哨戒艇2138 「艇長あの噂、本当ですかねぇ?」  ヤン・ティデム一等兵が赤外線パッシブセンサーをいじりながら言った。 「どの噂だ?」  私はことさら何でもない口調と表情で聞き返した。 「高槻軍曹がフリーという噂は本当だぞ。アタックしてみたらどうだ?」  ドナルド・レッケン伍長が混ぜっ返す。まだ若いヤンが顔を赤くする。  そう。ヤンは本当に若い。まだ16才でしかない。私の息子とほとんど変わらない。  だというのに。 「……だめです。こうコロニーの残骸が多くちゃ識別不可能ですよ」  彼は今、戦場にいる。 「そうだな。いつものようにドップラーシフトだけ残して後はフィルタしろ」  私はそう指示した。  ここは旧サイド1宙域。かつてここには多くのコロニーが浮かび、そこで人々が生活していた。今ここに浮かぶのは、そのなれの果てだ。核の直撃を受けたのであろう、数百メートルの大穴が開いたコロニー。無傷に見えるが、毒ガスによってすべての住人が死に絶えたコロニー。中にはコロニー同士が激突して、互いにへし折れた物もある。  コロニーで生まれ、コロニーで育った人間にはいつ見ても気の滅入る光景だ。だが、もしも戦争に負ければ、今度は我々の故郷(サイド3)がこうなるだろう。「勝利よりも悲惨な光景は敗北しかない」とはナポレオンを打ち破ったウェリントン将軍の言葉だ。  だが、この戦争にジオンは勝てるのだろうか?  私は暗い気持ちで自問した。 「それで、艇長。さっきの話なんですが」  ヤンがまた話しかけてきた。私はちらりとヤンを見た。ヤンの目はじっとセンサーの画面に注がれている。よろしい。  戦場では一瞬の油断が死を招く。特にこの哨戒艇のように申し訳程度の武装と装甲を施しただけの宇宙船では、先に敵を発見する事が何よりも優先される。敵と戦って勝てるわけがないからだ。  哨戒艇2138号。  私が指揮するこの船は、ソドン巡航艇から2基の2連装機関砲を取り外し、その代わりにセンサー類や追加の燃料タンクを搭載してある。全体として重量は5割増しといったところだが、元々の推力に十分な余裕があるので運動性は高い。本来はタグボートとして荷物や大型船の牽引を行う船であるから、推進剤さえあれば長距離哨戒任務をこなす事もできるというわけである。  もっとも、良い事ばかりというわけではない。制御系と比較して大きすぎるロケットエンジンは機関士──ドナルドだ──がつきっきりで見てやらないといけないし、あちこちにごてごてと追加した装備が開いたり閉じたりする度に船がふらつく。  艇長でありパイロットである私。機関士のドナルド、観測員のヤン。本当なら副パイロットと専属の通信士が欲しいところだが、どこも人手不足は変わらない。 「何が知りたいんだ、ヤン」  私は聞いた。これから長距離哨戒任務はまだ始まったばかりだ。交代要員などいないのだから、おしゃべりをして少しでも肩の力を抜いておかないといざという時に役に立たない。 「その、訓練同期でガトルのパイロットをしている奴がいるんですが……そいつから聞いた話なんですけど」  ヤンはわずかに言いよどむ。 「えーと……連邦艦隊の主力が、宇宙に上がったって……話なんですが……」 「ヤン」  私は少し厳しい声で呼びかけた。 「す、すいません!」  叱責を受けるのかと思ったのだろう。ヤンがあわてて謝った。この船に乗り立ての頃は毎日のようにヤンのまだ柔らかい頬を張ったものだ。  緊張した雰囲気を、ドナルドがなごませてくれた。 「坊主、その話、誰かにしたか?」 「いいえ」 「上等だ。その頭も帽子をのっけるだけじゃないようだな」 「あの……軍機……でありますか?」 「おそらく上の方ではな」  私は話す事にした。中途半端に知っているのが一番危ない。 「最初から話すか。キャメル艦隊がソロモンに帰投せず、グラナダに向かったのは知っているな?」 「はい」 「あれは、ウソだ」 「え?」 「キャメル艦隊は連邦軍にやられた。これは不確定情報だが、あの『木馬』と交戦したらしい。生存者はなしだ」 「……」 「木馬は囮だった。地球低軌道艦隊が総出で木馬を追跡しようとする間隙をついて、ジャブローから連邦軍の主力艦隊が発進した。連邦艦隊はすぐにルナツーに向かった。その後どこに行ったかは不明だ」 「艇長、まさか……」  ヤンの声が震えていた。おそらく顔中に脂汗が浮いている事だろう。 「そのまさかだ」  私はできるだけ静かに言った。 「我々の任務は、連邦軍の主力艦隊を見つけだす事だ」  それからしばらくは、沈黙がコクピット内を満たした。ヤンは祈るような顔つきでセンサーを操作している。いや、実際に祈っているのだろう。反応がない事を。 「気にするなよ坊主。オヤジはああ言ったが、そうそう連邦軍の主力と出くわすわけがないだろうが」  いい加減に緊張感に耐えかねたのだろうドナルドが軽い口調で言った。『オヤジ』というのは私の事だ。まぁ確かにヤンやドナルドにとっては私など父親のような年齢だし、三人のチームで堅苦しくするのもどうかと思うので放っておいている。そもそも私は戦争が始まる前までは単なる肩書きだけの予備士官だった。