雨の惑星ムンスクン
どばだだだだだだ。
雨というよりは、滝である。
それがもう、あたりかまわず降り注いでいる。
「すごい雨よねー」
隣りでちんくしゃが何か言っているが聞き取れない。それほど雨粒が地面を撃つ音は大きかった。というか、すでに地面は「水面」と化している。道路の両脇に掘られた排水溝も、どばばばと白い波濤をあげてすさまじい勢いで流れている。
「聞きしにまさる雨だな。スコールなんてもんじゃない」
それでいて空が暗いかというと実はそんなことはない。空一面は分厚い雲に覆われているが、その雲がうすぼんやりと輝いている。
この惑星ムンスクンは今夏の盛りである。よって空は雲に覆われ、しかも明るい。
そういう星なのだ。
「ねー。雨宿りにどっか入ろうよ」
ちんくしゃがまた何か言った。やはり聞き取れない。無視していると背伸びをして俺の耳を掴んで引きよせ、大声で怒鳴った。
「どっかお店に入ろうよっ!」
今度は分かった。どうやら雨宿りしたいらしい。それについては同感だったので手近な酒場に入った。高床式の階段を上る。階段は2段目まですでに水没していた。
「いらっしゃい」
店の主人らしい太った親父が声をかけた。別に大声ではないのだが、不思議とよく通る声だ。
俺は雨具を脱いで壁にかけるとカウンターに座った。
「バーボンとオレンジジュースを」
壁やドアは厚くて重い木で出来ている。雨だけでなく、音も遮るためだろう。店の中は静かだった。ピアノに似た楽器を、若い男が弾いていた。
「バーボン2つ」
ちんくしゃが俺の隣りの席でだん、と手をカウンターについて言った。
「だめだ。おまえはオレンジジュース」
「お酒飲めるもん。ダンこそ、お酒弱いくせに」
「それはアセトアルデヒド分解酵素を作る遺伝子に言ってくれ」
「その程度の遺伝治療、500ミリもあれば終わるのに」
「お袋の遺言なんだ。いずれ星辰の定まる時まで、遺伝治療はいっさい行ってはならないっていう」
「おかあさん元気だったじゃない」
「だから困るんだ。遺言をちゃんと守ってるかどうか抜き打ちでチェックが入る」
「お客さん」
酒場の親父が静かに言った。
「注文は決まりましたか?」
俺とちんくしゃは同時に叫んだ。
「バーボンとオレンジジュース!」
「バーボン2つ!!」
酒場の親父はため息をつくと、2つのグラスにバーボンと──オレンジジュースを注いだ。よしよし。ちんくしゃがむぅ、とした顔でにらむが素知らぬふりである。
そしてバーボンを──あ、おいおい。
「あなたはこちらを」
ことん。
オレンジジュースのグラスが俺の前に置かれた。
バーボンのグラスはちんくしゃの前。
文句をつけようとして顔を上げた。
酒場の主人は指でくるり、と円を描いた。
「これで3人とも満足がいくというものです」
「それがここの流儀か」
「そうですよ。旅の方」
「分かるかい」
「ええ。あなた方からは匂いがする。乾いた匂いがね。この星の住人なら皆分かりますよ」
「これだけびっしょりと濡れていてもかい」
「そりゃもう。特にそっちのお嬢ちゃんからは爽やかな冬の風の匂いがするね」
この星には二つの季節しかない。
夏と冬である。
そして今は夏。雨の季節である。
やがて長い長い冬が来る。ケプラーの法則に従って長いのである。ケプラーというのが誰かは誰も知らないが法則だけは今なお残っている。
わかりにくかっただろうか?
