龍の守護者 last episode 『天の光はすべて星』
おれはベッドの上で目覚めた。
いつもと同じ。
それでいて遠い。
そんな景色の中で。
しゃっ。
窓のカーテンが開けられた。明るい朝の日差しが入ってくる。逆光で陰になった少女がこちらを見る。
これは──
カーテンを開いたのは──
「紫苑?」
ちがった。
カーテンを開けたのはソフィアだった。薄紫色の瀟洒なドレスを着ている。
くるり、とソフィアがこちらを向いた。
てっきり怒鳴られると思っていたら、ソフィアはぎこちない笑みを浮かべた。
「目が覚めたか。……その、具合は……どうだ? ユウキ?」
おれは上体を起こし、自分の肉体を確認する。当たり前だが右腕がない。新品らしいパジャマの右袖はぺっちゃんこだ。
だがそれはまあいい。むしろこの程度で済んで御の字である。
「ソフィア、ここは?」
「父の別荘だ」
とするとここはロシアか。
「ユウキ……」
ソフィアは楚々とした足取りで──思えばこの少女はロシアでは名家なのだ──おれに近づいてきた。
「その……シオンの事だ。お前に言わないといけない事がある」
まあだいたい想像はついていた。
「どうやら最悪の出目が出たらしいな」
「うむ。シオンは、というか龍皇は遺産を手にした。戦いは終わった」
「遺産、か」
おれは目を閉じた。
地球から38万km。虚空に浮かぶ月。それが天梁の遺産だった。
直径2500km。質量7.348掛けるの10の22乗kg。朔望月は約29.5日。
アイザック・アシモフはかつて自著の中で月は不思議な天体だと語った。その軌道も大きさも、自転速度も、何かあつらえたかのように『ぴったり』なのだ。
山田正紀の『宝石泥棒』では人類が宇宙戦争に敗れ、宝石=月を奪われて地球に閉じこめられた世界が描かれている。月は常に人間にとって憧れであり、宇宙への第一歩だった。
そして、J・P・ホーガンの『星を継ぐ者』。そこではまさしく天梁の遺産さながらの驚天動地の展開によって地球が月を得る事になる。
ジュール・ベルヌの『月世界へ行く』以来、いや、それを言うと『竹取物語』以来か。天梁の一族は月に関する書物やニュースに常に関心をはらっていた。ソビエトのルナ・シリーズにも、アメリカのアポロ計画にも、天梁が学費などを援助して育てた人材が入り込んでいらぬ物が発見されないように気を配っていた。その後、宇宙開発は下火になり月への関心も下がったが、先代の叔父は常にネイチャーなどの科学論文を読みながらおれに言ったものだ。
「いずれ人類は再び月に行き、そこに根をはるだろう。あれが遺産である事がばれるのも時間の問題だ。おまえか、おまえの次の代か。いずれにせよ──わしには何をどうすればいいのか見当もつかん」
丸投げかい。スーパーマンのような叔父に分からぬ事がおれにわかるわけがないだろうに。おれはそう不満に思った。
ところが事態はさらにろくでもない方向へと突き進んだのだ。
「月の魔力を得た龍皇は、地球全体に霊的なバラージ・ジャミングをかけた。天界の者は一人残らず肉体から霊魂が放逐された」
「遺産にかかればその程度は児戯だ。ソフィアは知っているのか? 龍皇が何を求めて遺産を作ったか」
ソフィアはこくりとうなずいた。
「それでも行くのだろう? 天界のためでも人類のためでもなく、紫苑のために」
「ああ」
「うむ。だが今しばらくは体を癒せ」
……どうもおかしい。
「医者を呼んでこよう」
すたすたと部屋を出ていこうとするソフィアにおれは、反射的に声をかけていた。
「ソフィア……」
「ん? 安心しろ、我が家の子飼い呪術医だ。3日もあれば動けるようになる」
「いや、そうじゃなくて」
何かが、違う。
「どうしたのだユウキ。そんな顔はおまえらしくないぞ」
どんな顔を、おれはしているのだろう。
どんな顔が、おれらしいというのだろう。
「おまえならば、龍皇からシオンを救い出すことができる。そうすればハッピーエンドだ」
そう言うソフィアの顔は笑っていたが。
どう見てもハッピーではなかった。
たぶんおれも、ハッピーな顔はしていないはずだ。
「あ、安心しろ。私はここに、ロシアに残る。ユウキとシオンの邪魔はしない、から」
「邪魔だなんて、何言ってるんだソフィア」
なんだ、拗ねているだけか。おれはちょっとほっとして言った。
ところが、ソフィアの反応はことごとく今までと違った。
「そうだな。ユウキならそう言うと思っていた」
ソフィアは顔を伏せ、寂しそうに言った。
「正直にならねばな。私がつらいのだ。おまえと一緒にいるのが」
「な……」
なぜそうなる。
おれがいったい何をした?
前の戦いでソフィアに嫌われるようなことをしただろうか。
「違う。ユウキが悪いんじゃない。ユウキはシオンを選んだだけだ。いやこれも違うな。最初からユウキにはシオンしか見えていなかった。私なんかがいたのが間違いだっただけ」
待て。
だから、なぜ、そう、なる?
「ソフィア、いったいぜんたい何が不満なんだ?」
ソフィアはきっ、と顔を上げておれを正面からにらんだ。
「まだわからないのか? 私はおまえが好きなんだ!」
なんだ、そんなことか。
「おれ、」
「『おれも好きだ』なんて言ったらその口を引き裂いてやるからな。縦にだ」
かみつくようにソフィアが言った。いや、冗談ぬきでかみつきかねない勢いだった。
だからおれはあほうのように口を開けたまま言葉を呑み込んだ。
「わがままな妹のように扱われるのはもうごめんだ。どうせ最初から最後まで私の独り相撲だったんだ。勝手に好きになって勝手に屋敷に入り込んで。シオン相手にユウキをかけて女の戦いをしているつもりでいたんだ。勝敗はとうについていたというのに」
ぼろぼろぼろぼろぼろぼろ。
ソフィアの大きな目から涙が後から後からこぼれ落ちた。
泣いているのか。
おれが泣かせたのか。
ずきずきと、胸が痛い。
「だからでていく。ユウキのことなんか忘れてやる。ユウキよりもずっと、ずっと、ずぅっっとイイ男を見つけてそいつを好きになってやる」
「だめだ」
おれは反射的にそう口走っていた。
「許さない」
「うるさい、ユウキの言うことなんか聞かないっ」
ああそうかい。
すでにかなり頭に血が昇っていたおれはソフィアの望み通り口をつぐんだ。
そして、残った左腕でソフィアをつかむと、問答無用でぐい、とベッドに引き寄せた。
「あ……」
ソフィアがベッドの上に倒れ込む。おれはソフィアの背中に手を回すとしっかりと細い身体を抱きしめた。ソフィアがもがくがおれは力ずくで押さえ込んだ。
「やめろ、ユウキ。傷が開く」
それでもおれは口をへの字に曲げたまま黙ってソフィアを抱きしめ続けた。
「やめろ。どうしたんだ」
「…………」
「なんとか言え」
よし、なら言ってやる
「許さない」
「え?」
「おれを忘れるなんて許さない」
「ユウキ?」
「おれ以外の男を好きになるなんて許さない」
「な、な、何を馬鹿な事を言っている!」
「じゃあ聞くが、おれがなんのために戦ってると思っている」
「シオンを助けるためであろう?」
「そうだ。おれには紫苑が必要だ。おれは紫苑がいないと生きていけない」
「なら……」
「実は田所にもいてもらわないと困る。いつもは人の家にあがりこんでただ飯を四杯もおかわりする図々しいやつだがおれにとって親友だと呼べるのはあいつだけなんだ」
「??」
「中華料理屋八元の親父もだ。あのこってりした下品な味のラーメンは、紫苑じゃとても作れないからな」
「さっきから何を言っている」
「だから……ああ、だからっ」
おれは面倒になり、ソフィアの手をつかむと自分の心臓の上に置いた。
「おれが戦って勝ち取る未来には、ソフィアもいてほしいんだ。おれの隣におまえがいてくれないと、おれはいやなんだよ!」
どっどっどっどっ。
心臓が激しく鼓動している。その鼓動は掌を通してソフィアにも伝わっているだろう。 ソフィアは何度か口を開いて、閉じた。
「どきどきしてるな」
「どきどきしてるんだ」
「私にいてほしいのか」
「いてほしい」
「私が……欲しいのか」
ソフィアの顔は真っ赤だった。
「ソフィアが、欲しい」
おれの顔もたぶん、真っ赤だろう。
「馬鹿」
ソフィアはそう言うと、ぷちぷちとおれのパジャマのボタンをはずした。はだけたおれの胸に、ぴっとりと耳をあてる。柔らかい金髪が肌をくすぐる。
「確認しておくぞ、ユウキが私を欲しいって言ったんだからな。逆じゃないぞ」
「もちろんだ」
「私の父様と母様にも同じ事が言えるな」
「も、もちろんだ」
「じゃあ」
とソフィアは言った。
「シオンにも同じ事が言えるな」
「……」