準軍人である予備役将校ですらない。戦況がここまで悪化しなければ最前線に配備される事すらなく、開戦当初と同様に軍に徴用された商船を運航しているところだ。 「なぜですか、伍長?」 「主力艦隊っていうのは、つまりは連邦にとっての虎の子だ。あだやおろそかに出来るもんじゃない。今頃ルナツーの中でぴっかぴかに磨いているこったろうよ。だいたい宇宙艦隊が時代遅れなのはルウムで証明されてるじゃないか」 「でも、連邦軍のモビルスーツを実戦配備が進んでいるそうじゃないですか」 「けっ。兵器ってのはただ数をそろえりゃいいってもんじゃない。連邦ごときに一朝一夕にモビルスーツの運用技術が身に付くもんかい」 「そういうものでしょうか」 「それより怖いのは連邦のセイバーフィッシュだ。最近になって新型が出た。サラミスの航空巡洋艦タイプだと、二〇機は搭載できるらしい。あれと出くわすと、逃げ切るのは少々やっかいだぞ。加速時間は圧倒的にこっちが上だが、この軌道だと相対速度がばかにならねぇ。小さいから視認した時にゃ手遅れの可能性が高い。お前さんのセンサーが頼りだ。しっかり頼むぜ、相棒」 「は、はい」  私はちらりとドナルドに目を向けた。かすかにドナルドがうなずく。これでヤンもいらない恐怖感が取れ、観測員としての仕事に専念できるだろう。  やはり古参兵は当てにできる。階級は低いドナルドだが、ルウム戦役にも一兵卒として参加している。実戦経験は兵士に二番目に必要とされる経験だ。もちろん一番必要とされる経験が訓練である事は古今東西不変の事実だ。素人はよく勘違いするが、軍隊というのは戦争がない期間が長い方がむしろ全体の練度は上がる。訓練では事故でも無い限り兵は死なないからだ。しかし実戦はそうはいかない。確かに実戦をくぐり抜けた兵士は強い。しかしそれは生き延びてこその強さだ。損害のない戦いなどはない。死んでしまえば、結局は後方から補充を必要とする。補充兵にももちろん訓練は施すが、戦死したり負傷したりする兵が増えれば、訓練期間はどんどん短縮される。そして訓練不足の兵は前線で簡単に死んでしまい、部隊はひよっこの補充兵とごく一部の熟練兵で構成される事となる。  その極端な例がモビルスーツ部隊だ。常に最前線で酷使されるモビルスーツ・パイロットはそれだけ消耗も激しい。戦争が始まる前、ジオンのモビルスーツ・パイロットのほとんどが搭乗時間一〇〇〇時間を超えるベテランだった。最初の一週間戦争、そしてルウム戦役の大勝利を支えたのがそれらベテランパイロットの活躍だった。  あの頃は新米パイロットにはそれなりの仕事を割り当てたものだ。たとえば敵がまず現れる事のない後方の輸送任務での護衛とか。たとえ敵と一度も出くわさなくとも、ただモビルスーツに乗って護衛任務についているだけで、腕は上がるものだ。  ところが、今はどうだ。  私は自分が所属するソロモン要塞のモビルスーツ・パイロットの面々を思いだして顔をしかめた。確かに開戦当初からのベテランパイロットもいるにはいる。シン・マツナガ大尉やアナベル・ガトー大尉などエースパイロットとして本国でも喧伝されるような凄腕のパイロットも。  だが、そんなパイロットは一割にも満たない。残りの九割は、訓練搭乗時間一〇〇時間で前線に送り込まれたひよっこパイロットだ。  ならば彼らをしごけばいいではないか。実状を知らない者であればそう言うだろう。しかしそれが出来る物ならすでにやっている。  補給が足りないのだ。  推進剤。そして核融合燃料。いわばモビルスーツにとっての血液ともいうべき物資が、ソロモンにはない。備蓄が空だというわけではない。だがソロモンが要塞として機能し続ける分しかないという事だ。要塞の軍というのは漫然と堅固な要塞にこもっていればいいという物ではない。そこを足がかりに出撃を繰り返し、敵を脅かし続けなければ意味がないのだ。それには補給がいる。  ソロモンを指揮するドズル・ザビ中将は決して暗愚な将軍ではない。自らモビルスーツに搭乗して最前線に出るなど、臆病な人間には決して出来ない事だ。それゆえに兵達の人気も高い。  しかし、その能力はあくまで前線指揮官に求められるものだ。大隊規模から師団規模の部隊を指揮するのであれば問題ないだろうが、ソロモンのような方面軍規模の部隊指揮には資質から言っても向いていないように思える。旧時代で言えばエルヴィン・ロンメル将軍に相当する。  私は補給部隊にいたから、そちらにはコネがある。現在、補給と兵員の多くはア・バオア・クーに集結しつつあるという。  補給船の動きを見れば、軍が何を重視しているかは一目瞭然だ。たとえどんな箝口令を強いたところで、腹の内は丸分かりだ。  本国はソロモンを見捨てたのだ。  つまり逆の言い方をすれば。  連邦軍は必ずソロモンにやってくる。少なくともサイド3で情報を分析している参謀連中はそう考えている。  そして、やって来る連邦軍と最初に遭遇するのが私の所属する哨戒部隊というわけだ。  私の眉間に日々皺がよるのも理由がないわけではない。 「反応あり!」  ソロモンを発進して四時間が経過