龍の守護者外伝3:blessed event
注意:これは『龍の守護者』シリーズの外伝です。先に本編のシリーズをお読みになってから読まれると、より楽しむ事ができます。
幼稚園から大学院まで。
毎年で一人頭500万円以上の学費教材費その他もろもろをきちんと納めてさえいればエスカレーター式にどこまでも上がっていく学園の中にあっても、高校三年の時期というのは何かと進路で騒がしくなる。
ここの学生のほとんどは、裕福な暮らしとは裏腹に進路に選択の余地があまりない。あふれんばかりの才能かあるいはすべてを捨てても顧みない強い意志があれば別だが、そうでなければ周囲のひいたレールの上をなぞるような人生だけが待っている。
それでも夢をみるのは自由であるし、この年頃の少年少女というのは夢にだけは不足していないのだ。あるいは妄想の類かも知れないが。
まあ俺も人のことは言えない。
天梁は龍の守護者、遺産を受け継ぐもの――
俺はそういうわけで子どもの頃から遺産を狙う連中を撃退できるよう、人殺しの技をたたき込まれてきた。しかしベトナム帰還兵の問題がそうであったように、人殺しの才能というのはこれがもう、実につぶしがきかない技能なのだ。
今や、守護すべき龍は消え、遺産はもはや遺産ではなくなった。夜空には生命に満ちあふれた緑色の月が輝いている。
あれを為したのが自分だと思えば誇らしくもなるが、まだ18才で過去の栄光のみで生きるのもどうかと思ってしまう。
……。
いや、正直に言おう。
半ば、そのつもりでいた。
紫苑がそばにいてくれれば、それでいいと。他に何を望むのかと。富も権力も、栄光さえも俺にはまぶしすぎる。
あの屋敷で日永一日ごろごろして過ごす。春に色づく木々をながめ。夏は四阿で昼寝をし。秋は夜空の星をながめ。冬は暖炉の前で本を読む。
そして傍らには常に紫苑がいる。
そうやって紫苑と一緒に爺さん婆さんになっていつかは死ぬ。
素晴らしい。言う事はない。
だが――
そう、死霊術の呪いでまさにそういう生活を体験したせいか、どうも最近、進路――というかこれからについて思い悩んでいるのだ。
「ソフィアちゃんはどうするの? 大学?」
「む。……ごくん。――進路か?」
昼休みの時間、ソフィアは紫苑が用意したお弁当をクラスメイトの児島さんと一緒につついていた。ソフィアもこの一年ですっかり学園になじんでいる。尊大な物言いは相変わらずだが、意外と友達は多い。
ちなみに俺は同席していない。なんとなく自分の席でぼけっとしながらソフィアの声に耳を傾けていたのだ。
「そうだな。大学に進むことになるだろう。むろん、忙しくなればその限りではない」
「忙しいって何が?」
「仕事だ。協会に今度設置される護法課の非常勤になる」
「あ、ニュースで聞いた事がある。魔術犯罪を捕まえるやつでしょ?」
「大丈夫なのソフィアちゃん。危なくない?」
「そうでもない。私が担当するのは犯罪が魔術によるものなのか否か、だとしたらそれはどんな魔術か――それを探知する、えーと、そうだ。警察でいうと鑑識のような役割だからな。実際に魔術で悪さをするのを捕まえるのは、もっと階梯が上の魔術師だ」
「ふうん。じゃあ天梁君も一緒に?」
うお。
なんでいきなり俺に話題が。
「うむ。有樹は魔術師の階梯こそ低いが、実戦経験という点では世界でもトップだからな。魔術犯罪の摘発にはうってつけなのだが――まあ、これは本人が決める事だ」
言外にこの話題はここまで、というニュアンスを残し、ソフィアは再び箸を動かした。
ぴたり。
その箸が止まる。
「……」
「……どうしたの、ソフィアちゃん?」
「……ん……む……」
ソフィアの顔色がおかしい。何か嫌いな物でもおかずに入っていたのだろうか。
「……すまぬ。少し気分が悪くなった」
「え? 大丈夫?」
「軽い胸焼けだ。ちょっと……」
児島さんがすばやく自分の水筒からお茶をいれてソフィアに差し出す。
ソフィアはそれを礼を言って飲むと、ほう、と息をついた。
「落ち着いた?」
「うむ」
「どうする? 保健室で休む?」
「ううむ……」
わずかに逡巡するソフィア。俺は席を立ち、ソフィアに近づいた。
「具合が悪いなら早退して先に帰ってろ。鞄は後で持って帰ってやる」
「ソフィアちゃん、それがいいよ」
「そうか。ならば頼もう」
あっさりとうなずき、ソフィアは弁当を包み直した。見れば中身はほとんど減っていない。そういえば今朝もあまり食べなかった。健啖たる食欲をみせるソフィアにしては珍しい。
「食欲がないなら食べなくてもいいから、水分だけは補給しておけよ」
「うむ……そうだ、ハル」
「なに?」
児島(春香なのでハル)さんが尋ねる。
「クラブ活動の後でいつも食べている、蜂蜜レモンを一切れくれないか。どうもむやみに酸っぱい物が欲しい」
「いいわよ」
児島さんはタッパを取りだした。薄切りのハチミツ漬けのレモンが入っている。ソフィアはフォークでひょいひょいとつまんで口に入れた。
「ありがとう」
「うん。気をつけてね」
教室を出るソフィアを見送っていると、ぽん、と児島さんに背中を叩かれた。
「こら、天梁君。せめて校門まで見送ってあげるのが男のマナーよ」
「……ああ」
俺はソフィアの後を追いかけた。一年間の経験により、この程度の事は赤面せずにできるようになった。
これもまた成長というのだろうか。
「本当はお姫様だっこして家まで連れて帰るぐらいの甲斐性が欲しいんだけどねー」
言ってろ。
夕方になって屋敷に帰ると、ベンツが停まっていた。それもメルセデス・ベンツ300SLである。ドアが上に開くのでガルウィング・クーペなどと言われる。あまりまっとうな人間の乗る車ではない。しかも車体のあちこちは傷だらけでバンパーなどぼこぼこにへこんでいる。カー・マニアが見たら卒倒しそうな扱いだ。
こういういかれた車を乗り回すのは医者か弁護士と決まっている。
「やあ、天梁君。帰ったかね」
ちょうど車に乗り込もうとしていたのは、よれよれの白衣を着た背の高い男だった。丸越貞。れっきとした医者である。
「ソフィアですか」
「うん」