おれはかなり情けない顔をしていたに違いない。
ちら、とおれの顔を見上げたソフィアがくっくっ、と笑った。
「その答えは龍皇を倒した後でもう一度聞くとしよう。諦めよ、天梁有樹。この我、ソフィア・プラグノヴァは最高の男しか欲さぬ。おまえがおまえである限り、我から逃れられると思うな」
悪戯っぽく笑うと、ソフィアはおれの胸に唇をあて、強く吸った。胸に残ったキスマークは誓いの証しだろうか。
なんというか、おれとしてはむしろ焼き印を押された家畜のような気分なのだが。
うちの学園のよいところの一つに、むやみに広大というのがある。
何しろ幼稚園から大学院、研究所まで一通りの物がそろっているし、そこに通う児童・生徒・学生はほぼ全員が良家の子女で大金持ちだ。お忍びというのが習い性になっている連中も多い。
だから、魔術など使わずともこっそりと中に入る事ができる。マスコミが押さえていない出入り口というのが幾通りもあるのだ。
そして中に入ればそこは別世界である。
女生徒がさんざめき、男子がつるんでバカをやっている。
もう見られないのではないかと思っていた日常がそこにあった。
「どうした、有樹」
「ん、あ。いや、あまりに普通なんでな」
何しろ千年前から上流階級というような血筋の連中がいるところである。
アメリカを三ヶ月にわたって支配した女の子がいても。
その女の子との魔術の戦いが全世界にTV中継された男子生徒がいても。
うわべだけにせよ、学園の雰囲気は変わりはしない。
さすがに敬して遠ざけるという感じで声をかけるやつは──
「おぉい、天梁、プラグノヴァ。おまえら二人、出席日数が足りてないぞ」
担任の伊藤先生がいつものやる気なさげな調子でおれ達に話しかけてきた。
「あ……先生」
「田所にも言っておけよー。学校来ても授業でないなら単位はやれんからなー」
「了解した」
ソフィアがうなずいて答える。
「これ以上休むようなら追試だからなー」
それだけ言って伊藤先生はぶらぶらと校舎に入っていった。
ときどき思う。
人間というのは実にあなどれない。
田所が占拠している大講堂は相変わらずの喧噪に包まれていた。いや、さらにヒートアップしている。前が『空軍大戦略』の防空指揮所だとすると、今は『ウォーゲーム』のNORAD=North American Air Defense Commandに進化していた。NEC製のスーパーコンピュータが鎮座してある。
そしてそこでマキトリック博士役をしている田所は相変わらず元気満々だった。
「よう」
右手はないので左手をあげて挨拶をする。
「右手はどうした」
「吹っ飛んだ」
「いや、それはテレビで見た。きっと魔術で600万ドルの男になって帰ってくると思ってたんだが」
今の為替レートではえらく安いな、おい。
「それは固辞してきた。で、頼んだ事はやってくれたか」
「おう。さっきからお待ちだ」
「お待ちって……」
「あちらの方ではないのか、有樹」
興味深そうな表情で涼子の説明を聞いていた(何しろ何代にもわたってそういう仕事をなさってきたのだ)年配の男性がこちらを見た。柔らかな笑顔を浮かべる。
「こんにちは」
日本国憲法第一条に定められた日本国の象徴であらせられるところの、まあつまり。
天皇陛下がそこにおられた。
「どうも」
おれは頭をぺこりと下げた。
天梁家は今から1300年前に百済から亡命してきた帰化人の家系である。百済の前は中国に1000年ほどいたらしいがさすがにそこまでは家系を辿れない。5000年前の天界と龍族の戦争がメソポタミアの方であった頃にはそこにいたはずなので、協会の連中と戦いながら東へ東へとシルクロードをたどって西域から中央アジアへ、そして流れ流れてどんずまりの日本にたどり着いたのであろう。魔術師というのはいろいろと金もかかれば人手もいる。ましてや天梁は龍の守護者として遺産を相続していた。だもので、この国にやってきたご先祖様はてっとりばやく地位を得るために幾つかの珍しいアーティファクトを時の大和王朝に献上していた。
「なるほど、大海人皇子に献上した文物を一つ、返して欲しいと。そういうことですか」
おれの話を聞いてふむふむとうなずいた陛下はそう言った。
「なんかこう、めんどくさい事になりそうなんで他もいろいろとあたってみたんですが、意外と協会の連中は物持ちが悪くて。いやまあケンカばかりしてるせいなんですがね」
「好奇心から聞くのですが、大友皇子でなかったのは?」
「大海人皇子は魔術に興味をもたれていましたからそれつながりで。それと勝てそうな側についたというのもあります」
大海人皇子、すなわち後の天武天皇は兄である天智天皇の息子から大王(おおきみ)の地位を武力でもって簒奪したのである。日本書紀に詳しく記されている西暦672年の壬申の乱だ。
「その時の戦いに天梁家も参加されたのですか?」
「魔術師は世俗の戦いに介入せぬのが原則です。……というのは建前で、それなりの武功はあげたみたいですが。当時は協会も今ほど組織化されていませんでしたから東の果ての蛮族の内紛など……ああいや、失礼しました」
ソフィアに肘でつつかれておれは謝った。
「いえいえ。当時の我が国と大陸の関係を考えればバルバロイ呼ばわりも理にかなっています」
田所が不審そうな顔をした。
「私がこういう事を言うとおかしいですか?」
「あ、いや。そういうわけでは」
「私は自分からこういう政治的な発言はしない事になっていますからね。しかしあなたの言う通りだとすると、少しは正直になってもいいのではないかと、そう思いまして」
「では」
「いいでしょう。あそこは鎌倉時代に盗掘にあいましたが、問題の品は大きすぎて盗まれていないのは確認してあります。それが文字通りの意味の物だとは思いませんでしたが、お返しいたしましょう──」
奈良県明日香村野口の陵墓。
そこにある副葬品。
「──天鳥船(あめのとりふね)を」
「なななななななななななな」
「『何をする』と言いたいわけだな」
「そそそそそそそそそそそそ」
「『そうだ』か」
思いっきりこくこくとうなずくお爺さん。
そのお爺さんが震える指で示す先には、20台ばかりの重機と300人近い人間が作業をしていた。
「見てわからぬか」
陛下の許しを得て3時間後。
「墓をあばいておる」
えへんと腕組みをして威張るソフィアの前でさしわたし40mあまりの丘が一つわやくちゃにされていた。
とうとう腰がぬけたらしいお爺さんはへなへなとその場に座ると両手を合わせて拝みはじめた。
「安心しろ。持ち主の許諾はとってある。なんなら宮内庁に確認してもらっても構わん」
それを聞いたお爺さんは抜く手も見せずにしゅぱっと携帯を取り出してメールを送りはじめた。おお、目にも止まらぬ指さばき。
「許可をもらえばいいというもんでもないんだろうがなー」
緊急事態であるから勘弁してもらおう。
「ところで有樹。日本のエンペラーの墓というともう少し大きな物を想像していたのだが」
「これが出来た頃は古墳時代も終わりだからな。7世紀末だ」
「そうか。ご老人、上空から見たがここらにはもっと古いのがまだたくさんあるではないか。安心して欲しい。壊すのはこれ一個だ」
安心できないと思うぞ。
「ソフィア、そういう言い方はよくない」
おれは首を左右に振った。
「これで見つからなかったら手当たり次第やる事になる。一個とは限らない」
おれたちの周囲では。
そこらの道路からあふれんばかりに──あ、今一台あふれて田圃を突っ切っていった──走り回る重機の群れが地響きをあげて他のめぼしい古墳へと突っ走って行く。田所が奈良県だけでなく近畿一円から手当たり次第にかき集めた重機と土建屋さんの大集合である。
もちろん金は使った。だが、男が仕事に熱意を燃やすにはもう一つ重要な要素がある。
「諸君らの仕事は一つ。ここでごちゃごちゃしている墓をあばくことだ」
集められた中小から大手までの土建屋の幹部を前に田所がそう言ったとたん。
「おお」「ほんまか」口々に話す言葉は抑え気味でありながら熱く。
「金と人手に糸目はつけない。昼夜兼行、休みなどないと思え。そして奈良県から古墳という古墳を更地にしろ」
「うおおおおおおおっ」
ごついのやら細いのやら、若いのやら年寄りやら。だが彼らに共通しているのは全員が飯場の人間だということだ。
「このおっちゃん達はな。いや日本中のおっちゃん達はな。いろんな物で牙を抜かれて去勢されてきた。きれいに。エレガントに。いちいち熱くなるなってな」
後で田所がおれに言った。そして吐き捨てるように続けた。
「バカいえってんだ。男は熱くなってなんぼだ。むちゃな仕事をやらせろ。無理難題を押しつけて。うだうだ言わずにそいつをやれと言え」