つまりはこういう事だ。惑星というのは恒星の周囲を回っている。その軌道は楕円だ。真円に近い事もあれば細長いのもある。この惑星はやや細長い。だから、恒星、つまり太陽に近づいたり遠のいたりする。
もうおわかりであろう。今、この惑星は太陽に近く、よって日差しは強く、海の温度と海面は上昇し、ほぼ惑星全体が雲に覆われる。覆われていないとえらい事である。雲を通してもこれだけ明るいのだ。雲がないと日焼けどころではすまない。人間など一日でこんがりトーストしたミイラになる。そして空からは雨が降る。ぬるい、『土砂降り』という言葉がぴったりくる雨だ。子供だと雨の勢いで流される危険がある。
いや、真面目な話、ホテルから出たちんくしゃが足を滑らせてそのままちょっとした河となった道路を流れていった時にはさすがの俺もあわてた。元々、13才としては小柄な方なのだが、あまりにもお約束すぎた。
そういうわけで、全身を甲冑のように覆う雨具(実際、重量5kgはありへたな拳銃弾ぐらいなら防げそうだ)にも関わらず、俺達は濡れ鼠になっていたのだ。
俺は目の前におかれたオレンジ・ジュースを一口飲んだ。そしてもう一口。
「これはなんだ」
「オレンジ・ジュースですよ、旦那」
「おいしくないの? ダン?」
バーボンのおかわりを要求しながらちんくしゃが聞いてきた。
「いや、うまい。うまいが……オレンジ?」
「まあそういう名前で呼んでます。材料はちょっと違いますが」
「似ても似つかぬという事か」
「雨期に大繁殖するんですよ。冬の間は卵で、雨が降ると孵化してぬるぬると地上をいたるところではいずり回ってます」
ぬるぬると地上を──はいずり回って?
俺はオレンジジュースなるものの入ったグラスをできるだけ自分から遠くに置いた。
こう見えても冒険家であるから悪食には自信があるが、
文明社会ではやはり文明の恩恵を受けたいではないか。
「それにしてもままならないものですね」
酒場の主人はため息をついて言った。窓は分厚い木戸でふさがれ、外の様子はうかがえないし、そもそもうかがう必要がない。どうせ雨以外何も見えないからだ。
「去年、ゲートが開いたのも夏でした。今年、ゲートが開いたのもやはり夏。ここの冬は本当に素晴らしいのに! きっと大勢の観光客がこの星にやって来るでしょうに」
きっと冬は冬で足が百本くらいあるのがわしゃわしゃと地面を覆い尽くすにちがいない。
そしてそいつを絞ってグレープ・ジュースとか言って出すのだ、きっと。
「人生ってままならないものよねぇ」
空になったバーボンのグラスを指でつまみ、気取った口調でちんくしゃが言う。ちんちくりんな上に童顔で、胸もお尻もこれっぽっちも発育していない子供がそんな仕草でそんな事を言っても誰も感心したりはしない。呆れるだけである。
「おかわり」
しかも飲み過ぎである。
「だめだ」
「何よケチー」
「こういうのはちょっと足りないぐらいがいいんだ」
「ちょっとじゃないわ」
断固とした口調で言う。
「ものすごく足りないのよ」
うんうんと酒場の主人もうなずいている。
「じゃあもう一杯だけだぞ」
言い終わる前にすでにグラスを突き出し、言い終わった時には表面張力で丸く盛り上がったバーボンをおちょぼ口ですすっていた。中身はオヤジかお前は。
俺はため息をついて酒場の主人に向き直った。
「聞きたい事がある」
「なんでしょう」
「イヴァン・ドミナフという男を知らないか」
「……いえ」
少し考えてから酒場の主人は答えた。
「この星の人間じゃない。ここで沼地に沈んだハヌーの遺跡を探索しているはずだ」
「ああ。それならダルマットさんだ」
酒場のおやじがそう言った時、ドアが開き、雨の音と水の匂いが入ってきた。
「オヤジなら死んだよ」
