『くまたんとお誕生日』

 注意:これは『くまたん』シリーズの7話です。先に6話の『くまたんと三姉妹』をお読みになってから読まれると、より楽しむ事ができます。

 初雪の降った12月のある朝。
「お誕生日おめでとうなのじゃー」
 いつものように、くまたんは絶好調。
 時は秋が過ぎて冬。野生の熊は穴ごもりする頃だが、野生のくまたんは冬眠する
そぶりも見せない。
「おめでとうくまたん。で、誰の誕生日だっけ?」
「くまたんの誕生日なのじゃ。祝うのじゃ」
 そいつは初耳だった。俺はくまたんの頭を撫でた。
「おめでとう、くまたん。今日はケーキを買ってあげよう」
「わーいなのじゃー」
 謎の石仮面を取り出してかぶり、不可思議な舞を踊るくまたん。古代アステカに
伝わる『ハッピバスデーの踊り』らしい。
 踊るくまたんをほっぽっといて、俺は服を着替えた。俺もくまたんも寒がりなので
冬場は厚着である。歌織さんが編んでくれたセーターを着、華奈美ちゃんが編んで
くれたマフラーを巻き、香澄が編んでくれた手袋をする。最後におじさんから譲り受けた
古着の外套を羽織り、おばさんからもらった帽子をかぶって準備完了。
 それにしても、大家さんところにはお世話になってるよなぁ。
 くまたんの踊りは生け贄を捧げる儀式まで進んでいた。手には古びた肉厚の鉈が
握られている。
 どうやらクライマックスらしい。丸めた布団を捕虜に見立て、心臓をえぐり出す
(動きをしている)くまたんに俺は声をかけた。
「終わったらでかけるぞ」
「わかったのじゃー」
 くまたんは真面目な顔で踊りながらうなずいた。その横顔は意外なほどに大人びており――

「ここで死んでもらうのじゃ」
 熊の毛皮をかぶった少女は僕に鉈をつきつけて言った。
 少女の吐く息が白い。
 寒い。いや、冷たい。山も木々も、全てが白い。
 僕の手も足も、かじかんで痺れている。
 指先だけ少し温かい。不思議に思って見ると、僕の手は真っ赤だった。
 温かい血で濡れた手を僕はじっと見つめる。
 少女の声が、遠くから聞こえた。

