『あなたは神を信じますか?』


後編 〜Ryo〜


11th. 死者には死者の事情もゆるされる




「……ねぇ、亮君」
 友絵が声をかけてくる。
「ん?」
 少しだけ振り返る。友絵の顔が横にある。
「確か昼の二時って言ってなかった?」
 腕時計を見る。既に三時を五分ほどまわっている。聞きたいのはこっちだ。
 一体どうなってんだ?
 南星里公園。祀穂理が降ってきた場所。ウェルバーに呼び出された場所。
 宇治の情報が正しければ、御堂は術の準備を万端に整えて、祀穂理を連れて
この公園にやってくるはずだ。
 いや、とっくに現れていないといけないはずなのだ。
 冬の太陽のか弱い光が、全天を覆った薄雲を通して漏れている。
 この会話も、いい加減飽きた。
 とにかく、こっちの方が戦力が少ないんだから、取りあえず早めに行って待
ち伏せて奇襲よ。これっきゃないわ。
 という友絵の作戦案により、二人して、正午過ぎからこの植え込みの中でじ
っとしている。始めは見つからないように情報結界を張ればいいやと思ってい
たのだが、こっちにも外が見えないと言う欠点があったので、結局はこういう
ふうに息を殺してじっと待つという羽目になった。
「……本かなんか、持ってくれば良かったわ」
「同感かもしれない」
 ちなみにこの会話も既に四回はやっているような気がする。
 腕時計を見る。針が三時十分をまわった。
「亮君……」
 友絵が急に緊張感を保った声で話しかける。妙に嬉しそうだ。
「え?」
「来たわ」
 男が一人、ゆっくりと南入り口から入ってくる。
 あれが、御堂。祀穂理の目を通したヴィジョンの中に出てきたマッチョマン。
 ヴィジョンの中と同じ、筋肉質な身体を周囲にわざわざ誇示するように、ラ
ンニングシャツと短パン一丁。
「うわ。ホントに兄貴ね……」
 御堂は、公園中央に辿り着いて、足を止めた。
「術を、始めるのか?」
 呟いている。
 御堂が、手の中から、空中になにかを放り出す。砂かなにか? 銀色に輝い
ている。
「亮君、この付近に、マクスウェルの悪魔の……、ウェルバーの気配は感じる?」
 さっきからずっと、それを探っているのだが。
 御堂が投げた粉のような物は、空中でなにかに引っかかるようにして形を作
っていく。
「いや、今はいない」
 もう一回感覚を一回りさせてから、断言する。
 魔法陣? 御堂の前に、地面に対して垂直に、円の中にひっくり返した星の
マークの形状の図形が出現する。
「なら、御堂一人のうちに、とっととぶち倒しちゃいましょ」
 そう言って、友絵が御幣を構える。
 公園の中央広場全体を覆う、情報結界を二人で張る。これで、この戦闘にウ
ェルバーは入って来れない。
 御堂はそのことに気付いたのか気付いてないのか、空中にゆっくりと両手を
掲げる。御堂と魔法陣との間で、空間が、割れる。
 その割れ目から、横たわった髪の長い女の子が頭の方から出てくる。重力が
ないかのように、髪は全く下向きに垂れない。赤いコート。手にしているのは
薄い革の手袋。
「祀穂理っ!」
 口の中で思わず叫んでいる。祀穂理。
「友絵、行くぞ」
 声をかける。
 友絵が、気を一気に表へ出す。立ち上がって、叫ぶ。
「力よ、我に宿りて、眼前の邪法を封じたまわんことを!」
 友絵のサングラスが、勝手に割れる。友絵の髪が、一気に肩まで伸びる。上
昇気流の中にいるかのようにふわりと、少し乱れて舞い上がる。冷たいが、決
して不快ではない気が友絵のまわりに集まってくる。
 御堂の術は、中断しない。祀穂理の身体はゆっくりと上下逆さまになってい
き、魔法陣へと近づく。
 大地を蹴る。植え込みの中から飛び出す。
 友絵が、御堂の術を封じている間に御堂をぶち倒し、祀穂理を救い出す!
