『ハッピー・バースデイ』

 おれは走っていた。
 速く。より速く。
 100メートル、8秒くらいではなかろうか。人を超えた、神の領域である。
 風景は白く溶け、おれは彼方に見える光に向かって走り続けた。すでに頭蓋
骨の中は脳内麻薬でどんぶらこである。
 そのおれを、白い煙をはきながら何かが追い抜いていった。
 そして、100人の庭師が丹精こめて作り上げた人工の森の中に突っ込み、
樹齢80年の松の木に激突し、
 爆発。
 爆風がおれを巻き込み、おれはたまらず転倒した。地面をごろごろと転がる。
 起き上がっている間に、梶川がおれに追いついてきた。銀縁眼鏡を人差し指
でくい、と押し上げながら感心したように言う。
「ふむ。今の今まで訓練用の模擬弾だとばかり思っていたが、実弾であったか。
さすがは姉小路財閥。そうは思わないか高野」
 100メートル9秒きっかりで走りながら梶川大輝が言った。
 上半身固定のまま、足だけをしゃかしゃかと動かす走り方で、よくもまぁこ
れだけの速度が出せるものである。しかも息も切らしていない。こいつが人間
ではなくうちゅー人である証拠がこれでまた一つ増えた。
「それは、いいけど、何よ、あれはっ」
 須藤杏奈が100メートル10秒で追いかけてきながら言った。こっちは基
本に忠実なきれいなフォームをしている。陸上部だけあってたいしたものだ。
これなら県大会もばっちりであろう。
「うむ。あれはM50オントス。かつてアメリカ軍海兵隊で使われていた対戦
車車両だ。106ミリ無反動砲を6門搭載したそのユニークな姿はデストロイ
ド・モンスターを彷彿とさせ、人気も高い。まさか実物を目にする事が出来る
とは思わなかった。眼福、眼福」
 知識をひけらかす時の梶川は実にうれしそうである。
 おれはちっともうれしくはない。その106ミリなんとかに狙われているの
は他ならぬおれなのだから。
「でもあんなのが当たったら危ないですわ。京子ちゃん、どうしちゃったんで
しょう?」
 和服姿で裾一つ乱すことなく100メートル11秒をキープしていた江川良
美がかわいらしく小首を傾げて言う。さすがは護国神社の神人(じにん)の娘。
あなどりがたし、神国ニッポン。
 あ、今ちょっとふくらはぎが見えた。
「京子がキレるのはいつもの事じゃない」
「それもそうですわね。でもせっかくのお誕生日会でしたのに」
 おれはちらりと後ろを振り返った。
 きゅらきゅらとキャタピラの音も勇ましく、えむなんちゃらが迫ってくる。
そのてっぺんに白いドレス姿のまま仁王立ちになっている少女こそ、姉小路京
子である。黙って座っていればすごい美少女なのだが、今の顔は夜叉そのもの。
「しかしこー、今日はいつもよりたちが悪いぞ。おれたち、何かあいつを怒ら
せることしたか?」
「あたしじゃないわよ」
「私も記憶にありませんわ」
「おれもない」
 おれと杏奈と良美がそろって首をひねる。
 そのおれ達を、薄気味悪そうに見ていた梶川が言った。
「きみらは本当に理由が分かっていないのか」
「何よ?」
「何ですの?」
「何だ?」
「いやいいんだ、分かってないのなら。僕は姉小路君に同情するよ」
 同情して欲しいのはこっちの方である。
 しゅぼおっ。
 しゅぼおっ。
 また2発の弾がおれ達を追い抜いて爆発した。

