視界の隅を桃色が過った。
正体を確かめ首を巡らすと、眼下に桃色の羊の群が現れる。
いや、羊ではない。空一面を羊雲が覆っているせいでそのような錯覚を覚えたのだ。とはいえ羊雲の影が地上を覆っているという訳ではない。私の視界を掠めたのは、海岸から続く桜並木から、潮風に吹かれて舞ってきた花弁だったのだ。
満開に咲いた桜の木は、上から眺めると羊の綿毛を連想してしまう。何故羊なのだろう? ふとそのような疑問が浮かんだが、手に届く限りの記憶の引き出しを漁ってみても、その答えは見つからなかった。
まぁ、直感とはそういうものだ。突然湧いて出た思考の源泉を探るなど、足元の小石がどこから転がってきたのかを探すようなものだ。探ったところで答えが出てくるわけはない。
潮風がこちらに向かってきていた。桜の上を風足が撫でているのが見える。その様子が羊がばたばたと順番に倒れている様子に見え、私はつい、軽く吹き出してしまった。
「仁科中尉、どこを見ている? ちゃんと試合に目を向けていろ」
原教官の声が飛んだ。私は慌ててクリップボードを持ち直し、頭の向きを戻す。
顔を上げたとき、並木の上を近づいていた潮風がこの演習場を通り過ぎていった。テント下の下士官たちが、飛んでいきそうになった資料の類を押さえ、風に向かって悪態をついている。私はといえば、風の残していった桜の花弁が雪のように舞い降りているのをうっとりと眺めていた。
「仁科、おまえの気持ちもわからんでは無いがなぁ、これも仕事だぞ。鉛筆を動かせ」
心ここにあらず、といった顔つきをしていたのだろう。私の横顔を見ながら再度教官が注意してきた。それから彼は下士官に合図してマイクを用意させ、それに向かい吠え立てた。
「倉本ぉ! いつまでのらりくらりやってる気だぁ! 一度くらい沖機に攻撃を当ててみろ!」
キィィン、とハウリングが起こり、運悪くスピーカーの近くに立っていた数人がびくりと身を竦めた。
不機嫌そうな表情のままこちらを伺った教官の視線に私も肩を竦め、クリップボードに挟んであるチェックシートにざっと目を通す。それから、観察対象に向け顔を上げた。
野球のグラウンドが4つほど造れそうな広い演習場の中心は、今2つの鉄塊に占領されていた。潮風が収まるとともに、嗅ぎ慣れた焼けた油と鉄屑の匂いが再び鼻腔を刺激し、金属の摩擦音が耳を痛めつける。
鉄塊は巨人の形をしていた。人、と言うにはやや四肢のバランスが悪く不恰好であると言えたが、防御力を重視した、流線型の鉄板に覆われた姿は、鎧を纏った古代の神々のように雄々しく直立している。
二体の巨像はそれぞれ右手に赤いスポンジで包まれた棍棒を持ち対峙している。大きなモーター音が上がるとともに片方が動き、巨体に似合わぬ俊敏な動作で棍棒を相手に叩きつけた。だが、襲われた方も素早くその動きに対処し、足を捌いて攻撃をかわしてみせる。
かわした足が私たちのすぐ近くの地面を擦り、大量の砂埃を上げた。腕を上げて目や口を庇いながら、一同から次々と罵声が飛ぶ。私も上着で頭を庇い、もっと遠くで戦え、と機体の搭乗者に向けて声を上げた。
「す、すみません!」
巨像の頭がこちらを向き、外部スピーカーを通して気弱な答えが帰ってくる。軍人らしからぬその態度に、どっと一同の腰がくだけた。
「倉本ぉ! 余所見してんな!」
攻撃をかわされた側の機体が大きなモーター音を立てて体を捻った。同時に棍棒を横に薙ぐが、これもバックステップでかわされてしまう。スポンジから赤インクが滲み出し、倉本機の腹部に銀河のような模様をつくった。良く見れば倉本機の胴体にはそこら中に似たような染みがあるが、対する機体には、どこにもそのような染みがついていない。大振りした機体が姿勢を崩し、姿勢制御の為に一時動きを止めた。
「倉本、攻撃しろ!」
だが、倉本機は躊躇うように踏鞴を踏む。じれったそうに教官がもう一度叫ぼうとしたとき、ようやく機体が前進した。
しかしその頃には対戦機は姿勢を整えてしまっている。倉本機の棍棒を易々と片腕で弾き、返す勢いで攻め立てる。
決まったか?! 皆が息を呑む。が、棍棒は空を切った。倉本機は半身になり、すれすれの所で相手の攻撃を逃れたのだ。
ため息が漏れる。同時にけたましくベルが鳴らされた。
「試合終了ー!!」
時計係が宣言し、二機はそれぞれの表情を行動で表し、試合開始位置に戻った。一礼して形ばかり相手の健闘を称えると、整備の為にガレージへと向かう。それを私は追いかけた。後ろで教官が記録係に声をかけているのが聞こえる。あれほど声を嗄らして怒鳴っていた割に平静な態度をしていたのが気を引いたが、時間も追っていたので、近くにいた下士官に先の戦闘の評価を私の基準で記録した紙を渡す。
岩壁をくりぬいて造営されたガレージの入り口に差し掛かった辺りで、後ろから誰かが私を呼んだ。
「仁科中尉!」
振り返ると、赤毛の同僚が頬を赤く染め、小走りに駆け寄ってくるのが見えた。立ち止まって彼女を待っていると、数歩置いて彼女は立ち止まり、暫くの間息を整えてから敬礼する。
「中尉、今日は負けませんよ。必殺技を考えてきましたからね!」
「佐伯、必殺技はいいけど、また転ぶなよ」
ぐっと彼女が息を詰まらせる。軽い声で笑うと、彼女は色々と自分の転倒回数が多いことの言い訳を始めた。笑いたいのをかみ殺しながらそれを聞きつつ、私はガレージの、人間用の出入り口を潜った。
光量の差に目が慣れるまでの間に、誰かがぶつかってきた。悪態をつきよろけながら相手を見ると、先ほどまで機上にあった人物の片方が同じようによろけている。
「す、すみませんでした!」
相手は、倉本少尉は私を見て姿勢を正すなり、突然謝りだした。私は思わず背後の佐伯少尉と視線を交わし、何事かと瞬きする。
「何が?」
思わず威厳もへったくれもない口調で聞いてしまった。一度咳きをして言い直そうとしたところ、倉本は下げた頭を更に落とし、しどろもどろに声を出す。
「その、先ほどは、僕... 小官の至らない操縦により、方々に危険な思いをさせてしまって、その...」
私は思わず宙を仰ぐ。よくこんな男が軍人をしているものだ。しかも唯の兵卒では無いのだ。
「倉ぁ、あんなん、佐伯のいつもの操縦に比べれば大したこたぁねぇって。気にすんなよ」
上から声が降ってきた。宙を仰いだついでにそちらを向くと、先ほどの試合で倉本と戦っていた人物が、操縦席から梯子を伝って降りてくるところだった。彼は整備員に軽い挨拶をして機体を降り、床に降り立つと、形ばかりは立派な敬礼を私に向けた。
「仁科中尉、佐伯の保険は確認しましたか?」
前回佐伯と模擬戦闘を行った際に、佐伯の転倒に巻き込まれて擦り傷を負ったことを揶揄しての台詞だった。おいおい、と私は彼の軽口を嗜める。佐伯はというと最初は意味がつかめずきょとんとしていたが、私たちの様子を見比べ、ようやく揶揄を理解するなり彼に掴みかかった。
「沖、さてはてめぇだな? 模擬戦ごとにオレが転ぶかって賭けの胴元やってるのは!」
「そんなことしてねぇよ! おれがしてるのは、おまえが何回転ぶかって賭けだ。
うわっ! 佐伯、佐伯、上官の前、前!」
構わず佐伯は沖の横っ面を殴り飛ばし、顔を上気させたまま「失礼しました!」と元気良く向き直って私に敬礼した。殴られた沖は死んだように床の上で伸びているが、まぁあいつのことだから演技も入っているだろう。放っておくことにする。
この顛末を腰の引いた態度で見ていた倉本の肩に私は手を置き、お前は佐伯の爪の垢を少し貰っておいた方がいいと話し掛けた。そして真面目な調子で頷く倉本の頭を、冗談だ、と言ってぽんとはたいた。
佐伯、倉本、沖、そして私こと仁科の四人は、この春、ここ陸軍八塩島演習場に転属になったばかりのパイロットだ。
四人とも士官学校を卒業してから大分経験をつんではいるが、まだ若く階級も高くは無い。だが、私たちは今年、まったく新しい概念の元に開発設計された、まったく新しい戦闘車輌のテストパイロットに任命され、この地にやってきている。
そのまったく新しい戦闘車両というのが、今このガレージに収められ、我々を睥睨している鉄の巨像たちであった。
彼らは四肢を活用することによる戦場での汎用的な運営を目的として設計された、二足歩行機械である。他国から計画の真相を隠蔽する目的で「戦車」と分類付けられているが、実際の話、最近市場に出回りだしている歩行機関を有した重機の設計理論を基盤に置いているため、他の国でも開発が進められているだろうと推測されている次世代戦闘機械だ。
人型に似せて造形されているため、直立歩行により戦場を選ばなくなったこと、手を有することにより、作業用の機械としても使用が可能なことなどの利点をこの機械は有している。だが逆に耐弾性能は戦車に劣り、コストも掛かる品物になっているが、平時においては十分相手陣営を威圧する兵器たりえる上に、弾を吐くしか能が無い戦車よりも遥かに使い道がある有用な汎用兵器だ。
鉛色の胴体を見上げ、私は10メートルにもなる巨体が放つ威圧感に身を震わせた。人型の兵器などとはまるで漫画か何かのようだが、実際にこうして見上げていると、背筋を冷たいものが走り抜けるのを感じる。平時のデモ鎮圧などにこれが投入されることになれば、その効果は期待以上のものになることが予想される。
いや
人は、神に似せて造られたという。ならばこれは、人が巨神に似せて造ったものなのではないか?
見上げる私が感じているのは、ただ大きな無機質の塊を前にしているだけでは説明のつかない、畏れだ。そして、その畏れは私と一体になる。
操縦席に座った私は、いつもこみあがってくる宗教的な匂いすら感じる快感に身を震わせていた。他の三人も、この感じを抱いているのだろうか?
