注意:これは『龍の守護者』シリーズの第3作です。先に、シリーズ第1作の『遺産』と第2作の『バレンタイン猪口』をお読みになってから読まれると、より楽しむ事ができます。
夜半に降った初雪は積雪となり。 町は白く染められた。 その降り積もった白い雪を蹴立てて、おれはひたすら走った。 曲がり角で、身長2mを優に超える巨漢に出会うまでは。 「有樹様っ!」 紫苑が後ろから大声で怒鳴った。 「はいよ」 おれはぺたん、と片手腕立て伏せの格好になる。掌がちべたい。 もしも人間性というのが、親からもらった遺伝子で出来た細胞の割合で表示 されるとしたら、おそらく3%ぐらいしか残っていない巨漢が文字通りハンマ ーのような腕をおれの頭に振り下ろす。当たれば間違いなくミンチどころかジ ャムの出来上がりである。 それは避けたい。 どすっ。どすっ。 おれの頭上をくるくると高速で回転しながら飛んだ鴛鴦鉞が巨漢の肘に刺さ る。ぎぎっ。 振り上げた姿勢のまま巨漢の腕が動きを止める。 チャンス。 そう思って立ち上がろうとしたおれの頭を、紫苑が踏んづけて跳躍した。お れは再び片手腕立て伏せの状態に戻る。 とん。 巨漢の肩の上に軽やかに立った紫苑は、両手にいつもの鴛鴦鉞ではなく拳銃 を持ち、それを男の脳天にポイントしていた。 SIG Sauer P230。隠し持って歩くのには理想的な小型拳銃である。銃弾は9 mmパラベラム。弾数は7発。黒のツーパーツ・ドレスに白いエプロンをつけた 紫苑はどこからどう見てもメイドさんで、そのメイドが両手に拳銃を持って巨 漢に銃口を突きつけている場面というのは実に絵になる。ここで「動くな!」 とか言えば完璧である。 もちろん戦闘モードの紫苑がそんな事をするはずもない。 タタタタタン! 軽い連続した音が響き、男の温そうな毛皮の帽子を穴だら けにする。血はでない。いや、緑色のどろっとした潤滑液のようなものは滴っ たが。 この隙に、おれは男の間合いからとっとと逃げ出す。逃げ足には自信がある が、残念な事に今は一人ではない。右手に担いだおしゃまなレディが一緒では、 二本の足を交互に動かして走って逃げるしかない。 「こらっ。ユウキ。お前はそれでもテンリョーの男子か。女の子ばかりに戦わ せて恥ずかしいとは思わないのか」 そのレディはというと、おれのほっぺたをぎゅうぎゅうと引っ張り、耳元で わあわあとわめき立てる。10年後、この子にこんな目に遭わされる男どもに 少しばかり同情する。 「らいひょうふ──大丈夫だよ。紫苑は強いから」 あっという間に銃弾を撃ち尽くした紫苑は、ふわり、とほれぼれするような 跳躍を見せておれの隣りに一回転して着地した。巨漢が追いかけようとする。 「そこ、ダウト」 おれは人差し指で男の足下を指す。細いワイヤーが男の靴に引っ掛かってぷ ちん、と切れた。その先には手榴弾。片手で仕掛けるのはけっこう苦労した。 どんっ! 白い閃光と腹に響く音が轟き、巨漢の周囲の雪が煙りとなって舞い上がる。 「やったのか!」 少女が身を乗り出して叫ぶ。今からそんな風に血に飢えていてどうする。 紫苑が長いスカートの下から予備の弾倉を取りだし、拳銃にこめる。 「来るっ!」 紫苑の叫びと共に。 ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりぎゃり。 鎖の鳴る音がして、男の拳が雪煙の中から飛び出してきた。手首のところで すっぱり切れており、その先に繋がったチェーンが雪煙の中まで伸びている。 タンタンタンタン。 紫苑の撃った弾丸が拳を覆っていた革の手袋を引き裂く。中から現れたのは 銀色に輝く金属。銃弾で進路をそらされた拳が、街路樹に激突する。つもって いた雪がばさぁ、と落ち、枝がへし折れる。 ぎゅいいいいいいいん。 チェーンが高速で巻き戻され、拳が下がっていく。 雪煙がはれた。黒いボックス・コートはすでにぼろぼろで内容物がちらほら とうかがえる。金属製のボディ。金属製のレッグ。金属製のアーム。金属製の ヘッド。動力源が何かは知らないが水素燃料電池か何かそういう物であって欲 しいと切に願う。ああ、でもロシア製だから原子力電池だろうな。 「まいったなこりゃ」 半ば以上本気でおれはぼやいた。 五行相克。いつも持ち歩いている宝貝の風龍と雷龍はいずれも木気で金気と は相性が良くない。