| 06月01日 |
■本日の読書:『機動戦士クロスボーンガンダム 鋼鉄の七人 2』長谷川裕一
1巻の感想は こちら
木星からのコロニーレーザーによる砲撃を食い止めるために、トビア達は地球で仲間集めと木星への長距離飛行の手だてを探す。
2巻では、1巻で煮え湯を飲まされた敵ボスのかたわれ、『影の』カリストとの決戦がクライマックスとなる。1巻ではトビアをはじめ誰も手も足も出ない圧倒的な力の差を見せつけられたわけであるが、果たしてどう立ち向かうかがポイントになっている。
さて、長谷川裕一さんの主人公といえば、決戦でおなじみの台詞がある。
「そ・こ・だーっ!」
あるいは
「ま・だ・だーっ!」
常にこのフレーズが出るわけではないが、長谷川裕一さんの主人公は決してあきらめない。とにかく不利な戦い、明らかに力の差がある戦いにおいても勝ち抜く。
そしてなぜ勝つかを端的に表現しているのが上のふたつである。
「そ・こ・だーっ!」は勝機を見抜いた、という意味である。ガンダムではシャアの有名な台詞に「当たらなければどうという事はない」というのがある。これは逆に言えば「当たったら大変だ」というわけで、この台詞が出た主人公はここぞという時に、ここぞという場所に攻撃を当てて逆転してしまうのだ。
「ま・だ・だーっ!」はその勝機を得るための不屈の粘りである。戦いはあきらめたら終わりである。逆転の一手というが、そもそも相手の方が上だから逆転せにゃならんわけで、おおむね決戦では主人公側が不利なわけである。いきなり勝てるわけでもなく、相手の攻撃をいなしつつ、ひたすら粘るのが長谷川裕一主人公の真骨頂である。ちなみにこの台詞は相手が必殺を意図した攻撃をしのぎきった時に使われることが多い。
2巻でのトビア対影のカリストのデスヴァレー戦もそういう意味ではいつもの長谷川裕一型バトルである。まったくもって、いつも通りのパターンであり、決着もまたいつも通りである。
しかし、そのいつも通りがこれほどに熱く、面白い漫画家さんも珍しい。確かに絵柄は緻密ではないが、それまでの展開を含めた物語全体の中で描く戦闘はとても緻密で情報が多いのだ。
「そうだ! おまえはこちらのふところに飛び込む!
月面の時と同じように!
俺に屈辱を与えたくて!
だがっ――
だけどっ――」
ここで懐に飛び込み、もはや避け得ぬビームの刃を、クロスボーンガンダムの右手が受け止めるっ!
敗北に終わった月面の戦いで大破したクロスボーンガンダムを改修するために、X3のパーツを利用した伏線がきいている。
「Iフィールドハンドだっ!
初めて貴様の動きを――」
「きさまぁっ――?!」
「動きを止めたぞーっ!」
腕の刃を止められた影のカリストが、頭部ビーム砲をトビアに向ける。
それを左手を頭部にぶつけて止める。ビーム発射口と、左手が共に砕け散るが、トビアの狙いはこの相打ちにはない。
左手に作業のためにとりつけたワイヤー付きフックが、この時、敵モビルスーツにからみつく。
「そうだ! あんたとやりあうなら動きを封じ込めるしかない!
俺はこの時を!
この瞬間をっ!
待っていたんだーっ!」
はい、決めゼリフが来ましたっ!
