『郵便配達人と銃』


 郵便の役務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の
福祉を増進することを目的とする。
「郵便法」第一条

 2005年9月11日。
 郵便事業の民営化を訴えて精力的に選挙活動を続けていた総理大臣小泉純一郎は、
その選挙の当日に拳銃で撃たれ死亡した。
 犯人は前島卓見(37)。郵便配達人の青い制服を着用した前島は小泉首相を手にした
ベレッタで三発撃った後、自らの口に銃口を突っ込んで引き金を絞り自殺した。

 1870年5月12日。
「大隈さん、ここはやはり国がやらねばならないヨ」
「ううむ、そうは言うがな前島クン。日本のどこにあっても等しく手紙を届けられる
ようにするにはとてつもない数の駅宿がいるぞ」
「それは承知の上だヨ」
「ボクとしては官営の飛脚事業は公用文書にのみ限り、私用の手紙はこれまで通り
民営の町飛脚に任せた方がいいと思うがネ」
「それではダメだ」
 前島密はきっぱりと言い切った。
 欧米列強の通信事業について学んだ前島密は、日本を一等国にするには情報インフラの
整備が必要不可欠であると見抜いていた。
 明治維新前の日本というのは藩という単位の小さな独立国家の集合体であった。違う
藩の人間は「あっちの」人間という意識はすべての日本人に根強く残っていた。
「この先、生まれ育った故郷を遠く離れて暮らす人間が増えてくる。なればこそ
どこにあっても故郷の父母と簡便に手紙が届けられるようにしなくてはならないヨ」
 どれだけ遠く離れていても、同じ日本であるという意識を持つためにも。
 この前島による建議の後、明治4年(1871年)に日本における郵便創業が行われる。

 1947年1月9日。
「おう、前島君。こっちだ」
 どてらを着た次長がストーブの前に陣取ったまま前島を呼んだ。
 逓信省庶務課長の前島兼道は椅子を引っ張ってきてその隣りに置き、腰をすえた。
「どうだったかね?」
「やはり分割ですよ。電話は新しくできる電気通信省に移管します」
「やれやれ。戻したりばらしたりとせわしないことだ」
 次長が皮肉な笑みを浮かべる。
 戦争とその後のごたごたは今なお続いている。官庁も例外ではなく再編がいつ
終わるのかさっぱり分からない。今の日本は明治維新の時に近いと言えた。
「電気屋の連中は喜んでます」
「自分達の省が持てればポストも増えるからな。ま、いつまで続くかは分からないが」
 明治以来の伝統がある逓信省も戦争中に一度消え、半年前に復活したばかりだ。
「その代わり電報はウチが変わらず管轄します」
「当然だな。誰が届けると思ってる」
「それとですね……」
 前島は左右を見て近くに誰もいないのを確認してから次長に顔をよせた。
「ピストル、やはり持つことになったようです」
「おいおい。冗談じゃなかったのか」
「GHQの方が強力に押しているみたいです。ほら、こないだの」
「郵便配達人が襲われてアメリカさんの機密情報が入った手紙が盗まれた件か。
そもそも手紙にそんなものを混ぜるなと僕は思うんだがな」
「やはり、ソ連が絡んでいたみたいで」
「しかしなぁ。明治の御代じゃないんだから」
 手紙を確実に届けるため、明治政府は初期の郵便配達人に護身用拳銃を支給していた
事がある。今回のGHQの決定はその習いに沿ったものであった。
 昭和24年(1949年)に逓信省は郵政省と電気通信省に分割された。それに伴い、
全国の郵便配達人は米軍払い下げのコルト・ガバメントを装備することになる。

