“剣無き魔術師”片桐終夜と名も無き悪魔の出会い


 黒いコートをまとった男が、白い靴下をさらして木製の階段を静かに登っていた。
 木のきしむ音が響く。
 男の名前は、片桐終夜と言った。
 コートの裾から、鞘に収められた一振りの剣が見える。それは魔と戦う技量と資格が有るものだけが持つことを許される武器で、その機能から増幅具と呼ばれるものだ。
 丸い眼鏡でやさしそうな顔をしていて、外見からでは退魔師には見えない。
 終夜は唇をきゅっと締めた。
 彼の後ろに、一組の夫婦が心配そうに続いていた。階段は狭く、二人横に並ぶとちと狭い。
 天井で裸電球が淡い光で照らしている。
 終夜は振り向くと、眉をひそめて二人に言った。
「……あの、細川のおじさん、おばさん。一応危険ですから下で待っていたほうが……」
 夫妻はお互いの顔を見合わせると、首を振った。
「しゅうちゃんにばっかり危険な目にあわせるわけにはいきません」
「だってなぁ……しゅうちゃんだし」
 二人は口々に言う。
 ひどい言い草である。
 終夜は諦めて階段を登った。

 片桐修也が、ご近所の細川夫妻から悪魔のことを聞いたのは、今日の朝のことになる。
 雲ひとつ無い青空だった。
 終夜は今日も元気に黒いコートを纏い、事務所へと歩いていた。
 最近は仕事も無く、事務所の掃除をしてからお茶を飲み、弟子の面倒を見てから喫茶店にバイトに行く日々。
 歩いていると、空を眺めている細川さんちの奥さんを見かけた。
「こんにちは。どうかしたんですか?」
「ふぅ……あら、しゅうちゃんじゃない。おはようさん」
 そして、また空を見上げる。
 終夜もつられて上を見たが、なにもない。
 澄んだ空が綺麗だ。  ぱたん、と扉が開く音が聞こえ、終夜はそっちを見た。
 玄関から、息子さんの祐一くんが出てきた。たしか小学校四年生。黒のランドセルに、でっかい袋を持っている。中には水着かなにかが入っているのだろう。
 祐一くんは出て来るなり口を大きく開けてあくびをした。
 空を見上げて、手提げ袋を持った腕を高く掲げて伸びをする。
 眠そうな目を擦り、祐一くんはふらふら〜っと酔っ払いのようによろめいて、奥さんと終夜のあいだをすり抜けていった。
 ある意味とても器用だ。
「祐一! ぼーっとしているんじゃないのよ!」
 お母さんの怒声も聞こえていないのか、ふらふらしながら学校へ……
「学校、たしか反対側じゃなかったかな……」
 終夜はぼそりとつぶやいた。
 奥さんは祐一くんを追いかけ、耳をむんずと引っ張って引き戻した。
 自宅前まで引きまわしたあと、学校へ向けて後ろから押しやった。
「行ってきます、は?」
「ふぁい。いってよし」
 それはなんか違う。
 祐一くんは大あくびしながら、ふらついた足取りで学校へ向かった。
「大丈夫ですかね」
 終夜はかなり不安げに奥さんのほうを見た。頬に手を当てて何やらうなっていた。
「うーん。一応しゅーちゃんは専門家だから意見聞くといいんだろうけど、しゅーちゃんだからねぇ」
「奥さん、口に出てますよ」
「はっ。つい本音が」
 ひどい。
「うーん。相談だけするけど、いいかな?」
「よろしいですけど……なにか、あったのですか?」
「それがね、最近、ゆーちゃん、憑かれているのよ」
「疲れてますか……受験戦争の低年齢化ってやつですか」
「ちがうのよ。最近悪魔に……」

