「中世西欧とは何か」

鍼原神無〔はりはら・かんな〕寄稿
Copyright,(C)Harihara,Kannna
公開:1999.12.7
最終改訂:2000.1.2 (
これまでの改訂


頁末

目次

中世西欧とは何か?
東ローマと西ローマ
ヨーロッパとは何か?
イタリア・ルネッサンスの頃の中世
西欧中世の発見
近代とか現代とか近世とかルネッサンスとか
中世西欧ってなーんだ?(お待たせ様)
初代神聖ローマ帝国皇帝・カール大帝
西欧中世がいっぱい(笑)
ヨーロッパがヨーロッパらしくなったのはいつからか?
21世紀の西欧中世
環地中海世界の一部としての西欧中世
先ヨーロッパ文明を再評価しての西欧中世
ブック・ガイド

中世西欧とは何か?

 中世西欧って何でしょー? もちろん中世のヨーロッパ(=西欧)のことに決まってます。
 ちょっと待って、じゃー、ヨーロッパって何なの? ──って話はちょっと後回しにしといて、中世ってなんでしょー?

 ふつー、中世って、古代と近代(または近世)の間の時期を指します。
 ヨーロッパの場合でゆーと、日本の義務教育では、西ローマ帝国滅亡〔476〕から、東ローマ帝国滅亡〔1453〕の間を中世ヨーロッパとするのがスタンダード。

 でも、待って・待って、これ・ヘンだよね。
 西ローマ帝国さんが滅びるのを中世ヨーロッパさんは、ワクワクしながら待ってて、滅んだらすぐに、「やったー、コレで僕らの時代だもんね」とデビューしたのでしょーか?
 そんなわけないじゃん(笑)。

 西ローマ帝国が滅びたときは、今のヨーロッパのあたりにあったのは、とーぜん、バラバラになって統一を失った、元ローマ帝国の断片的社会がたくさん、だもん。

東ローマと西ローマ

 当時ローマ帝国はコンスタンティノープルと、ローマにそれぞれ東・西それぞれの皇帝がいて、それぞれ広大な領土を分割統治してました。
 けれど、そのころはまだ、西ローマ帝国・東ローマ帝国、と言っても、北ベトナムと南ベトナム、とか、東ドイツと西ドイツみたいに建前のとこから、別の国どーしが対立してたわけではない。
 どっちかってゆーと、アメリカ北部を大統領が、アメリカ南部を副大統領が、それぞれ統治するってことで別の国に分かれちゃったとか、そんなイメージで理解したほーが、まだイメージ近くなるよね。
 そりゃ歴史上は東・西両帝国はしょっちゅう戦争してたけど。でも、東・西に分かれる前だって、しょっちゅう内戦はしてたし(笑)。
 どっちも、「ローマ帝国は本来はひとつなのだー!!」、って理想は否定しよーとはしませんでした。国民のロマンでもあったしね。「ローマ帝国はひとつ(であるべき)」って信じられてたことも多くの内戦の理由に入ってたりするし。

 と・ゆーわけなので、西ローマ帝国が滅んだとき、後に残った帝国の断片社会は、これはローマの、つまりその後千年くらい続いた東ローマの管轄、ってことになるのが政治の理屈であるはずなんですけど。
 でも理屈どーりにいかないから歴史はややこしかったり面白かったりするんですね。
 当時、東ローマもはっきりゆーと結構苦しかったんで、西の方に直接統治の手を広げる余裕なかったろーし。
 だいたい、西のほーは、蛮族が居座って王国とかゆーヤバンなものはじめながら、なんとか、ローマ社会のマネごとしよーとしてた田舎だったし。
 東ローマにしてみれば、まーしょがないよねー、って感じだったのでしょー(多分)。

ヨーロッパとは何か?

 ここらで、ヨーロッパとは何か、って話をしてみましょ。
 ギリシア神話の主神ゼウスはとても精力絶倫なオジさんで、男でも女でも気に入ったら、手当たり次第って感じがあります(笑)。
 これは古典ギリシアって、先住民族が国家を営んでいたところに数次に渡って流入してきた異民族が主導して、築かれた社会・文化であることの神話への反映が、痕跡として遺ってるんだって考えられています。
 よーするに、後から来たほーの神様ゼウスが、その辺に先住してたいろんな民族の神(先祖神みたいの)とかをかたっぱしからゴーカンして、優位にたった、って神話が都合よかったんだろー、とか、なんかそんな感じの推測。

 もちろん先住民にも有力な系統とマイナーな系統はいたらしー。
 ギリシア神話でゼウスの正妻になってるヘラ、これは、有力な先住民の祀ってた神格だと思われます。
 で、まー、ゼウスは政略にも要請されてあちこちで浮気しまくるんだけど、いつも割とヘラのことは気にするのね(でも浮気、やめないけど:笑)。

 エウロパとゆー、かわいい少女もゼウスに姦られちゃった大勢の内のひとりです。
 この少女、気がいいのか、割とゼウスになついたみたいなんだけど、正妻ヘラにバレちゃったのね。
 で、ヘラは神通力でエウロパにじゃんじゃん嫌がらせするんで、少女は命からがら逃げるのです。

 逃げながらエウロパはゼウスに祈願しました「わたしってば、オジ様のせーで、こぉんなひどい目にあってるのに助けてもくれないのーッ!?」って。
 さすがに責任を感じたゼウスは、神通力でエウロパを雌牛に変身させました。
 雌牛になったエウロパがさまよったあたりが、後の人にヨーロッパと呼ばれる地方です。ちゃんちゃん。

 このギリシア神話で語られてる“ヨーロッパ”ってスゴク狭い。雌牛がさまよえるくらいの広さだもん(笑)。
 それにだいたいギリシアのほーだし、今アタシたちがイメージするヨーロッパと比較すると、かなり南東の方にハズレてる。
 変だわ。なんでこんな変なことがおこるのかしら。

