『沈澱』
柔らかい空気の中を言葉は沈澱する。
エアコンの風は下がりっぱなしのブラインドを揺らしていた。
唇が無性に乾いていた。
「ごめん」
呟いたのは。彼女だった。
呟かないのは。自分だった。
「こんな事…………言える義理じゃないよな」
こんな時。彼女は顔を見せようとはしない。
こんな時。唇を噛んでいる。
そんな事は。知っている。
腕を組んで乗せていた、椅子の背もたれが。軋む。
「別に。気にしないから」
気にするだけの。自分ではあり得ない。
そんな事も。知っている。
彼女の指先には。弄ばれる糸くず。
「ま……………いいんじゃないの?」
恋愛と呼ばれる関係が一つ。終わる。
たぶん。それを目の当たりにしている。
「…………食い物持ってきてる。愚痴と場所代」
判ってる。まー。そんなもんだ。
「てけとーに炬燵の上かたして広げて」
手伝わない。
天板の上にごろごろと転がっていたビールの空き缶やらコンビニ
弁当の残骸やらが、コンビニ袋の中に消えていく。
「追い出してもいいんだけど」
やっぱり。呟き。
応えは。返さない。
「あんたは本当の愚痴は絶対に言わないから。だから振ったの。本
当の愚痴を言わない奴は彼氏には出来ない」
何年前の話だか。
別に。痛むだけで。
「……………あいつは?」
尋ねている。
「本当の愚痴は言うけどね……………本当の愚痴しか言わなくなっ
たから。だから駄目になった」
駄目になった。
単純で明快で判りやすくて。だから痛い。
天板の上を。何ヶ月前だかに使ったきり干涸らびていた台布巾が
往復する。
「………………やせた?」
唐突に尋ねられる。
「別に」
正直には答えない。
「また食う物喰ってないんだろ」
台所と部屋の惨状。まー見れば判ることなのだろう。
「喰ってないわけじゃ、ない」
別に。生きている。そのレベルだ。
缶ビール。鶏の唐揚げ。コンビニおでん。乾き物数種。
椅子から降りる。CDとチラシの山をずらして座るスペースを作る。
「乾杯」
「てけとな友情に」
プルタブを起こす。呑む。
ひりついた唇に。滲みる。
《終わった恋と、しみったれた友情に》の方が良かったか。
まぁ。かもしれない。
かもしれない。
かもしれない。
(終)
BGM.「僕たちの片想い」by井上昌己
mailto:不観樹 露生
不観樹露生的