『鬼狩り』
放課後の体育館の裏。人目につかないという点では格好のロケーション。そ
こに一組の男女がいる。
そのうちの一人、2年3組の榊原香苗は顔を真っ赤にしながら言った。
「す……好きです。お付き合いしてください」
言われた方、すなわち2年1組の池垣啓二は色素が薄い長めの髪をかき上げ
た。染めているわけではなく、とある事情で薄いのである。
「あの……迷惑でしょう、か」
おそるおそるといった感じで香苗は啓二の顔を見上げた。啓二はにこにこと
笑って答えた。
「迷惑だなんてとんでもない。僕もうれしいよ」
「そうですか!」
ぱっと、明るい顔になって香苗が両手を合わせる。
「ところで、良ければ教えて欲しいんだけど」
「はい」
「僕のどこが気に入ったのかな?」
「え……それは……」
啓二の顔は悪くない。いや、それどころか美形の部類に入るだろう。端正な
顔立ちは長い髪と相まって中性的な美貌を啓二に与えていた。
言葉につまる香苗に助け船を出すように、啓二は言った。
「僕が転校してきたばかりで、友達が少ないから?」
びくっ。香苗の顔が強張った。
「『両親の都合』で僕がアパートで一人暮らししているから?」
啓二はにこにこと笑いながら言った。香苗がおびえた顔で一歩、二歩、後ず
さる。
「あ……あの……」
「君は不思議だと思った事はないのかい? なぜ自分たちの存在がこの世界で
知られていないのか。なぜ物語や伝承の霧の中にしか存在しないのか」
啓二の顔に浮かぶ笑みがひどく酷薄なものになった。
「もう分かっただろう。こっちの世界には“狩人”がいるんだ。世界を守護す
る者がね。獲物を選ぶ時にはその存在に注意する事だ。もっとも、君がこの忠
告を君が生かす機会はないけど」
香苗の表情が一変した。内気そうな少女はそこにはいない。歯をむき出しに
し、手の指を鈎形にして構えをとる。まなじりをつり上げた顔は角こそ生えて
いないものの、まさに鬼面であった。
「変異の度合いは2マイナか。思っていたより進んでいるな」
香苗とは対照的にあくまでも啓二はクールだった。資料を分析する学者の目
で、香苗を見る。
かああああっ。
香苗の口から、紫色をした瘴気が涎と一緒に吐き出された。地面に落ちた涎
がじゅっ、と白い煙をあげる。
「さあ来いよ。逃げられると思うな」
啓二が挑発する。
香苗は高々と跳躍し、頭上から啓二におどりかかった。
3年5組の紫藤真那は鈴を結びつけた紐を回収してまわった。結界をほどく
と他の生徒や教師に気付かれる心配があるがしかたがない。後かたづけをする
『業者』は普通の人間だから結界をそのままにしておくと中に入る事ができな
い。それにもう午後7時を回っている。学校に残っている人間は残り少ない。
そう心配するまでもないだろう。
「けいちゃん、おつかれさま」
結界を解除した真那は体育館の裏に足を踏み入れた。
「真那姉」
「やだ、けいちゃん。血が出てるじゃない」
啓二の頬に切り傷があった。鋭利な刃物に切られたかのようで、表面上は小
さいが、深い傷である。
「かまいたちだよ。見切ったと思ったんだけどな」
「もう。かっこばかりつけてるからよ」
頬を流れ、顎に伝っている啓二の血を、真那がなめた。啓二が顔を赤くして
後ずさる。
「大丈夫だよ、真那姉」
「だめ。大人しくしなさい」
両手で啓二の顔をはさみ、真那は背伸びして傷をぺろぺろとなめた。透き通
るような白い肌の真那の、唇が血で赤く染まる。まるでルージュをひいたかの
ように。
血が止まった事を確認してようやく啓二を解放した真那は、頬の傷に持って
いた絆創膏をはった。それから思い出したかのように足下に転がる『それ』を
見た。
かつては榊原香苗と呼ばれていたそれは首を奇怪な方角にねじ曲げて倒れて
いた。
「変異は2……じゃないわね。2マイナか。これならなんとか化粧すれば親元
に帰せるわね」
「そうだね。そうたびたび行方不明ってわけにはいかないし。そのあたりは
『業者』さんにも頼んでおこう」
「これで最後かしら?」
真那の言葉に啓二は首を振った。
「たぶん違う。後1匹いると思う。それも狡猾なヤツがね」
「私たちのカバー、もうばれてるかな?」
「3匹も始末したんだ。いや、させられた、と言っていいかな。間違いなくば
れてるね」
真那もうなずいた。奴らに仲間意識などない。あるのは耐えきれない餓え。
血をすすり、肉を喰らうだけではとうてい収まりきらない徹底した飢餓の念。
「ばれてるならしかたないわね」
真那はなぜかうれしそうに言う。
「今夜、食事を作りにいったげる」
「いいよ。そんなの」
「だめよ。けいちゃん、ほっとくといつもコンビニ弁当ですませちゃうんだも
