「甘いっ」
友絵の髪がふわりと持ち上がる。一瞬、また少し、その長さが伸びる。
結界の端の綻びから、友絵の力が侵入する。その瞬間に、結界の防壁として
の意味が失せる。そのまま友絵の力が眼前まで来たところで止まる。
「実戦なら、また死んでいたな」
少し、女神モード入ってねぇか。
「あぁ」
答える。友絵の顔が少しほころぶ。一段落か。
「亮君の結界に、いろいろと弱点があるって事、判った?」
確かにな。この三時間という物、友絵の攻撃を結界で防ぐ、ということだけ
をひたすら繰り返しているのだが……何回死亡を宣告されたことやら。
つまりは破られっぱなしって事で。
「十分に」
そう答えるしかない。そしてそれ以上何を言えるだろう?
「取りあえず、休憩にしましょう」
その言葉に、思わず足の力が抜けて体育館の床にへたり込んでしまう。おも
っきし、グロッキー。肉体的にというよりも、精神的に疲れている。
他には誰もいない無人の室内運動場。ニスが塗られた板張りの床に寝そべる。
「ふぅ」
一つ、息をついて、天井を見上げる。天井灯がやけに眩しい。朝食を終わっ
てから、取りあえずここに連れてこられたが……
「なぁ、友絵」
友絵に声をかける。せっかく昨日カットしてセットし直したばかりの髪が、
既にして肩までかかるほどの長さになっている。
「この部屋、何なんだ?」
来たときから疑問に感じていたのだ。飾り気のない、室内運動場だが、あま
りにも何も無さ過ぎる。そして、位置も。市役所の地下、エレベーターに表示
されていない階まで下がった場所にあるなんて……
「うちの組織の所有物」
簡潔だな。
「普段は何に使ってんだ?」
これだけ広い部屋、維持費だって莫迦にはなるまい。
「色々と使ってるわよ。例えば、今みたいにこの手の関係者の訓練。後、表に
出せないセレモニーもここでやるし、まさかの際の臨時避難所にもなってるわ」
臨時避難所って……
「この部屋それ自体が、結界防御の中にすっぽり収まっててね。市長さんとか
その辺の関係が避難してくることになってるわ」
そういう話は、莫迦な三流オカルト小説の中だけだと思っていた……
ふと思い当たる。
「そういやさ、この辺だけ妙に地震の時の震度が低いのは……」
「あ、あの話ね。関係者の中じゃ結構有名な話よ。ここの気象観測所ってね、
昔の、風水をしっかり考えて作った平安時代の陰陽寮関係の何だったかの跡地
に作っちゃったらしくてね。地震が起こってもビクともしないってね」
……そういう物なのか。ま、深くは考えまい。
「で、どうだろう? 少しは上達したろうか?」
起き上がってあぐらをかく。話を戻す。
「少しづつはね。まだ力の使い方に馴れるっていう段階だから、使えば使うほ
どある程度、上達はするわよ。ただ、これでいきなりあんなのと戦えってのに
は無理があるわよねぇ」
自分では、評価できない面が多い。
「ウェルバーと、対等に戦える……いや、そこまでは言わないから、せめて、
単独行動しても何とか逃げ切れるぐらいの実力に達するまで、後どれくらいか
かるだろうか?」
単独行動が出来ないというのが痛すぎる。だいたい、受験勉強をしていられ
ないじゃないか。大学入試まで後一ヶ月ないっていうのに。
「この調子じゃ、少なくとも後一ヶ月は特訓しないと無理ねぇ。力だけで張り
合おうとするんなら、の話だけど」
後一ヶ月……入試を捨てろってのか? 確かに命には換えがたいが。
「なにか、手段はないか?」
友絵は、少し横の方を向いて、話す。
「力が足りないときは精度で補い、精度が足りないときは力で補えってね。あ
たしは父からそう教えられたわ」
友絵の父親、ねぇ。
「さっきも言ったけど、力を増加させることはそんな一日や二日で出来るよう
な簡単なことじゃないの。亮君自身の潜在的な力は相当大きい感じがするから、
最終的にはかなりの術者にはなれるはずだけど、それでも今は、無理ね。だか
ら、取りあえず、力の精度を上げること。これが肝心よね」
精度を上げるっつってもなぁ。
「精度を上げるってのは、具体的にどういう事なんだ?」
そのことが判らないことにはどうしようもないんだが。
「要するに、力の効率的な使い方ってことよ」
無駄があるってことか。
「まずは防御ね。亮君は必要以上の強度と大きさの防護結界を張っているわ。
これはとても無駄なの。もしなにかの材料で盾を作るんだったら、均一な強度
がなくっちゃどうしようもないけど、結界は、決して盾じゃない。むしろ、剣
で剣を受け止めるというイメージで行かなくっちゃいけないの」
剣で剣を受け止める?