「失敗するかも知れないぞ」
「ならば失敗させろ。泥にまみれさせ汚水にぶちこめ。そうすりゃ、牙を取り戻す。男はな、牙を持たないとダメなんだよ」
交通整理はうちの学園の女子有志一同が行っている。むろんまだ何がどうなっているのか分かっていない地元の人々やお巡りさんが抵抗しているが、うちの女子の敵ではない。彼女らが着ているのは婦人警官の服をベースに『美妙』にデザインされた『カエアンの聖衣』である。男の抵抗力を極限まで受け流し、こちらの強制力を軽いおつむに叩き込む魔法の服だ。大学の服飾心理学で研究している九頭竜先輩入魂の作品である。チョイスは田所の趣味だろうか。ちなみに九頭竜先輩と田所は前々から顔見知りで紫苑とソフィアの写真(いつ撮ったのか紫苑はメイド服で竹箒。ソフィアは体操服であった)を見て、「これの原型は臼井さんで──」とか「次の夏までにはGKを──」とかよからぬ相談をしていた。
どうでもいいがこの男、ほっとくとラグナロクが終わった頃には世界を征服していそうなんだが。おれが最初にわたした金って動産いれても1000億円いかないだろうにあれだけばんばん使って尽きた様子がない。というか、増えてやがる。さっきゼロを計算したら2つか3つ増えていたようないなかったような。
「得難い戦友だな、有樹」
実にソフィアらしい田所観である。
「ああ、友として頼むに相応しい」
すでにとっぷりと夜は更けている。重機の動きは一段落しているが、ここからは人海戦術で中の物をひっぱりだす必要があある。
そしてここで見つからなかった時のための事前準備作業も行われている。つまり専門家を連れてきて中の様子を推測してもらい工事を円滑にすすめようというのだが、その前の打ち合わせの作業があまり円滑ではない。
「何を考えているっ! そんなでかいシャベルで穴開けるなど言語道断!」
怒鳴る大学の先生。
「やかましいっ! 納期優先だ。モノさえ傷つけなきゃ後はどうなろうがかまわねぇ」
叫ぶ工事監督。
「そんな事は天地が許しても」
「宮内庁と陛下は許してくれたぜ」
「役所や形骸化した君主などに畏れ入る私ではないわ。この私が許さんといったら許さんのだ」
「おい、誰かこの先生を家まで送り返せ。他の先生呼べ、他のぉ」
茶髪の兄ちゃんが二人、大学の先生をつまみあげようとしたその時、
すっ、身体を縮めた先生の身体が小刻みに左右に揺れ、いや、これは──円運動を──
「ああん、なんだじいさん」
一人が手を伸ばしたそれをかいくぐり先生の身体がぎゅぎゅぎゅぎゅと茶髪兄ちゃんの内懐に入り込む。
どどどど、どがっ。
「ごあああっ」
茶髪兄ちゃんは吹っ飛ばされながらも何が起こったのか最後まで分かっていなかっただろう。
「ほう、デンプシーロールたぁ懐かしいな」
工事監督のオヤジがうれしそうに残った茶髪兄ちゃんを押しのけて上着を脱ぐ。
「そういうおぬしは柔道家だな」
「おう、講道館だ」
対峙する二人。若さと体力では工事監督だが、大学の先生のあの身のこなしも昨日今日の物ではない。
「いいのか田所、あれほっといて」
「うむ。ほっとくのもまずいな。泉堂」
「はい、田所さん」
「あの戦い。勝手に賭けがはじまってるんでこっちで仕切れ」
「了解です」
きびきびと動く後輩を見送ってからもう一度問い直す。
「そうじゃなくて、戦わせてていいのかって事だ」
「あれが一番速い。あっちじゃ麻雀はじめやがった」
世の中ってもうちょっとまともだと思ってたんだが。いやおれは魔術師だから例外だけど。
「あったぞぉっ!」
最初の叫びが聞こえたのは深夜を回ろうかという時間だった。
ありがたいことに最初の一発目でどんぴしゃである。
「船というからにはボート」
「で、天鳥船という名前からはロケットや飛行機型も予想していたのだが」
まさか絵図面までは記録に残っているはずもなく。
いや、さしわたし10mの古式ゆかしいアダムスキー型UFOだとは正直おれも予想外だった。
「動くのか?」
「試してみよう」
おれはまだ泥がこびりついたUFO──こいつを天鳥船などという名前ではなんか呼びたくない──に手を触れた。起動呪文を唱える。
ぶ……ぶ……
「おおっ?!」
「こいつ、動くぞっ?」
周囲から驚きの声。そりゃまあそうだろう。おれもこんなもんが動くのは今ひとつ釈然としない。
しゅか。丸い円筒部分の窓のような物が広がり、楕円形の穴になった。入り口らしい。
「入るか」
「うむ」
おれとソフィアが入ると、中は乳白色の壁と天井と床。他に何もない。元が精神生命体である天使や龍には目に見える操縦装置は不要というわけだろう。
「念をこめれば動くようだな。それほど多くの魔力は消費しないようだ」
「そうだな、ちょっと動かしてみよう」
おれは念じてみた。
ふわり。
UFOはその名の通り空飛ぶ円盤となった。
「おー」「はー」
まったくの無音で5mほど浮かぶ。周囲からは驚きの声があがる。
「こんなもんか」
まだ空いたままの扉から下を見ておれは呟いた。
「? 何がだ?」
そういってソフィアが一緒にのぞきこむ。
おれはそのソフィアをぎゅっ、と抱き寄せた。
ソフィアの白い肌が上気すると、とてもいい匂いがする。おれは金髪に顔をうずめてその匂いをかいだ。
「あ……有樹? どうしたのだ?」
「最近、ソフィアのおれの呼び方がなんか変わったよな」
「そうか? 自分では特に意識してないが」
「聞いていて、すごく耳に心地いい。呼んでくれないか」
「う、うむ。有樹」
「もう一度」
「有樹」
「もう一度」
「有樹」
「うん。これでいい」
そしておれは、とんっ、とソフィアを空飛ぶ円盤から突き落とした。
「どっせい」
この間に準備していた田所たちがソフィアをシートで受け止めた。
ソフィアは時間を無駄にしなかった。がばっ、と起きあがるなり風の魔術を発動させて浮かびあがろうとする。
「風龍。最後の頼みだ、ソフィアを護ってやってくれ」
『おまかせあれ』
それがおれが風龍の言葉を聞いた最初で最後だった。風の龍がソフィアの魔術を妨害し地面に縛り付ける。
「じゃあ行ってくる」
「てめぇとはもう友人でもなんでもない、さっさといっちまえ馬鹿野郎」
にこやかに笑いながら田所がおれを罵倒した。
「許さん! 許さんぞ有樹!」
ソフィアは、ああ、怒った顔も本当に可愛い。
「ごめんソフィア。ごめん田所。なんていうのかな、お前達がこっちに居てくれた方がおれはなんとかなりそうな気がするんだ。で田所、一つ頼みがある」
「言ってみろ」
ぱちん。田所が指を鳴らした。
がしゃがしゃがしゃがしゃ。
田所の背後にいた8人の女子生徒たちがいっせいにこちらに向けてスティンガーミサイルを構えた。下手なことを言うと撃墜するつもりだろう。それにしても、後ろに人がいるって。後ろの連中も逃げろよ。
「うちの屋敷、建て直しておいてくれ。元通りに。それとソフィア」
がるるるる。歯をむきだしにして威嚇するソフィア。
「建て直されたら屋敷にいてくれ。必ず帰るから」
「……約束だぞ」
「約束だ」
そしておれは空飛ぶ円盤の壁面を閉じた。
クリーム色の壁はのっぺりとして何も映し出さない。何をするにも念がいるらしい。
「さて行くか」
“どこへ?”
空飛ぶ円盤が聞いてくる。
「決まっている」
おれは答えた。
「紫苑のところだ」
“承知した”
頭上に浮かんでいた空飛ぶ円盤の入り口が閉じた。
そしてしばらく浮いていたが、突然、消えた。
音もなく。
風もなく。
ただ姿だけが消えた。
「行った」
「そうか」
風龍がしゅん、とソフィアの身体に刻まれた。
「最後の宝貝まで手放して……くそっ」
風龍と雷龍は協会との長の戦いで疲弊した天梁家が千年前に龍族から賜わったいわば戦闘では最強系のアーティファクトである。いわば天梁家のシンボル的な存在だった。有樹はそれを手放した。
その意味を。
「……っ!」
ソフィアは唇をかんだ。
「一ヶ月だ」
田所が指を一本たてて言った。
「え?」
「屋敷を一ヶ月で建て直してやるよ。完全に元通りに」
「うむ。ならば私も約束を守ろう」
「天梁は大馬鹿だが約束だけは……ちょっとルーズだったが……まあ、男が絶対に守らないといけない約束というのは心得ているやつだ」
「田所よ」
「ん?」
「お前は本当にいい男だ。残念ながら二番なのだが」
「一番は誰だい?」
「決まっている」
ソフィアは唇に笑みを──浮かべた。
「大馬鹿者だ」
おれはなにもない空飛ぶ円盤の中に立っていた。
何の衝撃も音も揺れもなかった。
“敵だ”
だからそれはほとんど不意打ちであった。
がごっ!