「蘇〜〜〜〜〜〜っ!」
 両手を空中に高々と掲げた御堂が叫ぶ。祀穂理の身体が魔法陣に貼り付く。
 友絵の声が聞こえる。
「封っ!」
 そして、身体の中を激痛が走り抜ける。

「グゥッ!」
 心臓をキリキリと絞められるような、激痛。
 御堂に向けて走り続けることなど出来ずに、そのまま横に転倒する。
 雪の上を転がる。
 なにかが……入ってくる。内側から身体を浸食されるような感触。
 それは一瞬で何事もなかったかのように消える。
 立ち上がる。コートに付いた雪を払う。
 御堂と祀穂理の張り付けられた魔法陣に、友絵の結界がそのまま締め付ける
ようにがっちりと絡まっている。
 術の、進行が止まった?
「いらっしゃることは判っておりましたよ。お二人さん」
 御堂がこっちを向いている。その身体にも、友絵の結界がからみついている。
あれでまだ動けるなんて……この男、化け物か?
「友絵っ」
 友絵の方を振り返る。髪が見る間に伸びていく。
「亮! 御堂にとどめを!」
 友絵が女神モード全開で、全力を出しているのが判る。
「さすがの私もこれでは動けませんしねぇ。確かに私にとどめを刺そうという
のでしたらいましかありませんね」
 どこから来ているんだ? この余裕は?
 一瞬の逡巡の後に、もう一度突っ込む体勢に入ろうとする。
「私はもう少し長生きをする予定なんですよ。ねぇ、ウェルバー」
 御堂の言葉に、身体を止める。探る。二度相まみえたあの男の気を。
 確かに、ウェルバーの気はどこにもないのに。
「そうですな。御堂殿にはもう少し長生きしていただかないと」
 ウェルバーの声。どこから?
「ねぇ、関口くん。私達の能力を見誤ってませんか?」
 ウェルバーの身体が、大気の中から再構成される。
 御堂とこちらの間に、あの自分とそっくりな顔で立ちふさがる。
 再構成術。自己を完全に分解して、別の時間、別の場所で再構成する。
 しかし、情報結界の中に自身を再構成するなんて、予め、仕組んでいないと
出来ないこと。つまりは……
「君の予想したとおりですよ」
 背後から、別の声。
「やぁ、関口君」
 この声には聞き覚えがある。ゆっくりと振り返る。
「ようこそ。もちろん、君の予想どおり、これは罠だったという訳ですよ」
「宇治!」
 宇治。あの男は、情報結界のぎりぎり外側にあののんびりとした顔で立って
いる。
「いやぁ、どうなることかと思いましたけど、御堂様、成功しましたねぇ」
 御堂の仲間だったのか。やはり。ある種の疑問が解決して、納得する。
「あ、そうそう、言うのを忘れていました。御堂真理は時間にとっても不正確
なんですよね。三時間も、お疲れさま」
 こっちが、ここで待ち始めていた時間まで……全て読まれていた?
 友絵の方に少しずつ、後ずさる。
「情報結界の外側にいるのに、姿が見えて、声が聞こえるなんて……あれが、
宇治正道? どこかで見たような……」
 友絵が呟いているのが聞こえる。
「ま、罠だという事は予想していたがな」
 呟く。
 友絵がさっき言った通り、友絵が結界を張り続ける限り、御堂の術はこれ以
上進まない。が、御堂を動けないようにするために友絵自身にも余裕はない。
 御堂は、術を止めるつもりがない限り、友絵の結界に抗して動くことはでき
ない。
 宇治は友絵の情報結界の外。つまりは情報結界を破る危険を犯す覚悟がない
限り、干渉はできない。
 ゆえに……
 今自由に戦闘可能なのは、自分とウェルバーのみ。
 要するにウェルバーを倒さなくてはならないということ。自分がウェルバー
に倒されれば、それで終わり。ウェルバーを倒せば動けない御堂にとどめを刺
して、祀穂理を救ってハッピーエンド。そういう事だ。
「ウェルバー、貴様を、倒す」
 重心を落とす。
「そうですか。関口くん。少しは強くなったみたいですねぇ」
 ウェルバーが両腕に小さく結界をまとわりつかせる。
「嬉しいですよ。娘をさらっていこうなんて不届きな男に三度も罰を与えられ
るなんてね」
 そう言うと、ウェルバーは鋭く尖らせた結界をぶつけてくる。
「波っ!」
 短く気を入れる。一昨日は、手も足も出ずに、防御を突破された攻撃。
 結界の軸線を読む。要するに、被弾経始。横っ跳びに跳びすさりながら、斜
めから攻撃の軸線をずらすように力を加える。攻撃が自分とは逆の方向に逸れ
ていく。
 要は、力比べになっちゃいけないって事だ。
 その間に、ウェルバーが間合いをぐんと縮めている。そのまま接近戦に持ち
込むつもりだろうが。
 雪面を前に向けて蹴っている。
 拳や足が届かない間合いを保つ。
「逃げますかね」
 そう言いながら、ウェルバーの連続攻撃。
「あの時とは違うっ!」
 結界をコンパクトにまとめあげて、攻撃をより効率的に防ぐ。一昨日、ウェ
ルバーに殺されかかったときに感じた圧倒的な力の差を、今は感じない。
 何が大きいといって、攻撃を防ぐことが可能になっているというだけで精神
的にはずいぶんと違う。
 負けられない。祀穂理を護る!