 それは、中世の終わり〜ルネッサンスの頃に、今のヨーロッパ人の先祖になる人達が、「古代ギリシアやローマの文明(←グレコ・ローマン文明と言います)ってすっげーカッチョイーから、ボクたちそれの後継者ってことでガンバロー」とか思い込んだからなのです。
 思い込みが強かったから、古代の実態とはズレちゃってるとこイロイロあるのよ。イヤ・ほんと。

イタリア・ルネッサンスの頃の中世

 「古代」とゆー言葉と「中世」とゆー言葉が歴史上はじめてワン・セットで使われたのは(つまり、文書記録に遺ってて、現在にまで伝わってるのは)ルネッサンスの頃のイタリア方面で、だと思われています。
 当時のイタリア方面には独立の都市国家がたくさん群立してました。だから当時はローマ人や、ヴェネティア人や、ナポリ人はいてもイタリア人はひとりもいませんでした(ローマン・カソリック教徒は掃いて捨てるほどいましたけど)。
 で、当時のイタリア方面の人達は、東ローマやイスラムの帝国とも接することが多くって。だいたいにおいてコンプレックスを抱いてたに違いないのね。だって、むこーの方がススンでるし、ごーかだし。
 「チクショー、東ローマの専制てーこく主義者め、イスラム異教徒のタイハイ的きょーらく主義者め、ボクたちだって負けないもんねー」とか思ってたに違いない(多分)。

 で、その頃イタリアのあたりで、古代ギリシアのそれも最盛期の高度な彫刻や遺跡が次々発見されまして。
 それを観たイタリア方面の連中はスッゴイ・ショックだったのね。
 「ガビーン・何コレ? スッゴイじゃん。東ローマやイスラムもスゴイけど、こっちのほーがイカスじゃん」
 「こーゆー遺物がでてきたってことは、今の東ローマやイスラムよりスッゴイ文明をボクらのご先祖様は持ってたってことよね」
 「よーし・コレだ・コレでゆくのだ、ボクらは偉大なる、グレコ・ローマン文明の後継者ってことでいこー☆」

 「ルネッサンス」とゆーのはイタリア語で「新生・再生」といった意味です。
 当時の文書にすでに、「古代は偉大だ」、「イマのボク達って、古代とゆー巨人の肩に乗ってるコビトのよーなものだ」、「中世は暗黒の時代だった」とかなんとかイロイロ書かれてます。

 ここで、気をつけなくっちゃいけないのは、当時のイタリア方面で「古代ブーム」が流行したのはホントだけど、それが今アタシたちがゆー「ルネッサンス」とイコールではないことね。

 だいたい、当時は考古学も、放射性同位元素測定も、微少地磁気痕跡測定も、ミトコンドリア遺伝子解析もなかった(あたりまえだ:笑)。
 当時の人達は、今のアタシたちの基準からすると、もんのすごぉ〜〜く、断片的な古代の遺物だけから、「古代はスゴイッ」ってイメージを膨らませちゃったのでした。

 「ルネッサンス」とゆー言葉を今アタシたちが使ってるよーな意味で使いはじめたのは、19世紀のドイツの歴史家ブルクハルトです。
 それまでの歴史学では「ルネッサンス」とゆーのは「ルネッサンス様式」とゆー、美術の様式を意味する美術史上の概念だったのですけど。ブルクハルトさんは「当時の社会の在り方」とゆー領域まで概念を拡張しました。

 その後、この拡張された「ルネッサンス」の概念は、すごくハヤって、「北方ルネッサンス」だとか「エリザベス朝ルネッサンス」だとか、しまいには「中世のルネッサンス」だとか言い出す人まで出て(いやホント;笑)。
 一時は「なんでもかんでも『ルネッサンス』って言ってるとわけわからんから、この言葉使うの止めよーか?」みたいなことまでマジメに議論されたり(笑)。幸いなことに「ルネッサンス」の概念は今でも健在ですが。
 例えば、今現在の日本だと「ルネッサンス」の内容を大胆に書き換えながら、概念を整理してがんばってられる方に、樺山紘一さんなどがおられます。

西欧中世の発見

 えー? 中世西欧の話をしてるはずなのに、なんで古代やルネッサンスの話ばっかなのか? って??
 えとですね、日本の義務教育では、古代が終わると中世で、中世が終わると近代でって、時間の流れにそって、社会の在り方がどんどんスムースに移り変わってるかのよーなイメージが刷り込まれる傾向があるんですけど。
 コレは間違いなんです、って話なのです。
 歴史の実態からみても間違ってるし、歴史って考え方からしても間違ってるんです。
 こーしたイメージは、一度キレーに捨てないと歴史のことはわかりません。

 まず、「歴史の実態」、そのとき、そのときの当時の人が、自分達の暮らす社会の在り方を、どー思ってるかってゆーと。
 いつの時代でも、大多数の人は例えば、「ワレワレの社会の歴史的位置付けは」なんてヒマな事は、考えちゃいません(笑)。
 戦争とか、文明崩壊とかハデなイベントがおきると、そーゆーことを考える人も増えますけど。
 でもそーゆーときも、たいてーの人は「あー、わけわからん」です(笑)。
 で、中に極一部、マジメにシツコク、コツコツと「ワレワレの社会の歴史的位置付け」を考える人もいます。とても残念なことに、そーゆー人達が努力しての「歴史的位置付け」は、現在のアタシたちの時代の学者さんも含めて、必ず偏ってます。
 専門的には歴史的限界、とか言われるヤツです。現在のアタシたちも、アタシ達なりの「歴史的限界」の中でしか、歴史については考えられません。
 過去の社会への評価だって「歴史的限界」の内でしかできないのです。ただ、いろいろ・マジメに・シツコク・コツコツ考えてけば、「この辺ってボク達の『歴史的限界』かも」ってわかるよーにはなるんですけど。