整備士がハッチを閉めると、私は同じく機体に乗り込んでいるはずの佐伯を探し外視カメラを動かした。残念ながら佐伯の乗り込んだ機体のハッチも既に閉められ、彼女の姿を見ることはできなかったが、彼女の機体の頭部も、今私の機体の頭部が彼女の方を向いているように、こちらに向かって傾いている。会釈するように佐伯機の腕が持ち上げられた。マイクが整備士たちの声が飛び交う中沸き起こった激しいモーター音を拾う。そして佐伯機の発進を促す声が響く。
佐伯機の頭部が了解の証に上下に動き、彼女は前進を開始した。
ガレージの出口をくぐる機体の姿を追っていると、二階の整備室の窓越しに沖と倉本が手を振っているのがサイドモニタに映った。沖が彼の手元のマイクを指す動作をしている。私は彼の意を汲み取り、外線のスイッチを入れる。聞きなれた彼の声が操縦室の中に飛び込んできた。
「よう、仁科。調子はどうだ?」
「佐伯、私は上官だぞ?」
苦笑まじりに言うが、彼は口調を改めようとはしない。四人の中で、私と沖だけは、ここに来る前から面識がある仲、いや、面識どころか、彼とは小学校以来の腐れ縁なのだ。軍に入り、お互い任地が別になってようやく縁が切れたと思ったら、異動でまた付き合うことになってしまった。
運にみまわれて私が彼の階級をひとつ越すことになったが、彼と私とではパイロットとしての実力にかわりは無い。それに前の任地に居たときに、軍服に体を合わすような軍の堅苦しいノリを苦しく感じていた私にとって、彼の気安い態度は実は歓迎するものだった。彼もそれに気がついているのだろう。私が何も言わずとも、私以外の上官が居ない場所ではしゃちほこばった態度をとらず、幼馴染だったころとからわぬ声で話し掛けてくる。
「上官風吹かすなら、もうちょっと威厳ってもんを身に着けろよ。お前ときたら、厳格より幻覚が似合うひょうろく玉じゃねぇか」
減らず口を叩くことを容認してやってはいるが... たまに軍法会議にかけてやりたくなることも事実だ。
「まぁそれより。佐伯の奴、昨日部屋に帰ってなかっただろ? 土屋に聞いたんだけど、徹夜でシミュレーター動かしてたって話しだぜ。『桓紗高原の紅蓮』に随分対抗心抱いてるみたいだな」
必殺技を編み出したと言っていたけど? と聞くと、沖は、土屋の話しだと何度も突撃の訓練をしていたそうだからそれだろう、と笑って答えた。
「佐伯は確かに、攻撃の精度ならば私たちよりも上だからな。突きならば攻撃の速度を上げることができるから、確かに有効だと言えるね。あれで操縦がもっと上手くなれば問題ないんだが」
そう言って、私は、ふと倉本が今何をしているかが気になった。沖の隣で倉本は、同じようにマイクを手にしている。沖が私に話し掛けているように、彼は佐伯に話し掛けているのだろう。どんな会話をしているのかは分からないが、私の見ている先で突然彼は笑い出し、それに応じて佐伯機が、挑みかかるように片手を振り上げていた。
「倉本に、佐伯の爪の垢を煎じて飲むか、本気で考えておくといい、と伝えておいてくれ」
私が言うと、沖の苦笑が聞こえた。それきり音声は途絶え、モニターの向こうでは沖が倉本の肩を叩いている。
整備士が佐伯に続き、私の出発を促す声を上げた。
私は座席に深く座り直し、機体に指示を与える幾つかのスイッチを切り替えていく。機械音の産声を上げて、またたくまに光が座席の周りに満ちていった。オペレーションシステムの起動を告げる効果音がイヤホンに流れ、モニターの一部が入力を待ち、チカチカと点滅する。
「三三式歩行戦車、仁科機、発進します」
ライトを持った誘導員が慌しく足元を行き交い、佐伯機の後ろにつくよう指示を出す。佐伯機の後部カメラが動き、彼女がこちらを伺っている様子が見て取れた。私はガレージのウエポンラックに用意されているペイントクラブを取り、彼女に向けそれを突き出してみせる。彼女も肩越しに棍棒を掲げ、私の挑発に応えて見せた。
ガレージを出ると、私たちの登場を今か今かと待ち構えていた採点者たちがテントの下から首を覗かせているのが見える。
もう少しカメラの角度を甘くすると、その向こうに相変わらずの桜の絨毯が広がっているのが見えた。場を踏み荒らす者が居なくなったせいか、この僅かの間に演習場のグランドの上に、綿埃のように桜色が染み広がっている。
潮風が一陣駆け抜け、その桜色がぼんやりと色めいた。
シャワーを浴び終わり、廊下に出たところで私は教官と鉢合わせた。40を過ぎた彼は、私の均整のとれた体つきに視線を投げかけて満足そうに笑みを浮かべ、ちょっといいか? と声を掛けてくる。
今日の予定は全て消化済み。あとは自主トレーニングを残すのみであったので、私は了承の返事をする。彼は髪をタオルで拭いている私の歩調に合わせて廊下を歩き、脇に抱えていた紙の束から、先ほどまで演習場で行われていた模擬戦闘のデータを抜き出した。
既に目を通してはあるだろうそれを、改めてざっと眺めながら彼が尋ねてくる。
「どうだ? 三三式は。使えそうか?」
はい、と返事をしてから、私は言葉を詰まらせた。教官がその様子に不審な視線を送ってくる。
これは三三式の乗り心地とは異なる話しですが、と前置きし、私は今までに何度も疑問を感じていたことについて、彼に尋ねた。
「どうして今回の試作機は、私たちのような若輩がテストパイロットを勤めているのですか?
本来ならば、教導団のメンバーが試験を行うところでしょうに」
すると彼は、ひとつ咳きをしてから視線をあたりに彷徨わせた。それから私の体を再び見つめたが、先ほどとは若干視線の質は違っているように思える。
「あれはな、今までの戦車とはまったく違うものだ。開発室のメンバーの殆どが民間から集められているという話しは、知っているか?」
「ええ、彼らとは呑みに行ったこともあります」
「そうか... まぁ、そこなんだろうな」
「底、ですか?」
首を傾げた私の様子を、教官はため息に似た笑みを浮かべて眺め、それから私の背中を一発力強く叩いた。
「何、つまらんことを聞くな。俺達があれに乗らないおかげで、お前が三三式の試験ができるんだぞ。光栄に思っておけ!」
言葉には出さなかったが、その教官の態度に、彼のような熟練者のプライドが決して口に上せはしないだろう悲観が篭っていることを悟り、私は悟ってしまったことを隠そうと、曖昧な口調で彼に合わせて頷いた。
ちなみに「底」と思ったのは聞きとり違いをしたようだ。
そうして暫く会話が途切れたとき、廊下の角の先から荒々しい声が聞こえてきた。佐伯の声だ。私たちは互いに視線を交わすと、何が起きているのか見極めるべく、角の前で立ち止まり、耳を澄ませた。
「うざったいんだよ! お前は」
何か叩きつける音がする。続いて沖が佐伯を宥める声がしたが、佐伯はそれを振り払ったようだった。
「オレの試合を見ろ! オレも中尉も、試合が終わったときは全身ペンキまみれにしてたんだぞ! 倉本! オレたちは何をしにここへ来た? 遊びに来たのか? 三三式に乗ったと思えばふらふらと踊りやがって... お前は今、ここに居て肩身が狭いと思ってないのか?!」
「佐伯、そう熱くなるなよ。倉は立派に勤めを果たしてると、オレは思うぜ」
「なっ... ばっ... お、沖、今日倉本と試合をしたのはお前だろう、何も思わなかったのか? のらりくらりと避けるしか能が無いこいつの戦い方を見て!」
「そうは言うがな、お前だってそんなに倉のことは笑えないと思うぞ。四人の中で勝率が一番悪いのは倉じゃなくて、お前だ」
一瞬、しんと音が止んだ。隣で教官が笑いをかみ殺している。私はといえば、沖の言い過ぎに苦虫を噛み潰した気持ちになっていた。尚悪いことに、沖の声が追い討ちをかけるように廊下の向こうで上がる。
「それにお前の戦い方ときたら、ありったけの弾ばら撒くばっかじゃないか。今日みたいな格闘戦にしたって、お前、本物の棍棒使ってたら、ものの1分で沈んでたと思うぜ。がむしゃらすぎんだよ」
「お、おお沖、お前は、お前...」
また暫く沈黙が続いた。沈黙を破ったのは倉本のか細い声だったが、その声を掻き消して佐伯の怒声が廊下に響き渡った。
「一体潰れる間に敵を2体潰せば帳尻は合う! それが戦争、それが軍隊じゃないのか?!」
「違うね。生き残って己の主張を守り抜くのが戦争、その駒となるのが軍隊だ」
どうかな? 2人の考え方のどちらにも私は賛成しかねた。佐伯の論は乱暴すぎるが、沖は理想的すぎる。だが、2人の間では、これで決着がついたようだ。激しい物音とともに、誰かが駆け去っていく足音が遠ざかっていった。
続いて、今まで一度も発言する隙を与えられていなかった倉本の声がする。どもりがちな口調でよく聞き取れないが、不思議なことに倉本は沖を非難しているようだ。まぁ、確かに沖は言い過ぎだが、倉本を庇ってのことだろうに... 案じた通り、倉本の意見に、諭すような調子で沖の声が被さる。その後は2人の声が重なりあって、何を言っているのか聞き取れなくなってしまった。
「沖は」
教官が言った。はっとして私は彼の方に向き直る。そうさせるものが、教官の声にはあった。
「沖は理想を追っていたんだな」
教官の言ったことは、そのとき私が内心思っていたこととかわらない。だが、何故だか無性に彼の言葉が恐ろしくなり、私は慌てて別の話題を彼に振った。慌てすぎて舌を噛んでしまったが。
「佐伯ちっ... 佐伯と倉本は、何故テストパイロットに選ばれたのですか?」
「おかしなことを聞く。あの2人に不満があるのか?」
逆に教官が私に尋ね返す。勿論、と私は答えた。
「佐伯は確かに優秀な兵士ですが、自分でも言っていた通り、生き残ることを考えない戦いかたをしています。彼女の育成にどれだけの費用がかかっているのかを念頭に置いていないのですよ。
倉本については、私から言う必要がありますか?
私と沖が選ばれたことについては納得がいきます。私は実践で手柄を立てていますし、沖はあのクラスでは最も優秀な成績を収めています。しかし...」
「佐伯も倉本も、成績は悪くない。お前もそれは認めるだろう。
あの2人を何人もの候補生の中から選んだのは私だ。そしてそれには無論理由がある。
...お前もまだ成長が足りんな」
そう言って教官は私の腕を叩き、歩を進めた。
角から姿を現した教官を見て、沖と倉本が口論を止めて敬礼の姿勢をとる。私も釈然としないながらも教官の後に続いて角を曲がり、上官二名の突然の登場に瞠目している二人と対面した。
「原教官、それに中尉... 聞いていたんですか」
ばつが悪そうに沖が顔を顰めて言う。そのときの私も、彼らと同じ表情をしていたと思う。何を言おうか迷い、口をもごもごとさせているうちに、教官が先に2人に声をかけた。
「倉本、今からオレの所に来い。沖、お前は佐伯に、オレのところに来るように伝えておけ」
「は、はい!」
「はっ... 小官がでありますか?」
倉本は刺すような教官の目つきにすっかり竦みあがっていた。沖はといえば、今さっき口論した相手を呼びに行け、と言われ狼狽し、敬礼のために上げた手を無様に泳がせている。しかし私は教官の意図を汲み取り、彼の言葉を継ぐように言った。
「沖、これはお前の役目だろう。私は同僚がいがみ合うのを好まない」
私の言葉に、沖は不承不承といったしぐさで敬礼した。「言ってよし」と半ば命令の意味合いを込めて教官が言うと、「失礼します」と一声発し、踵を返して彼は佐伯の後を追った。
教官は続けて私に目を向けた。私も沖と同じように敬礼し、これから自主トレーニングを始める旨を告げる。去り様に倉本の肩を叩くと、彼は必要以上にびくり、と身を震わせた。
「たっぷり絞られておけ」
耳元でそう囁き笑うと、彼も追従するように小声で笑う。その情けない様子に私はため息を漏らした。
教官に自主トレーニングをする、といって別れたものの、私はトレーニングルームに向かう気になれず、沖の姿を探した。
数人に彼の居場所を聞くと、独りで町の方に歩いていくのを見た、という。
八塩島の演習場は本土から離れていて査察が滅多にこない、という性質上、部分部分で規律が乱れている。外出届けを事後提出にする、という悪弊もその一つだ。
だが私もその悪弊のおこぼれに預かり、たまたま近くにいた基地職員に出かける旨だけ伝え、自転車を引っ張り出した。
日はとっくに水平線の向こうに落ちていたが、街灯が八塩町と演習場を繋ぐ桜並木の道を照らしていた。夜の桜は、昼見るそれよりも幻掛かってて見える。夜闇が桜の細部を隠し、街灯は木の表面のみを浮き上がらせている。
底が見えないんだな
ふと、そんな感想を抱いた。何に? 自問し、夜桜が特に幻想的に見える理由がそれなんだ、ということに思い当たる。