ここからがすごい。頭部と胸部のバルカンがうなりをあげ、ビームアックスを砕く。
足に仕込んだナイフが飛び出してビーム爪をうならせる敵の手を貫く。
そして残った右手のビームサーベルで敵の右手を切り落とす。
怒濤のラッシュである。
長谷川裕一さんの主人公とは勢いだけではない。
ちゃんと計算し、策も立て、その上で全力全開で強敵に挑む。
だからこそ、毎回、展開そのものは同じであっても新鮮に楽しめ、そして納得できるのだ。
まこと、名人芸とはこういうものである。
| 06月02日 |
■本日の読書:『週刊朝日百科世界の歴史 ニコライ2世、孫文、サパタほか』
20世紀世界の人物編その1である。
ニコライ2世、孫文、サパタ、ローザ・ルクセンブルク、ケマルとエンヴェル……なんとも、この巻にのせられた20世紀前半の人々の多くは、革命に縁のある御仁が多い。
ロシア革命なニコライ2世や、中国の孫文とかは有名どころであるが、サパタって誰よ、サパタって。
メキシコである。パンチョ・ビリャとかと一緒で、農地改革のための革命戦争に身を投じた闘士である。
メキシコ革命については私もロクに知識がないので興味深く読んでみたのだが、実にラテンな革命である。
つまり、誰もうまくいかないのだ。
ディアス大統領による独裁とその下での好景気。
それが革命になったのはやはり、食うモノがないというよりは不平等ゆえであろう。もうちょい具体的には、ボードゲーム『フンタ』で大統領と与党だけで全部の金を回しているような展開か。
もともと正解などないのが政治である。結果としてはみなが血と暴力に飽きてやる気を失うまでだらだらと続くのである。
ドラマ的には面白いが、まじめな話、革命なんかせずに地道に改革した方が世の中を良くするには適しているという例のひとつであろう。
ちなみに、比較的うまくいったタイプの革命として明治維新があるが、アレがうまくいったのは革命を仕掛けた側がお題目の尊皇攘夷などまるでやる気がなく、『フンタ』よろしく単純に権力奪取にのみ血道をあげたせいではないかと私は思っている。
尊皇攘夷などもはや不可能だという現実的な醒めた判断と、至誠の志が決して相容れないものではないあたりが、日本人っぽいよなぁ。
| 06月03日 |
■本日の読書:『風の聖痕 2』山門敬弘
ライトノベル初期の傑作に『スレイヤーズ』がある。
『風の聖痕』を読んで、この作品は『スレイヤーズ』の直系ではないかと私は考えている。
たとえば、主人公の和麻はリナ・インバースにたいへんよくにている。
どちらも“中のヒト”は間違いなくベテランゲーマーである。行動原理の基本は勝利することであり、手を抜くとか油断するということはない。ダンジョンに入る時には常に完璧な行動宣言を行い、ダンジョン内の牢屋に囚われているお姫様は2/3の確率でドッペルゲンガーやメデューサなどのクリーチャーの変装か罠であると判断し、「助けるのは後にしてここは素通りしよう」などと言ってGMをあわてさせるのである。
このタイプの主人公は苦戦をあまりしない。もてる能力を常に100%発揮するよう心がけるからだ。が、ダンジョンアタックでミスをまったくしないチームというのが渋くはあるがつまんないように、これが小説となるとメリハリに欠ける。
そこで、形式上ヒロインの綾乃や、実質的ヒロインの煉のようにパラメタやスキルは高いが“中のヒト”が素人ゲーマーと組むことで、クライマックスへの盛り上がりを作っているのではないだろうか。
| 06月04日 |
■本日の読書:『週刊朝日百科世界の歴史 チャップリン、ヒトラー、魯迅ほか』
20世紀世界の人物その2。
チャップリンとヒトラーが並んでいると、私がいつも思い出すのがチャップリンの映画『独裁者』である。
この映画は、あの最後のチャップリン演じる独裁者を演じている床屋のおっちゃん(なんとなく『なにわの総統一代記』を思い出させる)の名演説を聞くためだけにでもビデオを借りる価値があると思うのだが、さて、あれをやったチャップリンの心情がどのへんにあるかは興味深い。