 ホントに日本の義務教育ってゆーのはダメダメで、「歴史って過去にすでに起きちゃった出来事を調べて整理するわけだから、きちんとやれば誰がやったって同じ内容になるだろ」的なトンデモなイメージを助長するよーにできてます(試験とか、入試とかがそーゆーふーにできてるんですね)。
 残念ですけど、歴史は物理学や化学みたいに実験室で実験することはできません。
 だから、歴史の中味は決して、「誰がやったって同じ内容」にはならないんですね。

 歴史の考え方からすると、まず、「今のアタシ達が暮らしてる社会とは、どーも違ってるらしく思える歴史上の社会の在り方」ってゆーのが発見されることが大事なわけです。そーゆー「発見」の積み重ねが「歴史の考え方」の正しい筋道なのです。
 そー、例えば、ルネッサンス当時のイタリア方面の人達が「古代ってスッゴイ」とか思ったよーなヤツですね。

 で、西欧中世って何かとゆーと、「近代の人が(自分達の社会の在り方と比較して)古代って違うよね、と思ったときに、近代と古代との間で、古代とも近代とも違う社会の在り方もあったよね、って再発見される時期」のことなのでした。

近代とか現代とか近世とかルネッサンスとか

 近代とゆーとModern Eraです。
 ところで、Modernが、日本語に訳されると、近代/現代とニュアンスが違う言葉に訳されることがあります。
 現代とゆー歴史用語は実はアバウトです。歴史用語で現代に近いニュアンスのものはContemporary Eraで、コレは「同時代」と訳されたほーが精密です。
 ふつー日本語で言われる「現代史」は、Contemporary History(同時代史)と思うべきなのです。Modern Historyは「近代史」ですから。

 ポスト・モダンとゆー言葉を聞いてる人もいるかもしれませんけれど。
 Post-modernとゆーのは、元々は建築史の概念でした。Modern様式の建築の後に、それとは違った建築様式が成り立ってるよね、って意味で、建築のPost-modern様式とゆーことだったんです。

 一時期、最近の社会の在り方って、もー、古い近代のそれとは違う気がする、近代以降(Post-modern)の社会って言ってもよいのではないか? って世界中でいろんな人が知恵を絞ったり議論したりするのがハヤりましたけど。
 今のところ、「やっぱり大きな目で見れば、今の時代(Contemporary Era)って、近代社会(Modern Society)の発展した形態と捉えるしかないよね」って意見が優勢です。
 日本だと、Post-modern Societyのコト、そーゆー含みで、「高度現代社会」とか、「後期現代」とか言ってる人もいます。
 まー、ポスト・モダン社会ってゆーのは、歴史用語としては曖昧でよくない用語ってことです。

 近世とゆー概念は、これは、はじめは日本史特殊の概念でした。最近では、この概念を欧米や、他の社会の歴史に用いる専門家もいます。キチンと概念規定ができてるなら、ぜんぜん構わないのですけど。でも、近世ってゆーのを、英語に訳すとしたら、どーなるのか、アタシにはわかりません(笑)。初期近代とか言ったほーがよいと思います(私見)。
 でも、まー、ルネッサンス期みたいに、社会が充分Modernに成りきっていないけど中世とは違うって時期を近世と思って聞いてれば、当たらずといえども遠からずでしょー。

中世西欧ってなーんだ?(お待たせ様)

 さて、やっと中世西欧の本論です(お待たせ様)。

 中世西欧ってヤツは、最初に発見されたときから「古代に対する幻想」との関連で副次的に発見されてました。
 だから「中世西欧」ってイメージにも、最初から分かち難く、幻想が混じり込んでるんです。
 ここで、「幻想」って言ってるのは、イリュージョンとかフィクションとか、ファンタジーとかそーゆー意味ではありません。
 まー、そーですね、とりあえず「ロマン」って感じで理解してください。

 この場合、西欧人自身が考えた中世西欧の背後に隠されてたロマンは、「ボクたち偉大なグレコ・ローマン文明の後継者」です。ですから、ずっと長い間「中世は偉大なご先祖様の文明を忘れちゃってたムチ・モーマイな暗黒時代」だったわけ。
 ロマンですから、大ザッパですね(笑)。
 だいたい、ギリシア文明とローマ文明ってカナリ傾向違うし。

 まず、ルネッサンス当時のことで言うと、当時の東ローマ帝国の文明・文化は確かにローマ帝国最盛期のそれとは随分変質しちゃってました。
 東では、皇帝の権力・権威すごく強まってたし。ローマン・カトリックと違って、地上での神の代理人は皇帝だったし。この辺も今のヨーロッパ人の先祖の人達は気に喰わなかったに違いない(笑)。

 で、西の方では、ボクたちのほーが正当な後継者って思い込んだんだけど。コレってヘンだと思う。やっぱ、たんじゅんに考えると、ローマ帝国の文明の正当な継承者は東ローマ帝国でしょー。文明の性質が変わったって、それはそれで東ローマにもいろいろ都合があって、自分達で変えてったんだから、蛮族先祖に持ってる田舎者連中にそんな勝手なコト言われたくない、はず(笑)。

 でも、まー、今のヨーロッパに当時住んでた人達はそーは思わなかった・思いたくなかった。
 そんな彼らのよりどころは二つあって、「ひとつはローマにはバチカンがあるゾ」、と「西の方にだって皇帝いるもんネ」でした。

西欧世界最初の皇帝・カール大帝

 ローマとコンスタンティノープルは、1054年にケンカしあって、お互いに破門状を投げ合っちゃうんですけど。
 よーするに「お前らなんかキリスト教徒じゃないやい」ってお互いに言い合ったわけ(苦笑)。

 西ローマでは皇帝が総主教って言ってキリスト教聖職者の内で一番偉いってことになってまして。
 一方、バチカンの方は、使徒ペテロがローマで処刑された場所に建てられたのがバチカンで、だから「バチカンはあちこちにあるキリスト教センターの内で一番偉い」って、当時とっくに昇天してたイエス様のお告げがあった、ってのを切り札にしてました。かつてのローマ帝国版図に五つあった主教座の内の首位権を主張し続けてたですね。  ローマとバチカンの相互破門にも、この主教座内首位権の位置付けをめぐってのイザコザ、もちろん絡んでます。

