「りょーちゃんちって、なんか変」
自宅。二階。自室の事務机に向かって英文和訳と格闘している背中に祀穂理
の声がかかった。
「変か?」
尋ね返す。使い込んだ英和辞典、単語の下に赤線を引きながら。
「ぜんっぜん変って訳じゃないけど、ちょっとは絶対変」
和文和訳してくれ。どういう意味じゃい? いわんとすることは判らなくも
ないが。
「変かもな」
変というのは相対的なもの。一般があるから、変がある。何らかのヒストグ
ラムを取って統計処理すれば、変さの値、『変さ値』が出るのかもしれない。
そんなことを考えるのも、相対化。とりあえず相対化しておけば、自己の存
在に疑念を持っていても、何とかやっていける。絶対的なものを持ち出した瞬
間に崩壊する自我。だから、神は信じない。
自己分析。
「みんなでお食事とかしないの?」
今日の夕食の話か?
「父親は忙しい。弟は部活で今日も遅かった。母親は目下入院中」
そう言う訳で仕方ないではないか。そういえばここん所四日ほど父親と話を
していない。七時に起きて朝飯にトースト食べて、七時半には家を出ているか
ら、八時まで起きない父親とは当然会話も何もあったもんじゃない。夜は夜で
仕事がら父親の帰宅は遅い。母親の所に見舞いに言ってから帰ってくるからな
おさら遅くなる。夕食とって自室にこもりきった頃に帰ってくる。父親の帰宅
の挨拶は声だけだ。決して避けていたりするわけではないのだが。弟は、滅多
なことがない限り口をきこうともしない。反抗期とか言う奴か。今日の会話は
部活から帰った弟の、「絶対に起こすな」「あぁ」だけだった。ま、ある程度
歳喰った男兄弟なんてそんなもんじゃないのか?
「りょーちゃんちって、みんな忙しいんだ」
「そうだな」
互いに干渉し会うことを避けるために、多忙による壁をつくっているという
見方もできなくはないが。最低限の家族なのかもしれない。
「そだそだ。りょーちゃん、なんの勉強してるの?」
急に後ろから頚に両腕が回される。しがみついてる。
「受験勉強」
こら。体重を掛けるんじゃない。上半身が後ろに引っ張られる。
「英語?」
「あぁ」
肩越しに机の上を覗き込んでくる。頬に当たる髪がこそばゆい。
「なんか難しいのやってんだ」
あれ……そういえば、父親がイギリス生まれとか言ってなかったか?
「……英語、判るのか?」
「ちょっとだけ。あたし、お父さんが日本に来てから生まれた子だから」
そうなのか……
少し休憩。椅子を下げて回転させる。足を組む。
「父親の国だろ。イギリスに行った事とかは」
「ううん。祀穂理、海外にはまだ行ったことない」
ふーん。そっか。そういや、十八年以上前といや、円高の前……だよな。た
ぶん。その頃なら海外行くのも結構値が張るはずだし。
「そういや、祀穂理、母親は?」
そう、今まで一言も彼女の話の中に出てきていない。
「……」
下を向いて押し黙る。悪いことを聞いたか?