なんとなく、私にはチャップリンはあの演説や独裁者の演技を楽しんでやっているようにも思える。
RPGでやっててもそうだが、独裁者風の演説や悪役を演じるのは楽しい。ギレン総帥の「立てよ国民!」も、戦争狂いの少佐がやる「諸君、私は戦争が好きだ」も、あれはあれで盛り上がるのである。
チャップリンにとっては人生は芸(シェークスピアなら舞台と呼ぶ)であり、善悪よりも笑えるか笑えないかの方が重要だったのではないだろうか。
そして重要な点として、独裁や統制の進んだ国家はあまり笑えないのである。基本的にマジメだからね。
そうしたフマジメな姿勢がチャップリンをして非アメリカ的であると攻撃のネタになり、嫌気をさしたチャップリンはアメリカを出ていったわけであるが――
私の視点では、チャップリンを追放した人々も、それを「非民主主義的である」と非難する人々も、根っこのところで『独裁者』の中の人々と同じに思えるのである。
彼らはみな、マジメで善意にあふれているのだ。
| 06月05日 |
■本日の読書:『ゼロの使い魔 11』ヤマグチノボル
たとえばアドベンチャーゲームなどがそうであるのだが。
主人公というものは、あまり首尾一貫しているとよろしくない。プレイヤーの選択肢によって、行動や判断が変化してくれないと、むしろそっちの方が違和感となってしまうのである。
私が『ゼロの使い魔』を読む時には、そのアドベンチャーゲームを遊ぶノリで読んでいる。つまり、前にナニが書いてあろうと、読む端から流していくのだ。
キャラの言動が唐突に切り替わっても、それはそれでヨシという精神である。
しかし、この巻はそれでも微妙にしんどい感じであった。なんとなくヒロイン陣をはじめとするキャラの言動が不自然なような……はて?
| 06月06日 |
■本日の読書:『絶対可憐チルドレン 9』椎名高志
最初はいつ打ち切られるかびくびくしながら読んでいたこの漫画も気がつけば9巻に。
どうやら二桁行くのは間違いないようで。
いやー、良かった良かった。
……でも、20巻まで行くようなら、それは延ばし過ぎじゃないかと思うのは貧乏性なのだろうか。
さて、超能力者が超能力を持たないヒトと混ざった場合、迫害をはじめいろいろと問題が発生するというのは『新人類』ネタとしてSFでは定番である。
『スラン』(ヴァン・ヴォークト)や『超人ロック』(聖悠紀)などが定番であるが、社会に与える影響を理詰めで考えたアルフレッド・ベスターの『分解された男』や『虎よ、虎よ!』のようなアプローチも面白い。
たとえば『分解された男』は、テレパシー能力者が増えた未来社会である。この世界では、計画的な殺人は難しい。ヒトを殺そう殺そうという意識を持ちつつ町を歩いていると、その意識を偶然読み取ったテレパスに通報されちゃう危険があるのだ。
一方の『虎よ、虎よ!』はジョウントというテレポート能力を誰もが持っている未来社会。自動車をはじめとする交通機関は姿を消し、鍵のかかったドアも侵入を防ぐ役にはたたない。
いずれも、超能力という要素を社会に入れた時に社会がどのように変革するかを描いており、なかなかに興味深い。アルフレッド・ベスター以後では、ラリイ・ニーヴンがこの演繹的アプローチをよく使う代表だろうか。
| 06月07日 |
■本日の読書:『琥珀のひとみ』ジョーン・D・ヴィンジ
本棚からちょっとひっぱりだしてごろごろ。
この作品に収録されている『錫の兵隊』はやはりすばらしい。
光速に近い宇宙船の中では時間の経過がゆっくりになるというローレンツ・フィッツジェラルド短縮からくるウラシマ効果は、ラブロマンスに向いているのだ。
恋人と別れて宇宙に旅立ったスペースマンが主観時間で数年ぶり――客観時間で数世紀ぶり――に地上に戻ってみると、かつての恋人はとっくに死んでおり、デートをした場所もまるで違う風景になっているというアレである。
