『ジングルベル』
ここは山口県岩国市。
言わずとしれた基地の町である。
「兄ちゃん、いい身体してるな」
繁華街をいつものようにぶらぶらしていたおれはそう声をかけられた。
一度や二度の事ではない。
おれは身長2メートル17センチ。体重135キログラム。こう言ってはな
んだが贅肉は1グラムもないと断言できる。
おれよりでかいアメリカ軍の海兵隊軍曹と喧嘩して勝った事もある。
「安田さん、言っとくがおれは自衛隊に入るつもりは、」
違った。顔なじみの徴募係ではなかった。
そいつにはでかい角が生えていた。
ほれぼれするような角だった。
「お前さんにぴったりの仕事があるんだ」
・・・・・・・・
赤い鼻のトナカイはそう言ってにやりと笑った。
12月24日の17時38分の事だった。
『簡単な仕事だなんてウソをつくつもりはねぇ。命(たま)ァ取られる事だっ
てあるかも知れない』
そうトナカイは言ったもんだ。どうやらその話はウソじゃないらしい。
タタタタタタタタタタン!
リズミカルな音が響いた。おれはとっさに地面に伏せた。
「−−−−−! −−−−!」
何語かは知らないが、日本語と英語でない事だけは確かな叫びが聞こえた。
足音が聞こえた。
一つ。二つ。三つ。四つ。
こらやべえ。囲まれている。
おれは姿勢を低くしたままごろごろと転がり、すでに廃虚といっていいビル
を背に立ち上がった。
明かりはほとんどないからよほど目が馴れていないとおれの姿は壁に紛れて
見えないはずだ。
とはいえ、油断はならない。
この服装はなんと言ってもかなり目立つ。
赤い帽子に赤い服。背中には白くてばかでかい袋。
ついでに白くて長い付け髭まである。
「−−−−−?!」
「−−−−!」
銃弾が飛んで来ない事を考えると、どうやらおれの姿を見失ったらしい。も
しかしたら、はっきりと確認せずに撃ってきたのかも知れない。
だとしたら素人だ。練度は低い。
おれは身を低くして足音を殺して走った。
「−−!!」
ちっ。見つかった。
おれは声のした方へ走った。
AK47の銃口がこちらに向けられる。
遅い。おれは銃身を下からはねあげた。
タタタン!
銃弾が空へ飛んでゆく。
マズルフラッシュでそいつの顔が見えた。
おれの弟ぐらいの年だった。
弟は中学生である。
そいつの顎におれの推掌が炸裂した。
もちろん、手加減はしてある。
鼻血を吹きだし、そいつは気絶した。
一瞬だけ、そいつの持っていたAK47に未練を感じたが、おれはそのまま
走り去った。
おれが武器を持ってはいけない。
おれはサンタクロースなのだから。
おれの親父はろくでなしだった。
趣味はパチンコと麻雀と競艇。
家ではいつも酒を飲んでいた。
ろくでなしでぐうたらの、どうしようもない親父だった。
酒の飲み過ぎで肝硬変になり。
それでもこっそり酒を飲み続け。
血を吐いて死んだ。
だが、信心深いとは決して言えないはずの、それも浄土真宗本願寺(西)派
であったはずの親父は、クリスマス・イブには酒ではなくでかいケーキを買っ
てきた。
そしてクリスマスの朝。
おれと弟の枕元には、プレゼントが置いてあった。
「サンタさんだー! サンタさんのプレゼントだー! サンタさんが来たー!」
喜ぶ弟に、いつものように酒を飲んで赤ら顔になった親父は胸を張って言っ
た。
「わしがサンタクロースじゃ」
おれは親父をぶん殴った。
そして因果は巡る。
今は、おれがサンタクロースだ。
「ここだな」
おれは一軒のボロ屋の前で足を止めた。なんとも荒れ放題のあばら屋である。
壁には点々と弾痕が残っていた。だが、隣の家に比べるとまだましであろう。
隣の家は半分がとこ吹き飛んでいた。近くに落ちた、おそらくは500ポンド
爆弾の爆撃によるものだ。
実を言うと、ここに来るまでの間におれもあやうくやられそうになった。ク
ラスター爆弾が頭上で破裂したのだ。おれを追いかけていたT−62は上面装
甲をやられて火だるまになった。おれが生きているのは半ば以上偶然に近い。
なんでこんな仕事を引き受けたのか。
おれはつくづく考えた。