そう気怠げに言って雨具の帽子を脱いだのは、まだ若い女だった。燃えるような赤毛をショートカットにしている。きつい顔立ちだが美人だ。
「娘さんか?」
それには答えず、雨具を脱いだ美女はカウンターに肘を置いて言った。
「バーボン」
ううむ。男のような口調としぐさだが、美女がやると実にサマになる。
ことん。グラスが置かれた。
美女はそれをくいっ、と一口であおるようにして飲んだ。ほう、と、息をついてそれからこっちを見る。目の険が少し和らいでいた。
「オヤジの知り合いかい?」
「そのお父さんがイヴァン・ドミナフという人ならね」
「一週間遅かったね。あたしはエスタ」
「ダン・ブルワーだ」
「そっちはあんたの娘……じゃなさそうだね」
「似たようなもんだ」
「ちがふもん」
ろれつの回らない口調でちんくしゃが言った。
「あひほうらもん」
「もう一杯どうだ。おごるよ」
「口説こうって顔じゃなさそうね。いいわよ、もらってあげる」
ストールに腰をかけてエスタは言った。
「オヤジをたずねてきたってことは、あれか。あなたも──地球を追ってるの?」
「そうだ」
「じゃあ話すのはやめね」
「そういう顔をしてたよ。あれだろ? 地球なんておとぎ話に踊らされて星から星への風来坊暮らし。なんの因果かそんなオヤジの娘に生まれて付き合わされて。地球なんかもうこりごりだって言いたいんだろ」
「あなた精神分析医か何か? そのうち幼児体験がどうとか言い出すんじゃないでしょうね」
「君が地球を目指さないなら、地球の情報を俺に渡してすっきりするのも一つの手だぞ」
「ただで?」
「君には無価値だろう?」
「でもあなたには価値がある。需要と供給ね。市場原理が働くのよ」
「あんまり金はない。というかぜんぜん」
「そっちは期待してない。期待してるのはその肉体の方よ。どう? 一晩付き合ってくれない?」
「いいとも」
俺は二つ返事で引き受けた。
がごっ。
ちんくしゃの投げた空のグラスが俺の後頭部に直撃した。
150km/hはあったのではないかと思う。
俺は後頭部を撫でた。
いや、撫でようとした。
プラスティールの潜水ヘルメットのつるつるとした表面の感触が伝わってきた。
後頭部にはまだでかいたんこぶがある。
エスタがくすくすと笑った。
「可愛いわね、あの子。ローラっていったっけ?」
「それよりそろそろだぞ」
俺は憮然として言った。俺の背中に抱きついているエスタの身体は思っていた以上に豊満だった。潜水服ごしにもわかる膨らみが、背中に押しつけられる。これでは憮然としていないと顔がにやけてしまうではないか。
俺とエスタは今、魚雷型の潜水艇にまたがり、水中を移動していた。くっついたヘルメットごしにエスタが後ろからあれこれと指示を出す。
「それにしてもうまいわね。あ、そこの瓦礫に触れると崩れるから注意して」
「うまいって、何が?」
「潜水艇の操縦。けっこうなじゃじゃ馬でしょ」
「ああ。トルクがきつい。お父さんが改造したのか?」
「オヤジじゃないわ。私。いろいろやらされたわ。炊事洗濯から機械のメンテナンスまで。考古学の勉強だけはしてやらなかったけどね」
「もったいない。ドミナフ博士といえば一角の権威だ。その個人授業を受けられる身分だったんだぞ」
「もったいないのはオヤジよ。アカデミアの教授の地位を捨てて山師まがいの放浪暮らし。まったくどうかしてるわ。母さんが出ていったのも当然ね」
「『人類発祥の地としての地球に関する考察』──あれは名著だった」
「ええ。ええ。あの本は売れましたよ。それで大金が入ったとたん、『万歳! これで馬鹿な学生ども相手にくだらん講義をしなくてもすむ!』とか言って教授の地位も何もかも放り出して自分の夢を追って、勝手に死んで。まったく、男ときたら」
「男の浪漫という奴だな」