この春にアニメになった『地球へ……』の竹宮恵子さんも、いくつかのSF短編でこのネタを扱っている。
ちなみにこのネタで一番好きなのは『一千年後の再会』(藤子・F・不二雄)である。『終わりなき戦い』(ジョー・ホールドマン)もオチはこれに近い。
| 06月08日 |
■本日の読書:『風の聖痕 3』山門敬弘
真ヒロインの煉くんが主人公のお話。
今回は富士山噴火ネタである。社会的影響がデカそうな事件が、たいへん狭い範囲でのみ語られるこのへんの感覚は、まことにライトノベルらしい。
この巻で登場したNPCでゲーマー的に見所がありそうなキャラとはやはり、地術師の勇士である。
『風の聖痕』世界では火術師が攻撃力最強といわれているのだが、その火術師の煉くんと戦うにあたって勇士が切る啖呵がすばらしい。
「愚かなことだ。お前らは、戦いってものを何も分かっちゃいない。最大の攻撃力? 人を殺すのにそんなものが必要だとでも思っているのか?」(p132)
いやあ、かっこいい。正論である。
これが『トラベラー』なら、わざわざプラズマライフルを持ち出さなくても、だんびらやカットラスでぶったぎれば十分というわけだ。
……でもでかいヒットポイントを削り合うゲームでは、やっぱ攻撃力が高くないとダメなのだよな。
| 06月09日 |
■本日の読書:『風の聖痕 4&5』山門敬弘
前編後編。
本シリーズの主人公、和麻はかつて大魔導師のアーウィン・レスザールに恋人を殺されて復讐を誓い、それを果たしたということに今のところなっている。
和麻がそう思いこんでいるのは間違いないのだが個人的にはやはり、『実は生きていた』モードでアーウィンに再登場してもらいたい。
演出的には普通によみがえってもいいのだが、ここはやはり絶望感を出すためにも凝った復活が望まれる。たとえば、実は最後の決戦で負けていたのは和麻の方で記憶を改ざんされていたとか、あるいは受けた傷をいやすためにアーウィンは和麻の中に潜んでいるとか。
さて、この前後編ではライブRPG的に魔力をもてあそぶ少年少女――あれ? 少女はいないな?――が、実は魔力をもらったのではなく魔物に寄生されているというネタが使われている。
ゲーム用語で魔力を分かった気になって暴れる少年たちが破滅していくのだが、メタ的に見ると、主人公の能力も果てしなく五十歩百歩である。
しかし、和麻は『風術師』――風の精霊を媒体に、己が意志をこの世界に具象化することのできる術者なのだ。
表層的な事象は同じに見えても、その本質は次元が違う。『斬断』の意を込めた和麻の風に斬れないものは何もない。たとえ光の速さで進もうと、ただ直進するだけのレーザー光線など、斬れないはずがなかった。(5巻p87〜88)
どうやらこのシリーズを読む前に我が知人が警告したのはこのあたりか。
これはようするに言い切ったモノ勝ちとゆーやつである。子供が「えんがちょきったーっ、バリアー!」「バリアー破りーっ」「バリア破り防ぎーっ」などと言っているのと本質的には変わらない。
もちろん、それが悪いわけではない。人型巨大ロボット兵器が暴れる世界では、たとえ理屈がどうであろうと、ロボット兵器の方が強いのである。このへんを言い切ってしまわないと物語が成り立たないコトはしばしばある。
それに問答無用で言い切ることで盛り上がる場面も確かにある。『fate/hollow ataraxia』の名シーン『決戦』とかだ。

しかし、この4〜5巻は、中途半端にメタなゲームネタを入れているために、イタイ少年たちの言動と(作品世界内での)本物の能力とがだぶってしまうのだ。このへん、意図されたものかどうかは別として、妙な趣があって面白い。
| 06月10日 |
■本日の読書:『密偵ファルコ13 疑惑の王宮建設』リンゼイ・デイヴィス
ファルコの13巻。
時は紀元0075年の春。二女も生まれて広い家に引っ越しをしたファルコは、ローマ皇帝から公共事業の監査を頼まれる。それがブリタニア王の王宮建設である。
なぜローマ皇帝がブリタニア王の宮殿を建設するのか?