 ウェルバーの攻撃を次々とかわしているうちに徐々に相対位置が変化してい
る。ゆっくりとまわって、いつの間にか、互いの位置が反対になっている。
「攻撃はしないんですか? 関口くん、攻撃しなければ、わたしを倒すことは
出来ませんよ」
 挑発。その間にも、ウェルバーの攻撃が続く。
 御堂が来るまで足跡一つ付いていなかった雪面が、結界の応酬で掘り返され
て泥の色に染まっていく。
 攻撃するのは、最後でいい。実際、ウェルバーの攻撃をこれまでなんとか防
ぎきっているだけでかなり奇跡に近いのに、そうそうた易くウェルバーに一撃
を与えられるとは思えない。
 攻撃をまた弾く。
「ウェルバーっ!」
 御堂の声。怒声? 弾いたウェルバーの攻撃が、御堂の方へ向かっている。
「あれはっ」
 友絵の驚愕の声。
 ウェルバーが、自らの攻撃波の針路上に出現する。右肩に、命中する。
「クゥ」
 ウェルバーが呻く。右腕の付け根から、どす黒い血が染みだしてくる。そし
て、なにかが、見える。糸? ウェルバーの右肩の上、首の付け根あたりから、
細い糸のような物が出ていて。一瞬だけ金色に輝く。
「亮っ! 御堂とウェルバーの間にある空間を攻撃するんだ!」
 友絵が叫んでいる。
「え?」
 思わず振り返っている。その隙に、ウェルバーに間合いを詰められる。拳を
体を大きく反らしてかわす。体勢が崩れ掛かったところに、ウェルバーの蹴り
が入る。結界が入っていないっ。小さな結界だけで防ぐ。この蹴りは囮。
 そして、読み通り、間近からウェルバーの結界攻撃。読んでいても、かわし
きれない。前回、友絵が相打ちになった奴。防御のための結界を身体の真っ正
面に張らざるを得ない。
 力。
 ウェルバーの力はこちらの防御結界を紙のように貫いて、鳩尾から、背中へ
と抜ける。
 こりゃ、マジで、死んだかな……
 曇り空が、ゆっくりと下の方に流れていく。
 飛んでいる? いや、飛ばされているのだ。
「亮!」
 友絵の、悲鳴が聞こえる……ここで死んじまったら、友絵だってただじゃ済
まないよな……ウェルバーと、御堂と、宇治と。三人相手だもんな。
 やけに冷静にそんなことを考えている。
『りょーちゃんが、りょーちゃんであるってこと。忘れないでね』
 祀穂理の声。
 自分が自分であるという事。
 自分を憎んでいるという事。
 自分と同じ顔をした奴に殺されるという事。
 それは自分が自分であるという事。
 確かに忘れちゃいない。
 地面に叩きつけられる瞬間を待ち望んでいる。死ぬ瞬間は全てがスローモー
ションになるっていうが……本当だ。このまま、正気に返って激痛にのたうち
まわる前に、死ねたらいいな……
 視界に木々が入ってくる。もうすぐだ。もうすぐ、終わる。
『りょーちゃん、うんめーって信じる?』
 祀穂理じゃない。これを言ったのは、琴。なんだったっけ?
『あたしには判るの。りょーちゃんはお父さんの生まれ変わりなんだわ』
 ウェルバーの生まれ変わりねぇ。だったら、あのウェルバーはなんなんだ?