天井から入って。
床から抜けるまで。
刃が、奔った。
ただ一太刀。
それで、アダムスキー型UFOはきれいさっぱり半分にちょん切られたのである。
二つに分かれた空飛ぶ円盤から外が見えた。どうやら戦闘に巻き込まれたらしい。
違う。戦闘が一直線におれを襲ったのだ。
二つに割れ、地上へと落下していく空飛ぶ円盤。むろんおれも同じように自由落下。
その自由落下を無視するかのように薙刀を持った少女が一人迫ってくる。えらく古式ゆかしい格好である。
「しつこいわねっ!」
薙刀の少女がおれを見て叫んだ。
「誰だおまえは?」
「誰? ですって、なに寝惚けてるのよっ!」
ひゅんひゅんひゅん。常人の目にはただの白い光としか見えぬ速度で薙刀がふるわれる。
どの一撃も、当たれば死ぬ。
死ぬのはイヤなので避ける。空中で避けるのはちょっとコツがいる。
「くっ。やるわねっ」
ひゅんひゅんひゅんひゅん。刃がよりスピードと重みを増して宙を疾走する。の、だが。
だめじゃん、こいつ。
「なんで! なんで当たらないのよ!」
「なぜかというとだな」
避けながら解説までできる。と、足がようやく地面についた。少女もまた着地する。
「敏捷性は十分」
「む」
「膂力も女の子としてはずば抜けている」
「むむ」
「いかんせん、技が二流。ろくな師匠についてないだろう?」
「木膳さまを馬鹿にするかっ!」
繰り出されるはそれまでで最高の一撃。
だが、及ばぬ。
「そうじゃなくて」
おれは自分から一歩踏み出した。薙刀の柄に手刀を叩き込む。
が、がらん。
薙刀が少女の手を放れ、濡れた黒っぽい地面に転がった。
はて。
それにしてもここはどこだ。草木が生い茂って今ひとつ視界がよくないが、なんか異様に親近感のある風景なのだが。既視感ではない。もっと肌の感覚に近い。草が、木が、その生えている具合。
それらすべてを、すべて知っている。
「くうっ」
「そこまでだ。下がりなさい紫苑」
「……は?」
「木膳さま!」
「え? 誰が?」
「木膳さまに決まっている」
そこには和服姿で髪が長い、20代半ばほどの男が長い日本刀を持って立っていた。
「いやそっちじゃなくて、きみ」
「はぁ? さっきからヘンだぞ、おまえ」
むぅ、生意気な。
「魔術師よ、名前を聞こう」
「天梁有樹。それで、だな……」
「ななななな、なんですってぇっ!」
「ほう。なるほどな」
「なるほどなって、木膳さま、こいつを知ってるんですか? まさか弟とかっ?」
「いや知らぬ。知らぬが、紫苑の技をことごとく避けてみせた動き、まぎれもなく天梁の者」
「協会の罠でしょうか」
「かもな」
「そっちで納得されてもこっちはちっとも納得できないんだが。えーと、だからそっちのチビが」
「チビじゃなーいっ!」
130cmほどで何を言っているのだか。
「私は紫苑だ!」
「あー、それで。あんたが」
「天梁木膳だ。まいる」
す、と木膳が間合いを詰めた。ぞくり。背筋が震えた。死んだ叔父とそっくりな動き。
間違いない。
間違いなく。
こいつは。
こいつも。
天梁だ。
「あのバカUFO! 人をどこに連れてきたんだっ!」
落ち着け、天梁有樹。
並行宇宙か、それとも──
しゅん。
木膳の刃は紫苑のそれよりもはるかにゆっくりで、それでいてまったく隙がなかった。
前に踏み込もうが、後ろに下がろうが。上も下も右も左も。すべてが死につながる。
ちぃぃぃん。
おれは学生服の袖に入れていたクリスナイフを引き抜き、刃を受けた。
「やはり天梁の者か。唐の国に生き残りがいたのか。いや今は宋か」
うわ。
わかっちゃった。
並行宇宙ではなく、いや並行宇宙かも知れないが。ここは──
「ぜっ、ん、ぜん違う時代じゃないかぁあ!」
「む?」
おれの叫びに木膳はいぶかしげに眉をひそめ。
こっちの世界の紫苑は「やっぱりこいつヘンだ」という顔でおれを見た。
「なるほど、後世では今は鎌倉時代と呼ばれているわけか」
どうやら琵琶湖の近くらしいこの世界での天梁家の屋敷の中でおれは板間に座って木膳に事情を説明した。どうやらおれは協会との戦いの直後に出現したらしい。
「木膳さま、こいつウソついてますよ。鎌倉なんてあんなん田舎ですよ。なんで鎌倉時代なんですか。やっぱり協会の刺客です。殺しましょう」
「じゃりチビは黙っていろ」
「またチビって言ったぁあ! あたしは紫苑だって言ってるでしょうが!」
「だからっ! その名前はおれ的に却下だっ!」
「まあ待て。有樹の言う事は本当だろう。立ち会って分かった。あの洗練された動きは決して『今』のものではない。さらに千年近い研鑽を積んだ末に生み出されたものだ」
「いや、あなたもたいしたもんです」
「たいしたもの? 私はあれが限界だが、きみがまだまだ本気でなかったのは私にも分かったぞ」
「そんなことないですっ! 木膳さまは最強ですっ! こんなやつバラバラにして……」
「紫苑」
静かな声。だが、その一言で少女は見る影もなくしょげかえった。口を閉ざす。
「だが異なる時代、異なる世界であっても君も天梁の当主ならば、遺産を守る責任がある。それを放棄しているのはどういう意味か」
その声にはウソや言い逃れを許さぬ厳しさがあった。
だからおれは正直に答えた。
「遺産よりも大事な物があるからだ」
「なんだと?」
「紫苑だ」
「ええええええええええええっ?!」
少女がすっとんきょうな声をあげた。一々オーバーなやつである。
「いやチビじゃなくて。おれの世界の紫苑」
「女か」
木膳の目が険しくなる。
「女の子だ」
「確かに君は異なる世界の人間だな。天梁の当主が遺産よりも女を選ぶとは」
その遺産と紫苑はえらく強烈に結びついているのだがそれは黙っておいた。何しろ天梁は『龍の守護者』だ。これから龍皇と一戦まじえるつもりだとはとても言えない。
「いずれにせよ夜も遅い。家の者に寝間を用意させよう」
遅いと言われてもまだ8時ぐらいだが、時代というものであろう。きっと朝は死ぬほど早いに違いない。
一汁一菜の食事をすませ、ぺっらぺらの布団に寝る。
むろん、すぐには眠れない。いろいろと考える事があったし、第一。
「いったいぜんたい寝首でもかくつもりか、おい」
クリスナイフを天井に投げる。やすやすと突き刺さる。
「わ」
こっちの世界の紫苑が天井裏に隠れていた。
「え……えっとね。話が……あって」
下に降りてきたこっちの紫苑はしばらくもじもじとしていたが、ようやく口を開いた。
「あ、あんたの世界の紫苑って、どんな人なの?」
「それを聞いてどうするんだ」
「う」
「……まあいい。ええっとな、おれの身の回りの世話をしてくれる女性で、おれを守ってくれる女性で……ああっ! 違うっ!」
おれは頭をがりがりとかいた。
「すごく優しい女の子なんだ。いつも無表情だけど、時々みせる微笑みがすごく可愛くて、おれはそれを見るととても幸せになるんだ」
「素敵な人なんだ」
「約束、したんだ」
「約束?」
「むかし。どっちも子供の時。紫苑を自由にしてあげるって。まだおれはその約束を果たしていない」
天梁から紫苑を自由にする。おれが龍の守護者だとしても。遺産の継承者だとしても。紫苑には重荷を背負わせたくない。
「これから紫苑は自由だ。どこに行っても。何をしてもいい」
紫苑はおれが当主となって言った最初の命令にこう答えたのだ。
『わかりました。では私は自由に行動させていただきます』
そして叔父にしたように、メイドとしておれに仕え続けたのだ。
「おれの何が不足していたのか分からない。けど、絶対に──」
神妙な顔でおれのその話を聞いていたこっちの紫苑はじーっとおれを見て言った。
「あんた、バカ?」
「どういう意味だ」
「わかってない。ぜんっぜんわかってない」
「だからどういう意味だ」
「あたしが言ってもダメ。こういうのはね、自分で気づかなきゃダメなの」
おれは頭をめぐらした。
あの時の、紫苑の悲しそうな、そして責めるような表情。
「……わからん」
「ま、なんにしても今のあんたじゃダメよ。この世界から出て、もしも会えたとしてもぜんっぜんダメね。そっちの紫苑に同情しちゃうわ」
「チビが生意気に」
「チビって言うなあ!」
「こら、大声だすな」
「あたしだってもう14才なんだから。もうお姉ちゃんはみんな結婚してるし」
おれは頭をかかえた。
「どうしたの?」
「いや、その14才と結婚にはいやな記憶とつながっているんだ」
ロシアでは14才で結婚できるんだが、その資格が女の子が妊娠していることで……
むろん、ソフィアは狙いまくっている。
「まあ、おまえみたいなのはさっさと誰かと結婚した方がいいんだろうな(むろんおれは除く)。で、相手は誰だ?」
ずぼん。
こっちの紫苑の顔が真っ赤になった。
「わ、あ。た、たた、たたた」
「木膳か」
