注意:これは『くまたん』シリーズの6話です。先に5話の『くまたんのお仕事』をお読みになってから読まれると、より楽しむ事ができます。
紫藤家には、三人の娘がいる。 両親にとってはいずれも可愛い我が子で、特に父親は己の存在価値のすべてと言っても いいほどに溺愛している。 それゆえ、娘に近づく悪い虫には容赦がない。若い頃には警察にも出入りして武道の 指南もしていたという豪の者であるからして、物理的に容赦がないのだ。 この夏にも長女にモーションをかけた大学生が父親に追いかけられたあげく、逃走に 使った車ごと近くの田んぼに突っ込んで車は大破、大学生は全治二ヶ月の大けがをした 事件が発生した。その車の正面にくっきりと大きな手形が残っているのは現場検証をした 警察官が確認しているが、上からの指示でハンドル操作のミスということになった。 そんな父親がいたのではさぞ息苦しかろうと思われるのだが、意外とそうでもない らしい。 「あら香澄ちゃん。部活じゃなかったの?」 とある日曜日の朝。 長女の歌織(かおり)が洗濯物のカゴを持ってスリッパでぱたぱた歩きながら上の妹に 言った。 「試験週間で部活は休み」 その香澄は朝から気ぜわしく立ったり座ったりを繰り返していた。お気に入りの カーディガンを羽織り、薄く化粧もしてある。まるでどこかにお出かけをするかのよう。 「じゃあ、お勉強しなくていいの?」 「するわよ。もちろん」 ちらちらと時計を見ながら香澄は言った。 「なるほどなるほど」 何事か思い当たるのか、うんうんと歌織はうなずいた。そして天衣無縫な笑顔を香澄に 向ける。 「ベッセンのイチゴタルトがあったから出しましょうね。祐介くん、あれ好きだから」 「いやあいつは何でも食べるから……って、お姉ちゃん、なんで祐介が来るって知ってる のよっ?!」 「なんででしょうねー?」 くすくすと笑いながら、歌織は洗濯物を干しに庭にでていった。 「むー……なんで分かったんだろ」 長女と入れ替わりに、三女が居間に入ってきた。 「おはよう、華奈美(かなみ)」 「ん……」 三女の華奈美はパジャマを着たまま眠そうな顔で座り、ミルクコーヒー(コーヒー1: ミルク4)を飲み始めた。 「だめじゃない、朝寝坊して。また夜更かししたの?」 「ちょっと」 「そんな格好じゃだめよ。もうすぐ祐介が来るから」 華奈美の動きがぴたりと止まった。 「お兄ちゃんが来るの?」 「そうよ。あなたももう中学生なんだから、ちゃんとしなさい」 「うん」 素直にうなずく華奈美。 ぽるるるる……。 呼び出し音が鳴った。 「はいはいはいはいはーいっ」 香澄が無駄にダッシュしながら壁のインターホンに向かう。 小さな液晶画面には祐介の顔が写っていた。 「祐介? 今開けるからね」 がしょん。がしょがしょがしょん。 門の扉にかけられた三重のロックが金属音を響かせてはずれていく。セコムによると 通常の泥棒だけでなく、テロリストや振り込め詐欺が相手でも鉄壁の守りを提供して くれるそうだ。 くまたんが感心したようすでそれをながめる。 「おおー、すごいのじゃ」 「すごいというかなんというか。おじさんの趣味らしいんだがな」 「香澄のおじさんはいい人なのじゃー」 「そうか」 脳裏にこの家の主の姿形を思い浮かべる。背は低く、足は短く、体つきはがっしり している。 動物にたとえるならば、熊。 「……なるほど」 門をくぐり、広い庭を歩いて母屋に到達する。 からからと母屋の玄関の扉を開く。三和土だけでアパートの部屋ぐらいある。 「おはようございます」 「おはよう祐介くん」 エプロン姿の歌織がにっこりと祐介に笑いかける。 「おはようなのじゃー」 「おはようくまたん」 くまたんが運動靴を脱ぎ捨てるようにして玄関に上がる。歌織がしゃがみこみ、その 靴をそろえた。髪の毛から良い香りがして祐介の鼻孔をくすぐる。 「香澄は部屋ですか?」 「ええ。私も後でお茶を持っていくから」 「お菓子も欲しいのじゃー」 「もちろんよ。おいしいのがあるから待っててね」 「がおー」 喜びの声をあげるくまたん。 