■10フィートの恋:Rule Of Love

「好きだ。愛している」
 ケイのその言葉に、私は舌打ちで返した。
「ちっ、油断した」
「ひどいなアヤカ。だが、その強気なところも魅力的だ」
 ケイは臆面もなく言う。
「ちょっとケイ、10フィートルールは守ってるでしょうね?」
「もちろんだ。アヤカとの約束は死んでも守る」
 私はすばやく前後を確認した。
 夕暮れの通学路だ。駅へ向かう生徒の数はまばらであるが、それなりにいる。
 だからこそ、私はケイと一緒に下校することを認めたのだ。
「ほら、後ろに四組の子がいるじゃない。10フィート以内に人がいるから今のは無効よ」
「違う、彼女は11フィート離れている」
「どうして分かるのよ。定規があるわけじゃないのに」
「ガードレールの足を数えれば分かる。証明してもいい」
 私は足を止めてケイをにらんだ。
 ケイは平然と私の視線を受け止める。メガネのレンズの向こうにある瞳には、いささかの動揺もない。
 休憩時間も本ばかり読んでいて、笑ったり騒いだりしないから目立たないけど、ケイは美人だ。おっぱいも大きい。体育の時間に男子がいやらしい目でケイを見ているのを私は知っている。
 そんな時でもケイはイヤな顔ひとつしないから、私がかわりに男子に注意する。あいつら、盛りのついたサルなんだから。
 そうだ、あんな奴らにケイはもったいない。私が守ってやらないといけない。それが……その、幼なじみとしての私の責任だ。
「どうしたのだ、アヤカ?」
 立ち止まっている間に追いついてきた四組の子が、くすくす笑いながら通り過ぎた。うう、恥ずかしい。
「別にっ! なんでもないわよっ!」
「そうか、ならいいのだ。けれど、その……」
 何でもかんでもずばずば言うケイが言いにくそうに口ごもった。
「何よ? どうかしたの?」
「そんなに情熱的に見つめないでくれ、アヤカ。惚れ直してしまうではないか」
「うるさい黙れ、この変態っ!」
 まったくもって。
 なぜこんな事になってしまったのだろうか。
 いや、分かっている。私のミスであることは。だからこうやって10フィートルールでケイの変態に付き合っているのだ。

 今から一週間前。
 男に告白されてもすべて断り、誰ともつきあおうとしないケイに誰か好きな人がいるのかとしつこく問いつめたのは私だ。
「それは言えない。言ってしまうと、アヤカに迷惑になる」
「何を水くさいこと言ってるのよ、私たちは小学校からの親友じゃない」
「それはそうだ。だからこそ、アヤカに言うことはできない」
「いいから言いなさいって。迷惑なんてことはないわよ。私が力になってあげるから」
「しかし……」
「言わないと絶交するわよ」
「それは困る」
 ケイが私を上目遣いに見た。その顔に表情らしい表情は浮かんでいない。けれど長いまつげがふるふると震えていた。
 それはまさしく、恋する乙女のまなざしだった。
「分かった。正直に言おう」
 どきん。
 私の胸の鼓動が早くなる。
 それは――たぶん――えっと……、そう、恐怖っ。それに間違いないっ。
 これから起こることへの恐怖に胸を高鳴らせる私をじっと見つめてケイは告白した。
「私が好きなのは、アヤカなんだ」

 もちろん私はその場で断った。ケイのことは大好きだけど、それは女の子同士の友情だ。恋とか愛とかとはちょっと違う。
 けれども、ケイはあきらめない。何度も私に愛をささやきかけてくる。
 通学中も、学校でも、下校時も。
 友人たちは私とケイがふざけていると思ったようだが、それにも限度がある。
 かといって完全に切り捨てるわけにもいかない。『力になってあげる』などと言った手前、私にも負い目がある。
 だから作ったのが10フィートルールという恋愛規定(Rule Of Love)である。
 周囲10フィート以内に他の人がいる場合、ケイはこれまで通り仲の良い友人として私に接する。その恋心を解放するのは10フィート以内に私とケイだけがいる時に限ると。
 補足としてLOS(line of sighting)ルールもあり、壁などを通して視線が遮られている場合は、10フィート以内に誰かがいてもオーケーである。

「だいたい、なんで私なんか好きになるのよ。女の子同士なのに」
 私とケイの家のちょうど中間にある児童公園で私はたずねた。
 すでに陽は落ち、街灯に照らされた公園の中半径10フィートに人の姿はない。
「分からない。気がついた時、私はアヤカに恋していた。アヤカしか見えなくなっていた」
「はぁ……」
 愛が重い。
「アヤカに負担をかけているのは分かる。消えろというなら、消える」
「そういうわけにもいかないでしょ。同じクラスなんだし」
「退学してもいい」
「いやいやいや、よくないわよ。おじさんやおばさんになんて言うのよ。せっかく合格した名門私学を蹴って、うちの公立高校に通うことになった時にだって、さんざん揉めたんでしょ?」
 思えば――あれも、私と一緒にいるためだったのか。
「父と母には申し訳ないとは思う。だが、私にとって最優先はアヤカなんだ。父と母を悲しませることがあっても、私はアヤカを選ぶ」
「こら」
 ぺしん、と私はケイの額にチョップ。
「あう」
 眼鏡がずれたケイが頭を押さえる。
「そんなのは、私のためじゃないよ。それはケイの自己満足。自分を犠牲にして酔ってるだけだよ」
「……すまない、アヤカの言う通りだ」
「わかればよろしい」
 いつも冷静で理知的なケイが、そんなことも分からなくなるほどに。前後の見境がつかなくなるほどに。
「アヤカに恋をしてから、私はどうかしている」
 そんなケイが怖くもあるけれど。
 同時に、すごくうれしくて、気持ちが浮き立つ。
 酔っているのは、たぶん私も同じ。
「ねえ、ケイ」
「?」
「恋って、何だろうね」
「私にもわからない。けれど――」
 ケイが私を見てほほえむ。
「アヤカを好きになって、良かった」
 そう言ってケイは、ただほほえむだけ。
 告白の前には、手をつないだりすることもあったけど、今のケイは自分からは私に触れようとしない。
 きっとそれは、ケイが自分で決めた恋のルール。
 だから。
「……まったくもう。いい加減、あきらめなさいよ!」
 私は腰に手をあてて憮然とした表情と声で言い返す。
「私は恋なんかしてないんだから! さ、帰るわよ!」
 私はケイの手を握り、歩き出す。
 少し汗ばんだ私の手を、ケイが握り返してくる。
 そう。
 これが私の、恋のルールなのだ。

【おしまい】


 作成者:銅 大(アカガネ ダイ)