ローマ帝国は中華帝国とはちょっと違う。もともとがローマと周辺諸都市の同盟関係が拡大してできたものなので、国境周辺の王様とか酋長とかを同盟者として比較的大事にするのだ。このあたり、周辺諸国は蛮族として朝貢させるような中華帝国とはやや違う。アジアは中華文明こそが他を圧し、ほかに比肩すべき文明を持つ国はなかったが、ローマ帝国はギリシアとか中東とかの優れた文明や知識を得て育った若い国家なのである。
そういうわけなので、ローマ皇帝となったウエスパシアヌスは若い頃に結んだブリタニア王とのクリエンテス(親分=子分)関係を大事にして王宮建設の手助けをしてやったのである。
その王宮建設がうまくいっていない。1巻でヒドイ目にあったせいもあり、ファルコとしては乗り気ではなかったのだがいろいろ理由もあってしょうがなくブリタニアに向かう。
この時のメンツがすごい。
かつて身重な妻ヘレナをつれてスペインまで行ったファルコである。今回は妻と、その時に生まれた2才になる長女と生まれたばかりの次女、愛犬のヌックス、さらに解放奴隷のメイドさん、おまけに未亡人になった妹マイアにファルコの助手である妻ヘレナの弟ふたりまで引き連れてぞろぞろとローマを出る。
なんでしょうか、この家族旅行は。
この作品は歴史ミステリ小説であり、殺人があったり捜査したりとゆーのだが、孤独でハードボイルドな探偵とはえらい違いである。
さてファルコといえば古代ローマ帝国の人々を「そこにいるように描き出す」作風が売りである。
前作の『亡者を哀れむ詩』では古代ローマ帝国の出版業界や作家志望者を、舞台や設定はローマ帝国そのままに、けれども人としては現代の我々に通じるように描きだされていた。
今回は、建設現場の飯場な雰囲気やそこの技師や作業員を、これまた間違いなく古代ローマでありながら、ちゃんと根っこの部分で現代につながるように描き出してある。このあたりのリンゼイ・デイヴィスさんの人を観察し描き出す目は、さすがの一言。
あ、いかん。もう次もでてるのか。
| 06月11日 |
■本日の読書:『小松左京ショートショート全集 3』小松左京
麻雀とアポロの月着陸の短編『一生に一度の月』を読み直すためにひっぱりだす。
が、収録されていた『ミリイ』を読んで「“崩え”の源流がある」と感じたのでここに紹介。
“崩え”(ほえ)というのは“萌え”(もえ)の次にくるものという与太話で、「今みんな、萌えはくだらないとか言っているが、次はもっとくだらないに決まっている」というところからスタートし、相手をよりダメにしてしまう感情のことである。
『ミリイ』に登場するのは、『地球へ……』(竹宮恵子)などで登場する人格型コンピュータ、マザーのようなものである。各個人のために生まれた時から常に助言やサポートをするというもので、学業や仕事はおろか、恋愛にまで口を出して「その子とつきあってはいけません」などと言うのである。
そして、『ミリイ』に反抗して己の愛を貫き通そうとする青年は、結果的に恋人と別れて『ミリイ』の元に泣きつく。徹底的にマイナス方向のドラえもんとのび太君のようなものを想像してみるとわかりやすいか。
「彼女はちっとも、ぼくの事なんか考えちゃくれないんだ」
ミリイはそれには返事をせずにだまっていた。――彼を小さい時から知っているミリイには、よくわかっていることだった。何事も、コンピュータにたよる時代の若者たちは、いつも機械にかしずかれているため、対人関係において、自分の方から他人にあわせる、というやり方を知らない。そういった能力がひ弱になってしまっている。すべて他者――機械の方で、自分にあわせてくれることを期待し、機械に何もかもまかせて、たよりきっている。相手の娘の方も、その点まったく同じだ。(p23)
初出は1968年で今から40年前である。
こういうのを読むと人間というのは基本的な部分で同じだなぁ、と思うのだ。
| 06月12日 |
■本日の読書:『死の世界 3』ハリー・ハリスン
おお、創元推理文庫はハリイではなくハリーか。
バトル、というか何かと“戦う”のは娯楽小説の王道展開である。
