注意:これは『龍の守護者』シリーズの第5話です。先に、シリーズ第4話の『転校生』をお読みになってから読まれると、より楽しむ事ができます。
その少女を最初に見つけたのは何の因果かソフィアだった。 広大な学園内を楽しそうにきょろきょろと見回しながらとことこと歩く少女 を、ソフィアは呼び止めた。 「そこな少女。ここは高等部の校舎であるぞ。初等部はあっちじゃ」 なぜソフィアが少女を初等部と判断したのか。 少女は私服であったがこれだけでは判断基準にはならない。この学園に制服 はないからである。いや一応は制服もあるのだが、着用は義務づけられていな い。ちなみにその制服一着の値段が30万円だというのだから、この学園の地 位というのも分かろうというものである。 だから服装だけではそれとわからないが、ソフィアは至極当然のように少女 を初等部だと思った。背丈はソフィアとどっこいどっこいであるが、凹凸のな い肢体はどうみてもソフィアに比べ発育に劣る。最初のうちはとまどったソフ ィアも、今では日本の少女とはそういうものである、と認識していた。なお、 田所並に大食漢である自分が30になる頃にはどこがどう『発育』しているか までは心が及んでいないが、こういうのは実際に我が身にふりかかって来ない うちは分からぬものなのである。 「まあ」 少女は驚いたように言った。 「きれいな日本語ですね。北欧……ロシアの方ですか?」 「うむ。生まれも育ちもモスクワじゃ」 ソフィアが胸を張る。ロケット型の乳房がどどーん、と服の布地を引っ張る。 行き交う男子が「おおう」とか鼻の下を伸ばしている。 ふにゅ。 「うひゃああ」 ソフィアが声をあげた。しげしげとソフィアの胸をながめていた少女が手を 伸ばして豊かな膨らみを揉んだのだ。 もみもみもみ。 「うわー。すごい弾力。ただ大きいだけじゃないんだ」 まるでゴムまりのように指を押し返す感触は、年配の女性にはない、十代前 半の女性特有のものである。 「や、やめるがよい!」 「あ、ごめんね。ところで2年4組の教室はどこかな?」 「それはうちのクラスだ。……いったい何の用だ?」 これ以上胸を揉まれてはかなわないと、手で胸元を押さえ、疑惑の視線を少 女に向けてソフィアは言った。 「ああ、同じクラスなんだ。天梁有樹って知ってる?」 「知ってるもなにも」 自然、えへんぷいと再び胸を張るソフィア。 「今、一緒に暮らしている」 「あらあらまあ」 少女は目を丸くした。 「こんなきれいな娘さんが一緒だなんて、有樹は果報者ね」 「うむ。ついて来るがよい」 一気に気分が良くなったソフィアは、少女を連れて廊下を歩きだした。 気怠い午後の授業も後一つ。眠気を誘うでかい欠伸をしながら田所が聞いて きた。 「次はなんだっけ」 「北沢だろ。世界史」 「どこまで行ったっけ」 「パックスブリタニカまで遡った。今日は大航海時代とか、清帝国の海外政策 とかそんなん」 北沢の世界史は現代から遡っていくというタイプで、おれ達はやたらと現代 史に詳しくなった。おれもそのお役目から、裏の世界史には詳しいので、表と の差異はきわめて愉快である。 ざわり。 どこか弛緩した教室の空気がわずかに緊張した。 「ん?」 こういうのに敏感な田所の眠そうだった目がすっ、と細められる。すると狸 のような愛嬌のある顔が油断のない精悍な狼のような顔つきになる。 「ユウキ! 客人であるぞ!」 入り口のところから、ソフィアの良く通る澄んだ声が聞こえた。 「く、静かだったのに……」 「まあそう言うな。お、なかなか可愛い子だな。初等部……いや中等部……い や……?」 精悍な表情のまま入り口を見た田所が眉をひそめた。こいつが一目で女性の 年齢とスリーサイズと体重を当てられないのは珍しい。 おれは肩越しに後ろをむいた。ソフィアがいつものように意味もなく偉そう にふんぞりかえっている。そして、 そして── その隣りには── 「か、母さんっ?!」 「なにっ?!」 「なんだとっ?!」 ソフィアの隣りでにこにこ笑っていたのは、まぎれもなくおれの母さんだっ た。 授業が終わった後。 