| ホール−岡路工房−岡路庵-TRPGの弊害 |
|---|
TRPGは楽しい遊びです。同好の志と卓を囲み、現実的では無い世界で冒険をする仮想体験を愉しむ遊戯です。 しかし、TRPGを行ったことにより、心的外傷を抱えるほどの不快な体験をしてしまった、という方の経験談がよく耳にされます。
何故か。
それは、「悪性のオタク」が、ゲーマーには多いからです。
一般的な性格の方々と遊んでいるならば、特に問題が起きることは無いのですが...
心無い人物というのは、ゲーマーに限らず存在します。相手の心情を酌まない(酌めない)人、服装に頓着しない人、極端に利己的な人... 要は、「社交性の無い人」です。
TRPGのコンベンションに行くと、そういった人物に会う確率が、他のイベントで出会うよりもかなり高くなっています。
コミケも同じ傾向にあります。両者の共通項としては、双方とも夢見がちで足元の見えない人たちが主な構成員だから、というのが最も簡潔な理由になるのでしょうが、ゲーマーにおいては、それとは異なる理由が「悪性のオタク」が増えるのを助長しているように思えます。
TRPGは参加者が想像する空間を共有し、その場所での活劇を愉しむ遊戯です。
共通認識の存在が前提になっているのですから、参加者同士の交流が必要不可欠であり、結果的にゲーマーの交流能力は鍛えられているように考えられます。
しかし、事実は異なっている。
何故でしょうか?
それは、寧ろ個人の交流能力を劣化させるようなことが、TRPGの現場では行われているからだ、とEL。は考えます。
最近の主流は「参加者全員で、一本のカッコイイ物語を編み出す」タイプのTRPGです。主にF.E.A.R.が提唱している流れですが、この方式こそが、ゲーマーの質の劣化を招いています。参加者全員で一つのものを生み出す、という姿勢は良いのですが、物語性を重視することにより、参加者が、他の参加者の意見よりも、物語造りを優先させているというのが、その理由です。
つまり、参加者たちは、相手との交流ではなく、自分の考える「カッコイイ」物語をつくることに専念しているために、交流能力の劣化を招く結果になっているのです。
こういった遊び方をしている人たちは、自分の空想を形にすることに情熱を傾けますが、他人の視線や意見を気にすることが無く、結果的に、現実では確実に排斥される類の変人や奇行を演じ、その存在を強制的に周囲に認めさせようとします。また、本来それを制御するべき他の参加者たちも、ゲームの目的である「カッコイイ物語をつくる」ことを優先するがために、その存在を認めてしまっています。
たまに奇行を演じるくらいならばまだ問題は少ないのですが、ここで一番の問題は、周囲に奇行が認められてしまっていることが日常化していることです。
認められることにより、本人は「これは許される行為なのだ」と考え、更に悪質な行動に及んでしまうのです。
TRPGが健全な交流能力の発育に悪影響を及ぼす切欠は、他の点にも見られます。
D&Dには、「コーラー」という役職がありました。これは、DMに話し掛けることのできるプレーヤーを限定する機能です。言い換えるならば、コーラーという機能があることにより、他のプレーヤーはDMと直接会話することを制限されていました。
しかし、現在のTRPGシステムのほぼ全ては、この機能を所有していません。必要ない、と判断されたためなのでしょうが、
この「コーラー」という機能により、D&Dでは、プレーヤー間の交流が促進されていました。誰かが意見を言えば、DMが結果を物語る前に、他の参加者が出された意見に対しさまざまな評価を下す、ということが行われていたのです。
コーラーが廃止されたシステムでは、プレーヤーは直接GMから、自分の欲しい情報を引き出せるようになりました。それにより、行動に結果が与えられる、という単純な構図が繰り返されるようになり、自分の取った行動を評価すしてくれる他者、という存在が希薄になってしまっているのです。
自分の行動が果たして周囲にとって不快なものだったのか否か、その評価が充分に下されないままにゲームが進行してしまうことにより、ゲーマーの社交性の促進が阻害されてしまっているのです。