「……もういないの」
聞いたのはまずかったようだ。
「悪いことを聞いた。すまん」
謝る。無理に明るい顔をして頭を振る祀穂理。
「ううん。いーのよ。お母さん、死んだの、もー百年も前の話だし。あたしも
ほとんど憶えてないし」
なるほど、母親の顔も覚えていまい。何せ百年も前じゃ……百年? ちょっ
と待て。ってぇことは。
「祀穂理。不躾な質問で悪いが、歳、いくつだ?」
外見がこうだから九、十才ぐらいかと推定していたのだが。いや、悪魔だか
ら外見と実年齢が違うことは予想ぐらいしていたが。知っておくべき事柄の一
つだろう。
「え、この間十才になったばかりだから、あ、そっか十八年足さなくちゃなん
ないし、二十八才なのかな?」
「祀穂理、うそはやめような」
少しだけ怒りを抑えてにっこりと微笑んでみせる。
「は、ははは。ね、あたしの歳なんて、どうでもいいじゃない」
「いくつなのかな」
質問を繰り返す。もちろん笑みを絶やしたりはしない。ごまかされたりはし
ない。
「レ、レディーに歳なんてきくものじゃないわ」
「答えない場合」
どうしようかな。
「……答えない場合?」
「答えるまで何も話さない」
昼間の経験から言ってこれが一番効きそうである。
「えーっ、祀穂理、それくらい全然平気だもん」
頬をぷくっとふくらます。つついてやりたい衝動に駆られる。
「答えたくなったら答えるように。以上」
尋問になっている上に過去問解きもはかどる。一石二鳥。机に向き直る。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
今さら慌てても無駄だよ、祀穂理。
さてと、この単語は……
……………
電話のベル。無言のまま立ち上がって、階下に降りて受話器を取る。
「関口ですが」
十二時直前。こんな時間に掛けてくるたぁどこのどいつだ。
「おぅ。俺だ。遅くに悪い」
土竜……守口の声だった。
「土竜か。用は何だ」
さして思いあたらんのだが。……って、こいつ、今、東京じゃなかったか?
「今、東京なんだが……道に迷った」
……おい。
「ホテルまで帰る予定なんだが、道を調べてほしい」
…………ドアホゥが。入試の前日に何をしておるやら。
「少々待て」
こんな間抜けな電話でわざわざ調べてやるたぁ、なんてお人好しな話。
ったく。この電話機にはホールド機能なんてないので、受話器をそのまま置
いて二階に上り、東京の詳細道路地図を持ってくる。
「ね、りょーちゃん、誰からの電話?」
「悪友」
おっと、しまった。つい口をきいてしまった。
そのまま階下に降りる。
「今地図を持ってきた」
土竜のいうランドマークを元に、地図と現実とを照合する。少々暗めの廊下
の明かりの中で印刷された道筋を辿り、ホテルに着くまでたどるべき経路を指
示する。
「了解。助かったぞ」
「感謝するように」
「おう。感謝してやる」
土竜とはこういうやつだ。そして電話を切る。
地図を小脇に階段を上る。
不意に強烈な存在感を感じる。祀穂理ではない。祀穂理の気配は常にキープ
している。それに祀穂理とは全然違う雰囲気。階上。
「何者」
呟いて残りの階段を駆け上がり扉を開ける。室内にいるのは祀穂理だけ。
「どこだ?」
祀穂理が緊張した面もちで窓を指さす。南側の窓の外は、一階の屋根。
…………人間?
確かに屋根の上に人影がある。人影は結露で端が曇った窓をノックする。
「祀穂理。何者」
振り返らずに祀穂理に尋ねる。人影が再びノックする。
「あたしにも、わかんない。でも」
「でも?」
尋ね返しながら、部屋の隅に立てかけておいた木刀を取る。最近は素振りし
かしていないが……
「何かとってもいやな感じがする」
いやな感じ? それは何とも不吉な予告。
人影のノック、三度目。少々ノックが乱暴になる。
「祀穂理、後ろに」
万一の攻撃が祀穂理に直撃はしないように、祀穂理を下がらせ、その前に立
つ。黒服にやられた経験を忘れてはいない。木刀を下段に構える。強く握り締
める。上段に構えた場合、天井につっかえるから。
緊張感が徐々に……高まる。窓をぶち破ってくるか。それとも。
人影は、窓枠の方に手を伸ばす。手に持っているシルエットは、神社で神主
が御祓いの時に持っている、紙のびらびらがついた棒。何だ?
