かけるんの一目惚れ:裏面

 僕は手にした本を少女に差し出した。
「これ、落としたでしょ?」
 少女の視線が僕に、続いて僕が手にした本に向けられた。
「〜〜〜〜っ!!」
 少女が声にならない悲鳴をあげた。
 いや、これは僕の主観によるフィルタリングがかかっている表現だな。
 正しくは『少女は意味の通らない奇声をあげた』だ。
 ばぼんっ!
 続いてリトマス試験紙の変化を見ているような色変化を起こし、少女は真っ赤に
なった。
 ここで恐るべき疑念が生じる。
 ひょっとしてこれは僕の勘違いではないだろうか。これは彼女の本ではないのでは
ないか。だとしたら、たいへんまずい。
 何せ僕が持っている文庫本の表紙は、裸の男と男が絡み合うという怪しいシロモノだ。
自分のものでもないのにいきなりそれを突きつけられたら、痴漢行為だと弾劾されても
言い逃れはできない。
 考えてみれば――僕の勘違いの可能性は高い。彼女のようなおとなしい少女がこんな
過激な表紙の本を読むはずがないのだ。
 電車はけっこう混んでいた。彼女が落としたと僕が思いこんでいるだけで、実は
全然違うのではないか。
 そう考えはじめると、彼女とは逆に僕の顔からはどんどん血の気が引いていく。
しまった、声をかけるチャンスだと思ってつい調子に乗ったが、これはもしかして
逆効果?!
「えっと……」
 なんとか僕がこの場から撤退しようと口を開いたその時。
 ばしっ!
 少女が僕の手から本をひったくった。爪の先があたって指が痺れる。
 そして少女は顔をうつむかせるとくるりときびすを返して駆けていった。
「あ――」
 それ以上、何か言う余裕も隙もナニもない。追いかけようと思ったが背が低い彼女の
姿は人混みの中にすぐに消えて見えなくなった。
 残された僕は自嘲の笑みを浮かべた。
「何をやってるんだ僕は」
 あれが本当に彼女の本だとしても、こんな人前であんな本を渡されたらそりゃ
恥ずかしいに決まっている。男でいえば落としたエロ本を女の子に渡されるようなものだ。
「ここで追いかけたら……ただの変質者だよな」
 ああまったく。
 せめて名前だけでも聞いておきたかった。同じ学校で同じ学年だが、僕は彼女の
名前を知らない。こうやって同じ電車で見かけるか、図書室で本を読んでいるのを
ながめるだけ。
 なんとなく気になって。なんとなく見ていて幸せな気分になって。なんとなく
話しかけたくなった。
 それだけ。
 物静かで眼鏡をかけた、まつげが長くて人形のような――そんな彼女。
 僕はさっきのやりとりを思い出した。
 実は彼女はけっこう表情が豊かで。
 実は彼女はかなり恥ずかしがりやで。
 実は彼女は――そう、すごく生き生きしていた。
「人形なんかじゃ、ないよな」
 さっきのは大失敗だったけど、でも僕は彼女をこれまでになく身近に感じていた。
 そこで僕は気がついた。
 僕は、彼女に恋をしているんだと。