ヨーロッパ中世史


頁末

ゲルマン民族の大移動

移動経路

最終定着地

 
 

西欧世界の成立(フランク王国の発展〜分裂)

メロウィング朝(481〜751)

 クローヴィス(位481〜511)
フランク諸部族を統一(481)
ローマ勢力を一掃してパリを占拠(486)
アタナシウス派への改宗(ローマ教会との提携の契機)
 領土の拡大
ブルグント王国を滅ぼしスイスを領有
 カロリング家(宮宰職の家柄)の台頭
トゥール・ポワティエ間の戦い(732)

カロリング朝(751〜10C)

 カール=マルテル(シャルルマーニュ、初代、位751〜768)
教皇の支持を得て王朝を創始
 教皇領の創設
教皇と対立していた北イタリアのピピン王国を討伐
獲得地のランゴバルト(ロンバルト)を教皇に寄進(754、756)
 カール1世(二代、位768〜814)
西欧の統一
中央集権体制の樹立
ラテン文化の復興
西ローマ皇帝位の授与(810)
 ルートヴィヒ1世(三代、位814〜840)

フランク王国の分裂

 ヴェルタン条約(843)
ルートヴィヒ1世の死後に3子が抗争、王国を三分割
ロタール2世 :中部フランクと北イタリア
ルートヴィヒ2世 :東フランク
シャルル2世 :西フランク
 メルセン条約(870)
ロタール1世の死後に中部フランクを解体、東西フランクが併合
イタリア・ドイツ・フランスの起源、中世国家の誕生

カロリング朝

カロリング家(宮宰職の家柄)の台頭

 トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
イスラム教とがピレネー山脈を越えて王国に侵入
カロリング家のカール=マルテルが南フランスで撃退

カール=マルテル(シャルルマーニュ、初代、位751〜768)

 教皇の支持を得て王朝を創始
 教皇領の創設
教皇と対立していた北イタリアのピピン王国を討伐
獲得地のランゴバルト(ロンバルト)を教皇に寄進(754、756)

カール1世(二代、位768〜814)

 西欧の統一
ラヴェンナ王国を討伐→北イタリアを領有
サクソン族を征服→ドイツを領有
アジア系のアヴァール(柔然)族の侵入を撃退
イベリア半島からのイスラム教徒の侵入を撃退(『ローランの歌』の題材)
 中央集権体制の樹立
全国を州に分け、公・伯・辺境伯などの地方行政官を配置
巡察使を派遣して地方行政(地方行政官)を監視
 ラテン文化の復興
イングランドのアルクィンなどのラテン語に通じた学者を招請
宮廷都市アーヘンを中心にカロリング=ルネッサンスが到来
 カール1世の戴冠(810、西ローマ皇帝位授与)
教皇レオ3世のビザンツ皇帝(東ローマ皇帝)への対抗策
西ローマ帝国の理念的復活、西欧世界という統一世界の誕生
 西欧世界の特徴
ローマ的要素・キリスト教的要素・ゲルマン的要素が融合した世界
内陸部を中心とするヨーロッパ(従来は地中海が中心)

分裂前後の三国の状況

北イタリア

 カロリング朝の断絶(875)
 混乱状態
教皇領・諸侯領・都市が分立
後に神聖ローマ帝国が介入

※南イタリア

 フランク王国崩壊後
半島南部 :ビザンツ領(6C〜)
シチリア島 :イスラム領(9C〜)
 ノルマン人の侵入・支配(11C〜)
両シチリア王国の成立(1130)

ドイツ

 カロリング朝の断絶(911)
 選挙王政
 コンラート朝
 ザクセン朝(919〜1024)
オットー1世(位936〜973)

フランス

 カロリング朝の断絶(987)
パリ伯のユーグ=カペーを国王に選出
 カペー朝(987〜1328)

ザクセン朝

オットー1世(位936〜973)