 自分で自分の転生先を殺したってか? 遠回しな自殺。ばかばかしい。
 思い出すのは、琴と、祀穂理のことばっかりだ。
『おまえだけでも逃げなさい』
 夜の埠頭。倉庫街。祀穂理に向けて話している。
 あのシーンか……
『あたしだって、お父さんを癒すことぐらいなら』
 傷を負っている。自分が助からないと判っている。
『お父さんは、たとえ死んでも生まれ変わって迎えに行く。待ってなさい』
 自分の身体から、結界を広げている。一八年後。自分の情報を飛ばす先の赤
子が成長してそこにいる場所に向かって、祀穂理を送り出すために。
『お父さん!』
 祀穂理が叫んでいる。一八年後のわたしは、祀穂理を護れるだろうか?
『祀穂理、クリスマスプレゼントをあげることができなくて、ゴメンな……』
 結界が祀穂理を包み込み、その小さな身体を浮き上がらせる。
『お父さん!』
 祀穂理はもう、呼ぶことしかできなくなっている。
『さようなら』
 別れを告げる。同時に、体内にわずかに残っている存在を使って、術を作動
させる。
『おとうさぁぁぁぁぁぁんっ!』
 祀穂理。愛しきわが娘。生まれ変わっても、おまえを愛するだろう。
 なにかおかしい。アングルが違う。これは、祀穂理の中で見たヴィジョンじ
ゃない。これは、ウェルバーの……いや、Wellbred・Maxwellの記憶。
 視界が、まわる。飛ばされているだけではなくて、自分で回転している。腹
から背中へと抜けている損傷を回復している。
 降り立っている。雪面を少し削るようにして大地に足を付けて。
「なっ!」
 ウェルバーの驚愕。
 背筋を伸ばしている。力が使いこなせる。今までの力とは、桁が一つ違う力。
 理解しているのだ。力の使い方を。Wellbredの記憶。
 判る。目の前にいる自分に似たこの男が、決して真のWellbredでないことが。
 そして、自分の中にWellbredの魂が根付いていることが。
「ウェルバー。君はMaxwellの名を名乗るに相応しくありません」
 自分の中のWellbredが話している。
「一族の名にかけて。消去します」
「亮……?」
 友絵が呟く。状況の変化が信じられないのだろう。
「そうですか……気が付いてしまったんですね。関口くん。君が、Wellbred・
Maxwellの情報担体であるという事実に」
 祀穂理を護るために。
 自らの情報を、Wellbredは赤子の自分の中に沈めたのだ。
「ようやく理解した」
 Wellbredの口調ではなく、本来の関口亮の口調。
 自分の中にある衝動の源泉。
 最初にウェルバーと出逢ったときの生理的嫌悪感。
 構えを取り直す。
「が、どのみち、することは同じだ。ウェルバー、貴様を倒す」
 コートを脱ぎ捨てる。宣告する。今度こそ、どちらかが死ぬ。
「もはや、一刻の猶予もないようですね」
 右肩の損傷を消しながら、ウェルバーが呟く。
「亮!」
 友絵の叫びが引き金になって、戦闘が再開する。
 ウェルバーの攻撃波を左手で叩き落として、一気に間合いを詰める。
 力は、何百年も使いなれたかのように意のままに動く。
 近接戦闘にもちこむ。拳が、両腕でブロックされる。ウェルバーの蹴りを右
腕でブロックする。同時にはなった左からの回し蹴りはウェルバーの右腕にブ
ロックされている。
「波っ」
 同時に叫んでいる。攻撃結界の零距離射撃。同じ事を狙っていたウェルバー
の攻撃結界と衝突して、反作用が生じる。
 互いに後ろに数歩下がった所で、再び攻撃結界の投射。
 ウェルバーが、それを弾きながら、再び接近してくる。
「ウェルバーは、御堂の人形っ。糸を引きちぎりなさいっ!」
 友絵の叫び。一瞬気を取られた隙にウェルバーに内懐に入られる。小さめの
蹴りを左肘と左膝の間に挟んで潰す。結界でウェルバーとの間合いを取り直す。
「ウェルバーっ、下がれ!」
 御堂の叫び。
「させるかよ」
 ウェルバーと御堂との間に入り込む。糸なんて物は見えないが、あの時見え
たあれがそうなら。
