木刀の一撃が翔(かける)の顎を下から上へとなぎ払った。
 ごきゅん。
 自分の頸椎がイヤな音を立てるのが骨を伝わって聞こえてくる。
 そして意識が暗転した。

 目が覚めた時には、ベッドの上だった。全身くまなくまんべんなく痛い、というか重い。
「もう死ぬ」
 翔はぼそぼそと呟いた。
「お目覚めになりやがりましたか」
 微妙な敬語で、というか明らかに敬語ではない声がベッドの傍らから聞こえた。
「うん」
 自分のクビの骨がまだ信用できなかったので、翔は眼球だけ動かして声の主を見た。ちびっこいメイドが無表情に主を見つめていた。身長130cmアンダー。ぱっと見は子供か小人族かという感じだが、これでいて翔とはひとつしか違わない乳兄弟である。いや女の子だから乳兄妹か。名前は薙(なぎ)。
 薙は王家に代々仕える『鮫』の系譜につながる者である。暗器を使わせたら一流で、料理を使わせたら超一流である。
「クスリを煎じた。さあ飲め」
「やだ」
 繰り返すが、薙の料理は超一流である。鮫の一族は側仕えの中では武闘派の極右だ。そこで超一流のお墨付きがついた料理とは、食べたら即死、嘗めたら昏倒、匂いを嗅ぐだけで悶絶というすさまじいものだ。おかげで主人である翔は幼少より何度も死にかけている。
「わかった」
 薙はあっさりと引き下がった。
「わかってくれたか」
「そう言うと思って、塗り薬にしておいたから。さあご主人、服を脱げ、尻を出せ」
「なっ、やめっ――やめーっ」
 こうなっては頸椎の心配どころではない。痛む身体をムリに動かして翔は逃げようとした。だが、相手がちっちゃくてもすばしっこい薙では万全の体調でも逃げるのは難しい。
 ましてや師匠にぼこぼこにされた直後である。
 たちまち翔はちっちゃな女の子に組み伏せられていた。
「ふっふっふ。良いではないか、良いではないかー」
「薙、女の子がそんな言葉を使ってはいけないよ」
「いいから観念して尻を出すのだご主人」
「ぬ、塗り薬なのになんでお尻なんだ?!」
「ついでだから座薬にしてみた」
「ウソだっ!」
「ウソでもいいから尻を出せ。痛くはしないから」
「それもウソだーっ!」
 薙は全身に隠した暗器の中からワイヤーを取り出すと手早く翔を後ろ手に縛り上げてベッドの天蓋につるした。
 くるくると廻り灯籠のように回転する翔のパジャマをずりおろす。
 そしていよいよ最後の一枚。
 やや緊張した面持ちで薙は翔のパンツに手をかける。
「やめーっ、やめて、薙〜〜〜!」
「ごくり……」
 薙の小さな喉が鳴る。おお、どうやら見かけによらず緊張しているようだ。
「い、い、行くぞっ?!」
「薙、やめろ、やめてっ」
 ぐっ、と薙の白い指に力がこめられる。
 パンツの紐がのびて、ぺろりんと翔の尻が――

 寝室のドアがばたん、と開かれた。
「剣の稽古で怪我をしたそうですね。大丈夫ですか、翔?」
 きらびやかでゴージャスで華麗で、きっとメスの孔雀ならたちまち求愛に応じるであろう極彩色のドレスをまとった女性が入ってきた。
 女性の視線がベッドの天蓋からあられもない格好でつり下げられている少年に止まった。
 女性の目が大きく見開かれる。
「……」(翔)
「……」(女性)
「……ちっ」(薙)
 女性は、手にした巨大な扇で口元を隠した。
「あらあらどうしましょう」
 女性は落ち着いた声でそう言うと、部屋に置かれた黒檀の机の後ろに回り込み、そこに隠れるようにしゃがみこんだ。むろん、巨大なチョココロネのように高く結い上げられた頭部は丸見えであるが、彼女なりに隠れていますという意思表示であろう。
「さ、どうぞ」
 目がきらきらしている。
「気遣いがナイスだ、女王」
「ナイスじゃないーっ、伯母上っ、助けてくださいっ!」
「えー」
 露骨に嫌そうな顔をする美貌の伯母。
「お願いしますよ〜」
 すでに翔は半泣きである。
 そこへさらなる闖入者が出現した。薄汚れた着流し姿で、顔にサングラスをかけたひょうきんそうな男だ。
「栖照(すてら)女王、こちらですかい。ちょいとまずいことになりやしたぜ――ん?」
「師匠っ!」
 おぼれる者は藁にもすがる。
 自分をこてんぱんに叩きのめしてこの状況の原因を作った男に、翔は助けを求めた。
「……ふぅ」
 やれやれという風に男は大げさに首を振ってベッドに近づいた。
「何やってるんだ、薙」
「看病。これから座薬を突っ込む」
「そいつは塗り薬に見えるが」
「……」
 邪魔されたせいでむ〜、と不満そうな薙。ほっと安堵の翔。
 男はたもとから黒くぬめるような質感のある棒を取りだした。
 それを握らされた薙の顔が赤くなる。
「こいつを使え――奥まで塗れる」
「師匠〜〜〜〜っ!」
 翔の絶叫が響いた。