丁度風と一緒の速さで自転車を進ませていたのだろう。風に並木が揺らぐ音を耳にしながらも、私は肌に特に夜の冷気を感じることもなかった。坂の傾斜に身を任せていると、濃く重なり合って見える桜の中に、自分が深く深く沈んでいくようにも見える。
経験上この並木は港近くに行くと消え、この道自体は町の入り口でT字路になって、まっすぐは進めないことを知っていたが、私は衝動的にこの並木の奥を見極めたくなり、ブレーキにかけていた指を離した。
T字路の前で人影に出くわしていなければ、私はガードレールに無様にぶつかっていたかもしれない。しかしそうはならず、私はT字路で自転車を止め、一度は追い越した人物をそこで待った。暗闇の中の人物が、近づいてくるにつれ街灯の明りで輪郭を表す。
「仁科ぁ、兵隊なら歩けよ、歩け。オレらは体力が資本だぜ」
沖は両手を上着のポケットに突っ込み、不良のように足を開いて歩いていた。その無様な姿と、相も変わらずふざけた調子の口調に、私は微笑む。
「いやだよ。ラッパのマークはちょっと遠いじゃないか。私にあそこまで歩けっていうのかい?」
「ちぇー、これだからちょっと軍功を立てたお偉いさんはよぉ。オレはね、その自転車引いてこの坂を登るのが、誰かってのを気にしてるの。上官殿」
そう言いつつ、沖は自転車の側まで近づくと、運転をかわるように私に合図した。
「だったら尚いいじゃないか。体力がつくのは申し分の無いことなんだろう?」
そう言い、私は自転車を降りる。最初に沖と自転車の2人乗りをしたのは小学校の頃だったが、あの頃から沖は私にハンドルを握らせはしなかった。はじめの頃、私は自転車をうまく操れない子供だったのだ。二人乗りの伝統は今でも続いている。
そういえば、中学の頃だったか、一度沖が別の級友にハンドルを握らせ、自転車の荷台に座っているのを発見したことがある。あの後暫く私は、沖と2人乗りする機会があっても彼を自転車に乗せず、後ろを走らせていたものだ。
荷台にまたがっている私が背後で思い出し笑いをしたものだから、沖は気味悪そうに肩を竦めた。
ラッパのマークというのは店の名前だ。ロマネスク調の洒落た内装をしているが、外観は民家と変わらず、ただ戸口に、有名な薬を連想させるラッパのマークの看板が掛かっている。看板に店の名前は書かれておらず、店主に聞いても店の名前を教えてくれないので、結局、バーとしてはあまり名誉でないこの名前が膾炙している。名前と目立たない外観のせいで、この店は冗談の種として皆が知っているが、常連以外は足を踏み入れない類の店になっていた。
私たちが店の入り口を潜ったとき、まだ客の姿は誰も見えなかった。店主の話しでは一日に誰も客がこないこともありえるというこの店のことである。そう珍しい光景ではない。
良く商売やっていけるね、と以前店主に聞いたところ、彼は面白そうに微笑み、秘訣があるんですよ、と答えた。その秘訣がなんであるのかは、今の所誰も知らない。
私たちがテーブルに陣取ると、店主はまるで来るのがわかっていたかのような素早さで、普段頼んでいるカクテルとつまみのお菓子を運んできた。グラスを持ち上げて礼を言うと、彼も会釈を返す。店主がカウンターの向こうに戻るのを見送ってから、私たちは顔を向き合わせた。
「佐伯とはちゃんと仲直りしたか?」
私が切り出す。沖はたじろいた様子を見せたが、すぐに気を取り直して答えた。
「口論っていっても、あれくらいは毎日のようにしてることさ。お互い言い過ぎを謝って、それで全部だよ」
「ほう、まるで他に何かあったのを隠しているような口ぶりだねぇ」
にやにやとにやけて私が言うと、彼は憮然として手を振った。
「おまえねぇ、そうやってあれこれ妄想するのは勝手だけどな、お前、佐伯が女だって信じられるか?」
ひどい言いようである。
「そりゃぁオレも、同僚に女性士官がいると聞いて喜んだこともあったけどさ、あいつは、男だろ。絶対性別間違えて生まれてきたクチだと思うぜ。あーあ、軍隊ってのはほんと、花がねぇよなぁ」
私はそれに苦笑を返すしかなかった。実は私は、佐伯に変な質問をされたことがある。彼女はある日、訓練が終わるなり私に沖のことを聞いてきたのだ。最初は意味がわからずきょとんとしていたのだが、頬を赤く染めた彼女を見て私は漸く彼女の心の内を理解した。とりあえずいいかげんなアホだと教えてあげたのだが、彼女をからかうとわりと面白いことを発見したのはあの時だ。
暫く私たちは、冗談まじりに佐伯の女らしいところを探して無駄な時間を潰したり、今まで会った性別不詳の知り合いについて語ったりしていたが、沖の一言に、私は不自然に会話を途切れさせてしまった。
「倉も、あいつもそんなかんじだよな。あいつもう、佐伯の爪の垢は煎じて飲んだかな?」
不意に口を閉ざした私に、沖が不審な視線を投げかけた。それはそうだろう。彼にしてみればほんの軽口を叩いただけのことだ。だが私にとっては、先に原教官に質問した内容を思い出してしまう一言だったのだ。
私は浮いた間の間に残り少なくなっていたカクテルを飲み干し、店主におかわりを頼んだ。カクテルシェーカーの小気味の良い音を耳朶に感じながら、私は先ほど飲み干したのが、酒ではなく鉛だったかのような感触を顎に受けていた。
「倉本は、あいつは何故テストパイロットに選ばれたんだろう」
私の言葉を聞き、沖も表情を改めた。彼もしばらく手の中であそばせていたグラスの残りを煽ったが、おかわりには烏龍茶を選んだ。
「仁科、お前、倉本は好きか?」
唐突に沖は訪ねてきた。はっと私は顔を上げ、彼を見返す。彼が単純に好悪の別だけを聞いているのでないのは明らかだった。
「そうだな。嫌いではない。だけどあれは、軍人としては失格だろう。戦う意思も無い、気も弱い」
「ああ。
あいつはね、元々ロボットに乗りたい、ただそれだけの理由で軍人になったらしいぜ」
私がグラスの中身に口をつけている間も、彼は続ける。
「オレは、あいつは良くやってるぜ。
あいつ、軍人に向いてる気質じゃぁねぇが、それでもここまでのし上がってきたんだ。それに、頭は悪くないんだ。参謀本部に所属が変われば割と昇進するクチだと思うぜ。
信じられない、って顔してるな。まぁ確かに、今のあいつの指揮下で戦うなんてことになったら、真剣に逃亡することを考えるけどね。おいおい、怖い顔するなよ。例えの話し。例えの。
だけどな、仁科、あいつの成績はお前も知ってるだろう? 決して悪いもんじゃない。
三三式の操縦にはあいつは適性があるんだよ。足捌きなんて大したもんだぜ。
今朝の訓練の時だって、オレがあいつの立場だったら、テント踏んでたね」
「随分肩を持つんだな」
私が言うと、沖は肩を竦めた。
「色々話しを聞く機会が多いしな。仁科は佐伯とかと余り話しをしないのか?」
「階級が違うからなぁ。倉本も佐伯も、私と話しをするときはしゃちほこばっちまうんだよ」
「そうか。
まぁ、オレが思うに、倉本は度胸が足りないだけさ。一発喝をいれてやりゃぁ変ると思うんだがなぁ」
そうかも知れない。沖の話しを聞きながら、私もだんだん自分の意見が変っていくのを感じた。
沖は良く見ている。教官が言いたかったのも、おそらく彼が言っているのと同じことなのだろう。
グラスを持ち上げ、その中身を少し減らしてから元の位置に戻した時には、私は沖の意見に従ってみる気になっていた。
ドアベルがカランと乾いた金属音を立て、来客を告げた。
「あれぁ? 沖、それに中尉じゃないですか。お二人もこっちに来てたんですね」
佐伯だった。しかも後ろに倉本を連れている。この二人が連れ立つとは珍事と言えよう。私は、さては教官の差し金か、と彼女らの背後を探ったが、私服のときはいつも渋いトレンチコートを羽織っている彼の姿は見当たらなかった。
「噂をすれば影、だな」
沖がこっそりと私に耳打ちする。二人は対照的な様子で私たちが先客だったことを驚いていたが、沖が手招きすると素直に私たちと同じテーブルについた。彼女らが上着を椅子に掛けたタイミングで、店主が私たちのおかわり分とともに、新しい来客の分の飲み物も持ってくる。相変わらず、まるで来客の訪れを予知していたとしか思えない素早い対応だった。
座ったものの、二人は居心地が悪そうに膝に手を置いている。私は苦笑し、佐伯の背中を叩いた。
「どうした。随分神妙にしてるじゃないか。ここは基地の外だ。私の前だからってそんなに畏まることはないぞ」
「そうそう。さっきまではあんなにぎゃぁぎゃぁわめいてたくせによぉ」
耳を指で掻きながら沖が言う。とたんに佐伯が噛み付いてきた。「ンだとぉ、沖ぃ!」と立ち上がって怒鳴り、それから慌てて大声を出した自分の失態を私と、店主に詫びる。
「いい、いいって。かえって慎ましくされてる方がこっちが落ち着かないよ。なぁ、マスター」
同意を求めて振り返った先で、店主はグラスを磨きながら愛想笑いを浮かべていた。すみません、ともう一度頭を下げつつ、佐伯は沖を睨みつけている。
「倉本も、たまにははめを外してみろ。マスター、こいつの二杯目はもう少し強いのを頼むよ」
倉本は私が話し掛けると愛想笑いを浮かべた。だが店主のそれに比べるとずっと卑屈な態度に、私はやはり呆れてしまう。
それにしても、と隣では沖が話しを始めていた。
「二人がつるんでこの店に来るってのも珍しいな。明日は雪か?」
「雪ならここに来る途中でも降ってたぜ」
桃色をしてたけどな。と、佐伯は定文句を口にした沖に答えた。それを聞いて沖が眼を見開き、私もそれに同調する。
「あの佐伯が!」「なんぞ詩的なことを言っている!」「こりゃぁ明日降ってくるのは雪じゃなくて大陸弾道弾のあたりかもな」
可哀想ですよぉ、と倉本が言い、私たちは一斉に笑った。佐伯も最初の内こそ頬を膨らませていたが、一同が一向に笑いを止めずに居たので、終いには自分も吹き出して一緒に笑っている。
「まぁ、まぁそれはそうと、本当にお前らが二人だけで飲みに出るってのも珍しいことじゃないか。どういう風の吹き回しだ?」
改めて私が尋ねると、それはぁ、と倉本が頬を染めた。佐伯がそれを見て、容赦なく彼の頭を小突く。
「何顔赤くしてんだよ、タコ。いや、たまたまですよ。たまたま! ほら、教官に絞られたんで気分転換でもしようってことで...」
そう言いつつ、佐伯が沖の顔色をちらちら伺っているのに私は気付いた。沖は倉本をからかうのに夢中で、佐伯の視線には気付いていない。やれやれ、と私はため息をつく。
少しは佐伯に味方してあげた方がいいかもな、と、先ほど沖と一緒に彼女をからかっていたことなど棚に上げて私は考えた。
「沖、ほら、そんなに倉本ばっかりかまってるから、佐伯が寂しいって嘆いてるぞ」
「んななななななな! な、中尉、いいきなり何言うとですか!!」
「んぁー? こいつは気がつかなかったな。どぉれ、それじゃぁ佐伯少尉には、明日からオレが手取り足取り操縦を教えてやろうか」
ぴたり、と騒ぎが止んだ。一瞬私だけが間抜けに笑い声を立てている状況になり、照れ隠しにグラスに口をつける。
佐伯はといえば、突然静かになった話し相手をいぶかしんでいる沖を上目遣いに見ている。酒が回ったわけでなしに、顔は紅潮しっぱなしになっていた。
「じ、実はさ、教官に言われたんだ。やっぱりオレは操縦が下手だから、明日から暫く三三式の複座型改装機で練習しろって」
「僕も、僕も言われました! 複座型に乗って練習しろって!」
三三式複座仕様は、操縦士の教育用の機体として、二台だけ製造されたものだ。私たちがまだ三三式の操縦に慣れていなかった頃、この機体で操作を分担しながら、操縦方法や火気管制の仕方を覚えていったのだ。全員が補助員無しで三三式を動かせるようになった今では、普段使われていない倉庫に寝かされている。つまり教官は二人を呼び出した後「もう一度一からやり直せ」と言ったことになる。
佐伯と倉本の台詞を聞いて、沖が尋ねた。
「じゃぁ、明日からお前ら一緒に複座型で練習するのか?」
「倉本と一緒でなくてもいいんだ! 教官は自分が乗ってもいいようなことを言ってたけど、オレは、沖に頼みたいな...」
「なんで? 足捌きならオレより倉の方が上手いぜ。こいつに習えよ」
異性関係だったら私よりお前の方が経験豊富なはずだろう、と内心つっこみながら、私はやれやれ、と首を振った。ちと助け舟を出さなければいかんか、と思っていたのだが、その矢先に倉本がほとんど喚くに近い声を出した。
「佐伯さん! 教官は、複座の後ろには教官か、ぼ、ぼくを乗せるってことを言ってたよ!」
その声色に、私はおや? と首を傾げる。倉本は自己主張が少ないので今まで気付かなかったけど、もしや...