くまたんと祐介が勝手知ったるなんとやらで廊下を歩いていくのを、歌織は考え深そうに ながめていた。 「お母さんはくまたんのおかげで状況が動きそうだと思っているようだけど……」 くまたんはお菓子にひかれてはいたが、だからといって歌織については来ず、祐介と 一緒に行った。 「これは意外と複雑になりそうね。私としてはその方がいいんだけど」 香澄と祐介の試験勉強ははじまって10分で挫折した。 くまたんのせいではない。くまたんは華奈美から借りた漫画を熱心に読んでおとなしく していた。 その華奈美が、自分も参加させてくれとやってきたからである。 「私も試験あるから」 そう言って、勉強道具を持ってきた華奈美の格好に、祐介の視線が釘付けとなる。 ぶかぶかのトレーナーの裾から、細い美脚が伸びていたのだ。 「ちょっと華奈美、ちゃんとした格好しなさいって言ったでしょ」 「着替えたもの」 「下っ! はいてない!」 「はいているよ。ニーソックス」 正しくはオーバーニーソックス。水色の縞模様の入ったそれは、素足よりもまだ エロティカルに華奈美の足を際だたせる。 「そうじゃなくて、トレーナーの下っ」 「トレーナーの?」 何気ない仕草で、華奈美がトレーナーの裾を持ち上げる。ぎりぎり隠されていたデルタ 地帯がその動きによって白日の元にさらされることに―― 香澄の手首がしなやかにひるがえった。手にした日本史の参考書が祐介の顔面にたたき つけられる。 「ふぎゃっ」 視界をふさがれ、仰向けに倒れる祐介。 「お兄ちゃん?」 駆け寄る華奈美。 「大丈夫、お兄ちゃん?」 「うん。いつものことだから」 「いつものことで悪かったわねっ! 華奈美、あなた――あれ?」 しゃがみこんだので分かったのであるが、トレーナーの下に華奈美はちゃんとショート パンツをはいていた。ぎりぎりまで短くカットされているので見えなかっただけである。 「どうしたの、香澄お姉ちゃん?」 「な、なんでもないわよっ」 そうか、その手があったのかと香澄としてはほぞをかむ思いである。だが、こういうのは 一度ばれてしまえばもうそれまでだ。華奈美が上に着ているトレーナーはいかにもな安物で やぼったい。インパクトさえなくなれば自分の方が絶対に可愛く見えるはず。 「あ、華奈美ちゃん。そのトレーナーは」 「うん。お兄ちゃんに買ってもらったものよ」 「なんですってっ?!」 くわっ、と顔面夜叉になって祐介にかみつく。 「祐介、あんた私には一度も服なんて買ってくれないのにっ」 「おまえが店で欲しい欲しいっていう服って、1万円とかそんなんじゃないか。 華奈美ちゃんのはスーパーで買った500円のだぞ」 「そうなの?」 「うん。でも、このトレーナー、お兄ちゃんが私のために買ってくれたものだから」 そう言ってはにかんだ表情の華奈美が自分の身体を抱きしめるようにする。 なんだか、祐介が華奈美を抱きしめているような錯覚さえひきおこす仕草だ。 「な――」 しまった、その手もあったのかと香澄としては愕然とする。これはもうほぞをかむ どころではない。ごまめの歯ぎしりである。ハナから勝負になっていない。 もはや勝負は決したかと思われたその時。 「くまたんのは祐介のお古なのじゃー」 読書を中断したくまたんが、自分のシャツを引っ張って言った。 大輪の無垢な笑顔に、今度は華奈美が絶句する。 「はいはい、お茶の時間ですよ」 そこへティーセットとお菓子をもって歌織がやってきたので、この勝負はとりあえず 水入りになったのである。 お茶の休憩は、何事もなく和やかに終わり、再び勉強が再開された。 「う〜〜〜」 「どうした?」 「ここの英文が分からない。『ゲームから悪いインフルエンザを受けた』ってのが意味 不明。あっ、もしかしてコンピュータ・ウィルスっ?!」 「ふむふむ……これはインフルエンザ(influenza)ではなく影響(influence)だな」 「そっか」 さらにしばらくして。 「しわしわの豆が〜1/64?」 「うん。