 階段を上りきると二階の廊下になる。奥はちょっと暗い。左右に四つ扉がある。
 壁越しにゲームの音が漏れてくる。
 終夜は『ゆーちゃん』というパネルがかかっているドアを、そっと引いた。
 中を覗き込む。
 既に夜なのでカーテンが引かれている。天井でわっかの蛍光燈が二本点いている。
 部屋の中央に、それはいた。
 祐一くんを後ろから抱きしめるように、一人の女性が座っていた。
 ただし、背中にはコウモリの翼付き。
 肉付きのいい身体を、ボンテージで締め付けるようにしている。
 大きな胸を被う胸当て部分の反対側から、黒い翼が突き出ている。
 腹と背は白い肌が大きく露出していて、尻をおおうちっちゃなパンツまでなにもない。
 それでいて足はガーターベルト状のもので覆われている。
 あれが、祐一くんに憑いている『悪魔』だ。終夜たちの専門用語ではリリスと呼ぶ。
 悪魔は、祐一くんを胸に抱え込んだまま、終夜を見た。
 炎のような赤毛が揺れる。顔かたちは奇麗である。ひとを堕落させる存在だということを考えると当然だが。
 彼女の前では、祐一くんが一心不乱に画面を見てコントローラーをいじっていた。  彼女は、終夜を挑戦的に睨み付ける。
「魔術師か。その首根っこ引き千切られたくなかったら、とっとと帰ることね」
 腕を終夜へと向ける。  彼女の爪が長く刃物のように伸びる。悪魔はそれで終夜を威嚇する。
 彼女の胸の中で、祐一くんがゆったりとその厚い胸の間に頭を挟め、寄りかかっていた。
 祐一くんは急に目を大きく見開いた。  そして、コントローラーを握り締めたままガッツポーズを作った。
「やった、ちょうどゴールだよ」
 喜色を浮かべて、ゲームのコントローラを握りながら騒いでいる。
 すごろく系のゲームらしい。テレビ画面上で花吹雪が舞っている。
「……」
 気勢を削がれた形になって、悪魔は顔をしかめていた。
「僕の勝ちだよっ」
 にこにこ笑って振り向いてきた祐一くんを、悪魔は爪を引っ込め、手でなでなでしている。
「えーと、あのその」
 終夜が頭を掻いていると、彼女は祐一くんを後ろから抱いた。
 終夜に向けた長い爪がぷるぷる揺れている。
「ちょっと待っていてね。すぐ終わるからね」
 首を回して、胸の中の祐一くんの頬に軽くキス。それからそっと押しのけて立ち上がった。
 祐一くんはトロンとした目で悪魔を見ていた。別に色仕掛けに堕ちたわけではなく魔術的に魅了されているっぽい。
「あなたがなにを言っても駄目なんだからね。祐一くんは私のものなんだから」
 終夜は悪魔の足元をに目を留めた。
「屋内だと、ちゃんと靴脱いでいるんですね」
 終夜の台詞に、悪魔と、廊下から覗いている細川夫妻は腰砕けになった。
「しゅうちゃん、そういう問題と違いますよ」
 奥さんが律義に突っ込んでくれる。
「そうよ、そこのおばさまの言う通りよ」
 終夜は頭を掻いたまま、髪を手で押さえた。
 コートの前がまくれ、腰の剣が露わになる。
「いや、まずは話し合いましょう、ね」
 すごく腰が低い。
「話し合い? ふざけるんじゃないわよ。魔術師となんか話すことはないわ」
 悪魔は爪を伸ばして腕を振った。
 その爪で終夜をばらばらにしようと。
「いや、そこをなんとか」
 攻撃に合わせたわけでもあるまいが。終夜はぺこんと頭を下げた。ちょうど、前かがみになる。
 悪魔の手と終夜の頭が交錯して。
 ごちん。
 悪魔の親指の脇が、ちょうど終夜の額の端に当たった。
「うわたっ」
「いたいっ。いきなりなにをするんですか」
 ちょうど悪魔の爪の軌道からぎりぎり外れる形になった。悪魔は手を振り切ったところにおでこでカウンターを食らった形になった。 「痛いじゃない。普通、後ろに避けるもんじゃないの、あんたっ!」
 悪魔は泣きそうな顔をして手をさすった。よっぽど痛いらしい。
「そーいわれましてもですねぇ。私、話し合いに来ただけですし」
「は、何言ってるのよ。だいたい、腰の剣は飾り?」
 彼女は露出したへその脇に手を当て、終夜のコートの下の増幅具を指差した。
「はい。言ってしまえば、飾りですね。たしかに、お守りみたいなものですから」
「そんなごついお守りがあるかい!」
 馬鹿にされたと感じたのか悪魔は牙を見せて怒鳴った。
「いやぁ。師匠の形見ですから。それに、帯剣してないといろいろうるさいんですよ。お役所とか。浮世って奴は」
 退魔師はいつでも魔と戦えるように武装の許可を得ている。通常、武器は常に身に付けているように習慣付けられている。
 抜くための武器ではあるが。本来は。
 「武器ないので勝てません。えへっ」というわけにもいかないから。
「じゃぁなによ。あんた、一体なにをしに来たのよ」
 悪魔は終夜をじっと見た。
「ですから、話し合いに来たのです」
 終夜は両手を広げた。
「愛を持って語り合えば、生まれが悪魔であるあなたでもきっとわかって」
「解るか、そんなの」
 悪魔は背のこうもりの翼で空気を叩き、終夜のすぐ脇まで一瞬で飛んだ。
 終夜の首筋に、ぴたりと畳針よりも長い爪を押し当てた。
「二択。帰る? 死ぬ?」
 冷たい声だ。
「いや、ちょっと。待って」
「十秒前、九、三にいイチ」
 カウントが一気に進む。
「あー。帰る、帰ります」
 終夜は悪魔に蹴り出された。