「結界は大きく、強くすればするほど力を浪費する結果になるわね。それに、
結界全体を強くするのにはとても力がいるけど、一部だけを強くするんだった
ら、そんなに力は必要ないしね」
なるほど。いわゆる戦力の集中ってことか。
「これは攻撃にも言えるわ。亮君は、攻撃の時、相手の結界に対して直接効果
がないところにまで力が注がれているの。これをちゃんと槍の穂先に集中する
だけで、効果が全然違ってくるわ」
理解。
「了解。そういうイメージでやってみればいいんだな」
そう言って立ち上がる。
「そうそう、それから一言だけ言っておくわ。力の制御は情報の制御。自分を
しっかりと保って。そうしないと完全な力の制御なんてできないわ」
友絵が、立ち上がって軽く足を屈伸しながら言葉をかけてくる。
自分を、保つ?
「どういう意味だ?」
友絵に尋ねる。
「亮君が亮君であるということよ。それがまず最初の基本ね」
前に同じことを言われた記憶が……
『りょーちゃんがりょーちゃんであるってこと。忘れないでね。これが条件よ』
祀穂理の台詞。祀穂理がいなくなった日の朝の記憶。
「自分が自分であること……」
呟く。思い返す。
記憶。絶叫の記憶。祀穂理との共通項。
大切な物を失った記憶。これが、自分? これが自分。
自分のことを語れなくっちゃ駄目だろうか……
「利己的であれって事じゃなくってね、世界と自分との関係をしっかりと保っ
ているってことよ」
そう言って、友絵は、フッと笑う。
「ま、考えてるより、身体で憶えた方が早いわよね」
確かに。そういうもんかもしれない。
***
市役所の建物から出てくると、既に昼過ぎ。昨日の晴天はやはり一日限りの
物だったようで、やや雲量が増加している。
それでも、屋内に比べるとずいぶん明るい。思わず目を瞬たかせる。
「亮君、お昼、どうする?」
友絵が尋ねてくる。黒髪は肩甲骨の下あたりまで来ている。それだけ友絵に
本気を出させたということだ。
「適当にその辺ですます」
この辺なら軽食やってる喫茶店も多い。
大通りを歩きながら、適当に物色する。
「そういえば、お葬式、今日だったんだわ」
友絵が唐突に呟く。
「葬式?」
立ち止まった友絵に合わせるようにして止まる。
「えぇ。ほら、亮君も一応墓参りぐらいには行ってやろうなんて言ってたじゃ
ない。例のうちのスタッフ。この事件の……取りあえずは最初の犠牲者。うち
の上司ったら、ついでだから行ってこいなんて言われてさ。結局ここまで来る
のが面倒なのよねぇ。きっと」
「なるほど」
まぁ、組織の中だから、そういう関係のこともあるだろう。
「もっとも、始めっからお通夜の方には顔出すつもりだったんだけどね」
悲しげな目をしたのが判る。サングラス越しでもだんだん表情は判るように
なる物だ。
「で、今から行くのか?」
胃袋が空腹を主張してはいるが、耐えられないほどではない。別に昼飯の一
つや二つ抜いたところで人間死なないし。
「そうねぇ。どうしよっかな」
迷いを見せる。
「行くんだったら一緒に行くが」
「ふーん。なら、そうしましょっか」
友絵が同意する。取りあえず、これで行動は決まった。
「で、どこでやってんだ、その葬式」
遠いのなら、バスかなんかに乗らなくちゃならない。
「ほら、昨日も来たでしょ、あたしがいたマンション。あそこの五階」
え?
「例のあのマンションか? 何でまた」
友絵の部屋は三階。類は友でも呼んでいるんだろうか?