出力を上げればなんとかならない事もないだろうが、周囲 の被害が馬鹿にならなくなる。 「おい、ソフィア。お前のお父さんいったい何やらかしたんだ」 「知らないっ」 ぎゅいん。巨漢のモノアイが光った。ちー、と音を立てて周囲を走査する。 もしかしたらこれは3%どころではなく混じりけなしのロボット兵士ではなか ろうか。 「有樹様」 「うーん……ここは雷龍で広範囲EMP(electromagnetic pulse)かなあ。 シールドぶち抜く出力でいくとなると……半径10km圏内の電子機器はパーだ な」 「それはおやめになった方がよろしいかと思います」 「なんで?」 「屋敷も圏内に入ります。学校の課題レポート、消えてしまいますよ」 「うわぁ」 がっくりと肩を落とすおれ。紫苑はわずかにため息をついた。 「では交渉といきましょう」 紫苑は銃口を向けた。 ソフィアの脳天に向けて。 「え?」 ソフィアが硬直する。 「大人しく撤退すればよし。しなければこの娘をここで殺します」 「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよっ! なんであたしがっ! だいたい、 雷バーン、であいつやっつけられるんでしょ。そうしようよー!」 「それでは有樹様の心許ない単位の数が足りなくなってしまいます。進級でき なくなるかどうかの瀬戸際なのです」 「私の命とユウキ(おれの頬をむぎー、と引っ張って)の進級とどっちが大事 なのよー!」 「もちろん。有樹様の進級ですわ」 紫苑はにっこり笑って言った。うわ。滅多に表情を変えないから笑うとみょ ーに凄みがあるなあ。 「それではご冥福を祈っておきますね。ロシア正教でしたかしら」 「やだー! 人でなしの人殺しー!」 ぱん。 軽い音がして9mm弾がソフィアの頭部にある髪飾りへ── 当たる直前に、ぎゃりぎゃりとチェーンを伸ばした巨漢の拳が銃弾を弾いた。 「つまりはそういう事みたいだな」 「はい」 おれと紫苑はうなずいた。ソフィアはきつく目をつぶって硬直している。そ の硬直したままの少女の身体を、おれは紫苑に投げた。紫苑は少女を背中にか つぐと、ダッシュで屋敷の中へと駆けていった。ソフィアがはなせおろせとわ めいている声がドップラーシフトしながら遠ざかる。 巨漢のロボット(まだ脳味噌だけは生身じゃないかなー、と考えてはいる。 理由は簡単で、その方が安上がりだからだ)がそれを追おうとするのを風龍で 風を巻きあげ、積もった雪を煙幕にする。ウィリー・ピート(Willy Peat)は現 代戦の基本だ。 問題は── ちゅいいいん。 一つ目がこちらを指向した。 こいつが、どう見ても肉弾戦指向だということだな。おれは遠距離からの支 援が得意なのだが。 ばくんっ。巨漢のふくらはぎが内側から開いた。 ぎゅおぅっ!! 約30mを0.5秒。時速200キロメートルのダッシュ。 おれと巨漢の間合いはあっという間に指呼の距離にまで縮まった。 巨漢は足をホバー状に広げて地面すれすれをダッシュしてきたのだ。何か危 ない動力源で熱した空気がおれと巨漢の間に街路に積もっていた雪を一瞬で蒸 気に変える。 もちろんそのまま体当たりをくらえば全身の骨がくらげのごとく粉砕されて お陀仏である。 だが、おれの身体はかすみのごとく巨漢の前から消え去った。 「風龍を使えばこういう芸当もできる。空気でレンズを作り、幻像を映し出す 事も……って、聞けよ! おい!」 巨漢の右手首が再び外れた。チェーン・ナックル(おれ命名)ではない。太 い腕と対比すると可愛いくらいのちっちゃな銃口がのぞく。おそらく発射され るのは7.65mm(.32ACP)の拳銃弾。つまりはSMG。 ばらららららら。 巨漢は腕を機械的に左から右へと横なぎに動かした。銃弾が壁やら木やらに 食い込む。運の悪い家は窓ガラスを破壊された。怪我人が出ていなきゃいいけ ど。巨漢はぐるりと周囲を撃つ。おれがどこにいるかは分からないが、どこに いても手傷を負わせられるようにと。 しかたがないので幻覚は消し、自分の周囲に風の防壁を作る。おれの姿が、 すっ、と出現する。 その方角へ巨漢の左腕が持ち上がった。チェーン・ナックルの構えだ。あれ は重いので風の防壁でもそらす事ができるかどうか…… どばっ。 男の左拳が弾けた。 