 いったいどうしてこういう事になったのか?
 話は今日の朝にさかのぼる。

 虫の知らせというヤツであろうか。
 背中を走る悪寒に、おれは目が覚めた。
 時計を見る。5時13分。いくらなんでも起きるには早すぎる時間である。
しかしなぜか寝直す気にはならず、新聞でもきてないだろうかとおれは玄関の
扉を開けた。
 そこに。
「あれ、姉小路。何してんだ」
 黒いコートの襟をたて、黒い帽子をかぶり、おまけに黒いサングラスをかけ
た人物が、郵便受けに何かを入れようとする姿勢のまま飛び上がった。ずれた
サングラスから、真ん丸になった黒い目がのぞく。
「な、な、な、な、」
 どうやら『なんでわかりましたの?』とか言いたいらしい。
 そんなの一目瞭然ではないか。
 傍らにひかえる執事のジェイムス。
 道幅いっぱいにふんぞり返って停車している、特注品のロールスロイス。
 どこからどう見ても姉小路ではないか。
「手紙か、姉小路?」
 姉小路が手にしている封筒を見ておれは言った。
 姉小路は真っ赤な顔をしてぶんぶんと首を左右にふった。
「ち、ち、ち、ち、」
 どうやら自分は姉小路ではないと言いたいらしい。無駄な事を。
「学校でわたしてくれりゃいいのに。ほれ」
 おれは手をのばした。同じクラスなんだから、何も休日の朝早くから人の家
まで届けに来なくても。
「あうっ、あうっ、あうっ、あうっ」
 いきなりオットセイになった姉小路の鼻の上から封筒を恭しく取り、執事の
ジェイムスがおれに差し出してきた。
「あ、どうも」
 こちらも一応、両手で受け取る。格好はパジャマのままであるが。
 立派な硬い封筒で、ご丁寧に封の蝋の上に印まで押してある。
 執事のジェイムスはおれに一礼すると、やはり恭しく姉小路をロールスロイ
スの中に召させて、自分も車に乗り込んだ。
 ロールスロイスはエンジンの音をほとんどさせずに動きだし、滑るように視
界の外へと走り去った。
「どうしたんだ、あいつ?」
 だがまあ、姉小路の奇矯な行動はいつもの事である。
 おれはそう納得して、封を開けると中に入っていた手紙とカードを取り出し
た。
「拝啓、時下ますます、なんだ?」
「それは『せいしょう』と読む」
「意味は?」
「相手が元気で幸せに暮らしていることを喜ぶあいさつのことばだ。それくら
いは一般常識だぞ、高野」
 非常識が服を着て歩いている男、梶川は偉そうな顔をしてそう言った。
「おい梶川」
「なんだい。他に読めない字があるなら恥ずかしがらずに言いたまえ」
「なぜここにいる」
 梶川は銀縁眼鏡をきらりと光らせて、ふ、と笑った。
「秘密だ」
 絶対にこいつはうちゅー人だと思う。
「それにしても興味深い。これはバースデイ・パーティの招待状ではないか。
しかも日付は今日」
 本当だ。
「なあ、こういうのって普通もっと前に出すもんじゃないか?」
「ずっと渡しそびれていたのだろう」
「成績はいいのに案外ぬけてるな」
「……。まあいい。で、行くのか?」
「ああ。一応クラスメイトだし。行かなかったら行かなかったでうるさそうだ
し」
 主に後者の理由からである。
「そうか。行くのか。くっくっくっ。そいつは見物だ」
「どういう意味、」
 だ。と言おうとしておれはきょときょとと左右を見渡した。梶川の姿はすで
にどこにもない。
 やっぱりあいつはうちゅー人だ。

