注意:これは『龍の守護者』シリーズの第2作です。先に、シリーズ第1作の『遺産』をお読みになってから読まれると、より楽しむ事ができます。
いつもの朝。 いつもの目覚め。 「有樹様、朝です」 いつもどおりの紫苑の声。 おれは『いつもの』寝ぼけた様子で起き上がった。できるだけさりげなく。 「やあ、おはよう紫苑」 「おはようございます、有樹様」 言え、言うのだ。 「なあ、紫苑」 「はい」 「今日は何日だったっけ?」 「2月14日でございます」 「そうか。2月14日か。そうかー。2月14日かー」 ちらり。 「それでは失礼いたします」 紫苑はまったくもっていつも通りに一礼すると、部屋を出ていった。 ……。 ……もしかしたら、少しばかりわざとらしかったかも知れない。 ああ見えて、紫苑は恥ずかしがり屋さんだから、こちらが期待しているとい うそぶりをちょっとでも見せると、つい渡しそびれてしまうという事があるか も知れない。 それはよろしくない。 朝食の時はもっといつも通りに行動する事にしよう。 待てよ。 いつも通りという事は、今朝も田所のやつが朝食をたかりに来るかも知れぬ。 いや、きっと来る。あいつはそういうヤツだ。 おれは素早く着替えた。そしてダッシュで玄関まで走る。 「もうお出かけですか? 朝食のご用意が、」 「ちょっと用事が! すぐ戻る!」 玄関の重い樫の扉を開け、広い前庭を駆け抜ける。 いた。 ちょうど、門の前に田所が姿を現した。 「お、天梁。どうしたんだ。今朝は早、」 「龍の守護者キーッック!!!」 ほあちょー、とかけ声も勇ましくおれは宙を舞った。そろえた両足が見事に 田所の胸に決まり、田所はくるくると回転しながら退場していった。 すまん田所。毎年、命日には墓に花を添えて泣いてやる。だからさっさと消 えてくれ。 田所を始末したおれは安堵の吐息をつきながら、家に戻った。 朝食を食べるために食堂へ入る。 「よ、先にいただいてるぜ」 田所がいた。 もりもりと飯を食っている。 ……底知れぬヤツ。 もしや、おれの真の敵は協会ではなく、この男ではなかろうか。 だが、今はそれどころではない。 おれは自分の席についた。紫苑がご飯をよそってくれる。 紫苑の身体が近づいた時、おれは鼻をひくつかせた。カカオの匂いがしない かと思って。残念ながら、炊きたてのミルキークイーン(粘りが強く、おれは コシヒカリより好きだ)の匂いしかしなかった。 その時、たくあんをばりばり囓っていた田所が、ふと箸を止めて言った。 「そういえば紫苑ちゃん。今日はバ、」 ごすっ。 テーブルの下で、おれは田所の向こうずねを蹴飛ばした。 田所がおれを見る。 おれも田所を見る。 視線が、テーブル越しに飛び交った。 (何をする?) (いらんことを言うんじゃない) (ははーん、さてはまだもらってないな) (それがどうした) (なに、今日は天丼が食いたいなぁ、と) (わかった。学食で食わせてやる) (やだ。天一がいい) (もうちょっと安いところで) (じゃ、学園通りの虹升で) (わかった。手をうとう) 「ーゲン・セールやってるよ。駅前商店街のアリオで」 何気ない顔でよどみなく言葉を続ける田所。 やはり、底知れぬ男である。 学内はピリピリとした雰囲気に包まれていた。男どもはみな、目をぎらつか せて徘徊し、女どももまた、いつもより気合いの入った装いで歩いていた。 「やだねー、みんな目の色変えちゃってさぁ」 涼子が煙草を吹かせつつ、窓からポプラ並木を見下ろして言った。 相も変わらずトレードマークとなっている白衣姿である。 「そもそも男がいけない。これで自分の価値が決まるってわけじゃないだろう に。あんな風にそわそわしてちゃ、足下見られるってもんだよ」 ぐさぐさぐさ。 何か棘がいっぱい刺さった気分である。 「時に天梁」 「なんだ?」 「もうもらったのか?」 メガネをぎらりと光らせて涼子は聞いた。 「……まだだ」 「そうか、まだか」 涼子は何やら納得した様子でうなずくと、無造作に白衣のポケットに手を突 っ込んだ。 ごそごそ。 取り出されたのは黒い物体であった。どことなく遮光器土偶に似ている。 「こ、これは……」 おれは絶句した。まさか涼子が。いやそんな。まてまて、思い当たる事は…… ない。 これっぽっちも。 1ミリグラムたりとも。 という事はつまり。涼子の性格から考えて。 「今度は何を作ったんだ?」 「へ?」 煙草を唇の端にくっつけたまま、涼子がぽかんと口を開けた。 「もう騙されんぞ」 「は?」 「この前は弁当に偽装した強力な下剤だったな。今度はなんだ?」 「!!」 お、赤くなった。図星か。 ぐわしゃ。 涼子の手の中で遮光器土偶が握りつぶされた。ご丁寧にカカオの香りまでつ いている。 「ふふん。残念だが、同じ手は、」 がごんっ。