 廊下で終夜が床に突っ伏していると、細川夫妻が心配そうに上から覗いてきた。
「大丈夫かい、終夜くん」
「うう、私、心配していたのよ」
 奥さんはハンカチで目元を拭っている。
「しゅーちゃんまで一緒に遊んでしまわないかと心配で心配で」
「そこまで信用が無いんですか」
 終夜は黒いコートを手で払うと、ポケットからディスクを取り出した。音楽とか画像を記録するメディアだ。
「ラジカセ、ありますかね」
「なにに使うんだい?」
 旦那さんが尋ねた。
「我に策あり、ですよ」
 終夜は笑った。
 終夜は旦那さんからラジカセを借りるとディスクを突っ込んだ。
 そして再び部屋の中へ。
「また来たの〜?」
 今度は悪魔は終夜を見もしない。
「あっ。だめっ。今のなし」
「だめだよ。真剣勝負は手を抜かないのが礼儀なんだから」
 雄一君を胸に抱えて、必死にコントローラーを操っていた。
 それにしても大人気ない……子供に本気になるなよ。
 さておき。  終夜はコンセントにラジカセのプラグを突っ込むと、悪魔に向き直った。
 指をぴんと突きつける。
「これを聞けばあなたも改心すること請け合いですよ」
「な〜にがー」
 うざったそうに悪魔は首を向けた。
「徳のあるお坊さんの、魂のこもったお経ですよ」
 悪魔は終夜を振り向いた。かわいそうなものを見る目つきで一瞥したあと。
「はぁ」
 ため息を吐いて視線を画面に戻す。
「……いいもん。あとで後悔すればいいさ」
 終夜はすごすごと入り口に戻った。
「おじさんおばさん。これ」
 ポケットから耳栓を取り出して二人に手渡す」
「は?」
 二人はきょとんとして終夜を見上げた。
「耳栓しないと……ひどいですよ」
 終夜は自分の耳に栓を突っ込むとボリュームを最大に上げて、再生ボタンをぽちっと押した。

 目の前で悪魔がコントローラーを放り投げて転がった。
 なんかわめいているが聞こえない。耳栓は偉大だ。
 悪魔は床の上をずるずる這ってくると腕を高く上げた。
 黒光りする爪が伸びる。
 ラジカセが六分割した。
「いやー、すごい効き目だねぇ。やっぱり」
 終夜は笑った。そしてちょっと遠い目になる。そうそれは昔……
 悪魔は跳ね起きると、片手で回想に浸っている終夜の襟を掴んで持ち上げた。
 きゅーっと締まる。
 あいている右手を終夜に耳に突っ込み、耳栓を引っぺがした。
「殺す気か馬鹿ぁ!」
 終夜の耳が怒声できーんとなった。