「そういうわけで、昼は姉小路の家に行って来るから」
 朝飯を食べながら、おれは妹の美緒にかいつまんで説明した。エレニア国と
やらに海外派遣となった親父にお袋がついて行ったせいで、今家にいるのはお
れと美緒だけである。
「姉小路さんの家って、あのすごいお屋敷でしょ? いいなー、ボクも行きた
いなぁ」
 姉小路の家は敷地面積に限っても、東京ドーム3個分はある。姉小路家は世
界でも有数の金持ちだ。そこの一人娘のバースデイ・パーティともなるとごち
そう出放題である事は間違いあるまい。美緒はほとんどよだれをたらさんばか
りである。
「ダメだ。お前は道場があるだろう。お土産があったら持って帰るから、それ
で我慢しろ」
「うん。それでお兄ちゃん、プレゼントはどうするの?」
「ほえ?」
 考えてなかった。
「そうかー、プレゼントかー。でも今日の昼だからなー」
 どこかに買いに行くにしても時間がないし、金もない。それに相手は大富豪
の令嬢である。なに渡しても、他の招待客のプレゼントに比べたらゴミのよう
なものであろう。
「ま、おれ一人プレゼントがなくても、姉小路は別に困らんだろ」
 はあああああ。
 美緒が長い長いため息をついた。
「他ならぬお兄ちゃんが持って行かなくてどうするのよ。姉小路さん、きっと
お兄ちゃんのプレゼント楽しみにしてるよ」
「? どういう意味だ?」
 貧乏人からプレゼントをむしり取って、姉小路にどういうメリットがあると
いうのだ。
「もういいよ。あー姉小路さんかわいそー」
 聞こえよがしにそう言って、美緒は準備のため部屋を出ていった。今日の後
かたづけはおれの当番である。皿やコップを洗いながらおれは頭をひねった。
 さっぱりわからなかった。

 家を出たところで杏奈と出会った。
 別に偶然というほどの事でもない。杏奈とは家が近所で、幼稚園、小学校、
そして中学校と同じ学校である。クラスもほとんど同じ。腐れ縁というやつで
ある。
「祐司、どっか行くの?」
 休日だというのに制服姿の杏奈が聞いてきた。おそらく部活の帰りだからだ
ろう。
「これこれ。お前ん家、入ってなかった?」
 おれは姉小路の招待状を見せた。事情もかいつまんで説明してやる。
「京子のバースデイ・パーティ? 今日? 知らないわよ」
「おっかしーな」
 派手好きな姉小路の性格からして、クラスどころか学校の全員(教師、用務
員含む)に招待券をばらまいてもおかしくはない。
「でも水くさいなー、京子。そんなの隠しておくなんて。そうだ、あたしも行
く。その招待券、別にお一人様限定じゃないんでしょ?」
 商店街の安売りのチラシじゃあるまいし。ふつー、そういう発想は浮かばな
いと思う。
 しかし、こちらのそんな思いとは裏腹に、杏奈は一人で盛り上がっていた。
「今日の午後は良美と遊びに行く予定だったけど、他ならぬクラスメイトのバ
ースデイ・パーティだものね。よし、良美も誘おう。ちょっとここで待ってて」
 ばたばたと家の中に駆け込む杏奈。あいつは携帯は持たない主義だ。言えば
貸すのに。
 結局、口をはさむ余裕もなく、なし崩し的におれと杏奈と良美の三人で姉小
路の家に行く羽目になった。合流場所は杏奈の家。
 良美が来るまでの間に、杏奈は着ていく服を選ぶのに余念がない。
「ねえねえ、この服どうかな?」
「……どこの民族衣装だ」
「じゃあ、こっち」
「……頭悪そうに見える」
「なら、これ」
「……七五三か?」
 むぅ。と、杏奈が膨れっ面をする。
「じゃあ、どういうのがいいのよ」
「そうだな」
 おれはまだ制服姿のままの杏奈をじーっと見つめた。
「な、なによ……」
 杏奈がもじもじしてスカートの裾を押さえる。
 はっきり言って色気のある身体ではない。足にはしっかりと筋肉が付いてる
し、胸は空気抵抗が少なそうである。肌は部活で日に焼けた健康的な褐色。女
の子らしい部分といえばポニーテールのリボンぐらいだろうか。
 だが、内側からあふれ出る生気のようなものが、杏奈にはあった。
「杏奈は、変に着飾ったりしない方がいいな。そのままが一番かっこいい」
「え?」
「おれはいつもの杏奈が一番似合ってると思う」
 しかしまー、部活で着ている体操服にブルマーでパーティに行くのは無理だ
ろうな、と内心で思っていると。
「分かった」
 杏奈はうきうきとした様子で言った。
「そうね。いつもと違うおしゃれしても、しょせん付け焼き刃だもんね」
 おいおい。本当に体操服にブルマーか?
「祐司の言うとおりだと思う。あたしはあたし。いつもの通りの自分でいいん
だものね」
 杏奈はにっこりと笑った。大輪のヒマワリのような笑顔。
「制服のままで行くわ。ありがと、祐司」
 あ、なんか誤解してる。
 しかし、ここで誤解を解くとトラブルになるのは間違いない。
 誤解したままにしておこう。
 ピンポーン。
 タイミング良く、玄関のベルが鳴った。
「杏奈ちゃん、祐司くん、こんにちはー」
 良美だった。休日はいつもそうであるように和服姿である。こっちはこっち
で博多人形みたいでよろしい。
「よし、じゃあ3人そろった事だし、でかけましょう!」
 杏奈がいつものように仕切って拳を振り上げた。

