息を切らせたティナは、ふらふらと食堂を通って厨房に入った。エプロンは泥塗れだ。
「うう。喉が渇いたよ」
コップで水を飲む。さっきまで走り回り、焼け付いた喉が冷やされる。
「はふぅ、この一杯のために生きているって感じだよ」
ティナは表に戻ろうと思ったが、ふと、目に止まったものがあった。
テーブルの上に、かごが一つ。
なんだろう?
中を覗くと木箱が一つ。蓋に、『アルクラド』とある。
「えっ。もしかしてっ」
あの伝説のかな?
そっと蓋を開けると、中にかわいい白いクリームで包まれたケーキが二個入っていた。
「すごい。初めて見たの」
アルクラド、というのはケーキ屋さんだ。ある意味、非常に有名である。
とても美味しい、という味の評判のほかにも伝説が存在する。
毎年、「あーっ。私のケーキ、かってに食べたでしょうっ!」というのが元で毎年家庭内暴行事件が起こるという都市伝説だ。
そのくらい美味しい、というのが一般的な評価だ。暴行というのは言い過ぎとしても、よく、取り合いから発展した喧嘩は起こっている。
たとえば。おとといも、神殿にいたら、ある信徒に愚痴られた。「うちの旦那が私のケーキ全部食べたんです」
そのあと、「箒でぶったたいて家から蹴り出しました。懺悔します」とか言っていたのは聞かなかった事にして置こう。
それはさておき。
「どんな味なんだろう? 食べてみたいな……でもだめだよね」
ふんわりとした白いクリームがおいしそうだ。
そもそもケーキは贅沢品で、孤児院ではめったに食べられない。
「うう……ふたつあるから、いっこぐらい、いいよね」
聖女様は土で汚れた手を洗うと、ケーキを一つ手に取った。
見ているだけで唾液が出て来る。
一口かむと、甘いのが口中に広がる。
うう、たしかにこれで喧嘩が起こるのかもしれない。
ぱくぱくぱくとたべていると、あっという間に無くなってしまった。
口の中が空っぽになったみたいで、とてもさびしい。
「うう、ちっちゃいです」
目の前にはもう一個ある。
でもだめ。残しておかないと。
「……半分ぐらいなら、いいかな」
そう言いながら、つい、手を伸ばした。
確かに殺人が起きてもしょうがないかも。こんなに美味しいと。
ちびちびと、歯の先でクリームを削るように食べる。
「あーあ。まったく、せっかくお茶にしようと思っていたのに」
リルリィーアの声がした。ティナはぴくりと背を震わせた。
ティナの気分は、地上で天国みたいな感じから、急に地上を通り過ぎて、ちゃぽんと地獄まで急降下した。
残りのケーキをあわてて口の中に放り込み、ハンカチで口元を拭いた。
あっ、残さないとだめだっけ。
そして、どこに隠れようかときょろきょろしていると。
あたりを見まわそうが、そんなところはないというのはわかっているが。
リルリィーアが入ってきた。
彼女はいつもと違い、エプロン抜きで青い神官服だけだった。
「あ? てぃな。こんなところで、なにしてるんだ?」
口の中は甘いクリームとやわらかいスポンジケーキでいっぱい。口も開けず、ティナは首を振った。
「なにやってるの。まぁいいや。どうでも、そんなことより」
リルリィーアは軽い足取りでテーブルの前に来て、籠を取ろうとして。
籠の中が見えたらしい。
「あーっ。ないっ、ないっ」
叫んだ。耳に響く。
「わ、わ、私のケーキが。ないっ」
リルリィーアは顔を上げると、露骨にティナに疑いの目を向けた。
信じるものは幸いなりと聖典にあったような気がします。お姉ちゃん。
「中身、知らない?」
ティナは首を振った。
あごを動かすとばれるかもしれないので、ケーキが飲み込めない。つまり口を開けるわけにはいかないわけで。
「そう、じゃぁ、推理しましょう」
リルリィーアは捜査局支部長。
推理の正解率は九割といわれている。
……一割、致命的に外すんだけどね。
「ケーキが無い。消えるわけ無いから、誰かが取ったはずよ」
ティナは指を突きつけられた。
「そして第一発見者が一番怪しい!」
ティナは首を振った。
お姉ちゃん、当たってるけど推理としては無茶苦茶だよぅ。
「ふっ、異議有り! とか言っても駄目です。ちゃんと証拠が有ります。ほら、口元にクリームがついている」
えっ。嘘。
口元に手を当てると。
「付いてないけどね」
リルリィーアはあっさりいった。
……。
あー。
騙すなんていけないんですよ。
ティナはごくりとケーキを飲み込んだ。
「そんな、ど引っかけだよぅ」
「そんなの、どうでもいいわ。それよりティナ。食べ物の恨みは恐ろしいということを教えてあげるわ」
「うう、そういうのは教育上良くないと思うよ」
リルリィーアはティナの耳を掴むと引っ張った。
ちぎれるぅ。
「とりあえずこー。講堂をまるごと壁拭きしたあと天井もお願いしようかしらねぇ」
「ああああっ。ごめんなさーい」