だが私がその先に思いを巡らす前に、沖の声が倉本に続いた。
「そうそう。第一なんでオレがお前の面倒みなきゃならんのよ? オレにはオレの仕事があるっつーの。お前らはお前らで勝手につるんでろよ」
かったりーなぁ、と沖が言うと、佐伯は唐突に立ち上がった。机がガタンと音を立てて揺れ、グラスの中身が零れかける。それまで沖は佐伯の肩に手を回していたので、佐伯が立ち上がったことで彼はよろけ、長椅子の上に勢い良くに倒れ伏してしまった。
「もういい! 沖、てめぇにはもう、絶対なにも頼まない!」
言うなり彼女は止める私と倉本を振り切り、駆け足で店を出て行ってしまった。
気まずい雰囲気の幕が下りた。沖は倒れたまま、何があったのかわからないという表情をしている。そして、その沖を見て、今度は倉本が爆発した。
「沖さん! 僕は、あなたを軽蔑します!」
言うなり彼もまた踵を返し、店を出て行ってしまう。荒々しく扱われた扉がドアベルの音で抗議をしていた。
「何あれ? おれが何したってぇの?」
二人が去った今も、いや、倉本の台詞を聞いて尚のこと沖は混乱したようだ。扉に向けていた眼を素早く私に向け直し、私が眉を曇らせ黙っていると、再び扉に眼を向け首を傾げた。その際彼は自分が倒れていたことすら忘れていたらしく、肘掛に頭を打って間抜けな声を上げた。
「つまりね、佐伯は、お前に後ろに乗って欲しかったのさ」
「何それ? わかんねぇよ。何でオレがあいつと複座型に乗らなきゃならない訳? そんなあえて怪我するようなことをさ」
「沖、お前さ、佐伯がお前に後ろに乗って欲しいと思う、って考えなかった?」
「なんで? だってあいつとオレ、仲悪いじゃん」
私は、沖にどう説明しようか悩み、ため息をついた。助けを求めて店主の方を見上げると、彼は作りかけの液体が入ったカクテルシェイカーを手に、途方に暮れていた。
三三式の試験は滞りなく続いていた。佐伯と倉本が訓練を最初からやり直すことになってはいたが、試験官たちはこのことをどちらかといえば歓迎している様子だった。一般兵の適応力を試験するいい機会、とかいう話しを彼らがしていたのを小耳に挟んでいる。
原教官が倉本と同じ機体に乗って彼の教育を受け持ち、佐伯は、軍属ではあるが、民間企業から派遣されてきているデーコンという科学者に操縦の指導を受けていた。
私と沖は、引き続き単座型の三三式の試験課程を消化していた。
佐伯と沖は、やはりあの後何日か言葉を交わすこともなくなっていたようだ。だがある日、沖が憮然とした口調で、試験データの検証をしている私に向かって何事か呟いた。しかし彼の言葉が不明瞭だったので、私は彼がなんといったのか聞き取れなかった。
「何かいったか?」
「...いや、なんでもねぇ。頬がいてぇってだけだよ」
沖は肩越しに私に話し掛けてきていたので、それを聞いて私は振り返った。見ると彼の頬は赤くはれ上がり、見るからに痛そうだ。
「何したんだ?」
「わかんねぇよ。何か、そこでいきなり佐伯に殴られてさ」
「...何か言ったんだろ」
「言ったけどさ、なんであんなに怒る訳? あいつどうしちゃったのさ?」
結局沖が佐伯に何を言い、何が起きたのかは聞きだせなかったが、佐伯の恋心に気付いていない沖が相変わらず鈍いことを言ったのだろうことは容易に想像がつく。私は、時間が立てば、とか何とか適当なことを言い、その場は茶を濁した。
次の日、私は信じられないものを見てしまった。
早朝、三三式の試験の為にガレージに向かっていた私は、人気の少ない廊下で、困惑顔で立ち尽くしている沖と、平頭し、彼に何かを差し出している倉本を見かけたのだ。
沖は視線をふらつかせているうちに私の姿を見つけ、助けを求めるように手を上げようとした。その瞬間、廊下に倉本の声が大音響でこだました。
「これ、受け取ってください!!」
...
倉本が差し出しているものは何か、と目を向けてみると、なにやら可愛らしい色柄の封筒がその手に握られている。彼は頭を下げているせいで私がこの場に立ち会ってしまったことに気がついていないようだ。まっすぐ突き出された腕は小刻みに震え、彼の緊張の程を伝えている。
ラッパのマークの店での彼の態度を、私は誤解していたのか。
納得し、私は無言のまま笑顔で手を振り、その場を去ろうとした。だが沖が堪らず「仁科、逃げるな!」と私を呼び止める。その声で倉本はようやくこの現場に第三者がいることに気がついたようだ。はっと頭を上げ私を見た彼だったが、いきなり踵を返すと私が呼び止める間もなく、そのまま脱兎の如く逃げ出してしまった。彼の握り締めていた封筒はといえば、近くの宙をひらひらと暢気に舞っている。
「ち、違うんだ仁科、そっちの話しじゃぁないんだ!」
「ほほう、それは是非詳しい話しを伺いたいねぇ」
人事なので、私は笑いをかみ殺しながら尋ねた。沖は慌てふためいたしぐさで、何度も封筒を拾うのに失敗していたが、ようやくそれを手中に収めると、私の目の前に突き出す。薄紅色で、花柄の透かしが入ったなかなかおしゃれな封筒だった。倉本がどこでこれを入手したのか知りたいところである。
書面にはボールペンで四つの文字が書かれていた。
「果・た・し・状?」
ものすごい勢いで彼は首を縦に振る。
「間違っても、オレも、倉本も、そっちの気はねぇからな!」
「ちっ。
冗談だ。もし本当にお前らがデきてるなんてことになったら、私にも類が及びかねないしな。
中はもう見たのか?」
まだ、と沖は答え、私が封筒を返すとその場で封を開き、中身の便箋を開いた。ざっと目を通し私にも読め、と手紙を押し付けてくるが、倉本のプライベートを覗くようで気が進まず、それは辞退する。ただ、便箋の柄も封筒と同じおしゃれな柄をしているのだけは確認しておいた。
「要するに、今日の夕方、大持山のグランドで、三三式に乗って勝負をしたいんだとさ」
「大持山? あそこは実弾演習場だろう。まさか実戦をする気なのか、あいつ?」
「どうだろう? ここには書いてないな。
ん? 立会人にデーコン氏を連れてくるってある。まさか実弾による演習って名目で戦おう、なんてことにはならないだろうな」
「どうだろう。佐伯は、デーコン博士はマッドだ、って顔青くして言ってたぜ」
「...」
まぁ実際問題として、実弾を使用して私闘を行うなどということはできないだろう。三三式は私たちテストパイロットの私物ではないのだ。そもそも私闘自体、本来ならばれれば軍法会議ものだ。規則の箍が外れているこの島では、よく食堂辺りで見かけはするが。
「本気?」
「そうみたい。でも、なんで?」
紙面を睨みつけていた沖への問い掛けに、沖はそう答えた。私はため息をつき、沖に言う。
「そりゃ、倉本が佐伯を好きだからだろう」
「好き? ってぇ、そりゃ愛してる、って意味でか?」
私が頷くと、沖は顎に手を当ててにやりと笑った。
「へぇ、あいつがねぇ... でも、それとこれと何の関係があるのよ?」
私はこの件に関して何度目になるかも分からない、ため息をもう一度ついた。
茜色が空一面を覆い尽くす頃、私と沖は大持山の演習場に到着した。この演習場は山腹の森林部を敷地とし、三三式歩行戦車のゲリラ戦戦闘力や、射撃能力のデータを取ることを目的としている。
基地本部のガレージに収められている単座型の三三式は流石に持ち出すことができないが、複座型は収容能力の都合上、基地ではなく、この大持山演習場に付属のガレージに収容されている。
射撃訓練用に一部木を伐採して整地された場所に、今まさに立っている二体も、複座型の三三式であった。複座型は、単騎での操縦も可能な構造になっている。ぶっちゃけて言うと、単座型の背中に補助を担当する要員用の操縦席を背負わせ、全体の調整をしたのが複座型なのだ。
今その瘤を背負った機体は、背中に120mm滑空砲を装着し、右手には銃身にサイレンサーを装備した92mmアサルトライフルを装備している。三三式には標準武装ではもう一つ、格闘武器が装着されるはずだが、それらしいものは見上げている機体には装着されていない。
倉本はその二体の中央に立っていた。隣には約束通りデーコン氏を連れている。見渡す限り、この場所に他に人影はない。
「お遅かったじゃないか」
私たちを待ち受ける倉本の声は震えている。まったく、彼がこのような行動を実行に移したということが私には信じられなかった。
いや、分からないではない。普段おとなしい、つまり自分を抑制し続けていた彼だけに、キれたらやばい方向にしか考えが向かわなかった、ということなのだろう。
私は、自分が沖の立会人としてこの場にやってきたことを相手方に話した。倉本にすれば、なるべく他人にこの勝負を見せたくなかったろうが、私はこんな面白い見世物を逃すつもりは無い。デーコンは当然のしきたり、とでも言うかのように頷いて私の立会いを了承し、倉本もデーコンを見てしぶしぶ頭を縦に振った。
「倉ぁ、いいのか?」
沖が倉本に向けて、最後通牒とも言える一言を放つ。倉本はびくり、と震えたが、声に出しては「勿論だ!」と勇んだ。
デーコンが前に出て、この勝負のルールを説明し始める。
「アサルトには今、ペイントカートリッジが装填されていマスが、OSは弾が命中した際、実弾が当たったとシミュレートして損傷率をはじき出すように設定がされていマス。グリードガンは三三式の戦闘距離では、命中イコール機体大破になると考えられていマスので、ロックオンされたところで勝敗が決したと判断しマス」
「クラブは使わないのか?」
「No. あれはあとしまつが大変デス」
両肩を竦め、彼は苦笑いをしながら言う。
「じゃぁ、射撃でカタをつけるってことだな。
まぁ... いいか」
沖は全般的に成績が良い分、傑出した戦闘能力も無い。戦いの方法に拘るのは意外だった。
その疑問を投げつけようとして、私は倉本の戦闘能力についてふと思い当たる。彼の取り柄は操縦の巧みさにある。格闘では小刻みな操縦が必要とされるから、かえって倉本の方が有利なはずだ。
...彼が積極的な戦闘をすれば、という限定条件はつくが。
沖の奴、最初からこの戦いを「勝負」とは考えていないのだろうか。
二人が向き合うと、俯きながら倉本が何事が呟いた。沖がガラの悪い声で何を言ったのか尋ねる。
「沖さん、ぼくがこの勝負に勝ったら、佐伯さんに謝ってください!」
「へ? お前、それが目的でオレに決闘挑んだの?
...よくわかんねぇ奴だな。まぁいい。倉本、そっちがそういう条件つけるんなら、当然オレも条件つけさせてもらうぜ。
オレが勝ったら、オレの言うことをひとつ聞いてもらうぜ。どんなことであろうとな」
二人は、八塩島の決闘のしきたりに合わせて拳をぶつけ合った。倉本が悲鳴を上げる。それから彼らは三三式に搭乗した。
デーコンが私を呼ぶ。ここに居ては流れ弾や空薬莢に当たるかもしれないので、管制室に行こうということだった。管制室は、演習場の入り口に建設されており、ここから各戦車の様子をモニターし、指示を飛ばすこともできる。防弾も万全な造りだ。
私たちが小走りにそちらに向かうと、三三式も移動を始めるところだった。射撃訓練場の端と端まで移動し、そこから合図とともに勝負を始めるという算段になっている。
管制室に入り、三三式を監視カメラ内に収めたときには、二機はすでに開始位置につき、私たちから合図を待つばかりの状態になっていた。
「ではいいですか?
