーいうことなので困ってます、とかお願いにいったりしているよ」
 いわゆるロビー活動らしい。
「ふむ。こーあれだ。反帝国な言動をしていたとか。一刻も早く打倒帝国に立つべし、とか」
「んー。どうだろう」
 ローザはシチューを口に運んだあと、そのままスプーンをくわえていた。
「行儀悪いからやめなさい。うーん。そのへんだよなぁ。あとで聞いてくるか」


 食事のあとは、当然、食器を片付けなければならない。
「うう、なんで私がこんなことを」
「しゃべる暇があったら手を動かすの」
 ティナはぴしゃりと言った。
 ティナとローザは、調理室で食事に使った器を洗っていた。
 ティナがローザを引っ張ってきたのだ。
「みんなちゃんと自分の仕事をしているんだから、ローザちゃんも仕事しよう、ね」
 そういって連れてきた。
 調理に使った鍋は、すでに朝食担当の子供たちが洗ってある。台の上にひっくり返して乾かしているところだ。
 正面にある大きな窓から裏庭が見える。
 ティナは慣れた手つきでたわしを動かしなている。
 黒のワンピースの上に、白い子供用のちっちゃなエプロンをつけている。
 ローザは半泣きになりながら、滑るシチューの皿をたわしでこすっている。
 ぶくぶくと泡がでる石鹸水の中を、ローザの手が動いている。
「そうじゃない」
「え?」
 ローザが振り向くと、リルリィーアが後ろに立っていた。
 リルリィーアはローザの背後から両手を回してローザの手に添えた。
「このへん、汚れが残っているだろう? 油が水をはじいているし。こーいうところまでちゃんと洗わないと、綺麗にならないから駄目だ」
 まるで抱きしめられているような態勢だ。ローザはおろおろしていた。
「あ、あの。離して」
「だーめ。ちゃんと洗う」
 ローザは背中にリルリィーアの体温を感じていた。
 後頭部にやわらかいものが当たる。
 なんかあったかい。記憶には残ってないけど、ママに抱かれているみたいだ。
「あ。ちょっと」
 ローザの鼻先に、泡が付いていて虹色に光っている。
「あはっ」
「な、なによ?」
 ローザは突然笑い出したティナに眉をひそめた。
「泡が飛んでるよ」
 リルリィーアは自分の袖で、それをぬぐってやった。
「んなっ」
「これで大丈夫だ」
「ちゃん取れたよ」
 ティナは笑った。
 ローザは憮然としながら皿を持ち上げた。それがつるっと手から滑り落ちて、洗い桶の中にぽちゃんと落ちた。
「ああっ。大切にやってよ。割れたら危ないよぅ」
「なんか滑るし、これ」
「石鹸だもん。普通だよ」
「そんなもんなのかしらね」
 ローザは洗い桶の中から皿を取り出し、今度は慎重に脇に置いた。
「こんにちは、リルリィーア。ティナ」
 窓の外に、帽子を取った男の人が立っていた。窓は高いので、肩口までしか見えない。
「遅かったな。心配してたぞ」
「あ。アクラーサさん。お久しぶりです。最近全然お顔見ないからどうしたのかなぁ、って思ってたよ」
「おかげさまで」
 男の人は勝手口に回った。
「だれ? いまのひと」
「郵便やさんだよ」
 ティナが手を洗って勝手口を開けると、郵便屋と呼ばれた男が入ってきた。
 長いマントの下に、肩からバッグを提げているのが見える。
「いままでどこいってたの?」
「うーん。仕事だからね。ちょっとそれはいえないなぁ」
 アクラーサは鞄をあさった。
「おみやげ?」
「残念ながら。こっちにアインツベルクさんの娘さんがいると聞いてきたけど。どこにいるのかな?」
「私です」
 ローザが答えた。
「はい、これお父さん宛だから」
 ローザはリルリィーアの前からするりと抜け出した。エプロンで手をぬぐって一通の手紙を受け取った。
「それから、これはリルリィーアに」
 鞄から紐でくくった、書類が丸ごと入るぐらいのかい封筒、の束が出てきた。ティナが両腕を差し出した上にそれが三セット積み重なった。
「うわっ。いつもより多いよ」
「すみませんね。少々出国に手間取ってしまいまして。それではこれで。」
「ありがとうね」
 ティナは封筒の束を抱えてうなづいた。
「いつもすまない」
 アクラーサは一礼して帰っていった。
 ローザは、封を切ると、父親宛の手紙をまじめな顔つきで読んでいた。
「ティナ。後は頼む」
「うん」
「ローザから離れるんじゃないぞ」
 リルリィーアは手紙を掴んで奥へと消えた。


