『あなたは神を信じますか?』


前編 〜ShiHoRi〜


1st. 受験生には受験生の事情がある


 ブザーが鳴った。いつもの事ながら、愛想の無い合図。
 大して広くもないスタジオの壁に、凧糸で吊り下げられている時計に視線を
送る。十二時三十六分……一分進んでやがるな。もうこんな時間だったのか。
授業が終わったようだ。
 鉛筆を握り締めたままで一つ、軽く伸びをする。
 どうしてやろうか。
 時間を確認したせいで、よけいうんざりした気分が増幅されている。
 過去問のコピーに軽くチェックを入れつつ、にらみつける。そんなこんなし
ているうちに後輩どもが来るだろうし。解きかけの大問だけ終わらせて、ひと
休みしとくべきなんだろうな。
 左手で首筋の筋肉に、軽く、打撃を入れながら、やたら長ったらしい数式の
読解作業を再開するべく、鉛筆の軸を操る右腕に力を込める。
 が、展開する暇もなく、放送室の戸が開く気配。やれやれ。もう来たのか。
 スタジオの扉を開けて首だけ出すと、相良さんだった。
「や」
 一音節。一番簡単な挨拶。
「……先輩? もしかして疲れてます?」
 疲れてるように見えるんだろうか。一応、疲れてないような振りはしてるつ
もりだが。
「かも」
 もう一回、凝りきった左肩を軽く叩く。あぁ、そうか。これが疲れているよ
うに見えるんだわな。
「で、ほかの連中は?」
 取りあえず、話題を振る。
「文系組はまだ授業終わってないみたい。カタッチだし」
 納得。片岡の世界史なのね。ムチャムチャ長いんだよな。あのセンセ。
「なる」
 ほどを省略。ま、どうせ、じき来るんだろうな。
「先輩達は?」
「土竜はまだ東京。狐は今日は自宅だそうだ」
 土竜と狐は、同学年の男どものあだ名。
「ふーん」
 相良さんがちょっとこちらを向き直る。
「で、先輩。お昼ご飯どうします?」
「考えてない」
 面倒くさいし。抜くかなと考えていたところだった。
「あ、じゃあ、あたし、一つお弁当余っていますから。食べます?」
 ん?
「いいの?」
 確かにそれは助かる。昼飯代が浮く。
「ええ」
「じゃ、有り難く」
 頂くことにしよう。そう言われてみれば腹も空いている。
 右手で軽く拝む。
 スタジオの入口の戸を開けて、スニーカーを突っかける。かかとを直す。
 相良さんは、放送室の机の上に散乱しているコードの束やら紙、その他諸々
のがらくた類を、手際よく片しだす。
 なんだろう。妙に機嫌いいよな。鼻歌?
 何となく呆気にとられているうちに、いつの間にやら古ぼけた木製の机の上
はさっぱりとして、弁当箱が二つ。普通の大きさのと、やたらちんまりしたの
とが並ぶ。
 何となく、ちんまりした方の弁当箱の前に歩を寄せている。
「先輩。そっちは、あたしの。先輩はこっちのおっきいほう食べて下さい」
「こんなにもらっていいの?」
 ま、くれるって言うのなら。
「あたし、そんなに食べれませんもん」
 ……この間、女の子連中で話していたケーキバイキング十六個の偉業達成の
話は……ま、この際不問にしとくべきだろうな。
「ほんじゃま、遠慮無く」
 普通の大きさの弁当箱の前の席に着く。
 相良さんが席について、ちょこんと可愛らしい感じで、いただきます、と言
うのを観察して、軽く手を合わせる。
「頂かせて頂く」
「どうぞ」
 花柄なんか付いている蓋を開けて中身と対面する。うむ。結構旨そうではな
いか。むう。箸が妙に小さい。
 取りあえず、露出している白米をそのまま口に運ぶ。
「旨い」
 呟く。良い米だな。冷えても旨いのは良い米なのだ。
「先輩? 誉めるんなら料理の方にして欲しいんですけど」
 取りあえず、ピーマンの肉詰めに箸を伸ばす。
「ふむ」
 咀嚼して、嚥下する。
「どうですか?」
「うむ。旨い」