また、現状のTRPGシステムは、とりあえずゲームができれば良い、新しいシステム=目新しいシステム、という段階に留まっており、参加者の社交性の教育まで考えているシステムというのはありません。遊びの手段を提供しているだけなのだから、当然といえば当然なのですが。
しかし、ある人物が起こした行動を解決するための判定方法、というものこそ全てのゲームシステムは備えていますが、仲間を援護するためのルール、一丸となって事に当たるためのルールといった、参加者同士の交流を促すルールを備えているものとなると、数えるほどしかなくなってしまいます。
また、昔のゲームでは参加者が演じる個々のキャラクターには、それぞれ他者によって補われるべき明らかな弱点がありましたが、最近では、万能型のキャラクターを参加者が容易に演じられるシステムが増えています。
これは、参加者の独立行動、つまり孤立化を助長しているも同じです。
更に、プレイヤーフレンドリーな演出という業界の風潮により、参加者が失敗した自分の行動を悔いる機会が少なくなっており、失敗を糧により良い行動を行う、という努力が行われることが少なくなっています。
こういった事柄によって、TRPGで遊んでいるゲーマーの交流能力は劣化し、「悪性のオタク」が量産される事態に陥っているのだとEL。は思うのです。
では、どうすればよいのか?
先の文章で欠点を挙げたことにより、幾つかの解決方法の展望は見えています。
まず、物語性偏重による、自己完結的なロールプレイから脱却する必要があります。
ではどんなことをすればよいのか? 皆さんは会話をするとき、どんなことに気をつけているでしょうか? 会話は「言葉のキャッチボール」とよく言い換えられますが、つまるところ、球(ロールプレイ)を、一緒に遊んでいる相手に向けてちゃんと投げればよい訳です。
それができない人が、ゲーマーには(わしも含めてな)大勢いるのですが、ちゃんと投げる相手が居ること、そして相手もボールを投げ返してくることを理解していれば、おのずと会話もかわってくることでしょう。
また、こういった人たちは、交流不全という名前の病気に冒されているのと同じです。相手の球が大暴投であるのを承知していても、嫌気をがまんして、それを取りに行ってあげる努力を、周囲もしてあげる必要があると思います。周りに球を投げる相手が居ることを、相手に分からせてあげる必要があるのです。
コーラーという役割が消えたことにより、参加者間の交流機会が減少している、と述べたのだから、コーラーを再設置すれば、単純に交流機会が増すと考えられます。
ただし、コーラーは「それじゃぁ私たちはこうするよ」と、パーティーが常に一体となっているゲームでは大いに有効な役割ですが、シーン制を採用しているような、参加者が肩を並べることが少ないゲームでは役をなしません。そういったゲームでは、参加者間の交流を促すルールとしては、とにかくプレイヤーがGMに直接質問する機会を少なくする、というコーラーという機能が果たしている役目を、別のルールによって定める必要があるでしょう。(じゃぁどんなルール使うんかー、とは今は聞かないでくれ)
三つ目に挙げた欠点は、単純に多くのゲームシステムが抱えている欠陥を指摘しただけのことです。ロングアクションや支援ルールを備えているゲームシステムをお手本に、普段貴方方が使用されているゲームシステムにハウスルールを付け加えるだけで、事は済むでしょう。
悪性のオタクから脱却するための方法としては、他にも身形に気を配ることであったり、思いやりを持つことであったりと色々ありますが、こういったことについては、ここでは語らずにおきましょう(本家のTRPG改善掲示板も参照してください)
とりあえず、TRPGを遊ぶことに由来する「悪性のオタク」が増殖している理由と、その改善案について、こちらでは語ってみました。
これを読まれた方には反論異論数多くあるでしょうが、そういった意見をお持ちの方は、是非うちの喫談話室やTRPG改善委員会などの掲示板、また所有されている自分のサイトなどの場所で意見を提示していただけるよう、お願い申し上げます。
| ホール−岡路工房−岡路庵-TRPGの弊害 |
|---|