剣豪小説であれば、強敵と戦い。
サラリーマン小説であれば、ライバル企業や制度、規制と戦い。
推理小説であれば、犯人のアリバイやトリックと戦うのである。
だが、その戦いには約束がある。
バトルとは同じ土俵で戦うものだ。
同じ土俵というのは、戦いがかみ合っているかどうかだ。
剣豪小説で、主人公が火縄銃を持った相手や忍者と戦うことはあるだろう。
しかし、主人公が封建制度と戦ったり、氾濫を起こす川の流れと治水工事で戦うようでは、これはかみ合ってないし剣豪小説でもすでにない。
しかし、戦うことそのものが目的ではなくて、勝つことが目的ならば。
あるいは、負けてもいいから何かを達成することが目的ならば。
むしろ、相手の土俵を避けて、かみ合わない戦いこそなすべきなのだ。
ハリスンの作品では『死の世界』三部作も『ステンレス・スチール・ラット』シリーズでも、たいてい最後はかみ合わない戦いで決着する。
ハリスンの主人公は最初、正面から敵に戦いを挑んで敗北する。
そこでやめない。屈しない。
戦い方を考える。戦わなくて良い方法を考える。
そして見いだすのだ。かみ合わない戦い方を。
この『死の世界 3』では、モンゴル風の精悍な遊牧騎馬の民が登場する。好戦的で血に飢えている彼らの領土内に鉱山を建設するために、主人公のジェイソンはあれこれ考える。彼らの文化や生活習慣を変える方法はないか、あるいは自分たちがリーダーになる方法はないか、という風に。
そして敗北する。
この敗北は徹底している。いろいろ苦労し、死にそうな目にまであって作戦は完全な失敗に終わる。
逆転を仕掛けるのは最後の30ページ、残り1割になってからだ。
彼らを打ち負かす方法はない。だが、彼らを勝利させることによって自らもまた、勝利する方法をジェイソンは見いだすのだ。
もちろん文量そのもののウェイトでいえば、90%は負ける戦いの部分である。いわばほとんどの部分で、ジェイソンは無駄なことをしている。
しかし、ドラマの構成としては無駄ではない。そこを丁寧に描くからこそ、最後の10%が生きるし――そう、最初から最後までかみ合わない戦いをされたのでは、読者の方がやはり呆れてしまう可能性は高いのだ。
やはり、かみ合わない戦いの描写は、バランスを考えてすべきなのだろう。
| 06月13日 |
■本日の読書:『カタリベ』石川雅之
南北朝時代の東アジア。
倭寇の襲撃を受けた『御曹司』と呼ばれる少年が、苦難の果てに自分の人生の目的を見いだすまでの物語である。
物語が途中で終わっているので、いろいろと消化不良である。
特に、最後に登場した女真族の少年など名前も分からない。顔が確認できるのは表紙に載っているからで、たぶんこの後でいろいろと活躍する可能性があったのだろうなぁ、とは思う。
そのあたり、もったいない作品である。
もし最初からこの長さということで作られていたら、主人公の少年が鬼師のところで鬼に堕ち、そして人肉を喰らい人を殺しまくったあげくに、マエカワたちと戦って助けられ、そして胡蝶と吏英によって鬼から人に戻っておしまいかしらんと思ったりも。
しかし、ナウシカの蟲使いのような鬼師の描写とか、こねたが活きている作品であるのは間違いない。石川雅之さんのファンなら、読んで損はないだろう。
| 06月14日 |
■本日の読書:『惑星のさみだれ 3』水上悟志
獣の騎士団せいぞろい。
……カジキマグロの騎士?
さて、この作品のキモはこれが、「誰が見ている夢」なのかとゆーところだろう。
『いつか猫になる日まで』(新井素子)的なオチがやがて出てくるに違いないと思いつつ、まったりと楽しもう。
| 06月15日 |
■本日の読書:『パンプキン・シザーズ 7』岩永亮太郎
あいかわらずアリス少尉は、男前である。立場的には明らかにこちらがヒーローで、伍長はヒロインだ。心を救われる、という点において。
最初の話が戦車部隊な山賊であったが、今回は町を支配する装甲列車のお話。
もっとも、支配している側もある意味で戦災の被害者っぽい。
誇り高く戦った親が犬死にしたことで心がくじけてしまった、ある意味で戦争の犠牲者か?