「改心、するでしょ?」
 終夜は首筋をさすった。
 げほげほ咳き込む。
「あのめちゃくちゃな音程は、もはや兵器だよ……」
 悪魔はきっと睨んだ。
 終夜に蹴り一発。
「ぐぇっ」
 終夜は起き上がりながら告げた。
「というわけでこれを機に改心するというのはどうでしょう?」
 なんだかよくわからないが膝をついたままえらそうに胸を張った。
 どこに自信が埋まっているのやら。
「なんでよ」
 悪魔は終夜にでこぴんした。爪は伸びていない。
「だいたい、もうディスクはないもんねー。へへーんだ」
「ありますよ」
 終夜は黒いコートからディスクを取り出した。
 悪魔は無言で手からディスクを払うと、空中で腕を二回振った。
 ディスクが三十六分割されて床に散らばる。
「ああ……もったいない」
「ふふんっ」
 悪魔は鼻を鳴らし無駄にでかい胸を張った。
「まだあるもんねー」
 終夜はさらにディスクを取り出した。左右の手に三枚ずつ。
「むー」
「なぁ、終夜くん。もりあがっているところ大変悪いんだが……」
 細川のおじさんが首だけ部屋の中に突っ込んでいる。
「ラジカセ、一個しかないよ。うち」
 終夜はディスクを取り落とした。
「完璧な作戦が……」
 うなだれている終夜の横で、祐一くんは、悪魔の足を指先で突っついていた。
 そして手招き。悪魔がしゃがみこんで耳を寄せると、祐一くんは何やら囁いた。
 悪魔はにたりと笑った。
「なーな。聞いてよ。魔術師」
 顔を上げた終夜の腹にボディブロー一撃。
 終夜は悶絶した。
 悪魔は床に散らばった耳栓と、ディスク一枚をとった。
「ゲーム機で音楽聞けるってね。祐一くん教えてくれたのよ」
 終夜の顔から血の気が引いた。
「たっぷりお返ししてあげるね。フルコースで」
 悪魔は耳栓を付けると、ゲーム機にディスクをぶち込んだ。再生操作をしてから祐一くんを胸に抱きかかえて、後ろから祐一くんの耳を塞いでやった。

 (しばらくお待ちください……)

「よっこらせと」
 気絶した終夜をぽいっと廊下に放り捨て、悪魔は初日の出を見たときのようなすっきりとした表情をした。
 あんまり悪魔らしくないかもしれない。
「じゃぁね」
 耳栓をはずした奥さんが指先でつっついたが、終夜はしばらく目を覚まさなかった。