続いて、重い大きな銃声が響く。 「ごくろうさん」 「これが私の仕事ですから」 屋敷の壁に、紫苑が立っていた。手に、自分の身長よりも長い、ばかでかい 銃を構えている。OSV96。ロシア製の対物ライフルである。ソ連からこっ ち、あの国では意固地なまでの対戦車ライフルへの執着がある。現代の戦車は ライフルごときではどうこうなるような相手ではなくなったが、対物ライフル はちょっとした装甲を施した車両ぐらいなら撃ち抜くパワーを持っている。い くら全身メタルとはいえ、人間サイズのロボットではどこにあたろうが致命傷 だ。 巨漢は素早く事態を判断したようだった。頭の中の論理回路が見えるようで ある。 優先順位その1:ソフィアの確保……失敗 優先順位その2:逃走……不可能 優先順位その3:証拠の隠滅……実行 ぷしー。 巨漢の全身から湯気が発した。まさか二次冷却水とかじゃなかろうな。 おれは心の底で念じながらたちまち高熱を発しはじめた巨漢の表面に触れた。 掌が焼ける。肉が焦げる。自爆までもう時間はない。 だというのに。 最後の最後で。 巨漢の心がおれの心の中に逆流してきやがった。 グラズノフ・アリクセイエフ・ミドラヴィッチ。47才。アフガニスタンの 戦いにも従軍した事がある兵卒からたたき上げの軍人。味方機の誤爆で足を失 い、退役。その後妻と離婚し、不遇な日々を送る。かつての上官が彼を機械兵 士の素体として選び出した時には完全にアル中となっていた。 (何か望む物はないか) そんな事をしている場合ではないというのに、おれはグラズノフに聞いてい た。しかし、男の意識はあちこちが改竄され消去され、さらに混濁していた。 (我が母なるロシア) その思いと共に、グラズノフの巨体は消えた。おれが、飛ばした。 周囲はまるでやくざの抗争かという様相を呈していた。早朝とあって、目撃 者らしい目撃者がいないのが幸いだが。 「やれやれ。西条さんにすぐ連絡して。それと公安の坂田部長にアポを」 「それよりも!」 紫苑が怒った顔で言う。 「手を出してください。すぐに治療しなくては」 「うん。頼むよ」 「ソフィアさんはどうします?」 素早くおれの手を治療しながら紫苑が聞いた。 「事態が落ち着くまではうちで預かろう。お父さんも助けてやらないといけな いしな。……やはり、髪飾りか?」 「はい。チップが埋めてありました。娘を脱出させる時に持たせたのでしょう」 「何が入っているやら……今のロシアの協会の連中はラスプーチンよりまだ質 が悪いからな」 「有樹様。有樹様は学生であり、正義の味方ではありません。深入りは止めた 方がよろしいと思いますが」 紫苑がたしなめるように言う。 「そうは言うけど、ソフィアのお父さんには恩があるしな」 「それだけですか?」 「へ?」 「ソフィアちゃん。この数年で立派なレディになられましたね。金髪で碧眼の とてもきれいな女の子に……」 「?? なんの話だ?」 治療が終わり、包帯を巻いた手をぺちん、と紫苑は叩いた。脳天が痺れるほ ど痛い。 「さて、少し遅くなりましたが朝食の用意をさせて……」 その時、屋敷の門から声が聞こえた。 「ユウキ、食事の支度ができたぞ。早く来い」 ソフィアは駆け寄ってくると、きゅ、とおれの腕を取って屋敷へと引っ張っ た。 「ハラがヘッテはイクサがデキヌとこの国では言うそうだな。父上をお救いす るまで、しっかり食べてしっかり働くのだぞ」 むむ。 さっきはそれどころではなかったが、こうして腕に胸を押しつけられると、 なかなかどうして、よく育っているではないか。 ふと、妖気のような物が漂うのを感じておれは振り返った。 紫苑がシベリア寒気団のような目でおれを見ていた。 「食事の用意はしなくても良いようですね。それでは私は片づけを行いますの で失礼いたします」 「あ。紫苑、これはその……そういうわけじゃ……紫苑、紫苑ってばっ」 すたすたと大股で歩き去る紫苑。分かっているのか分かっていないのか、ま ず後者だと思うがソフィアが言った。 「こらユウキ。早く食べるのだ。む? その手では食べにくいだろうな。私が 食べさせてやろう」 ずるずるとソフィアに引っ張られながら。 おれはこの先に待ち受けている騒動を思い、途方に暮れていた。 そしてその騒動はソフィアがうちの学校に編入する事でさらに泥沼化するの であった。 【おしまい】