死者の帰還(テーマ)


 満月が奇麗な夜空だった。気温も下がって過ごしやすくなった町中を、リルリィーア・アークフィードは早足で歩いていた。
 通りには彼女のほかには誰もいない。
「ううっ。こんなに手間取るなんて」
 街灯の青白い光に、赤い髪が映える。前髪は長く目元まで隠れている。いつものエプロンはなく、青い神官服のみだ。
「まったく、会議なんて時間の無駄……」
 なにやら声が聞こえたような気がして、リルリィーアは立ち止まった。
「?」
 目元まで隠れ、端からでは何考えているのやらさっぱりな視線を、暗い路地のむこうに向けた。
 表通りは犯罪防止のため、地区のお金持ちのひとにお願いして魔法による街灯を設置している。しかし、一本裏に入ると暗くて明かりになるのは月光ぐらいだ。
 路地の向こうは月光が建物で遮られ、暗く、ほとんど見えない。
 突然、リルリィーアは神官服のスカートを捲り上げた。
 足首まである長いスカートだ。裾から膝上まである白いソックスが覗く。
 スカートの中に手を突っ込むと、ぐいっと中から引き摺り出した。
 一振りの抜き身の剣だ。
 わざわざ刃を潰してある。刀身には細い溝が複雑に刻まれており、リルリィーアの呼吸に合わせて淡く青く光りが明滅している。
 リルリィーアは剣を構えると裏路地へと飛び込んだ。

 血の匂いがした。
 一人の男が、壁を背に尻を突いてぐったりしている。腹はまっかで服がぼろぼろに裂けている。
 顔が青白い。降り注ぐ月光のせいでそう見えるわけではない。
 その脇に、黒マントの男がしゃがんでいた。その男はナイフで腹をめった突きにするのをやめ、腹からナイフを抜き立ち上がった。
 血がぽたぽた石畳へと垂れ落ちている。
 男の左手には、ペンダントが下がっていた。振り子のように揺れ、金色に輝いてたが、ところどころ黒い。  血が輝きを隠している。 「何をしている!」
 リルリィーアは叫ぶとともに剣を上段から振り下ろした。
 男はナイフを掲げると、リルリィーアの斬撃を受け流した。
 ナイフから血が飛んで、リルリィーアの頬に赤い点を穿った。
 横に振った増幅具の一撃をバックステップで躱すと、男は肩を竦めた」
「ひどいなぁ。いきなり何を?」
「何を。ではない!」
 リルリィーアは一喝した。
「なんでこんなことをするんだっ!」
「いやだってほら……仕事だし」
 男は軽く答えた。
「ふざけるな!」
 リルリィーアは続けざまに剣を振った。
 男はそれを軽く受け止めると、すいっと伸び切った腕を潜ってリルリィーアの懐に入り込んだ。
 男のナイフがリルリィーアの脇を抉った。
 リルリィーアが着ているのは、祝福されていて防御力を強化した法衣だ。男のナイフは、普通の布のように切り裂いた。
 それとほぼ同時。
 リルリィーアの左の拳が男の顔を捕らえた。
 拳は炎に包まれている。拳のスピードに魔力が追加されて男が吹き飛んだ。
 ナイフが抜け、リルリィーアの脇腹がしだいに赤く染まる。
 リルリィーアの剣が地面に落ちた。懐に入られた時点で離していた。
「面白い姉ちゃんだよ。思ったよりいきもいいし」
 男は一動作で仰向けから跳ね起きると、ナイフに突いた血を舐めた。
「せっかくだけど仕事なんでね。機会が有ったら殺してあげるよ」
 そう言い捨てて男は路地の奥へ消えた。
 リルリィーアは追えない。倒れている男に駆け寄る。
「大丈夫か」
 呼吸が弱い。リルリィーアは男を抱えた。
 脇腹が痛い。
 血が抜けたためか異常に軽かった。
 なるべく揺らさないように全力で走る。目指すは神殿。
 そこに行けばティナがいる。“聖女”と呼ばれる少女の魔力ならきっと助けてもらえる。
 そこまで持ちこたえることができるのならばだが。
「うう、お願いが……」
 男はうっすらと目を開けた。
「喋るな。黙れ」
 リルリィーアは告げた。
「もう駄目です。わかります。お願いします」
「黙れといっている!」
 呼吸が弱い。出来れば動かしたくないが、ティナを読んでいるあいだに手後れになるだろう。
 もっともこのままでも……
「娘に、よろしく」
 震える唇で、そう告げた後、男は目を閉じた。
 首がかくんと、下へと曲がる。
 リルリィーアは身体をぎゅっと抱きしめた。
 自然に足が止まる。
「許せない……絶対に法廷に引きずり出してやる!」
 月はどこまでも白く冷たく輝いてぼんやりと歪んで。
「えーと」
「……」
 背後から声がする。
 気配無かったのに。
「あのー、そのー。お願いが〜」
 非常にいやな予感がしながら、リルリィーアは首だけで後ろを向いた。
 そこには男が立っていた。
「……うそ」
「娘に〜」
 首を戻す。
 胸の中にはもはや死体となった男の姿が。
 もういちど、くるりと首だけひねって後ろを見る。
 同じ顔同じ服装同じ姿をした男が立っていた。
「お願いですぅ」
 男がリルリィーアに手を伸ばしてきた。
 背筋を冷たい汗が落ちる。
 脇がとくんとくんと心音にあわせて握り潰されたかのように痛む。
 男の手がリルリィーアの肩を。
 すり抜けた。
「あれ?」
 男はきょとんとしている。
 腕がリルリィーアの胸を貫通して中に……触感はない。
「あめてーっ」
 リルリィーアは訳の分からない悲鳴を上げ、胸に抱きかかえていた死体をぽい捨てして全力ダッシュで逃げていった。