「あのマンション、うちの組織の所有なのよ」
結構なんだかんだと物持ってる組織だよな。
え? ということは、あそこに住んでいるという幸田さんは? それに、幸
田さんの父親が死んだ日は……確か水曜日。ウェルバーに会った日。その早朝
と彼女は言っていた。そして、その日、喫茶店でそのスタッフが死んだことを
告げられたのだ。
「ちょっと待て。もしかして、そのスタッフの名字。幸田といわないか?」
友絵が、ちょっとだけ目を丸くする。
「なんで知ってるの?」
幸田さんの父親が、死んだ日付。スタッフが死んだ日付。間違いない。
死んだ人形使いは、幸田さんの父親だ。
「やっぱりそうか……そのスタッフ、娘がいるだろ。高校生の」
何が起こってるのか判らないでいる表情。
「えぇ、そうよ。確か……高校三年生で受験をひかえてるとかなんとか言って
て……まさか、知り合い?」
答える。
「あぁ。それ、同じクラスの奴だ」
他にどう言える?
***
初めて会う幸田さんの母親は、少しふっくらした感じの中年女性だった。と
はいえ、喪服を着て、かなり面やつれしている。
「幸田さん……あ、いや、沙也さんのクラスメイトの関口です」
幸田さんの母親は、玄関口で名乗ったこっちの顔を少し驚いたように眺める。
「あぁ、あなたが関口さん。沙也からよくお噂を聞いてますわ。わざわざ来て
下さったんですか……。ありがとうございます」
お噂って……幸田さん、いったい何を話したんだ?
奥の方に家具なんかをずらしたらしい跡の上に、葬式セットが飾られている。
読経の声が聞こえてくる。
友絵は、少しだけ時間をずらして来ることになっている。
「沙也さんは……」
それほど広いマンションではない、というか、間取りが友絵の使ってるワン
ルームと変わらない。この広さで家族で住むのは辛いような気がするが。
ざっと見渡した限りでは幸田さんの姿が見えないことが気になった。
「あぁ、沙也なら、隣の部屋……五〇五号室です。向こうが沙也の部屋になっ
てますから。何なら、呼びましょうか?」
なるほど。幸田さんの一家で何部屋も使ってるってわけか。
「あ、すいません」
幸田さんの母親は、玄関先の電話台から受話器を取り上げてなにかの機能ボ
タンをプッシュする。親子電話らしい。
「沙也。関口さんがお見えになったけど。どうする?」
おそらくは幸田さんの返事らしい声が、聞こえる。
「すいませんねぇ、関口さん。沙也ったら、関口さんに、部屋の方に来ていた
だくよう伝えてくれないか、と」
困ったような顔。
「あぁ、なら、そっちの方に行ってみます。後で、ご焼香にもう一回伺います」
そう言って、辞去する。
閉じた扉の前で一回吐息。
そのまま隣の部屋の前に立ってノックする。
返事がない。
「関口だけど」
金属音がする。ロックの解除される音。そして、チェーンロックを外す音。
「開けたから……入って」
言われるままに、取っ手を回して、引く。
玄関に幸田さんが立っている。いつもトレードマークのようにしているポニ
ーテールを、今日は下ろしている。それだけで、ずいぶんと印象が変わる。
そして、中は薄暗い。電灯をつけていないのか? 正面に当たる窓にはレー
スのカーテンが降りていて。
「幸田さん……明かりは」
「いいから入って」
……泣いている?
