生徒総会を一週間後に控えた私立堅梨学園高等部では、例年通り各部活動の予算獲得交渉が行われていた。一円でも多く部費を得ようと、怒鳴り合いに近い交渉が行われるのもいつものことである。
「だから、俺たちには追加の予算が必要なんだよ!」
「そんな我が儘が通ると思いまして? 予算案はすでに部長会議で決定しています。今になって文句をつけるならなんで会議に欠席したんですか!」
 『生徒会長』と書かれたプレートが置かれた机をはさんで一組の男女がにらみ合う。
 廊下側に立つのは写真部長の明智忠志だ。手にしたカメラのカタログを振り回して自説を主張している。その首からぶら下がっているのは祖父から譲り受けたドイツ製のライカだ。
 窓側に立つのが生徒会長の宮木麗子である。こちらも手にした予算案の書類をたたいて一歩も引かない。窓から差し込む光できらきらと輝いている金髪はドイツ人の祖母から譲り受けたものだ。
「まさかそんな大事な会議だとは思わなかったんだよ!」
「あなたはっ! 私があれほど出席するように念を押したのに何を聞いてたのですかっ!」
「だっておまえ、前の日からえらく不機嫌だったじゃないか! あまり近寄りたくなかったんだよ!」
「不機嫌なのは会議の準備で忙しかったからです! せっかく苦労して予算案をまとめて会議に出てみればあなたの姿はないし! ショックで胸がつぶれるかと思いましたわっ!」
「……すでにつぶれてるくせに」
 麗子のつつましいふたつのふくらみをちらりと見やって忠志がつぶやく。きりきりと麗子のまなじりがつり上がった。
「何か文句でもあるのですかっ!」
「俺は別になにも言ってないよ」
「とにかくっ! 予算には限りがあります。正当な根拠がなければ一円たりとも渡すわけにはいきません」
 麗子はクロワッサンみたいな金の縦ロールを振り乱しながら机を叩いた。
「じゃあ、根拠があればいいんだな」
 忠志が勢い込んで言った。
「その通りです」
 麗子は大きく頷いた。こころなしか表情から険がとれている。
「あるなら、早くお言いなさい」
 麗子は誘うような口調で忠志をうながした。
 忠志が姿勢を正して麗子に相対した。涼やかな瞳を麗子に向ける。ふだんはおちゃらけた表情ばかりしている忠志だが、元の造作が良いので真面目な顔をすると別人のように見える。
 それを麗子は黙って見つめている。忠志の答えをじっと待っている。
 他の生徒会役員もつられてふたりの様子をうかがう。会計の女の子だけはマイペースにキーボードを叩き続ける。
 校庭からランニングをしている生徒のかけ声が聞こえてきた。
 生徒会室の時が止まった。
 しばらく経って、沈黙していた忠志が口を開いた。
「うーん。思いつかん」
 麗子はかくん、と首を倒した。力が抜けてぐらりと身体までよろめいた。
 額に手を当てて、声を荒げる。
「なんであなたはいつもいつも大事なところで三枚目になるのよ! たとえば昨年度の実績があるから予算を増やせとか、いろいろ交渉のネタはあるでしょう! 県のコンクールに優勝したりとかっ! 美術展に出展して高い評価を得たとかっ!」
 明智はぽん、と手を叩いた。
「おお」
「良い案を思いついたのですか? さあ、一気に言いなさい」
 麗子は頬をゆるめ、むしろ気色を浮かべた。というかここまで水を向けておいて何を今更という感じもしないでもない。
「学園祭ミスコンでの水着審査写真の売り上げ。没収されたけど返してくれないかな。あれだけあればなんとかなる」
 麗子は物も言わずにハリセンで明智をひっぱたいた。
 すぱーんといい音が生徒会室に響く。
「誰が返すかこのおバカ〜〜っ!」
 マジ怒りして麗子の肩がふるふる震えている。
「退学にならなかっただけでもありがたいと思いなさいっ! いったいどういう脳の回路してるのよっ!」
「いやぁ。そんなに褒めなくても」
 空気を読めてない忠志が笑って頭をかく。
「褒めてなんかいませんっ!」
 麗子はもう一度ハリセンでひっぱたいた。
 そして息を大きくはいた。
「ふぅ。すっとした」
 憑き物が落ちたようなけろりとした顔で忠志に向き直る。
「……まったく。用件それだけなら帰りなさい」
 それを聞いて、忠志は半目になってぼそりと呟いた。
「ばらすぞ」
 それを聞いて麗子はぴくりと眉を動かした。それまでの傲岸不遜な態度が一転する。