Ready Go!」
マイクに向かいゴードンが開始を宣言する。二人の雄叫びににた声がスピーカーから流れた。
だが、アサルトライフルを構え直進する沖機に対し、倉本機は勝負が始まるなり森の中に移動した。戦場に設置されたカメラが倉本機を捕らえられなくなり、私たちは倉本機のメインカメラの映像に目を向ける。
「それで勝負してるつもりか! 倉ぁ、来い!」
沖が叫ぶ。が、倉本機と沖機の間はまだ通信が繋がっていないので、倉本にこの声は聞こえていない。
倉本はといえば、相変わらず何事か聞き取れない言葉を呟きながら、必死に森の中を走っていた。
いや、距離を測っているのだ。演習場内での二人の位置を映す戦術地図には、沖機を中心に円を描く軌道で移動する倉本機の動きがある。
最初に火線を走らせたのは沖機だった。森の中の熱源をアサルトライフルの銃口が追いかけ、立て続けに弾を吐き出す。だがその殆どは木々に桃色のペイントの染みをつけただけだ。管制室では倉本機に数発命中弾があったことをコンピューターが教えてくれたが、どの弾も装甲に無駄な汚れを作っただけとも言っている。
沖が静止し、ライフルを乱射しているうちに、倉本は彼との距離を離していた。そして、沖機からは、倉本機の位置が木々に阻まれ認識できなくなる。彼は舌打して、森の中に歩を進めた。
倉本はといえば、彼は沖が乱射を始めるなり遁走を始めていた。視界も沖機のいる方向とは見当違いの方向に向け、ひたすら走行している。
私はたまらず倉本機に繋がっているマイクを握った。
「倉本! 戦え! それでも男かぁ!」
それでも倉本は逃げつづけた。だが、私の問いかけの後、倉本がなにやら呟きだす。それはやがて明瞭な音となり、三三式の立てる騒音を割って私の耳に届いた。
「ぼくは、ぼくは勝つんだ!!」
何の戯言を、と言おうとして、私ははっと彼の意図に気付き、戦略地図に視線を向けた。等高線が描かれているその地図を見れば、彼が戦略上有利な高地を占拠するために移動していることが見て取れる。だが、沖機も負けじと倉本機の背後に喰らいついている。
結局再び双方が相手を捕らえたのは、非常に微妙な位置でであった。
倉本機は歩行速度を落とし、排熱量を抑えながら崖の上に移動していた。対する沖もここの地理は把握しているので、崖の上を警戒しながら道を探している。
排熱を抑えたことが効を草し、倉本機が若干早く相手をロックオンした。訪れた夜闇を切り裂き、火花が散った。
「うわああああああ!!」
「―――上か!」
残念ながら倉本の射撃はそれほど的確ではなかった。それほど多くの命中弾が与えられる前に沖機は左手を翳して相手の有効打を防ぎ、翳した腕にライフルを乗せて反撃を行う。与えたよりも多くの命中弾を受け、倉本は退いて相手の射界から逃れた。
「まずいデスね。倉本のFCSにエラー表示が出てマス。命中率が益々落ちマス」
「益々は無いだろ」
デーコンの胸を叩いてつっこんだが、この動作の意味を彼が介したかは分からない。とにかく私たちは、先に機体異常が発生し、劣勢になった倉本機がどう出るか見守った。
「勝つんだあああ!!」
倉本機が動く。
ぎょっとした。
彼は、音響探知で沖が崖下に接近しているのを確認すると、突然崖淵までの距離をつめ、その移動を助走に跳躍したのだ。
三三式は、例えば高所から飛び降りるというような、長距離の跳躍運動を行うことを想定してつくられてはいない。だが、基本行動としてプログラムされていないその行動を、倉本は手動動作で成功させた。
管制室のモニターの一つが、空から迫ってくる鉄塊を目の当たりにしてあんぐりと口を開ける沖の表情を映している。
管制室に直に聞こえてくるほどの大音響とともに、二つの鉄塊がぶつかり合った。
「Nnoooooooooooo!!」
隣でデーコンが、両手を頭に当てて唸っている。その気持ちはよく分かった。なんという無茶をする。しかし、同時に私は、胸の透く思いを感じてもいた。
少なくとも、滅多に見れない面白いものは見せてもらった。
両者はもんどりうって倒れた。両機の状態を告げるディスプレイが真っ赤に染まり、喧しく警報をがなりたてている。しかしながら先に起き上がったのは沖機の方だった。
「くぅぅっ、だが、その意気や良し!」
沖はライフルを構える。撃とうとしてFCSのエラー表示を見つけ、素早く修正プログラムを走らせてから再び倉本機にライフルを向けたが、その時には倉本も立ち上がっていた。素早く跳躍して沖機の左側に回り、相手の攻撃を避ける。
「倉本、今だ!」
沖の立会人という立場も忘れ、私は倉本機に通じるマイクに叫んだ。
何を考えていたものか、「あっ」と間の抜けた声を出しつつ倉本も慌てて銃を構える。しかし、倉本機のアサルトライフルは先の着地の際、銃身が曲がって使い物にならなくなっていた。
「残念賞!」
沖機が上半身を捻り、倉本機にライフルの焦点を合わせる。だがその動作をしている沖機のモニターには右腕を振り上げている倉本機が移っていた。
倉本は使えなくなったライフルを沖に投げつけた。そして模擬戦闘が実戦の全てであった沖には予想もしなかった出来事の連続に彼が混乱しているところに、気合とともに体当たりをかます。
「Nooooooooooooooo!!」
再びデーコンが吠えていた。双方の機体は装甲がひしゃげ、もはや整備士たちに申し訳が立たないありさまになっている。
沖機が体当たりを受けて転倒する。その間に倉本は背中の大砲を装備するように機体に指示を出す。
しかし、これが勝敗を決した。転倒したものの、沖機の戦闘能力はかけらも失われていなかったのだ。沖は倒れた姿勢のまま、武装交換の為に立ち止まった倉本機の頭部に冷静にアサルトライフルの照準を向けていた。
「よくやった、倉本!」
刹那、両機の操縦席、それに管制室の中に、耳を聾する警報が響き渡った。
「試験中止!」
私は警報を背に咄嗟に叫び、それから今行われているのが試験では無く決闘だということに思い当たって「決闘中止」と言い直した。沖が口惜しさを押し隠す調子で尋ねてくる。今、戦闘中の二機は緊急停止してしまっているのだ。
「律儀だな。それよか、何があったか教えてくれよ」
とりあえず喧しく鳴りつづけていた警報を切り、私とデーコンは沖の声に答て、部屋中を埋め尽くしているモニターと計器類の確認作業に当たった。そして、この演習場近くの道をランニングウェア姿の人物が走っているのを見つけた。
「オゥ、あれは佐伯サンデスね」
デーコンがモニターの人影を指して言った。佐伯は演習場の領域を示す金網の外から、訝しそうに中を伺いながら、演習場の入り口に向かって走っていた。
「なんであいつがこんなところにいるんよ?」
「このところ、自主トレーニングにランニングをしていると言っていました。きっとこの近くを走るのが日課なのでしょう」
頭を抱えていると、沖が再度、何があったのかを問いかけてきた。私は、演習場の近くに人が接近している、とだけ説明する。
あとコンマ一秒あれば勝負がついていただけに、沖は不満の表情を隠せないでいる。倉本は安堵の余り体が操縦席からずりおちそうになっていた。
カメラが佐伯の姿を追えなくなると、すぐさま別の場所のカメラが佐伯を捉える。今彼女がいる場所は、まさに私たちがいる管制室と目と鼻の先の、演習場入り口だった。モニターの中で佐伯は管制室に明りが灯っているのを見つけ、小走りに駆け寄ってきている。
「どうしよう、居留守使おうか」
「仁科サン、別に今更観客がひとり増えたところでどうってことはありまセン。事情を説明して、彼女にも立ち会ってもらうことにしましょう」
言うなりデーコンは管制室の入り口の鍵を外す、直後、戸口がノックされた。
「どうぞ、佐伯サン。奇遇ですね」
「あれ、デーコン博士じゃん。こんなところで何してんだ?
あっ! 中尉もこちらにいらしたんですか。一体なにがあったんですか? さっきすごい音がしましたけど」
私としては、あまりコトをややこしくしない為に佐伯嬢には事情を聞かずお帰り願いたいところだが、モニターに映っているものを見れば、沖と倉本が戦っていたことは一目瞭然である。その上デーコンはこのことを佐伯に隠しておく気がさらさら無かった。
「へぇ! 沖と倉本が決闘をねぇ! 何? 沖の奴、倉本のプリンでも取って食ったの?」
脱力しつつ、両者とも、敗者が勝者の言うことをひとつだけ聞く、という条件で戦っているのだということだけを私は素早く佐伯に告げる。デーコンが倉本から事情をどこまで聞いているかは知らないが、事を荒立てて欲しくはない。ここで恋愛がどうのという話しになったりしたら、
三角関係の縺れは恐ろしそうだ。
だが、私の説明は異なる問題を発生させてしまった。
事情を聞いた佐伯は、続いて現在の状況をデーコンに尋ねた。デーコンがまた、事細かにこれまでの経過を告げる。最後に「修理費が」と付け加えて彼の内心を明らかにした。
「へぇ、倉本ぜんぜんダメじゃん。しゃぁねぇなぁ。オレ手伝ってやろうかな」
「へ?」
複座型を使っているのなら自分が倉本の後ろに乗ればいい、と言い、彼女は鼻歌さえ歌いながら、デーコンにあとを頼んで管制室から出て行った。カメラがスキップしながら自転車置き場へ向かう佐伯の後姿を映している。
状況の進行を把握できていない私の横で、デーコンがマイクを握る。
「沖サン、倉本サン、今から佐伯サンがそちらに向かいますので、暫くまっていてくだサイ」
「んあ? すまん、デーコンさん、今なんて言ったよ?」
「ですから、佐伯サンがそちらに行った、と」
「...なんで?」
沖が首を捻る。倉本はと言えば、今彼の心拍数を計ったら面白い数値になりそうな顔をしていた。
「倉本サンを手伝うそうデス」
「おいちょっと待てよ、それっておかしくないか?」
「そそそそうですよ。この決闘に佐伯さんは関係ありません!」
デーコンが通信回路を開いたので、今は沖と倉本も、互いの発言が聞こえるようになっている。そこに佐伯の声が割り込んだ。自転車付属のトランシーバーでやりとりを聞いたのだろう。
「関係あろうがなかろうが構わねぇ。倉本、おまえ負けそうなんだろ? オレが手伝ってやる。
それよか沖、お前オレたちに負けたら、ひとつづつオレたちの言うこと聞けよ。分かったな!」
傍若無人である。
「ま、まてよ、なんでオレがお前の言うこときかなくちゃならないんだよ!」
もう負けたような言い方だ。沖は佐伯の登場で突如沸き起こったこの雰囲気に完全に飲まれていた。
「おちつけ。まだ負けた訳じゃないだろう。とりあえず沖、お前が勝っとけばいいんだよ」
「沖が勝ったら、なんでも言うことひとつ聞いてやるよ。それでいいだろ」
「不利だ! そっちは二人いるのに、こっちはオレ一人じゃねぇか!」
「それだったら心配は無い」
突然私の後ろで声がした。デーコンではない。もっと渋い声だ。そしてその声はとても聞き覚えがある。
振り返ると原教官が立っていた。背後の戸が開き、管制室に隣接する休憩室の様子を覗かせている。今までまったく気がつかなかったのだが、その部屋には原教官のほかにも見知った整備員や、試験官のお歴々がコーヒー片手にスクリーンに映し出された戦場の様子を眺めていた。
今まで私に気付かれないように息を殺していたのだろう。私が視線を向けると一斉にコーヒーカップを持ち上げて騒ぎ立てる。そう。彼らは私に気付かれることのみを気にしていた。デーコンが彼らをここに招いた張本人なのだ。
「おれが代わりの立会人を勤めてやる。お前も沖と存分に戦って来い」
「教官! 教官までそんなこと言って、司令にばれたら―――」
その基地司令が立派な髭をコーヒーで湿らせたまま戸口から顔をのぞかせ、私に挨拶した。
こんなんだからこの基地は軍規が守られないのだ。
「分かったら言って来い。遠慮することはないぞ。どうせあの二機は明日にゃ廃棄処分だ」
おいどうした、と返事がこないこないことをいぶかしむ沖の声がする。教官はマイクと離れた位置にいるので、沖たちには彼の声が聞こえていないのだ。返事をしようとした私を教官は押しのけ、私を「いいから行ってろ」と、外に追い出した。それからマイクを握り、一同に絶望的な驚愕を与えている。
私は仕方無く佐伯の後を追うように自転車置き場に行き、残っていた自転車の一台を引っ張り出した。
三三式の足跡でデコボコニなった演習場を、ライトで照らしつつ危なっかしい足取りで進む。五分ほども走り、漸く崖下で姿勢を整えた二機を発見した。
三三式自身もサーチライトで私の進む先を照らしてくれている。見上げると、滑空砲を構えた三三式がこちらにカメラを向けていた。右半身の装甲が特に酷くひしゃげているのは、崖の上から飛び降りた際打ちつけたのだろう。そうすると、より崖に近い場所で対峙している機体が沖機ということか。サーチライトは彼の機体からも私の足元に光を落としている。最初は逆光でよく見えなかったが、近づいて見ると、こちらは左肩の辺りがほとんど原型を保っていなかった。
沖機がしゃがみ、私が操縦席に乗りやすい姿勢をとる。一部歪んだステップを登りハッチを空けて操縦席にもぐりこむと、げんなりとした表情の沖が私を見上げて迎えてくれた。