 終夜は突然起き上がった。
「師匠がいたよ」
 突然、変なことを言い出した。
「おはよう……大丈夫かい? 病院行こうか? とくに精神科」
 旦那さんが心配そうにしていた。
「いやいや大丈夫ですよ。でですな。『記念に一曲』とかゆーたから慌てて舞い戻ってきましたよ」
「おつかれさま」
 奥さんが終夜の肩を叩いた。
「もういいわ。しゅーちゃんはよく頑張ったわ。だからね、これから先は本職の人に任せましょうよ」
「いや、一応本職なんですが……」
「うん、本当にやめてくれ。しゅうちゃんになにかあったらご両親に申し訳たたんし。それに悪魔はちゃんと……」
 終夜は旦那さんの話を聞かず、立ち上がってドアを開けた。
 いきなり漫画本が飛んで来て、終夜の顔面をスパーンと打った。
「ぐわっ」
「いーかげんにしなさいよっ!」
 終夜は鼻を押さえながら中に入る。
「しつこいわね。あんたも。そんなんじゃ女の子に嫌われるわよ」
 悪魔はうんざりとした顔をした。
「うっ」
 終夜は心に一撃くらってふらっと後退した。部屋の隅にまで行くとしゃがみこみ、さきほどばらばらになったラジカセの破片を指先でぐりぐり弄り回した。
「……ごめん図星だったかな?」
 さすがに罪悪感でも感じたのか、悪魔は背中から声を掛けた。
 とどめ刺しているけど。
「あーもう、ほっといてくださいよ」
 終夜は立ち上がった。
「いやまぁ、そのままあっちに行ってくれるとすごく助かるんだけどね」
「いいえそーはいきません」
 どっから元気が湧いてくるのかわからないが、終夜は胸を張った。
「……ほっといてやれば良かった」
 終夜は膝を突くと土下座した。
「お願いですお願いですお願いです。どうか祐一くんから離れてやって下さい」
「いーやーよ」
「そこを何とか」
「なによ。祐一くんはわたしの大切なごはんよ栄養元よ。祐一くんがいないと死んじゃうんだから。わたし。」
 悪魔は床を手で叩いた。
「それともなに。あんた、私に死ねっていうの? それでもいいけどさ。だったら、腰の剣ずばっと抜いて掛かってきたらどうなのよ」
「でも、このままだと祐一くん、死んじゃいますよ?」
「え?」
 悪魔は丸く口を開け、終夜をまじめな表情で見た。
「気が付かないんですか? 毎日精気削られて生きていけるほど普通の人間は丈夫には出来てないんですよ。ましてや子供が」
「……でも」
「他の人にしたらどうですか? 頻度さえ減らせば一般人でも大丈夫だとはおもいますが」
「他の、ひと……」
 悪魔は両腕で自分の体を抱え込んだ。
 体をぶるっと震わせたあと、きっと終夜を睨んだ。
「いやよ。なんで可愛くも無い男なんかと」
「いや、そんな選り好みしても……」
「いやって言ったらいやなのっ」
 ぴんぽーん
 ぴんぽーん
 ぴんぽーん
 階下からチャイムが鳴った。
 短気な人が押しているのか、連打している。
「あ、はいはいはい〜」
 細川の奥さんの声がして、階段をとたとた降りる音がした。
「……えーとですね。祐一くんのことも考えてあげて」
 階段をどたどた駆け上がってくる音がした。
「あ、あなたは。お待ちしてました」
 おじさんの声が聞こえる。
 扉から男が入ってきた。紺色の目立たない服を着た筋肉質の男であるが、すごく目立つ姿をしている。
 服の上から、体中に銀の鎖を巻きつけている。年に似合わず非常にパンクだ。
「……何世紀の服装ですか〜?」
 終夜の突っ込みはオール無視された。
 男は部屋に入ってくるといきなり抜刀した。
「その手を離せ。悪魔よ」
 退魔師の普通の反応はこんなもんである。
「ふん、あんたも魔術師かい? ようやくまともなのが来たわねぇ」
 悪魔は冷たい声で答えた。
 男は悪魔から目を離さずに終夜に告げた。
「無能者め。悪魔相手になにをやっている」
「まぁまぁ。待ってくださいよ。いやこう、まずは話し合いから」
「悪魔と話し合いか。教えてやろう。交渉というものは, まずはこうするのだ!」
 男の銀の鎖が赤い炎を纏う。燃える鎖をいきなり振った。
 悪魔は翼を広げた。それで空気を叩くと、座った状態から一気に跳ね上がった。
 鎖は止まらない。そのまま窓の下の壁を叩くと、窓ごと壁を吹き飛ばした。
 終夜が慌てて祐一くんを押さえつけるようにして伏せさせた。黒コートの上から炭になった木片や、衝撃で砕けたガラスが背中を叩く。
「い、い、家の中で暴れないでくださいよぅっていうか魔法ぶちかますなこの馬鹿っ」
 終夜は怒鳴った。
 悪魔は天井にコウモリのように張り付いていた。
 さかさまになり、心配そうに下を見ている。
「どうした? 余裕のつもりか?」
 男は下から鎖を腕から下げて睨んでいる。
 鎖がゆっくりと左右に振れている。
 終夜の胸の下で祐一くんがもぞもぞ動いた。ひょこっと顔を出すと男を睨んだ。
「お兄さん、おねーちゃんをいじめちゃ駄目だよ」
「黙れ小僧。今助けてやる」
 聞いちゃいない。
 悪魔は祐一くんに、心配ないよ、といった具合に笑った。
「危ないからじっとしているんだよ」
 そう告げると壁を擦りぬけて……消えた。
「逃がすかっ」
 男は自分の開けた窓の穴から飛び出した。