カッチャン。
音がした。窓のロックが、開いた。誰も手を触れないままに。
そして、窓が開かれる。冬の夜風が入ってくる。記憶を刺激する香水。ジー
ンズ? 手に持っているのは、やはりびらびら付き御祓い棒。(御祓い棒と当
面記そう)
人物は、少しかがむ。室内の明かりが顔を映し出す。
夕方、駅でぶつかった女性。一応友好的に見えなくもない笑み。
窓の外に向けて言う。
「窓、閉めないか? 寒いんだ」
本音だ。室内の熱が逃げていく。
「それはwelcomeと言うことなのかしら」
welcome をウェルカムと日本式に発音する。僅かに親近感。
「寒いだけだ。窓閉めて帰ってもかまわない」
「りょーちゃん?」
昨日の黒服よりもよほど人間らしい。交渉の余地がありそうな感覚。祀穂理
の言う〈いやな感じ〉も気になるが。
「OK。話し合いましょ。少年」
そう言って、女性は窓枠を乗り越えて室内に入り、サングラスを取る。Gジ
ャンの胸ポケットに入れる。
夜にサングラスね。真っ当じゃない。第一、あの濃いサングラスかけたまま
で前が見えるのか?
後ろ手に窓を閉める。柑橘系の香りがする。
「三分間を怒鳴ってた人だな」
少し驚いたように、こちらを見直す。
「なるほど。初めましてじゃぁ、ないわね。駅の少年。君が関口君ね」
こちらを見て記憶していたのか。それはお互い様だが。しかし、あの時ぶつ
かったことは偶然じゃないというわけか。
「そうだが。そちらは?」
名前を名乗らないような奴は交渉相手に値しない。黒服と同様。
「あたし? あたしは長田友絵。WHから派遣されてきたエージェント」
ふん。名乗る分、黒服軍団よりは充分マシ。しかしなんだその組織は……?
「……ダブリュエッチ?」
不得要領なこちらの顔を見て、説明する長田さん。
「業者じゃないもんね、知らないか。国際退魔協会。White Heartの略。World
Happinessの略と言う人もいるわ。一応、国際的な公的機関なのよ。退魔師と
大国、国連の一部の関係者しか知らない未公開組織だけどね」
未公開組織? 要するに調べても無駄という事か。それで信じろと?
が、彼女の言葉をとりあえずは受け入れるしか方法はない。全てが嘘である
可能性を忘れさえしなければよい。
「なるほど。で、長田さんも退魔師なのか?」
退魔師。例の黒服を操っているやつら。退魔師とかいういかにも時代がかっ
た名称から、もう少し、変な衣装とか恰好を想像していたりしたのだが。
「そうね、一応ね」
少なくとも彼女は人間。話し合える。
そしてふと気がついたように続ける。
「さん付けなんかで呼ぶ必要はないわ。友絵で良いわよ」
「了解。こちらも亮と呼んで結構」
丸め込まれてはいけないが、情報を引き出す必要がある。
一応……多少は友好的な関係に……
「退魔師! 退魔師なんか嫌いよ。絶対に許さないわ!」
駄目だな。祀穂理がいる限り、退魔師に気は許せない。祀穂理の父親を殺し
たのが退魔師である以上。祀穂理が許しはしないだろう。そして、祀穂理を傷
つけようとするのであれば、こちらも放置できはしない。
「Maxwellの悪魔のお嬢ちゃん。もう少し理性的に話し合えない?」
祀穂理……完全に激情している。
「いやよ!」
掌底を友絵に向けている。
「祀穂理!」
制止の声を上げる。このままでは、戦闘に突入してしまう。止められるのか?