再建なったカフェテラスで丸い瀟洒なテーブルを囲んで親睦のお茶会が開か れていた。 「有樹の母の天宝清佳でございます」 「あ、田所です」 「ソフィア・プラグノヴァです。お母様」 「待てこら」 「なんだユウキ?」 「こないだ編入の挨拶じゃあ『見知りおけ』とか言っておきながら、なんだそ のしおらしい素振りは。それにお母様つーのはなんだっ! お母様つーのはっ!」 「ユウキ。大陸にはこのような言葉がある」 真面目な顔でソフィアは言った。 「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」 「あら、物知りさんなんですね。ソフィアちゃんは」 「こう見えてもモスクワ大学レベルの学問は修めております。どこの誰とは言 いませんが、無学な使用人ごときに負けはしませぬ」 言ってる言ってる。それは言ってる。 「使用人といえば、屋敷にはまだ行ってないんだけど、紫苑ちゃんはお元気?」 「あー、最近、ちょっと疲れているみたいだ。生気がない」 「いけないわねー。あなたベッドで無理をさせすぎてるんじゃないの」 ぶばっ。 おれの口から紅茶が放物線を描いて宙を飛び、隣りの席で逢い引きをしてい たカップルの頭上に降りかかった。 「ユ〜ウ〜キ〜」 ぎりぎりぎりぎり。 ソフィアがおれの首を締め上げる。 「まあまあソフィアちゃん。こいつにそんな甲斐性があるようだったら紫苑ち ゃん、今頃お腹が大きくなってるって」 甲斐性か。それがお前の脳内辞書に載っている甲斐性なのか。しかし、とり あえずソフィアは納得したように指の力をゆるめた。あー、死ぬかと思った。 「そうよね。お父さんやお兄さんを見習って欲しいくらいだわ」 「ふむ。そういえば、私が寝室に襲撃をかけた時は窓から逃げ出したな。まっ たくふがいのない。人がせっかく夜這いに来てやったのに」 「な〜ん〜だ〜と〜」 ぐわしっ。 今度はソフィアに代わり田所がおれの後ろから首をがっちりとチョーク。 「あれが夜這いかっ! じゃあ、あの戦闘服と拘束具はなんだっ。それとドラ ッグっ!」 「夜這いは女にとって戦闘のようなものだ。それに拘束具でも使わないとユウ キは逃げるであろう。ドラッグはそれでも抑えきれなかった時の用心である」 そこではたと気が付いてソフィアが頬を赤くする。 「それとも拘束具とドラッグを私に使うつもりであったのか? それは悪い事 をした。大丈夫。まだ大量に用意してある」 「没収! ぼっしゅうー!」 「あ、没収するなら母さんにくれない?」 「何に使うんだよ、そんなもん」 「もちろん決まってるじゃない、やあねぇ。女にそんな事を言わせるもんじゃ ないわよ」 「その通りだぞ、天梁」 田所がおれの首を解放して真面目な顔をして言った。そして母さんの手を掴 んで瞳をのぞきこみながら言う。 「奥さん、ご安心ください。痛くないように使ってさしあげます」 「まあ。でも私には主人と子供が……あ、木曜日は二人とも留守なんですよ」 「さりげなく誘惑されてるんじゃないっ!」 ぜーぜー。 最近どうもこー、なんというか血圧が上がる事ばかりで困る。 「しかし奥さん。この肌のはりと艶。どう高く見積もっても20代にしか見え ないんですが」 「あら、うれしい。これでも30は過ぎてますのよ」 「こそっと嘘をつくんじゃありませんっ。母さん、もう四十……もごもごもご」 にこやかな笑顔のまま母さんの手首がしなり、チーズケーキがおれの口の中 に放り込まれた。 「むかしから融通のきかない子供でして。田所さんもたいへんでしょう」 「いやあ、どうという事はありませんよ。ところで来週の木曜日ですが」 「そうですね。2時過ぎからなら……」 「さりげなく話を続けているんじゃなーい!」 田所と母さんがそろってこちらを見た。どちらからともなくため息をつく。 「天梁のおじさまからお話があった時、お兄ちゃんの方にしとけばよかったか しら」 「お兄ちゃん? 天梁に兄さんがいるんですか?」 「ええ。純粋に素質だけなら有樹の方が上だったんですが、天梁本家を継ぐと いうのはそれなりに腹芸もこなせないといけませんからねえ。和樹──お兄ち ゃんの名前なんですが──に継がせようという話もあったんですよ。