「教官もわりと話しがわかる人だったんだな」
「なんて言ってた?」
「全員、日課にランニング20km付け足すだけで許してくれるとよ」
「私も?!」
「だってお前今、三三式に乗ってるじゃんか」
私もげんなりと表情が沈み込む。ああ、それから、と沖が付け足した。
「後の心配はせず、全力で戦えとさ。あのおっさん、データを取るために三三式二台潰す気まんまんだな」
「休憩室に、試験管がごっそり集まってたよ。まぁそんなところなんだろうな。腹くくるか」
気を引き締め、私は沖に、機体の現状を質問する。沖がエラー発生個所を並べ、それぞれ修復済みか、そうでないかを告げる。私は修復の済んでいない個所をチェックし、手が打てるかどうかを試みた。
「この辺はシミュレートじゃなくて、実際にへこんでたりする奴だな」
「左腕は殆ど動かないぜ。姿勢制御に使うカウンターウエイトだと思えや」
「あっちが格闘しかけてきたらやっかいだな」
通信が入った。教官が、私が乗り込んだか確認を取りに来たのだ。皮肉まじりに私が応対していると、スピーカーの向こうから倉本機の音声が流れてきた。
「すみません中尉、こんなことに巻き込んでしまって」
「倉本ぉ、もっと気楽に生きようぜ。仁科中尉、注意も負けたら私たちのお願い聞いてくださいね」
「まて、佐伯、オレに対しては『命令聞け』で、仁科には『お願い』? 対応違うくないか?」
「沖、そりゃ人徳ってもんだ」
茶々を入れたのは教官だ。彼は続けて決闘の再開準備が整っているかを両者に尋ね、ゴードンと通信を代わった。
「では改めて。
Ready?」
ゴードンの合図とともに私は佐伯・倉本機に照準を合わせ、アサルトライフルを連射した。だが相手も機体中枢への命中を左腕で庇う。
命中弾を浴びながらも倉本は機体を後退させ、距離を取った。仕切り直しとばかりに沖も合わせて後退する。
何も言わずとも、私たちは操縦手と砲手に役割分担をしていた。佐伯と倉本も当然そうだろう。今の向こうの動きは、佐伯のものとは到底思えない滑らかなものだった。
「倉本、本当に操縦は上手いな」
「子供の頃からゲームで鍛えてたって言ってたぜ」
「へぇ」
短く返事をし、私は佐伯・倉本機に再び標準を向ける。だがその行動半ばに沖が急な回避運動を始めたせいで、私は的確な射撃を行うことに失敗してしまった。
「沖、もうちょっと同乗者を労わったらどうだ?!」
「そんなこと言ってられっか!! 向こうも条件は同じなんだから我慢しろよ!」
確かに、佐伯もただでさえ敏捷な三三式をジェットコースターに乗りながら捉えるような、この行為を持余しているようだった。滑空砲の銃身がふらふらと泳いでいる。向こうからすれば、こちらのライフルも同じように見えることだろう。
三三式は、乗員一名で戦闘を行うことを前提に作られている。戦車などは操縦と砲撃を別の兵員が行うのが常となっているが、戦場において俊敏に動き回ることが予定されるこの機体では、火器管制を別の搭乗員に任せるよりも、コンピューターに制御させた方が良いと判断されたためだ。
実際、予測不能な相方の操縦に惑わされて、私は上手く相手に照準できなくなっている。
だが一人乗りの時に比べれば攻撃を行う回数事態は増えていた。一人乗りの時にはどうしても操縦に専念し、攻撃の機会を逸してしまうことがあるが、砲撃に専念する人員がいればそのようなことは無い。
「当たれぇ!」
「無駄弾無駄弾。もっとよく狙えよ」
「だったら立ち止まれっつーの!」
「大砲に狙われてる状況でそんなことできるかよ!」
教官からも通信が入った。
「仁科、演習場中の木をペンキで染める気か?」
「その前に弾が尽きますよ!」
私は自分で言ったその言葉で、現状の悪さにようやく気付いた。残弾数を確認すると、残り半分を切っている。彼我の距離は十分有効射程距離内だが、木々が殆どの攻撃を無効化してしまっていた。
「まずいな。沖、もっと近づいてくれ」
「向こうにその気があればね。あいつは逃げることにかけては天下一品だからな」
進行角度を20度程浅くしながら沖が言う。だが、直後ロックオンアラームが操縦席に鳴り響いた。
「何?!」
「仁科、損害は?!」
「...こいつは幸いだな。左腕大破だ。まだやられた訳じゃあ無い」
「運が良かったな。佐伯が悔しさでのあまり吠え立ててるぞ」
教官が通信で相手の様子を伝えてくる。
「よし、沖、近づけるか?」
「佐伯の腕はやっかいだが、やってみるさ!」
木立の影を利用し、沖がジグザグに三三式を移動させる。私はその間、半ば偶然にまかせて相手機に照準が合う機会を待っていた。
狭くないとはいえ、演習場の限られた面積を利用し、沖は佐伯・倉本機を演習場の隅に追い詰めようとする。倉本はその沖の意図を察してはいるようだが、移動の性質上、追い詰められまいとしても、距離は徐々に縮められてしまう。私の正面モニターに映る相手機の姿も徐々に大きくなり、相手機の肩に描かれた部隊章まで判別できるようになっている。
ここまで近づけば、間に立つ木々の絶対数も少なくなっている。私はアサルトライフルを発射した。弾道が緩やかな弧を描いて佐伯・倉本機の胴体に吸い込まれる。
「やった! 今のはいい当たりになったんじゃねぇ?」
沖が喝采する。だが私はこの時、違和感を感じていた。それが何なのかを確認すべく、もう一度ライフルを撃つ。これも先ほどと同じく、佐伯・倉本機に命中した。そして私は違和感の正体に気がついた。
「仁科、調子が出てきたな!」
「いや――― 倉本の奴、避ける気が無いみたいだぞ」
そう。二射目はかなり甘いタイミングで攻撃したのだ。普段の倉本の操縦だったら防ぐどころか、回避していてもおかしくはない。倉本にはそれを成す実力があった。
佐伯と運転を替わったのだろうか? 一瞬そう考えたが、戦闘中にそのようなことをしている暇も無ければ意味もないし、第一佐伯が運転していたとしても、何らかの防御運動は行うはずだ。今の相手機からは、こちらの攻撃を避けようという意志が感じられなかった。
と言って静止し、攻撃に専念しているというわけでもない。形ばかりの回避行動を倉本はしていた。しかしあれでは、ただ佐伯の攻撃の妨害になるだけだ。
「勝負を諦めたのか?」
「何ぃ?! 仁科、あいつの機体と回線つなげてくれ」
沖の要請に答え、私は佐伯・倉本機が通信に使用している周波数に送信電波を合わせる。回線が開いたことを告げるなり、沖は大声を張り上げた。
「倉ぁ! てめぇがどんなつもりでこの決闘挑んできたのかは知らねぇ。
だがな、オレにも守るもの、貫き通すものがある! 勝負挑まれたからには、負けるつもりは無いぜ!
つーわけで仁科、遠慮なくやっちゃってくれ」
「私がやるのかよ」
「だって砲手お前じゃん。オレは操縦担当」
後半のやりとりは無論、通信を切ってからの会話だ。私はライフルの照準を弄りながらも、暫く倉本の返信を待っていたが、相手機から音声が送信されてくることは、結局無かった。
通信機を操作していたのはごく僅かの間だったが、その間に照準は外れてしまっていた。私は森の中を駆け抜ける佐伯・倉本機を射界に収めて照準に目を凝らす。
照準が合った。私は即座にライフルを発射する。だが、その途端、相手の姿が掻き消えた。
「?!」
いや、倉本が急激な減速を行い、木立に身を隠したのだ。そう気がつき、私は相手機が見える位地につくよう、沖に要請する。だが沖も私が相手の位置を示すまで、佐伯・倉本機がどこにいったのか気がついていない様子だった。
「おいおい、あんな動きして中身は無事かよ?」
「いいじゃないか。倉本の奴、覚悟ができたみたいだぞ」
そう話しているうちにも、相手の照準レーザーが機体を掠めたことを告げる警音が鳴った。沖が慌てて三三式に横っ飛びをさせ、佐伯の照準から逃れる。目ざとく近くに大きな岩があるのを見つけると、その影に隠れた。
「佐伯の奴、酔ってねぇじゃねぇか」
「実は佐伯はもう倒れてて、倉本が狙いつけてきたのかも知れないぞ」
「いや、一人で操縦してたら、あんなタイミングで攻撃しかけれねぇよ」
確かに。レーザーが機体を掠めたのは、相手の動きをどう見積もっても、姿勢制御に操縦が追われている間のことだ。それを成すには、人間ならばあと一本ばかり手が足りない。
岩陰に隠れて一息つけたことで、沖は故障個所の点検を始めた。沖が点検結果を声に出し確認している間、わたしは少々暇を持余す。
「守るもの、ねぇ」
沖が倉本に言った台詞を思い出し、私はにやついた。
「沖がそんなにプライドを気にする質とはね。今まで友達やってて気がつかなかったよ」
「うるせぇぞ後ろ。
...方便だよ。おまえだって本当はわかってるだろが」
囁くように言葉をつけたし、沖は点検を続けた。わたしは喉の奥で笑い、沖の気の良さに心の中ではこっそり敬服の意を示した。
ふと私は違和感を感じ、イヤホンから流れてくる外の音に注意を向けた。
重量を乗せた足音が私たちのかくれている岩に、走りよってきているのだ。
「沖! 倉本の奴駆け寄ってきてるぞ」
「なにぃ? あっちは故障個所のチェックしてねぇのかよ? ちぃ、出るぞ!」
岩陰から飛び出した直後、私たちを立て続け衝撃が襲った。左側のモニターが密着している相手の三三式の装甲を映している。衝撃が収まったときには私たちの機体はもんどりうって倒れ、その上に佐伯・倉本機が重なって倒れている状態になっていた。
モニターの向こうで相手機が左腕を振り上げるのが見える。私は悲鳴に近い声で沖に行動を促し、沖も必死になって操縦桿を握り締めた。
危ういところで私たちは相手の下から逃れだす。佐伯・倉本機の繰り出した拳は地面に穴を空ける結果となった。
立ち上がろうとすると、三三式が嫌な軋み声を上げる。どこかの関節がいかれたようだった。
「大丈夫。左側からの攻撃だから、損害はそれほど大きくはないはずだ!」
沖が言う。確かに、先ほど我々は左腕を失った。だがそれはシミュレーションの中のことで、実際にはまだ腕は機体にくっついているのだ。だから先ほどの体当たりは、壊れたはずの左腕が、殆どの衝撃を受け止めてくれているはず。沖はそのように計算したのだろう。
私は損害状況を知らせる表示に目を走らせ、大体の状況を確かめた。確かに重大な損害は起きていないようだ。だが、腰椎部の状況を知らせる表示がやけに赤く光っていたのが目に付いた。
「沖、まだ歩けるか?」
「多分」
佐伯・倉本機はと言えば、奇襲が失敗するや飛び上がるようにして立ち上がっていた。だが直立すると見えた機体が後ろに傾げ、木立にぶつかって停止する。なんとか転倒は免れたという無様な様子だ。相手はこちら以上に、先の無謀な体当たりで損傷を受けているようだった。
私はそこに容赦なくアサルトライフルを連射した。佐伯・倉本機は、たまらんとばかりに転り逃げ、先ほどまでは私たちが利用していた岩陰に姿を隠す。
「逃がすか!」
ぎこちない動きで沖が三三式を前進させる。
岩が盛り上がった。いや、岩の上に何かが影を作ったのだ。その影はみるまに大きくなり、いつのまにか私たちはそれを見上げていた。
佐伯・倉本機が岩を足場に跳躍し、私たちの上に降って来た。
「うわああああ!!」
再びすさまじい衝撃。操縦席の上で体が何度も弾んだ。
沖が悪態をつき、操縦桿を握り直す。だが、モニターの向こうに見上げる三三式は私たちの足掻きを悠々と見下ろしながら、右腕を動かした。
決闘の決着を継げる警報が鳴り響く。私の目の前にある正面モニターは、今は120mm滑空砲の真っ黒い穴だけを映していた。
一週間ほどお世話になっていた包帯ともようやくお別れをし、今は残る傷をばんそうこうで隠している程度だ。それでも街で知り合いに合うと、ひやかし混じりにどうしたんだ? と尋ねられる。実際は彼らも、何があったのかは知っているはずだ。
一週間前、こっぴどく叱られるとばかり思っていた我々を教官たちは(経費担当の者はこめかみに血管を浮かべていたが)拍手喝采で迎え、酒盛りで我々の健闘を称えてくれたのだ。
そして真夜中、鼻歌まじりに基地に帰ると、町並みは美しい夜景が煌々と輝いており、
我々は住民代表に、夜中にやかましいことをするな、とお叱りを受けたのだ。
オレは腕時計に目を落とした。知り合いが三三式のテストパイロットに選ばれた祝いに、本国で流行っているモデルを送ってくれた奴だ。玩具のような外見をしているので、訓練中身に付けることはないのだが、今日のような休暇のときならば構わないだろう。
破損した複座型二機はまだ修理が終わっていない。佐伯と倉本は乗り込む機体がなくなってしまった訳だが、結局単座型の使用許可が勝ち組みの二人に再び出されることになった。
目論見通り、あれから倉本は積極的な戦いを模擬戦闘でも見せるようになっていた。だが、力下限を知らない彼の戦闘に、帳簿係は音を上げている。佐伯の戦い方には特に変化は見えていない。まぁ決闘ひとつで心を変えるような性格を奴はしていないが、教官は佐伯の戦い方に何かを見出したらしく、ここのところ佐伯の指導に力を入れている節がある。
そして、
―――あいつ、いつまで待たす気だ?