 で、東西の教会分裂に至るまで(その後も東の帝国が滅ぶまでは)歴代の教皇って、西ローマに対していろいろな駆け引きしてます。西欧中世との関わりで決定的なのは教皇レオ3世〔在位795〜816〕がプロデュースしたカール1世(カール・マルテルの孫)の皇帝デヴュー(シャルルマーニュ大帝戴冠)です。  西暦800年のこと、クリスマスの儀式に出るためバチカンに来てたカール1世は、レオ3世に戴冠されて、神聖ローマ帝国の皇帝になりました。  「このときから西欧中世がはじまった」ってする意見は「476年に西ローマ帝国が滅びたときから中世西欧」って意見より、まだマシです。

 ところで、カール1世って人、大帝と呼ばれるだけあって偉い人でした。
 「皇帝に戴冠されるときも辞退した」って伝承が遺されてます。ヨーロッパ人、特に熱心なクリスチャンは、「やー、さすがに大帝になる人っておくゆかしーんだよね」とか言いたがるんですけど。この意見はちょっとヒイキ入ってる気がします。
 アレコレ調べてくと、どーもカール1世は、皇帝とかにはなりたくなかったらしー。
 レオ3世から何度か「皇帝にしたるでー」って誘われて、「イヤ、ちょっとまだ、時期そーしょーで」とかなんとか、断わってたふしがあるよーです。
 そりゃ・そーよね、皇帝なったら、東ローマににらまれるもんね。実は、その辺がわかってたとこがカール1世の偉いところだと思います。
 一説に、カールはレオ3世にだまし討ちのよーにして、ムリヤリ戴冠させられちゃったんだ、ってゆー学者もいます。レオ3世も必死だったんですね。中間派の内に敵の敵を作れば、自分とこは少しは楽になりますから。コレはコレでなかなか高度な政治的策謀ですね。

 一方、カール大帝もさすがに偉い人です。皇帝になってからは、ウダウダ言わず、皇帝の権威を活用していろんなことに取り組みました。
 自分の統治下の国家を、ローマ帝国時代の社会に近づけようと街道を再整備したり、法律を再整備したり。身分制度をきっちりさせたり。
 この辺が、「カロリンガ朝ルネッサンス」とも呼ばれ、「中世のルネッサンス」とかも言われるもののひとつです。
 でも、もし、「ルネッサンス」が「(古代の)再生・新生」って意味だとすると、カール大帝の文化事業を「ルネッサンス」って呼ぶのはちょっと苦しい面もあります。

 何より社会的インフラ、ってヤツが全然ありませんでした。
 例えば、カール大帝、常設の司法制度を整備することができずに、巡回裁判といって、裁判官が各地を廻りながら裁判をする制度しか実現できませんでした。
 これでは、現代はおろか、古代の制度にも劣ります。
 カール大帝、ホントにがんばったんですけど、大帝の死後、その文化政策は、強力な指導力や、社会に対するヴィジョンを打ち出せる指導者に継承されないで、せっかくの業績も、ほとんどはもとの木阿弥になっていってしまうのでした。

 イタリア・ルネッサンスやエリザベス朝ルネッサンスからはじまった社会の変動は、カール大帝のカロリンガ朝ルネッサンスとは違いますね。
 多少の紆余曲折はあっても、社会の発展は続いて今にいたっていますから、そこが違う(もー今では、古代の再生なんて誰も考えてませんけど)。

 と・ゆーわけで、「カール1世が皇帝になったときから後が西欧中世」って説もちょっと苦しい面があると思います。

西欧中世がいっぱい(笑)

 けっきょく、「西欧中世とは何か」を考えるのって、「ヨーロッパとは何かを歴史的に考えること」なんです。
 つまり、ヨーロッパが東ローマの田舎(辺境)や跡地ではなくって、ヨーロッパらしくなったのはいつ頃からか、を考えることが西欧中世について考えることなわけです。

 ですから、「ヨーロッパらしさとは何か」についてイロイロな意見があるだけ、「西欧中世とは何か」についてもいろいろな意見があり得ます。

 けど、幸いにして、歴史はフィクションとは違いますから、いろいろな意見は並立しても、「大よそこの辺からが西欧中世」とゆー大まかな意見一致はあり得ます。まー、中世西欧の場合、そのスタート時点もいくつかの候補に絞られてます。
 「ヨーロッパがヨーロッパらしくなったのはいつか?」、確かにこれをポイントにすれば、中世以前は、今のヨーロッパ方面は、古代西ローマの名残だったと言えることになります。

 西欧中世はいつからはじまってるか? もー書いちゃったことでは、ひとつが、西ローマ滅亡〔476〕から。ふたつめが、カール大帝が即位した年〔800〕からが中世って見解ですね。筆者はどちらにもイチャモンつけてますけど(笑)。

 それから、イスラム国家が7〜8世紀頃地中海に進出しだして、パワー・バランスが崩れたんで、西ローマ方面でヨーロッパ化への道を歩み出した、って説があります。ピレンヌってベルギーの学者さんが唱えて割とハヤったんで「ピレンヌ・テーゼ」とか呼ばれてます。
 イスラムの地中海での優位が確立したのって、丁度カロリンガ朝ルネッサンスの頃なので、ピレンヌさんは『マホメットとシャルルマーニュ』なんて本を書いてます。
 「ピレンヌ・テーゼ」は規模壮大なんで今でもファンはいますけど、いくつか弱点も指摘されてます。やっぱ、西ローマ方面の蛮族どもは、それまでそんなに地中海貿易とかに関係してなかったじゃん、とかちょっとイスラムの影響がヨーロッパにってメカニズムの想定が、球つきってゆーか、「風が吹けば桶屋が儲かる」的にムリ臭くないかなー、とかいろいろも言われてます。