「そんなわけないじゃないっ! 木膳さまが私なんかにっ! 無理っ! あたし拾われっ子で親わかんないし。字間違えるし、粗相ばかりしてるし、こないだ、大事な書を薙刀でばっさりやっちゃったし、せ、戦闘は得意だけど、あんたにはまるで勝てなかったしっ」
「でも、好きなんだろう?」
こっくり。
「木膳さまお優しいから、もっと腕の立つ護衛がいるのにあたしをおそばに置いてくれているの。だから木膳さまを守るのがあたしの仕事」
「ああ……それで……」
突然。 近い。
殺気。
魔力。
魔術。
位置。 宝貝。
疾走。
分析。 五行。
何よりむかしなじみの感覚。
「風龍か!」
木戸を断ち切り、駆け抜けざまに風龍がかまいたちを乱舞する。回転する真空の刃は一点へと集約する。
おれはチビ紫苑の頭を掴むと床に押しつけた。
「きゃあ?」
「腹這いになれっ!」
何も口答えせずにこっち紫苑がぺたん、と木の床にはりつく。
「どりゃぁあああ!」
おれはかまいたちではなく、風龍のエナジー・コアにクリスナイフを突き立てた。ばちばちばちばち。魔力が放電現象を引き起こし、光が爆発的に広がる。
かまいたちがコントロールを失い、部屋のあちこちに突き刺さる。木くずの破片がまるで爆発のようにおれとチビ紫苑を襲う。チビ紫苑は伏せているので無事だ。
こんころん。
風龍のエナジー・コアが床に転がった。これで一ヶ月は動かないだろう。
おれはクリスナイフを投げ捨てた。こっちはもう使えない。魔力を防ぐクリスナイフといってもその静電容量には限界がある。
おれは半分壊れた木戸を蹴破った。
広いがちっとも洗練されていない庭。
立ち待ち月の下に、その男は刀を持って待っていた。
「なんのつもりだ」
男は答えない。
「なんのつもりだ木膳っ!」
「木膳さまっ?」
「下がってろっ!」
「なによっ、あたしに命令していいのは木膳さまだけなんだからっ!」
「わかってないのかおまえ! その木膳なんだぞ! おまえを殺そうとしたのはっ!」
「!!」
息を飲むチビ紫苑。
「そうだろうが、木膳」
風龍のかまいたちはすべて、チビ紫苑を狙っていた。
「そうだ」
天梁木膳は素直にうなずいた。
「なぜだ。おれを狙うのなら分かるが、なぜ紫苑を狙うっ」
「おまえに、天梁家当主の覚悟を見せるためだ。天梁家当主は遺産を守らねばならぬ。家中の者すべてに己が身代わりに死を命じてでも、自分一人は生き延びて遺産を継がねばならぬ。それが天梁だ」
「けっ。原理主義者か。まったく」
おれの悪態にも木膳、微動だにせず。
「紫苑。私の命だ。死ね」
「はい」
チビ紫苑が細身の剣を引き抜き、自らの胸へ突き立てる。
どすっ。
鋭い刃が肉を抉った。血が噴き出す。
「む?」
「あんた……」
「木膳よ。あんたが本気なのはよくわかった」
チビ紫苑の胸をかばったおれの左腕に、深々と短剣が刺さっていた。だくだくと血が流れる。
「今度はおれの本気をみせてやる」
「来るがいい」
息を吸う。
止める。
足を踏み出す前に、ちらりとチビ紫苑を見る。すがりつくような瞳で、おれを見ていた。
その視線を振り切り、おれは己を一個の戦闘機械と化した。
一陣の風となり、踏み込む。
「させぬっ」
木膳が刀を持ち上げる。当たり前だが間合いは刀の方が長い。いわゆる「剣道三倍段」というが、実力が伯仲しているなら武器の間合いは大きく影響する。アザンクールで戦ったフランス騎士なら一も二もなく同意してくれるだろう。
アザンクールの200年ほど前だが、木膳もそう思っただろう。実際、初見の時におれは木膳の打ち込みをクリスナイフを使って防いだ。
「はあっ」
気合いと共に木膳が打ち込む。
ばきん。
「なにっ?」
鎌倉時代の日本刀といえば、芸術的な美しさと共に実用性を兼ね備えた一級品だ。
だから心が痛まなくもなかったが。
おれは木膳の刀をへし折った。
むろん素手ではない。
回し蹴りでだ。
「くっ」
木膳が刀を投げ捨て、宝貝を起動させようとする。おそらくは雷龍。
だが遅い。
動きを止める事なく二発目の回し蹴りを放つ。バックステップしてそれをかわす木膳。すかさず雷龍を呼ばんと指を組む。
その指が。
ばらばらに千切れて宙を舞った。
続いて血しぶきが宙に噴き上がる。
おれの回し蹴りが生んだ真空の刃が木膳を襲ったのだ。意趣返しである。
「ぐっ」
「天梁の当主をうんぬんするのなら、風龍なしでもかまいたちぐらい出してみせろ」
さらに三発目の蹴りの体勢。これで木膳の首が飛ぶ。
「だめぇえっ!!」
チビ紫苑が叫び。
どすっ、と重い物が地面に落ちる音がした。
「なぜだ」
すっぱりと切り落とされた太い枝の断面を見ながら木膳が言った。
「それはこっちのセリフだ。なぜだ?」
「何がだ」
「さっきの一刀、最初の時とはまるで違った。何を考えていた。そもそもこんな事をして何がしたかったんだ」
「……」
木膳は答えない。
「木膳さまのバカッ!」
声は後ろから聞こえた。
振り返るとチビ紫苑が泣いていた。
泣きながら木膳に駆け寄り、抱きつく。
笑い、怒り、泣く。
(違う)
おれの紫苑と比べてその在りようは驚くほどに違っていた。
笑ってほしい。
怒ってほしい。
泣いては……ほしくないけど、悲しいならそう言ってほしい。
でなければわからないから。
わからない、から。
「あ──」
わかった。
「比べたのか、あなたも」
チビ紫苑に手当てされる木膳を見下ろして、おれは小さく呟いた。
「そうだ」
木膳の呟きもまた、小さかった。
未来から来た天梁が、遺産よりも紫苑を選んだと聞いて。
自分なら、どうするだろうかと。
遺産を選ぶか。
紫苑を選ぶか。
手を止血してもらった木膳が、チビ紫苑を抱きしめた。
「ききききき木膳さまっ?!」
「私もまた、私の紫苑を選ぶ」
「えええええっ?!」
「だがそれは天梁の当主として許されない事だと思った。お前がいなくなれば、お前をこの手にかければ、私は再び天梁の当主に戻れるかとも思った。愚かだった。遺産と何かを比較した時点で、天梁の当主としては失格だったというのに」
「そいつは違う」
木膳と紫苑がおれを見上げた。
「遺産よりも大事な物がない者に、天梁の当主はつとまらない。だってそうだろう? 何のために遺産を守っているんだ。遺産が使われたら大事な人が危ないからだろうが」
「なるほど。それで分かった──遺産が使われたのだな。有樹の時代で」
おれはうなずいた。チビ紫苑に向かって言う。
「おれの時代の紫苑に会ったら言うよ。大好きだって。遺産も天梁も何もかもなくしてでも、一緒にいたいって」
言わなければ。
口にしなければ。
わからない、から。
チビ紫苑が涙を拭いながら笑った。
「それでいいと思うよ。きっと、待ってると思うよ」
「紫苑、そこの長物をとってくれ」
木膳が地面に転がっている包みを示した。
「あ、はい」
「有樹。受け取ってくれ」
チビ紫苑からおれは布に包まれた細長い物を受け取った。
「これは──」
「きみにこそ、必要な物だろう」
「ありがたく頂戴する」
“そろそろ準備は良いか”
突然、脳裏に声が聞こえた。アダムスキー型UFOの声だ。
「あ、おまえ? まっぷたつにされたんじゃ?」
“移動の途中であったゆえ、残りの力を汝の中に転移させる事に成功した”
「今まで何をしてた」
“座標軸を再固定するのに手間取っていた”
「しれっと言うんじゃない。さっさと紫苑の所へ行け」
おれは悪態をつくと、きょとんとした顔の木膳とチビ紫苑に向き直った。
「そろそろ出発の頃合いのようだ。それじゃあ木膳、紫苑。幸せにな」
「ああ」
「そっちの紫苑にもよろしくね」
そしておれは光に包まれ、
「消えた」
有樹は光に包まれたかと思うとふっ、と消えた。
「木膳さま」
「うん?」
「私も言いますね。木膳さまが大好きです。ずっとおそばに置いてください」
「ああ、約束する」
木膳は再び紫苑を強く、強く抱きしめた。
おれが転移した先は、ばかでかい通路だった。
正面、5kmほど先に扉がなかったら、ここが通路だとはわからなかっただろう。高さ300m、幅400mのアーチ状の通路は、通路というよりはドーム球場か何かを思わせる。
主の性格なのか、壁にも天井にも装飾らしいものは何一つなかった。壁や天井から柔らかな光が放たれ、白い色と相まって雲の中にいるような気分にさせられる。
「天梁の当主よ。ここから先へ通すわけにはいかぬ」
おれと同じくらいの年代に見えるメスティーソの少年が冷たい目を向けて言った。
「さよう。龍皇さまに直接お目もじがかなうのは我ら龍族のみ。たとえ龍の守護者といえども人の身で朝見はかなわぬと思え」
長い緋色の髪をたらした北欧系の少年が続ける。
他にも、通路にはずらりと百人ばかりの見目麗しい少年、青年が正面の扉へ向けて、等間隔に並んでいた。衛兵というわけか。むしろどこかのアイドル・タレントの養成所かと思ったね。