オレは二杯目のコーヒーを苦い顔で口に運ぶ。それから好奇心にかられてこちらを見ている野次馬をねめつけた。
八塩島唯一のカフェテラスは、軍人ばかりが生活するこの島では浮いた存在だった。だが軍にも浮かれた連中はいるもので、休憩時間や休みの日を利用して、軍服姿のままの男女がデートする場となっている。
オレの視線を受けて怖い怖い、と一度は視線を逸らした奴らだったが、またすぐにこちらに視線を向けてくる。
いや、今度はオレに視線を向けているようではなかった。なにやらぼうっと熱に浮かれたような表情で、奴らはオレの後ろを見ているのだ。
気になって振り向こうとしたとき、ようやく佐伯の声がした。
―――ごめんごめん。ちょっと着替えにてまどっちゃってさ
呼び出しておいて人を待たせるようなことをするな、巌流島の武蔵かよ、と悪態をつこうとした時、オレは喉を詰まらせた。
どこのお嬢様だ? 真っ白い帽子とワンピースの少女が立っていた。靴だけに淡い桃色の色彩がついていて、アクセントになっている。
―――な、なんだよ、じろじろ見るなよ。 ...そんなにヘン、かな?
―――あ、ああ、お前、女だったんだなぁ
失言に拳が飛んでくるか、と覚悟したが、佐伯は上目遣いにオレを睨んだきり、ふ、と笑みをもらした。
―――あたりまえだろうが! 気分を害した。今日は最後までつきあえ!
―――お、おいおい...
「中尉、いつまでアテレコやってるんですか?」
「...悪いか?」
「隣に居るのが恥ずかしいです」
今更何を言う、と私は切り返した。
私と倉本は今、カフェテリアの一角から逢引している二人を見守っている。鍔広帽子にサングラス、そして襟を立てたトレンチコート姿を私たちはしている。
倉本はしきりに周りを気にしていた。最初私たちは植え込みの影に隠れて沖を監視していたのだが、ウエィトレスに「営業妨害はやめてください」と言われたので、今は仕方なく客席についているのだ。
「なんでこんな格好しなきゃならないんですか?」
「いつもの格好してたら、沖と佐伯にばれるだろが」
「...」
暫く軽食をつまんでいた二人だったが、佐伯が席を立ち、沖の腕を引いた。移動か、と私たちも意気込み席を立つ。
沖のテーブルを担当しているウエィトレスがつう、と近づいてきて、彼らが映画館に向っていることを、えげつない笑みを浮かべながら告げ口してきた。情報提供に感謝の意をこめ、私は会計の際コーヒー代に色をつけてウェイトレスに渡すと、計らずも佐伯が沖にしたのと同じように倉本を引っ張り、映画館に先回りすることにした。
二時間後、彼らはやってきた。
「二時間も損したじゃないか! あいつらどこほっつきあるいてたんだ、阿呆!」
「中尉、中尉、騒いだらばれます!」
二人の接近に、私たちは努めて他人のふりをする。沖が通りすがりに哀れみを含んだ視線でこちらを一瞥したが、二人は並んで歩いたまま前を通り過ぎていった。
「不可解だ。なんであいつらは手を繋がないんだ?」
「その方がいいからだと思います」
「それは、誰にとってかなー、倉本君?」
「...」
余計なおしゃべりをしている間に二人はチケットを買い、映画館に入って行った。私たちも後を追うが、チケット売り場で、どの券を買ったらよいのか悩んでしまう。
「あの二人なら、『クロスブリッド』のチケット買ってったよ。内調のお二人さん」
売り場のおばさんが親切に教えてくれる。彼女が私たちを評した表現に私は気をよくしたが、一方で二人の行動に憤慨もしていた。
「なんであいつらは『巡る春の日に』のチケットを買わないんだ?」
「時間が合わなかったからじゃないでしょうか」
だったら映画館に来る途中で時間潰すなりなんなりすればいいじゃないか、と私は主張した。倉本は何かいいたいことがあるようだが、彼らしく黙りこんでいる。私は彼の頭を意味も無く小突き、映画館の中に入った。
不思議と席を譲ってくれる人が居たおかげで、私たちは佐伯と沖の真後ろに座ることが出来た。映画が始まり、殺人だの悪魔との契約だのという場面が出てくるたびに、重低音が立て続けにスピーカーから吐き出されている。
「こいつら、映画館のことを理解してないな」
「僕は中尉のことが... いえ、どうしたんですか?」
小声で私が囁くと、倉本が尋ね返してくる。
「折角の映画館の中だというのに、何故こいつらは手を繋ごうとしない?」
「...」
その時、沖が佐伯に手を伸ばした。すわ愛の囁きが始まるか、と期待した私の耳が沖の小声を捕える。
「ポテチ食うか?」
それが彼の囁きの内容だった。佐伯が沖の差し出した菓子袋からポテトチップスをつまみ出し、ぽりぽりと音をたてて口に入れる。
「お前らもどうだ?」
不意に沖が後ろの席の私たちにもお菓子を勧めて来た。私は無言のまま手の平を相手に向けて辞退の意を示し、「あ、それじゃぁ」と身を乗り出した蔵元の鳩尾を叩いて彼の体を蹲らせた。
「こいつも結構だと言っている」
「そうか。じゃぁいいけどな。あんまり苛めるなよ」
それっきり沖は前を向きなおる。佐伯がどうした? という視線を沖に向けたが、沖はそれになんでもない、と手を振った。
「...」
「...」
「...」
「ばれてませんか?」
「まだそうと決まった訳じゃないだろう」
やがて映画が終わり、観客が一斉に席を立つ。私は試しに、退場する人の列を見計らい、沖と佐伯の間に割り込んだ。佐伯が、なんだこのやろう、という剣呑な視線を私の背中に突き刺してきたが、私の正体に気付いた様子はない。
映画館を出てから私はそのことを倉本に言ったが、彼は「佐伯さんはそういう人ですから」と冷めた反応を返してきた。
映画館が終わったのは、夕食時を若干過ぎた頃だった。二人はファミリーレストランへと入って行き、後を追って中に入った私たちには客や従業員の何人かがぎょっとした視線を向けてきたが、構わず私はウェイトレスに、二人の席とは観葉植物の植え込みを挟んで隣同士になっている席を用意するよう指示する。倉本は私の後ろで意味も無く「すみません」と周りに謝っていた。
席につき、暫く隣の様子を伺うが、何か会話を交わすようでもない。観葉植物の陰から覗いてみると、二人は向かい合った席で先の映画のパンフレットを別々に眺めていた。
「おまえら、せめて一つのパンフレットを二人で見るとかさ、そういう演出しろよ」
「いや、あの二人がそんなことしてたら。気味悪いですよ」
「...そりゃそうだけどさ」
デートなんだから、と私がそれでもぐずぐず言っていると、ようやく沖がパンフレットを置き、佐伯に視線を向けた。佐伯もそれに合わせるかのように顔を上げる。と言うよりも、経過した時間から見て二人とも丁度パンフレットを読み終わったのだろう。
「今日はどうだった?」
(やった! 沖、そうだよ、そういう会話を私は聞きたかったんだよ)
(暴れないでください、中尉)
佐伯は今日のことを反芻しているのだろう、やや俯き加減で天井の辺りに視線を這わせた。
「ん、まぁ楽しかったよ。ありがとな」
だが、予想に反し、佐伯の返答は無難でそっけない。沖への恋心で内心燻っていた彼女のこと、頬を染めたり、視線を泳がせたりといった、もっと乙女チックな反応をするだろうと読んでいた私は少し拍子抜けした。
沖が、相手の好反応に気をよくした表情を見せたが、その後、不吉なほど落ち着いた表情で喋りだす。
「まさかお前がオレのこと好きだったとはなぁ。というかお前にそんな感情があるとはねぇ」
「なんだよそれ、オレだって女の子だぜ」
(だったらまず「オレ」言うな)
(中尉、植え込みにツッコミ入れないでください)
「いや、お前とはそのうち女性士官を一緒にからかったり、夜中に杯で酒交わしたりするいい友達関係が築けそうだ、って思ってたからよ、なんつーか、あいつらの場合、そういうのできないじゃん?」
一瞬沖の視線が私に向けられたような気がした。私と、同じ思いをしたらしい倉本もさっと観葉植物から耳を話し、二人で、何故か奥様口調で世間話などはじめ、そ知らぬ振りを決め込む。
「それだったら仁科中尉とだってできるだろが。中尉とタメ口叩けるのなんて、お前くらいだぜ」
「あいつはさぁ、なんつーか、ちょっとキの字な所あるから、あんまそういうタイプでの付き合い方はしたくないね」
(よーく言った。よーく言った)
(やめてください中尉! ばれますってば)
「それにオレたちって、まず会えば喧嘩してるってかんじだったじゃねぇか。どっちかっつーと、これから川原で殴り合って友情芽生えさせる間柄かな、って思ってたんだよ」
「少女漫画だと、喧嘩してるのだって恋人関係のパターンではあるぜ...」
「え? お前少女漫画読むの?」
「だーかーらー、オレは女の子なの!」
二人の雑談は続いた。だが、それを聞いているうちに私の心に違和感が生じてきた。どうも、恋人同士の会話という感じがしないのだ。それこそ沖の言う「いい友達」同士の会話を聞いているようだ。
佐伯にその原因があるようだった。ほんの数日前までの彼女は、いじらしいくらいに沖に対してのもどかしい感情を溢れさせていたのだが、今の彼女はやけにさばさばしている。既に彼女は沖を恋愛対象としてみていたなかった。
この数日のうちに何があったというのか。先の決闘が行われたとき、彼女の胸にはまだ沖への思いがわだかまっていたはずだった。彼女はその思い故に人の決闘にしゃしゃり出て沖に言うことを聞かせる権利を強奪し、こうして二人きりになれる(実際には私たちが監視している訳だが)時間をつくったのだから。
いや、本当にそうだろうか? まるで次の決闘を申し込んでいるみたいだと茶化された、佐伯が沖にデートを申し込んだ態度は照れている少女のものだったろうか? どちらかといえば、道を歩いていたところをヨットに轢かれた人が知人に遺言状を申し付けているような態度であったような気がする。よく分からない例えだが。
あのとき、既に彼女には別の思いが去来していたのだろうか。では、決闘に乱入するときはどうだったろうか?
