読書についてあれこれ

 本を読んでイロイロおもったことを書いてみました。


頁末

目次

二冊の本を読む
Up:1999.10.17
注:この文章は99年の春に書いたものをベースにしてます。ですから、冒頭に出ている図書館ができてからは、もう随分たっていたりします(あんま本文と関係無い話ですが、一応)。

二冊の本を読む

 家の近くに図書館ができたので、さっそく本を借りに行くことにした。

 その日は『足の裏は語る』という本と『靴で人生を変える─よい靴、よい足、ハンサムウォーク』という本を借りてきた。前者は足とか姿勢とかについてのもので、後者は足と靴についての本だ。

 どんな本でもそうだが、隣接するジャンルの本を並行して読むと、内容が食い違っていておもしろい。例えば今回の2冊について言えば、前者は「正しい歩き方なんてない」と言っているのにたいして、後者は『ハンサム・ウォーク』などと名付けた「正しく健康的な歩き方」の紹介をしているのである。これらは明らかに矛盾している。

 では、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているのだろうか?
 いや、そんなことはないだろう。どちらも正しいのだ。
 では、なぜ矛盾がでてしまうのか。

 しばしば「本には知識が詰まっている」「本はためになる」などと言う人がいるが、とんでもない誤解だとおもう。もちろん、知識(情報)を伝達することを目的とした本もあるにはあるといえるかもしれない(理科系のものや新聞などに)。しかし、大部分の本に詰まっているのは、一定のコンセプトをもった誰か(大抵は著者)の主張であり、主義にすぎない。

 今回の例に従えば、両者の意見を統合した場合、つまりより妥当な(そしてまわりくどく押しの弱い)表現をするとしたら、このようになるのではないだろうか。

 「『正しい歩き方』は存在しないけど、『固くて平坦な地面を靴を履いて歩く場合に身体にかかる負担を最小限にする歩き方』は存在する。そしてそれは日本人が伝統的に持っている歩き方とは異なり、ヨーロッパのそれにより近い」と。

 でも、これをいちいち説明していたら、本の主旨が不明瞭になってしまうだろう。なぜなら、それぞれの本で取り扱いたいことは別にあるのだから。もちろん著者が自分の考えを真理だと思い込んでいる場合もあるだろうが(あと良くあるのは「先進的な」西欧諸国へのコンプレックスとか)。
 いずれにしても、個々の本からはバイアスのかかった情報か、真偽の入り交じった情報しか得ることはできない。

 だから、極論を言ってしまえば、一冊の本を読んで得られるのは「正しくない情報」だけということになる。そして、これを防ぐ一番良い(手軽で効果的な)方法は、同じようなジャンルを扱った本を二冊以上合わせて読むことなのだ。

 この読み方のメリットは、「より正しいであろう情報を得ることができる」ことと、「著者の言うことを鵜呑みにしない精神を築きあげる」ことの二つ。どちらも大切なことである。

出てくる本

『足の裏は語る』
(筑摩書房、平沢彌一郎、1991.7.25、4-480-86032-0 C0047 P1553E)
(ちくま文庫、平沢彌一郎、1996.1.24、4-480-03154-5 C0147 P680E)
『靴で人生を変える─よい靴、よい足、ハンサムウォーク』
(はまの出版、真喜屋光子、1997.7、4-89361-240-9 C0036 P1500E)

本を読んでの雑感など

 これは本文でも触れているけれども、石畳やコンクリートのような「固く平坦な地面」だけを歩く分には、西欧式の、かかとを使った歩き方がおそらく身体に良い(負担が小さい)のだろう。もちろん「しっかりした靴底」を前提にしての話だけれども。

 結局のところ、どんな在り方が美しいかは価値観の問題だ。でも、とにかく言えるのは「互いの差をきちんと知った上で自分で選ぶことが大事」という、至極あたりまえの結論におちつくのかな。


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