「な、な、なんのことかしらいったい」
 露骨に声が震える。視線を明智から外して泳がせる。
 役員の視線が麗子に集まる。彼らの生徒会長は意外と逆境に弱いのである。
「ほう。そういう態度か。ふーん。昨日の夜、麗子様は俺の」
「お黙りなさいこのおバカ〜〜っ!」
 最後まで言わせなかった。
 すぱーん。すぱーん。すぱーん。すぱーん。
 抜く手も見せないハリセンの連打をくらって忠志が轟沈する。
「あれは二人だけの秘密って言ってるじゃないのっ! そんなこと言うならもうモデルになってあげないからっ!」
「それは困る。俺は麗子を撮るために写真やってるんだから」
 そして微笑んだ。悪魔に営業スマイルがあったらこんな感じかもしれない。
 麗子のちっちゃな胸がきゅん、とときめいた。
 麗子はしばらく動きを止めて顔を伏せて考え込んだ。頭の中でいろいろなものを秤にかける。そして最終的に首を左右に振った。
「だめです。予算配分はあくまでも公平に行います」
「そこをなんとか、頼むよ」
 明智すがりつくように麗子の手を取った。
「お願い忠志、分かって」
 その弱々しい声に、忠志がはっと顔を上げる。麗子の顔には辛い、けれども断固とした表情が浮かんでいた。
「ごめん……俺が甘えていた」
 部長会議に欠席した後、他の部長から忠志は聞いていた。生徒会長は写真部にできるだけの予算の増額を提示していたのだが、結局押し切られてしまった事を。
 プライベートな付き合いがあるからこそ、麗子は写真部をひいきする事はできない。むしろ他の部より厳しく当たらなくてはいけない。そうでなくては、生徒会に対する信頼が揺らぐ。前の生徒会長から託され、そして次の生徒会長へ受け継ぐべき生徒会に、麗子が傷をつける事は断じてできないのだ。
「しつこく言って悪かった。それじゃ」
「分かってくれればいいの」
 忠志が出て行った後の生徒会室は重苦しい雰囲気に包まれた。
 筋から言えば、麗子が正しい。生徒会役員の全員がそれを認識していた。だが、どんよりと死んだ魚のような目で仕事をしている麗子を見るのもつらい。
「おい、なんとかならんか」
 副会長の本田勝吉が書記の佐藤公保にひそひそ声で話しかけた。
「なんともなりませんて。今更予算案を変更してごらんなさい、そっちの方が大騒ぎですよ」
「だよなぁ。会長には辛抱してもらうしかないか」
「ですが実際のところ明智部長の実績はたいしたもんです。あちこちのコンクールに8回も受賞してますからね。本当はもうちょい増額してしかるべきなんですが」
「生徒会がそれを言い出すと、ひいきだと言われるからなぁ」
「……臨時議案」
 ぼそりと会計の水野絵里が呟いた。本田と佐藤が顔を見合わせる。
「そうか。生徒会からではなく、生徒の側から写真部の予算の増額を臨時議案として出せば」
「しかしかなり面倒だぞ。臨時議案として成立するためには確かかなりの数の――ええと」
「……30人以上」
 パソコンから顔も上げずに絵里が呟く。
「そうだ。30人以上の同意が必要だし、書式の提出まで一週間を切っている」
「確かに、明智部長はこういう書類仕事とか苦手ですからねぇ」
「……甘やかしてはダメ」
「正論だ」
「そりゃ、そうですが」
 男ふたりがちらりと視線を窓側の生徒会長席に向けた。
 さっきまでしょぼくれていた少女が座っていたそこには。
 彼らの――我らの生徒会長が、背筋を伸ばし傲然と面を上げていた。小柄な身体からは精気があふれんばかり。
「やらせましょう」
 麗子はきっぱりと言い切った。
「佐藤君、必要な書式をまとめて写真部に届けて。そのくらいの手助けはしてもいいでしょう」
「分かりました」
 佐藤が立ち上がって棚からファイルを引っ張り出す。
「……予算の修正案、用意する?」
 絵里がうかがうように言うが、麗子はそれを言下にはねのけた。
「必要ないわ。生徒会は現行の予算案が妥当と判断して総会に提出いたします」
「ですが会長、それでは――」
「私達はあくまで筋を通します。それに何か意見があるのなら、忠志――明智部長にも、筋を通してもらいます」
 口調こそ厳しいが、声色には忠志に対する満腔の信頼があった。
「私が選んだ男なら、それにふさわしいことを自ら証明してもらいましょう」
 麗子はにっこりと微笑んだ。
 照れも媚びもない、それはまさしく女王の笑みであった。