 ここ、ミトフェムの道路は舗装されている。
 たとえばいま、リルリィーアが全力疾走している大通りは、馬車が軽くすれ違うことが出来る幅のある広い道路で、石畳になっている。
 そのだだっ広い通りのど真ん中を、真っ赤な法衣を着て駈けている。
 あっという間に中央広場に到着。六角形のでっかい広場で、中央に時計台がある。
 昼間は市が立っていて人気の多いところだ。
 リルリィーアは広場の一辺を閉める神殿へ駆け込んだ。礼拝堂はステンドグラス越しに月光が入って来て、幻想的に輝いていた。
 そこに一人の女の子がいた。
 神殿長にして“聖女”ティナだ。
 紺色のエプロンドレスを着たふわふわした金髪の少女。月光を帯びて奇麗な髪だ。
 リルリィーアは少女の前まで来ると崩れるように倒れ込んでぜーぜーうなった。
「お姉ちゃん。真っ赤。大丈夫?」
「脇やられて。それ以外は自分のじゃないから……」
 ティナはリルリィーアの脇に手を振れた。
 白く輝く。それとともに痛みがすーっと引いていく。
「ところでお姉ちゃん。この人、どなた」  ぴくっとした。
 やめてやめてやめてとおもいながらティナの視線の先を見ると。
「こんばんは、お嬢さん」
 さっきの死体になった男が平然と立っていた。
 なんでお嬢様みたいに気絶する素養がないんだろうと思いながら……とりあえず気絶した振りで我慢することにした。
「うう、お姉ちゃん。眠いならベッドで寝てよぅ」

「このひと、だれ?」
 ティナは尋ねた。
「そういえば……あなた誰?」
 リルリィーアはむくりと置きあがり質問を重ねた。
 男は頭をぽりぽりと掻いた。
「まさか、死んだショックで記憶が無いとか」
「ああ、大丈夫です。そのへんは。私、ラウドと申します」
「ラウドさん。そんな姿になってまで、いったい何があったんですか?」
「いや。よくわからんのですが。十年ぶりに娘に合おうと思って歩いていたらいきなり襲われて……きがついたらこんな姿です。あはは」
「笑い事じゃないような」
 リルリィーアは頭を抱えた。
 ラウドは袖を捲ったシャツにズボンを身に付け、マントを羽織っている。腹のあたりが赤く染まっているが服そのものには傷は見えない。
 靴はぼろくていっぱい歩いているんだなぁということを感じさせる。透けているけど。
 髭面で髪はナイフで切ったかのようにぼさぼさだ。
「そうそう、お願いがあるんですよ」
 ラウドは自分の腰を探っていたが、見つからないようだ。首を傾げながらポケットを何度も調べている。
「なにかしたのか?」
 リルリィーアが水を向けると。
「あれ……落としたのかなぁ。いやですねぇ。娘に渡そうとしたペンダントがあるんですよ」  リルリィーアは顔をしかめた。
「すげー、やな予感がするのは気のせいか?」
「おねーちゃんいくらなんでも先読みしすぎだよぅ」
「いやまてティナよ。さっきだな、このひとから金のペンダントとってったぞ。さっきの殺人鬼」
「ああ、それ違いますよ」
 男はしれっと言った。
「あれ、妻から貰った奴でしてね。それとは別です」
「……狙ったの、そのペンダントじゃないのか?」
「うーん。普通のペンダントだと思うんですけどねぇ」
「ねぇ。ラウドおじさま」
「なんだい? お嬢ちゃん」
「そのペンダントは、おじさまの身体と一緒に有るんじゃないのかなぁ」
 ラウドはぽんと手を叩いた。
 その音までリルリィーアにちゃんと聞こえてくる。
「それだ!」
「ねぇ、じゃぁ、おじさまの身体は今どこに?」
 ラウドはリルリィーアのほうを見た。
 リルリィーアはあさってのほうを見た。ほら、月がこんなに奇麗だ。
「おねーちゃん?」
 リルリィーアは無言で立ち上がった。
「どうしたの?」
 ティナが冷たく尋ねた。
 むしろ、なにやったの? なにしてかしたの? というツッコミである。
「死体忘れてきた」
 リルリィーアは慌てて神殿の外へと走っていった。