 マジャール人の侵入を撃退
南独はレイフェルトの戦い(933)
 オストマルトの設置
対マジャール辺境伯
オーストリアの起源
 イタリア遠征を実施
混乱を収拾し教皇を救援
 オットー1世の戴冠(962)
教皇ヨハネス12世による西ローマ皇帝位授与
神聖ローマ帝国の成立
この後はドイツ王が理念的に西欧世界の頂点に君臨
 イタリア政策の実施
イタリア支配を企図して干渉(ドイツ分裂の開始)
 帝国教会政策の開始
概要 :皇帝による教会支配
目的 :聖職者を帝国の官僚化

ノルマン人の移動・建国

 ノルマン人
ゲルマンの一派
原住地 :ユトラント半島・スカンディナヴィア半島
呼称 :ヴァイキング・デーン人(英)、ルス族(露)など

ノルマン人による北欧三国の成立

 デンマーク(8C)
 ノルウェー(9C)
 スウェーデン(10C)
 その他の国々
フィンランド :フィン人(アジア系?)の定着、スウェーデン領(13C〜)
アイスランド :ノルマン人の定着、ノルウェー領(13C〜)

ノルマン人の移動・建国(9C〜)

 ロシア北部
ノヴゴロド公国を建国(862)
建国者 :リューリク
 フランス北西部
ノルマンディー公国を建国(911)
建国者 :ロロ
 イタリア南部
両シチリア王国を建国(1130)
建国者 :ルッジェーロ

デンマークの強大化(11C〜)

 “北海帝国”の成立(11C)
クヌートによるイングランド・ノルウェー征服
 カルマル同盟の成立(1397)
マルガレーテがスウェーデンで結成
スウェーデン=ノルウェーとの同君連合
実質的にはデンマークによる両国の併合

ハンザ同盟の強大化(15C〜)

 制海権
デンマークを破りバルト海の制海権を獲得

封建社会の成立

封建社会

 上部構造:封建制度
意義 :騎士階級(国王・諸侯・騎士)相互の主従関係を規定
原理 :主従関係は封土と忠誠(一定人数/期間の軍役)を媒介として成立
 下部構造:荘園制度
意義 :騎士階級と農民の関係を規定
原理 :騎士階級は自領において領主として農奴を使役

封建社会の特徴

 ピラミッド型身分社会
頂点 :国王
上位 :聖職者+貴族階級
 荘園を単位とした自給自足の現物(自然)経済
 王権が弱く地方分権的
諸侯は半独立国を形成、国民国家の概念は極めて希薄

封建社会の経過─前期(6〜10C)

 ゲルマン民俗の移動終了(6C)
 イスラム教徒の地中海進出(7C)
地中海が“イスラムの湖”になる
地中海中心の貨幣経済が動揺(商業の衰退)
ヨーロッパの中心が内陸部に移動
 フランク王国の西欧統一(8C)
西欧世界の成立・荘園制度の確立
 ノルマン・マジャール人の侵入(9C)
封建制度の成立(力による庇護)

封建社会の経過─中期(最盛期、11〜13C)

 西欧世界の膨張
農業生産力の上昇・人口の増加
開墾運動・十字軍・東方植民
 商業ルネッサンス・中世都市の成立
貨幣経済の復活
中世システムの崩壊へ

封建社会の経過─後期(14〜15C)

 封建制度・荘園制度の崩壊
 ルネッサンス・大航海時代の幕開

荘園制度の特徴

 荘園の構造
 農奴の負担
 耕作形態

ローマカトリック教会の発展

概略

 ローマ教会の発展
西ローマ帝国滅亡以後はビザンツ皇帝の庇護下
 ビザンツ帝国からの離反(8C)
聖像崇拝論争により対立
 教会の腐敗・世俗化(9〜10C)
 修道院の改革運動(11C〜)
 教皇グレゴリウス7世による改革運動(11C後半)
帝国教会政策と対立する内容を含む
 叙任権闘争(1075〜1122)
 教皇権の全盛(12〜13C)

ローマ教会の発展

 ローマ教会
五本山の一つ
使徒ペテロによる創設・殉教の地ローマに在ることを理由に首位権を主張
西ローマ帝国の滅亡後はビザンツ(東ローマ)皇帝が保護者として君臨
 教皇グレゴリウス一世(位590〜604)
教皇支配の基礎確立
ゲルマン布教に尽力
ベネディクト派修道士の協力でアングロ=サクソン族への布教に成功
 ベネディクト派修道会
原点 :ベネディクトがローマ東南方にモンテ=カシノ修道院を設立(6C)
特徴 :“祈り、働け”を標語に清貧・貞節・服従を原則とした修道院生活の原則を確立