取りあえず、靴を脱いで一歩室内へと足を踏み入れる。
カタン。幸田さんが靴下のまま玄関に降りて、扉にロックをかける。
ジャラリ。チェーンロックも。
何のつもりなんだ? 密室の男女ってか? やめてくれよそういうのは。
幸田さんが、振り返る。
幸田さんの泣き顔が、それまで固まっていた表情が、フッとほころぶ。別の
種類の泣き顔に変わる。
「本当に、……関口くんだ……、わざわざ、来てくれたの?」
「……別に」
何が別なのかは判らないが、とにかく、そう答える。来なけりゃ良かったか。
だけど、祀穂理が降ってこなければ、幸田さんの父親も死なずに済んだ。
しかし、そんなことを言ってなんになる。
「やだな……全然ぐちゃぐちゃな顔のまんまだし……」
そう呟きながら、幸田さんは床にぺたりとへたりこんでしまう。
なんて言っていいのか判らないが、取りあえず、泣き止んでもらいたかった。
しゃがんで、視線の高さを合わせる。
「泣きすぎると、腐るぞ」
この間から、幸田さんの泣いている顔ばかり見ているような気がする。
幸田さんの顔がちょっと怒る顔になる。
「ちょっと、どういう……」
無意識に幸田さんの顎に指をかけている。顔をこちらに向かせる。
「いい目なのに。腐ったらもったいないな」
言葉を続ける。幸田さんの少し充血している瞳がこちらをじっと見つめる。
「バカ……」
幸田さんが呟く。瞳が潤んでいる。泣くなと言っているのに。
視線を逸らす。指を離す。立ち上がろうとする。
「待って」
腕をつかまれる。
「……」
そのまま立ち上がるわけにはいかず、もう一回しゃがみ込まざるを得ない。
「お願い……キスして……くれない?」
…………そんなこと……できるかよ。
間近に迫った彼女の顔にあらがう。
「ダメ……?」
彼女の顔が少し上向き、悲しそうな瞳がじっと見つめてくる。
えーい。こういう時、どうすりゃいいかなんて考えたことねぇぞ。
「なぜ……そんなことを言う」
疑問符なしの言葉。それだけをやっと口にする。呪縛。魅入られたように、
動けない。逃げ出せない。
「あたしのこと……嫌い……?」
嫌いも何も……そんなことは考えたこともない。
「嫌いという訳じゃないが……悪い。恋愛は、できないんだ」
そう言うしかない。キスなんて、できない。力を振り絞って、顔を背ける。
「そっか……つき合ってる人とか、いるんだ……だから……」
何を言ってやがる。
「そういう話はない。恋愛なんかできないと言っている。自分に対して許可で
きないから」
こんな最低の人間を野放しにしていいはずはない。そう、だから……
言葉を幸田さんが遮る。
「あたし、関口くんのこと、ずっと好きだったんだから……関口くん……関口
くんが、あたしのこと、どう思っててもいい。お願い。一回だけ。一回だけで
いいから」
聞いちゃいねぇ。目を伏せる。視線を逸らしながら。
「昔。好きだった子が死んだ……目の前でね」
唐突に話し始めたこちらを、何を話し出したのかというような目で見る。
「え」
「小学生の頃の話だ。事故でね。その娘の事、護ることが出来なかった」
琴。
「その時から……自分が嫌いになった。大事な物を、護ることの出来なかった
自分が」
話している。何でこんな事を。誰にも言ったことがなかったのに。
「あの時に比べりゃ、ずいぶん強くはなったけど……誰かを護れる自信なんか
無い。だから……ダメだ」
最後の一言に、少しアクセントを置く。
立ち上がる。今度は幸田さんも引き留めない。
「護ってるよ……」
幸田さんが呟く。
「え?」
今度はこっちが聞き返す番だった。
「関口くんは充分護ってるよ。少なくとも、あたしは護られてるって感じてる。
関口くんがいてくれたおかげで……ずいぶん強くなれたもの。関口くんが大丈
夫って言ってくれたおかげで……」
そんなつもりはまるで無かったんだが。
「たぶんね。あたしはこう思うんだ。関口くん、自分を嫌いになることないよ。
関口くんは関口くんなんだから。だからさ……」
幸田さんが立ち上がる。少しうつむき加減で、結んでない長い髪が顔の前に
被さってどういう目をしているのかが見えない。
「今度、女の子のキスの誘いを断るときには、もうちょっとましな言い訳を用
意してて。そしたら……納得してあげるから」
もうちょっと、ましな、理由ねぇ。
「了解」
呟くように、返事する。
それが聞こえたのか聞こえなかったのか、幸田さんが髪をかき上げる。
「父さんの前に、お香あげてくれる?」
少し元気の戻った声。
「あぁ」
そのために来たんだからな。
「ちょっとそこで待ってて。父さんに案内する前に、髪と服、直してくるから」
***
エレベーターが一階に到着した。扉が開く。
「じゃ」
そう言って、幸田さんをエレベーターの中に置いて出る。
「うん、またね」
振り返らないまま、後ろに手を振る。エレベーターのドアが閉じる音。
振り返る。エレベーターのランプが、二階から三階へと移動中を告げる。
後は、このマンションの隣の書店で、友絵が出てくるのを待っていればいい
という手はず。
エレベーター前のちょっとしたロビーになっている玄関前ホールを通過して、
分厚い一枚ガラスの扉に手をかける。自動ドアじゃない扉。
「そこのお兄さん」
人なつっこい感じの男の声。振り返る。
背後にいつの間にか立っている。今まで、ホールは無人だったのに。
丸っこい眼鏡をかけた男。肩の下までの髪を無造作に首の後ろで縛っている。
ずいぶんと優男風。身長は一八〇弱といったところか。ズボンのポケットに両
手を突っ込んだまま、人当たりのいい柔らかい笑みを浮かべている。
何者か判らずに、戸惑っているこっちに男はさらに言葉を足す。
「祀穂理・Maxwell嬢に関する情報なんて要りませんか? 祀穂理・Maxwellの契
約者さん」
祀穂理? こいつ、何者だ?