の。きちんと食べなきゃ」
むー、っと真那が啓二をにらむ。
「わかったよ」
「素直でよろしい。何が食べたい?」
「豚汁」
「オッケー。お姉さんにまかせなさい」
とん、と真那が胸を叩いた。ブレザーの制服の下の豊かな膨らみが揺れる。
啓二はつい目をそらした。
「なぜ長葱?」
「焼いていれると美味しいんだって」
「ふーん」
一人でコンビニ弁当ばかりぱくついている啓二の台所に食材があるわけもな
く、二人はまず近所のスーパーで買い物をする事になった。
「あ、こんにゃく、こんにゃく」
ぱたぱたとうれしそうにスーパーの中をうろうろする真那。その様子を啓二
はまぶしそうに見ている。
いつからだろう。真那がこうして啓二のそばにいてくれるようになったのは。
子供の時から修行に明け暮れる毎日だった。そして彼のような子供は世界中
にいた。
悪魔とも呼び、鬼とも呼ぶ。
はるかな過去より現在にいたるまで、常にこの世界はそれら異界(アナザ・
ワールド)よりの侵略者におびやかされていた。異界の敵の多くは実体を持た
ず、人に憑いて災いをなした。
それらを見つけだし、人知れず抹殺する。
それが啓二のような子供たちに与えられた使命だった。キリスト教、イスラ
ム教、ヒンズー教、そしてその他の宗教。宗派は違えど、それらは異界の敵と
戦える者を生み出し、世に送り出してきた。それは必ずしも聖職者というわけ
ではない。普段はごく普通のサラリーマンや、屋台でたこ焼きを焼いている親
父が実は世界の守護者である事もある。そして学生である事も。
啓二は自分の制服を見下ろした。まだ新しい。制服が身体になじむほどに一
つの学校にいた事はなかった。長くて四ヶ月。短い時には二週間。学校のよう
な外から閉ざされた環境で異界の門が開いた時には老練な戦士ではなく、彼ら
のような少年少女が送り込まれる。
当然、損耗も大きい。真那と啓二のコンビのように無敗を誇るペアは貴重だ
った。日本における切り札といっていい。
けれども。
「けいちゃん」
スーパーのかごいっぱいに食材を入れた真那が啓二の前に立っていた。
「また買い込んだね、真那姉。どうするの、そんなにたくさん」
「けいちゃん。今日、けいちゃんとこに泊まってもいい?」
啓二はどきりとした。胸の内をさとられたかと思った。
いや、さとられても不思議ではない。4才の時から10年以上の間、一緒に
いるのだ。
だが、ここはしらを切り通すしかない。
「何言ってるんだい真那姉。ダメに決まってるじゃないか」
「でも……」
「ほら、早く帰ろうよ。お腹も空いたし」
啓二はぐずる真那をうながした。
夜空を煌々と月が支配していた。
人気のない校庭。
黒々とした校舎。
昼間の喧噪があるだけに、よりいっそう静かさが際だっていた。
「やはり、一人で来たか」
歴史教師の真田元康は校庭の真ん中に立っていた。
「足手まといはごめんだからね」
啓二はわざと突き放す口調で言った。
「よかろう。念のため、邪魔が入らないようにしよう」
真田は片手をあげ、ぎゅっ、と何かを握る仕種をした。
車の音が、電話のベルが、自動販売機のあいさつが、犬の吠える声が、
途切れた。
「変異5プラスか。それだけの力があって、なぜ学校なんかにとどまる?」
「居心地がいいからさ。自分たちの王国を作るのは平安時代の失敗で懲りたん
でね。人間とまともに戦うつもりはないよ」
「つまり、こちらが手を出さなければ、そっちもこれ以上は猟場を広げない、
といいたいわけか」
「そうだ。ありがたいことに、おれと一緒に来たヤツはみんなお前達が始末し
てくれた。残っているのはおれ一人。一ヶ月に一人。それだけで満足してやる。
悪い取引じゃあるまい? なんなら――」
真田はにたり、と笑った。
牙が、むきだしになった。
「明日、この学校にやってくる全員を喰らってもいいんだぜ」
「それはさせない」
啓二は制服の上着を脱いだ。
ネクタイをゆるめる。
「お前は、おれが狩る」
「ほざくな」
真田のこめかみから二本の角がのびた。
それが戦いの合図となった。
月は天空にあり、白々とした冷たい光を投げかけていた。
校庭に二つの姿があった。
一つは立ち。
一つは伏せ。
立っている側から、黒い長い影が伸びていた。
影には二本の角があった。
音のないその空間に、
「けいちゃん!」
悲鳴があがった。
「ほう、あの障壁を破ったか」
真田は感心したかのように言った。
真那は額にべったりとはりついた髪の毛を乱暴にはらった。鈴の残りは少な
い。ほとんどは、障壁をくぐり抜けるのに使ってしまった。
「真那…姉……だめだ……逃げ……」