 うんうん。だしが効いてる。
「良かった」
 大変よろしい。久々に日本人らしいまともな食事かも知れない。一通りの品
目に関して、おいしいですか? 旨い。のサイクルを終えて、どんどん口中に
放り込みだす。
「先輩のお母様、入院なさってるんでしょ?」
「ああ」
 また入院してもう一週間になる。ま、良くあることだし。
「食事とか、どうされてるんですか?」
 黙って自分の顔を指差す。
「先輩が?」
 何だかとても意外だと言いたげな感じのリアクション。
「コンビニで買ってくる」
 ちょっとこけた感じ。
「ま、慣れてるし」
 慣れちまってるよなぁ。こーゆー生活。
 小学校の時にじいさんが入院して。二年間かけてそれに振り回されるのがや
っと終わった(要するに成仏してしまったわけだが)と思ったら。ばあさんが
倒れて。で、そのうちにかあさんまでが身体をおかしくしちまって。高校入っ
てからこの三年弱、家族の誰かが入院していなかった期間って半年ほどしかな
い。そういう自分だって、ぶっ倒れて一回入院してるし。ろくなもんじゃねえ
よな。
 箸を握ったままの右手の人差し指の背で顎を掻く。
「先輩、大学は京都受けるんでしたよね」
「ま、ね」
 正直、話題が変わって少し安堵する。あまり家族のことは話したくはない。
「私立は受けないんですか?」
「受けない。うち金ないし」
 ま、志望が医学部じゃなきゃ、ね。私立でもかまわんのかもしれんけど。同
学年の連中がみんな私大を受けに行っているこの季節、おかげでゆっくりと本
命の過去問解きに励めるって訳だ。
「大変ですよね。これから受験って時に」
 一瞬話題の繋がりを読み損なって戸惑う。あぁ、入院のことか。
「んなことも無いけどね」
 うんざりしてることは確かだし、大学の選択に地元を入れなかったのは、実
家から離れたいという欲求が影響したことも確かだ。もっとも、京都を受ける
のは前期のみ。落ちたら、後期は地元を受けることになっている。この辺が親
の陰謀でもあるのだが。だから、取りあえず前期で受かっとく必要がある。
「あ、ごちそうさま」
 目の前の容器はすっきりと空になっていた。腹も、くちくなっている。
「え? もう食べ終わっちゃったんですか? もう、ちゃんと噛んで食べない
と消化に悪いんですよ」
 そうは言われても。食べ終わってしまった物は仕方あるまい。
「そんな風に困った顔しないで下さい」
 そう文句を付けながら、相良さんの手はちゃきちゃきと空容器を仕舞いだし
ている。
 何とも返事のしようもなく、生返事。
「そういや、連中、遅いな」
 話題の転換のつもりで持ち出す。もう一時すぎだというに。文系の女の子二
人が来ない。いつもなら、いまごろ相良さんと三人で、男には踏み込めない亜
空間を作っているのだが。
「そうですね」
 何となく、心がここにないような、相良さん。何かあったのか? 箸を口に
運ぶ動作も緩慢なような気がするし。
「で、先輩」
 と、相良さんの顔に見入って、唐突に視線の圧力を感じる。箸を完全に弁当
箱の上に置いて、姿勢を正している。
「ん?」
「もうしばらく、お母様、入院なさっているんですか?」
 な、なんか迫力あるような気がするのは気のせいだろうか?
「まぁ、いつものごとくだからな……一ヶ月はかかるだろうし」
「じゃあ、お弁当、いりますか?」
 意味もなく、首筋をぽりぽりと掻いてみたりする。
 …………リアクションが。どう取ればいいのだろうか。
 首筋を掻きながら、秒針が半回転するのを思わずじっと観察してしまってい
たりする。
「いるんですか? いらないんですか? はっきりして下さい」
 いい加減いらだったような声に回答を迫られる。
「んーっと。どういう意味だ?」
 取りあえず、本当にどういう意味なんだ?