 リルリィーアは窓から日が差し込む廊下を歩いていた。手には先ほど渡された手紙がある。
 廊下には誰もいない。子供たちは裏庭で遊んでいる。
 舌打ちひとつ。
 背後からいやな感触がする。刃物を持った人に背後に立たれているような威圧感がある。
 立ち止まって振り向いたが誰もいない。
 しかし、リルリィーアは声を上げた。
「気配を消しても無駄だ。誰かは知らないが、姿を現せ」
 風が急に動いた。
 リルリィーアは持っていた手紙の束を宙に投げ上げた。そして、スカートの裾を捲くりあげ、剣を抜いた。
 そのまま跳ね上げる。
 金属同士がぶつかり合う高い音がする。
 リルリィーアの眼前に、一振りの剣があった。刀身は虹色に輝いている。
 リルリィーアの剣とぶつかり、押し合いになっている。
 先ほどまではいなかったはずだが、赤毛のメイド服の女性がそこにはいた。
 リルリィーアと同じく、赤い前髪が目元まで垂れている。
「やっぱりベレッタか……」
 落ちてきた手紙を宙で掴んだ。
「腕は落ちてないようね。わが妹」
 女性はそういうと剣を引いて下がった。
「妹と呼ぶな」
「そんなこといっても駄目よ。一度同じご主人様に仕えたメイドの絆は血より濃いんだから」
「これ以上濃くしてどーするのよ……」
「でもご主人様との絆よりは薄いのよね〜」
「オチ付けてどうする」
 リルリィーアはあきれて頭をかいた。
 メイドの女性は、名前をメイベレッタという。
 見ての通りでメイドで、今はマルディア王国唯一の王女にしてここミトフェム領主であるエルミリア王女付きメイドをしている。
 メイドにはある風習がある。
 同じ主に仕える先輩後輩のことを姉妹にたとえる。
 たとえば、新入りメイドがお屋敷に来たら、先輩方屋敷のメイドすべてが『姉』であり、それ以降に入ってきたメイドは『妹』になる。
 姉が妹を導くように、先輩メイドは後輩メイドを指導しなければいけないのである。その絆は血より深いと言われる。
 そしてメイドはひとつの家門を名乗る。自分が暮らした屋敷のメイド長と同じ姓だ。
 天空上で神に仕えていた七人のメイドのうち、誰を先輩すなわち姉とするかで家門名が決まる。
 メイベレッタの家門はケイファート。“無拳”コルディアスを兄とする身体能力重視の氏族である。コルディアスは格闘の始祖。
 メイベレッタがリルリィーアを『妹』と呼んだのはメイドの先輩後輩であることをあらわしていると推測できる。
 実際に血が繋がっているのかもしれないが。直接把握できるのは顔の下半分だけとはいえ、似てないとは言い切れない。体格も似通っている。お互い背はあまり高くないが胸が作業の邪魔になるんじゃないか、というぐらい大きくエプロンを下から押し上げている。
「まぁ、この程度で死ぬなら今死んだほうがマシでしょうけどね」
「勝手に殺すな。それも物理的に」
 メイベレッタは左手に持っていた鞘に、虹色の剣を収めるとそれをスカートの中に隠した。
「まったく。こそこそ忍び込んで、洒落にならないことをするんじゃないわよ。最近アレなんだから」
 リルリィーアも同じく剣をスカートにしまった。
「聞いたわよ。アインツベルク卿、殺されたって」
「そーよ。犯人には逃げられるし散々よ」
 リルリィーアはすねた。
「心当たりない?」
「全然。大体、見たらわかるでしょ? 何年一緒に暮らしたんだか」
「むぅ」
「少なくても、妹かそうじゃないかぐらいは……解れ」
 リルリィーアは頬を膨らましてぷいっと視線をはずした。
 このへん、妹分というか娘みたいなティナとよく似ている。
「なんか恨みを買っているようなことないの?」
「妹じゃあるまいし……」
「あーひどい」
「証拠を残すようなへまするかい」
「……それは捜査官として聞き逃せないんだけど」
「それはさておき、恨み買うならリィーアのほうだろう。目立つし暴れるし容赦ないしそれでいてとどめささないし」
「うう、暴れてないもん」
「倉庫三つまとめて吹っ飛ばして何を言うか」
 メイベレッタは妹のほっぺたをつんつんつっついた。
「やめてよ」
 言葉ほどはいやそうではない。
「まぁ、でも、関係者なんだろうなぁ……」
 メイベレッタは指を止めて、人差し指を立て、自分のあごに当てた。
「そーよね。私のこと、『お姉さま』とか呼んでたし」
「……それ初耳だわ」
「言ってないもん」
「言ってよ、先に、このバカ。思考が根本的に変わるじゃないの」
「うう。だったら先に聞いてくれれば」
「知らないものは、聞けません」
 リルリィーアの頭にチョップ。
「あう」
「しかし。お姉さまか」
 メイベレッタはため息ひとつ。
「いいなぁ」
「こら」
 即突込みが入った。
「だって。こちらから何もしなくてもお姉さまと呼んでもらえるのよ。帰ってこない妹がいるわ、ご主人様にはむかうわ、帰ってきたと思ったら本気で殺そうとする妹がいるわ」
「ほっとけ。だいたい、その辺の女の子が『お姉ちゃん〜』って呼んだらお持ち帰りするのかよ」
「もちろんしないわ」
 メイベレッタは胸を張った。
「もっともその娘が、『お姉さま、私を立派なメイドにしてください』とか言ったらよろこで最強のメイドにしてあげるけど」
 メイベレッタはさらに胸を張った。のけぞるように。
 エプロンが引っ張られて胸の丸みが布地に押し付けられて、弾力を持って押し返しているのが良くわかる。
「……そのうち誘拐で捕まえるんだろうなぁ」
「冗談はさておき、『お姉さま』か」
 反り返った状態から戻るとき、メイベレッタの前髪が揺れた。赤い瞳が前髪の下からかすかに覗いた。
「リィーア、あんた妹作ってポイしたことない?」
「するかよ」
「捨てるくらいなら頂戴な」
「人の話し聞けよ」
「その二。ほかのケイファート氏族がリィーアを狙っている」
「なんでねらわれるのよぅ。こんなか弱くて人畜無害」
「却下」
 みなまで言わせずに突込みが入った。
「うう」
「同一氏族なら姉妹だからねー一応。仮説二の一。リィーアに恨みがある人がたまたまケイファート。二の二。関係がないけど恨みがあって変装している。」
「結局恨まれるのね……」
「仮説三。うちらの関係者の妹……でも、これ理由にならないからねぇ」
 リルリィーアは頷いた。
「こーいうなりをしているから“アイリスの魔女”って呼ばれているわけじゃないからねぇ」
 メイベレッタは前髪をかきあげた。
 目があらわになる。
 左目は青い瞳であるが、右目は赤い。“魔眼”と呼ばれる魔力のこもった瞳である。
「なに考えているんだか、さっぱりよ」
 手をはずすと前髪が崩れて、再び目を覆い隠した。 「じゃ、とりあえず帰るわ。またね」
 メイベレッタはリルリィーアの背中をぱしんと手のひらで叩くと、背中を向けて歩いていった」
「まだ来る気なの……」
 リルリィーアはぼやいた。
 メイベレッタは振り向いて笑った。
「死なないでよ。こんなところで死なれたらつまんないから」
 リルリィーアは前髪に隠れた瞳で黙って見つめ返した。