正解だ」 「ところで、メンデルとメンデルスゾーンって親戚か何かなの?」 「たぶん赤の他人だと思うぞ」 そういうわけで主に祐介が香澄を教えながら勉強は進んだ。しだいしだいに祐介と 香澄の距離が近くなる。 互いの体温が感じられるほどの距離にありながら、また、それを心の中で願っていながら、 香澄はまるで意識せずに勉強に集中していた。もとよりそういう性分なのである。 だから華奈美はちょっとした仕掛けをした後は、姉と祐介の邪魔をせずに黙々と自分の 勉強をしていた。 「う……?」 「今度はどこだ?」 「ううん、そうじゃなくて」 ぶるり、と香澄は背中をふるわせた。 きょろきょろと左右を見回す。 「あ」 香澄の後ろ側のふすまが少し開いていた。そこからすきま風が吹いてきていたのだ。 「誰よ、ちゃんと閉めなかったのは」 「あ、ごめんなさい。それ、私だと思う」 「しっかりしなさいよね」 香澄は立ち上がり、ふすまに手をかける。 そこでふと立ち止まり、ふすまを開けた。 「ごめん、ちょっと」 そう言ってぱたぱたと廊下に出て行った。むろん、ふすまはきちんと閉める。 トイレだ。すきま風で冷えたので近くなったのである。 (……よし) 華奈美は心の中で小さくガッツポーズを作る。 そして今度は横目でくまたんを見る。くまたんは華奈美の貸した少女漫画に集中して いた。 (……こちらもよし) 華奈美は、自分の参考書を持って立ち上がり、祐介に近づいた。 「お兄ちゃん、いい?」 「なんだい華奈美ちゃん」 「教えて欲しいところがあるの」 「どこ?」 「ここなんだけど……」 華奈美は祐介の右側に参考書を置くと、自分は左斜め後ろに座った。 この位置関係だと、祐介の説明を聞きながら参考書を見るには身体を密着させないと いけない。華奈美はあぐらをかいた祐介の背中に半身をぴったりと貼り付ける。さすがに 祐介はちょっとくすぐったそうだ。 祐介が説明をしてくれるのに相づちを打ちながら、華奈美は耳をすませていた。説明は 聞かなくても大丈夫。わざと分かっている部分を質問しているからだ。 ぱたぱたぱた…… 聞き慣れたスリッパの音が聞こえる。よし。 「ありがとうお兄ちゃん、“大好き!”」 ぴたり。 ふすまの向こうで足音が止まった。 トイレから帰ってきた香澄は、華奈美の『大好き!』という声を聞いて思わず足を 止めた。 「え?」 何があったのだろう。いや、華奈美がいつも祐介にべったりなのはこれはもう、 10年間ずっとなのでいまさらなのだが。 香澄は足音を(いまさら)忍ばせると、ふすまをそーっと開けて中をのぞく。 祐介に後ろからぎゅーっと抱きついている華奈美の後ろ姿が見える。 「な、なにやってんのよ……」 一緒に勉強させてくれというから許したのに。祐介も祐介だ。こちらからは見えないが、 きっとにやけた顔をしているのに違いない。華奈美にはむかしっから甘いんだから。 「ねえお兄ちゃん」 「なんだい華奈美ちゃん?」 「お兄ちゃんは、香澄お姉ちゃんと付き合っているの?」 (なあっ?!) 思わず声が漏れそうになり、香澄はあわてて自分の口を塞ぐ。 いったい何を聞いているのだ、華奈美は。というか、そういう質問をなぜ祐介にするのだ。 自分にしろ自分に。 「あー、付き合ってるなぁ」 「え?」 (!!!!) 口を塞いでいてよかった。今度こそ、香澄は大声を出しそうになっていた。 (なななななななっ……何を言い出すのよ祐介っ?! えっ? それとも、間違ってるのは 私っ?! 私と祐介って付き合ってたの? 本当?) 手を握らせたこともない。(自分からはいつでも握る) 抱きしめられたこともない。(自分からはときどき抱きつく) むろん、キスだってしたことはない。まだ早い。そうじゃなくて。 (えっと……じゃあ、その……キスぐらいなら……) ふすまの向こうで香澄がおたおたと煮えた事を考えているのも知らず、祐介はのんびりした 口調で続けた。 「あいつは強引だからな。いつも付き合わされているよ。