「で、なぜあんたがいるのよ」
 杏奈が梶川をじと目でにらんで言った。
「いやなに。面白そうな物が見られると思ってね」
 梶川の方は平然としている。
「しかしまぁ、よりによって須藤に江川が一緒とは。こいつは予想以上だ。さ
すがだ、高野」
 なぜおれ。そりゃ確かに女子のバースデイ・パーティに男一人で行くのは恥
ずかしいから、杏奈と良美がいてくれるのは助かるが。
 姉小路の家までは歩いて20分。これでようやく壁の端にたどりつく。そし
てさらにてくてくと壁沿いに10分。その間に、何台も高級そうな車や馬車や
牛車や人力車やきらびやかな飾り付けをした象がおれたちを追い抜いていく。
どうやら全員、目的地は一緒らしい。
「さすが姉小路の一人娘ともなるとちがうなー。さっきの車に乗ってたの、歌
手のフランク・シナトラだろ?」
「あ、知ってる。マイウェイ歌う人でしょ。わー、歌ってくれるかなー」
「楽しみですわねぇ」
「……君らは何か大事な事を疑問に思わんのか」
「何を?」
「何よ?」
「何ですの?」
「いや、いいんだ」
 勝手についてきておいてヘンなヤツである。
 そうこうしているうちに、屋敷の門にたどりついた。来客を迎えるためであ
ろうか。いかつい門番のおじさんではなく、可憐なメイドさんたちがおれたち
を出迎えた。
 招待状を見せるまでもなく、メイドさんが深々とおじぎをした。
「高野様、ようこそいらっしゃいました」
 どうやら招待客全員の顔を覚えているらしい。たいしたものである。
「あ、御世話になります」
 おれ達も礼をして、通り過ぎようとする。
 メイドさんが、困ったようにおれたちを呼び止めた。
「あの、申し訳ございません。高野様以外の方は――」
「あ、問題なし。全員クラスメイトだから」
「いえ、その――」
 ちらり、とメイドさんが門柱の影に目を走らせた。
 すっ――
 音もなく黒服のおじさんが姿を現した。顔つきは優しげだが、身にまとって
いる雰囲気が違う。サングラス越しでも分かる鋭い視線をむけられると、おれ
はまるで蛇ににらまれた蛙のように動けなくなった。
「まあまあまあまあ」
 緊迫したその場の雰囲気がまるでわかっていないかのように、梶川がづかづ
かと黒服のおじさんに近づいていった。
「クラスメイトってのは本当なんだし、これで招待状の代わりにならないかな」
 そう言って梶川が眼鏡をはずす。こっちには背中を向けているので梶川の顔
は見えない。
 だが、黒服のおじさんの表情が強張るのはこっちからでも分かった。
 おじさんがぎこちない動きで、メイドさんに向かってうなずく。メイドさん
はしばらくためらった後、おれ達に頭を下げた。
「失礼いたしました。どうぞお通りください」
 鼻歌まじりで先を行く梶川に追いついて、おれはたずねた。何をしたのか、
と。
「いやなに。身分証明をしてみせただけだよ」
「学生証か?」
「そんなもんだ」
 ウソをついている。何しろこいつはうちゅー人だからな。
 まあいいか。全員そろって入る事ができたんだし。