「早くするのじゃー」
「え?」
 くまたんがいらいらした様子で玄関に立っていた。
「じっと手袋を見てどうしたのじゃ?」
「ん? ああ、赤いな、と思って」
 赤い毛糸の手袋をはずして俺はポケットに突っ込んだ。なんだかその赤い色が
不安になったのだ。
「よし、出かけよう」
 扉を開けた瞬間、部屋の中に戻りたくなった。風にさらされた顔がたちまち強ばって
いくのが分かる。
「寒いのじゃー」
「うーむ。地球って本当に温暖化してるのか?」
「信じられないのじゃ」
 ぶつぶつふたりで文句を言いながらアパートの階段を降りる。すでにくまたんの
ほっぺたは真っ赤になっている。
「うう、このままでは凍死してしまうのじゃ」
 いきなり挫折するくまたん。がたがたと歯の根があっていない。
「じゃあやめるか?」
「いやなのじゃ。魅惑のスウィートがくまたんを待っているのじゃ」
「よし、それなら合体だ」
 俺は外套のボタンをはずしてくまたんを懐の中に入れた。
「合体なのじゃー」
 ミニマムおしくらまんじゅう状態でてこてこと歩く。外套の合わせ目から顔を出した
くまたんが先導し、俺はその後について歩く。
 商店街はいつもより人通りが少なかった。やはり寒いのでみんな出歩きたくないの
だろう。
 ベッセンという洋菓子店は商店街の中ほどにある。小人の絵が描かれた扉の脇に、
クリスマスケーキの広告が貼ってあった。
「くまたんはクリスマスは祝うのか?」
「それは異教徒の祭りなのじゃー」
「祝わないのか?」
「クリスマスは祝わないが冬至の祭りは祝うのじゃ」
「そうか」
 どちらにしろクリスマスは毎年、香澄のところに呼ばれている。
 店の中は暖房がきいていて暖かく、さらには甘ったるい匂いが充満していた。
「あら、高沢君じゃない」
 横合いから俺に声をかけたのはクラスメイトの山城智美だった。首だけ左に回して
見ると山城がテーブル席でケーキと紅茶を前にこちらに手を振った。
「よう、山城」
「こんなところで珍しいわね。なんかあったの?」
「いや、ほれ」
 身体ごと向き直る。山城が大口を開けてげらげらと笑い出した。
「何ソレ? かわいいーっ」
「はじめましてなのじゃ」
 外套にくるまったまま、くまたんが俺のみぞおちから声を出す。
「あははははっ。どこの有袋類かと思ったわよ」
「くまたんはクマ類なのじゃ」
「そっか、キミがくまたんか。はじめましてくまたん。あたしは山城智美。トモミで
いいわよ」
「くまたんなのじゃ」
 奥にある扉が開いて、ハンカチを仕舞いながら香澄が出てきた。
「なんだ香澄も一緒だったのか」
「あれ? 祐介とくまたんじゃない。どうしたのよふたりとも」
「くまたんの誕生日だからケーキを買いにきた」
「ハッピバスデーなのじゃ」
「えー。教えてくれれば良かったのに。プレゼント用意してないよ。ともあれおめでとう、
くまたん」
「ありがとうなのじゃ」
 さんざん時間をかけてくまたんはケーキを選び――栗がのっていた――俺は自分のを
いつものイチゴにした。
「それじゃまた学校で」
「待って、待って」
 ケーキの入った紙袋をもらって帰ろうとすると、香澄が慌てて立ち上がった。
「私も一緒に帰る」
「おいこら、あたしはどうなるんだ」
 音をたてて残った紅茶を飲み干す香澄に、山城が白い眼を向ける。
「ごめん、トモミ。また今度」
「ふーん――ならコレはもってけよ」
 山城がレシートを寄越す。香澄はうっとうなってから受け取った。
「……わかったわよ」
「まいどありー」
 渋い顔をした香澄がレジで守礼門の描かれた(一瞬、偽札かと思った)お札で支払いを
すませ、俺の横に並ぶ。
「ゆっくりしていきゃいいのに」
「外は寒いのじゃ」
「いいじゃないの、別に――うわっ?! 本当に寒いっ!」
 からんからんと鈴を鳴らして外に出ると香澄が顔をひきつらせた。こいつもたいがい
寒がりである。
「さむさむなのじゃー」
「言わないでよ。よけいに寒くなるじゃない」
 香澄は恨めしそうに首をすくめ、どんよりと曇った空を見上げる。
「地球温暖化って嘘じゃないかなー」
「それは俺も思った」
 並んで歩きながら、天気予報の悪口を言い合う。
「うう……凍死しそう」
「なら、もっと着込めばいいのに」
「そもそもスカートが短すぎるのじゃー」
「そりゃそうだけど……やっぱり綺麗に見せたいじゃない」
「こんな寒さで人目を気にしてどうするんだ」
 商店街はさっきと同じく人通りはまばら。見せるも見せないも、誰もいない。
 図星をつかれたせいか、香澄は目に見えて不機嫌になった。
「ええそうね。まったく……見ようともしないんだから」
 最後の方は吹きつけてきた風に飛ばされて聞こえなかった。
 てくてくとゆっくり歩く。
 とことことくまたんが歩く。
 がっがっと、わざと足音をたてながら香澄が歩く。
「……くまたん、あったかそうね」
「ぬくぬくなのじゃー」
「俺もぬくい」
 じろりと香澄がにらむ。俺の外套の下をのぞいて言う。
