フィルファはラークテイルの町を一望できる見張り塔の上にいた。と言っても、村を襲うモンスターを見張るためではない。目が冴えて、眠れなかったからである。
夜風がフィルファの自慢の、いつもは邪魔にならないように三編みにしている、肩ほどまである金髪をたなびかせていた。
木々の芽が、春の女神ラティルティの祝福を受けて、ほんの少し膨らんできたとはいえ、まだ冬は決して終わってはいない。風が、フィルファの体熱を少しずつ、しかし確実に奪っていった。
フィルファは、身体から熱が逃げないように、胸の前で腕を交差させるようにして衣服を押さえた。そして床に座り込んで柱に寄り掛かった。
フィルファは空を見上げた。快晴だ。星が、神話の時代の英雄たちの姿を描いていた。そのまたたきは、神々の言葉で英雄譚(サーガ)を歌っているのであろう。
月もまた、この町ラークテイル中を照らしていた。満月が天頂をとうに過ぎさり、既に西に傾こうとし始めていた。月の光に照らされて、町そのものが青白く神秘的に輝いていた。
もうこんな時間になってしまったの。
フィルファは、今までの、6人の仲間と共に行ってきたあまたの冒険のひとつひとつを思い出しながら、ぼんやりと天空の英雄達の姿を眺めていた。急に背後から物音が。フィルファは驚いて振り返った。誰かが昇ってきた。
「こんなところにいて。寒いだろう。風邪を引くぞ」
人影は、塔の陰から出てきて月の光の元に照らし出された。黒髪が月光に映える。日頃から身につけている青系統の色彩の服装だ。冒険者仲間の……いいえ、正確には『だった』というべきか。もう、明日から別れ別れになってしまうのだから……アイルが言った。
手には一枚の毛布と、そして葡萄酒の瓶とグラスが入ったバスケットがある。
アイルはフィルファに毛布を手渡し、そして2歩程離れた所に座って柱に身体を預け、コルク抜きで葡萄酒の栓を抜いた。ベルファインベルク産だ。それをグラスに注いで一気に飲み干した。
「アイルもお酒を飲むことがあるんだ」
アイルとは2年間共に冒険を行い、それ以前にも幼馴染みとして生まれて以来16年間顔を付き合わせてきたが、今まで一度もお酒を飲んでいるところを見たことは無かった。
アイルが葡萄酒をグラスで3杯飲み干したところで、フィルファは声を掛けた。
「アイル。何をしにきたの。いったい」
アイルは答えない。フィルファのほうを見ようともしなかった。
「アイルってば」
フィルファは立ち上がって、アイルのそばに寄って、自分自身とアイルを包み込むように毛布を被せた。アイルは遠くのほうを見つめて、何か考え事をしているようだった。
「これ、もらうね」
アイルの手からグラスを奪って、一息で飲み干した。葡萄酒は冷かった。
今まで心の中に立ち込めていた不安が、いつの間にか無くなっていた。何となく安心できる。フィルファは次第に眠くなってきた。まぶたが重い。アイルの肩に寄りかかった。
「フィルファ」
アイルがやっとこっちを向いてくれた。フィルファの意識は次第に薄れていった。
太陽の光の眩しさで、フィルファは目覚めた。起き上がろうとしたら身体中が痛んだ。無理もない。あんな硬いところで眠っていたから。そういえば、まだアイルによりかかったままだった。アイルは町を見つめていた。女の子が、水を汲みに行くところが見えた。「フィルファ」
「えっ」
「これからも、おれと一緒に旅をしてくれないか」
アイルはフィルファの瞳をじっと見つめた。フィルファもアイルの瞳を見つめ返した。
そういえば、アイルをこのような目で見つめたのは、そして見つめられたのはいつのことだったでしょう。いいえ、たった今気が付いただけ。今まで18年間、わざと気付かないふりをしていただけ。自分の気持ちに。私の心の奥底まで見通すようなアイルの視線に。
「……」
フィルファは沈黙した。答えられなかった。困惑していた。新しい冒険への誘いにも、そして愛の告白にも聞こえるこの問いに。少なくても、ふざけてこのようなことを言う人ではないことは分かっていた。アイルが何を考えているか分からなかった。18年間の付き合いだ。いつもだったら、アイルが何を考えているかすぐに分かるはずなのに。
「いいわよ」
フィルファはこう答えた。
恋人としてかどうかはともかく、少なくともアイルは私の最高の仲間だ。アイルもそう思ってくれているはず。背中を守ってくれる仲間がいることが、いかに大切かということは、この2年間の冒険生活で学んだはずだ。
恋人としてはどうか考える時間は、いくらでもあるじゃない。
「改めて、これからもよろしくお願いします」
そう言ってアイルは右手を差しのべてきた。フィルファは、その手を両手で握り締めた。
「こちらこそ。よろしく」
雲一つ無い蒼空を、ラーフォール(白い羽根を持つ小型鳥)の一群が、見張り塔まで一条に並んで飛んで来た。そして見張り塔の回りを一回りした後、中央広場に降りていった。
「そろそろ降りよう。仲間たちと最後の食事をしないと」
フィルファはうなずいた。2人はゆっくりと螺旋階段を下りていった。
2人の旅は、まだまだこれから。これからが本当の始まりだと、フィルファは思った。