 力を無方向性に投射する。ウェルバーと御堂を繋ぐ糸が引っかかるように。
 ウェルバーが突っ込んできている。今から防御していたのでは間に合わない。
糸を、探る。力の先に、わずかな感触。
 ひねり潰す。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 その瞬間、背後で御堂が、呻く。ウェルバーの行き足ががくりと落ちる。
 結界を自分の前面に集中する。
 叫んでいる。
「ウェルバーぁぁぁぁぁぁ!」
 分子結界を糸のように細く、細く練り込んでいく。
 力が足りないときは精度で、精度が足りないときは力で補え。
 自分が、自分であること。
 ウェルバーと自分がどんなに姿形が似ていようと、俺は。
 お・れ・は、関口亮だ。
 自分自身を殺したいほど憎んでいる関口亮だ。
 祀穂理を護らなくてはならない関口亮だ。
 突っ込んでいる。もう後のことは考えなくていい。体内に残っている全力を
右手の結界に集約する。
 よろけているウェルバーへと右腕を突き出す。
 あっけないほどた易くウェルバーの防御結界が破壊される。
 槍の穂先を突き込むように、結界に覆われた右腕が、ウェルバーの左胸の中
央を突き通す。
 なにかが、判る。伝わってくる。
 ヴィジョン。
 和服の女性? 傷を負って……血塗れで……それでも儚げで、美しい。
『あなた……祀穂理を……頼みます……愛してました……ウェルブレッド……
わたしの……大事な人……』
 これはウェルバーの、記憶? すると彼女は……祀穂理の母親。
『もちろんだとも。わたしは君の夫。そして祀穂理の父親。必ず三人で幸せに
なるんだ。だから……』
 薫はわたしのその言葉に弱々しくかぶりを振った。
『わたしは、たぶん……助かりません……あなた……これを…………あの娘に
……………あげて……くだ……………………さ………………』
 薫が最期にわたしに手渡した物はリボン。イギリスを出る船に乗る直前に、
最後に買った花束に付いていた細い、黒い、リボン。この京都の町で、薫に初
めて贈ったプレゼント。
 薫はそして二度と目覚めることはなかった……
 なぜ、ウェルバーも持っている? まだ知らないWellbredの記憶。
 シーンが変わる。
 小さな祀穂理。今よりもまだ小さな祀穂理。肉体年齢にして四才ぐらい。
『祀穂理。このリボンはな、お父さんがお母さんに初めて贈った贈り物だ。お
母さんはな、祀穂理にこれを持っていてほしいと言っていた。いつだって、こ
のリボンがあれば、お母さんが祀穂理を見ていてくれる』
 薫のリボン。母親ゆずりの美しい黒髪をそっと結んでやる。
 シーンが変わる。
『御堂さん、あなたは……』
 対岸に街の灯。星の光。目の前に立っている御堂真理。
『あなたにはずいぶんと手こずらされましたよ。でも、もう終わりです』
 御堂の力が、わたしの身体を貫き通すのを理解しながら、わたしは最期の術
を行っていた。転生。こんな男に利用されるくらいなら。
 だが、転生術の半ばで、わたしは息絶えた。そして……魂の半分だけが転生
に成功した……
 ビジョンが戻る。この腕が貫いている身体は、Wellbredの肉体。そして……
 かつてウェルバーと呼ばれていたその肉体から、流れ込んでくる情報。
 Wellbredの最期の魔術。一八年前に中断されていた転生の続き。Wellbredの
魂が、この体の中で再び一つになるのを感じる。
 そして、ウェルバーと名乗っていた物体を。御堂に操られていた魂の抜け殻
から……手を離す。ウェルバーの身体は、ゆっくりと崩れ落ちるように倒れる。
 涙が、流れている。なんだって、こんな事になってるんだ。
「御堂……これで、終わりだ」
 全てはこの男の責任だった。友絵の結界に押さえられている御堂ならば、今
の自分なら……五分もかけて力が再充填されれば、た易く倒せるだろう。それ
が、決着の付け方だった。
 ゆっくりと一歩近づく。
 御堂はうつむいている。肩を震わせている。
「御堂?」
 何が?
「ふ。ふふふ」
 笑い声? 何が起こっている?