※注意※ 酢酸の入った瓶を他人に投げつけるのはやめましょう。 顔に浴びると、死にます。いやマジで。
「ああ、ひどい目にあった」 「ひどいのはお前だ」 田所が両手に紙袋をぶら下げて言った。中にはきらびやかな包装紙とリボン に包まれた箱が山のように入っている。 なぜだ。なぜこんな男が。 世の中絶対に間違っている。 「被害者はおれの方だ」 ばこん。 紙袋で頭を殴られた。 「あのな。涼子のやつ、目に涙まで浮かべていたぞ」 「おれに見破られたのがそんなに悔しかったのか。あいつも、人を騙すならせ めてラッピングぐらいすればいいのに」 げしっ。 今度はケツを蹴飛ばされた。 「お前、今日の涼子の格好、ちゃんと見たのか」 「いつものように白衣だった」 「そうだ。真っ白な、糊のきいたぱりぱりの白衣だ」 「そうか?」 「そうなんだよっ!」 「で、それがどうかしたのか?」 「ぐああああっ!!」 がしゃがしゃ。 田所が紙袋を放り出して両手で頭をかきむしった。 ちなみにそれはおれの頭だ。田所よ。 「もういいっ!! おれは知らんっ!!」 紙袋を拾い、ずかずかと田所は立ち去っていった。 よくわからんやつだ。 おれが頭をひねっていると、 「あの……天梁さん」 女の子がおれに声をかけてきた。黒のピッグスウェードジャケットと細身の パンツを着た、目の大きな可愛い子だ。軽くカールした髪が肩にかかっている。 見覚えはない。 「はい。そうですが」 「あの……これを受け取ってください」 女の子が恥ずかしそうに差し出したのは、紛れもなく、田所が両手にあまる ほど持っていた、あれと同系統の箱であった。キティちゃんの顔が並んだ包装 紙に、ピンクのリボンがかけてある。 うわわわ。 「えっと、これ、僕に?」 一応確認する。実は田所あてだったのを、今日は3箱受け取ったからな。 女の子がこくん、とうなずく。 「いや、あり、あり、ありがとう」 「あの……お話させていただいてもいいですか?」 「もちろんです」 おれは、女の子と一緒に学内のカフェテリアに入った。知り合いが何人か、 驚愕の眼差しでこっちを見てひそひそやっている。 ちょっと恥ずかしいが、何というか、優越感が満腔に広がっていくのはいい 気分である。 「えーっと、」 うちはマンモス校だから知らない女の子がいるのはおかしくないが、これだ け可愛い子だと噂ぐらいにはなるだろうに。 「あの……わたし、王華瑞です」 留学生であったか。 「中国の人?」 「あの……はい」 口元に手をもってうなずく仕種が実に愛らしい。思わず守ってあげたくなる ようなタイプである。 「そうか。えーと、どこで会ったっけ?」 「あの……覚えておられませんか?」 その表情が今にも泣き出しそうだったので、おれは思わず口走った。 「ああ、うん。覚えてる。うん。うん」 女の子が今度は、ぱあっ、とうれしそうに華やいだ顔になる。 うーん。記憶のどこにもないんだがなぁ……。 「あの……それ、食べていただけませんか?」 「え? 今?」 こくん、と女の子がうなずく。 ちょっとおかしいと思わなくもなかったが、考えてみるとこれはチャンスで ある。家に帰って食べようものなら、紫苑に感づかれる危険がきわめて高い。 おれはいそいそとリボンをほどき、包装紙が破れないように注意しながらは がし、白い箱を開けた。 「おおっ」 ハート形であった。それもでかい。てのひらサイズである。 まごうことなき、伝説にうたわれる「本命」というやつであろう。 おれは至福の境地にあった。 鼻腔をくすぐる青黴の匂いも心地よい。 ……青黴? 「えーっと、これって……」 またもや女の子が、あの泣き出しそうな顔をする。 そうだ。匂いがなんだ。問題は味だ。 どこから食べるのが礼儀にかなっているのかしばらく考え、無難なところで 曲線部分から一口食べた。 ぱくっ。 苦い。 それも尋常な苦さではない。まるで熊の肝である。 いやまて。これがいわゆる「本場の味」ではなかろうか。