丸越医師はヤブでも闇でもないが、真っ白に合法的な医者でもない。丸越は天梁の分家筋で、この屋敷で起こったいろいろな意味で表沙汰にできないけが人を治療してきたし、どうしても公開しないといけない死体に関してはあちこち手を回してきちんとした死亡届を作ってくれている。
「ソフィアの様子は――?」
「うんまぁ。うーん」
見かけは軟弱だが致命傷を負った患者に「もう死ぬから何か言い残すことはないか」と平然と言えるこの医者が、なぜか歯切れ悪く言葉を濁した。
「先生?」
「あー。心配は……いらない。うん。今のところは」
「……今のところは?」
うわ。なんだその含みを持った発言は。
俺はいきなり不安になった。
「先生。ソフィアに何かあったんですか」
「うんまあ。あったといえば、あった」
「教えてください」
「……ううーん。本人にも伝えてあるから。ソフィアちゃんから直接聞きたまえ。うん。その方がいい」
そういって、そそくさと車に乗り込もうとする。俺が呼び止めようとしたら、くるり、と振り返って俺の肩をがっしりと掴んだ。
白衣から消毒液の匂いがする。
「君にもいろいろと言いたい事はあるだろうし、私も医者としての意見があるが、ここはまず彼女の意見を最優先することだ。いいね。これは医者としての――いや、男としての忠告だ。うん」
何が何やら。
「ではっ」
そして再び車に乗り込むと、どるるるるとエンジンをふかし、猛烈な勢いで発車した。
ごん。がん。どご。
敷石に乗り上げて傾き、門に車体をこすらせながら去っていく。これはいつもの光景なのだが、どうにも不安である。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、有樹様」
玄関をくぐると、紫苑がいつものように待っていた。
「ソフィアは?」
「先ほどまで、丸越先生の診察を受けていましたから、おそらくは自分の部屋に――」
どたたたたたた。
聞き慣れた足音が階上からした。
「帰ってきたのか有樹?!」
ソフィアが、昼休みの時とはうってかわって元気いっぱいという様子で手すりから身をのりだしてきた。
「おいソフィア。身体はいいのか?」
「あ、いかん。そうだな。これからは大事にせねばな」
「?」
意味不明。
「そうそうソフィアちゃん。護法課準備委員会の鮫島さんからご連絡があって――」
「それはキャンセルせねばならんな」
「?」
ますますもって意味不明。
「いったいぜんたい。身体の調子が悪いようには見えないんだが」
「それどころではないのだ」
堂々と宣言。
「私の身体は、私ひとりの物ではなくなった」
ことここにいたり。
いくつかのキーワードが、脳内で連鎖を始めた。
胸焼け。食欲不振。酸っぱい物が欲しい。
いやしかし。
そんな馬鹿な。
だが俺の思いとは裏腹に、ソフィアは高らかにこう宣言したのである。
「私のおなかの中には赤ちゃんがいる。有樹、お前と私の子どもだ」
足元が崩れそうになるような衝撃を受けながらも俺は。
そっと慈愛のほほえみを浮かべて自分の下腹部を撫でるソフィアを――
美しいと――感じていた。
「有樹様」
かたわらから、紫苑の声が聞こえた。表情は分からない。見る勇気がない。
声色は平静だった。
「お食事ですが、田所様からご連絡がありまして」
ぞわっ。
本能の部分での警戒信号がレッドアラームを響かせる。俺は素早く飛び退いた。
ひゅおぅっ!
刃鳴りがバンシーの泣き声のごとく追いかけてきた。
「わっ! たっ!」
手に持った鞄で防ぐ。
じゃぎぃ。
鞄の表面が切り裂かれ、仕込んである鋼板の銀色が露わになる。
「し、し、し、紫苑っ?!」
紫苑は、能面のような無表情のまま、柳刃包丁を構えていた。
唇から静かに言葉が続く。
「今日は帰りが遅くなるので、先に済ませておいて欲しいとの事でした」
ひゅおっ。ひゅおんっ。
言葉の内容とは無関係に、包丁が繰り出される。目の焦点があってない。
やばい。
錯乱している。
「こらっ! 紫苑っ! 何してるのよっ!」
ホールの上ではソフィアががなりたてているが、降りてくる様子はない。よかった。今の状態の紫苑がソフィアに襲いかかったらたちまち三枚におろしてしまうだろう。
「それで、夕食なのですが。今夜はひらめの良いのをいただきましたのでこれを」
ぎゃぎゃぎゃぎゃ。
刃を受け止めた鞄が悲鳴をあげる。鋼板で補強してある鞄(空っぽでも10kgある)だが、そろそろやばい。
どうする?
殺さずに無力化するのは、相手が紫苑ほどになると殊に難しい。
「ままよっ!」
俺は逃げるのをやめて、紫苑に向けて踏み出した。
ばきん。
ついに、鞄が中の教科書ごとまっぷたつになる。俺は素早く間合いに入って紫苑にしがみつくと、新調した柳刃包丁についてしゃべる(今現在としてはいやな話題だ)唇に、自分の唇を重ねた。
紫苑の動きが止まり、柳刃包丁がからん、と床に落ちる。
「聞いてくれ、紫苑」
ぽろり。
紫苑の目から涙がこぼれ落ちた。
「し、紫苑。あのな、あのこれは……」
「いえ、いいのです有樹様。失礼をいたしました」
紫苑は涙をぬぐった。
良かった。どうやら理性を取り戻したようだ。
「私は何があっても有樹様と共にありますから」
「そうか」
「ええ。地獄へもお供いたします」
「ありがとう」
「礼には及びません」
じゃきん。
紫苑が足を開き、腰を落とす。両手には鴛鴦鉞。
「ですから、どうか先に行って待っていてください。私もすぐに参ります」
それからの事は、思い出したくもない。
午後10時22分。
ほろ酔い気分で帰宅した田所が、あきれた顔で玄関ホールを見回した。そこはドイツ兵とロシア兵が市街戦を繰り広げたスターリングラードのような惨状を呈していた。
「なんだぁ?」
「お帰りなさい」
ぞうきんをもった紫苑が声をかける。やや表情が硬い。
「遅かったな」
俺は箒とちりとりをもったまま言った。
「何があったんだ」
紫苑が口ごもる。俺はそっぽを向いた。
「ちょっとな……」
それだけで田所は事情を察したようにうなずいた。
「夫婦げんかか。犬も食わんぞ。というかお前らのは危険すぎる。外でやれ、外で」
居候のくせに、まるで自分の家のような大きな顔をして言う。
「実は、それよりもやっかいかも知れない」
俺がソフィアが妊娠した(らしい)と話すと、田所が眉を上げて鼻をならした。