「何者?」
尋ねている。その時には既に臨戦態勢をとっている。
「君は、関口亮君ですよね。私は宇治。宇治正道というんですよ。以後、お見
知りおき願いたいものです」
表情が変わらないのが、判らない。
彼が術者ならば、目の前に張りかかっている結界の形は見えているはず。力
が注ぎ込まれれば、そのまま彼の頭を吹き飛ばす。その筈なのに。
術者ではないのか?
「なぜ、祀穂理のことを知っている? そして、なぜわざわざ教えに来る?」
罠である可能性は、思いっきり高い。が、会話を打ち切るわけにもいかない。
「さぁ、どうしてでしょうねぇ」
またこの微笑みだ。心の底からの物にしか見えない微笑み。
「ごまかすんじゃない」
思わせぶりな、はぐらかし。
この男も、ウェルバーの仲間なのか? ヴィジョンでしか見ていないマッチ
ョマンと、ウェルバー本人。あとどれだけ、連中の仲間がいるのか全く判って
いないのだ。
宇治は右手をズボンのポケットから出すと、すっと人差し指を立ててみせる。
「まず、最初の情報です。関口君は、御堂という男を知っていますかね。フル
ネームは御堂まさみち。真理と書いて〈まさみち〉と読むんですけどね」
御堂真理。記憶を辿る。なにか、チクリと引っかかってる様な気がする。
「いや、初めて聞く名前だが」
少し考えてから、かぶりを振る。少なくとも、すぐには思い出せない。
「彼こそが、祀穂理・Maxwell嬢を拉致・監禁した男です」
なっ。
絶句。どういう事だ? いきなり核心じゃねぇか。
「詳しく知りたいですよね?」
宇治のその言葉に我に返る。
「何が目的だ」
この男の行動原理が判らない。こちらに情報を提供するその意図が読めない。
「彼の目的ですか? それはですね、」
「ちょっと待て」
制止する。
「あれ? 御堂の目的を知りたくはないんですか?」
「今こっちが聞いたのは、おまえの目的だ」
こんな時、友絵がいれば。一瞬そう思ってみたが、宇治はわざわざ友絵がい
ない時を見はからって出てきたのだ。そうじゃなかったら、こんなにタイミン
グがいいはずはない。
「私の目的ですか? それは秘密です」
宇治は、立てた右の人差し指を軽く左右に振る。
もしかして、こいつ、人をバカにするために出てきたんじゃねぇのか?
こちらの怒気を感じたのか感じてないのか、右手をまたズボンのポケットに
戻すと、宇治はそのままマイペースで話し続ける。
「でも、嘘はついてませんから。もし、仮にですよ。私が私の奥さんを殺した
御堂に復讐したいなんてことを考えていて、そのために関口君たちを利用した
いから情報を提供しようかと思ったんです。てなことを言ったとしたら、関口
君は、私の言うことを信用してくれますか?」
復讐なんて単語がでてくる割には、春風のような顔と口調が変わらない。
「少なくとも、何も言わないよりは信用するだろうな」
何が言いたいんだ?
「じゃあそういう事にしておきましょう。私は、奥さんを殺された哀れな復讐
者。うんうん、なかなか悲劇的な役回りですなぁ」
ちょっと待てっ! そういう事にしておきましょう、じゃないっ!
「あのなっ!」
どんどん向こうのペースに引きずられている気がする。
「まぁ、関口君が馬鹿じゃないようなので安心しましたよ。他人を全く信用し
ないのも、無条件で信用しすぎるのも、どっちもお馬鹿な人ですからねぇ」
どういう意味だ。
「ま、関口君も私のことを少しは信用してくれたことですし、話を本題の方に
戻しましょうか」
誰が誰を信用したってんだ? 思わずそう言い返そうとして、思いとどまる。
取りあえず、話を聞く。全てはそれからだ。
「まずは、御堂の目的ですか。一言で言って、彼は、祀穂理・Maxwell嬢の身体
に死者の魂を植え付けて、支配するつもりなんですよね」
な、な、なっ!