いずれもダウンロードされた地球人だが、その金色に輝く瞳を見ておれは溜息をついた。
こいつらは、日本に隠れ住んでいた少女と龍とは違う。人の意識と共存しようなどとはこれっぽっちも考えていないやつらだ。
この通路にたゆたう気の感触でわかった。こいつらの元となった人間はすでに食われてしまい、人としての抜け殻だけがここに並んでいるのだと。
「さあ、早々に立ち去るがよい」
「今ならば見逃してくれようぞ」
龍どもの笑いが、さざなみのように通路に広がった。
おれは左手に持った細長い包みを肩にかけた。
「無用な戦いはしたくない。通してくれ」
「はっ、なにを──」
おれの一番近くにいたメスティーソの少年が笑い声をあげようとして、失敗した。
「さっさとすませたいんだ」
人にダウンロードし、その人間を食らった龍どもに正直あまり怒りは感じなかった。こいつらはそれが当然だと考えている。
思えば、哀れな──
「なんだ貴様。なんだその目は。獣の分際で我ら高貴なる龍を愚弄するか」
「睨清。おれにこいつの始末をさせてくれ。このような侮辱、断じて許すわけにはいかん」
「おう、思う存分にやれ」
「よし。では、この殻を脱ぎ捨てるとしよう」
ばりっ。
少年の皮膚が縦に裂けた。
ばりばりばりばりばり。
そこから出現したのは、まさしく龍。100m近い長大な身体をくねらせ、黒い鱗を光らせたいわゆる『東洋風』の龍である。
龍がおれを見下ろして吠えた。
「これも遺産の力か」
「そうよ。ここに蓄積された魔力があれば、我らは人の姿を取らずとも現(うつつ)に顕現できるのよ」
「そうか。そいつは助かる」
「?!」
龍は、きょとんと目をしばたたいた。足元にいたはずの有樹の姿がない。
はらり。
白い布が、床に転がった。有樹が持っていた長物を包んでいた布だ。
「たとえすでに擬態であっても、人の姿をされていては心が痛むからな」
その声は、龍の眉間から聞こえた。
「なっ! 貴様っ?! いつの間に?」
「もうこの世にお前達の居場所などない。あるべき所へ還るがいい」
とすっ。
有樹の持った槍が、龍の眉間を貫いた。
ただの一刺し。
それだけで数万年を生きた黒き龍は、通路の天井にまで届く紅蓮の炎を巻き上げて灰となった。
「なんだ、貴様、何をしたっ?! その槍はなんだ?!」
「お前達のための槍だよ。龍を成仏させてやるための槍だ。それだけのために鍛え上げられた槍だ。聖ゲオルグ(ジョージ)の槍。すなわち──」
くるり、と左手一本で器用に槍を回転させて有樹は静かに言った。
「龍殺しの槍(ドラゴンスレイヤー)」
「ありえぬ!」
龍神が一柱、睨清が吠える。
「人の魔術師ごときがどんな魔力付与(エンチャント)をかけようが、我らの鱗一枚に傷を与えることなどできはせぬっ! そもそもが聖ゲオルグの竜退治など紛い物のクリーチャーを始末したおとぎ話にすぎぬ!」
「さてね。理屈などは知らんよ。だがな。この槍には多くの思いがこめられている。五千年前、たぐいまれなる天稟を持ちながら刃を龍の鱗にはばまれて命を落とした英雄の。恐ろしいバケモノに怯え暮らした市井の人々の。それを調伏するために立ち上がった老騎士の。その従者としてすべてを見届けた少年の──そうだ。この槍は今の今まで本物の龍をその穂先にかけた事などなかった。だが人々はこれを龍殺しの槍だと信じ、再び龍が禍をもたらす時にはこの槍が助けてくれると願った。その思いが、これを真に龍殺しの槍としたのだ」
「世迷い言をっ!」
通路に残る96柱の龍神が同時に吠え、人の殻を脱ぎ捨てた。
巨大な通路を塞がんばかりの威容が並ぶ。
「たとえそれが我らが鱗を貫くとしても、この間合いであればっ」
鈍い錆色の鱗をもった龍が口を大きく開いた。その奥にちらちらと赤い炎が瞬く。龍が放つ炎の吐息(ブレス)は鋼鉄をも溶かす。
「骨も残さず焼き尽くしてくれ──があああぁっ!!」
その口に吸い込まれるように龍殺しの槍が放たれ、喉を貫いた。
「なんと?」
「だが、奴は得物を放したぞ。今だ!」
赤銅に輝く鱗の龍が有樹へと飛びかかる。
有樹は左手をあげると静かに、だが力強く言った。
「来い」
どしゅっ。
宙を駆け、襲いかかってきた龍の胴体を貫き、粉みじんにしながら龍殺しの槍が有樹の手に戻る。
「残り94か。面倒だ。まとめてかかってこい」
ぞわっ。
龍が。天界を向こうに回して宇宙の覇権をかけた戦争をやってのけた龍が。
星々の歴史でいえば生まれたばかりの種族の、たった一人の少年に気圧されていた。
一体何が起きている?
なぜ我らがこのような目に遭うのだ?
その疑問が晴らされる事はなく。
殺戮が、はじまった。
龍皇は玉座に座り、じっと耳をすませていた。
玉座といっても、元からここにあった椅子ではない。ここは本来、龍がすまう場所。人間用の椅子などありはしない。
広い円形の部屋の中央にはとぐろを巻いた龍ではなく、紫苑=龍皇が座布団を一枚しいて正座していた。だからこの座布団が玉座ということになる。
龍皇は華美にも贅沢にも興味がなかった。欲しい椅子はこの世にただ一つ、天帝の玉座で、それ以外の椅子は座れればそれでよかった。
扉の外が静かになった。
ぎぃ……ぎ……
巨大な扉がゆっくり、ゆっくりと時間をかけて開いた。
いや、開いたというのは正しくない。扉の大きさから言えば隙間を開けた。その程度の事だ。
その隙間を通って。
ぼろぼろになり、血だらけの学生服姿で。
天梁有樹が入ってきた。
龍皇の唇に、わずかに微笑みが浮かんだ。
がぽ。
がぽ。
……がぽ。
あまりいい音ではない。ナチスではないが足音はもっと高らかに響く方がサマになっている。さもなければ無音か。
だが、流れ出る血をたっぷりと中に含んだ革靴は一歩進むごとに情けない音を響かせていた。
「ちっ」
玉座の間に入ったおれは軽く舌打ちした。
ここも龍サイズである。円形の部屋はさしわたし2kmはあるだろうか。その中央の床に、きらびやかな中華風の服を着た紫苑が座っていた。
1kmというのは会話をするにはちょっと遠い。
だからおれは足を引きずりながら一歩一歩、がぽがぽと足音を立て、血痕で床を汚しながら前に進んでいった。
紫苑の方も紫苑の方で、冷たい笑みを浮かべたまま、ただ黙って座っている。
足が重い。いや、足だけでなく体中が重く、寒い。すごく眠い。
それでもおれは一歩ずつ前へ進んだ。
むろん不満はある。何も重力まで地球と同じにする事はないだろうに。
ここがどこかは、龍皇の背後の壁を見ただけですぐに分かった。何かを投射した映像ではない。透明な材質の壁からは外がよく見えた。
冷え冷えとした砂の景色。黒と白の強烈なコントラスト。すべての生あるものを拒絶する風景。満天に浮かぶ星、星、星。
そして、星々を圧して浮かぶ、三日月の形をした、青い星。
地球である。
ここは、遺産。
ここは、月。
地球より38万kmの虚空に、おれは来ていた。
ずるり。
足が滑った。バランスを取る事もできず、それどころか受け身を取る事もできずに無様に床に転がる。
がんっ。
衝撃と、痛み。ああ、あんまり痛くないのはこれはそうとうにやばいな。
「どうした、そこまでか?」
冷たい声音で龍皇が言った。あきれ果てたという口調で。
どうも人間、半分死にかけていても見栄とは無縁でないようだ。
おれはどこから出るのか分からない力で無理矢理に上体を起こし、立ち上がった。
そして歩き始める。
がぽ。がつっ。
がぽ。がつっ。
がぽ。がつっ。
そうでなくとも情けない足音に、杖として使っている龍殺しの槍がたてる音が加わった。
38万kmと数百年の時を一瞬で超えておいて、最後の1kmで力つきたのでは笑い話にもならない。
それでもようやっと。
おれは紫苑の、龍皇の前に立った。
「よくここまで来た。天梁有樹」
にいっ、と妖艶な笑みを浮かべて龍皇が言った。
「やはりお前は私の物だ。そうなるさだめなのだ」
「前に言ったよな、紫苑は自由だと。天梁家からもおれからも自由だと」
「?」
「あれは取り消す。おれがお前の物なんじゃない。紫苑が、お前がおれの物なんだ。自由契約もフリーエージェント制度もないと思え。死ぬまでおれの傍にいろ」
「立場の違いというものだな。だが、最後の台詞にだけは同感だ。有樹は私の物だ。死ぬまで私の傍から離れる事は許さぬ」
おれと紫苑はじっとにらみ合った。
先に視線をそらしたのは龍皇だった。
「あれを見よ。あそこに浮かぶ地球を」
写真では何度か見た事があるが、この寂寥たる風景の中に浮かぶ生命の星は、たとえようもなく美しかった。
「3億年前、私の一族はこの船を作った。だが、船だけでは足りぬ。魔力が、天界すべてを敵に回すだけの圧倒的な魔力が必要だった」
「だから地球に来たのか」