「俺をバカにしているのか? お前らが小学生のようなお付き合いをしてるのは先刻承知だ」
ようなもなにも、ソフィアの年齢は小学生に等しいのだがそのへんは置いておく。
「だからだよ。丸腰先生は産婦人科じゃないが、そうそう誤診はしない」
「ホルモンのバランスがどうとかは? ありえんわけじゃなかろう?」
「まあその可能性であってくれれば問題はないんだがな」
「どうした。だいたい処女で妊娠するなんて、聖母マリアじゃあるまい……し……」
「気が付いたか」
「ああ」
「ラグナロクにおいて、ソフィアは天界の軍団長をその身におろした。天使そのものであったと言っていい」
「処女懐妊……だが、なぜだ?」
「なんか理由があるのかも知れない。救世主か何か――よくわからんが、そういうモノを身ごもった可能性がある」
「だとしたら、どうするつもりだ」
ここにいる三人とも、希望的観測だけで行動するつもりはなかった。最悪の場合や、予想外の場合に備えて行動する。そうでなかった場合はただの笑い話ですませればいい。
「最優先は、ソフィアの安全だ」
紫苑と田所がうなずく。
「田所、なんかあったらまずい。万が一を考えてお前はセーフハウスへ移動しておいてくれ」
「ま、荒事や魔術が絡むと俺ではどうもならんからな。できるだけ連絡は欠かすなよ」
「分かってる。紫苑、新宿に連絡。ドクターを頼む」
「はい」
「俺は葛城のご老と相談する。何か――」
そこまで口にした瞬間。
轟音と共に、天井を破って巨大な黒い影が舞い降りてきた。
俺は田所に体当たりして引きずり倒した。
紫苑が前に出る。すでにその手には鴛鴦鉞が握られている。
ぎん。ぎぃぃぃん。
耳障りな音をたてて、刃が黒い影を覆う甲冑のようなものに弾かれる。
さっ、と紫苑が後退した隙に。
ぱん。ぱん。ぱん。
俺がベレッタを構えて撃つ。黒い影の頭に1発。胸に3発。
影は小揺るぎもしない。
俺は相手を観察した。
身長は2メートルを少し越えるぐらい。人間のシルエットをしているが、足が短く腕が長い。そして全身を黒い甲冑のような――いや、昆虫の外骨格のような物が覆っていた。何かの魔術的な動甲冑だろうか。
「天梁の娘を差し出してもらおう」
長い腕を伸ばして影が言う。
「その娘をどうするつもりだ」
「殺す」
影はこともなげに言った。
「災厄の天使を抹殺するのが私の使命だ。それ以外の無用な介入は禁じられている」
「ならばこれが答えだ」
再び拳銃を撃つ。
むろん効果はない。が、それで良い。
相手の意識がわずかにそれたその瞬間を狙い、紫苑が大理石の柱の影に飛び込む。隠しパネルを開き、ジョイスティックを握る。
空気をふるわせる唸りと共に、太い火箭が影に集中した。
「ぐおっ?!」
拳銃弾とは比較にならない、重機関銃の弾丸が影を連打する。踏ん張った足が、ずるずると後ろへと下がる。
「ご、が、ぐぁっ」
効果はある――が、それだけだ。致命傷にはなっていない。なんともあきれた頑丈さだ。
そしてすぐに弾丸がとぎれた。影がうずくまる。
「田所っ! 逃げろっ!」
「おうっ!」
田所が玄関から全速力で逃げる。紫苑はソフィアがいる二階の寝室へと駆け上がっていく。
俺はひとりで影と対峙した。
「なかなか気の利いたアーティファクトを身にまとっているようだが、どこのどいつだ」
「くふっ。それこそこちらが問いたい。その隻腕。まさかとは思うが、貴様が天梁有樹か?」
「そうだと答えたら?」
「ならばそれこそ好都合! “シャドウハンド”を因果の輪から取り除けばっ――」
影が重機関銃によるダメージをまるで感じさせない軽やかな動きで跳躍した。
思ったより、素早い――?
俺が反応する、その前に。
銀色に輝く矢が天頂から連続して飛来した。
矢は空中の影を確実に捕らえ、その装甲を打ち砕く。黒い破片が飛び散り、緑色の液体が噴出する。
「ごあああああっ」
影が床に倒れ伏し、苦悶の悲鳴をあげる。緑色の体液が周囲を汚す。
機関銃すら退けた鎧を撃ち抜いたのは、矢尻のような細い投げナイフだった。
「下がって――」
天井から飛び降りたのは、ひとりの少年。俺よりも年下だろう。中学生くらいか。黒い髪に黒い瞳。漆黒のコートを身にまとい、涼やかな切れ長の瞳を相対する異形の影に向ける。
その表情。その仕草。その立ち居振る舞い。
どこかで見たような、見慣れているような、そんな既視感を覚える。
「ここまで……ここまで追って来たか」
影がうめくように言う。
「月の守護者よ――」
ぽっかりと穴の開いた天井から、柔らかな月の光が差し込む。
月光に照らされた少年は、静かに。だが覇気に満ちたまなざしで影と対峙した。
「災厄の天使と月の守護者、さらにはシャドウハンドか。天に仇なす存在をまとめて始末するチャンスが訪れたわ」
「それはどうかな、ハドゥン。追いつめられたのはお前の方かも知れないぞ」
少年の声は凛として耳に心地よい。やはりどこかで聞いたような。
「ほざけ」
影、どうやら名前はハドゥンがうそぶく。俺は少年に声をかけた。
「おい、“月の守護者”君」
「な――こんな時にも嫌味ですか、あなたはっ!」
少年が声を荒げる。きれいな顔をして意外と気が短い。
それにしても初対面のはずだが既視感があるな。
「なぜ俺が君に嫌味を言う必要があるのだ」
「え、あ――そうですね。すみません」
「あのハドゥンとやらを追い払うまでは共闘ということでいいな?」
「はい」
「よろしく頼むぞ“月の守護者”君」
「……」
「イヤか? この呼び名。あいつはそう呼んでいるが」
「あなたに言われるのだけは絶対に嫌です」
初対面のくせに生意気な奴である。
「じゃあ名前を教えろ」
「てんりょ――いやっ、そのっ、えー、カズキ、一樹です」
凛とした外見とは裏腹に、言動にはどうもうろが来ている。大丈夫だろうか。
「よし、じゃあ一樹。あいつとは知り合いのようだが、戦い方を教えてくれ」
「ハドゥンのアドバンテージはあの念体装甲です。物理攻撃はほぼ無効。魔術攻撃もかなり吸収します。ですが、念体をまとうために膨大な魔力を必要としますし、転移したばかりなら維持できるのも10分が限度です」
「ふむ」
時計を見る。あれが出現して5分ほどか?