「それに巻き込まれる女はどうなるのよ! あのおちびちゃんだってそう。あんな子供を連れ回すなんてどうかしてるんじゃない?」
巻き込まれているのはむしろ俺だと思ったが、黙っている事にした。
しばらく無言のまま水中を進んだ。
「……ごめん」
「いや、謝る必要はない。で、あれか? 問題の番人とかいうのは」
そいつは『番人』と呼ぶよりは『番魚人』という感じのシロモノだった。素材は何か石のような物で、表面にはびっしりとフジツボのような貝殻で覆われていた。古い古い彫像か何かのような外見の中で、手にしたブツだけは黒く鈍い光沢を放っていた。
「銛か」
「甘くみないで。オヤジはあれにやられたんだから」
「いや、甘くはみないさ。こういう水の底じゃあ、鉄砲やレーザーよりも役に立つ」
こっちの会話が聞こえているのかいないのか。
聞こえているとして理解しているのかいないのか。
そのへんは分からないが、何にしても用心に越した事はない。俺とエスタは潜水艇を降りた。コムログをONにする。
「聞こえているな。これから始める」
《うん。危なくなったらすぐに言ってね》
ちんくしゃは水上の船の上だ。あのサイズに合う潜水服がなかったせいであるが、もしあったとしても、あいつをここに連れて来る気にはなれない。
なぜなら番人の後ろにある遺跡ときたら。
これは──
「歪んでやがる」
俺は大昔──およそ4千年前の遺跡をできるだけ視界に入れないようにしながら呟いた。
この星の軌道がそうであるように、この星の遺跡はどこか歪んでいた。ねじれ、たわみ、唐突に途切れ、そして前触れもなく続く。何のための建物で、こんな所で何をしていたのかは知らないが、遺跡が沼の底に沈んだのは、この星の住人にとって良い事だったのだろうと思う。どう見ても正気から産み出された産物じゃあない。
俺は潜水艇から降りると、ゆっくりと足のヒレを動かして泳ぎ、遺跡の番人に近づいていった。
銛の間合いに入る前に制動をかけるために向きを変える。まだ、番人との距離は4m近くある。近づいてみても、やはり彫像のようにしか見えない。そしてそれゆえに俺の疑念は確信に変わった。
突然、まるで発条がはじけるように番人が動いた。いや、移動はしていない。その場に立ったままだ。銛の柄がゴムのようにするすると伸び、その先端が鎌首をもたげて俺の頭上から襲いかかって来た。
つまりはそういう事だ。
番人はこの彫像じゃない。
この「銛」が遺跡の番人なんだ。
俺はなんとか銛の初撃をかわした。銛の先端が、足元にあった倒れた柱を砕いてめりこむ。
ばしゅっ。
強烈な閃光が周囲を白と黒に染めた。沸騰した水が白いあぶくとなって視界を遮る。熱せられた水が周囲の水と混じり合い、俺の回りでうねりを作る。俺はその流れに押し戻されるように潜水艇へと下がっていった。
《何? どうしたの?》
「番人に大人しくなってもらったのさ」
《え?》
視界が戻った。うねうねと銛の柄が動いているのが見える。が、それだけだ。
銛の先端はがっちりと溶けた柱に溶接されている。
《な……何をしたの?》
「テルミット弾で柱を溶かしたのさ。銛は刺さるが抜けにくい形になってる。ああやって溶接してしまえばもうどうにもならん」
《溶かした? 銛が刺さった瞬間に?》
「タイミングが重要なんだ」
《あきれた……ちょっとでも遅かったら、視界も何もなくなって、お陀仏よ》
《何やってるのか知らないけど》
のんびりとした声が通信に割り込んできた。
《ダンって怠け者だから、いつもぎりぎりでしか仕事しないよ》
「と、言っている奴もいる」
《ふふ。……じゃ、やるわよ》
エスタがまだ立ったままの番人のところまで泳いでいって、腰のポーチから石を取り出した。それを番人の鋭い歯がついた口の中に入れる。