 その後、師匠に続いてぞろぞろと大臣やら将軍やら侍従長やらが入ってきたので、翔が座薬を直腸にぶち込まれるという危機は回避された。
 むろん、薙はたっぷりと小言を受けた。
 見かけや態度や中身や能力がどうであれ、まがりなりにも一応少なくとも翔は女王の甥なのである。その貴種にこの仕打ちはないだろうというので衆目の意見は一致した。
「縛り方がなっていない。それに緊縛とはワイヤーではなく荒縄でやるものだ」
「ワンポイントが欲しい。蝋燭をのっけよう。低温蝋燭なら火傷の心配がないぞ」
「いきなりそんな太いのはダメだ。このボールを使え」
「それと、こちらの潤滑剤も」
 そして大臣や将軍は女王と一緒に退室していった。薙は両手いっぱいにお土産をもらって無表情な顔にそこはかとなく喜悦の色が浮かんでいる。
「……なあ薙」
「なんだご主人、さっそくおねだりか? 今取り扱い説明書を読んでいるからちょっと待て」
「いや、それはどうでもいいのでいいかげん降ろしてくれ」
「“心房”の足りないご主人だ」
「微妙にむかつく誤字だなそれは」
「一心房一心室ぐらい?」
「魚類かっ?!」
 とてとてとてちー、と廊下から足音が聞こえてきた。
 ばたむ!
「お兄ちゃん!」
 飛び込んできたのは白い僧服をまとった少女だった。手に聖なるカドゥケウス――ヘルメスの杖を持っている。
「“また”大怪我したって――何してるの?」
 少女が目にしたのは、ヨガのポーズのような格好で天蓋からぶら下がる翔の姿であった。
「やあ冠樹(かんじゅ)。これは話せば長い事なんだけど……」
 いつの間にやら薙は姿を消している。
「まあいいわ。すぐに私が治療してあげるね」
 翔の従妹で、栖照女王の娘である冠樹王女は施療師(ヒーラー)である。少女はカドゥケウスを持ち上げると祈りの文言を口ずさんだ。
「その前に、降ろしてくれないかなー」
「もにょもにょ……ああんっ、途中で話かけないでってばっ。呪文がリバースしちゃう」
「リバース? おい、冠樹。何の呪文を使っているんだ?」
「むにょむにょ……もうっ、お兄ちゃん、精神集中してるんだからっ」
「いやまて。このぐらいの怪我、ふつーの封傷(キュア)で治るって」
「うん。でもせっかく完全回復(レストア)の呪文を盗……覚えたんだから使ってみたいの」
「ちょっと待って。そんなもんリバースしたら、僕はどうなるのっ?」
「あ――」
「『あ』って何っ?! 『あ』って?!」
「もう……お兄ちゃんが邪魔ばかりするからだよ! 私知らないっ!」
 冠樹王女はぷんすかぷんと怒って部屋を出て行った。
 ごうっ――
 入れ替わりに、硫黄の匂いと共に魔界からの熱風が寝室に吹き込んだ。
 天界の上位呪文がリバースしたので、魔界が出張してきたのだ。
「た〜〜す〜〜け〜〜て〜〜〜」
 窓ガラスが内側から割れ、赤い炎が吹き出した。
「あら」
「あらあら」
「あらあらあら」
 庭を掃除していた、顔立ちも背格好もそっくり同じで、リボンの色だけが違う三人のメイドさんがその様子を見てくすくすと笑った。
「またですわ」
「翔さまったら」
「人気者ですわね」

(続く)