「決め手はなさそうだな。時間を稼ぐか」
「いえ、あなたのシャドウハンドであれば、あいつの念体装甲を貫けます」
「なんだそりゃ」
「……は?」
「何か勘違いしてないか」
「しかし、あなたはとうさ――いえ、天梁有樹なのでしょう?」
「俺は確かに天梁有樹だが、そんな奇妙な二つ名をちょうだいした覚えはないぞ」
不審そうな目で少年は俺を見た。続いて驚きに見開かれる。
「転移が、ずれた……?」
ハドゥンが立ち上がる。
左右の手に手槍を握り、すり足で間合いを詰めてくる。
「あの手槍も、やつの装甲と同じく念体か」
「はい。物理的な装甲であれを止めることはできません。同じ念体でなければ貫かれます」
「これまた魔力消費の大きい得物だな。それなら武器の形にするよりも刃にしてぶつけた方がいい。君のナイフのようにな」
「ですが、ナイフではあの槍を受けるのは無理です」
「それもそうか」
俺は姿勢を低くしたまま、ハドゥンに向かって走った。後ろで少年が息をのむ。
「な――無茶です!」
「ゆくぞ、天梁有樹!」
ハドゥンが雄叫びをあげて右の槍を繰り出す。
左の槍は構えたまま。
構えた、ままだ。
「“シャドウハンド”を甘くみてもらっては困るな!」
俺は大声で言うと、槍の穂先を左に体をひねってかわす。腕の入っていない右の袖がハドゥンへ向けてのびる。
「くっ――」
ハドゥンが左の槍を構えたまま後ろにとびすさった。
“シャドウハンド”がいかなるものかは分からない。
が、少年もハドゥンも、俺がそれを持つと考えているのは間違いない。ハドゥンの念体装甲とやらを貫く力を備えている何かすごく物騒なものを。
つまりはそれが、ハドゥンが左の槍を使わなかった理由であり、この場での敗因なのだ。
開いた間合いを確認し、俺はハドゥンの方を向いたまま、背後にむかって叫んだ。
「紫苑、ソフィア、頼む!」
「はい、有樹様」
「任せるがよい。風龍!」
小さな炸裂音が床と壁から発生し、白い煙を発生させた。
風龍が作った風が渦をまき、煙をハドゥンの周囲にカーテンのように広げていく。
月の砂を使った魔術効果もある煙幕だ。この場にいる限り、ハドゥンの視界は常に奪われる。
「くっ――相変わらず姑息な手をっ!」
煙幕の向こうでハドゥンが歯がみをしている。
「誉め言葉としてとっておくよ。ちなみにお前の後ろに玄関がある。鍵はかけていないから、せめて扉を開けて出ていってくれ。今夜は屋敷をこれ以上壊したくない」
俺が言い終える前に、扉が砕ける音が聞こえた。
分かってはいたが、最初から最後まで人の言うことを聞かないやつである。
「さて、一樹君とやら。詳しい話を聞かせてもらおうか」
「……」
なにやら異様な気配にふりむくと、黒衣の少年が硬直していた。その視線の先に紫苑がいる。
「紫苑かあさ……ごにょごにょ……全然……変わってない……」
「はい?」
少年のあからさまに不審な様子に、紫苑が小首をかしげる。俺はそこでようやく、少年の雰囲気や顔立ちが初対面と思えなかった理由を発見した。
少年は紫苑によく似ているのだ。俺が天梁直系の最後のひとりであるように、紫苑もまた直系では最後になるが、ひょっとしたら大陸で傍系の血筋が残っていたのかもしれない。
「む、なんだそこの少年は。有樹の親戚か何かか」
あちこち壊された階段を何段かずつ飛ばしてソフィアが降りてきた。
「気をつけろよ、ソフィア」
「心配してくれているのか、ありがとう」
ソフィアの笑顔で、俺は自分が何を口にしたのかに気づいた。
そしてそれに当惑する。
今、俺が心配したのはソフィアがいつものように転んでケガをすることではない。俺は母体としてのソフィアを、そしてそのお腹にいるだろう胎児を、心配したのだ。
処女懐妊によって出現した胎児、おそらくは天界の残党か何かである可能性が高いそれを、まるで普通の子供であるかのように――いや、自分の子供であるかのように俺は心配した、いや、今も心配している。
何かが不自然だった。
そんな事を考えていたから、一樹少年の変化に気づくのに少し遅れた。
「そんな……こんなに……可愛い……信じられない……」
少年は身体を震わせながらソフィアをじっと見つめていた。
感動? 感激? いや、それよりも何かもっと俺にとっては不愉快な情動がそこにあった。
「気をつけろソフィア。その少年、俺の兄貴と同じ読みの名前だからな。きっと、女にだらしないぞ」
「和樹おじさんと一緒にしないでください!」
少年がかっとなって言い返した。それからあわてて口をつぐむ。
「おじさん、か。やはり何か事情がありそうだな」
「事情は話しますが、その前にひとつだけ質問をさせてください」
少年はそう言うと、しばし逡巡した。
「言ってみろ」
「えーと……実はその、たいしたことではないのですが……」
少年は天井を見上げる。
壊れた天井を通して、緑の月が見える。
「月がああなってるって事は、そんなにズレてはいないんだよな。でも、どうして……」
この時点で、いくつかの可能性を俺は想定していた。
が、どの可能性であってもここは慎重に行動した方がいいとも判断した。紫苑も同じらしく、静かに待っている。ソフィアは気づいていないようだが、俺としてもその方が都合がいい。
やがて、一樹少年はさりげなさを装いつつ、こちらから微妙に視線をそらして壁のあちこちを目で探りつつ――彼が求めるものが玄関ホールにあるわけがないだろうに――決定的な質問を口にした。
「その、えーと、今は何月何日でしたっけ? ……何年の?」
「……」
いつかこいつに。
俺は脳内にあるメモ帳に刻み込んだ。
遠い先の話にはなるとは思うが、質問をする時のコツについて教えてやろう。いや、教えてやらねばならない。
それはいかなる意味においても、俺の義務だ。
一樹の言葉をまとめると次のようになる。
一樹は月を守るために活動している一族のひとりである。
一樹にはともに戦うパートナーである妹がいる。妹は月を守るための要である。常にふたりは一緒に行動するのだ。
「あなた……いえ、僕たちの父さんが言うには、北斗と南の関係だそうなのですが。僕にはよくわかりません」
それはウルトラマンAだ、とは言わなかった。
つい先日、ハドゥンを擁する敵組織の罠によって妹の存在が消されかかった。転移魔術によって逃走することはできたが、その際に間違ってソフィアのお腹の中に転移してしまったのだという。
妹はソフィアのお腹の中で魔力を回復して出てくるが、それまで数日かかると思われる。
しどろもどろになりながら、一樹はなんとか説明を終えた。
さすがにこの頃になると、ソフィアですらうさんくさそうな顔をして一樹の話を聞いていたが、ありがたいことに口ははさまなかった。
ソフィアが確認したのはただひとつだけ。
「それで、私のお腹にいるこの子の名前はなんという?」
「エレーナです」
その答えに、ソフィアは満足そうにうなずいた。
「さて、夜も更けたことだしひとまずは休むことにしよう。紫苑、一樹を客間へ案内してやってくれ」
俺がそう言うと、一樹はあからさまに安堵のため息をついていた。
「わかりました。それでは一樹さん、こちらへ」
「わかりました。紫苑かぁ……紫苑さん」
「ふふ。あまりかしこまらなくていいのですよ。ここを自分の家だと思ってくつろいでね」