でもねえ、 やっぱり約束は守らないといけませんから」 「な!──母さん、ストップ! ストップ! というか、なんで母さんがそれ 知ってるんだっ!」 「なになに。なんか秘密でもあるのか?」 「私も聞きたい」 「秘密だっ!」 あの約束を── おれは思った。 今でも、紫苑は覚えているだろうか。 あの約束を── 私は思った。 今でも、有樹様は覚えておられるだろうか。 私は庭の掃除をしつつ有樹様の帰りを待ちながら考えていた。 最近、有樹様の帰りは遅い。 部活が忙しいとかの理由だが、怪しいものである。なぜなら、その部活に参 加していないはずのソフィアと一緒に帰ってくるからである。 いや、遅くなるのは構わない。これまでもそういう事はしばしばあった。時 には血の匂いをさせて帰って来られる事もあった。有樹様はお優しいから、そ ういう時はすごく辛そうな沈んだお顔をなされる。 けれども私が「お帰りなさいませ」と言った時だけは、 「ただいま」 と言ってはにかんだような笑みを浮かべる。私が昔出会った少年の頃のまま に。 思えば私は、その時から恋をしてきたのだ。 そして私は、今でもその顔を見る度に、恋に落ちるのだ。 天梁の遺産など、正直なところどうなってもいい。 協会があれが欲しいというなら、自分たちで使えるとでも思っているのなら、 手にしてみるといいのだ。 あれはパンドラの箱だ。開けたところで、誰が幸せになれるというものでも ない。なぜあれが『遺産』と呼ばれる理由が協会には分からないのだろう。天 梁家はあれを好きで持っているのではない。持たされているだけだ。だから、 天梁家が滅ぶ時、あれは次に引き継がれる。だから、『遺産』なのだ。 そして遺産を引き継ぐ者は気づくだろう。遺産とは資産だけではない。遺産 を受け継ぐ者は負債もまた、その身に引き受ける事になるのだ。 正直、有樹様のような方には天梁家の家督は重すぎる。先代様のように融通 無碍な方であっても、たいへんなご苦労をされて来たのだ。真面目で頑固な有 樹様では心の方が先にまいってしまう。 けれども、そういう有樹様だからこそ、私は全身全霊を持って尽くす決意を したのだ。 でも私がそう言うと、なぜか有樹様は悲しそうな顔をなされる。 「はぁ」 私はため息をついた。恋愛相談のサイトで相談してみようかしら。今までも 仕事の合間にながめたりしたのだが、メイドとご主人様の恋愛については現実 的な具体例がなくて役に立たなかったのだ。 そうだ。私のは別に不倫でもなんでもない。日本はイギリスなんかと違って 階級社会じゃないから、使用人だからといって臆する必要はないのだ。これは 言うなれば職場内恋愛であり、日本のどこでも日常的に行われている事なのだ。 ぐっ、と拳を握ってそう自分を鼓舞するものの、すぐにまたため息が出る。 自分がやってるのが、ただの空回りに思えて仕方がない。ソフィアのあの表 も裏もない積極性がうらやましい。けれど私にはあんな風に自分の気持ちをあ けすけには出来ない。もしも有樹様から拒絶されたら……私は、主人と使用人 の関係に戻れる自信がない。 そっとポケットを探り、常に肌身離さず持ち歩いている『それ』を取り出す。 これをくれた少年の頃の積極さを有樹様が今も持っておられたら……それとも、 もう有樹様の中ではあの約束はなかった事になっているのだろうか。 ごろごろごろごろ。 「雷?」 空から聞こえて来たその音は遠雷によく似ていた。私はポケットに『それ』 をしまう。 雷ではなかった。 「止めて止めて止めて止めて止めて〜」 そう言いながら空中を飛来して黒い物が庭に落下してきた。 いや、叫んでいたのはその黒い物に乗っていたらしい人間で、途中で諦めた らしく空中でぱっ、と飛び降りた。空中で、ぱん、とパラシュートが開く。 そして黒い物体は、庭に落ちて樹木をなぎ倒して大穴を開けた。実に迷惑な 話である。あの樫の木は一千万円はくだらない立派な木だったのに。私は携帯 電話を取り出すと園芸業者に連絡をとった。この庭を造ったおじいさんはもう 現役を引退したが、今なおかくしゃくとしていて、うちの庭仕事となると若い 衆を連れてやって来る。