「先輩、本当にここんところ顔色悪いんだから。お昼ご飯ぐらいちゃんと食べ
るようにしなくちゃ駄目だっていうの!」
 うーむ。
「少々悪いような気が」
「いいんです!」
 台詞が途中でふんだくられる。
 むむむ。ならまあ、断る理由はないよな。
「なら……お願いしようか。弁当代、払うし」
「いいですよ、そんなの。どうせついでなんですから」
「あれ? そんなにたくさん弁当作ってたっけ?」
 しまった。こんな所に突っ込みを入れるつもりはなかったのに。
「いや、あの……あたしの分……だけですけど」
「じゃ、まずいな。どう見てもこっちの分が材料の七〇%以上占めてる。やっ
ぱり、払う」
 ま、それが道理というもんでしょう。いくらなんでもそこまで甘えるわけに
もいかないわな。
「……いいわよ、もう」
「じゃ、取りあえず、今日の分」
 財布を取り出す。ペンギンの柄が十八にもなって恥ずかしいというヤツだが、
壊れてもいない以上買い換えるわけにもいかない。
 五百円玉。机の上にパチンと音を立てて置く。
「ほい」
 ちょっと逡巡した手が、それを取り上げる。ふと時計を見てしまう。
「五限目は?」
「え? えと、体育、ですけど」
「間に合うの?」
 時計を指差してみせる。時刻は現在を持って一時二十分。五限目の開始まで
後五分しかない。すなわち、着替えとかその辺の時間を考慮すると、急がなけ
れば間に合わない、というヤツだ。
「え、やだ。いっけない!」
 流石にまずいんでは無かろうか。一応女の子なわけだし、そういう風にスカ
ートを翻して走っては。
 そんな感想をぼんやりと考えているうちに、相良さんは去る。スタジオに入
って、過去問の続きでもするとしよう。

        ***

 水を含んだ汚い雪の上にゴム長を降ろす度にジャリジャリと音がする。点滅
が既に始まっている歩行者用信号に、諦めに似た視線を送る。走らなきゃ間に
合わないが、そんな事に体力を使う意義が感じられないから。
 そうこうしているうちに信号は赤に。歩は横断歩道の前に。
 赤い色から目をそらすように、空を見上げる。頭上の視界に入るこちら側の
歩行者信号。当然赤い。空は青い。珍しく、気温も高い。足下はおかげでどろ
どろだ。
「あれ? こっちなんだ」
 女性の声。一応、振り返る。幸田さん。確かクラスメイトだ。
 鞄で塞がっていない右手で額を軽く掻く。ああとも、うむともつかない音声
でこたえる。
 車道脇の雪の壁に開いた細い通路に、明るいオレンジのスノトレが、黒いゴ
ム長の横に並ぶ。
「へぇ。知らなかった。どの辺?」
 住所を聞いているということに気付くのに数瞬を要する。
「元中川」
「あれ? じゃあ、もしかして中川小?」
「だけど」
 何を聞くつもりだ? こいつ。
「そうなんだ。あたし、中川南小だったのよ」
「へぇ」
 真横の車道。黄信号が点灯する。信号がなかなか変わらない。
「ねぇ、そういえばさぁ」
「ん」
「医学部志望だったよね」
「ん」
「どこ受けるの?」
 車がエンジンを吹かす音。紛れるようにごまかす。
「ん。信号」
 歩を出す。女性には、少々辛い歩速の筈だから。ゆるめない。
「授業出てないでしょ、いつも。どこ行ってるの?」
「放送室」
 視界から遅れる。少し早足の気配。
 わずかに足元をすくう柔らかい雪。踏みしめるように、足跡を付けながら、
大股に歩く。
「ちょっと、少しゆっくり歩けない?」
「ん……」
 うむ。合わせて歩く気がないんだからしかたないではないか。
「ちょっと!」
 強い口調。
 提げていた鞄を肩に引っ張りあげて歩速をさらに上げる。
「もう! 無視しないでよ」
 あいにく、歩道の雪が解けきっている。走ることも可能な路面。幸田さんは、