「退魔師なんて……退魔師なんて……消えてなくなっちゃえ!」
何かが祀穂理の掌底から打ち出される。駄目だ。これは止められない。とば
っちりを受けないような位置に移動する。普通の攻撃ならまだしも。
友絵が、御祓い棒を軽く振る。祀穂理の攻撃が、逸れる。壁に当たる。鈍い
音。壁から粉が落ちる。
「制御が甘いわね。こんな攻撃じゃ、あたしの結界は打ち抜けない」
友絵が挑発する。まずい。祀穂理は完全に我を失っている。
「なによ!」
「祀穂理、落ちつくように」
「りょーちゃんは黙って」
聞いちゃいない。しかし、祀穂理の攻撃は全く効いていない様だし、このま
まじゃ祀穂理が焼き切れる。
「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い、だいっ嫌い!」
などとと悠長に構えている間に切れた。実年齢が何歳なのかは知らないが、
祀穂理の精神年齢は確かに十才ぐらいなんだよな。
祀穂理から、攻撃波が四方八方を経由して友絵に向かう。
友絵が、今度は御祓い棒を顔の正面に置いて、目を閉じる。何かが友絵の周
りを覆う。バリヤー? 攻撃波は、バリヤーで、弾かれる。いや、結界とか言
っていたか。攻撃波の、焦点が、定まっていない。確かにこれでは。
「何で何で? 消えちゃってよ!」
攻撃が効かないことに対する焦りが、祀穂理の声を泣き声に変えつつある。
結界に弾かれた攻撃が、部屋の中をめちゃくちゃにしつつある。
机の上の文房具類が吹っ飛ぶ。ゴミ箱がひっくり返る。そして、壁や天井に
当たった攻撃波が馬鹿でかい音を立てる。
友絵の防御能力の方が明らかに祀穂理の攻撃能力を上回っているから、そし
て、友絵が明らかに防御に徹しているのが判るから、まだそれほど危機感をお
ぼえない。しかし……
弟が起きる。このままじゃ間違いなく。
壁の向こう、弟の部屋の方に気を取られていると、祀穂理の警告が来た。
「りょーちゃん!」
何かが目の前に飛んで来ている。
木刀では間に合わない。反射的に目の前に何かを広げている。場? 吹っ飛
んできたものが、目の前で停止して、落ちる。英和辞典だった。
「祀穂理?」
今のは、祀穂理が?
「りょーちゃんの、力よ」
友絵と対峙したままで、祀穂理が答える。
自分のしたこと? 自分の身を守った力?
「へぇ、契約して一日で結界を使うなんて……なかなかやるじゃない」
友絵が賛辞だか何だか判らない一言を寄こす。結界? 今のが結界なのか?
「家族が起きる」
だから、互いに攻撃をやめろ。そう言いたかったのだが。
「安心してていいわよ、亮君。この部屋は情報結界でくるんであるわ」
なるほど、それなら安心……じゃなくて。
「なら手加減無しでいっちゃえるわね、いっくわよーっ!」
祀穂理! 家族にばれなきゃ部屋をぶっこわしてもいいって訳じゃねぇんだ
ぞ、おい。この部屋で、もう二ヶ月は生活しなきゃなんないんだ。
祀穂理が目を閉じる。何かが祀穂理の方に集中していくのが判る。いわゆる
一つの大技って奴か? 冗談じゃない。
今まで反撃らしい反撃をしてこなかった友絵が御祓い棒を鋭く祀穂理の方に
向ける。
「遅い!」
攻撃波が友絵の御祓い棒の先から出る。祀穂理が結界を張る。
「うそっ」
結界が消える。そこに第二波。
「分子結界には、情報波が効くの。憶えとくと何かとおトクよ」
祀穂理が信じられないという顔をしたまま吹っ飛ばされる。木刀を手放して、
祀穂理を後ろから抱き止める。
「りょーちゃ……」
意識を失ってもたれ掛かる。支える。
御祓い棒を下ろしてベルトに指しながら、友絵が言う。
「悪魔のお嬢さんには少し黙っていただいたわ」
祀穂理を抱え上げる。息はしている。そう言うところは人間の女の子と変わ
らない。特に外傷はない。顔色も悪くない。直に目を覚ますだろう。
「ただのショックの筈。絶対に致命傷にはなってない筈よ。かなり手加減した
んだから」
祀穂理をそっと床に下ろす。顔を上げて友絵に向き直る。
平手打ち。衝動的にしている。手加減はもちろんしている。
「なっ」