 ローザは調理室の脇に立ったまま、手紙を読んでいた。
「片付けるの、ちゃんと手伝ってよぅ」
 流し台を拭きながらティナがじとーっとローザを見た。
 それにも答えず、ローザは手紙を読み続けていた。
 ぴんと来た。
「これだったのね。お父様が殺された理由は」
 体が熱くなる。
「どーしたの?」
 ティナがたずねた。
 昨晩のことが思い起こされる。首をはねられた父の死体、影を操る赤毛のメイド。
 気が付いたら封筒を握りつぶしていた。封ろうが剥がれて手にくっついた。
「知ってしまいましたか」
 背後からいきなり声がした。
 背筋に寒気が走る。
 羽音がした。
 ローザは振り向いた。彼女の背後を、白い翼がかばうように広がっている。
 それがばらけた。きらきら光りながら羽が散ってゆく。
 その向こうにに、赤毛のメイドがいた。
 昨日パパを殺した奴だ。
 メイドの足元から、影が浮き上がりローザの目の前で薄い先端を向けていた。
 ローザの隣にはティナが立っていた。背中から純白の双翼が広がっているが、片側が立った今散り散りになった。
 影も、砕けた。ティナの翼は通常は非実態だが、必要があれば実体になって人を守る盾になる。
 ティナの翼とメイドの影がぶつかり合ってお互いに耐えられなかった。
「な、なに? いきなりなにを?」
 ティナは目を大きく見開いて驚いていた。
 本人に自覚はない。光翼は自動的に展開して“聖女”やその友人を守る。
 メイドは答えない。
 再び、彼女の足元から影が空中に伸びる。六つの影が別の軌道を描いてローザに向かう。
「あんたっ。よくもパパを」
 ローザは動けない。避けきれるもんじゃない。せめてメイドを睨む。
 ティナは残った反対側の翼で空気を叩いた。
 ローザにタックルする勢いで抱きかかえるとそのまま飛翔。
 再生成した右翼を縦にすり抜ける。
 光翼は三発止めたところで砕けた。ひとつの影がティナをかすった。
 ティナたちはくるくる回りながら宙を舞った。
 天井にぶつかるか、というところでぴたりと動きが止まり、さかさまになった状態で天井に足を付けた。
 ローザは目をつぶってティナにしがみついていた。
 壊れた半翼が、光が集まって再び修復される。  くるりと半回転してティナは床に下りた。翼は展開したままだ。
「いきなりなにをするの?」
 ティナは、もう大丈夫だよ。とローザの肩を叩いた。
「“聖女”にして神殿長。ティナですか。噂には聞いていたがとんでもないですわね。その翼は」
「人の話し聞いてよぅ」
「しかし、奇襲が効かないなら正面から行くだけだ」
 聞いちゃいねぇ。
 ティナはローザの耳に口を寄せると、目の前のメイドに聞こえないようにささやいた。
「私がなんとかするから、ローザちゃんは逃げて」
「駄目よっ。ティナまで殺されちゃう」
 ローザはティナを掴んでいた腕に力を込めた。
 ティナは、ローザをやさしく抱きしめた。
「大丈夫……大丈夫だから、リルリィーアお姉ちゃん呼んできて」
 ローザはティナの目を見て頷いた。
 メイドはゆっくりと歩いてティナたちに近寄っている。
 再び、影が持ち上がった。
「いまだよっ」
 ティナはローザを押した。
 そして、縦になるように前に出る。
 翼を盾にするために前に伸ばす。丸く球状にして防御する。
 なんか武器の代わりになるもの。
 乾かすために立てかけてあったフライパンを手に取った。
 左右の翼が解けるようにばらばらになる。羽が舞う中、六つの影もメイドの眼前で砕け散る。
 ここまでは予想通り。
 メイドは右手に光るものを持っていた。
 包丁。
 毎日ちゃんと研いであるそれをティナめがけて投げた。
 投げるためにバランスを取って作っているわけじゃないのに、包丁はティナめがけて一直線に飛んでくる。
「ひっ」
 包丁が突き刺さった。
 フライパンを串刺しにして、柄がフライパンの裏に引っかかったところでようやく止まった。
 あともうちょっとでティナの喉が壁に貼り付けになるところだった。
 フライパンが急に重くなった。前衛芸術みたいになったそれをぽいと投げ捨てる。
 ティナはちらりとあたりを見た。なにか武器になるものはないのか。
 光翼は防御力と機動力は優れているが攻撃力がまったくない。
 ティナ自身の武器といえば、そのぷにぷにした小さな手しかない。
 ローザは一身に逃げている。その扉をくぐれば広間だ。
 と、ティナが思ったそのとき。メイドの姿が沈んだ。
「えっ?」
 すーっと、影に溶け込むように沈んでいく。
 次の瞬間、メイドはローザの前にいた。メイドはローザの首を捕まえた。
「動くな。動いたらこの首へし折るぞ」
 リルリィーアそっくりなメイドは、ローザの首を掴むと気道を握りつぶした。
 細い腕からは想像できない握力だ。メイド服に隠れてはっきりとはわからないが、男性の剣士みたいに丸太のようにぶっとい腕なわけではない。
 息ができない。首が苦しい。
 メイド服の袖に手を伸ばすが、十歳の女の子程度の力では剥がすことなんかできない。
「やめてっ!」
 ティナが叫んだ。
「手紙、渡してもらいましょうか」
「……」
 声が出ない。
 くやしくてくやしくてたまらない。
 自分に力があったら、この腕を引っぺがして顔を一発ひっぱたいてやることができるのに。
 返事がないので、メイドはローザのポケットをあさった。手紙が出てきた。
「さて、用も済みましたし。死になさいな」
 メイドはあっさり告げた。
「駄目よっ。なんでそんなにあっさり言うのよ。そんなこと」
 メイドはティナを見た。
「なんでって……仕事だから」
「そんな仕事しちゃ駄目だよ」
「私はメイドだから、ご主人様のために、ご主人様の敵を殺してご主人様に誉めてもらうの」
「人を殺したって、誰も喜ばないよ」
「そんなことないっ!」
 メイドは激昂した。
「それはあなたが、聖女様と祭り上げられていて、誰からも嫌われたことがないからそんなことが言えるのよ!」
「あなたのご主人様は、自分のために部下に手を汚してもらって喜ぶような人なの?」
「そうよ。私がちゃんと殺して、最強のメイドになったら、ご主人様に、必要としてもらえるから」
 手首に爪を立てても、手の甲をつねっても反応しない。
 もう駄目だ、と思った。ごめん。
 ぴゅっと風邪を切る音がした。
 ぐいっと急に持ち上げられた。
 あたまにごいん、と何かが当たった。痛いはずだが首がもっと痛いのでよくわかんない。
「ひとんちで、何おいたしているのよ。馬鹿メイド」
 声が聞こえる。
 何とか首をひねってそっちを見ると。リルリィーアが手に雑巾を持って立っていた。


「何の冗談かしら? バケツなんか投げて」
 メイドはあきれたように言った。
「うう。お姉ちゃん。遊んでる場合じゃないよぅ」
「いやまぁ、当たればラッキー、ぐらいで。どうだ?」
「はぁ」
 メイドはため息を付いた。
「これがアイリス最強と呼ばれたリルリィーアですか。当時十歳の女の子に与えられた称号がいかほどのものかと思いましたが、噂は所詮、ただの噂でしたようで」
「黙れ。その子を離せ。でないと……」
「どうするんですか? 護衛対象も守れない無能メイドが」
「……法廷に引きずり出して全部しゃべってもらうことになるぞ」
「バケツで遊んでいるようじゃ無理だと思いますよ」
 首元に当てられている影が動いた。
 そのとき、リルリィーアは前髪をかきあげた。
 リルリィーアの赤い瞳があらわになる。
 いままさにローザの首をかききろうとしていた影の刃が、破片になって飛び散った。
「なっ」
 メイドの顔に驚きの表情が浮かんだ。
「本当だったのか。すべての投射系魔法を封じてしまう“魔眼”というのは」
「あんまり使いたくないんだよねぇ。疲れるから」
「でも、封じることができるのは距離を置いて発動する魔法とその類似能力のみ。肉体強化や自分自身にかかる魔法は封じられない不完全な能力ね」
「それで十分だろう?」
 今の発言で見当が付いた。
 リルリィーアが“魔眼”持ちだということは知っている人は多い。たとえば孤児院の子供たちとか神殿の神官連中、大抵の捜査官は知っている。
 しかし、能力はめったに見せてない。
 知っているのは直接見た人と……かつての姉妹のみ。あの髪型からして関係者確定だろう。
 捜査官リルリィーア・アークフィードに似せたのではなく、おそらく、リルリィーア・アイリス・ケイファートに。
 いかんな、“魔眼”使うとテンションがあがりすぎる。
 こんなこと考えている場合じゃないだろう。
「その子は返してもらうぞ」
「はっ。なにをいいます。私がこの子の首をひねるよりも早くどうにかできるとでも?」
「あんたには無理だ」
「試してみます?」
 挑発的にメイドは告げたが、リルリィーアは軽く受け流した。髪から手を下ろして“魔眼”を隠した。
「すまん、もう始めさせてもらっているよ」
 リルリィーアが言ったタイミングで、バケツがなぜか爆発した。