金のためか? ちがう。
博愛精神? とんでもない。
スリルを求めて? そこまで人間おちぶれちゃいない。
こう、胸の中でもやもやした物がどうにも形にならないでいる。
ともかくさっさと仕事をすませてしまおう。
おれは扉をノックした。あまり強く叩いた覚えはないのだが、扉はべきりと
音を立てて壊れ、ぶらん、と半開きになった。
こりゃいかん。
おれは扉を支え、なんとか留め具に引っかけなおした。
そして家の中を見た。
何もない家だった。
さほど大きくはない家の中が、がらんとして広々と感じた。
そして家の中に。
一人の少女がいた。
やせっぽちで。関節がこぶのように見える細い手に、すり切れた毛布を持っ
ていた。
少女は怯えた目でおれを見ていた。
一瞬、おれは少女が老婆に見えた。
その瞳。
すべてに絶望した。一生分の涙を出し尽くしたかのような黒い瞳。
その瞳が少女を子供ではなく、大人ですらなく、老人に見せていた。
おれは少女に向かって言った。
「メリー・クリスマス」
「一つ聞いておきたいんだが」
岩国市内の喫茶店「蓮花」でおれはトナカイの作った契約書にサインしなが
ら言った。
「なんだ」
「目的地なんだが、キリスト教の国じゃないだろ?」
いくら学のないおれでも、そこがイスラム教徒の国である事ぐらい知ってい
た。
「そんな些細な事を気にする必要はない」
トナカイはラッキーストライクをくゆらせながら言った。
「この国だってキリスト教の国じゃない」
「それもそうだな」
おれは納得した。
「あ、それともう一つ」
おれは届け物の欄を指して言った。
「ここに届けるんなら、こんなものじゃなくて、もっと他に大事なもんがある
だろ。たとえば食い物とか、暖かい服とか」
トナカイは「何もわかってないな」という風に首を左右に振った。でかい角
が通路まではみだし、珈琲を運んでいたウェイトレスが邪魔そうな顔をしてそ
れを避けて通った。
正直なところ、トナカイがその時に言った事をおれは納得していたわけでは
なかった。
この国にきて。
この町に入って。
この家を見て。
この少女に会って。
おれはやっぱり自分がしている事が間違っているんじゃないかと半ば以上確
信を持った。
だが契約は契約である。
おれは思い切って背負った白い袋から、
フェルト製の小さな人形を取り出した。
そして少女に差し出した。
少女の目が、大きくなった。
少女は、信じられない物を見る目で、おれの手の中の人形を見た。
どう見ても安物の人形である。ゲームセンターでコイン一枚で手に入る人形
の方がまだ出来はいいだろう。
少女はただじっと人形を見つめていた。
おれの方が居心地が悪くなった。
人形をここに置いてさっさと回れ右して帰ろうかと思った。
その時。
少女の指が、人形に触れた。
少女の口が、おれに語りかけた。
「−−−−−」
少女の言葉は分からなかった。けれど、なんと言ったのかは分かった。
だからおれは日本語で答えた。少女も分かるはずだと思って。
「そうだ。これは君の物だ。君への、贈り物だ」
少女がこくん、とうなずいた。
少女はおれの手から人形を受け取った。
そして、大事そうに、愛おしそうに、人形を抱きしめた。
その瞳は、もう老婆の物ではなかった。
黒いきれいな瞳から、ぽろぽろと。
まるで真珠のような、大粒の涙がこぼれ落ちた。
おれの仕事は、終わった。
おれは少女に手を振り、扉へ向かった。
扉を開けた。
さっき推掌をくらわした少年兵がそこにいた。まだ鼻血の跡が残っていた。
向こうもびっくりしたろうが、おれもびっくりした。
今度はおれの方の動作が遅れた。
少年兵がAK47を構えて、撃った。
腹と胸にまともにくらった。
おれはその場に仰向けに倒れた。
「−−−!」
少女が、少年兵の前に両手を広げて飛び出した。その手には、まだしっかり
と人形が握られていた。
おれは、満足だった。
気が付くと、おれは家の近所にある公園の芝生に寝っ転がっていた。
「気が付いたかね?」
頭上から声がした。おれは頭だけ動かして下からそいつを見た。
赤い帽子。赤い服。白い髭に太鼓腹。
