天羅万象というと“業”と“因縁”に表されるようにやや暗い印象があります。
しかし“業”と“因縁”を絡めながら明るいお話は作れないものでしょうか?
と、いうわけで。
“業”と“因縁”を絡めた『明るいラブコメ話』を作ってみました。
「海魔」
勇魚(ユオ)の銛が、ぶっつりと黒い額に突き刺さった。
「やったか!」
櫂を握る早目(ハヤメ)が歓声をあげる。だが、それはすぐに悲鳴へと変わった。
その身に七本もの銛を突きたてられながら、そいつは未だ闘志を失っていなかった。
激しく潮を吹き上げ、十間(約18m)をこえる巨体を小癪な小舟へと突進させる。
「くそっ!」
勇魚は舌打ちすると、次の銛をつかんだ。激しい船の揺れを感じさせない、流れる
ような動作で投擲の構えをとる───が、間に合わない。
少女が衝突を覚悟したその時、鈍い唸りをあげて一本の銛が飛来した。銛は直線に
近い軌跡を描きつつ、鯨の潮吹き穴のすぐ下を貫いた。
鯨の黒い眼がぐるり、とひっくり返った。
漁は、終わった。
お祭り騒ぎは、日が落ち夜が更けても終わる様子を見せなかった。この浜で鯨が揚
がったのはほぼ一年ぶり。夜を徹して祝うだけの価値はあった。
円い月が中天にかかる頃、勇魚は騒ぎの中から抜け出して村の外れにある小屋へ向
かった。扉がわりの筵をめくり、中へ声をかける。
「芭全(バゼン)、起きてるかい?」
「何の用だ?」
不機嫌さを隠そうともせず、小屋の主が答えた。
「ちょっと出てきておくれよ。話があるんだ」
むっつりと押し黙ったまま月光の下へと出てきた男を見て、勇魚は改めて賛嘆の念
を強くした。芭全の身の丈は六尺(1m80cm)あまり。無駄な肉が一かけらもつい
ていない細身の身体を、鋼の糸をきつくよりあわせたかのような筋肉が覆っている。
この全身をしならせて投げる銛の威力は、昼間の漁でも実証されたばかりだ。
「なんだ、話というのは?」
「叔父貴から聞いたんだ。あんた、今季の漁が終わると村を出て行くんだって?」
男は無言でうなずいた。元々、芭全はこの浜の生まれではない。一年前に西の方か
ら流れてきた風来坊である。
「残念だ、って叔父貴が言ってたよ。あんたほどの銛打ちはこの国に二人といないっ
て」(あたいも、そう思ってんだぜ。………わかってんの?)
言外の含みは、男に伝わらなかった。芭全は大きく欠伸をすると踵を返した。
「そういうことだ。話がすんだなら俺は寝る」
勇魚の顔に、さっと朱が注いだ。激情のままに言葉が迸る。
「なんだよ!! あたいのどこが不満だって言うんだよ!!」
何のことか分からず、芭全はあっけにとられた顔で振り返った。
「お前に……不満? 俺が?」
自分の言葉の意味に気がついた勇魚が、さらに顔を赤くして手を振り回した。
「いや、だから……あの……この村がイヤだから出て行くってんなら……その……」
さっきの勢いはどこへやら。勇魚はうつむいて口をもごもごさせた。
しばしの間。
「すまんな、言葉が足りなかったようだ」
芭全は手を伸ばし、少女の肩に己の手を置いた。
「俺はこの村が嫌になったから出て行くんじゃない。俺は──探しているものがある
んだ」
勇魚は肩に置かれた男の手に自分の手を重ねた。どちらの手もゴツゴツと硬い。
「何を? 何を探しているんだい?」
「白い海魔……親父の仇だ」
芭全の瞳に硬質の輝きが宿った。
日が移り、月の満ち欠けが二回り進んだその日。
暇を告げる挨拶のため、芭全は網元の家を訪問した。さっぱりとした旅装束を着、
布で包まれた長物を手にしている。
「やはり出て行くか。残念だがしかたあるまい」
網元の言葉に、芭全は無言で頭を下げた。
「勇魚が悲しむだろうな。あいつはお前を気に入っておったからな」
芭全はさらに頭を下げ、己の顔と心とを隠した。
網元がさらに何かを言いつのろうとした時、廊下を踏みならす音と共に闖入者が現
れた。
「旦那! 大変ですぜ、旦那ァ!」
走ってきたのだろう。息を喘がせながら男は叫んだ。
「なんだ、騒々しい」
「化け物でさァ! 沖にでっけぇ白いのが現れて、鯨を襲っているんで!」