 後、崩壊した西ローマの跡地で、蛮族が次々国家を建てた頃に中世西欧の出発点を観る見解も結構有力です。この見解も割と、イケてますよね。
 えーと、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」が375年ですね。どーでもいーけど、このキャッチ・コピーも誤解を招くコピーですよね(苦笑)。蛮族どもは大移動のずっと前から数次に渡ってまとまった集団がローマ帝国領に流入してました。帝国は、そーした難民みたいな連中に、いちいち、「じゃー、この辺で田んぼを耕して」とか、ちゃんと対応とってたんですけどね。
 そーゆーことやり切れなくなって、「難民受入れ中止政策」を採って、しばらくしたら、怒涛のよーに、大移動がはじまっちゃった、って話しです。大移動なんてビッグ・イベント、ある日唐突に起こったりするわけ、ないじゃん。

 375年の「ゲルマン民族の大移動」から、西ゴート王国建国、ヴァンダル王国建国、ブルグンド王国建国、フランク王国建国、東ゴート王国建国、と来て、ヴァンダルや東ゴートは東ローマにやられちゃうんですけど、568年がランゴバルド王国建国です。

 この見解は、「ヨーロッパとは何かを歴史的に考える」ときにとても基本になる考えかたなんですけど、こと西欧中世って点からみると、やっぱあまりに末期ローマ帝国との関わりが強すぎるのはマズイかと思います。西ローマ帝国滅亡が476年ですから。西欧中世の始発点、としてみるより、西ローマ帝国っぽい社会の解体・変質過程として観たほーがいろんなことがよく観えると思います。

 あと、まぁ十字軍活動に注目する見解もありますけど。十字軍、しまいのほーには、東ローマに攻め込んじゃいますので(さすが蛮族の末裔;笑)、こっちでヘタな整理してくと、中世、はじまる前に終わっちゃうかもしれません(笑)。

 西欧中世について、筆者が最も説得力があると思う見解は、教皇と皇帝とが聖職者の叙任権を巡って争った経過を通して、ヨーロッパはヨーロッパらしくなったって見解です。

ヨーロッパがヨーロッパらしくなったのはいつからか?

 1075年にときの教皇グレゴリウス7世は俗人による聖職位の売買を禁止しました。この場合、「俗人」には貴族も皇帝も含まれます。それまでは、皇帝とか、大貴族とかが、自分の親戚とか、息のかかった人物とかをバンバン聖職者にしてました。もちろん、自分の領土の統治に都合がよいからですね。この辺も、いわゆる初期中世の“国家”の内実は国家にほど遠かった様子が伺えます。
 聖職位を巡る教皇と皇帝の争いは、「カノッサの屈辱〔1075〕」、「ウォルムスの協約〔1122〕」と続いていったんは教皇側の優位にことは進みました。
 けれど、これは長く続きません。もともとバチカンは世俗的な強制力、近代国家が占有するよーな公的に承認された物理暴力を持っていませんでした。バチカンが政争で皇帝に勝てたのも、封建諸領主のパワー・バランスをうまくコントロールしつつ、そのうえにのったって形です。
 ですので、皇帝をヘコませて、パワー・バランスの構図を根底から覆すと、今度は諸領主を押さえられなくなってちゃったんですね。
 事実、12世紀に教皇権は最高潮を迎えるけど、その後は「教皇のアヴィニョン捕囚」とか、「教会大分裂(三教皇対立)」だとかハデなイベントを経て、徐々に落ち目になってゆきます。
 その間に、近代国家の前身である絶対王権国家を準備する動きが、西欧各地で同時多発的に起こってゆきます。
 こーゆーメカニズムを見てとれますので、「叙任権闘争」のあった12世紀頃からヨーロッパはヨーロッパらしくなる方向に進みだした、って見解はなかなか有力です。

 実際、カール大帝を後継した神聖ローマ帝国皇帝達は、ずっと「古代ローマ帝国の後継者」をキャッチ・フレーズにしてました。このキャッチ・フレーズはずっと後までロマンとして反復されますけど。キャッチ・フレーズだけで、ヨーロッパらしい社会が形成されてなかった12世紀以前は、まだまだ、古代ローマの余韻の時代、と観ることも可能と思います。まーその中から後のヨーロッパの元になるものが生成されつつあった時代、でも構いませんけど。

21世紀の西欧中世

 この作文で筆者は、ずいぶんヨーロッパの人達をオチョクってます(苦笑)。でも、ヨーロッパの人達って尊敬できる面もあります。
 だいたい歴史にロマンを混入させてるのは、何もヨーロッパの人達だけではありません。アメリカ人もニホン人も、中国人もそれぞれに歴史にロマンを混入させてます。
 ところで、ヨーロッパの人達、それとユダヤ民の人達って、自己批判と自己乗り越えが得意だと思うんですね。
 他の文化の誰かに言われるよりも、いち早く自己批判する個人が出て、他者からの批判よりも深く自己批判して、その結果旧い自己を乗り越えて、しかも、何世代かすると、そーした自己批判・自己乗り越えの営為も一般社会に還元されてく(ことが多い)。
 これはヨーロッパ人とかユダヤ民とかの強味だと思います。

 アメリカ人とゆーのは、全体としては、他人のゆーこと理解できないですね(笑)、自分のパースペクティブでしか、他人の言うこと聞きゃしない(苦笑)。中国人はこれは、他人のゆーこと理解しよーとしない気がしますね。独自のロジックしかうけつかないとこがあります。ニホン人は、人の話ニコニコして聞きながら、ゼッタイ譲らないものがありますし(苦笑)。実は自己批判ヘタだと思います、アタシも含めてニホン人の傾向は。自己乗り越えにつながらない自己批判ってあんまり意味無いですもん。
 イスラムの人達のことはアタシはよくわかりかせん。けど、アノ人達も歴史にすごく強烈なロマンを持ってる気はします。

