『季節感』



 手術室はいつも風の音がする。
 圧格差で扉の隙間から外へと漏れていく空気の音。
 心拍に合わせた電子音。規則的な、あまりに規則的な音。
 イソジンの匂い。隠された血の匂い。
 電気メスの放電音。蛋白質が、脂肪が焦げる匂い。
 時計を見て、モニターを見て、預けられた術中記録用紙に五分ご
との血圧と脈拍を書き込んで。
 血行動態安定。電解質バランス異常なし。バイタルの動向に際だ
った変化無し。やや、体温が低めかもしれないけど。
 私に判断できるだけの様子では、万事問題なし、に見える。
 術者に声をかけていた麻酔科医の山野先生が私と紗月の方へと戻
ってくる。
 私が書き込んでいる記録と、紗月が作っていたシリンジの様子を
確認。
「とりあえず、これで一段落かな。後は術者の先生の仕事、と」
 麻酔器の前で一つ伸びをして。
「ま、君たちも足が疲れるなら座ってもいいよ」
 手術予定時間は五時間。これに入退室、麻酔導入・覚醒のための
時間は入らない。
 麻酔科用トレーの引き出しの色とりどりの注射針を眺めていた紗
月が私の分の椅子も持ってきてくれる。
「外、蒸し暑いんだろうねぇ」
 山野先生はまじめな顔をして続けた。
「ここがね。麻酔科医って仕事の一番悪いところだと思うんだ」
 紗月が、身を乗り出した。
 来年から研修医になろうというこの身。就職先候補(の一つ)の
ぶっちゃけな情報には正直興味あるのだろう。私もだ。
「ほら、この服だ」
 私はグリーンの。紗月はブルーの。北野先生はグリーンの。
手術部の術衣を着ている。
「季節感がないんだよね。手術室って」
 はぁ。
 もうちょっと、現実的な話かと身構えていただけに拍子抜け。
「そうですよね。気温は一定ですし、湿度も完全管理ですし」
 紗月がうんうんっ、と頷きながら相槌を打って。
「ツツジももう散ったかな、なんて思うことがないのは日本人とし
てはどうかと思うんだよ」
 まぁ。確かにここは日本でありながら完全に日本の気象条件から
は隔離されているわけで。
「だから、この頭な訳だ」
 北野先生は自分の帽子を指さして見せた。
 帽子の下は妙にすかすかしている。というか、地肌の色が透けて
見える。
「頭の衣替え。毎年、日を決めて剃ってるんだ」
 あぁ、衣替え。
「なるほどーっ」
 紗月がしきりに頷く。
 定常状態。私は、指先で心拍のリズムを取りながら。
 また五分。術中記録が横に進み。清潔野では手術が進み。
 なべて世は事もなし。
 こんな職場も悪くはないのかもしれない。

Fin.
mailto:不観樹 露生
不観樹露生的短詩