おれは跳ね起きた。そしてその爺さんを指さして言った。
「あんた。もしかしたら――」
間違いない。
「本物の、サンタクロースか?」
だが爺さんは困った顔をして髭をしごいた。おれがさっきまで付けていた白
い綿なんかじゃない。本物の白い髭だ。
そういや、おれの服装はいつの間にか元に戻っていた。
まぁ、それを言うなら銃で撃たれたはずなのにどうして生きているんだとい
う事になるが。
「本物……ねぇ」
爺さんは逆におれに聞いてきた。
「じゃあ、お前さんはニセモノだったのかい?」
「そりゃ――」
決まっている。
おれは仕事で。
契約に従って。
それでプレゼントを渡しただけの。
だが、おれは言えなかった。自分はニセモノだと。
自分のためじゃない。
おれがプレゼントを渡した少女のためだ。
「本物なんだよ、みんな本物のサンタクロースなんだ」
爺さんは言った。太い指で、ぐるーりと頭上に円を描く。
「この世界にいる、誰かにプレゼントを渡そうとしている人間は、みんな本物
のサンタクロースなんだ」
おれはぐるりと周囲を見渡した。
家々の明かりが目に入った。
「わかった……ような気がする」
おれは言った。爺さんは満足そうにうなずいた。
「それでだな。お前さんにもサンタクロースが来ておる」
爺さんの後ろから、一人の中年の男が現れた。
親父だった。
「親父っ?!」
肝硬変にかかる前の、まだ元気だった頃の親父がそこにいた。
「幾つになっても手間のかかるガキやの、お前は。ほらよ、プレゼントじゃ」
親父はそう言ってビロードの小箱を放り投げた。おれは受け取り、箱を開け
た。
指輪が入っていた。
女物だった。
「親父、これは?」
顔を上げた時には、爺さんも親父もいなくて。
沙由理がいた。
どうやら学校の帰りらしく、コートの下は制服だった。
「沙由理、お前どうしてここに?」
「親切なトナカイさんがね。あんたはここに居るって教えてくれたんだ。それ
とこれ渡してくれって」
おれは沙由理から封筒を受け取った。
中にはぺらぺらの紙が一枚。
『報酬は、特別救助活動の費用にあてた。それでも赤字だったぞ』
なんとも世知辛い世の中だ。
「ねぇねぇ。それ、何」
何かを期待するような沙由理の声。興味津々という沙由理の目がおれの手の
中の小箱を見つめていた。
「これか。これは……」
おれは箱を開けて、沙由理に差し出した。
「クリスマス・プレゼントだ」
「うそっ! あんたクリスマスなんて大嫌いだって、そう言ってたじゃない?」
それが原因で、昨日は大喧嘩になった。
今日会えるとは、思ってもいなかった。
「いろいろあってな」
おれは笑って答えた。
「ふーん。ま、いいか」
沙由理はにんまりと笑うと、鞄をごそごそやり。
ふわり。
おれの首に毛糸のマフラーをかけた。手編みだった。目が不揃いなところも
あった。
だけど、暖かかった。
「あたしからのクリスマス・プレゼント。それと特別にもう一つ」
沙由理がおれの首にしがみついてきた。
鳥がついばむような。軽いキス。
「えへへへへ」
沙由理の顔が赤い。
おれの顔もたぶん赤いだろう。
おれは沙由理に指輪を渡した。
指輪は沙由理の指にぴったりだった。
「沙由理、明日、ちょっと用事に付き合ってくれないか?」
「いいけど、何?」
「親父の墓参りに行く」
沙由理はおれの顔をまじまじと見つめた。
「どうかしたか?」
「んー。そうね。なんか、あんた、男の顔になったよ。うん、いい顔してる」
「年下が生意気言うな」
おれは沙由理の首に腕を回した。沙由理がきゃいきゃいと騒ぐ。
「あ」
おれと沙由理は空を見上げた。
白いものが、ふわふわと音もなく天から降ってきた。
「雪だ」
白い雪。もしかしたらあの国の、あの子のところにも降っているかもしれな
い。
おれと沙由理は寄り添ったまま、空を見上げた。
今日は12月24日。
世界中の、大勢のサンタクロースたちに。
メリー・クリスマス。
【おしまい】
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