「先生。これ、落としたでしょ?」
 彼はにっこり笑って私を見ていた。
 上半身はだかの美少年がもう一人の美少年を背後から抱きしめている表紙をばっちり表に向けて私に差し出す。
 なんてものを見られてしまったの。
 かーっと頬が赤くなる。
 ろくに顔を見ることもできず、彼の手から文庫本をひったくると私はお礼も言わずにとっとと逃げ出した。
 ばくばく言う心臓を無視して早足で階段を下りた。
 人と人の間に割り込み、ボーリングのピンのようにはじき飛ばしながら進む。
 私の前に道はない。
 私の後ろに道はできる。
 とりとめのない思いが脳内をかけめぐる。
 昨日の夕ご飯はサンマだった。
 今日の昼ご飯はスパゲティ特盛りだった。
 明日の朝ご飯は血がしたたるステーキの予定である。
 自動改札に定期券を叩きつけて通り抜けた後、はたと気がつく。
「この本はね! クラスの女子から没収したのよ!」
 ぎょっとした表情で前を行くサラリーマン風の男が振り返る。私はぎろりとそいつをにらみつけた。男はすごすごと立ち去った。
 良い言い訳を思いついたので私はちらりと後ろを確かめた。彼が付いてくるわけが無いのに。心の奥で期待している自分が馬鹿みたいで私はため息をついた。
 ガッデム。
 彼には入学式以来目をつけていた。
 かくべつ美少年というわけではないのだが、くりくりと良く動く茶目っ気のある瞳が印象的であった。最近の学生にはない素直さも持ち合わせている。
 私はバカだ。
 せっかく……せっかく彼を捕獲する良い機会だったのに。
 はぁ。
 もっとこう……人気のない場所ならよかったのに。
 ぐうぅ。
 腹の虫が鳴った。タイムサービスに寄って帰ろう。恋というのは腹が減るものなのだ。