 爆発と同時に、爆風でメイドの体が横に押された。調理室にでん、と置かれたでっかい机が跳ね上がる。真下で爆発した。でっかい天板は爆風を受けるのにちょうど良すぎる。
「[遅延]をかけた[火球]だよ。ちょっと長すぎたけどね」
 リルリィーアはスカートの裾を捲くった。
 裾から、一振りの剣が現れた。刀身に刻まれた複雑な溝は青く輝いていて既に戦闘体制。
 刀身をさらに炎が包んだ。
 魔力と[火炎付与]により強化された増幅具は、威力を上げ当たったものを何でもぶっ飛ばす。
 調理室は、剣を振り回すにはちと狭い。
 料理の邪魔にならないように、中央のテーブル(今爆風で飛んでる)と棚は二人並んで物を持って交差できるぐらい広いが、剣を降ると棚や天井に当たる。
 さらに、メイドの前にはローザが吊り上げられている。普通に切るとローザごと真っ二つ。
 リルリィーアはとりあえず、宙を待っている邪魔な机を真っ二つにした。
 机が一瞬で燃え上がる。
 机の形をした灰の中をリルリィーアは回り込む。リルリィーアの動きで風が起き、灰が拡散していく。
 たったいま開いたスペースを使って、ローザの脇から横に剣を振ってメイドの腹を狙った。
「その程度ですか?」
 メイドはぐい、と吊り上げたローザを動かした。盾にするように。
 このままだとローザが真っ二つ。
「このくらいでまけといてくださいな」
 リルリィーアは剣を離した。
 すっぽ抜けた剣がローザの脇を通って戸棚を突き刺した。
 さっきの爆風と今の衝撃で、皿が崩れて床で砕ける。
 戸棚のガラスは既に破片になって散らばっている。
 リルリィーアのぴんと伸びきった腕の先端、手のひらに炎が集まった。[火球]だ。
 赤いエネルギーのかたまりが、リルリィーアの手の中で渦を巻いている。
 腕がローザの脇腹に当たった。
 ローザとメイドの間に手をちょうど置いて、そのまま[火球]を爆裂させた。

 さすがに爆発の圧力を握力だけで耐えることはできなく、ローザの首から手が外れた。
 首に手形がくっきり付いている。
 リルリィーアは自分のほうに飛んできたローザを抱き止めると、そのまま体をひねってぽいっと投げた。
 ティナのほうへ。
 リルリィーア自身はそのまま一回転すると、床に手を突いて態勢を立て直して距離をとった。
 すぐ背中に流し台がある。
 メイドは背中を戸棚に預けていた。
 爆風や増幅具が突き刺さったのや、メイドが当たったときの衝撃で、木枠が砕けた。
 中の皿はもうほとんどない。戸棚を押して立とうとすると。
 上から皿が落ちてきて頭にぶつかって割れた。
「ああっ。あれ高いのにぃ!」
 お宝だったらしい。
 メイドは頭を振った。白いフリルの髪留めの上に、ガラスの小さい破片がいくつも乗っかっている。
 たいしたダメージはないようだ。
 ローザはティナの前で尻から落ちた。
 ティナはローザを抱えると、背中に光の翼を展開。手形が真っ赤に付いた喉を重点的に治癒魔法をかける。“聖女”のもつ癒しの力だ。
「ティナ。何があってもローザを離すなよ」
 リルリィーアはそっちを見ないで告げる。 「面白い手品ね」
 メイドはスカートを捲くった。ガーターベルトが見える。ロングソックスの上にホルダーが在り、ナイフが二本、左右にあった。それを取り出し両手に構えた。
「十分だろう?」
 リルリィーアは構えも取らず、肩の力を抜いてメイドに正対していた。
 彼女の剣は壁に棚を串刺しにしたままだ。
 メイドはリルリィーアの首を狙ってナイフを振った。
 リルリィーアは横によけた。
 かすったのか、首元に赤い線ができ、たらりと血が流れた。
 メイドはナイフを付いてきた。
 リルリィーアは左拳を握り、ナイフを掴んでいる手を下から殴り上げた。
 一歩踏み込む。
 右拳を握る。拳が炎に包まれる。
 拳を顔面に向けて叩き込む。
 メイドはナイフで拳を受けようとする。このままだと自分のパンチ力で手がずたずたになる。
 ナイフの直前で、拳が止まった。
 フェイントだ。
 リルリィーアはくるりと回った。
 青い神官服のスカートが大きく広がる。
 右足が高く上がり、ナイフを失ったほうの左肩を狙って踵が落ちる。
 鎖骨を割る。
 メイドが尻から床に転がる。後頭部が流し台に当たった。
「眠りなさいな」
 リルリィーアは続けて顔面を狙って蹴りを入れる。
 メイドの姿が急に色を失った。黒い影になり、すうっと足元の流し台の影に溶けていった。
 リルリィーアの足が空振りした。
「この程度?」
 そして背後から声。いつ回り込まれたのか。
 よける暇がない。
 リルリィーアは手を振った。
 [火球]を唱えると即座に開放。自分の腹の前で爆発した。
 爆風で体が吹っ飛ばされる。背後に立っているメイドめがけて。
 脇腹に激痛が走った。持っていたナイフが突き刺さった。だが急所を狙われるよりマシ。
 メイドに体を預けて、二人揃って後ろに倒れる。
「面白いことなさいますね。でもね」
 リルリィーアの腹が、焼けた火箸を突っ込んだように熱くなった。
 腹が内側から破られて、神官服を突き破り、エプロンを内側から持ち上げるようにして黒い影が姿を現した。
 一瞬遅れて、血が湧き出す。
「二人重なれば、影はできるんですよ。それも、あなたの視界外で」
 リルリィーアはなんとか体をひねってメイドに向き合う。
 気が遠くなる。すうっと水中に沈んでいくような。
 なんとかメイドの頭を掴んで床に叩きつけようと。
 頭に手が触れたが、するりと外れた。


「おねえちゃーん」
 ティナは叫んだ。
 突然の爆発のあと、二人が倒れた。リルリィーアは背と腹から血がとくとくと流れ出している。
 メイドは体を起こした。エプロンの下部とスカートは血で赤くなっていた。
「この程度ですか。噂ほどでもないですわね」
 そして、ティナを見た。
 ティナは喉を押さえ咳き込んでいるローザを抱きしめていた。
「聖女様。最後に一度だけ聞いてあげますわ。その子を置いて逃げなさい。あなたを殺すことは私の仕事じゃないから」