小走りで前へと回り込む。回避失敗。歩道の狭さが敗因だな。
 幸田さんに触れないためには歩調を弛めざるをえない。仕方ないではないか。
 速度を上げていたせいで、すぐに横断歩道の次の信号に引っかかってしまう。
立ち止まらざるをえない。敗北に次ぐ敗北。
「んで?」
 一応、訊く。無条件降伏、といった所か。
「方向同じなんだから、いいじゃない」
 機嫌が直っているのか? 前髪を軽く梳き上げる。
「わーた」
 幸田さんが肩を竦める。
「そ。最初っからそういう風に素直になればいいのよ」
 何が素直だ。何が。
 心の中で、眉根を揉む。
 前の信号は変わっていない。が、車の流れが完全に途切れる。
 幸田さんが、そのまま前に一歩を踏み出す。仕方ないので、そのまま信号無
視をする。
「んで、ねぇ。どこ受けんの?」
 またこの話題になるのか。
「京都」
 少し驚いたように、目を見開く幸田さん。
「ぶち抜いちゃうの?」
 あんまり話したくはないんだがな。
「いや……」
 その返事に顔を寄せてくる。少し背を反らせて避ける。
「後期は金沢」
 かわしながら、少し足を早める。金沢は、親との妥協。親の意図は判ってい
る。この北陸の地から出さないつもりなのだ。
 そんな事が判っているだけに……この話には触れたくない。
「ったく……三年間同じクラスだったのに」
「ん?」
 何を言ってるんだ? 話のつながりが読めなくて戸惑う。
 追いついてきて、笑みを作る。
「あのね。あたしも医学部、受けんだ。知ってた?」
「そなの?」
「一応ね、金沢でぶち抜くつもりなんだ」
「そか」
 少し笑みをひきつらせたような感じがする。
「後期の方だったら、あと六年一緒なんだけどね」
「そっちが受かったら、だろ」
 しまった。少々言い過ぎた。笑みが完全にひきつるのが判る。
「ちょっと!」
 交差点。左足を軸に直角に曲がる。
「ちょっと! どっち行くのよ!」
「古本屋。んじゃ」
 足早に、古本屋の狭い店内に潜り込む。流石に着いては来ない。波風立てち
まったか。ま、どーでもいーや。

        ***

 一週間の間を置いたにも関わらず、収穫は少なかった。
 二冊の文庫本と一冊のノヴェルズを包む紙袋、あと少々の自責の念を手に、
所々突っかかりながらぎこちなく動く自動ドアが開くのを待ちきれない。靴の
サイドでドアを蹴りつけるようにして一歩踏み出す。
「ん」
 ドアの脇に待っていたのか。幸田さん。表情が硬い。硬直した雰囲気をごま
かすように、手にした本を学生鞄の中に突っ込む。歩き出すと、黙って後ろか
ら着いてくる。いつもはかなり騒がしい女だから実際、かなり不気味だ。
「んっとだ」
 やっぱりさっきのあれだよなぁ。
「受かれるといいよな」
 こんなもんでも一応フォローになっただろうか。えぇい、うっとうしい。実
に……実に、人間てぇのはやっかいなもんだ。
「そりゃ、関口君は天才だからさ……」
 天才? 自分がたとえ何であろうとも、天才であるということだけはない。
それだけは我慢できない。そんなふうに言われることだけは。反射的に嫌な顔
をしてしまうのを隠すのに前髪を掻き上げる。
「前期で受かっちゃうつもりなんでしょうけどさ」
 そりゃ、前期で受からなかったら困るから。
「前期のが、楽だ」
「そっか、人数多いしね」
 そういう意味じゃないんだがね。まぁいい。訂正するのもめんどいし。それ
に、そんなことを言い出したら全て説明しなくてはならなくなる。
 星里町の交差点、歩行者信号が点滅しているのが見える。路面は乾いている
し。いけるよな。
「信号。突っ切る」
 幸田さんの手から、鞄を引ったくる。
「え? ちょっと?」
