この小説は、天羅万象というものを知った頃に書かれたものです。
 戦国時代劇風だが、ロボットやらサイボーグやらが存在するという世界だと。
 しかし私は、世界は変われど、人の本質は変わらないものだと思っています。
 というか、本質が変わってしまった「人」というのは、すでにしてRPGや小
説の対象外でございましょう。SF小説で間接的に記述するのが精一杯。それも、
あまり面白いモノにはなりそうにありません。
 ということで、この小説は「愛憎」という、人間の本質の中の一面に焦点を合
わせてみました。
 ……おお、こう書くとなんかもっともらしくてカッコいいぞ。


「仇」



 月のない晩であった。
 重い雲が低く垂れ込め、星の光のカケラすらも遮っていた。
 陣の各所に焚かれたかがり火の明かりだけが、わずかに迫り来る闇を退けていた。
(あそこに……いる)
 かがり火を見つめる冴江の瞳に、闇よりも黒い炎が燃え上がった。
(あの男がいる)
 主君を裏切り、その功をもって高録を食む卑劣漢が。彼女の夫と、そして顔すら
見ることのなかった子供の仇が。
 激情を抑えるべく、冴江は瞼を閉じて懐にしまった短刀を握りしめた。彼女が嫁
ぐ時に父が渡してくれた守り刀。幼いころに死んだ母の形見を。
(父様)
 脳裏に、父の声が蘇る。
「よいか冴江。この乱世にあって人の心はすさみきっておる。だが、それゆえにこ
そ守らなくてはならない、人の道というものがあるのだ」
 若い頃『鬼の東』と呼ばれた武者は、そう訥々と語りながら彼女に守り刀を、妻
の思い出を託したのだ。
(父様。これは人の道には外れているかも知れません。ですが、それでも──)
 冴江は立ち上がった。
 迷いは、なかった。


「待ちな、姉ちゃん」
 野太い男の声にひそむ、剣呑な何かが闇の中を進む冴江の足を止めた。
「どこに行く?」
「茅崎守(かやさきのかみ)の寝所へ」
 冴江は正直に答えた。うっすらと笑みさえ浮かべて。あたりを包む闇よりもまだ
暗き微笑みに、男は背筋を震わせるものを感じた。
「夜伽ならまた今度にしてくれねぇか。茅崎守様は、戦の前には女は抱かねぇ」
 己が心に忍び寄る感情をふり払うべく、わざと大声を張り上げ、槍をしごく。変
事に気がついたのか、陣所のあちこちで松明が灯り、人のざわめきが大きくなる。
(さぁ、どうする? 逃げるにせよ、強行するにせよ、ここで時間をかけるほどに
不利になるのはお前さんの方だぜ)
 相手を精神的に揺さぶり、その力を削ぐ。兵法の基礎だ。だが、目の前の女は動
ずる様子もなく、ただ立ちつくすだけ。
 冥府から吹く風にも似た気配を漂わせながら。
「ちぃッ!!」
 結局、先に動いたのは男の方だった。8尺あまりの槍が、雷光のごとき速さで冴
江の胸元に吸い込まれる。穂先が肉を抉り、肋を砕き、心の臓を貫く。
 血がしぶいた。
(馬鹿な? なぜ避けようともしない?)
 あっけなく倒れた女を前に、男は半ば呆然としていた。その周囲に、兵が集まっ
てくる。兵士たちは何があったのかも分からず、不思議そうに女と男を見比べた。
「どうした? 何事だ?」
 兵の囲みをぬけて、一人の武将が現れた。
「あ、お館様。何やら不審な女が陣所に入りまして……」
 地侍の報告を聞きながら、武将は倒れた女のところに歩みよっていった。

 殺気がよみがえった。

「いけねぇ! そいつは死んじゃいねぇ!!」
 男の槍が唸りをあげて旋回し、女の背中から飛び出してきた昆虫の足にも似た触
手をはじき飛ばした。
 だが──
「茅崎守、覚悟!!」
 女が手にした短刀が、茅崎守の喉を貫いていた。ごぼごぼと血の泡を吐きながら、
茅崎守は己が娘の名を呼んだ。
「冴……江……」
 主君を裏切ることでただの地侍から茅崎守にまでなった『鬼の東』の、それが最
期の言葉だった。

 雨が降り始めた。
 まるで抱き合っているかのような恰好で地面に倒れた親娘の上に。
 ただ、雨は降りつづけた。

                 『終』


 作成者:銅 大(アカガネ ダイ)

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