「そうだ。この星は豊かな生命が、魔力を生み出す生物が生まれ出る可能性がきわめて高かった。それゆえに、天界はこの地に手出しができなかった。三億年前、天界の監視網をくぐりぬけてこの月を置き、天界との戦に臨んだ。むろんこの地に生まれる生き物を滅ぼしたりはできぬさだめであるから戦いは協定に縛られた長い物となった。その間に、龍族は少しずつ進化に介入し、魔力を持つ生き物が生まれるのを待った。そして人が生まれた」
「魔術の力は月と密接に関係している。なんとなれば魔力の源は月だからだ──魔術の初歩だが、現実は逆なんだな」
「そうだ。この船は天空にいながらにして魔力を吸い続けてきた。ほとんどの人間が魔術を使えないのも道理。この船にすべて吸い取られていたのだ。人類が魔力といえるほどの物を持つようになって十と数万年。少しずつ、少しずつ、遺産の魔力は満たされてきた。少しでも魔力を、さらに人を増やすため、人間の文明が魔術に頼らず、魔力がなくとも繁栄するように誘導もしてきた。そしてこの百年。人は増え、魔力は幾何級数的に増大した」
龍皇が手に硝子玉のようなものを出現させた。中をなみなみと満たしてたゆたう青白い光は、遺産に蓄えられた魔力を示すのか。
「だが、足りぬ。これでもまだ足りぬ。天界に赴き、808万の軍勢を打ち砕いてあの天帝を倒すにはまだ足りぬのだ」
「それで。どうするつもりだ?」
「私は準備をしてきた。地球から根こそぎ魔力を抽出する準備を。それも間もなく終わる」
「魔力を抽出……まさか」
人が。人の持つ『存在』の力。それは膨大な魔力となる。
「そうだ。人を。60億の人間を<b>収穫する</b>。それでこの船の魔力はフルチャージされよう。この船はまさに人類の遺産となるわけだな」
「本気で言っているのか?」
「むろん、本気だ。天梁有樹よ。そなたが計画の発動前に我が元にきたのは僥倖であった」
しゃらん。
重そうな髪飾りを鳴らして龍皇=紫苑が立ち上がった。そっと手をおれに差し伸べる。
「おまえと私は、人類を滅ぼし、天界を滅ぼし、新たな世界を築かねばならぬ。より良き世界を。素晴らしい未来を」
おれは黙って槍の穂先を龍皇に向けた。
「どうするつもりだ? 凡百の龍には効果があったかも知れぬが、この我、龍皇たる我にそのような槍など効きはせぬぞ」
「この槍は、97の龍族の魂魄を吸収した。それを一気に爆縮させ、超高密度の霊体を作り上げる。霊体は激しく蒸発しながら周囲数百kmの生き物と魂魄をずたずたに高出力の霊線で切り裂くだろう」
「……」
「そうすれば、いかに龍皇といえども霊魂放逐の憂き目にあうだろうさ」
「バカを言うな。そうすればお前も──お前の紫苑も消えてなくなるのだぞ? 我々のような転生体でもないお前達は完全に、時の果てまで消滅するのだぞ?」
「紫苑と一緒ならそれでもいい、そうも思っていた」
「いた……?」
「やめた」
おれは槍を放り投げた。がらん、がらん、がらがらがら。
あ、しまった。杖としては重宝したのに。
そう後悔したのはバランスを崩して倒れかけてからだった。そのおれの身体をそっと紫苑が支える。
「何をしている。しっかりしろ」
おれは紫苑を見た。紫苑もおれを見た。
「だからさ、紫苑も。もういいんじゃないかと思って」
「龍皇と呼べ」
「いいや。お前は紫苑だ」
「ならばお前は我が夫(つま)だ。五千年前の事を忘れたか」
龍皇は切なそうな哀しそうな瞳をした。だからおれの言葉に驚いた。
「忘れはしない。五千年前、我はあなたの夫だった。あなたの一の将だった。我に与えられた称号はただ一つ。『龍の守護者』だった」
「そうだ。我が手ずからおまえの魂に刻んだ名前だ。呼び名が、字がどう変わろうとも、おまえの魂は不滅だ。龍を。我を。守護するものだ。それがたとえ最後の一人になろうとも」
「それでも」
「それでも?」
「それでも、我は、おれは、天梁有樹なんだ。徹頭徹尾、頭の先からしっぽの先まで詰まってるあんこにかけて全ては生きてある人間のものなんだよ。紫苑が、そうであるように」
「違う! 私は龍皇だ。紫苑はあくまでかりそめの人格に過ぎぬ」
「なら、なぜいまだに人の姿をとる」
「これは……」
「龍に戻れない事に、いつから気づいていた?」
「!」
ばっ、と龍皇、いやもうどこから見ても紫苑が顔を真っ赤にして後ろに下がった。
「龍皇の知識と技を受け継ぎながら、自分が自分でしかなく、紫苑という一人の人間だと気づいたのはいつからだ」
「……」
「遺産を手にしてからか。それまでは意識していなかったんだな。いつの間にか龍皇の意識を自分がのっとってしまっていたことを」
「だって……だってっ!……」
紫苑が両手で顔をおおい、泣いた。
「もうほとんど残ってなんかなかった。哀しくて、悔しくて、それでも天帝が憎くて。そんな、魂に刻まれるような感情ですら、日々薄れていって……」
「それが龍皇の寿命だったんだろう。いや、もう五千年前の段階で、龍皇は死んでいたのかも知れない」
「けれど、私、私は……」
「いいんだ。紫苑はできるだけの事をやった。戦いに倦んだ龍はそのままとして、未だ戦う気概を持つ龍だけを集めてこの遺産にこもった。ずっとここにこもっていたのも、遺産の力を使って残っている龍をなんとかできないか調べていたんだろう?」
こくり、とうなずく紫苑。
そうだ、紫苑はそういう女の子なんだ。
おれは紫苑を抱きしめようとして手をのばして、バランスを崩した。あわてて紫苑がおれを支えようとする。おれは残った左手を紫苑にのばし──
「そういうわけにはいかんな」
重々しい声が響いた。
どしゅうっ。
太い槍がおれの背中、肩胛骨の間から背骨を切断し、肺をずたずたにして胸骨を砕いて穂先を出した。
熱い血が、唇からごばっ、とあふれでる。下半身の感覚が断ち切られ、ずだん、と床に倒れる。
「ようやく宿願が果たされるかと見に来てみれば……これは幼児が扱っていいようなシロモノではないのだぞ」
「がっ。はっ……だ…れだ……てめぇ……」
「だめです有樹さま。動いては!」
とはいえ、今度ばかりは洒落ではすまない。致命傷なのは自分でも分かる。死の影がちらちらと視界のすみを踊る。
呼吸ができない。でるのは壊れた笛の音をならして血をはくだけだ。酸素不足で意識がかすみはじめる。
「誰、だと? ここまで来ておきながらその程度の理解力しかないのか」
わかってるとも。
貴様が誰かはよーくわかってる。
そうだ、ペテンだ。
すべてが、ペテンだったんだ。
力を欲したのは、そのためにむちゃくちゃをしたのは龍族じゃない。
この男だ。
紫苑が、さっき見せた硝子玉を捧げ持った。
ぽつん。
硝子玉から青い光の滴が一滴、落ちた。
それだけで。
血が止まる。傷がふさがる。神経が、筋肉繊維がつながる。力が、魔力が蘇る。
パワー全開。
おれは立ち上がりざま、後ろを振り向きつつ左ストレートを男に叩き込んだ。
むろん、効果などない。
「なんのつもりだ」
ギリシア彫刻のような筋骨隆々とした男が真面目な顔をして言った。
「反逆の意思の表明だよ、天帝」
「もう一度死んでみるかね」
その言葉にはまるっきり冗談の要素がなかった。
「だがおまえを殺すとまた龍皇が蘇らせるために魔力を消費する、それはもったいないのでそこで大人しくしていろ」
天帝は紫苑に向き直った。
「その玉をよこせ」
「いやです」
「それを手にするために苦労に苦労を重ねた。今さらになって手間をかけさせるな」
「天帝というのも苦労が多い仕事のようだな」
「当たり前だ。宇宙開闢以来この世を治めてきたのだぞ。だというのに、この世は混沌へと落ちゆくばかりだ。力が必要なのだ。圧倒的な力が」
まったく、どいつもこいつも。
「龍族に反乱を起こさせたのは」
「私の挑発だ」
「龍族に遺産のアイディアを吹き込んだのは」
「私の配下だ」
「討伐と称してろくな軍勢を地球に送り込まなかったのは」
「私の差し金だ」
天帝は肩をすくめた。
「さて、疑問が解けたところでそれをもらおうか。わずかなりとも私の力を高めてくれるだろう」
そこまで天帝が言ったところでおれは床に転がった龍殺しの槍に飛びかかった。柄をつかもうとして、
その手をごついブーツを履いた靴に思いっきり踏みにじられた。どうやら天帝がダウンロードしたのはアウトドア中の若者だったようだ。
「勇気があるのは認めよう。だが、あまりに愚かな行動だよ」
そして軽いジャブ。おれは体重がないかのように軽く吹っ飛ばされる。
「有樹さまっ!」
硝子玉を捧げ持った紫苑がおれに駆け寄る。さっき癒してくれたというのにもうすでにぼろぼろである。天帝の手の動きは見えなかったが100発近く拳をくらっているのは間違いない。顎を伝ってしたたり落ちた血が、硝子玉に落ち青い光と混ざる。
「手加減はした。死ぬことはない。さあ、玉をよこしたまえ」