 冷たい床。
 血液とともに力が抜けてゆく。
 ああ、むかしもこんなめに遭ったなぁ……

「下がりなさい」
 ばちばちと炎が爆ぜる中、メイベレッタは妹に告げた。
 エプロンの下に膨らみかけの胸がある。子供が偉ぶっているようにも見えるが、彼女は十二歳でもメイド長である。
 屋敷は燃えていた。
 予定より火の回りが早い。
 リルリィーアは姉を、前髪に隠れた目で睨みながら背後に友人をかばった。
 煙を吸ってその友人は咳き込んだ。リルリィーアと同い年ぐらいの男の子だ。立派な服を着ている。
「あなたは聞き分けのない悪い子じゃないわよね」
 リルリィーアは黙って、隙なく姉を見ている。
「その子を殺しなさい。リルリィーア・アイリス・ケイファート」
「殺せないわ」
 リルリィーアは呟いた。
 二人の赤毛は炎を受けていつもよりぎらぎらと赤い。
「なんですって?」
「殺せないよの。ミルは、私の大切な友達だから」
 遠くから振動が響く。火災で崩落が起きているようだ。
 頬がひりひりする。舌が乾く。
「友達ですって。友達とご主人様、どっちが大切なの?」
「陛下が殺せといっても、私には殺せないわ」
 メイベレッタは、リルリィーアに向かってゆっくりと歩いてきた。
「そう。そんなこという子はおしおきよ」
 メイベレッタの動きが消える。周囲と完全に調和した動作は見えなくなる。
「死になさい」
 言葉とともに拳が飛んできた。
 リルリィーアもこぶしを振った。
 拳と拳がぶつかり合い、ぱんっ、と澄んだ音を立てた。
 リルリィーアの右拳が砕けた。
 一歩踏み込んでメイベレッタの腹をエプロン越しに殴る。メイベレッタも首を狙って指を伸ばすが、相打ちを予期していた分リルリィーアのほうが早い。
 メイベレッタの体が浮いた。
 メイベレッタは背中から落ちた。すぐに受身を取って立ち上がるが、ぐらりと体が揺れた。
「手加減しているつもり? いつもならもう殺しているころよ」
 メイベレッタは怒っていた。
「無様よ。そんな子供のせいで甘ったれになるなんて」
 メイベレッタは手を叩いた。
「そうね、その子を殺したらリィーアも目が覚めるかしら」
「そんなことはさせない!」
 リルリィーアは顔を殴った。メイベレッタはするりと下がってかわした。
「本気を出さないのはどうしてかしら。その子の前で、人殺しはできないから?」
「黙れっ!」
 リルリィーアの拳がメイベレッタの脇腹に突き刺さった。
 同時に、メイベレッタの指がリルリィーアの首筋を撫でた。
 血が飛ぶと同時にリルリィーアの膝が崩れた。
「残念ね。あなたならきっと私が主と仰ぐ女王になれたでしょうに」
 メイベレッタの手刀が、リルリィーアをメイド服の上から切り裂いた。


 リルリィーアは顔を上げた。
 力が入らなくて起き上がれない。顔だけくいっと上げた。
「それじゃぁ、ご主人様のために死んで。聖女様」
 メイドが言った。
 足元から影が伸びてティナめがけて突き刺さる。
 ティナは光翼を展開して受けるが、片っ端から砕かれる。
 翼の隙間から、ひとつの影がローザに向かった。
 ティナはローザを抱きかかえている。影はティナの背中に突き刺さった。
「がわっ」
 影が嬲るように、ティナをエプロンドレスの上から切り裂く。
「あーっ!」
 叫び声を上げるが、ティナはそれでもローザを離さない。
 なにをやっているんだ私は。
 あのとき、もうメイド足りえなくった時に。
 もう誰も殺させないと誓ったのに。
 寝ている場合じゃないだろう。
 首は動く手は動く。
 足が動かないなら無理やり動かす。
 呼吸を合わせる。周りの空気と。
 リルリィーアは腕を突っ張って上体を起こした。
 音を立てずに歩くように。体重を消して。
 床を蹴るという意思で足を動かす。
 腰から下の感覚がない。さっきの一撃で神経が切れたか、脊椎ごと折れたか。
 しかし痛くて動けないよりマシ。
 反応しない足を、直接魔力で動かす。増強するイメージで。
 加速が始まる。
 一歩踏み出すごとに上体が起きる。
 腰の負傷で本来なら立っていられないはずだ。まぁ気にするな。周りのリズムと呼吸を合わせれば空間そのものに溶け込んでいないのと一緒。
 ケイファートの奥義。まず気配を消してご主人様やお客様の邪魔にならないように。
 次に足音を消して衣擦れを消して体重そのものを消して存在自体が気づかれないように。
 ケイファート自身は殺気そのものまで消すことができた。
 リルリィーアはメイドの首めがけて手を伸ばした。いつもの拳ではない。指をそろえて正面に突き刺した。
 指が首にかすった瞬間、メイドの姿が影に溶けて消えた。
「あれだけくらって、まだ動けるんですか」
 あきれたように告げたメイドの首から。
 突然、血が吹き出た。
「すまんな。今まで手加減していて」
 視界の端で、ティナが崩れ落ちた。それをローザが抱きとめている。背中は血まみれだ。
「もう誰も殺させない。自分にも他人にも」
 リルリィーアはハンカチを取り出した。自分の血で真っ赤だ。
 それを絞ってから、頭にくるりと巻いた。
 前髪が上がる。
 青い左目と対照的に右目は赤い。
「そんなずたずたの体で、いったいなにができるというんですか」
「問題は、なにをするか、だろう?」
 リルリィーアは前に出た。
 “魔眼”発動中で影を操って攻撃はできない。
 リルリィーアは一見無造作に手を振った。軌道は首狙いだ。
 メイドは腕を上げてブロック。
 血が飛び散る。
 メイドの腕が骨に届くほどずっぱり切れた。
「魔力の集中が甘い」
 リルリィーアは反対側の手を振った。
 こんどは、メイドは後ろに下がった。手の描く軌道外まで出るつもりだ。
 リルリィーアの腕が途中で止まった。
 フェイントだ。
 リルリィーアはもう一歩踏み込んだ。流れるように前に進み、みぞおちに手のひらが触れる。
 メイドの体が折れる。魔力を直接、叩き込んだ。
 腹を撃たれて下がった顔にリルリィーアの手が伸びる。魔力を一転に集中させれば指ですら鉄でも切り裂く刃になる。
 メイドの姿が消えた。
 リルリィーアは腕を振った流れのまま、即座に振り向く。
 背後にメイドが立っている。
 視界内の影が砕ける。
 背中に何かが刺さる。視界の外にはリルリィーアの“魔眼”も効かない。
 痛みを無視してリルリィーアは手を振った。
 動きによって、傷口がますます開く。影が突き刺さったままだ。無理やりな行動により自分から血を飛び散らせていく。
「だめよ……」
 後ろから声が聞こえた。
 リルリィーアは手を止めた。
 それがちょうどフェイントになった。リルリィーアはメイドの胸に手を当てると、瞬間的な体重移動と魔力で、メイド服越しに心臓を打ち抜いた。