ビザンツ帝国からの離反(8C)

 経緯
皇帝レオン3世の聖像禁止令(726)を契機に聖像崇拝論争が開始
ローマ教皇はあらたな保護者を求めてフランク王国に接近
東西教会の分離(1054)

教会の腐敗・世俗化(9〜10C)

 土地寄進・十分の一税などにより封建諸侯化
 聖職売買や聖職者の妻帯が横行

修道院の改革運動(11C〜)

 クリニュー修道院(南仏、10C成立)
11Cの改革運動の中心
グレゴリウス7世やウルバヌス2世などの教皇を躍出
 修道会の発生・改革運動推進
シトー派修道会による改革運動(12C)
フランチェスコ・ドミニコ修道会などの托鉢修道会による改革運動
 フランチェスコ修道会
フランチェスコがイタリア中部のアッシジに設立
海外布教に活躍
オックスフォード大学を指導
 ドミニコ修道会
スペインのドミニコが南フランスに設立
軍隊的組織を持ち異端討伐に活躍
パリ大学を指導

教皇グレゴリウス7世による改革運動(11C後半)

 聖職売買・聖職者の妻帯を禁止
 世俗君主による聖職者の叙任(任免)を禁止
神聖ローマ皇帝の帝国教会政策と衝突。ハインリヒ4世と対立

叙任権闘争(1075〜1122)

 概略
聖職叙任権をめぐるグレゴリウス7世とハインリヒ4世の対立
 カノッサの屈辱(1077)
破門を回避するためにハインリヒ4世が屈服
 ウォルムス協約(1122)
教皇が地位を授与し皇帝が俗権を授与するということで一応の妥結

教皇権の全盛(12〜13C)

 教皇ウルバヌス2世
クレルモン公会議の開催(1085)
第一回十字軍の開始(1096)
 教皇インノケンティウス3世
教皇権の絶頂期
第四回十字軍の開始(1202)
英仏国王を圧倒

ビザンツ帝国の盛衰(395〜1453)

ビザンツ帝国の成立

 ビザンティウム遷都(330)
コンスタンティヌス帝による
コンスタンチノープルと改名
 ローマ帝国の東西分裂(395)
テオドシウス1世の死を契機
東ローマ帝国の成立(初代アルカディウス帝)

キリスト教論争の集結

 エフェソス公会議(431)
ネストリウス派を異端とし排除
 カルケドン公会議(451)
キリスト単性論派を異端とし排除
キリスト論争の終結

ユスティニアヌス1世(位527〜565)

 地中海帝国の復興
ヴァンダル王国(北アフリカ)・東ゴート王国(イタリア)を征服
旧ローマ帝国領の多くを回復
 ササン朝ペルシアと抗争
ホスロー1世の治世
 皇帝教皇主義の確立
皇帝が政教両権を掌握
 『ローマ法大全』の編纂
編纂者 :トリボニアヌスほか
 聖ソフィア寺院の建立
ビザンツ様式
 中国から蚕卵を導入(絹織物の開始)

ヘラクレイオス(位610〜641)

 ギリシア化の進展
公用語がラテン語からギリシア語に変化
 軍管区制(デマ制)・屯田兵制の施行
軍事的色彩の濃い中央集権的統治制度
ササン朝・アバール族・スラブ人の侵入に備える体制
 イスラム教徒の侵入開始
正統カリフ時代(特にウマルの治世)のイスラム教徒の侵入開始
ビザンツ帝国はシリア・エジプトを喪失

レオン3世(位714〜741)

 聖像禁止令の発布(726)
背景1 :偶像崇拝を禁止するイスラム教の影響による信仰の絶対化
背景2 :大土地所有により富裕化した教会・修道院に対する抑圧策
影響 :ゲルマン布教の便宜上聖像を認めざるを得ないローマ教会と聖像崇拝論争勃発
結果 :ローマ教会はビザンツ帝国から離反しフランク王国に接近
 スラブ人布教の開始
キュリロス兄弟によるモラヴィア王国での布教活動(9C、失敗)