「ちょっと待て、そんなことができるのか?」
慌てて確認している。
「それができちゃうんですよ。彼には。彼は反魂師ですから」
はんごんし? 聞き慣れない言葉。
「なんだそれは? わら半紙の親戚か?」
動揺しているらしい。莫迦な質問をしている。
「うーん、どちらかというと新聞紙の方が音的には近いですねぇ」
愚問には愚答が似合う。反省しよう。
「とにかく、その、『はんごんし』について説明しろ」
強引に話題を戻す。宇治の表情には全く変化がない。どうも、莫迦にされて
いるようにしか思えない。
「まず、漢字では絶対反対の反に、魂、それにお師匠さんの師と書くんです。
字の如く、魂を返すことの出来る方々ですよ」
魂を……
「魂?」
今さらこんな事を言ってはなんだが、魂の実在なぞ信じてはいない。
「えぇ。生命の持っている記憶、判断回路、情動回路、その他諸々の情報。そ
の集合体ワンセットのことを、私は魂と呼んでます」
判ったような判らんような説明。
「まぁ、生命なんて物は、結局は情報ですからね。生命の持っている情報を取
り出したり、複製したり、その情報で他の生命の情報を上書きしたりすること
もできますよ。で、これが出来る方々が反魂師って呼ばれてるんです。もちろ
ん、彼らにも限界はありますけどね」
いよいよなんでも有りって感じだよな。黙って次の説明を聞こうとする。
「で、御堂は……っと。どこまで話しましたか?」
実に巧みな話の腰の折り方。
「御堂が祀穂理になにかしようとしているって所までだ」
こいつと話していると疲れる。
「そうそう、そうでしたね。御堂は、祀穂理・Maxwell嬢に死者の魂を植え付け
ようとしていますが、その術、そんな簡単な術じゃないんですよ。準備だけで
六日間もかかるんです」
六日間? 祀穂理が消えてから、今日で三日。ということは、準備に後三日
はかかると言うことか。
「それに、場所も選びます。この場合、祀穂理・Maxwell嬢にかなり因縁のある
場所じゃないといけません」
この市内で、祀穂理に関係ある場所。一ヶ所しか思い付かない。
南星里公園。
「祀穂理・Maxwell嬢を助けるつもりでしたら、関口君。君にはあまり時間は残
っていません」
おそらくは、あと三日か四日というところか。
「そうだろうな」
同意の相槌。
「明日です」
へ?
「準備に六日間かかるんじゃなかったのか?」
計算が合わない。
「御堂は、最初から知っていましたからね」
最初っから……最初から?
「つまり、祀穂理が出現したときからか?」
祀穂理が降ってきたのが月曜日。今日が六日目にあたる。
思い出す。御堂。なにか引っかかっていたのだ。
『いえ、うちは御堂ですけど』
祀穂理が降ってきた晩、マクスウェル邸の元の電話番号にかけた電話。あの
時、電話口にでた男は……確かに御堂と名乗ったのだ。
あれか?
「そうなりますね」
しかし、今の力では、ウェルバーには勝てない。ましてや、御堂とウェルバ
ー、御堂と同一人物でないのなら加えてあのマッチョマン。敵の連中は更に他
にもいるかもしれない。友絵と二人で戦っても……勝てるだろうか?
「もし、明日の術を見過ごしたらどうなる?」
その術が解除できるような物なら、自分の力が充分に引き出せるようになっ
てから再戦という手が使える。
「言ったでしょう? 情報の上書きと。一旦乗っ取られて、丸一日間かけて完
全に安定化したら、祀穂理・Maxwell嬢は二度と元には戻りません」
要するに、明日中にやるしかないのか。かなり無謀っぽいが……
「判った。他に情報は?」
そう尋ねてから、いつの間にか多少なりとも気を許している自分に気がつく。
「術は、明日の昼の二時から、南星里公園でするそうですよ」
二時、ね。夜中とかでなくてまだ良かったというべきか。
で、あとは、この宇治の正体だが……
チンッ!
背後で音がする。エレベーターの到着を告げるチャイム。振り返る。友絵か?