 メイドは吹っ飛んだ。背中から壁に当たる。
「これで、げふっ」
 血を吐いた。
「この程度で勝ったと思わないでね。人も殺せないようでは欠陥品よ」
 そういうとメイドは影の中に消えた。
 気配が消えたのを確認して、リルリィーアは振り向いた。
 ティナが四つんばいになって起き上がっていた。紺色のエプロンドレスが自分の血で赤く染まっている。
「駄目だよお姉ちゃん。もう誰も殺させないって言ったのに」
 ああ。
 生きてて良かった。
 なんか急にくらっときた。そーいや血液足りんな。あ、いかん、集中切れると。
 リルリィーアはばったりと倒れた。
「あーっ。駄目だよまだ死んだらっ」
 ティナの背中に光が集まって翼になった。
「お願い。お姉ちゃんを癒して!」
 ティナの周囲を包み込む光が急激に強くなった。
 一瞬、視界が白く染まる。
 光がやむと、リルリィーアの体は綺麗に傷がすべて消えていた。
「うきゅっ」
 そしてティナはぽてりと崩れ落ちた。
「ティナっ」
 ローザが気を失ったゆさゆさした。
「やめろっ。揺らすな、とどめ刺す気かっ」
 リルリィーアは起き上がってティナを胸に抱きかかえた。
「誰か。誰か治療できる奴呼んで来いっ。早くっ」


 リルリィーアの部屋に、ティナはうつぶせに気絶していた。
 服は背中から破り取られている。
 祝福で強化した糸で編んでいるので通常のはさみは通らない。祝福布専用の布ばさみでちょきちょき切り取って露出させている。
 背中はずたずただ。鞭で百回叩いてもこうはなるまい。
 神官服を着た女の子が杖を持って立っていた。神官は杖を背中に伸ばすと治癒魔法を使った。
 杖に刻まれた溝が青く光る。
 背中が白い光に包まれて、ゆっくりと傷口がくっついていく。
「支部長。私の魔法では傷までは完全には消せません。目が覚めてからティナちゃん自身に直させてください。
「ありがとう」
 たしかに、背中に線が落書きみたいに残っている。
 リルリィーアはその上に白いシーツをかけてやった。
「それでは、失礼します」
 神官は一礼して出て行った。
 リルリィーアはティナの頭に手を当てた。
 弱く早かった呼吸が、ゆったりとしたものに戻っている。
「すまないないつも……不出来な姉で」
 ほんらいなら孤児院における保護者として、自分がかばわなきゃいけないのにこんな目にあわせてしまった。
 ティナにはいつも救われている。
 その聖女としての力だけではなく、穢れた自分とは違って真っ白い心を持っている。正しいことを言葉と行動で指し示してくれる。
 ぎゅっと抱きしめてなでなでしてやりたいところだが、いまは別の人がいる。
 どん、と抱きつかれた。
 ローザがいきなり抱きついてきた。ローザはリルリィーアの代えたばかりの白いエプロンに顔をうずめると泣き出した。
「ごめんなさい。ひどいことばかり言って。なのに、なのに。リルリィーアはこんなに怪我して」
 胸に顔をうずめ、鼻をこすりつけている。
 リルリィーアはそっと肩に手を触れた。
「パパが死んだのはリルリィーアのせいじゃないのに、そんな。あああああっ」  リルリィーアはローザが泣き止むまで彼女を抱きしめていた。


 もう二十年も前になる。
 気が付くと、一人の男がベッドの脇に立っていた。
 寝ていたらしい。
 あわてて起き上がると、胸にずきりと痛みが走った。
「そのままで」
 男は告げた。
 ああ。殺さなければならない相手が、唯一のお城の外の知り合いで。
 殺せなくて。
 お姉ちゃんに斬られて。
 遠くなる意識の中、誰かに背負われていたことは覚えている。
 男は剣を帯びていた。鞘に、鷹をあしらった捜査官の身分証の鎖がまきつけてある。
「なに? 私に何か聞きたいの?」
 当時十歳だった私はけだるそうに聞いた。
 実際体はぼろぼろで寝ていたい。
「そうじゃないなら、とっとと殺したら?」  姉だった人から聞いていた。
 外でつかまったら拷問された挙句に殺されてしまうと。
 しかし、男は笑って首を振った。
「しばらくここで暮らすといい」
 は? と心の中で呟いた。
「ここは神殿裏の孤児院だ。聞いたことあるだろう?」
 残念ながら、マルディア王国に来たのも今回が初めてだ。一都市の神殿のことなんか知るもんか。
「ここでしばらく、ほかの子供たちと暮らすといい。そうすれば」
 このあとに続く言葉は、一生心に残ることになる。
「君がどんな罪を犯したのか、そのうちわかるだろう」

 この男はアークフィード。リルリィーアの後見人で、全然そうは見えないが当時のミトフェム支部長。のちに枢機卿にまでなった男だ。
 今頃天国から指差して笑っているのだろう。


 ティナがうめいた。
「あ。お姉ちゃん」
「良かった。気が付いたか」
 起き上がろうとしたティナを、そっと頭を抑える。
「そのまま寝ていろ。もう心配はない」
「お姉ちゃん、なんかいい顔している」
 ティナはそういった。
「ん。ちと吹っ切れた」
 リルリィーアは、かけていたコートを羽織った。
「うわー、おっきいね。そんなに長くて暑くない?」
「ちょっとな。変装って奴だ」
 反対側のベッドに腰掛けているローザに振り向く。
「すまんが後を頼む」
「わかりました。あの……リルリィーアさん、気をつけて」
「了解」
 おどけて敬礼してみる。
「さて、あとはやるだけだ」
 ほっぺを両手で叩いて気合を入れた。