 二人が消えた後、終夜は立ち上がった。
 コートから、冷えて固まったアルミニウムやらガラスの破片が落ちた。
 不安げに終夜を見上げる祐一くんを見ると、頭をなでた。
「心配するな」
 祐一君は口を開いた。
「お願い。お姉ちゃんを」
「分かっているから、な」
 終夜は腰の剣を確かめると、壊れた窓に向かってダッシュ。
 世の闇へと体を躍らせた。
 放物線落下による浮遊感。
 家の前の道路で、悪魔と退魔師が、長い爪と銀の鎖で殴り合っていた。
 悪魔の右足に鎖が巻き付いている。それに足をとられて、悪魔は避けるのがやっとのようだ。地面の上で足を引きずりながら鎖を爪ではじいている。
 体が降下する。塀を越えて、アスファルトの上に着地。摩擦で靴下があっさり擦り切れたが、足の裏は魔力で守られているので無事。
 終夜は戦っている二人のほうへ走った。
 男の鎖が悪魔の体に巻きついた。
 退魔師は銀の鎖を引っ張り、悪魔を引き倒した。
 一翼だけが鎖からちょこんとはみ出して天を向いている。
「ここまでのようだな。良くやったとほめてやろう」
 退魔師は腰からナイフを抜いた。鋼色に輝くそれを悪魔の首元に伸ばした。
 終夜は腰の剣を抜いてそのナイフを跳ね飛ばした。
 男は意外そうに終夜を見やった。
「なにをする?」
「やめなさい。話せば分かります」
 男は鼻で笑った。
「下がってろ。臆病者が」
「下がってなさい。あんたなんかがいてもなんにもならないんだから。邪魔よ」
 二人がかりでひどい言われようである。
「かばうなら貴様も殺さねばならんぞ」
「いや、そこをなんとか話し合いで」
「黙れ。口先ばかりで力の無い愚か者が」
 男は終夜に銀の鎖を向けた。
 終夜は横によけたが鎖は追ってくる。
 それは終夜の胴体を腕ごと縛り上げた。
「うごけまい。そこで寝ていろ。悪魔を処理するまでな」
「いや、そーゆーわけにもいかないんですよねぇ」
 鎖が解けた。
「なにっ?」
 鎖が緩み、終夜の体から外れた。終夜は黒いコートを手で払った。
「何をした。貴様」
 終夜に再び鎖が向かった。
 それは終夜の腕を縛ると……次の瞬間、力を失ったように緩んでアスファルトへ落ちた。
「やめません? 無駄ですから」  退魔師は終夜へ視線を向けた。
「何者だ。貴様」
「ただのしがない魔術師ですよ。何も切れない」
 退魔師は終夜に向き直った。
「どうやら、全力で貴様をまず倒さねばならぬようだな」
 男の鎖に炎が纏われる。
「くらえっ」
 鎖が振るわれる。
 捕らえるためではなく、打撃力で破壊するための技。
 終夜は鎖の軌道上に剣を置いた。
 剣と鎖が交錯する。
 鎖にまとわりついていた炎が、終夜の剣に吸い込まれるように移動した。
 炎を失った鎖が終夜の頬をかすった。
 魔力の失われた攻撃にたいした威力は無い。かすった程度では。
 終夜は男の胸めがけて炎を纏った剣を振った。
 炎の一撃が退魔師を打った。

 炎のエネルギーは解放されて飛び散った。
「自属性だから、そー大したことは無いでしょう? ねぇ」
 終夜は剣を下ろした。  対魔師はさっきの一撃で吹っ飛んでいたが、すぐに上体を起こした。
「貴様。正気か」
「ひとんちで魔法ぶっぱなすような男に言われる筋合いは無いと思いますけどね」
 終夜は微笑んだ。
「彼女は僕が責任とって見ます。だからここは引いてもらえませんか?」
「断ったら?」
 終夜はあごに手を当てた。
「うーん。もう一戦行きますか? あ、僕はあまちゃんってよく言われますからね。何回来ようが手加減しますけど……」
 男はいやそうに顔をしかめた。
 立ち上がると。
「その悪魔が再び人間を襲ったら……今度こそ殺す」
 そういい捨てて去っていった。
「……あの、家の修理費用……」
 足を引きずりながら夜の闇に消えた。
「だから修理費用……」  終夜はため息をついて悪魔のところに言った。
 彼女に絡まっていた鎖は、終夜が触れると力を失って解けた。
「なんで……」
「はい?」
「何で助けたのよ!」
 悪魔は叫んだ。
 終夜はさも心外そうに言った。
「人を助けるのは人間として当然じゃないですか」
「私は悪魔よ?」
「それが何か? 生まれがちょっとだけ違うだけではないですか」
 あっさり答える終夜に悪魔は口をぱくぱくさせた。
「ただ。困りました……さっきの方にも告げたとおり、あなたのことは私が見ないとだめなんですね……」
 悪魔は終夜を見た。さっきまでのきつい視線ではなく、ちらちらと横目で様子を伺っている。
「邪魔するというの?」
「うーん。なんとかこー。いい手はないんですかねぇ」
 終夜は本気で悩んだ。
「うーん。祐一君だとだめなのよね……まだちっこいから。おっきけりゃいいのよねぇ」
 悪魔は終夜を、頭のてっぺんから足先まで見やった。
 靴下の裏が擦り切れてつま先が露出している。
「決めた。祐一君じゃなくて、あんたを食べる」
「は?」
 悪魔はにっこり笑ってうなずいた。
「そうよね。仮にも魔術師なんだから強めに吸っても問題ないし。うん」
「えーと」
「そういうことで、よろしくね、ご主人様」
「ご、ご主人様って。あなた」
 慌てふためいている終夜を悪魔はくすくすと笑いながら見ていた。


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