マケドニア朝(867〜1057、繁栄期)

 バシレイオス一世(位867〜886)
 バシレイオス二世(位963〜1025)
南スラヴ族を平定
ブルガリア王国を滅ぼしバルカン半島を奪還
キエフ公ウラディミル一世と交流(ロシアにビザンツ文化定着)

コムネノス朝(1057〜1204、衰退期)

 異民族の侵入激化
セルジューク=トルコの小アジア侵入
ノルマン人の南イタリア侵入
 アレクシオス一世(位1081〜1118)
教皇ウルバヌス二世に援軍要請
プロノイア制の導入
 コンスタンティノープルの陥落
第四回十字軍・ヴェネツィアの攻撃
 

ビザンツ帝国の再建(1261)

 ラテン王国(1204〜61)
十字軍が樹立した国家
 ニケーア帝国(1206〜61)
ビザンツ帝国が首都をニケーアに移して存続したもの

ビザンツ帝国の滅亡(1453)

 コンスタンティノープル陥落
メフメト2世の治世のオスマン=トルコ
 ビザンツ帝国の継承
モスクワ大公国が継承
大公イヴァン3世が“ツァーリ”の称号を採用
モスクワが第3のローマ(第2のコンスタンティノープル)となる

スラブ人の移動・建国

スラブ人の移動

 スラヴ人
原住地 :カルパティア山脈からドニエプル川流域にかけての一帯
 人口増加による拡散(4C)
フン族の侵入で一部が西進しエルベ川まで到達
 バルカン半島へ一部南下(6C)

種族群の形成

 東スラヴ
ロシア人・ウクライナ人
 西スラヴ
ポーランド人・チェック人(ベーメンに定着)・スロヴァク人
 南スラヴ
セルビア人・スロヴェニア人・クロアティア人

ポーランド

 ポーランドを樹立(10C)
ポーランド人
 カトリックを採用(10C)
ドイツ人の東進に対抗するため
 混乱期(13C)
バトゥ旗下のモンゴル軍侵入
ワールシュタットの戦い(1241)
 ドイツ騎士団の侵入(東方植民)
ドイツ騎士団領の成立(後のプロイセン)
 繁栄期(14C)
カシミール大王の治世
司教座都市ポズナニ・ハンザ都市グダニスク(ダンツィヒ)・大学都市
 ヤゲロー朝(1386〜1572)
ドイツ騎士団への対抗のためリトアニアと連合成立
タンネンブルクの戦い(1410) :ドイツ騎士団を撃破排除

ベーメン(現チェコ)

 チェック人による王国樹立
モラヴィア王国(9C)
ベーメン王国(10C〜)
 カトリック採用(10C)
 神聖ローマ帝国に編入(11C)
ドイツ人によるベーメン支配(1310〜)
チェック人は民族運動(独立運動)を展開
フス戦争(1419〜36) :宗教戦争+民族運動

ハンガリー

 アジア系民族の定着
フン族(5C)
アヴァール族(6〜8C)
 ハンガリー王国樹立(10C末)
アジア系マジャール人
 カトリック採用(11C)
 外国勢力によるハンガリー支配(1301〜)

バルカン半島

 南スラヴ族の定着(6C)
 アジア系ブルガール族の定着(7C)
ブルガール族はスラヴ化してブルガリア人に
 半島西部
南スラヴ族の分立割拠
ビザンツ帝国領(11〜12C、マケドニア朝バシレイオス2世)
セルビア王国(12〜15C)
 半島東部
ブルガリア王国(7〜11C)
ビザンツ帝国領(11〜12C、マケドニア朝バシレイオス2世)
ブルガリア王国(12〜14C)
 半島南部
第四回十字軍
ラテン帝国領(13C前半)
ヴェネツィア領(13〜15C)
 オスマン=トルコ帝国領(14・15C〜)
バルカン半島全域を支配

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