「手紙にありました。港地区倉庫裏。今日の夜九時」
 ローザはリルリィーアにそう告げた。父親宛の手紙の内容を思い返してのことだ。
 その言葉どおりに、リルリィーアは来ていた。いまは海へと流れる夜風が冷たいが、倉庫の壁が盾になって防いでくれる。
 コートをびっちり着込む。寒いからだけではない。なるべく体型を隠そうと。
 かつらまでかぶっている。
 周囲に感覚の網を張り巡らせる。
 そのなかで、ローザの話を思い返した。
「あの手紙は連絡だったんです。帝国からの亡命ルートの」
 今この時間、連絡を取るという予定なそうだ。ここで合う人は複数あるルートの繋ぎ、の役割だった。なにかあったときにまとめてつかまらないように、アインツベルクを介して繋がっていた。
 いま、リルリィーアはその連絡員のふりをしている。連絡員のひとは捜査局の人が見つけ出した。文字通り影に隠れる異能者は追いきれなくても、普通の人間ならば組織力がものを言う。
 これが最後で最大のチャンスだ。
 アインツベルクだけではなくローザまで狙ったのはこのため。
 あれ?
 だったらローザまで狙う必要は……ああ。
 たぶん、ローザ名義で連絡を取った手紙があったのだろう。仮にも十歳だ。親が娘の手紙を確認しても変ではない。
 暗殺者側はそれを確認する手段はない。万が一、ということを考えると娘も処分する必要がある。そもそも目撃者だ。
 十歳だからといって能力が劣っている、ということはわれわれ姉妹では考えない。自分たちという実例が十四人もいたのだから。
 リルリィーアはため息ひとつ。
 闇の中から、闇そのものでできた刃が伸びた。
 リルリィーアは横にとんだ。
 リルリィーアの背後から伸びたその影は、コートを突き刺してばらばらにした。
 リルリィーアはいつもの神官服にエプロン、といった恰好だった。
「遅かったわね」
 背を向けたまま告げた。
 振り向くと赤毛のメイドがいた。
「生きていらしたの。元気そうね。お姉さま」
「うちの妹は出来が良くてね。自分の体より姉の体を心配するいい子だから」
 リルリィーアは前髪越しに睨んだ。
「ところでひとつ聞きたいんだけど。ミリア元気?」
 薄笑いを浮かべていたメイドの表情が、急に引き締まった。
「やっぱりね」
「いつ、気が付きました?」
「ここにあんたが来た時点ね。昔の私の姉妹たちで帝国にかかわっているのは、ミリア、あの子だけだと聞いているから」
「もうちょっと早く気が付くかと思っていましたが」
「わかるかい。なんでわざわざそんなかつらかぶって胸パッド入れているの?」
「お姉さまのことが忘れられないんですよ。きっと」
 メイドはかつらを脱いだ。下から、お団子になった黒い髪が現れた。
「胸はこのままで失礼。まだ成長途中なもので」
「“アイリスの魔女”でも復活させようというの? “魔眼”持ってる子たちは散り散りなのに」
「かわりに異能持ちな子供をあつめていますけどね。もっと深い意味があるのかは知らないけど」
「あんた、名前は?」
「ミリアお姉さまにいただいた名前は、フィアと言います。その前のは捨てました」
 フィアと名乗ったメイドは笑っていた。
 捨てられたんだな。親に。リルリィーアは悟った。
 異能者は気味悪いとぽい捨てする傾向がいまだに残っている。
 フィアにとって、メイドたちは唯一の家族なのだろう。
 そこしか知らなかったリルリィーアと対称的に、拒絶されたがゆえにそこに入ったフィアなのであろう。
「何で私を嫌う? どーも突っかかられているようだけど、私、なにかした?」
「ケイファート最強と呼ばれるリルリィーア、あなたを倒せば、ご主人様に認めてもらえるからです」
 フィアはスカートを捲くりあげて、ニーソックスの上にあるホルダーからナイフを二本抜いた。
「そんなに力があって認められているのに、ご主人様を捨てて逃げて。それなのに子供たちに囲まれて幸せそうに。この偽善者が。許せません」
「いやまて、そんな無茶な」
 フィアの姿が影に消えた。
 暗い倉庫裏では、空間そのものがフィアの領域だ。
 リルリィーアは前に向かって全力疾走。
 リルリィーアの背後に、フィアは現れた。
 ナイフを振るうが、届かない。
 フィアの足元からリルリィーアの背中めがけて影が伸びる。リルリィーアの白いエプロンの紐ごと背骨を断ち切らんとするその瞬間、影が止まった。
 能力の到達距離外だ。
 フィアはナイフを投げたが、振り向いたリルリィーアに指二本で掴まれた。
「あまり見せすぎると見切られるわよ」
「そんな、ただ逃げ回るだけでどうしようというの?」  フィアは嘲笑しながら、ナイフを再び太股から抜いた。
「……何本入っているのよ」
「たくさん」
 即答された。スカートの中に剣一本突っ込んでいるリルリィーアに聞けた義理ではないが。
「もう、誰も殺させやしない。自分にも他人にも。だから。フィア、あんたをここで止める」
「できると思って?」
「できるどうかじゃない。するかしないかだ」
 リルリィーアは言い切った。
「ところでだ。暗殺者を辞める気はない?」
「どういうこと?」
「うちの子にならないか?」
「はぁ?」
 フィアは首をひねる。
「暮らすところがないなら、うちの孤児院に来るといい。定数いっぱいだがあと一人二人ぐらいならなんとかなるぞ」
「なにくだらないことを言っているんです。これから命のやり取りをしようというのに」
「くだらなくはないさ。ここで『うん』といってくれれば戦う必要もなくなるし」
「ばかげたことを」
「そうか? ちょっと朝早起きして掃除をして、当番でご飯を作って洗濯するだけで成人するまで面倒見てもらえるんだぞ。メイドやってるより楽だぞ」
「そんなことを言って。いままで人殺しをしてきたものをそんな普通の生活をさせるわけにはいかないじゃないの」
「させるさ、ここに前例はいるし」
 リルリィーアは自分の胸を親指でとんとんと叩いた。
 フィアは押し黙った。
 リルリィーアは黙って立っていた。
 フィアはしばらく考え込んでいたが、結局、首を横に振った。
「だめよ。あんたなんか信用できない」
「うーん困った」
「そんなこといって、何かあったら化け物扱いしてポイ捨てするんでしょう」
「しねーよ。ああ、そうだ」
 リルリィーアは手をぽんと叩いた。
「じゃぁあれだ。私のちからが、フィアのそれに勝っていると証明できれば、信じてもらえるな?」
「勝てると思うの?」
「言っただろう。勝てるかどうかじゃなく、勝つんだって」
 リルリィーアは髪留めで前髪を上げた。赤い右目があらわになる。
「これから、あなたのその力を封じて見せるわ」
 リルリィーアは、炎よ。と呟いた。両手にひとつずつ、手のひら大の炎の玉が現れる。
「だから、私が勝ったら、私のことも信じてよね」
「やれるもんならやってもらいましょう。そのちっちゃな火で何かができるならね」
「じゃぁ、お望みどおり。いきますかっ」
 リルリィーアは火球を二つ、続けざまに投げた。
「こんなもんでっ」
 フィアはナイフを振った。魔力を込めた一撃ならば攻撃魔法は弾き飛ばせる。
 しかし、ナイフは空を切った。
 そもそも火球はフィアを狙ったわけではない。カーブを描いて左右の倉庫に飛んでいく。
「なにがいったい?」
 火球が壁に当たった瞬間。
 倉庫の壁が爆発した。