「は、はい!」
「夜食のサンドイッチを台所に置いておきますから、お腹がすいたら食べてください。場所はわかりますか?」
「あ、はいっ。いつもの戸棚の中ですね。冷蔵庫の左の」
「はい、いつもの場所です」
「……」
俺は無言でふたりを見送った。
これでお互い、相手にはばれてないと思ってるんだろうなぁ。
どうやら一樹の迂闊っぷりは母親似のようである。
「さて、私も休むとするか」
ソフィアが階段に足をかけた。
「待ってくれ」
俺は左手でソフィアを抱き上げた
「お?」
「破片が散っている。転ぶと危ない」
「ありがとう。でも、左手一本ではつらいだろう?」
腕のない袖をソフィアがいじる。
紫苑とソフィアは例の吸血鬼騒動の後で、俺に義手をつけるよう何度も勧めている。魔術を利用した義手であれば、普通の腕と同じように使えるからだ。
「そうだな。今度、ソフィアのお父さんに頼んでみるか」
「それはいいことだが、どういう心境の変化だ? 父に頼み事をするのはいやがってたろうに」
ソフィアを抱いて階段を上っていく。足下がきしむ感覚。
「龍の守護者は孤高を良しとする家風が天梁にはあったからな。他の家や一族に借りを作って不自由になるのは避けたかったんだよ」
「孤高といっても世捨て人ではあるまい。私の父はあちこちに借りを作っておるが、ちっとも不自由そうではないぞ」
「まったく――おっと」
俺が破片につまずいてよろめくと、ソフィアが手すりをつかんでバランスをとった。
「ありがとう、ソフィア」
「どういたしまして、だ。私はこうやって有樹に抱かれているからこそ、今のように支えることができた。貸し借りの関係だからといって、窮屈なことばかりではない」
「最近、それが分かってきたところだ」
階段を上がった後、そのままソフィアを抱いて部屋まで行く。寝台の上にそっとおろされて、ソフィアはくすぐったそうに笑った。
「まったく、そんなに心配か」
「ああ」
「一樹の言う通りなら、この中にいるのはどこの誰とも知らぬ少女だぞ」
「あいつの説明を信じているのか?」
「まさか。あんな説明で納得できるものか。だが、あやつが嘘をついていないのは分かっておるからな。つじつまが合わないのは許してやろう」
「嘘をついていない?」
俺は頭の中で一樹の言葉を思い出してみた。
「なるほど――嘘はついていない、な」
言っていることが支離滅裂になるのは、嘘をつかなかったせいか。
「あんなぐだぐだな説明で、よくそれが分かったな」
ソフィアが自分の下腹部をなでる。
「この子がな、話かけてきておるのだ。兄の言うことは正しくはないが、嘘でもないとな」
「この子というと、お腹の子……エレーナか」
「うむ。いい子だぞ」
それはそうだろう、と俺は思った。いい子でないはずがないのだ。
「ソフィアは気づいているのか? この、からくりに」
「いいや。さっぱりわからん」
あっさりと言う。
「難しい事を考えるのはお前に任せた。私はこの子を守るだけだ」
「なら、俺もこの子を守ろう」
その言葉は自分でも驚くほどにするりと口から出た。
「良いのか? 繰り返すが、ここにいるのはどこの誰とも知らぬ子供ということになっているのだぞ?」
からかうようにソフィアが言う。
俺はまじめな顔で答えた。
「どこの誰とも知らぬことはあるまい。ソフィアのお腹にいる以上、この子はソフィアの子供だ。俺が守る理由はそれで十分だ」
ソフィアが下腹部に置いた手に、俺は自分の手を重ねた。やっかいな事になったとは思うし、正直、いろいろと面倒になりそうな予感もある。げんなりとしていいはずなのに。
この、こみあげてくる幸福感と笑みはなんだろうか。
「聞いたか、エレーナ? 安心しろ。何があってここに逃げてきたかは知らぬが、そなたの父と母を信用するがよい」
ソフィアは自分の手と俺の手を入れ替えた。パジャマを通して、暖かな体温が伝わってくる。なんとなくその下の鼓動まで聞こえてくる気がするのだから父親とはちょろい生き物だ。
「それが、お前の父の手だぞ、エレーナ。出てきたらたっぷり抱いてもらえ」
やはり、と俺は思う。
母親というものは、何も分かってなくても、何もかもを理解している存在なのだと。
夜が更けていく。
2時過ぎになってから、俺はあくびをかみころしつつ、明かりのついた台所をのぞきこんだ。
先客は、一樹だった。
黙々と、かみしめるように紫苑の作ったサンドイッチを食べている。ひとつ食べるたびにうなずいているのは、味付けについて思うものがあるのだろう。
驚かせるつもりはなかったので、俺は声をかける前に扉を叩いた。
「うまいだろう、紫苑のサンドイッチは」
「?!――んぐっ……ん、んん、けほっ、けほっ。……驚かせないでください」
一樹がむせかえり、目に涙を浮かべる。
「なんというか、いろいろな意味で不安なやつだな、お前は」
「不安? それはこちらの台詞です。まさかあなたがこんなに弱いとは思いませんでした。これでは次にハドゥンが来ても戦えません」
「確かに魔力の強さでいえば、お前やハドゥンのほうが上だな。どこから調達してるんだ」
魔術師でない常人であっても気づかれかねない濃密な魔力に一樹は包まれていた。
「月からです。今は他に誰も受け取っていないようなので、すぐに補充できました。これはハドゥンも一緒です。次に奴が襲ってくるときは、時間切れまで逃げ回る手は使えませんよ」
「わかってるよ。こっちの考えていた通りだ」
「本当にわかってるんでしょうね? どうもあなたには真剣さや誠意が足りないんです」
「いつも真剣で誠意をもって行動しているつもりなんだがな。どのあたりが足りないんだ?」
「それは――そう。たとえば女性問題です」
よしよし、食いついてきた。
「紫苑とソフィアか?」
「そうです! ふたりの女性を妻に――じゃなくて恋人にするなんて、間違っています!」
「つまり、どちらかと別れろと、そう言うのか」
「違います! そうじゃなくて、それはまずくて、えーと……」
困っているな。そりゃあそうだろう。このままいじめたい気持ちをぐっとこらえて、それとなく水を向ける。
「ふたりへの態度が誠実じゃないと言いたいのか?」
「そう! その通りです!」
「どのあたりが悪いのか教えてくれ」
「そうですね。やはり節度を持ってください。子供の前――いや、人前でいちゃいちゃするのは、やはりおかしいです。悪いこととは言いませんが、恥ずかしいことなんですから、隠れて、こっそりとですね」
「恥ずかしい――」
その単語が、天啓のように頭の中にある靄をはらった。
俺がこれまで失敗してきたのは、それだったのか。
「ええ、恥ずかしいですよ。あ、でも今日のはそれほどでもありませんでした。やはり、ああいう初々しいのがいいと思います」
「そうか、よくわかった」
「わかってくれましたか!」
一樹が笑顔になった。繊細な顔立ちとは不似合いなほどに、あけっぴろげで無防備な笑顔。
あまりにその笑顔が幸せそうなので、俺はこれ以上意地悪をする気が失せてしまい、紫苑のサンドイッチをつまんだ。
しばらくふたりでならんで黙々と咀嚼を続ける。
こうしてサンドイッチを食べている仕草ひとつとっても、一樹はサマになっている。品があるとでも評すべきか。
「あらあら、ふたりとも。夜中に食べ過ぎですよ」