予期していた反撃の平手を左手で掴み取る。
「謝罪の言葉を聞いていないんでね。謝罪の言葉がなければ、これ以上の対話
はあり得ない」
友絵の整った顔を見下ろす。
「そうね。ちょっとやりすぎたわ。ごめんなさい」
意外に素直な言葉。つかんだ手を離す。女性を叩いたのなんて、初めてかも
しれない。
「こっちも悪かった。祀穂理の暴走を止められなかったし……さっきの平手に
関しては理性が飛んでいた」
こちらと祀穂理を交互に見やる友絵。意味ありげに微笑んで。
「ふーん。ま、これで、おあいこと言うことにしときましょ」
無論そのことに異議はない。
「了解。とりあえず、理性的な対話の時間ということにしよう」
座布団を二枚引っ張ってくる。友絵の足元と、自分の後ろに落として、その
上にあぐらをかく。友絵も、その上にあぐらをかく。後ろを振り返ってみる。
祀穂理は息を……寝息をたてている。問題はない。室内の惨状については……
とりあえず目をつぶろう。
「まずこちらから質問させてもらう。そちらの目的は?」
話を切り出す。
「調査と勧誘ね。この辺りで起こっている非科学反応を調査して、その原因を
探り、対処する。これがあたしのメインのお仕事。それからもう一つは、その
過程で発見した力ある者たち、つまりあなた達をうちのエージェントとして雇
うこと。これだけよ」
原因への対処。これが問題だな。
「つまり、こちらに危害を加える意図はない、と」
確認。
「そうね。積極的な害意は全くないわね」
積極的な害意はない。つまり、非科学現象の調査と対処に邪魔になるような
らば攻撃をためらいはしないという訳か。
「なるほど。積極的な、ね」
友絵が、見せるための笑みを返す。
「あなた達が、うちのエージェントになってくれると言うなら喜んで迎え入れ
るわ。今回の非科学現象の原因そのものがうちの管轄下にはいる訳だし」
勧誘に応じない場合に関してのことは言わない。しかし。昨日の黒服のこと
を考えれば……実力行使が来ると見ていいだろう。
背中……祀穂理の方を一旦、振り返る。
「この娘の父親は退魔師に殺された。おそらく退魔師と手を組むことはないな」
正直なところを言う。言っても害にはなるまい。それはさっきの祀穂理の切
れ方で友絵にも判っていることの筈。
「亮君は? 君はどうなの?」
こちらの心臓を指さす。
「祀穂理が承諾しない限り無理だ。なにせ保護者だからな」
要するに、祀穂理を説得して見せろということ。
「へぇ。悪魔の保護者?」
友絵の瞳に宿っているのは、……これは好奇心だな。
「彼女によると父親の生まれ変わりだそうだ。ならば当然だろう。それに」
いったん言葉を切る。
「それに?」
「約束をした。彼女を守る義務がある」
「それって、単なる責任感? それともさ、」
「子供には保護者が必要だ。そうじゃないか?」
途中で遮る。何故そこにこだわる?
「……愛よね〜〜」
あのな。そういう風にそういう事をしみじみ呟かんでもらいたい。
不本意の感情が顔に出たらしい。友絵が押し殺した笑いを漏らす。
全く。話題を変える。
「ま、それはさておき、一応聞いておこう。昨日の夕方、変な連中を送り込ん
できたのは、友絵か?」
これは訊いておく必要がある。が、黒服を送り込んだのが友絵だろうが友絵
でなかろうが違うと答えるに決まっているのだが。
「……人形? それ、あたしじゃないわ。あたしは、今日の夕方、日本支部か
ら派遣されてこっちに着いたばっかりなんだから。それにあたし、人形は使え
ないし」
まぁ、予想の範囲内の回答だな。それが真実にしろ虚言にしろ。
「で、その連中がどうしたっていうの?」
「攻撃された」
そう答えると、友絵は眉をひそめる。
「……どうしたの?」
「やられた」
やられたことは事実だ。祀穂理が撃退したことは伏せるべきか。
「その前よ。攻撃の前に何かしたんじゃないの?」
黒服……あの連中について、多少は何かを知っている?
「何も。話をしただけだ。いや、向こうが話をしただけと言った方が正確だな」
真実、何もしていないのだから。
「そう? ホントに?」
疑っている?