「わたすんだ、紫苑」
「有樹さま……?」
「良い判断……といいたいところだが、まだ何か対抗方法を考えているようだな。これだから辺境の蛮族はしまつに悪い」
「その通りだ。いいから紫苑、やつに玉を渡せ」
「……はい」
紫苑は天帝に玉を渡すと、おれの元に駆け戻った。
天帝はグラスを揺らして酒の香りを楽しむように魔力をながめると、くい、と一息で飲み干した。
「ふむ。悪くはないな。さて、これでキミたちに用はなくなったのだが。せっかくだ。死ぬ前に芸でもして楽しませてくれ」
「じゃあ魔術の講釈でもするか」
「ほほぉ?」
「魔術の基本は見立てだ。てるてるぼうずは、白い布で作られる。白、すなわち晴れを意味する色で晴天を祈願する」
「ふむ、それで?」
「次に感応。何かを伝えるのであれば近しい物がいい。失踪した人を捜す時はその人が愛用していた品を使ってダウジングを行う」
「なるほどなるほど」
「さてと」
おれは立ち上がった。ぱんぱん、とズボンをはたく。帰ったら新しいのを仕立てないとな。そう考える自分の意識が妙に愉快だった。
「まさか……志貴さまっ、だめですっ!」
「やってみる、価値はあると思う」
「ならば、ご一緒に」
真面目な顔で紫苑が言う。
「いや、紫苑は不測の事態に備えていてくれ。アレが暴れ出すと困るしね」
おれは親指で天帝を示した。天帝が不機嫌になる。
「いいから早くしろ。だんだんつまらなくなってきたぞ」
「これからが面白いんだって」
おれは天帝ではなく、空に浮かぶ地球を見てそして言った。
「天帝、あんた生きて何年になる?」
「此度のビッグバンからだ。おおよそ130億年になる」
「太陽系ができて46億年。生命が誕生して30億年。生命が地上に上がって3億年。人間の先祖が誕生して300万年。そして、歴史時代になって5千年。ちょうど前のラグナロクの時代からか」
「短い物だな」
「そうだ。だが、生きてあることの素晴らしさはその生が長いから決まるのだろうか? 短い生には意味がないのだろうか? そして弱い物には? 強いから偉い、では知的生物としてはいかにも情けないじゃないか」
「だが、それが……真理だ」
天帝がわずかに眉をひそめた。
「おれの一族は遺産を手にしてからの5千年、育ててきた。力を編んできたのではない。それなら遺産で十分だった。だがそれだけではあまりにも寂しすぎると一族の者は考えてきた」
「何を……言っている……」
しだいに天帝の顔色が悪くなってきた。
「5千年、わずか、5千年だ。ここは、遺産は、不毛の大地だった。兎もいなければカエルも老婆もいない。だからせめて一輪の花でもそこにあればと思い、願い、祈り続けてきた。その思いは力とは無縁だが、それゆえにひたむきだった」
「なんだ……何をした……何が……」
天帝が自らの喉をかきむしる。
「はなから無理な相談だった。それでも人の心を苗に。若く未熟だが、純粋でもある人間の様々な思いを吸収して一本の樹木が育ってきた」
左手を自分の胸にあて、一礼する。
「我が名は天梁有樹。天の梁たる樹木、ユグドラシルの現身なり」
天帝の身体が、弾けとんだ。
根が、まるで津波のごとく押し寄せてくる。幾本もの幹がからみあって巨大な瘤を作る。枝葉がぐんぐんと伸びて部屋の天井を押し破る。ユグドラシルが、顕現したのだ。
外の真空へと風が吹き荒れる。
「きぃぃぃぃさぁあぁあぁまあぁあぁぁあ」
すべての養分を吸い取られ、まるでミイラのようになった天帝がおれに襲いかかってきた。
そしていつものように。
無言でその前に立ちふさがる紫苑。ぐっ、ときらびやかな衣装に手をかける。
ばさああ。極彩色の布地が宙を舞った。
後に残されたのは、いつもの黒いツー・パーツ・ドレスに白いエプロン。
そして手には鴛鴦鉞。
しゅかっ。
刃が一閃し、天帝であった物はばらばらに粉砕されていた。
その間も、木はぐんぐんと生長を続けた。すでに部屋は完全に粉砕され、空気はほとんどない。こいつはもうお手上げのようだ。おれは紫苑に近づくと、ぎゅっ、と抱きしめた。紫苑も微笑みを浮かべておれを抱きしめる。
その顔がわずかに赤くなって上をむいた時、おれはためらうことなく紫苑と唇を重ねていた。
緑の葉が、おれたちの姿を覆い隠した。
昼夜敢行で屋敷の工事は行われていた。
いろいろな法律を無視して突貫工事をしているが、そこは田所があちこちに手を回して処理していた。
「明日だな」
「明日だ」
天梁の館。
大正時代に作られ、関東大震災でも無事であったというその建物は急ピッチで再建されていた。さすがに一ヶ月とはいかなかったが、それから一週間オーバーでいよいよ明日には完成を迎えていた。すでに建物は九分九厘できあがり、内装の一部を残すのみである。
「今日からここで寝泊まりしようと思う」
「そうか」
ソフィアの言葉に田所がうなずいた。
「あがれ。茶でも馳走しよう」
「ああ」
昼夜兼行といっても、さすがに明日で完成ともなると今日はもう屋敷の中に作業員はいない。落成したら中庭で盛大なパーティーが行われる予定だ。
正面の柵をくぐり、屋敷の正面まで歩く。
「あれ、灯りがついてる」
「消し忘れだな」
「おかしいな、さっきは消えていたと思ったんだが」
空には、緑の月がかかっている。
五日前、月全体が突如として緑で覆い尽くされてから、人々はこれから何が起こるのか戦々恐々としている。NASAの話では、月は望む限りほぼパーフェクトにテラ・フォーミングがされているらしい。地球の1/6の重力しかないから、数万年後には今ある大気の層は失われてしまうが、それまでは人々は宇宙服も何もなしで(ただし磁場がないので放射線をなんとかしないと有害らしい)月面で暮らす事ができるのだ。この緑と水と空気がどこからわいてでたのか。
これはもう、「魔法」の一言ですませるしかない。
がちゃがちゃ。
「錠がかかってる」
「はて、さっきは閉めなかったはずだが」
鍵を取り出した田所の耳に、足音が聞こえた。
がちゃ。
錠が、内側から外された。
そして扉が。
開く。
「いらっしゃいませ、田所さま。ソフィアちゃん」
深々とお辞儀をするのはいつものすました顔の紫苑で。
「お、二人とも来たな」
にこにこ笑って出迎えたのは有樹だった。
「有樹!」
ソフィアが紫苑の脇をすりぬけて有樹にタックルした。
夕陽のさす道を、ソフィアと並んで歩く。
「見よ、有樹。街路樹の葉がきれいに色づいておる」
「そうだな」
あの事件からもうだいぶたつ。
最初の頃は身辺が実に騒がしく鬱陶しく思ったものだが、人の噂もなんとやら。今ではごく平凡な学生に逆戻りである。
今でも変わらずに残っているのは、緑色に輝く月だけだ。最初の頃こそ風情がないなどとたいへん不評であったが、今では季語としても取り入れられるほどに人々に定着した。
アメリカなどは第二次アポロ計画などをぶちあげて月に植民地を作ろうと虎視眈々と狙っている。どうだろう。『月』は無粋な人間の侵入を許してくれるだろうか。むしろ丁重に送り返されるだけではないかとおれなどは思っている。
ふいに、頬に柔らかい感触が当たった。
「あ、おい、ソフィア」
「ふふ。お前が隙だらけなのが悪いのだ」
「相変わらず見せつけてくれるな、天梁よ」
ソフィアは相変わらず天梁の屋敷にいて、おれと学園に通っている。学園は追試と膨大なレポートの提出で留年を許してくれた。だが田所は追試に落第して留年が決定した。そのため親からついに勘当され、今では我が家に居候している。
最近とみにソフィアと紫苑のアタックが強くなってきているので、田所というお邪魔虫の存在はたいへんありがたい。
屋敷が見えてきた。
門のところで紫苑が出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、有樹さま。田所さま。……ソフィアちゃん」
「なんで私にだけ敬語を使わないのだ」
「今日もロシアのお父上からメールがきておりますよ。早く帰って来い、だそうです」
「子供ができてからだな。初孫の顔を見せに帰ろう」
「……あ、有樹さま。頬に汚れがついています」
紫苑がめざとくリップクリームの跡を見つけてハンカチで拭き取ろうとする。
「何をする、この使用人」
「居候は黙っていてください」
「天梁、そろそろ家に入らないか」
ナイスタイミングだ田所。
「そうだな」
おれと田所はそそくさと門を抜けて屋敷の中に入った。
「お待ちください有樹さま」
「こら逃げるか使用人」
どたばたどたばた。
「なあおい天梁よ」
田所が声をひそめて言った。
「なんだ?」
「おまえ、ひょっとしてひょっとすると……この状況すべてを楽しんでないか?」
おれは笑って答えなかった。
緑の月が東の空で輝きをましたような気がした。
「おしまい」