男ふたりがごそごそやっている厨房をのぞきに来た紫苑が、あきれたように言った。
「朝ご飯が食べられなくなりますよ」
そう言いながら、紫苑がミルクを温める。そして来客用ではなく、自分用のマグカップに入れて一樹に手渡す。
「すみません、紫苑かあ……紫苑さん」
もしかしてわざと言い間違えているのではないかと疑ってみるが、紫苑のうれしそうな表情に黙っておく。
「はい、有樹様も」
「ありがとう」
マグカップを受け取るついでに、紫苑の指に触れる。目だけで問いかける紫苑にうなずき、細い指をわずかに引く。
紫苑が一歩、前に出る。
俺が一歩、前に進む。
それだけで互いの体温が感じられるほどに近づく。紫苑が唇を動かさずに小さな声で問いかける。
「どうですか?」
「ちょっと不安なところがあるけど良い子だよ」
「まるで出会ったばかりの頃の有樹様を見ているようです」
「……俺は、こんなに頼りなかったのか?」
少しショック。
「私はうれしいですよ。それでも幸せに生きられる未来があるのは」
「頼りないのは否定してくれないんだな」
すねる俺に、紫苑が自分から身体を預けてきた。
その重みを、心地よいと俺は思う。
「有樹様、世界を支える力なんか、人には必要ないんですよ。愛する人を支える力さえあれば、それで十分なんです」
「一樹の置かれた状況から推測すると、力不足な感じは否めないがな」
「それは違います。ねえ有樹様、私は初めて会った時からずっと有樹様を支えようとしてきました。でもその力は、本当は有樹様がくれた力なんですよ」
「俺だってそうだ。俺の力は、すべて紫苑がくれた力だ」
「なら一樹の持つ力だってわかるでしょう。あの子はとても強い力を持っています。魔術でも武術でもなく、それよりずっとずっと強い力を」
俺は一樹を見た。
「ううううう〜〜〜」
すごい形相で俺をにらんでいた。顔を真っ赤にして、何かすごく力をためている感じである。
「むう……確かに、すごい力はありそうだ」
「お、みんなここにいたのか」
豊かな金髪を無造作に流してソフィアが入ってきた。
「ソフィア、だめだろ。寝てないと」
「そうもいかん。エレーナがな、寝ている場合ではないと言ってきた。来るぞ、敵が」
「早いな。夜明けまでは大丈夫かと思っていたが」
一樹は魔力を回復できるのはハドゥンも同じだと言っていた。ならば、こちらが準備や策を弄する前に決着をつけようというのだろう。
「一樹、ハドゥンについて確認がある」
「なんでしょうか」
「あいつはえらく膨大な魔力を持っていたが、それを使ってこのへん一帯を町ごと火の海にするとか、そういう殲滅戦を仕掛けたりはしないのか?」
「まさか! ハドゥンは騎士です。敵に容赦はしませんが、無辜の民を殺すような卑怯なまねはしません」
「なら、こっちがそうするわけにはいかないか」
「は?」
「地下のシェルターに隠れた後、屋敷ごとやつを吹き飛ばす手を考えていたんだ」
「屋敷ごと吹き飛ばすって――爆弾でも仕掛けたんですか?!」
「……なあ一樹、155ミリ砲って、けっこう遠くまで届くんだぞ?」
おおむね30キロメートルぐらい。
「冗談はやめてください。そりゃ確かに大砲の弾が当たればハドゥンだってただじゃすみませんけど、この屋敷だって壊れてしまいますよ」
「屋敷は建て直せるが、人はそうはいかんからな」
「だからといってやりすぎです。他に戦い方はないんですか」
「まあ、準備はしたけどな。このあたりの龍脈を断って月からの魔力供給を全部遮断してしまうとか。そうすればあの奇妙な装甲も使えないだろう」
かくん、と一樹のあごが落ちた。
「むちゃくちゃです! ハドゥンひとりを撃退するのに、屋敷を壊すだの、龍脈を断つだの――あなたは、何を考えてるんですか!」
「戦わずにすむ方法さ。ハドゥンひとりをどうこうしても、毎晩のようにあんな風に降って来られたのではたまらないからな。覚えておけ、一樹。自分が望んだのでもない戦いにいくら勝ったところで、そんな勝利に意味はないし誇ることもできない。それぐらいなら戦いを避ける方法を考えろ」
龍の守護者として、天梁の遺産を管理する者として、俺は何人も何十人も、何百人もの敵と戦い、殺してきた。今さらそれをなかった事にはできないし、奪った命に懺悔するつもりもない。
けれども、戦って殺して、勝利を続けてわかったことがある。この方法は夢見がよろしくないし、ご飯も美味しくない。
望まぬ勝利を得るぐらいなら、戦わずにすむ方法を模索する。それが俺が人を殺し続けて得た結論だった。
「あなたが何を言いたいのか、僕にはさっぱりわかりませんよ」
「今はそれでもいいさ。さて、そろそろハドゥンが到着する頃合いか」
最後のサンドイッチに手を伸ばす。
負けじと一樹が手を出す。
もちろんその程度の対応は予測済みである。俺はわざと皿の上で手をスライドさせて一樹の動きをブロックする。が、一樹もまたもう一方の腕で斜め下から皿をつかもうとする。
ふたりの男が争うのを尻目に、最後のサンドイッチをつまんで口に入れたのは、紫苑だった。
「もぐもぐ……では、私とソフィアちゃんは後方に下がります。しっかり守ってくださいね、有樹様、それに一樹」
「はい! 任せてください!」
「いいお返事です」
この調子でいつも一樹はいいように操られてるのだろう。
俺と一樹がならんでまだ半壊状態のロビーに出ると、破壊された玄関から門へのびる道に、黒髪をショートにした少女が立っていた。年は一樹と同じくらいで十代前半か。
「月の守護者、そしてシャドウハンド。今度こそ決着をつけるぞ」
少女が大人びた口調で宣言する。
「おい、一樹。まさかとは思うがあの子供が、ハドゥンか」
「そうです。まさか子供だから手を抜こうなんて考えていませんよね?」
「いや、今の今まで手を抜こうと思っていたんだが、そうもいかなくなった」
「は?」
「気に入らない。速攻で潰すぞ、一樹」
俺は砂や破片が残る床を踏みながら前に進んだ。あわてて一樹が追いかけてくる。
「どうやらやる気になったようだな。うれしいぞシャドウハンド」
「俺はちっともうれしくない」
ベレッタを構える。
「そんなオモチャでこの――」
ハドゥンが右手の中指にはめた指輪を見せる。中心にはまった宝石から黒い念体が吹き出し、少女の全身を覆う。
「私の念体装甲は貫けぬぞ!」
「うるさい、黙れ」
二回引き金をひく。ハドゥンの右横と、左後方にある敷石を割った。
続く閃光と爆発。
「うおっ?!」
銃弾にこめられた魔術信号が、敷石の下の爆薬を炸裂させたのだ。飛び散る破片が、ハドゥンの身体をよろめかせる。
やはりそうだ。念体装甲によって大きく見えるが、あの身体には、元の少女と変わらぬ重量しかない。力が増幅されて重さが変わらないなら動きが速いのも道理だ。
「ええい、この屋敷はびっくり箱かっ! だが、こんなもので――」
「死なない身体が、そんなに自慢か、このバカ」
ハドゥンがあわてて振り返る。振り返りつつ刃となった腕をふるうあたりは、ちゃんと訓練されているようではある。
が、それは見せかけの訓練だ。
アフリカの民兵が、子供にAKを渡して2週間で戦場に送り込むのと何ら変わらない。自動小銃を扱える子供の兵士は、相手がどんな大男だろうが歴戦の勇士だろうが殺すことはできる。