「あれ? 亮君、ここで待っててくれたの? 先に本屋に行ってるだろうと思
ってたのに」
友絵。よし。
振り向き直す。今さっきまで、目の前にいた宇治がいなくなっている。
「……」
扉を開けて、左右を見渡す。いない。
「どうかしたの?」
友絵がエレベーターから降りてくる。
「今さっき、この辺にいた男だが」
と、宇治のいたあたりを指差す。
「え? あたしが来たときは亮君、一人だけだったわよ」
怪訝そうな顔。力の痕跡を探る。ない。
消えた……どういう手段を用いたのかは判らないが、少なくとも、マクスウ
ェルの悪魔の力ではない。
「友絵。このあたりに、術の痕跡がないか見てくれ」
不得要領な顔で友絵が少し目をつぶる。一瞬で諦めたように目を開ける。
「ダメ。ここ、うちの組織の持ち物だから、いろいろと防御の術がかかってん
のよ。少なくとも、その手の解析の専門家が見ないと。あたしじゃ無理だわ」
そうか……専門家か。そういや、組織の方から応援って頼めねぇのかな。後
で聞いてみよう。
「で、何があったの?」
友絵が訊ねてくる。
「今、ここに、変な奴が現れた。宇治と名乗る優男だ。こっちのことを知って
いて、祀穂理に関する情報を置いていった」
簡潔にまとめるとそういう事。
「詳しいことは、ここじゃなんだ。場所を変える……それに、昼飯がまだだ」
ここは、幸田さんのマンションでもあるんだから。
***
「御堂真理……そういえば、聞いたことがあるわ。反魂師の四家の一つ、御堂
家の現当主。戦後最高の反魂師、御堂春香の弟」
イタリアン・スパゲッティーを口に運びながら、友絵が感想を述べた。
「戦後最高の反魂師?」
普通は戦後とかいうと二次大戦後の事だけど。業界が業界だからな。
エビピラフを一口、口に運ぶ。結構いける。
「そ。彼女も、もう結構昔の人になっちゃったけどね。あたしの先輩に当たる
人たちと、ずいぶんひどくやり合ったって話だわ。で、真理はその弟。どっち
も、あたしが組織に入ってからは、昔話でしか聞かなくなってたんだけどね」
昔話ねぇ。オフレコな昔話ばかりなんだろう。きっと。
「そう、亮君が祀穂理ちゃんのヴィジョンで見たマッチョマンだけど、それ、
たぶん御堂真理だわ。確か、前に聞いたことがあるのよ。御堂家の姉弟は女王
様と兄貴だって」
口の中のピラフを吹き出しそうになる。
ヴィジョンの中のマッチョマン。
兄貴ねぇ……なんつうか。言い得て妙だな。
「それなら、たぶん間違いないな」
少なくとも、御堂真理とマッチョマンが同一人物だとすると、仮想敵が一人
減る事になる。
「で、どんな奴だったの、その宇治って男」
「身長は百八十程度。カジュアルスーツに丸眼鏡の変な奴だ」
そのことは言ったと思ったが。
「それはさっき聞いたわよ。あたしが聞きたいのは、亮君から見て、そいつは
信用できそうかって事」
「いや。全く」
信用するも何も。疑ってくれと言わんばかりの言動。あれほど怪しい人間も
いまい。いや、もしかして人間じゃない可能性もあるのか。
しかし、言葉の端々の符節はあっている。実際、説明も友絵に確認したとこ
ろ、ほとんど正しかった。もし、宇治の話したことが真実だとしたら……その
可能性がある限り、手をこまねいているわけにはいかない。
「なぁ、組織の方から、もう少し戦力を派遣してもらうわけには行かないのか?」
こっちの戦力がある程度確保されていれば、宇治が何を企んでいてもなんと
かなりそうな気がするのだが。
「無理ね」
即答。
「どうしてだ?」
思わず訊ね返している。
「人材不足なのよ、うちの組織。実力のある術者自体、そんなに数多くいるっ
てわけでもないし、協力だけじゃなくて構成員として働いてくれる術者は本当
に貴重なの。だいたいうちの上司だって、今は出張中で連絡不能よ。信じられ
る? そんなの、あたしみたいな平の術者の仕事なのよ」
「判った」
そう言って制止する。ほっとくと、いつまでも人材不足に関する愚痴が続き
そうだ。
「何が判ったってんのよ。だいたいねぇ……」
いかん。逆に火をつけてしまったらしい。
友絵の愚痴に適当に相槌を打ちながら、ピラフを口に運ぶ。
明日は、長い一日になりそうだ。