「日記のようなもの」である以上、日記であってはイケナイわけだ。日記状のものであり、なおかつ日記ではけっしてないものとなると……むぅ、結構むずかしいな。
8月7日
今日の要約:要約のみ
8月21日
今日の要約:要約のみ
9月1日(金)
高校卒業後、はじめての同期会。同期の4分の1近くが出席ということで、駅前での待ち合せからして異様な空間を醸し出す(数十人が固まってれば当然の結果か)。んで、その後は会場まで移動して適当に飲み食い。
で、なぜかブドウと格闘している最中にふと二つばかり疑問が浮かぶ。
一つは、他人と自分を比べるという行為が、果たして意味のあることなのか。つまり、自分と他人それぞれのある部分──二人の足の長さとか──だけを全体から切り離して比べることで、どんな意味があるのか……改善することができる場合とそうでない場合で分けて考える必要があるかな。
それともう一つ。以前どっかで見た(それとも聞いた?)比較に、他人じゃなくて、昨日の自分と比べるというのがあったんだけど、あれなんかはどうなんだろうか。
それって「着実に前進している」という実感だけを乱造するだけで、その前進が全体から見て速度・方向性などで満足の行くものなのかについての検討なんぞをすっぽかしがちな気がする。あるいは故意にそのことを意識しないようにするのか。
たしかに、前進しているという実感は不安を取り除いてくれるかもしれないけど、それってつまるところ、目隠しして吊り橋を全力疾走で渡っているのにすぎないんじゃないかな。
……というところで今日は終了。ネムイときに考えてもロクなもんにならないだろうし。
9月6日(水)
今日の更新:要約に注記を追加
9月17日(日)
今日、とても大事なことを学んだ。まだそのすべてを本当に理解してはいないけれど、それはとても大切なことだろうから、いまそれを学べたことは、きっととても幸運なことだったのだろう。だけれども、授業料はとても高くついた。
自分の言葉がどのような結果を招くかについて、ボクはあまり真剣に捉えていなかった。自分の言葉に対する責任というものを自覚していなかったということだ。だから、百万言の中に含まれるそのたったの一言が、それまで築いてきたものを瓦解させるということを考えていなかったのだ。
自分がそういう世界に踏み出したということを今更ながらに痛感した。そして、後悔した。踏み出したことではなく、踏み出したことをきちんと理解していなかった自分のうかつさに対して。
今日の更新:リンクと要約
9月18日(月)
……伝えるべきことを伝えておくことの重要性を再認識。
9月25日(月)
急転直下に一人暮らしが開始。おかげで通学時間が8割削減(!)され、これからはまとまった時間がとれる(はず)。ただ、そのおかげで通信環境を変えなければならず、しばらく更新はできなくなってしまう。
9月30日(土)
自分が阿呆であることを認識したのは、中学生の時だった。
短期記憶力が弱いというか、集中力が低いというか、とにかく思考が一定しないのだ。そして、それに加えて物事を脳内で構造化するのもすこぶる苦手なのである(まぁ、端的に言えば、人の話しをきちんと聴かず、頭の回転が悪く、話をしても要領を得ない、というわけである)。もちろん、それなりに運用することで思考の幅はどうにかなるのだけれども、思考の深さはどうしても浅くならざるをえない。
これは、中学時代に書いた文章なんかを見れば一目瞭然だ。なにしろコイツは話が拡散しっぱなしな上、随所で新しい話題が付け足されていて、およそ日本語とは呼べないようなシロモノなのだ(もっとも人に見せられたシロモノではないから、発見したら即時焼却しており現存するものは少ない)。
高校時代に、このままではいけないと一念発起していくらか努力した結果、なんとか日本語モドキぐらいのものが書けるようになってきたけれど、未だ思考するのが難儀なところがある。そう、母語の日本語であっても、だ。
だからボクはいまだに阿呆だ。だから、阿呆であることをわきまえて行動する。
ただ、そんだけ。
別に、他人に阿呆だから手加減してくださいと頼むつもりはない(かといって手加減してくれるのをわざわざ断わるつもりもないけど)。