けど、そんなものは強さじゃない。
「くそ――いつの間にっ?!」
驚くほどのことではない。手品も魔術も使っていない。まだ爆煙がたなびく中に飛び込み、間合いを詰めただけだ。
腰を叩き、足を払い、腕をひねる。
見かけよりはるかに軽いハドゥンの身体はそれだけでひっくりかえり地面に倒れた。
「こ――このっ――」
「硬い装甲に頼るから、攻撃を避けようともしないから、動きが単調になる」
起きあがろうとするハドゥンの足にワイヤーを絡める。再び盛大にひっくりころげるハドゥン。
「なんで――この程度のワイヤーに――」
「いくら念体装甲で筋力を増強しようとも、人間の形をとる以上、力を作用できる向きと場所には限度がある」
念のため、さらに数カ所を固定しておく。
「これで終わりだ」
芋虫のように無力化したハドゥンを置いて立ち上がると、一樹が呆然とこちらを見ていた。
「どうした、一樹」
「いえ、あの、その。びっくり、してたんです。やはり、あなたは――強い」
「強さの基準を間違えるなよ、一樹。こんなもの、強さじゃなくてただの効率の問題だ」
一樹の尊敬のまなざしも、今の俺には不愉快だった。
「これでエレーナも安心です。後はソフィア母様の中で回復して出てくれば、元に戻ることができます」
「違う、ハドゥンはただの捨て駒だ。本命が来るぞ、すぐに」
「え?」
夜の闇がひときわ濃くなった。
西に傾いた月が、黒く染まったのだ。
黒くなった月から声が響いた。
「因果律に傷をつけたと思ったが――無念、ハドゥンでは足りなかったか」
「やっぱり、この子を俺に殺させるつもりだったか」
俺が天空に向かって言うと、ハドゥンの身体がびく、と震えた。
「然り、然り。ハドゥンには戦って死ねと教えたのだが、そんな簡単なことすら、できぬとはな」
「導師様、これは、一体――?」
ハドゥンが震える声を出す。
「お前が死ねば、お前に渡した指輪が時空におけるゆがみとなる。そこに存在せぬはずの指輪が、我らをそこに導くはずだった」
「嘘をつけ、こっちに来るつもりなどかけらもないくせに」
俺が言うと、声はうれしそうに笑った。
「いやいや、さすがだな、天梁有樹。確かに時空の道が開いたからといってすぐに使うつもりはなかった。未来から過去へ影響を及ぼす方法については謎も多い。へたにいじって自らの存在を抹消してしまっては本末転倒だからな」
「目的は最初から過去へのルートを確保することか。そのために子供を送り込むって性根が気に入らない。いいだろう、今からお前は俺の敵だ。この時点でのお前がどこにいるか知らないが、必ず見つけ出して未来のお前の不手際を後悔させてやる」
「はっ。ははははっ。さすがだ。因果律もパラドックスもおかまいなしか。いいだろう、ではこちらも最後にひとつ仕掛けさせてもらおう。せいぜいがんばるがいい」
声がとぎれた。
「あの導師とやら、何者か知っているのか?」
「いえ。天界軍残党の首魁で、月のどこかにいるらしいとしか」
「やはり月か」
見上げる夜空の月は、まだ真っ黒のまま。その闇の中心に、魔法陣が浮かぶ。
「召還の魔法陣だな。でかいぞ。龍を喚ぶつもりか」
「まさか。それは月条約違反です!」
「今はまだそんな条約、定められてもいないからな。言い抜ける自信ぐらいあるんだろうよ」
手出しできない高度に浮かぶ魔法陣がひときわ強く輝いた。
魔法陣が消えた空中に出現したのはきらびやかな銀の鱗を持つ龍だった。全長はおよそ300メートル。
空中で龍が身体をよじらせるだけで、風が渦を巻く。
「ほとんど怪獣だな、ありゃ」
「ど、どうするんですか? あんなモノに襲われたらこんな屋敷、一瞬で吹き飛びますよ」
一樹が顔を引きつらせている。
「どうするも何も、逃げるだけなら楽なんだがな。気に入らないからぶっ壊す」
「どうやって? いくらあなたでも、今のままじゃハドゥンを倒したようにはいきませんよ」
「そりゃ分かってるさ。今の俺ではアレはどうもならない。だからちょっとばかりズルをさせてもらう」
転がったままのハドゥンに近づく。すでに念体装甲はだいぶ薄くなっている。
「くっ、私をどうするつもりだ?」
「その指輪、借りるぞ」
「え?」
俺は薄れた念体装甲を通して見える指輪の輝きに意識を集中させた。
シャドウハンドの二つ名が意味するものは何か。
シャドウハンドという腕は、どんな力を持つのか。
だいたいの想像はつく。ならば、未来から来たこの指輪を通して、未来の俺の持つ力を拝借させてもらうとしよう。
「ARMのギルみたいな感じかな――よっと」
想像の指先が、ハドゥンの指輪に触れ、抜き取った。
「なるほど、これがシャドウハンドか」
平面にも、立体にも見える影が、俺の肩からのびていた。関節も何もないゴムのような感触で腕らしいところはあまりない。
「なんか、触手っぽくて格好はよくないな。これで本当にいいのか?」
一樹に聞くと、困った顔をして首を左右に振った。どうやらイメージが固まっていないので本物そっくりとはいかなかったらしい。
「まあいい、この方がある程度は自由に動かせるだろう」
俺は空を見上げた。
天空を我が物顔に飛び回る龍ではなく、黒く染まったままの月を見る。召還者をほうっておいて、召還された龍だけ潰しても意味はない。俺の狙いは、あの月を通してつながっている龍へのパスを断ち切ることだ。
「閉ざせ」
天に向けて腕を伸ばす。影の腕はするすると天に向かう。物理的な距離はあまり関係ないと思っていたが、のばすにつれて腕の感覚が希薄になっていく。
「届くか? ちょっときついか?」
他の方法を試みるべきかと考えた時、新たな力が俺の中に入ってきた。一樹が照れくさそうな顔をして、俺の左手を握っている。
「魔力なら、僕の方がありますし」
「ありがとう。この魔力の分の礼は、必ずする。君が帰った後でな」
「だいぶ先の話ですね。忘れないでくださいよ」
「息子とする最初の約束だ。忘れるはずがないだろう」
一樹の魔力で補強されたシャドウハンドが、時空の扉に触れた。思ったよりも小さい。直系は1メートルもないだろう。
「この先に興味がないわけじゃないが。どうせいつか届く未来だ。勝手にのぞき見するのも興ざめだ」
扉を閉じる。
すると、一樹から流れてきた魔力が消えた。
「どうした一樹?」
「どうやら僕、消えかかっているみたいです」
一樹が自分の身体を見ながら言う。外見はあまり変わっている様子はないが、確かにどこか違う。魔力というよりは存在感が希薄な感じだ。
それはハドゥンも一緒だった。ふてくされたように座っている少女を通して地面が透けて見える。
空からうなり声が聞こえてきた。
「あいつはまだ元気いっぱいだな」
召還されたばかりの龍が、ぐるぐると空を回っていた。召還主とのリンクが切れたせいでとまどっているようだ。
「このままどこかに行ってくれればいいんだが」
などと甘いことを言っていると、龍がこちらを見下ろした。赤い瞳がぎらぎらと輝いている。
「にらんでますよ、あなたを」
「こいつは困った」
空にのばしていた右腕をひっこめ、俺は頭をかいてみた。髪の毛の一本一本を軽く触れただけで感じることができる。シャドウハンドというこの腕、細密な作業には向いている一方で、パワーはさほどでもないようだ。