まあ、こうやって広いところで 勉強するのも気分転換になっていいんだけどな」 どうやら、祐介が考えていたのはこの勉強会に(その他、いろいろと騒動に)付き 合わされているという意味らしい。 (そ、そういう意味だったの……) 香澄は安心したような、ものすごく、ものすごーく残念なような。でも、やっぱり なんとなく一安心な気分になった。 「じゃ、じゃあ、えーと……」 華奈美が口ごもる。ここでは『付き合ってない』というセリフを祐介に言わせ、それを 香澄に聞かせるつもりだったのに。 「香澄お姉ちゃんのこと、好きなの?」 「うん」 なんでもないようにうなずく祐介。 「え?」 またしても予想外の回答。華奈美は一瞬、言葉を失う。そして自分の質問がまずかった事に ようやく気づく。 「そ、それはその、その、えーと、お友達としてでしょ?」 「いや、違う」 「ええっ?!」 「あいつには内緒だけどな」 照れくさそうに祐介が笑う。華奈美は顔面蒼白だ。 「んー、なんていうのかな。俺は香澄を家族みたいに思ってる。だから腹が立つことも 多いけど、やっぱり好きだな。あいつのおかげで、俺はすごく助かっている。すごく すごく、感謝している」 がた。 廊下で小さく音が聞こえた。 「もちろん、華奈美ちゃんのことも大好きだよ」 (くっ――) 華奈美は唇を噛んだ。この『大好き』の意味を今更聞くまでもない。妹だ。祐介は 華奈美を妹として好きで、かわいがっている。 そしてそうなった原因は華奈美自身にある。華奈美はずっと祐介の妹を演じてきた。 いや、そのつもりでいた。それ以上を望んでいるとは、自分でも思ってなかった。 でも中学にあがり、思春期を迎えた華奈美はそれでは満足できなくなっている。 兄ではなく、異性として、祐介が好きな自分に気が付いた。 けど、一朝一夕で関係が変わるわけがない。だから、自分の置かれた状況を冷静に 分析して、対策を考えた。 華奈美にとって最大の障害となるのは――香澄だ。 ありがたいことに、香澄は祐介の一番近くのポジションにいるという安心感から、 それ以上を望んでいなかった。だが、もし香澄がその気になった場合、流されやすい ところのある祐介がどうなるかは予断は許さない。 特にくまたんが出現し、祐介と一緒に暮らすようになったため、香澄は無意識のうちに 危機感をいだくようになっている。いずれ香澄がアクションを起こすのは明白だ。 なればこそ、今日のような機会を捕らえて、祐介と香澄の関係をできるだけ現状維持の ままにしておく。この現状維持が後3年も続けば――祐介が大学生、華奈美が高校生に なるまで引き延ばすことができれば、逆転は可能だ。 だから、今日は祐介の口から香澄をなんとも思っていないというセリフを引き出し、 それをこっそりと香澄に聞かせる。そういうつもりでいたのに。 これでは逆効果だ。 あんな風な素直な感謝の言葉を口にされては。香澄お姉ちゃんは完全に舞い上がって しまっているに違いない。 華奈美はどうすればいいのか考えた。 実はここは考えるまでもない。計略は失敗しているし、この状況で何をしたところで 祐介の立ち位置が変化するはずもない。素直に諦めて後日の機会を待つのが正しい。 けれど、混乱した華奈美にはその、このまま引き下がるという事がどうしてもでき なかった。何か、何かポイントを稼がなくては。 「お、お兄ちゃんっ」 声が裏返っている。 「今度の試験の成績が良かったら、ご褒美が欲しいのっ」 「ん? いいよ、俺にできることなら」 気軽に安請け合いをする祐介。いや、安請け合いではない。祐介にとって華奈美は 可愛い妹だから、その望みはできるだけかなえてやりたい、それだけなのだ。それに、 そう。こうして気軽にうなずくそのことこそが、祐介の、華奈美に対する信頼の証で あった。 それを、華奈美は大事にすべきなのだ。決してここで無理をせずに―― 「わ、私にっ――」 何を言おうとしたのか。いや、何を口走ろうとしたのか。 自分でも分かっていない華奈美を止めたのは。 「くまたんにもご褒美をよこすのじゃー」 くまたんの突進だった。 