 で、アタシみたいのが極東の島国で「西欧中世はヨーロッパ人の古代ローマに対するロマンにもとづいてる」とか言ってる、ずっと・ずっと前から、ヨーロッパ人でそーゆーことに気づいて、これって絶対ヘンだしウソ臭いよね・なんとかしなきゃ、ってシツコク・マジメに・コツコツ考えてる人達がいっぱいいます。
 多分、21世紀中には、ヨーロッパ史の内容は随分書き換えられるはずですし、それに連動して中世西欧のイメージもガラッと変わるでしょー。
 最後に21世紀の西欧史について、少しふれておきましょー。

 今現在、21世紀の西欧像として有望なヴィジョンは2種類あると思います。
 ひとつは、海洋史観、または海の世界史と呼ばれるアプローチです。
 ふたつめは、先ヨーロッパ文明の再評価です。

環地中海世界の一部としての西欧中世

 海洋史観で観たヨーロッパ史とゆーのは、基本的には、ヨーロッパも環地中海世界史の一部にガッチリ組み込み直そーとする歴史です。ヨーロッパ流の「海洋史観」に刺激を受けて、極東の海洋史観とか、いろいろな話題もでていますけど。がんばってほしーところです。

 海洋史観から観たヨーロッパ史は、「ヨーロッパ“だけ”が、グレコ・ローマン文明“だけ”の正当な後継者」ってゆーのは、おかしーよね、って発想です。
 東ローマだって、イスラムだって、環地中海世界の構成員のひとつだった、ヨーロッパもそのひとつなのだ、って発想の転換です。
 その意味では「ピレンヌ・テーゼ」のガードが甘かったところをガッチリ組み直そーって観点とも評せます。
 従来は、古代ローマは、環地中海文明の、最終ランナーにしてグランド・チャンピオンで、その唯一・正統の後継者がヨーロッパってロマンがあったわけですけど、そーゆーウソくさい発想は止めちゃおー、って大胆なアプローチです。

 「えー? イギリスとかって、ヨーロッパだけど、環地中海ではないじゃん」とか思う人もいるかもしれませんけど。古代ローマ帝国はブリタニア(ブリテン)まで版図に治めてました。ですから、古代ローマが環地中海文明のひとつならば、イギリスも、(少なくとも一時は)環地中海文明の辺境ではあった、とゆーことになります。

 このヴィジョンのタイヘンなとこは、環地中海世界と、いわゆるオリエント世界とのリンクをどー扱うかでしょー。
 古代ペルシアも環地中海文明の一員だった、だって、ギリシアと戦争して、アレグサンダーにやられて、ローマと戦争して、しょっちゅう関わってるもん、ってゆーことはできるかもしれません。
 けど、ペルシアやイラン高原の文明は、エジプトやギリシア、ローマの文明と交流してるのと同じくらい、インダス方面の文明と交流してます。その辺どー整理されてくのでしょーか?
 ヘタすると、古代と中世って区別すら止めちゃおー、だって、環地中海でも地域ごとにバラバラすぎるもん、って話にまで発展するかもしれません、楽しみです。

先ヨーロッパ文明を再評価しての西欧中世

 先ヨーロッパ文明の再評価、とゆーのは、例えば、ケルト系の文化・文明の再評価です。
 実は、従来の西欧史では「ヨーロッパとは、古代ローマの要素・ゲルマンの要素・キリスト教(ローマン・カソリック)の要素」の三つが化合して生成されたもの、とかゆー見解が主流でした(ここで「化合」とかゆーのは、もちろん比ユですけど)。
 ところで、ここに、ゲルマン以前の要素として、ケルト的な要素とか、今のところどー整理したもんかよくわかんない要素とか、確かにいたはずなんだけど正体不明なとこが多い先住ギリシア民(ミノア人)とか、そーゆーのも再評価してきちんと位置づけてこー、って発想です。

 実はこーした動きは19世紀からあったんですけど、第二次世界大戦のときにナチがインド・ゲルマン民族とかでたらめなことを言って(インド・ゲルマン語族とゆーのは想定されます、今はインド・ヨーロピアン語族とか言いますけど。それからインド・イラン民族とゆーのは実態としても見出せます、けれど、インド・ゲルマン民族と言ってしまっては「民族」の概念がほとんど無意味になってしまいます;苦笑)、ゲルマン人とケルト人は近い親戚だとかこれまたトンデモなことを吹きまくりました。
 確かにケルト語派とゲルマン語派は近しい関係にありますけれど、これはケルト語とゴート語が近いってだけの話で、もしゲルマン人とケルト人が親戚ならば、ドイツ人と、アイルランド人やウェールズ人も親戚になっちゃいます。

 で・まー、あんまりナチがデタラメゆったので、戦後しばらくは「ケルトの歴史的再評価」とかってちょっとタブーみたな感じになっちゃってたんですね。
 これは仕方ないことだと思います。日本でも、大東亜戦争の後しばらくは、日鮮同祖論みたいな発想はタブーでしたし。あ、勘違いしてる人ときどきいますけど、日鮮同祖論って戦前〜戦中盛んだった時期もあるのですよ。だって、大東亜共栄圏でしたし、八紘一宇でしたし。

 で、先ヨーロッパ文明の再評価ですけど、これには、もーひとつ大胆なアプローチが含まれてます。それは「文明」の概念の拡張です。
 文明ってゆーのはCivilizationですけど、歴史が近代的な学問になってからずっと長い間、文明とは「都市に営まれる社会で、文字を有する」ってイメージされてきました。
 ですから、旧来の歴史では「古代」の前は「先史時代」だったのですけど。