「龍も降りてきましたよ。どうします?」
「しょうがない。助けを求めよう」
俺はハドゥンの指輪を背後にきていた女性へと手渡した。
「守ってくださいって、お願いしましたのに」
指輪を受け取ったメイド服の女性がちょっと怒ったように言う。
「ごめん、力不足で」
「しょうがありませんね。ところで、これ、どう使うのですか?」
「そんなに難しくはないよ。イメージしてくれればいい。俺やソフィア、そして子供たちを守る自分の姿を」
「分かりました。かけ声とか、変身のポーズは必要でしょうか?」
「俺にはなかったけど、紫苑はどうだろう?」
ふたりして、一樹を見る。一樹はどぎまぎとしながら視線をはずした。
「……あるらしい」
「了解です」
コホン、と咳払いしてメイド服の女性――紫苑は俺と一樹の前に立った。龍を見上げて、にらむ。
「眷属のくせに我が龍皇の現身と分からぬとは、慮外者め」
左手の薬指に指輪をはめる。
両足をわずかに広げる。
しゃりん、という涼やかな金属音。きらめく鴛鴦鉞が双円の軌跡を描く。
「龍皇、顕現」
メイド服が消え、細い裸身が一瞬だけ見える。
そしてそれはすぐに中国風の、きらびやかな金銀と赤の衣装へと変わる。
「私の愛する人たちに触れることは許しません。何より今はもう真夜中ですし、ご近所にも迷惑です。早々に立ち去りなさい」
鴛鴦鉞の先から伸びた光の刃が空へ疾走し、龍をずたずたに切り裂いた。
魂消るような龍の絶叫が、深夜の住宅街にとどろく。まだ寝ていた人が近所にいたとしても、間違いなく今ので目が覚めたに違いない。
「あ――」
失敗した、と思ったのだろう。紫苑が口元を手で押さえた。イメージの集中が途切れ、紫苑の姿が元のメイド服に戻る。
「申し訳ありません。よけいに騒がせてしまいました」
紫苑がしょんぼりと頭を下げる。
手負いの龍はまだくたばっていない。
さすがに300メートル級ともなると生命力も怪獣並のようだ。
そこへ、真打ちが登場する。
「まったく、お前達ときたらしようがないな」
傲岸不遜で唯我独尊。
豪奢な金髪と豊かな胸を揺らせて最後のひとり+ひとりが屋敷から出てきた。
「じゃあ最後はソフィアとエレーナちゃんにお願いしますね」
紫苑が指輪をはずしてソフィアにはめてやる。
「まかせるがよい」
俺はどんどん透けていく一樹の袖を引っ張って(ややもすると指が素通りする)女達から離れた。
「なあ、一樹。ソフィアやエレーナに戦わせて、危なくはないだろうな?」
「ふたりが一緒にいてですか? 反応弾の直撃でも平気な顔をしてますよ、きっと」
「いや、俺たちが巻き込まれる心配をしているんだが」
「あ――」
今になって気づいたという顔をする唐変木。
背後から、真昼の太陽のような黄金の輝き。
俺が顔を引きつらせつつ振り返ると、白い羽根を広げたソフィアがそこにいた。
羽根の数が、2枚、4枚、8枚と増えていく。
両手を広げたソフィアの姿に、とてもよく似た(でも胸は小さな)少女の姿がだぶって見える。
得意満面で喜色満面。
「天罰(エンゼル)――」
ソフィアがその手を上げて。
「覿面(フォール)!!」
エレーナがその手を下ろした。
夜が明けた。
寝不足の目をこすりつつ、俺は工務店がメールしてきた屋敷の修繕見積もりをチェックしていた。頻繁に壊すせいでウチの屋敷に関してはツールで処理しているらしく、夜中に作業を依頼しても数時間で見積もりが返ってくるのだ。
「こういうのがあるから、無駄な戦いはしたくないんだよな」
「建て直す時に敷地を広げておきましたから、ご近所にまで被害はないようです。けど、お庭の木々とかはひどいことになっています」
コーヒーカップを差し出す紫苑もまた目が赤い。俺は礼を言いながらカップを受け取って口をつける。苦い。
「ソフィアは?」
「まだ寝ています。身体はともかく、さすがに魔力が枯渇したみたいですし」
「そうか」
光が消えた時、龍はむろん、一樹とハドゥンも消えていた。エレーナが連れて帰ったらしい。
「それで、お庭の方、どうしますか? この間からニューギニア出身の園芸魔術師さんが売り込みに来てますが。侵入者を防いだり迷わせたりするのが得意だそうです」
「今度会ってみよう。庭をジャングルにするつもりはないが、ニューギニアの魔術師にはコネクションが欲しい。あそこは緯度が低いからな」
「お決めに、なられたのですね」
「ああ。考えてはいたんだ。戦うのも殺すのも飽き飽きだけど、やりたい事のためなら、少しは妥協しよう」
「何をなさりたいのですか? ――ん」
俺はコーヒーカップを置いて紫苑を抱き寄せた。
「まずは、紫苑といちゃいちゃしたい」
「ソフィアちゃんとも、でしょう?」
「……そうだ。新しい屋敷になって、その事でずっと悩んでいた。どうやっても、うまくいかないから。夏祭りの時がそうだったように、ふたりを傷つけていることが辛かった」
「まったくです。私もソフィアちゃんも、ずいぶんと悲しかったんですよ?」
「今度の件でようやく分かった。辛くない方法って、ないんだ」
ソフィアを選ぼうが、紫苑を選ぼうが、ふたりとも選ぼうが、ふたりとも選ぶまいが、辛いし、悲しい。
「だから、俺は決めた。辛いことも悲しいことも吹き飛ばすほどの幸せを、紫苑とソフィアにあげたい。紫苑とソフィアと一緒に、俺もすごく幸せになりたい」
「つまり、とにかくいちゃいちゃしたいわけですね。有樹様、それではお猿さんですよ」
「だめかな?」
「だめです。女の子をくどくならもっと綺麗な言葉で言ってください」
「えーと……辛くても、悲しくても一緒に幸せになろう……なんかおかしいな」
「自分で考えちゃ、だめですよ。こういうのは実績のある言葉をもってこないと」
「そんなものあるのか?」
「はい、いいですか。私の言葉を繰り返してください。コホン」
紫苑は小さく咳払いしてかしこまった口調になった。
「私はこれより、病める時も、健やかなる時も――」
「私はこれより、病める時も、健やかなる時も――」
「どんな事があっても、命ある限り、あなたを愛することを誓います」
「どんな事があっても、命ある限り、あなたを愛することを誓います」
言い終えた後、紫苑が背伸びをしてキスをしてきた。こちらも応えようとすると、するりと逃げられる。
「さて、朝ご飯にしましょう」
鼻歌まじりでご機嫌な紫苑の後をついてゆく。あ、半分スキップしながら歩いている。
何かしてやられたような気もするが、これはこれで幸せなのだろう。
「これから忙しくなるな」
食堂にはすでに田所が出現して飯を食っているはずだ。新しい事業を軌道に乗せるにはあいつに頼るしかない。
まずは特許を調べてもらおう。魔術で重量を軽減させたロケットなどというものがあるかどうか。
これが実現すれば、軌道エレベーターなどよりよほど安価で手軽に、誰でも宇宙へと行けるようになる。
もちろん目指すべきは緑あふれる新天地、月だ。
食堂から声が聞こえる。ソフィアも起きたらしい。
「どんどん忙しくなるな」
まずは、ソフィアに誓おう。その後でソフィアのお父さんに新しい腕について相談しよう。みんなと一緒に、月を目指そう。
やることはいっぱいある。いずれ再会する子供達に恥ずかしくないよう、一所懸命に生きていこう。
そうして俺は、扉を開いた。
(おしまい)