 大地を蹴る。鞄を二つ抱えた左手を肩に付ける。速度を上げて一気に交差点
内に進入する。後ろを振り返ると、幸田さんが追いついてくるのが見える。充
分。彼女も渡りきれる。
「何よ、もう、いきなり、」
 渡りきったところで息を整えながら。
「鞄」
 彼女の鞄を突き出す。幸田さんが引ったくる。
「渡り切れただろ」
 幸田さんの溜息。軽く顳かみに手を当てて。
「ま、いいわ。また明日ね」
 ため息混じりのような声で。
 そう言い残すなり、小路に入っていく。
 振り返って。
「あたしんち、こっちなんだ」
「そか。んじゃ」
 そのまま直進。歩道を進む。十三分に進んだところ……彼女には絶対聞こえ
ないところで吐息。
 ったく、くでもねぇ。んっとに、くでもねぇ。
 どうせ帰ったところで、すぐに自分の分の夕飯の買い出しに出なきゃならね
ぇし。親父さまの帰宅はどうせ十一時過ぎだし。
 軽く舌打ち。んっとに、くでもねぇことばっかだ。先の歩道が三メートルば
かし、完全に冠水していやがる。
 公園の中突っ切った方が近道だよな。冬の公園はどうせ誰もいないだろうし。
 ちょうど南星里公園駐車場と大書された看板を掠るように、一台も車のいな
い駐車場に侵入する。斜めに突っ切って常緑樹の隙間から直接遊歩道に出る。
 空は青い。クソったれなほど。天に向かって唾したくなるほど。色タイルの
敷き詰められた遊歩道の所々に小汚い雪の固まりがあって。枯れきった木を避
けながら、最短経路っぽい道を歩く。
 何というか、何かに苛ついている自分自身に対して、さらに苛つくものを感
じて、雪の固まりに思いっきり足形をつける。足首を捻る。踏みにじる。雪の
底から、枯れ枝が覗く。爪先で蹴る。掘り出す。
 ……無意味だ。んっとに、最近、ろくなことしとらんよな、ったく。莫迦莫
迦しい。
 鞄を肩にかつぎ直す。遊歩道の脇は、土がぬかるんでいる。汚れた靴先を雪
で拭う。
 向こう側の見えないカーブを曲がりきると、雪の固まりの上に黒いぼろ切れ
が落ちている。
 現実に存在している事象としては、自己の存在もこの黒いぼろ切れも何もか
も、等価で……
 そこまで考えて歩を停める。
 背中が濡れている。汗が、流れているから。
 オーバーの袖口で額を拭う。
 異常な、熱がある。それは体の中ではなく外に。
 何かが起こっていることは確実で、そしてそれは危険かもしれない。
「危険」
 その可能性を知識の集合体からの警告は告げている。しかし、欠如している
現実感。クソくだらない小説の読みすぎか。身体が、動かない。本能は反応し
ていない。
 むき出しの顔面の皮膚が熱にひりつく。温度は上昇し続けている。
 太股とズボンの隙間を汗が流れ落ちていく不快感。
 空中の……虚空の一点から。視線が動かせない。捕らわれている。
 なにかがあらわれる……甦る。
 なぜか確信がある。だから動けない。だから目がはなせない。
 だから……
 熱の中心、光があらわれて。
 そしてあらわれる。
 光の中の陰。それは見る間に光を吸い込んで、逆光の中、膨らんで増殖する。
 ニンゲン? いや、尻尾? 
 輪郭が定まらないそれは、子供ほどの大きさで安定する。
 何もなかったかのように世界は安定する。背中に貼り付いているシャツの感
触を除いて。
 そしてピントが合う。思わず口走っている。
「琴?」
 琴だった。何の考えもなく、歩み寄っている。
 琴はゆっくりとまぶたを開き……こちらを見て、呟いた。
「おとう……さ……ん」
 そして、笑み。それだけを残して琴はゆっくりと腕の中に崩れ落ちた。
 支える。余りにも、軽かった。



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