若い頃は海軍の設営隊にいたそうで、庭の惨状を見て 何が起こっているのか勘づいているようなのだが決して口にはしない。だから こちらも庭の手入れについては口出しせずに向こうのやりたいようにやっても らっている。 携帯電話をぱたん、と閉じてポケットに収めた時、頭上から声がした。いや、 声はずっとのべつまくなしに聞こえていたのだが、無視していたのである。 声はドイツ語だった。 いつも思うのだが、どうしてうちに来る協会の人間というのは日本語を喋ろ うとしないのだろうか。彼らは一様に傲岸不遜で、礼儀というものを知らない。 ……そういえばソフィアはちゃんと日本語をしゃべるわね。 イヤな考えになったので首をぶんぶんと左右に振って掃除の続きをすること にした。 「いい加減こっちを無視するのはやめなさいよっ!」 ああうるさい。 私はじろりと頭上を見上げた。パラシュートが木の枝にひっかかっている。 パラシュートから伸びた索にぶら下がっているのは、フライトジャケットを着 た少女だった。鼻にずり落ちた大きな眼鏡。顔にはぱらっとそばかすが浮いて いる。年の頃は私や有樹様と同じくらいだろうか。 「あなたこの屋敷の使用人ね。主人を呼びなさい」 「有樹様は留守です。いても礼儀を守らぬ客人にお会いにはなりません」 「庭を壊したのは悪かったわよ。けど日本空軍が洒落が分からなくて、いきな りスパロー発射してくるんだもの。迎撃したけどバランス崩しちゃって」 「……失礼ですが、どこの上空を飛んで来たのですか?」 ドイツ人少女の口から幾つかのランドマークが上がる。頭の中で地図と重ね 合わせる。 「それは自衛隊ではなく在日米軍です。あそこは9.11以降、テロに対して ぴりぴりしてるんですから。いまごろ──ああ、来た」 スクランブルしたのであろう、星条旗をつけたF−16ファルコンが2機、 低空すれすれを飛来してきた。どうするのだ、こんなの。 「あなたも協会の人間なら、コトを極秘に運んでいただけませんでしょうか。 これでは後始末がたいへんです」 「あ、あたし協会とは関係ないし」 「は?」 「ま、まったく関係ないわけじゃないんだけど。あたしはいわゆるマッドサイ エンティストでね。科学に魂を売り払った女よ」 どこかで聞いたようなフレーズ。 「こないだロシアの同業者が造った機械化兵士(マシーネン・ゾルダート)を、 この国の魔法使いが倒したと聞いてね。それならあたしの人間戦車(メンシェ ン・イェーガー)のいい対戦相手になるんじゃないかって思って」 そのドイツ語はネイティブに間違っている。 「それでこのざまですか。まったく迷惑もはなはだしい」 「あーら、この程度の落下の衝撃であたしの人間戦車は壊れたりなんかしない わよ」 少女は何やら携帯電話を取り出して操作をした。 ぎゅいいいいん。 庭に大穴を開けた物体が立ち上がった。 人間戦車とはよくも言ったものだ。確かにこれはロボット兵士だ。ギリシア 時代の青銅の巨人タロス、中世のゴーレムを引き合いに出すまでもなく、こう いう自律駆動の人型兵器と魔術とは縁が深い。この人間戦車とやらも、科学と 魔術の融合の産物であろう。 「ゆけっ! リゴラスR3」 その機怪獣のような名前はいったいどこから。 「ぐおおおおーん」 人間戦車はゴリラを大きくしたような体躯であったが、腕は指ではなく爪と なっていた。その爪の先から黄色いぎざぎざの閃光が走り、F−16の主翼を 切り裂く。 たちまち機体がバランスを崩し、パイロットが脱出した。機体は──よかっ た、うちではなく隣町のどこかに落ちたようだ。爆発と共に黒い煙がわきあが る。 さすがに練度と装備は世界最高を誇るアメリカ空軍である。もう1機のパイ ロットは素早く機体をロールさせて閃光を避けると、急上昇していった。 「逃がすかっ!」 どろどろどろどろどろ。 あの、独特の遠雷のような音を響かせて、背中からロケットを噴射した人間 戦車が空中へと舞い上がった。たちまち上昇するF−16に近づいてゆく。ま ったく呆れるほどの加速性能である。逃げ切れぬと悟ったパイロットは素早く 機体を回転させると、安全限界距離ぎりぎりで対空ミサイルを発射。