 もちろん、ちっともよくはなかったのである。

「ひっろーーー!」
 パーティ会場である大ホールを一目見て、杏奈が叫んだ。
「叫ぶなよ。恥ずかしいだろ、杏奈」
「だってこれ、うちの校庭より広いわよ、絶対」
 いつも校庭のトラックを走り回っている杏奈らしい比較である。
 しかもホールの奥の方では、フルオーケストラが生BGMを演奏している。
「おっきいですわね。それにたくさんの人。何人いるのかしら」
 たしかに。招待客と使用人を含めると1000人は下るまい。しかもその招
待客というのがすごい。TVで見た顔がぞろぞろしている。
「あ、あれ! 俳優の松田優作じゃない!」
 杏奈は最近『探偵物語』のDVDにはまっている。
「あちらにおられるのは五代目志ん生師匠では。私、ファンなんです」
 良美は落語が趣味だ。なかなかに渋い。
「お、フレディ・マーキュリーだ。エイズは治ったのかな。後でサインもらい
にいこう」
 おれの趣味は音楽鑑賞。いや他にもう一つ、小学生の時にはまった七宝焼き
というのもあるのだが、おれの美術のセンスはどうも他人とはちがうようであ
まり役に立ってない。
「あちらには小渕前首相がいたぞ。たしかにいろいろな意味で珍しい客層だな。
どうやって集めたのやら」
 オブチ? 聞いた事はあるような気がするけど政治家の名前なんてすぐ忘れ
るからなー。
 ともかく、居並ぶ有名人たちをながめているだけでも飽きない。
 ついでに、あちこちに並んでいる料理も予想以上に美味であった。実はこの
四人の中で最も大食らいの良美は、にこにこしながら取り皿に料理を山盛りに
してうれしそうにぱくついている。それでいて下品に見えないのは人徳か。
 そうこうしているうちに、大ホールの照明が暗くなった。
「御来場の皆様、たいへんお待たせいたしました。姉小路京子嬢が皆様にご挨
拶をさせていただきます」
 数十のスポットライトが大ホール中央の演壇に集中した。おれたちの位置か
ら意外に近い。もっと奥の方かと思った。
 演壇の下から台がせり出してきた。
 純白のドレスを着た姉小路が姿を現した。
「ほほー」
「あー、京子だ。きれーなドレスー、いいなー」
「たいへんお似合いですわ」
「ふむ。いつにもまして気合いが入っているな」
 確かに。ああして着飾って黙って立っていると姉小路はいかにも深窓の令嬢
という感じである。
『皆様、今日は私の14回目の誕生日によくぞおいでて――てぇっ!』
 ぐるりと周囲に挨拶をしていた姉小路の視線がおれたちのところで止まった。
 ぱっちりとした瞳が真ん丸になってる。
「京子やっほー!」
 おれは杏奈の耳をつかんで囁いた。
「恥ずかしいから大声出すなよ」
「やだ、耳つかまないでよ。くすぐったい」
 杏奈が身をよじらせる。子供の頃から杏奈は耳が弱い。
 姉小路がひらり、と演壇を飛び降りてこちらにずかずかと近づいてきた。
『なんで?! どうして?!』
 マイク入ったままだぞ、姉小路。
 おれは杏奈の耳をつかんだまま、姉小路に手を振った。杏奈も挨拶しようと
するのだが、おれに耳をつかまれてふにゃふにゃの状態である。
「京子ー。おめれろー」
 杏奈は手を振ろうとして失敗し、そのままふにゃあ、とおれに抱きついた。
『あっ! あっ! あーっ!』
 姉小路がおれを指さして叫ぶ。マイクが入ったままなので、その叫びは大ホ
ールじゅうに響き渡った。
「おい、姉小路、どうかしたか?」
 倒れかかる杏奈の肩を抱きながら、おれはちょっと心配になって聞いた。
 姉小路は口をぱくぱくさせるだけで何も言わない。
「京子さん。お誕生日おめでとうございます。今日はお招きいただいてありが
とう」
 料理で山盛りの皿を持ったまま、良美が器用に頭を下げる。
 姉小路はやはり口をぱくぱくさせたまま、ぶんぶんと首を左右に振った。
 はて? 今日はバースデイ・パーティではなかったのか?
 頭の中でそんな疑問をもてあそんでいると。
「あ、高野くん。これすっごく美味しいですわ」
 マイペースな良美が料理の一つを口に運んで顔をほころばせた。
「どれ?」
「これです。はい」
 両手が杏奈でふさがっているおれは口を開けた。心得たもので、良美が箸で
つまんだ料理をおれの口の中に入れる。
 まったりと、芳醇な味が口の中に広がる。
「うん。こりゃうまい」
「でしょう? はい、こちらもどうぞ」
 おれは口をあーんと開けた。良美がにこにこと笑いながら料理をおれの口へ
運ぶ。