それに中国ではこ ういうのが流行なのかも知れない。きっとそうだ。中国には「臥薪嘗胆」とい う言葉もあるではないか。 ぱくぱくぱくぱく。 おれは食べ続けた。 苦い。とゆーか、えぐい。呑み込もうとする度に食道がぐいぐいと押し戻し てくる。 しかし、ここで止めたら負けだ。 おれは食べた。 食べた。 食べた。 途中から、自分が何のために何を食べているのかも分からなくなってきたが、 必死に食べ続けた。 そして、ついに最後のひとかけらまで余さず胃の腑におさめた。 勝った。 脂汗をだらだらと流しながら、おれは勝利の笑みを女の子に向けた。 女の子もまた、勝利の笑みを浮かべていた。 ……なんでだ? 「うふふふふふふふ」 女の子はうれしそうに、本当にうれしそうに笑った。 「食べたわね。全部、食べちゃったわね」 おれはうなずいた。食べろと言ったのはそっちではないか。何をいまさら。 女の子はがたん、と席を後ろに蹴り倒して仁王立ちになると、びしっ、とお れを指さした。 「あなたが今食べたのは、我が王家の秘薬。象一万頭でも殺せる猛毒よ」 がこん。 おれの顎が、テーブルに落ちた。 「うふふふふふ。あなたが死ねば、天梁の遺産は王家の物となるわ。さあ死に なさいっ! 今すぐっ! 血反吐をはいて地獄の苦しみにのたうちまわりなが らっ!」 ごん。 おれの額が、テーブルを叩いた。 すると何か? おれがあれだけ苦労して食べたのは。 「本命」でもなんでもなく。 またもや協会が送り込んできたやつの。 「……ふざけるな」 「え?」 「ふざけるんじゃねぇ……」 おれは、ゆらり、と立ち上がった。女の顔が驚愕に歪む。 「まさかっ?! あなたが今食べたのは、象なら一万頭、牛なら一〇万頭、鶏 なら一〇〇万羽殺せる、超猛毒なのよっ?! それも一舐めしただけで全身く まなく一〇〇分の一秒で回っちゃう、超即効性なのよっ!」 女の叫びは最後の方は悲鳴になっていた。 「それがどうした?」 ああん、と顎を突き出しておれはすごんだ。 「こんなもん、涼子が作る薬物の数々に比べれば可愛いもんだ」 涼子、ありがとう。心の底から感謝するぞ。 「ひっ!」 女が後ずさる。後ずさりながらも、呪符を打とうとする、その根性は誉めて やる。 だが、遅い。遅すぎる。おれは宝貝を起動した。 「風龍! 雷龍!」 閃光と爆音、悲鳴と怒号がカフェテリアを飛び交った。 そして、がらがらと崩れ落ちていった。 おれは足取りも重く家に帰った。 結局、今年も一個ももらえなかった。 わびしさだけが、おれの心を支配していた。 「有樹様、お帰りなさいませ」 「ただいま」 おれのコートと鞄を受け取りながら紫苑が口を開いた。 「さきほど、王家の老大人からメールが届きました」 「んー」 「“孫の命を助けていただいて感謝している。もう二度と王家は天梁の遺産を 狙わぬよう一族に命じた”だそうです」 「そうか」 あの女、生きていやがったか。まぁ、こっちもカフェテリアにいた他の学生 や職員助けるのに忙しかったからな。とどめは刺さなかったんだが。 ああ、思い出すだにはらわたが煮えくりかえる。 「紫苑、悪いが今日は夕食はいらない」 さすがに食欲がない。 「そうですか。では、夕食後と思っていたのですが」 紫苑がおれに丸い、小さな物を差しだした。 それは。 「お猪口?」 「猪口です」 紫苑は重々しくうなずいた。 小さな盃を、おれは受け取った。 首をひねる。 はて? もしかして何かの冗談であろうか。 しげしげと手の中の猪口を見つめる。 白い陶磁器に、桃色の梅の花びらが描かれていた。 紫苑は徳利と、自分用の盃(おれの猪口より二回り大きい)を取り出した。 「夕食は食べられなくても、一献差し上げるのはよろしいですよね?」 おれはうなずいた。 「ちょっと冷え込んでいますけれども、今夜は月もなく星空がきれいです。ベ ランダに出ませんか」 紫苑の言う通り。外は町中ではちょっと珍しいくらいにきれいな星空が広が っていた。 「では有樹様、どうぞ」 とくとくとく。 ほどよく温めた日本酒が、おれの猪口に注がれた。梅の花びらがゆらゆらと 揺れる。 悪くない。 おれは思った。 こういう、バレンタインも。 こういう、チョコも。 この冬の夜には似つかわしい。 おれはくいっと、盃を傾けた。 暖かいものが、優しくおれを満たしてくれた。 【おしまい】