命中。 が── 「あっまーいっ!」 庭にあれだけ激しく激突して平気な人間戦車が、対空ミサイルごときでどう こうなるわけもなし。爆発の煙の中からまったくの無傷で現れた人間戦車はす れ違いざまにF−16に閃光を浴びせていた。 どーん。 爆発音。そして黒煙。今度はちょっと近い。 「さあデモンストレーションはおしまいっ! 分かったらさっさと主人を呼び なさい使用人っ!」 その言葉に、私はかちんときた。 箒を持ったまま、すたすたと庭の大穴の所へ歩いてゆく。 「あなた。ちょっと、そこ着陸するんだから。危ないわよ」 「……かったわね」 「え?」 「悪かったわね」 「あ、ごめん。日本語分からないの」 「使用人で悪かったわねっ!!」 ロケットを噴射しながら頭上から人間戦車が降りてきた。 私は箒を構えると、 中の仕込みを抜刀した。 母さんとソフィアを連れて学校から帰って来ると、 屋敷の前で米軍と警察がにらみあっていた。 「な、なんだぁ?」 「おいこらそこのジャップのボーイ。ここはデンジャラスな危険地帯だから近 寄るんじゃないぞ」 「お、これはまたビューティホーなお嬢ちゃんじゃないか。ヘイ、スティーブ 。抜け駆けはナッシングだぜ」 「おお、こっちのミステリアスなゲイシャ・ガールもなかなかいかすじゃない か。よしボーイ、お前は帰れ。けどこの子達は残せ」 ここは日本国の領土だというのに、米兵は実に厚かましい態度でおれの前を 遮った。 ばちっ。 雷龍が飛び、米兵二人をうち倒した。 「母さんを侮辱するな。……それとソフィアを」 ソフィアの眉がぴくん、と上がったのを見ておれは付け足した。母さんがく すくす笑う。 米兵たちが色めき立ってライフルを構える。ふん、そんなもんでいまさらび びるか。 「どけっ。さもなくば押し通る」 「なんだとこのジャップ」 「この国を誰が守ってやってると思ってるんだ」 その言葉に今度は警察の人間が色めき立つ。 一触即発の雰囲気が漂う中、母さんがしずしずとにらみ合う二つのグループ の間に入っていった。 背広を着た壮年の紳士と、アメリカ陸軍の軍服を着た熊のような大男が同時 に飛び出して来た。 「清佳さん!」 「サヤカ!」 「あら二人ともお久しぶりね。これは何の騒ぎかしら?」 二人が日本語と英語で同時にまくしたて始めたのでいきなり訳が分からなく なったがどうやら屋敷でまた騒ぎがあったらしい。 戦闘機が墜落したとか何とか── そこまで聞いたとたん、おれは矢も楯もたまらず駆けだしていた。 「紫苑! 無事かっ! 紫苑っ!!」 屋敷の前庭はひどい有様だった。 焼けこげた樹木。へし折れた灌木。穴の開いた芝生。あちこちに、煙をあげ て散らばる機械の部品らしきもの。 そして紫苑。 怪我はないようだが、衣服は汚れて破れ、顔もすすだらけだった。 「あ──有樹様。……きゃっ」 おれは紫苑の身体をぎゅっ、と抱きしめていた。 「紫苑、怪我はないか?」 「はい……」 「よかった」 おれはほっとため息をついた。 紫苑の腕がおれの背中に回された。 抱き合う二人を腕組みをしたままぶすっとしてソフィアはながめていた。 「妬ける?」 後ろから声がした。清佳だった。 「むぅ……その、米軍はもういいのか?」 「まあ、戦闘機を2機も落とされたらおさまりはつかないでしょうね。世間体 もあるし。どうやらあの子が原因らしいから、責任はとってもらいましょう」 清佳の視線の先には、蓑虫のようにぐるぐる巻きにされた眼鏡の少女がいた。 何があったのかは知らないがずいぶんとしょんぼりしている。 「今日のところは、紫苑ちゃんががんばったみたいだから、ご褒美にここはそ っとしておいてあげましょ」 「私の前に出てきてくれれば良かったのに」 「そういう日も来るわよ」 そう言って清佳とソフィアは屋敷の中へと入っていった。 「あ、忘れておりました」 「な、何を?」 「お帰りなさいませ、有樹様」 すっ、と後ろに下がるとぼろぼろの格好で、紫苑はいつものように頭を下げ た。 「ただいま、紫苑」 おれはそう言って微笑んだ。 【おしまい】 next story『悪夢』