ずどん。 くまたんが祐介に衝突する。祐介がひっくりかえり、華奈美がそれに巻き込まれる。 どたんばたん。 座卓が揺れ、どさどさと教科書やノートが落ちる。 「うわ」 「きゃあ」 気が付くと、祐介はきゃしゃな華奈美の身体を押し倒すようにしていた。そして、 祐介の唇が―― 華奈美の柔らかな頬に触れていた。 「あっ、ごめん。華奈美ちゃん」 「――!!」 華奈美の白い顔がぼっ、と真っ赤に染まる。そして祐介が何かしようとする、その前に。 華奈美の腕が祐介の首に伸び―― 空振りに終わった。 「なにしてんのよっ、祐介ぇぇぇっ!!!」 ふすまを蹴飛ばすように開けた香澄が、そのまま空中を飛び、祐介を蹴り飛ばしていた。 「うごぉっ?!」 きりきりと舞い上がり、大きな座卓の向こう側にずしゃあああっ、と車田正実の漫画の キャラクターのように顔から着地する祐介。 その祐介には一顧だにせず妹のそばに駆け寄る香澄。 「大丈夫だった、華奈美?」 「う、うん……」 わき。わき。とどうしたらいいのか分からない手を動かしつつ華奈美がうなずく。 くまたんが感心したようにうなずく。 「飛距離は2mはあるのじゃ。祐介の体重は?」 「えっと……祐介は60kgだっけ?」 「あうう……こないだ少し減った。58kg」 「じゃあ60kgなのじゃ。それが2m移動するための運動エネルギーを求めるのじゃ」 「あ、えーと。60×2で120……かな?」 「うう……それは違うぞ香澄。その120は単位で言うとニュートンっていう力の大きさだ」 「えーと、どう違うんだっけ?」 「それだと俺が毎秒2mの加速度で移動する力の大きさになる。運動エネルギーは 重さがm、速さがvだったら1/2mv^2になる」 「えーとじゃあ、60×2×2/2で……え、やっぱり120?」 「違う違う。この場合、俺は速さ2m/秒で飛んだわけじゃないから、飛んだ距離= 仕事の量と速度とは同じじゃないんだ」 「えええ? それじゃわかんないわよ」 むくりと、さほどダメージを負った様子もない祐介が起きあがる。 「説明するよ。えーと、教科書とノートは……」 まるで何事もなかったかのように勉強を再開しようとするふたりに、華奈美が半ば 呆然として座り込んでいる。そこへくまたんが近づいてきた。 「華奈美、話があるのじゃ」 「な、何?」 くまたんは華奈美に借りて読んでいた漫画本を取り出した。 「この続きが読みたいのじゃ。まさかここでヒロインに三人目の男が登場するとは 思わなかったのじゃ。すごく気になるのじゃ」 「そうよね……」 華奈美は大きくため息をついた。 みんなで夕ご飯をいただいた後、祐介とくまたんはアパートへと帰った。 「華奈美〜、お風呂あいたよ〜」 ほかほかと湯上がりの身体にバスタオルだけを巻き付けたたいへん無防備な姿の香澄が 客間に顔をのぞかせた。 「うん」 華奈美は姉の姿をみた。 やはり―― 「どうしたの? 何かついてる?」 「ううん。香澄お姉ちゃん、今日はありがと」 「華奈美もたいへんだったよねー。ヘンなとこ触られたりしなかった?」 「大丈夫」 香澄のボリューム満点な肉体と違い、華奈美の身体はまだ触られてどうこうという レベルではない。それに―― 華奈美は自分の頬に触れた。ここに、祐介の唇が、ほんの一瞬だったが確かに触れた のだ。 「ふふ」 華奈美はくすぐったそうに笑った。そして、けげんそうな香澄を残して浴室へと向かった。 「お姉ちゃん、華奈美どうかしたのかな?」 「どうかしたんじゃないのかしら」 歌織はにっこりと笑って答えた。 「それじゃわかんないわよ」 「そうねー。まだわかんない方がいいわよね」 「なにそれ」 「なんでしょう? ま、いずれ分かるわ。でもね、香澄ちゃん」 「何?」 「最後に勝利するのは私なの、ごめんね。お姉ちゃん、香澄ちゃんも華奈美ちゃんも 大好きだけど、でもやっぱり負けたくないから」 「お姉ちゃん、それさっぱり」 こうして、紫藤家三姉妹の夜はふけていくのであった。 ...next story『くまたんとお誕生日』