 火球、単体の威力ではない。
 火が一気に壁面を伝わっていく。あっという間に壁そのものが燃えはじめる。
 左右の火の壁は倉庫裏の暗い路地を煌々と照らす。
「な、な、なにこれっ!」
 フィアは絶叫した。
 無理もない。
 倉庫二つわざわざ燃やす捜査官なんて聞いたことない。
「見ていて、気が付いたんだが」
 リルリィーアはスカートを捲くった。中から一本の剣を抜いた。
「フィアはきえるとき、影の中に消えるよな」
 フィアの額に汗が浮かんだ。輻射熱のせいだけではない。
「左右から照らされて影がない状態でも……消えることはできるのか?」
 フィアは答えない。
 リルリィーアは距離を詰めると剣を上段から振った。
 フィアはそれを短剣で弾く。
 リルリィーアは太鼓でも叩くように連続で剣を叩き込む。
「手加減のつもりですの。そんななまくらで」
 リルリィーアの剣は刃をつぶしてある。犯罪者を殺さずに捕まえるためである。
「生かしたまま捕まえるまで仕事なのよ。まだまだ聞きたいことがあるし」
 二人のナイフと剣がぶつかり合う金属音の後ろで、がりがりがりと地面を削る音がしている。
「これならどう?」
 フィアの背後で影が動いていた。リルリィーアの視界に入ると同時に、それは砕けた。左右の壁の炎にあぶられるように掻き消える。
 フィアは後ろに手を回すと、空中で何かを掴んだ。
 それは石の塊であった。
 一辺が肩幅ほどもある大きさの、さいころのように綺麗に切りそろえられた石だ。良くみるとケーキみたいに多層構造になっていて、大部分は砂利と土だ。
 フィアの背後に正方形の穴が開いている。
 足下ら削り取って持ち上げたのか。
 フィアはそれを腕で掴むとリルリィーアに投げた。
 リルリィーアはそれを剣で切った。打ち抜いたというのが適切かもしれない。粉々になって散らばる。土ぼこりで、フィアの姿が見えなくなる。  そこから何かが向かってくる。
 紙のように薄い影だ。リルリィーアは剣を振るうとまとめて弾き飛ばす。
 ひとつ弾ききれずに、左肩を切られた。
「くっ」
 かすり傷だ。
 煙が薄くなる。フィアは下がって立っていた。
「見切りきれないようですわね」
 また、がりがり彫っている音がする。
 フィアは後ろに手を伸ばした。影が持ち上がって、正方形の石の塊を持ち上げているのが見えた。
 その瞬間に影は砕けるが。
「もう一回、どうですっ」
 フィアは自分で岩を放り投げると、自らの短剣で打ち割った。
 煙の向こうから影が来る。
 リルリィーアは剣を振り上げて叩ききった。
 きらりと何かが光った。
 炎を照り返す二本のナイフだ。
 右腕は剣を振り上げて伸びきったまま。
 リルリィーアは左手で一本掴んだが、もう一本がエプロンの上から胸に突き刺さる。
 心臓に氷の槍を付きこまれたようだ。
 まだ動ける。
「どうやら、化かしあいは私の勝ちのようで」
「それはどうかな」
 たぶん、最後はフィアはああしてくるはずだ。そこが最後のチャンス。
 胸に刺さった短剣を抜き、フィアめがけて投げる。
 フィアは首を振ってよけた。
 リルリィーアはそこに突っ込んで剣を横なぎに振った。
「その程度ですか」  フィアの体が消えた。
 剣が何もない空間を薙ぐ。
 フィアの足元には、先ほどの石を削った穴が開いている。底は真っ暗だ。
「これでおしまいですよ」
 フィアの声が背後から聞こえる。
 リルリィーアは剣を投げ捨てると、エプロンを掴んで横に飛んだ。
 リルリィーアがいたところを六つの影が襲い掛かる。
 エプロンを横に振る。
 予想したとおり、フィアがそこに立っていた。足元には穴がすぐそばにある。
 エプロンはフィアの顔に覆いかぶさっている。
「修行が足りんぞ」
 リルリィーアは踏み込むと心臓めがけて拳を打ち抜いた。
 フィアはぶっとんだあと、そのまま動かなかった。


 リルリィーアは意識のないフィアをロープで縛ったあと、座り込んで笛を吹いた。ちと立っているのがきつい。部下の捜査官への合図である。
「ああ、火消さないとな」
 消えろ。と命じると火が一瞬にして消えた。
「さてと」
 リルリィーアは胸、心臓の上に手を当ててぐいっと押した。 「ごふっ」
 フィアは血を吐いて呼吸を始めた。
「おはよー。さすがに二発食らうと耐えられんだろう。気分はどう?」
「なんで……」
「ん?」
「なんでわかったのよ」
 リルリィーアは頭をかいた。
「いや、何でといわれても……三回とも同じタイミング、同じ立ち位置。いままで、一撃で決められなかったことないんじゃないのか?」
 フィアは黙っていた。
「経験の差、ってもんだ。さて、約束どおり、信用してもらおうか」
「縛っておいて信用もなにもあったもんじゃないわよ」
「そりゃそうか。すまんな、仕事なんで」
 リルリィーアは笑った。
「選択肢は二つ。私が後見人になるから、真人間目指してがんばるか。もうひとつは裁判受けてまぁ死刑になるか」
 好きなほうを選びなさい。と、リルリィーアは言った。
「どうしてアインツベルクさんを殺したことを責めないんですか」
「ん。そりゃ、責めりゃ生き返るってなら散々責めるけどそんなの無理だし。責めてくれたほうがすっきりするというなら責めてあげるけど。無駄だし」
 リルリィーアはフィアの目を見た。
「それにね、嫌でもわかるから。そのうち」
 目は笑っていなかった。
「で、どうする。する気がないってならしょうがないけど」
 口ではそういってはいるが、リルリィーアはひっぱたいてでも暗殺者やめさせる気満々だ。 「わかりました。私は」
 フィアは口を開いた。

 朝。広間に子供たちが集まっている。朝ごはんのスープとパンを前にして、お行儀良く座っている。
「つーわけで、今日から正式に二人ほど増える」
 白いエプロンに身を包んだリルリィーアは、いただきますの挨拶の前に子供たちに向かって話をしている。
 今日から孤児院の仲間が増えるということだ。
 視線で二人を立たせる。
「ローザと申します。改めまして、よろしくお願いしますわ」
 ローザは親戚もいないのでここで暮らすことになった。
 隣の、黒髪の女の子も挨拶をする。
「フィアと申します。生まれはガルドのほうです。ふつつかものですがよろしくお願いいたします」
 ぺこりと頭を下げた。
 くいっと隣から引っ張られた。
 ティナに体を寄せると、ささやいてきた。
「お姉ちゃん。ローザちゃんに何も話してないんじゃ」
「話せるわけないだろう。隣のお嬢ちゃんはパパ殺しですなんていえるかい」
「あとでなんかあったら洒落にならないよぅ」
「なんとかするわ」
 フィアをみると、隣の子とおどおどしながら会話をしている。
 一人でも闇からぴっぱり出せればそれでいいかと思う。それでなんかあったらそのときに何とかしよう。
「リルリィーアさん、いったいなに話していらっしゃるの?」
 隣のローザが聞いてきた。
「ん? ああ」
 リルリィーアは笑って答えた。
「みんなが幸せになればいいな、って」


back to