「あぁ。いきなりさっきのと同じ、手を触れない攻撃をしてきた」
「……」
友絵が何か考え込んでいる。沈黙。
「どうした?」
「嘘は言ってないわね。その人形たち、どう話したか、具体的におぼえてるか
しら?」
具体的と言われてもな。
「さほど正確でなくてよいなら」
一日前の会話の記憶を完全に持っている人間はさほど多くはないだろう。ま
してや、単なる訪問者への応対ならばなおさら。
やや不正確な会話の記憶を元に語る。祀穂理との契約と、その後に意識を失
ったところまで語り終えると、友絵の顔が更に真剣味を増している。
「判ったわ。ありがと。こちらも、手持ちの情報を出すわ。そうしないとフェ
アじゃない」
なるほど。何か知っていた、と。一応信頼に値するという読みは当たったか。
「専門用語の解説もつけてくれ。こっちは素人だ」
それぐらいしてもらっても罰は当たるまい。
肩をすくめる友絵。
「OK。おまけにしておくわ」
商売人かよ。まぁいい。
「了解。で?」
話を促す。
「あたしの知っている情報ね。最初から行くわ。うちの組織に非科学反応の情
報が入ったのが、昨日の午後四時ぐらい。いいかしら」
「あぁ」
ちょうど、祀穂理が降ってきた時刻。
「現地の支部……あ、うちの組織ね、人口十万以上の都市にはたいてい支部、
置いてるのよ。ここの市のは結構大きい方よ、五人もスタッフがいるんだから。
で、話を戻すと、こういう事件って、結構緊急を要する場合があるの。だから、
現地スタッフの一人が、当座の間、つまり、日本支部直属のエージェント----
要するにあたしの事ね----が到着するまでのあいだだけ、扱うことになってい
たのよ。で、彼が現場の保存のために人形を送り出していたわ。報告書ではそ
うなっている」
要するに、友絵の管轄外の所でその現地スタッフがあの黒服を使っていた、
と。それは責任逃れというものだ。国際退魔協会とやらの責任だな。
眉を上げたのを、友絵が見とがめる。
「あっ、早とちりしないでね。先に時間的経緯だけ話しちゃうから。質疑応答
はその後。いい?」
パソゲーなら、ここで、《話す》以外のコマンドを入力したら《とりあえず
今は話を聞こうぜ》とかいったメッセージが返ってくるにちがいない。
「あぁ」
続きを早いとこ言ってくれという意味を込めて頷く。
「報告書によると、その後、その人形は、音信不通になったわ」
それはそうだろう。祀穂理が消去したんだから。
「それだけじゃなくて、彼は人形のコントロールを失って、意識不明。同僚が
報告書をまとめたわ。それからその連絡が入って、あたしが一旦、日本支部に
呼び出されたのが昨夜。結構大きなヤマらしいぞってね。普通なら、現地まか
せで手に負えなくなったらなんだけど、今回は早かったわ。で、今日は午後一
のドイツ語の試験受けてから、そっこーで来たというわけ」
ドイツ語?
「あぁ。あたし、学生なの」
学生、ねぇ。ま、そんなことはどうでもいい。
「友絵の事情は判った。で、そのスタッフと人形については?」
そのことが話のメインなのではないのか?
「その前に、人形について説明する必要があるわね。あら、焦んなくてもいい
わよ。ちゃんと話すから。人形について知っていることは?」
「退魔師が操る人間じゃないもの。そのくらいだ」
知らないものを知っている振りをしても仕方あるまい。ま、もっとも、祀穂
理もそれ以上のことを知ってはいないようだったが。
「人形はね、いろんなタイプがあるのよ。使う術者にもよるんだけど、一般に
人形は、術者の完全な支配下にあるわ。つまり、術者がダイレクトに言わせた
ことしか言わない。させたいことしかしない。まさに人形よ。そこに独自行動
やら暴走とかいう言葉はないわ」
つまり、その術者がそういう事をさせたと。
「で、おかしいのはこの点。うちの組織の内規では、人間を間違っても攻撃し
ないようにするよう義務づけてるの」
内規? それが必ず守られるってわけでもないだろうに。
「彼は今まで一度も内規を破ってはいない模範的なスタッフだわ。資料による
と、だけど。それにもう一つ。彼はダメージを受けたわ」
「人形が消去されると、術者もやられるのか?」
それならば当然なのだが。しかし、こういうふうに言うということは。
「そういう事はほぼないわね。人形を使う目的は、術者本人が危険を冒すこと
なく何かが出来ると言うことなんだから……と、言うことは、人形は消滅した
のね」
そうか、そこまでは話していなかったか。
「あとから聞いた。気を失っている間に祀穂理が消去したと」
「なるほどね。符合するわね」
一人で納得するんじゃねぇ。
「どういう事だ」
「第三者よ。ここを訪問した人形の使い手は。うちのスタッフじゃないわ」
「根拠は」
自己弁護ではなくてか?
