このような形態上、テイスフォー教は非常に寛容で、慈悲深い宗教になっている。
また、フェルスター神自身が小動物と戯れ、草木を愛でる姿で目撃されることも多く、
研究者の間ではフェルスター神はもともと大地の神だったのではないかという
推論も出されている。しかし、よく知られているフェルスター神は
書物を片手にした賢者風の装いをしており、最近の神学者達の見解では
どちらかが正しいのではなく、どちらもフェルスター神の本来の姿であると
落ち着きつつあるようである。もっとも、多くの神々の力を集約し、
信徒に力を与えているフェルスター神が、善への方向以外に特定の分野へと
偏ることは稀なことであり、普段は様々な分野に広く関心を払っているのである。
また、教義では自然に対して極端に手を加えることは、
自然に宿る神の力を弱めるものであるとして、奨励していない。
「汝が周囲」というのは、自然のことなのである。
そして、信者に対しては、謙虚で正直な生活を送るよう説いている。
信者に対しては、自然との共存、その力に対する感謝、
その自然の力を引き出している神々への信仰を求め、
この世界で生あるものは、いずれのものも他の生物と共生しているのであり
その事実を受け止め、何者も他者の存在なくしては
生きてはいけない、汝らは共生の生物であると説いている。
この徳目に反する驕り高ぶることは不徳の者がすることとして戒めている。
また、争いに関しても、知的に解決するすることを好み、
信者へもそのように望んでいる。力の行使は最終手段としてしか認めていない。
「謙虚たれ」はそのようなテイスフォー教の教義を一言で表しているものである。
謙虚さはテイスフォー教の最も重視している徳目であり、
これに欠ける僧へは援助の手を差し伸べることはないであろう。
テイスフォー教の統率神フェルスターは、長い髭をした白髪の老人の姿をしている。
しかし、その瞳は長い眉毛で隠されており、直接覗き込むことはできない。
その姿は「いかなる時にも激しい感情を表には出さず、平静でいるのが聖者に求められる条件である」と
信者に示しているからだと言われている。フェルスター神は白く、ゆったりとしたトーガをまとっている。
この神は僧の夢の中に現れ、助言、忠告を行うことでも有名である。
このように穏健な姿勢が目立つテイスフォー教であるが、
邪悪な勢力に対しては必ずしも寛容の立場を貫くことを期待しているわけでない。
また、自然の摂理に反し、それ自体が生物の連鎖から独立している
邪悪なアンデッドに対しては、その存在を激しく憎んでおり、それらを破壊し、
自然の状態に戻すことを信徒に求めている。
こうした邪悪な勢力に直面した際には、積極的に人々の先頭に立って、
それらと対峙することをテイスフォー教の神々は期待しているのである。
さらに、神々の代理人である僧が困難に直面している人々を見過ごすことは、
神々の教えに反することであるとして、重大なことと捉えている。
他の宗教との関係については、穏健的な姿勢によりほとんどの宗教について容認し、
フェルスター教から見た場合にはそのほとんどに対して友好を保とうとしている
しかし、相手先がテイスフォー教をどう見ているかについては、
テイスフォー教の態度は重要視されていない。
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