「そのセーター、お姉ちゃんのね?」
「そうだ。暖かいぞ」
 ぎろりと香澄がにらむ。俺の首もとをのぞいて言う。
「そのマフラー、華奈美のでしょ?」
「そうだ。暖かいぞ」
 その後、香澄の視線は俺が持っているケーキの袋にそそがれた。
「……なんか言いたそうだな」
「わかってるじゃない」
 俺は頭をひねった。ケーキはふたつしかない。くまたんのは当然ダメだが、俺のだって
ダメだ。そもそも香澄は店でケーキを食べている。
「なあ香澄。お前の言いたいことは分かるんだが……」
「じゃあなんでよ」
「これは香澄のためでもあるんだが、やはりこういうのはやめておいた方がお互いの
為だと思う」
 香澄がぎょっとした顔になる。そうだろうそうだろう、最近香澄が体重を気にして
いるのを俺は知っている。
「お姉ちゃんや華奈美はよくても、あたしはダメなの?」
「ん?」
 なんでふたりが出るのか分からないが、しばらく考えて俺はうなずいた。
「そうだな、香澄はやめておけ」
 歌織さんは、いくら食べても太らない体質だし、華奈美ちゃんはまだ育ち盛りだ。
まあ、ふたりが俺のケーキを欲しがることはないし、こう言っても問題はないだろう。
「そう――わかったわよっ!!」
 だっ、と香澄が走り出した。俺はあっけにとられて香澄を見送った。
「なんなんだいったい?」
「……やれやれなのじゃ」
 くまたんがため息をついた。くまたんは俺の外套から抜け出ると、ケーキの袋を取った。
「ケーキはくまたんが持って帰るので、祐介は香澄を追いかけてあげるのじゃ」
「いいのか?」
「早く行くのじゃ」
「わかった」
 俺はくまたんにうながされて香澄の後を追いかけた。
 ひょっとしたら香澄は寒さに耐えきれずに走り出したのかと思ったが、自分で走って
みてすぐにそれはないと分かった。
 耳たぶにちぎられるような痛みがある。少々走ったぐらいでは身体が温まるどころか
寒さが倍増するだけだ。
 それでも我慢して走っていると――どうせ、香澄の家と俺のアパートは隣りだ。方向は
分かっている――公園に香澄の姿が見えた。
「またか」
 小学校の頃から、香澄は何かいやな事があるとプチ家出して公園の中にこもるのである。
 顔を伏せてキコキコとブランコを漕ぐ香澄に近づく。
「おーい、香澄」
「……」
「何ふくれてるんだよ」
「……」
 香澄は答えない。ブランコの鎖を握る手が白くなっている。この寒さだ。ブランコの
鎖は飛び上がるほどに冷たいだろうに。
「まったく……ほら」
 俺はポケットから赤い手袋を取りだして自分の手にはめると、香澄の手をとって
こすった。
「あ?」
 香澄が呆けた顔で俺の手を見る。
 俺はごしごしと香澄の手をこすりながら言った。
「おまえすぐにしもやけになるんだから、気をつけないと」
「ねぇ、祐介。その手袋……」
「うん? ああ、冬場は重宝してるぞ」
「本当に?」
 下からのぞきこむようにして香澄が聞く。黒い瞳が俺を見つめる。
「当たり前だ」
「で、でもほつれてるし……こうして見るとなんかよじれてるし……」
「けど暖かいだろ?」
 俺は香澄の手を包んだまま笑った。
「だから俺は気に入ってる」
 香澄の黒い瞳がぐにゃり、と歪んだ。目いっぱいに涙をためている。
「ああほら、泣くなよ」
「う、うっざいっ! 誰のぜいよ、誰のっ!」
 鼻の奥が詰まった声で香澄が文句を言う。
「寒いし、もう帰ろうぜ。俺のケーキ半分やるから」
「ケーキで釣られたりしないんだから……イチゴは?」
「イチゴは丸ごとお前にやる」
「なら許す」
 香澄が笑った。そのとたん、あふれかけていた涙がしずくになってこぼれ落ちた。
 俺は赤い手袋で頬についた涙を拭ってやった。
「あ……」
 香澄が顔を上げたまま驚いた表情で俺を見た。しばらくして目を閉じる。
 何か怒らせたかと思ったが、そういうわけではないようだ。
「何やってるんだ、ほれ」
「きゃん」
 俺は手を引いて香澄を立たせた。きぃ、と軋みをあげてブランコが揺れる。
「帰るぞ」
「ねえ祐介……私、寒い」
「俺も寒い。だから早く帰ろうや」
「そうじゃなくて。ほらさっきくまたんがやってた……」
 小さい声でもごもごと言う。
「なんだ?」
「……うー、えいっ!」
 香澄が、つないだ手を俺の外套のポケットに突っ込んだ。
「ま、今はこんなもんでいいか」
 よくわからないが、機嫌は直ったようだった。
「じゃあ帰るぞ」
「うん!」
 天は暗く、雲は低く。
 風は冷たく、懐も寒い。
「うわ。雪が降ってきたわよ、雪」
 それでも、俺の隣りには香澄がいた。
 それがどんなに幸せな事か、気づかないままに。

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お題もの書き2004年11月テーマ企画「クマ」

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