「状況証拠しかないけど。たぶん、そうよ。あたしの推測だと、そいつはうち
のスタッフの人形を上位操作したんじゃないかって思うわ。それなら、彼のや
られ方にも納得がいくもの。つまり、人形自体はいくらやられても術者にダメ
ージは行かないけど、人形をコントロールするための非科学的結線……ま、操
り糸だと思っておいて……がやられるときにはその限りじゃないから。契約が
切れている Maxwellの悪魔……祀穂理ちゃんを狙ったのね。どうやって知った
のかはわかんないけどね」
第三者の介在を示唆する状況は確かにあると言っていいんだろう。
「了解」
「納得してくれて嬉しいわ。でもね、だとすると時間がかかるのよね……」
時間?
「あぁ、あたしの仕事の話よ。他にまだ要因があるんなら、そっちの始末も付
けなきゃなんないから」
友絵は一つ伸びをする。何かモードが替わってないか? 友好的な笑みの中
に秘めた緊張感、から、人なつっこい普通の女性に。
「あ〜あ。とっとと勧誘してOK取ったら、終わりにして温泉にでも行って来
ようかと思ってたのに」
そういう話か。ま、いいけど。
「あ、そうだ、ねぇ、亮君。この辺でいい温泉ない?」
……
「あるが」
あの辺とか、その辺とか。一応知っているぐらい有名なところなら。
「んじゃ、この件終わったら教えてね」
……
「はいはい」
駄目だ。こっちのモードの友絵にはつき合ってられん。表情を引き締める。
「敵にならなかったら、な」
言葉を付け足す。友絵が何故か笑う。
「気に入ったわ。亮君。今日の所は大人しく引き上げてあ・げ・る。長丁場に
なりそうだし、こっちも誠意ってものを見せなきゃね」
友絵が立ち上がる。サングラスをかけ直す。表情が読めなくなる。
長丁場……そういえば、受験までにこの件は片づくのか?
「また電話するわ」
こういう訪問は、さすがにもうない、と。
「しなくてもかまわないが」
少しだけ皮肉を込めて。
「ばーい!」
窓から出ていこうとする友絵。
それを見送ろうとして、ふと思い出して室内を見渡す。友絵と祀穂理の戦い
の跡。ひっくり返ったゴミ箱。ひっくり返った机。倒れた本棚。散乱する書籍
小物その他諸々。これ、片さねぇと、今夜寝れん。祀穂理はまだぶっ倒れたま
まだし。
「ちょっと、待った。この惨状。元に戻して行くべきだと思わないか?」
振り返る友絵。あぁ、この表情ならサングラス越しにも読める。情けなさそ
うな顔。
「えっと……もう夜も遅いし……早めに帰りたいかな……なんて…………」
「で?」
額の汗が蛍光灯の光を反射する。
「そうね……そうそう、あたし、ぶっこわすのとか消すのとかの方が専門だか
ら……その手の力は持ってないのよね。そーゆー訳で」
逃がすか。
「人間、何のために手足がある」
「はぁ、やっぱり?」
やっと諦めたか。
「当然」
「片付けって苦手なのよね」
苦手だからって片付けないわけには行くまい。
だとすると友絵の部屋って……
時計の針が十二時を廻っているのが目に入って溜息。
過去問。今日も予定の範囲までは出来そうにない。まったくもって……