「ふっふっふっふ、ははははははは」
 笑い声は徐々に大きくなり。
「はぁっ、はっはっはっはっは」
 御堂の笑いはだんだん哄笑というレヴェルにまで達しつつあった。
「何がおかしい?」
 御堂の余裕が、全く判らない。宇治か? いや、宇治はまだ情報結界の外だ。
 じゃあ、何が。
「やっと術が完成します。私もこの術に一八年かけたんですから。いやぁ長か
ったです。ありがとう、関口君」
 何を……
「亮! ウェルバーが!」
 友絵の声に振り返る。ウェルバーの遺体が、光っている。
「御堂、貴様、何をした!」
 遺体に対する冒涜。そんな言葉が頭をかすめる。
「Maxwellの悪魔の肉体が滅んだとき、何が起こるか知ってますか?」
 御堂が笑いながら説明する。何が起こると言うんだ?
「存在の明滅を繰り返すMaxwellの悪魔には、目に見える形の遺体は残りません。
ですから、自意識を失った遺体は消滅するんです。知らなかったんですか?」
 友絵が、なにかに気が付いたように叫ぶ。
「アインシュタイン原則!」
 Wellbredの知識庫が答える。
 アインシュタイン原則。質量とエネルギーの保存則。残らない遺体の質量は
……莫大なエネルギーに代わる。そして。
 存在の放出。エントロピーの時間を越えた保存過程。
 存在が暴走を始めている。ウェルバーの肉体の中から膨大な存在が無方向性
に放出される。情報結界の中が光に満たされる。
 友絵が悲鳴をあげる。
「ダメっ、結界が、持たない!」
 友絵の結界保持に協力しようにも、まだ、力が回復していない。
 ウェルバーが崩壊する。友絵の結界を道連れに。
 御堂の哄笑が聞こえる。
 そして、世界を満たしているのはウェルバーの遺体から湧き出る白光と御堂
の哄笑だけになり……

 結界がはじける音。場を振動させて。一瞬の。余韻もなんにもない音。
 目の前で誰かが冗談で手を叩いただけと言われたら信じてしまいそうなあっ
けない音。

 世界に色が回復する。
 公園の中央広場……友絵の情報結界の内側にあった部分の大地は、雪が溶け
て茶色の泥濘と化している。
 自分の中で、力が大きく失われているのが判る。再充填過程が強制的に停止
させられている。激痛。心臓が締め付けられる。膝が笑う。立っていられなく
なって、大地に、膝を突く。膝の下で、湿った音が立つ。
 向こうでは友絵が倒れている。無理もない。結界があそこまで持った方が不
思議なぐらいだったのだから。
 御堂の哄笑は続いている。
 祀穂理の貼り付いている魔法陣が、光りだしている。
「どっちでもよかったんですよ。ウェルバーがあなた方を倒そうと倒すまいと。
どのみち、私の術のために、ウェルバーは消えることになっていたんですから」
 顔を上げる。御堂から、視線を放さない。
 なにかが、身体の中に入ってくる。奥底の方に、なにかが。最初に御堂に突
っ込んでいこうとしたときと同じ感触。存在の奥底に、なにかが無理矢理割り
込んでくる感触。胸の奥が、苦しくて、痛い。
 ぬかるんだ大地に両腕を付く。泥の中に、指が沈む。
 身体が、重くて支えきれない。
「面白かったですよ。充分楽しませていただきました。関口君。君はいいです
ねぇ。実に楽しい少年だ。彼女が復活したら下僕にしてあげましょう」
 身体に、力を入れられない。
 勝手なこと、ぬかしやがって。
 必死に顔を前に向ける。祀穂理……祀穂理は。絶対に、助けなくては。
 魔法陣が、逆さに張り付けられた祀穂理ごと、ゆっくりと縦方向に回転を始
める。力を、身体の奥底から導き出そうとあがく。止めなくては。
 かけらのような力。祀穂理を縛り付けている魔法陣に向けて飛ばす。
 力があれば。なにかを倒すための力ではなく、祀穂理を護るための力。
「そういう風にあがいてくれる所なんて、最高ですよ」
 どこまでも身勝手な評価を下しながら、御堂がこっちの放った結界をかるく
揉み潰す。
 祀穂理と魔法陣が、始めの状態からちょうど九〇度回転して、地面と平行に
なっている。祀穂理が仰向けになっている。
「いいことを教えてあげましょう。祀穂理・Maxwell嬢には、今、新たな魂が侵
入しつつあるんですね。つまり、君が彼女と契約している以上、君の存在の中
にも新しい素晴らしい物が入っていってるんです。どうです? 感想は?」
 さっきから感じているこの激痛の意味は、それか……。
「く……クソッたれ」
 かろうじて、それだけ口にする。力のない罵倒。祀穂理を助けられない。
 少しずつ、少しずつ、前へとにじり寄る。
 魔法陣が、半回転する。大地に垂直に。祀穂理が立った姿勢で、魔法陣の中
で……動かない。術が次の段階に移ったのか、垂直に立った星形が光り出す。
 向こう側が透けて見えていた魔法陣の内側が、ゆっくりと不透明になり……
「門は開かれた」
 御堂が、口にする言葉が引き金だったのだろう。あれは、星空?