考えてみたが、そちらの方はよく分からなかった。あの時の彼女は戦いを前に生き生きと表情を輝かせていて、あまり恋する乙女とかそういう類のものとは縁のなさそうな人格であるように見えたからだ。
しかし、沖への恋心を抱いていなければ彼と逢引きするなどというようなことは思いつかないはずだろう。とすると、勝利者の権利として沖にデートの約束をさせることを思いついた時点では、まだ彼への恋心を抱いていたはずだ。
戦闘中に何かあったのだろうか? だとすれば、戦闘中ずっと一緒にいた倉本は何かを知っているはずだ。
私は倉本を半眼で睨みつけた。
「ど、どうしたんですか?」
「そういえばお前、今日、自分から私と行動をともにする申し出をしてきたな。
あやしい」
「ななな何がですか?」
思えばこいつも佐伯に恋している身なのだ。佐伯と倉本が決闘中二人きりになっていた状況で、何かがあったということも十二分にありえるではないか。
真相は私が倉本の襟首を掴んで引き寄せ、さぁ吐け今すぐ吐けと尋問しているうちに、佐伯から齎された。
「実を言うとコクられてよ」
「...みゆきちゃんか?」
「なんで佐倉さんがここででてくるんだよ。倉本だよ。決闘ンとき、あいつに『あなたのことが好きです!』って真っ向勝負かけられたんだよ」
「へぇ...」
沖と私は唱和していた。倉本の顔が真っ赤に染まったのは、私が首を締めているせいだけではないだろう。
「あんときの状況で倉の奴、随分色々やってたんだなぁ。一生分の度胸使い果たしたんじゃなけっりゃいいけど」
半ば茶化すような沖の台詞を佐伯は咎めたが、彼は本気で心配していたらしい。一瞬とぼけた反応を見せた後に居住まいを正し、
「で、返事は?」
佐伯に言った。
沈黙が暫く続く。私たちも黙っていた。暫くして倉本の体が小刻みに震えだしたのを手に感じ、私は小さく謝って、彼の襟首から手を離す。倉本が首を擦りながら恨めしそうな視線を私に向けたが、佐伯がぼそり、と話し始め、彼の怒気は私から逸らされた。
「オレさ、沖のこと、好きだと思ってたんだ。いや、まぁ好きは好きなんだけどさ、何か勘違いしてたのかも、今だとそう思える。
なんていうのかな、仁科中尉って、オレら雑兵にとっちゃぁ憧れの的だろ? 沖、お前もね、階級が同じ者にとって憧れなんだよ。
だってお前、先の戦争で名をあげたあの仁科中尉とタメ口はれる仲だし、成績も優秀。前途有望な若者じゃないか。
オレもまぁ、自分テストパイロットとして選ばれるくらいには優秀だ、って自負してたんだけどさ、ここへ来て、お前や中尉との実力の差ってものを見せ付けられてさ... 倉本も、あいつ何気に腕いいだろ。意気地が無いってだけで。ここじゃぁ、本当、オレが一番下手でさ...
オレ、お前のこと憧れてたんだよ。だけどお前は同じ階級。だから、仁科中尉ほど素直に憧れる対象として見れなかったんだよ。それで、まぁ、色々天邪鬼な態度取ったりしてさ、そんで、自分がそういう態度取る理由が今まではわかってなくて、自分を誤解しちゃったんだ」
話しながら彼女は自分の思考を整理していたようだ。最初はくぐもった声で話していた口調が、徐々に確固たるものになっている。
彼女はまだ、沖の問いに答えてはいなかった。これまでは曖昧と抱いていただけの気持ちを言葉にすることで、自分を落ち着けているのかもしれない。
佐伯が一度言葉を切った。視界の隅で何かが動き、私はその正体を探す。倉本の喉仏の動きがそれだった。彼は何か祈るように目を閉じ、机の上で固く手を組んでいる。
まだ答えを聞いていないのか。
彼の様子にそのことを直感し、私は机越しに手を伸ばして彼の肩をやさしく叩いた。
「倉本、ここを出るか?」
肩に触れると彼はびくん、と痙攣した。それから薄く目を開け、ここにいる、居させてください、と苦行中の僧のような声を絞り出す。
「それで、倉本だけど」
佐伯が再び話し始めた。倉本は瘧にかかったかのようにぶるぶると体を震わせている。
これまでの彼女の話し振りから察するに、彼女は倉本に悪い返事は用意していないだろう。同僚として彼の腕の良さを認めてもいる。だが、「いい同僚だけど、恋愛の対象じゃない。これからも友人として付き合いたい」と彼女が話す可能性はまだ残されているのだ。
「あいつ、あんまり友達に持ちたいタイプじゃないよな」
なかなかパンチの効いた一言だった。倉本の顔から面白いくらいに赤みが消えていく。だが、私が救急車を呼ぶ羽目になる前に、佐伯が言葉を継ぎ足した。
「わりぃわりぃ。お前倉本の友達だもんな。気を悪くするなよ。だって、オレ、あんな見てて気の張る男を隣に置いておくなんてでできねぇや。
でも
案外、そういう方がうまく付き合えるのかもな」
沖がにやり、と笑った。
「お前に、そういう男と女の機微がわかるとはねぇ。以外だわ。
ああ、だけどお前の考えているとおりだと思うぜ。色恋なんてのは、ちょっとくらい気がやきもきする間柄の方が上手くいくもんだ」
それから二人は、またたわいも無い世間話しに戻った。おそらく、先の話題でこれ以上会話が行われることはないだろう。
結局佐伯は、決闘の報酬に沖を、自分の気持ちを決着させる相手にしたのだろう。当初の思惑は別にあったのだとしても。そしてそれは済んだ。後は、友人との休暇を楽しむだけなのだ。
倉本は俯いていた。帽子の鍔が邪魔して彼の表情を読むことは出来ないが、真っ赤に染まっているのだろうことは容易に想像がつく。
私は倉本が行動を起すように彼をせっついた。顔を上げた倉本は、意外にも顔を赤らめてはおらず、真摯な表情を浮かべていた。彼も一つの決心を、俯いていた間にしていたのだ。
隣の会話が終わりかけていた。倉本は私に向って強い調子で頷き、席を立つ。途中机に膝をぶつけ、小声で悲鳴を上げたものの、彼は立ち上がると、店の厨房へと足を向けた。
てっきり隣の佐伯を誘うものとばかり思っていた私は、彼の行動に面食らった。一体厨房に彼はどんな用事があるというのか。裏口から逃げ出す気だろうか。いや... 逃げ出すのなら表の出入り口で済ませばいいこと。
不思議に思っている私は、彼が厨房から出てきたときに更に不思議なものを見た。彼は、壁の飾り付けに使われている細工物の薔薇を手に現れたのだ。
「りょうこさん!」
突然上がった大声に、店中の客が一斉に声の主を見た。私だけは逆に顔を伏せたが。
細工物の薔薇であいつは気取っているつもりなのだろうか。というか、そんな下手な小細工はこっぱずかしいからやめろ、と言いたい。
だが口を出せば関係者と思われる。それだけは避けたくて、私はひたすら机の上に突っ伏していた。
「誰? あ、倉本... こんなところでなにしてんだよ」
先ほどまで話していた相手の登場に、佐伯も流石に戸惑いを隠せない様子だった。沖がつい噴出してしまったらしく、プッという音がする。
私は手を頭に乗せたまま、そっと倉本の方に目を向けた。彼は両手を突き出し、その先に持つ薔薇を佐伯に向けている。
「ぼ、ぼぼ、ぼ」
頼むからいきなり「結婚してください」とか言い出すなよ。幾らなんでもそれはまずい。
倉本も流石にそこまで頭が回らない男では無かったようだ。なにやらカンフー映画の効果音を思わせる声をひとしきり口にしたのち、一気に言い放つ。
「ぼくと、今日の残りの休日を一緒に過ごしてくれませんか?!」
余りに謙虚だった。
私はため息をついた。
佐伯は一瞬きょとん、としていたが、「え? え?」と、倉本と沖を交互に見、それから視線を倉本の上で止める。
「今日だけで、いいのか?」
佐伯にしては小さな声の返答だった。はい、かいいえ、のどちらかの返事が返ってくるとばかり思っていたのだろう、倉本が今度は「え?」と聞き返し、佐伯の不興を買った。彼女は倉本の手から薔薇を奪い取り、「二度は言わん、聞き返すな!」と叱りつけた。
それから薔薇を白いワンピースの胸元に飾る。
立ち上がる前に、佐伯は沖に「今日はありがとな」と感謝の言葉を言い、直後帽子を深々と被った。照れ隠しなのだろう。そして倉本の手を引っ張った。
わぁ、と客の間から拍手が上がる。その音の中を二人は足早に去っていった。二人が外に出たあとも暫くは窓越しに二人が見える。倉本は佐伯に引っ張られて姿勢を崩しながらも、見えなくなるまでこちらに向って頭を何度も下げていた。
そして佐伯は、最初まっすぐ前を見て、倉本の手を引いていた。だが窓が切れ、彼女らの姿が私たちから見えなくなるちょっと前にこちらに顔を向け、そしてはっとするような微笑を浮かべた。それから帽子の縁の角度を直し、足早に去っていく。
「...」
二人が視界から消え、店は再び元のざわめきを取り戻した。だが沖は黙りこくったまま、空になったティーカップの底に目を落としている。
私がそっと席を立とうとしたとき、沖が呟きを発した。
「で、今日は楽しかったか?」
「割とね」
恨めしそうな声を私はさらりと受け流した。悪戯心を起して私は彼に尋ねる。
「ちょっと後悔してるだろう?」
「...そうだなぁ、今、ようやくあいつが女だってこと、理解したわ」
もう手遅れだけどな、と続け、彼は天を仰いだ。
「倉は、ちゃんと手綱握れるのかね、佐伯の」
「あの二人の場合、佐伯が倉本の尻を叩くのさ。上手く行くと思うよ。複座式だって息ぴったりに乗りこなしてただろう」
沖はカップを持ち上げ、底に残った最後の一滴を口の中に落とした。カップを戻すと、やれやれとため息をつく。
「倉に靡くとはねぇ、佐伯にどんな魔が差したものやら」
「逃した魚は大きい、か?」
私の冷やかしに、沖は憮然とした表情をつくった。会話中は佐伯のいい相談相手役をしていた沖だったが、彼女の見せた最後の微笑みは、沖の佐伯に対する評価を翻すに十分なものがあったようだ。
まぁ、もう遅いのだが。
私は彼のそんな態度を笑った。更に表情を曇らせる沖に私は言う。
「そうがっかりするな。
まだ私がいるじゃないか」
沖は一度ちらりと私に視線を投げかけ、それからもう一度こちらを凝視した。
「和佳子
おまえ、ひょっとして今の言葉、オレに向って言ったの?」
沖が私の名を呼ぶのは久しぶりだった。だが、発言の内容に私は、先ほどの佐伯と同じくいたく気分を害した。
「おまえ、私をなんだと思ってるわけ?」
「いや、それこそキ... いやいや、そういえばお前も魅力的な女の子だったっけなぁ。すっかり忘れてたわ。うん」
私が真顔で拳を振り上げるのを見て、沖が言葉を返す。だが彼のわざとらしいもの言いで矛先を収めるつもりは、私にはまだなかった。
「だったらそれ相応の態度をとったらどう? さぁ、さっさと勘定払って、映画館に行くよ」
立ち上がり、先を行く私を、沖は文句を垂れながら慌てて追いかけてきた。何やら伝票とか四人分とかほざいているが、気にせず私はレジの前を素通りする。
客たちは、私たちが去るときにはべつに拍手を送るようなことはしなかった。まぁそうだろう。私たちは特に騒ぎを起してはいないし、客たちもそう何度も自分たちの時間を邪魔されたくはあるまい。
だが、私と沖の行き先は、佐伯と倉本と、そう違わないところになるだろう。急ぎ足で私の後ろに立つ沖を振り返り、勘定を払ったお礼に私はひとつ微笑んであげた。
―――あとがき―――
どうでしょう。ここのところ小説などとんと書いていなかったので、肩慣らしのつもりで一気に書いた作品ですが、
まさかここまでラブコメになるとは。
実はわしこういう弱いのに憧れたりしてたのかなぁ、などと、自分がこのような作品を書くに至った経緯に今非常に疑問を感じています。
一応この作品を書くにあたり「いかに女の子を上手く書くか」という課題が実はあったりしたので、そのせいかなぁなどと責任転嫁してみたり。
最初は推敲なんかくそくらえ、恥じ掻いて後で自分を笑うつもりだったのですが、作品を書き中、先の内容を確認するために読み返したときでさえ、文章の酷さが目についたので、やっぱり一度推敲を行っています。やはりおならも物語も、放りっぱなしは相手にも悪いですしね。
この作品は、夢に見た物語がアイデア元になっています。 ...でもその夢って、佐伯と倉本が複座式に乗る経緯を筋にしたロボット物だったんだけどなぁ。出来上がってみると、白いワンピースの佐伯が記憶に残るお話と相成りました。あと主人公の頭の中がピンクだったのが、ここまで話しが弱くなった原因かと。
ラブコメにしたって、キスシーンさえでてこねぇでやんの。シャワーシーンは一行だけ出てきたけどな。あ、あと「愛してる」も。
主人公の性別はずっと隠していたのですが、気がつきますかねぇ。とりあえず最後で読者が「女かよ!」とツッコミを入れてくれる作品になっているようならいいや。この作品は成功した、ってことで。
しかし... いや、自分の書いたものに当たってもしゃぁなかとですね。次の作品を発表するときには、もっとましな展開のものを書きましょう、とここに明記することで、その辺りは手を打つことに致します。