 ぶちり。

 太い鋼鉄製のワイヤーか何かが切れる音を、おれは確かに聞いた。
『ふふふふふふふふふふ』
 地の底から響くような笑い声が大ホールを埋め尽くした。
 オーケストラの演奏が、ポール・モーリアからシューベルトの『魔王』に代
わる。
『ジェイムス』
「は。なんでございましょう、お嬢様」
 すっ、と姉小路の隣に執事のジェイムスが出現した。
『武装親衛隊、出撃。私が直接指揮を取ります』
「わかりました」
 恭しくうなずいて、ジェイムスがポケットから携帯を取り出し、ぴ、と繋げ
る。
 ごうん。ごうん。ごうん。
 大ホールの床が開き、招待客のオブチとかゆー政治家がその中に呑み込まれ
る。
 そして代わりにきゅらきゅらと音を立てて出現したのが。
 えむなんちゃらだったのである。

 そして現在進行形。

 おれ達は、追いつめられていた。
 前方には高さ5メートルの壁。
 後ろには半ば焼け野原になった庭園と、そしてえむなんちゃら。
「もう逃げ場はありませんことよ」
 えむなんちゃらの上で腕組みをした姉小路がくっくっくっく、と笑う。手に
は乗馬ムチ。目つきはすでに危ない人だ。
 こういう状態の姉小路に説得は通用しない。しかし、このままではマジでソ
ウルがデンジャー。
「覚悟ぉっ!」
 ぼぼぉーん!
 背後に炎を吹きだしながら106ミリなんとかが発射される。おれは杏奈と
良美を抱きかかえて地面に伏せた。
 梶川? あいつはうちゅー人だから別にいいのだ。

 がっ!

 足首までを守る重い革のブーツが飛んできた砲弾を蹴り上げた。

 ぼんっ!

 空中で砲弾が爆発し、ぱらぱらと破片が地面に落ちてきた。
「あなたはっ!」
 姉小路がまなじりを上げて叫ぶ。
「美緒っ!」
 おれはほうっ、と安堵の息をついた。良かった。間に合った。
 地面からえむなんちゃらが出て来た時、おれは持っていた携帯で妹にSOS
のメールを送っていたのである。
「お兄ちゃんをいじめると、ボクが許さないからね」
 やはり厚い革手袋をつけた手を握りしめ、美緒がファイティングポーズを取
った。
「またあなたですの――いいでしょう。全弾、斉射!」
 ハッチから頭を出していた黒人兵士が驚いた顔で姉小路に何か言った。
「かまいません! 手を抜くとやられるのはこっちですよ!」

 しゅどどどどっ!