 魔法陣の向こう側は暗い夜空のようで、幾つもの星が輝いているのが見える。
 御堂が指を鳴らす。
 魔法陣が状態を変えないまま、縮んで。祀穂理の中に吸い込まれる。
 空中に静止したまま眠っているような祀穂理だけが残される。
「お目覚め下さい」
 御堂の口調。人を小馬鹿にしたいつもの慇懃無礼口調ではなく、真に何かを
崇める人間の声。
 祀穂理が、まぶたを開く。淡い、ブルーの瞳。ここだけが、琴と違う場所。
 身体の両側にしっかりとつけられていた両手が、不意に生気を取り戻す。
「祀穂理っ!」
 祀穂理はこちらの言葉が聞こえていないかのように、そのまま空中で一つ大
きなあくびをする。
 そして、階段を下りるように、無造作に前に一歩歩いて半分解けた雪でぬか
るんだ大地に降り立つ。
「祀穂理っ! 無事か!?」
 その言葉は、始めからなかったかのように。祀穂理に無視される。
 祀穂理が御堂の方へと振り返る。
「いったい、何年経ったのかしら、あれから。ねぇ、真理」
 祀穂理の口から大人びた口調……真理。
 ゆっくりと御堂が祀穂理の小さな身体の前に跪く。
「姉上。お久しぶりです。姉上が鬼籍に移られてからこの一八年間という物、
ずっと姉上のことばかり考えておりました」
 姉上って……
 祀穂理は、手にしていた皮の手袋を外して地面へと投げ捨てる。自らの両手
を見つめて呟く。
「ずいぶんと小さい身体……」
 祀穂理が、いや、祀穂理の身体を奪ったなにかが、その使い勝手を確かめる
かのように関節を動かす。満足げに笑う。
「でも、昔のあたしよりも、ずっと力のある身体ね」
 笑み。祀穂理が決してしなかった類の妖しい笑み。
 そして、地面に投げ捨てた手袋を踏みつけながらこちらを向く。
「関口、亮、だっけ? 坊や。あなたがあたしの力の源になってくれてるのね。
おかげでずいぶんと面白いことができそうだわ」
 祀穂理にやった手袋が、雪と泥の混合物の中にまみれている。
 どう考えても。
「祀穂理ではない」
 口の中で呟く。
 目の前の少女は、絶対に祀穂理ではあり得ない。
 そして、ウェルバーのような人形でもない。祀穂理は死んではないのだから。
 身体を支配していた激痛がいつの間にか消えていることに気付く。
 泥まみれの学生服のまま、立ち上がる。学生服の、下の端から、泥水が滴り落
ちる。体力が、足りない。息を切らしている。
 祀穂理の姿をしたものを見つめる。
「何者」
 言葉を放っている。
 体は動かせるが、力はまだ再充填されない。
 祀穂理の姿をした女はどこか手慣れた仕草で前髪をかき上げる。
「あたし?」
 こちらを見る。威圧感。人を見下したような態度。
 こちらを見上げおろす。人が服従することを当然のこととして受け入れてき
た人間の態度。
「そうね。あなたのご主人様の名前を教えてあげるわ。あたしは春香。御堂春
香。坊や。二回は言わないからよくお聞きなさい。今日からあたしがあなたの
主人。あたしに服従なさい」
 女王様と兄貴……
 友絵が言っていたことを思い出す。
 戦後最強の反魂師。御堂真理の姉、御堂春香。



next:contents:previous
mailto:不観樹 露生
不観樹露生的小説
不観樹露生的