地面に倒れ伏した啓二がとぎれとぎれの声で言う。
「まだ喋るだけの力が残っていたか」
真田は啓二に歩み寄り、背中を踏みつけた。
ばきぼきばき。
骨が砕ける音が響き、啓二は血反吐をはいた。
「けいちゃん!」
真那が駆けよる。その手で鈴がちりん、と鳴ると白い霧が発生し、狼の姿と
なって真田に飛びかかっていった。
「無駄だ」
霧の狼の喉を真田が掴んだ。そのままにぎりつぶす。狼が消え、真那の手の
鈴が砕けた。
「そんなにこの少年が愛おしいか。ならば返してやろう」
背中を踏みつけたまま、真田は啓二の左手をつかんだ。
そのまま、無造作に啓二の左腕を引きちぎる。
「ぐあああっ!」
「腕一本でよければな」
真田は啓二の腕を真那の足下に放り投げた。
「この――外道!」
真那の双眸が憎しみの色を放つ。
「なに。千年前の意趣返しだ」
真田はなんでもないという風に言う。
言いながらもその顔は楽しげに笑っている。
いや、楽しいのだ。異界の者はそういう風に出来ている。
苦痛、怒り、憎しみ、嘆き。
それらの感情を味わいつくした後で、ゆっくりと命を喰らう。
足下にいる少年をなぶり殺し、その後で少女を喰らうか。
それとも少年の目の前で少女を痛めつけて生きながら喰らい、その後で少年
を殺すか。
どちらでもいい。どちらも今宵の狩りの宴としてふさわしい。
真田が、いや真田に憑いたモノがそう考えていると、
真那が紐で結ばれた鈴を取り出した。
「真那姉……やめ…ろ…」
「けいちゃん。信じてるよ」
真那は紐を引きちぎった。
ちりん。
鈴が、鳴った。
「な――――!!」
真田が大きく跳躍して飛び退いた。
真田が維持していた障壁が音もなく破れた。
世界に音が戻ってくる。
白く輝く月の下で。
少年が、立っていた。
立てるはずがない。
戦いで両足の骨をへし折った。
今は背骨を砕いた。
片腕ももぎとった。
立つ、はずがない。
それが、人ならば。
「お前は―――」
啓二が真田を見た。そこには憎しみも、怒りもなかった。
赤い瞳にあるのは――餓え。
真田にあるのと、同じ欲望。
啓二の額がぱっくりと割れた。
そして、そこから。
角が、伸びた。
「お前は――いや、あなたは――!!」
かなわない。
かなう相手ではない。
真田はさらに跳躍し、逃げようとした。
逃げ切れる、わけがなかった。
「けいちゃん」
真那の声に、彼は振り返った。
それは呼ばれたから振り返ったというのではなく。
ただ、音に反応したというそれだけの動き。
彼の足下には血まみれの肉塊。
それはかつて真田と呼ばれていたモノ。
足りぬ。
とても足りぬ。
これだけでは足りぬ。
彼は飢えた視線を見知らぬ少女に向けた。
この女はどんな声で泣き叫ぶだろうか。
楽しみだった。
彼は、恐れる様子もなく自分に近づく少女に手を伸ばした。
細く白い喉をつかむ。
絞める。
力は加減してある。彼が本気で握れば首は簡単にもげる。
それではつまらない。苦痛に満ちた表情を、哀願する言葉を、彼は求めてい
た。
けれども。
苦痛の中で、少女はにっこりと笑った。
そして言った。
「けいちゃん、大好きだよ」
魔を祓う者は魔に近づきすぎる。
そして、いずれは己自身を魔性の者としてしまう。
啓二がそれに憑かれたのは10才の時だった。
7人の手練れの術者が殺された。
再びこの世に解き放つにはあまりに強すぎる魔性だった。
二度とこの世に現れぬよう、封印が施された。
「真那姉……」
目覚めた啓二はグラウンドに横たわっていた。
その頭は、真那の膝の上にあった。
優しい手が、啓二の頭を撫でた。
そこにあるはずの角は、すでになかった。
「けいちゃん、おつかれさま」
真那はいつもの真那だった。
「真那姉、あの鈴は……?」
「祝(はふり)の婆様からいただいたの」
「もうあんな真似はしないでくれ。僕はもうちょっとで真那姉を――」
その先は、考えたくもない。
ぺちり。
啓二の額が叩かれた。
「それはこっちの台詞よ。こっそり黙って出かけるなんて。あたし、怒ってる
んですからね」
ぷんすか。
真那が頬をふくらませている。
「あの女の子に憑いていた鬼から聞き出したのね? 真田先生が最後の一人だ
って」
「うん。今夜、ここで待つって」
啓二は正直に答えた。
「もう、こんな事しちゃだめよ」
めっ、と真那は啓二をにらんだ。
「分かった。約束する」
「本当? じゃ、約束のしるしに――」
真那の顔が啓二の顔に近づいた。
最初の旭光が、二人を優しく照らし出した。
【おしまい】
next story『磯女』
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