 ところが、20世紀に入って人類学が発展したので、こーゆー考え方はマズイよねって感じになって来ました。
 文字の無い人達にも「歴史」はあるわけですから。「先史時代」って言い方は、マトモな歴史学者はだんだんと避けるよーになってきてます。まー「無文字時代」とかゆー人は今でもいますけど。
 そんなわけで、これまで「古代」でなかった時代が、一挙に「古代」になっちゃってるのが現状です(笑)。
 オリエント史・地中海史でゆーと、旧来せーぜー4千数百年くらいだった古代が、一挙に二万年くらいになっちゃったりして、これはこれで不都合が多いです。二万年の古代の内の時代区分を考えて整理してゆかなきゃいけないはずなんですけど、そうした人類史の書き換えの一環としても、先ヨーロッパ文明の再評価は重要なんです。
 こちらのほーでも、何しろ、「古代」の中味が変わるのですから、「中世」の中味もその影響を受けて変わらざる得ないことでしょー。

 とゆーわけで、中世西欧といっても、その中味は21世紀中に大きく変わってゆくはずです。
 場合によっては「中世」って枠組み自体やめちゃおーって過激な考えも出てくるかもしれません。
 基本的には、ヨーロッパの社会自身が変わろーとしてるので、西欧史の中味も変わってゆくのですが。
 アタシ達の暮らす日本の社会やニホンの歴史もよいほーに変わっていってほしーものです。
 でないと、多分変わりゆく世界の様子についてくこと、だんだんシンドクなってゆくことでしょー。

ブック・ガイド:

 以下は本文の参考資料、――って言っても、「より興味を持たれた方」とか、「えー、カンナの言ってることホントかなー?」って思った方むけに自信を持ってお勧めできるブック・ガイドです。
 これらの本を読まれた方が、カンナの意見に賛成していただいてもよし、別の意見を唱えられてもよし、と思います。
 リストの内、ISBNコードと、価格のデータが記載されてないのは、カンナの手元にある本があまりに古い刷りで(苦笑)、現行のコード体系とは異なるコードが使われてたり(笑)、そーゆーのです。