 1969年1月19日
 安田講堂が燃えていた。
 放水車は今や学生を無力化するためではなく、火を消すためにその力を振り絞っていた。
 学生と殴り合いを続けていた機動隊員も、その任務を消火活動と講堂に残された学生の
救出に移っていた。機動隊の前島健太巡査部長も10人の部下と共にその中にあった。
「前島分隊長! バリケードの奥に学生を発見しました!」
「救出は? バリケードはとりのぞけるか?」
「何とか……だめだっ、くそ、石像で補強してある!」
「すぐ行く!」
 このあたりにも煙がたなびきはじめていた。早く助け出さないと煙で身動きが
とれなくなる。
 口元を汗や垢、埃で黒く汚れたマフラーで覆い、前島はバリケードへ向かった。
隊員が積み上げられた椅子や机をとりのぞいている。だが、大理石の石像が邪魔をして
思うように動かせない。
 前島は試しに石像をぐいと押して重さを確かめると、すばやく決断した。これを取り
除くには時間が足りない。廊下の脇に動かして隙間を作り、学生が通り抜けられる道を
つくるしかない。
「おい、聞こえるか?」
 前島はバリケードの向こうへ怒鳴った。声が割れ、がらがら声しか出ない。
「これから石像をどけて隙間を空ける。ひとりずつ身体を押し込んで出て来い」
「だめだーっ!」
「なに?」
「我々はぁ! 抵抗をっ! やめないーっ!」
 前島は耳を疑った。
「ばかっ! 講堂が燃えているんだぞ! すぐにここも煙に巻かれる。いいから出て
くるんだ!」
「我々はぁ! 断固として! 闘争を続けるっ!」
 なんてこった。これが本当に最高学府の学生の言動か。前島は部下と顔を見合わせた。
「どうします?」
「とにかく抜け道をつくるぞ」
 何をするにしても石像をどかせないとはじまらない。力を合わせて押したり引いたり
しているうちに、なんとか廊下の壁まで動かすことに成功する。
「やめろぉ! 我々はぁ! 権力には屈しないぞっ!」
 バリケードの隙間から奥を見ると、長髪の青年が顔をひきつらせて叫んでいた。目の
焦点が合っていない。
「くそ、ラリってやがる!」
「俺が中に入って引きずり出す。ここで待機してろ」
「分かりました」
 前島はバリケードの中に身体を押し込んだ。
「来るなーっ! 来るんじゃないっ!」
 学生が恐怖に震える声で叫んだ。前島は無視してバリケードを乗り越える。
「いいから……ん? おい、そっちの倒れているのはケガをしているのか?」
 床にもうひとり。青年が倒れていた。
「ち、違うんだっ! こいつがっ! こいつがっ!」
 そこで前島は、はっ、と気がついた。
 うつぶせに倒れた青年の身体の下から血が流れている。
 そして長髪の青年の手には拳銃が握られていた。
「お前が撃ったのか?!」
「こいつが悪いんだっ! 逃げようと! 逃げようとしたからっ!」
 前島は長髪の青年に近づくと拳銃を取り上げた。弾倉は空だった。拳銃はコルト・
ガバメント。米軍基地から横流しされたのか、あるいは――
 長髪の青年はしゃがみこむとすすり泣きをはじめた。だがすでに感性が磨耗しきった
前島の頭にあるのは青年のことではなく、この死体を抱えてバリケードを乗り越えるには
どうすればいいかという技術的な問題だった。
 60年代から70年代にかけて学生運動をはじめとする社会主義運動が日本中を
席巻した。学生運動のひとつのピークは昭和44年の東大紛争で、『東大炎上』と
呼ばれる3日間の闘争では学生が立てこもる安田講堂が全焼し、28人の死者が出た。