 リルリィーアが、自分がぽい捨てした死体を担いできたのは、それからしばらくしてのことだった。
 リルリィーアの肩の上に背骨を載せて、腰を後ろに反った後さらに九十度ひねり、腕と足があさっての方向にぴーんと伸びたわけのわからない姿勢のラウドの死体が有った。
 首が反って口がぱっくり開いたままだ。
「……おねーちゃん、そのうち祟られるよぅ」
「やっぱり、祟らないと駄目ですかね」
「いいから、頭の上から降りろぅ!」
 リルリィーアの頭の上に、ラウド(の霊体?)が半透明で足を組んで座っていた。
「重いですか?」
「気分の問題だ」
 リルリィーアは憮然として答えた。
「リルリィーアさん足が速いですから、追いかけると疲れるんですよ……離れるとなんか強制的に引っ張られるし」
「ティナ。予備のシーツ持って来て」
 ティナは奥へと走っていった。
 しばらくすると真っ白なシーツを持って戻ってきた。それを祭壇の上に敷き、死体を置いた。
 変に筋肉が固まっているので納まりが非常に悪い。
「……おねーちゃん、なにやったの、これ」
「頼むから聞くな」
「これ呼ばわりですか……」
 三人三様、違う意味でため息を吐いた。

「天空に居られる私たちの父母たる神様。どうかこのものを青き空へと導きたまえ……」
 ティナが神殿長らしく祭壇の前で膝をつき冥福を祈っている向かい側で、リルリィーアは裁断の上の死体を検分していた。
 頭の上にはラウドさん。
「なんかこー、穢れのない幼女たんに祈ってもらうとすーっと天に昇れそうですね」
「(たん、って何だよ……)だったらとっとと昇れ」
 ティナは顔を上げた。
「ちゃちゃいれるならやめるよぅ」
「ほら、リルリィーアさんが変なこと言うから」
「私かよ!」
 なんでわたしが、とか、リルリィーアがぶつぶつ言いながら、首から腕から足まで全部ねじれきった遺体を探ると、ズボンのポケットから銀の鎖が見つかった。
「これかな?」
 眼前に掲げると、頭の上からラウドがぬっとさかさまに覗き込んできた。
「はい、それです」
 ラウドはうれしそうに微笑んだ。
「それをぜひ娘に渡してやってください」
「うう……しごとだから遺族には報告しないといけないんだけど」
 どーも半透明で浮いているとはいえ目の前で平然と話しているのを見ると死んでいるような気がしない。
「……なんで会いたい人に限って幽霊にならないんだろう?」
「? 大抵三日ぐらいはいるよ」
 平然と答えるティナに背筋が寒くなる。
「聞こえない、聞きたくない」
 リルリィーアは顔をしかめて視線をはずした。講堂の掃除ができなくなるじゃないの。

 次の朝。リルリィーアはうなっていた。
「うーん。うーん」
 なんか上に乗られているように体が重い。
 目を開けると、布団の上にラウドがちょこんと乗っていた。
「……」
「やぁ。おはよう」
「おはようじゃねーっ」
 リルリィーアは布団を跳ね上げた。
 物理的に力を及ぼせるわけではないが、ラウドはくるくると回転して天井近くまで昇った。


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