『ヨーロッパの歴史 =基層と革新=
(日本放送出版協会、財団法人放送大学教育振興会、放送大学教材57093-1-9611、樺山紘一・他、1996.3.20、A5判、P182、4-595-57098-8 C1322 \1850E)
・ 放送大学の教材ってことは、社会人一般の知識を前提にして、今、現在のヨーロッパ史の考え方を紹介しよーとしてるってことです。
・ 樺山紘一さんがコーディネートして、最初がケルト人とかで、ローマ帝国はぶいちゃって、次はいきなりゲルマン人諸国家の成立にとんで(関連記事の内で古代ローマとの関わりは最小限だけ説明されてます)、近世のヨーロッパ・フランス革命前夜まで、要領よくまとめられてます。
・ ヨーロッパらしー社会の在り方が、どんな歴史的メカニズムで形成されてきたかが、考え易く整理された一冊と思います。
・ この本では、ヨーロッパ中世、「ゲルマン人諸国家の成立」期に観てるんですけど、まーそれはそれでいーじゃん、と思ってます。
『西洋史展望』
(晶文社、堀米庸三・監修、1972.3.31.、四六判、P228)
・ 西欧中世史の研究者、堀米庸三さんのお弟子さんたちが、工業専門高校の学生さんとか、夜学高校の勤労学生さんたちを念頭に編んだ、西欧史(世界史)の副読本です。
・ この本が編まれた頃は、工業専門高校の学生さんの大学進学率、今ほど高くなくって、著者のみなさなさんは、大学の一般教養で学ぶ程度の内容を、いかに学生さんに身につけてもらうか、って目的意識で執筆されたとか。
・ その為、いわゆる文化史(昔の歴史学で文化史ってゆわれるのは、哲学・宗教とか文芸とか、美術とかそーゆーので、文化人類学が歴史学と相互影響するよーになってからの「文化」とはちょっと傾向が違うんですけど)についての記述はほとんど割愛されてます、けど、その代わり、政治史と経済構造・社会構成の相互関連がとても分かり易く整理されています。
・ 今の社会史などの達成からみるとやや古い記述も散見されますけれど、それを割り引いても、政治・経済・社会の関連メカニズムの分かり易い整理には価値があります。
・ はっきり言って、今現在、実際の大学一般教養過程でも、この本にはるかに劣るレベルの内容の講義もされてるんだろーなー、とか思います。
・ アタシが持ってるのは、1982年の第11刷(初刷は1972年)です。この、本ずっと目立たないロング・セラーだったんですけど、最近書店店頭で見かけませんね。どーしたのかなー。
『世界史の知88』
(ハンドブック・シリーズ HISTROY HANDBOOK、新書館、樺山紘一、1995.4.15.、A5判、P214、4-403-25006-8C0022\1500E)
・ 社会人向けのハンド・ブックとして、世界史の重要トピックを88ピック・アップ。各トピックをA5判見開きにおさめた本です。
・ 樺山紘一さんのコーディネートで、「文字がなくても文明」とか(他にもいろいろ)、20世紀歴史学の観点がさりげなく隠し味に盛り込まれてる一冊です。
『世界史を読む事典』
(地域からの世界史80、朝日新聞社、朝日新聞社・編、1994.1.30.、四六判、P744、4-02-258515-3C0322\4800E)
・ 朝日新聞社から刊行されていた「週間朝日百科・世界の歴史」各巻のコラム記事が再編集された一冊です。
・ この本の特色は、項目がアイウエオ順に配列されてないことです。「世界史の基本用語」、「テーマ別小事典」、「人名小事典」、「科学技術史小事典」の四部にわかれ、さらにその下に大項目が分かれその下位に各項目記事が編纂されてます。
・ ですので、ある項目を読んでいると、自然と関連の近しい項目の記事も目に入ってくるのは助かります。
・ 歴史事典の類って、受験用の「デル単」っぽい内容のものか、専門研究者用のハードなものが多くって、ふつーの社会人に手ごろなのって少ないんですけど。その点この本は助かります。
・ アタシも買うとき4,800円ってためらったんですけど。アタシ的には買って得した気分の一冊です。
『歴史とは何か』
(岩波新書447、岩波書店、E・H・カー、1962.3.20.、新書判、P252)
・ イギリスの現代史家(専門は両対戦間の西欧史)の公演録。
・ 一般社会人の聴衆に向けて、「歴史とは何か」って歴史哲学の主題を平易に語り通した、あまりにも有名な本。古典的名著と言えましょー。
・ 実はこの本の原著が刊行された1961年とゆー年は、フランスでミッシェル・フーコーが、20世紀的な歴史書の大著『狂気の歴史』を刊行した年でもあります。
・ カーの『歴史とは何か』は19世紀の歴史学のスタンダードな考え方がその限界まで思考を巡らした内容、と言えると思います。
・ フーコーがその20世紀的な歴史哲学(=歴史とは何か)の理論書『知の考古学』を刊行したのは1969年なのですけど。1961年とゆー年に、新・旧の歴史学・歴史哲学の大著が刊行されたことは興味深い〔オモシロイ〕ことと、思います。
・ 「『歴史とは何か』は19世紀的な歴史哲学の限界」と言いましたけど、これは古臭い、とかつまらないとかゆー意味ではありません。後、もー1歩踏み出せば、もー構造主義的な20世紀思想の歴史世界なんだけど、その手前でギリギリ踏みとどまってる、とも採れる思考の筋道は緊張感があってスリリングです。
・ 今読んでもおもしろい〔興味深い〕と思います。だから「古典的名著」なのです。
『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流
(中公新書57、中央公論社、堀米庸三、1964.12.10.、新書判、P206+年表)
・ 本文で筆者が押している「ヨーロッパがヨーロッパらしくなったのは12世紀の叙任権闘争を経て」の経緯が分かり易く論じられている本。
・ もちろん「ヨーロッパがヨーロッパらしくなったのは〜」云々はカンナの意見で、堀米さんがそーゆー主張をされてるわけでもありませんけど。
・ 堀米さんは、やっぱ、「ゲルマン人の諸国家が形成された頃からが西欧中世」説だとは思います。
・ それにしても『正統と異端』はヨーロッパらしー歴史のダイナミズムの背後にあるメカニズムが分かり易く論じられてる一冊ではあります。オススメ。
『黄金のビザンティン帝国 文明の十字路の1100年
([知の再発見]双書28、創元社、ミシェル・カプラン、1993.6.10.、四六判、P188、4-422-21078-5C0322¥1400E)
・ フランス・ガリマール社の教養全書的シリーズの和訳版の1巻。
・ とてもキレーな図版がくさんで、楽しいけど、本文が読みにくいのでお馴染み(笑)。
・ 第一章「11世紀続いた帝国」は18ページ弱の短さなので、コレ読んで、巻末年表と、西欧史年表とを観比べてくといろいろ発見があるかも。
『地中海』
(地域からの世界史10、朝日新聞社、松本宣郎・牟田口義郎・共著、1992.6.20.、四六判、P211、4-02-258505-6C0322\1400E)
・ 朝日新聞社から刊行されていた、週間朝日百科、が再編集されたシリーズの1冊。
・ 「地域からの世界史」とゆーシリーズ名からも伺えますけど、「地域史」のアプローチをとってまして。『地中海』とゆーこの巻も、別に「古代地中海世界」限定、とかではありません。
・ いわゆる古代ギリシアのポリス国家群直前のアナトリア人やクレタの文明からはじまって、1991年の中東和平会議、のあたりまで「地中海地域の歴史」が論じられてます、これで211ページはスゴイ☆。
・ 記述には、ピレンヌ・テーゼを意識しつつアナール派の社会史を踏まえた観点が散見されるように思われます。
・ 「地中海(地域)の歴史」って主題によるとこ大と思いますけど、海洋史観に向かう動向を感じつつ書かれたのかもしれないと想像もされます。
『印欧語の故郷を探る』
(岩波新書269、岩波書店、風間喜代三、1993.2.22.新書判、4-00430269-2C0280\580E)
・ 印欧祖語(インド・ヨーロッパ語族言語の祖型になる言語)はいつ頃どこで、どんな人達に話されたか? についての諸説を系統別に整理して評価した内容です。
・ ソシュールの言語学革命以来、「古くサー」ってイメージが強くなっちゃってる歴史言語学ですけど。ところがどっこい、歴史言語学だって、20世紀言語学の成果もちゃんと吸収してがんばってるもんネ、ってとこが拍手・拍手の一冊。
・ はっきりゆーと、アタシは「○○祖語」って発想、一般には成り立たない観念だ、とか思ってます。特に「印欧祖語」なんて、タイムスケールが膨大な仮説の場合はなおさらです。だって言語は生物とは違いますから。例えば、ある事情があって3種類以上の言語が混交して、新しい言語が生成された場合、どれが祖語になるのよー? とかですね。いろいろ疑問があります。
・ けど、この本では「語族とゆーのは言語学(歴史言語学)上の仮定存在であって、実態としての民族とイコールであるとは一般には断定できない」とか、あったりまえと言えば当たり前な事をキチンと押さえてるとことか好感が持てます。
『ヨーロッパの始まり 新石器時代と巨石文化
([知の再発見]双書36、創元社、カトリーヌ・ルブタン、1994.4.20.、四六判、P180、4-422-21086-6C0322¥1400E)
・ キレーで楽しいけど、本文ちょっと読みにくいガリマール社のアレ(和訳版)。
・ 新石器時代のヨーロッパの巨石文化、ゲルマン人以前のヨーロッパ人について、発掘・研究史の動向も絡めて(←コレが重要)解説されてます。
『ケルト人 蘇るヨーロッパ<幻の民>
([知の再発見]双書35、創元社、クリスチアーヌ・エリュエール、1994.3.10.、四六判、P180、4-422-21085-8C0322¥1400E)
・ これまた、キレーで楽しいけど、本文ちょっと読みにくいガリマール社のアレ(和訳版)。
・ 原題は“L'Europe des celtes”、『ケルト人のヨーロッパ』ってとこでしょーか(アタシ、フランス語はわかんないんですけど:笑)。

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