 6門の106ミリなんとかがいっせいに盛大な炎と煙を吐き上げた。どうで
もいいが姉小路、爆風でドレスがまくれあがって下着が見えてるぞ。
 6発の砲弾が、12才の少女に向かって突っ込んでくる。だが、美緒は落ち
着いて右手で大きく空中に円を描く。

「高野古柔術奥義――翔転輪」

 かかかかかかっ!
 砲弾が、発射された勢いのまま、くるり、と180度方向転換した。
「ジーザス!」
 えむなんちゃらの黒人兵士が口をあんぐりと開けた。
 6発の砲弾は吸い込まれるようにえむなんちゃらに突っ込み、
 爆発した。

 残骸となったえむなんちゃらの中から、三人の兵士がほうほうの体で這い出
てきた。気の毒に。相手が悪かったな。
 姉小路は茫然と掘り起こされた芝生の上に座り込んでいた。目がうつろであ
る。白いドレスは焼けこげてぼろぼろになり、実を言うとちょっと目のやり場
に困る。
「お兄ちゃん、ほら。今のうちだよ」
 美緒がおれを小突いた。
「……知ってたのか?」
「兄妹だもん」
 おれはぽりぽりと頭をかきながら、姉小路に近づいた。おれに気が付いた姉
小路が、きっ、ときつい眼差しでおれを睨む。本人は知らないかもしれないが、
そんな時の姉小路はとてもきれいだ。たとえ、どんなボロボロのかっこうをし
ていて、顔がすすだらけでも。
「なんですの?!」
「……その、姉小路。今日は誕生日……だよな?」
 おれはためらいつつ、ポケットから小物を取り出した。
「これ」
「え?」
 きょとん、とした顔で姉小路がおれの掌の上のキーホルダーを見つめていた。
キーホルダーには七宝焼きが付いている。そこには踊るトーテムポールのよう
な物が描かれている。
「おれが作った七宝焼きの中で、一番気に入ってるヤツなんだ。その、こんな
もんで悪いけど、えーと」
 おれはそっと姉小路の手の上にキーホルダーを置いた。
「誕生日プレゼント、って事で。おめでとう、姉小路」
 ぽろり。
 キーホルダーを見つめる姉小路の目から涙がこぼれ落ちた。そして姉小路は
おれに抱きつくと、わんわん大声で泣きはじめた。
 おれは途方にくれた。

 夕焼け空の下。
 おれと美緒と杏奈と良美と梶川は帰宅の途についた。美緒は料理の折りをも
らってほくほく顔である。
「いや、今日は貴重な体験をした」
 梶川もうれしそうである。その貴重な体験とやらのために、こちらは死ぬ思
いであった。
 一方で、杏奈と良美の方は何やら不満そうである。それとなく聞いてみても。
「べっつにー」
「そんな事ありませんわ」
 と、にべもない。しかし、それにしては目が怖いんですが。
「それでは、僕はここで」
 梶川が大通りのところで別れた。
「それではまた明日」
 良美とは橋のところで別れた。
 三人になったところで、杏奈がぼそりと言った。
「あーゆー態度をとるから、京子が期待しちゃうんじゃない」
 何をだ? と思ったが聞くと怒られそうなのでやめておいた。
「でもまー、京子も喜んでたし。今日は誕生日だし。かんべんしてやるか」
 ぱんっ! とおれの背中を杏奈は叩いた。
「じゃ、また明日ね!」
 そう言って杏奈は家の中に駆け込んでいった。
 そしておれと美緒の二人きりになった。
 おれはひりひりする背中をさすった。
「どうしたんだ、杏奈のやつ?」
「うーん。杏奈さんの気持ちもわかるな。お兄ちゃんって、ある意味、すごく
残酷なところあるから」
 こん、と足下の小石を蹴飛ばして、美緒が言った。
「なんだそりゃ」
「いいの。分からなくて。それよりお兄ちゃん。ボクに何か言うことがあるん
じゃない?」
 美緒がこちらを向いてにこにこと笑った。
「今日はおかげで助かった。ありがとな」
「えへん」
 そう言うと、美緒は顔を上向かせてそっと目を閉じた。おれは左右を見回し、
誰もいない事を確認してから。
 美緒をの肩を抱き寄せ、そっとキスをした。
 身体を離すと、美緒が不満そうな顔をした。
「これだけー?」
「はいはい。残りは家に帰ってからな」
 そうして。
 おれと美緒は並んで手をつなぎ、我が家へと帰ったのだった。

【おしまい】

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