弾かれたように面を上げ、芭全が立ち上がった。
白い腕が、海面を盛り上げつつ持ち上がり、鯨の胴体へと絡みついた。必死に暴れ
る鯨を、まるで愛しい男にすがりつく女のようにしっかりと締めつける。
「なんて……なんて化け物だい……まったく」
苦悶の叫びをあげる鯨の声を聞きながら、勇魚は呟いた。
いかに海の王者の鯨とはいえ、人間に狩られることもあれば鯱の群れに襲われるこ
ともある。だが、鯨を上回る巨体を持った狩猟者がこの海にいるとは……
呆然と見つめる勇魚の視線が、根元近くでぶっつりと切れている一本の白い腕を捕
らえた。芭全の言葉が記憶の底から浮かび上がってきた。
『親父は、自分が死ぬ前にそいつの腕一本をもぎ取ったんだ。だが、それがまずかっ
た。そいつは自分に危害を加えた“人間”に対して悪意を持つようになった……』
勇魚がそこまで思い出した時──
怪物の白い腕が、海面下から勇魚の乗る船に叩きつけられた。
「やはり、お前かぁ!」
芭全が吼えた。
芭全の目の前では、“海魔”が鯨を放り出し、漁師の乗る小舟を追い回していた。
逃げ惑う舟を追い詰め、触手の一撃でバラバラにする。それは餌を取るための狩りで
はない。楽しむための遊びであった。
芭全はすっかり数の減った舟の中に一人の少女の姿を探した──見つからない。
「お前を倒す理由がもう一つ増えたようだな」
芭全は穂先が人の腕ほどもある奇妙な槍を握り、“海魔”を睨みつけた。
“海魔”と呼ばれるそいつは、自分の方へと向かう舟がある事に気がついた。鯨の
群れがそうであるように、一匹が犠牲になって残りを逃がそうというのだろう。“海
魔”は九本の腕の一つをその小舟に叩きつけた。
その直前、一人の男が海の中に飛び込んできた。
男が手にした槍を見た“海魔”の脳裏に、忌まわしい記憶が蘇った。
“海魔”は己が九本の腕のすべてを男へと伸ばした。
(思い出したか。この槍を! だが、もう遅い!)
芭全は槍の穂先を“海魔”へと向けた。もちろん、いかに彼の膂力が衆にすぐれて
いようとも水の抵抗をおして槍を投げることはできない。
「銀流よ! お前の獲物だ! 行けぇ!!」
芭全が槍の根元をねじると、そこの穂先と柄の継ぎ目から激しい閃光がもれた。次
の瞬間。後に銀色の光の尾を引きながら、穂先が“海魔”へと飛び出した。
狙い違わず、穂先は“海魔”の巨大な眼球に命中した。ぎゅるぎゅると回転しなが
ら穂先が眼球を抉っていく。
芭全が見たのはそこまでだった。“海魔”の口から激しい水流と真っ黒な墨が吹き
出し、芭全はその中に巻き込まれていった。
「芭全! 芭全ってば!」
己を呼ぶ少女の声に、芭全は目を覚ました。
「勇魚? お前、どうして……」
歓声をあげて首筋にしがみついてくる少女を抱きとめながら、芭全は自分が引き上
げられた小舟のすぐそばに、鯨の巨体が浮かんでいることに気がついた。
「海に投げ出された後ね、こいつが“海魔”の腕からあたいを守ってくれたんだ。あ
たい達が“海魔”から自分を助けてくれた、って思っているみたい」
鯨は芭全に一瞥をくれると、悠々と沖へと泳いでいった。
「そういえば、奴は?」
「逃げてった。すごい勢いで」
「とどめは刺せなかったか……また追わねばならんな」
「そうだね」
妙に平静な勇魚の声に、芭全の心のどこかで警戒信号が鳴った。
「潮に乗って逃げたから、やっぱ北の方だよね。阿瓦砂の国あたりかな」
「おい、勇魚。お前まさか──」
「もちろん、あたいもついてくよ。うちの浜の連中だって大勢やられたんだ。仇はと
らなきゃ」
「だがな──」
「それに、その槍。珠で穂先を射出するんだろ? 芭全、珠持ってる?」
「…………」
「それに……それに……」
なおも言葉を探す勇魚を、芭全は無言で抱きしめた。
“海魔”の腕よりも厄介な物に、絡めとられた自分を感じながら。
『終』
作成者:銅 大(アカガネ ダイ)
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