 2005年9月12日。
 新聞の一面トップはふたつ。『小泉首相暗殺』と『自民党圧勝』。いずれも
大ニュースだ。しかしだからといって世の中の動きが止まるわけではない。
 喫茶店で新聞を読んでいた男はそんな醒めた思いでぬるくなったコーヒーをすすった。
 からんからんからん。入り口の鐘が鳴った。白髪の老人が店内に入ってぐるりと
まわりを見る。そして男に近づいてきた。
「前島さん、ですか」
 老人が声をかけてきた。フリーライターの前島俊一は読んでいた新聞を畳むと
立ち上がった。
「前島俊一です。ご足労いただいて申し訳ありません」
 頭を下げて名刺をわたす。
「いえいえ」
 老人をうながして席に座る。
「たいへんな事になりましたね」
 老人が新聞の一面を見て言った。
「ま、『死ぬ気で郵政改革をする』と言っていた小泉首相です。ある意味で本望という
やつでしょう」
「あまりお好きではないようだ」
「好悪という点では確かにその通りです。評価という点ではまた別ですが」
「なるほど、分かります。私もGHQが郵便配達人に拳銃装備を義務づけたときは同じ
考えでした」
「といいますと?」
「当時は冷戦のはじまりでしたからね。ソ連は明白に敵でした。国軍は解体されたままで
日本国における軍事力はいわば空白状態にあったわけです」
「進駐軍をのぞけば」
「進駐軍をのぞけば――確かにそう。ですから、社会の安定のためにも郵便局が
武装するというのはさほど悪くはない、そのように好意的に解釈していました」
「しかし評価は別」
「そう、後に与えた影響という点では評価はまるで逆になります。南米などの政情
不安定な国では、役人の権限のひとつが銃器を装備できるという事をご存じですかな?
軍と警察をのぞく官僚に武器を持たせるのは、むしろ逆効果なのです」
「その後、60年代から70年代にかけて日本は騒乱の中にありました。あなたは
その原因のひとつが郵便局の武装化にあったとお考えのようですが」
「はい。安保反対や学生運動などで銃がしばしば使われたのはご存じですね。
その多くは昨今犯罪で使われているトカレフ――正しくは中国がコピー生産している
五四式ですが――ではなく、コルト・ガバメントでした」
「アメリカ軍基地から横流しされたと聞いています」
「確かに弾薬の主な供給源は在日アメリカ軍基地でした。当時はアメリカ軍の規律の
乱れがピークに達していましたからね。そうやって小銭稼ぎをする兵士は後を
たたなかった。ですが、銃本体は多くが郵便局から流れていたのです」
「それはまたどうしてでしょう」
「政府が郵便局から銃をとりあげようとしたからですよ。人間不思議なもので、
いらないと思っていても取り上げられるとなると不満が出る。既得権益を侵される
事には誰しも敏感なのです」
「だから、必要性を訴えた?」
「そうです。銃を社会に流して政情を不安にし、安全で確実な郵便業務の遂行には銃が
必要不可欠だとアピールしたのです」
「本末転倒ですね」
「まったくです。完全に目的と手段が入れ違っています」
「ですが人間とはそういうもの、とも言えるのでは?」
「そうですな」
 その後、前島は老人に幾つか突っ込んだ質問をした。老人は驚くほどの記憶力を
持っており、的確に質問に答える。
 これは面白い記事が書けそうだと前島は考えた。
「今日はどうもありがとうございました」
 老人に礼を言い、前島はメモをとっていた端末のファイルを自宅に送信した。
「それはインターネットですかな?」
「はい。今お聞きした内容をメールで自宅のパソコンに送ったところです」
「私は機械には詳しくないのですが、それは世界のどこの誰とでも手紙がやりとり
できるのですかな?」
「はい、世界中のどこであっても瞬時にメールが届きます。まあ、インフラの問題は
常についてまわりますが」
「世界中の人と親しく文を交わす――前島密の願いは彼の思わぬところで実現されていく
ようですな」
 それを聞き、前島は彼と同名のその人物がかつて記した詩を思い出した。

 四海弟兄親 原来造化意 世界が出来た時から人々は親しくある
 聯邦通信盟 茲発其神秘 世界に郵便が広がったのも同じ神秘の力によるものだ
 通信約茲成 万邦其規一 ここに通信条約ができ、万国が通信で結ばれた
 人為異族看 世挙同仁実 民族は違えども、人々の心は同じなのだ

                  ――万国郵便連合加盟を記念する前島密の詩より

(終わり)

  HomePageに戻る