なお、話のつなぎに挿入される、駆け落ちしたくせにキスもまだというアリス少尉の姉のエリスと旦那さん+押しかけメイドさんの話が実にほほえましい。
なんとなく、アリスのほうが片づいちゃっても、このふたりはこのままじゃないかと。
| 06月16日 |
■本日の読書:『咲 -saki- 2』小林立
『ロケットの夏』(※18禁エロゲ)のプレミアムBOXはでたものの、とうとう『らくえん 〜あいかわらずなぼく。の場合〜』(※18禁エロゲを作る18禁エロゲ)のプレミアムBOXはでなかったなぁ。アレこそ、男の声も声優がほしかったんだがっ! カントクとか、マーキーとかっ!
……何より、『ЗАРЯ(ザーリャ) 〜夜明けを待つ星〜』というソ連宇宙軍モノが消えたあたりが無念。
さて、そういうわけで萌え麻雀漫画の2巻。
レズ萌え度アップ。
| 06月17日 |
| 06月18日 |
■宇宙の戦場:『アンタレス突破』マイクル・マッコーラム
『アンタレスの夜明け』と『アンタレス突破』はここ20年ほどいくつもでているミリタリー系スペースオペラのひとつである。
宇宙の広大さをよく表現しているタイムラグや長時間の加速などの描写もあり、『オナー・ハリントン』などよりはリアル系で、ハードな『航空宇宙軍史』ほどではない、という位置づけか。
この作品の戦略・戦術の根幹をなしているのがフォールドポイントである。
星系から星系への移動はフォールドポイントからのフォールド航法でのみ行える
そしてフォールドポイントの数と位置は各星系ごとに固定なのだ。
フォールドポイントというのは交通の結節点であり、ここを押さえることができればその星系を支配したも同然ということになる。
そしてフォールドポイントが固定であるという事は、宇宙戦闘において防衛側が圧倒的に有利であることを意味している。とにかく敵がどこにでてくるかが分かっているのだ。防衛戦力のありったけをそこに配置しておけば、のこのこやってくる敵の頭を押さえてたこ殴りにできる。
『アンタレスの夜明け』はそのフォールドポイントの攻防戦がクライマックスとなっている。
さて、シリーズ2巻の『アンタレス突破』では、フォールドポイントそのものでの戦闘、つまり戦術的な側面ではなくてフォールドラインを含む戦略面が描かれている。
まずはフォールドポイントで結ばれた宇宙のマップを紹介しよう。
折りたたまれた空間が恒星の重力で通常空間とつながるフォールドポイントは、恒星が大きくて重いほど数が多い。
そして人類の敵であるライアルは、その領域の根幹にはくちょう座スピカを抱いているのだ。スピカは8個のフォールドポイントを持ち、ここを中心にライアル宇宙は小さくまとまっている。
一方の人類側は、最大のフォールドポイント6個を持っていたアンタレスが超新星爆発によって消し飛び、『アンタレス突破』でシールドが発明されるまでは通過不能と考えられていた。そのため、広く分散している形になっている。
汎用的な戦略において内線戦略、という言葉がある。
これは手持ちの戦力をまとめて運用し、分散している敵に対してまとめた戦力をぶつけることで数の優位を保つというものだ。
3の戦力を3つに分散してそれぞれが1の戦力しかない敵に対し、2の戦力で各個に撃破するというものだ。『銀河英雄伝説』では1巻でラインハルトが使っている戦い方である。
かつてナポレオンが1814年のフランス戦役でこの内線戦略を利用してフランス国内に侵攻してきた敵を各個撃破してまわったことがある。(結局負けたが)
ライアルの戦略はまさにこの内線戦略であり、その根幹となっているのがスピカの存在である。人類が外線を利用してどこを攻めようとしても、スピカを経由して素早く移動したライアルの増援艦隊がやってきて、打ち砕かれてしまうのだ。
また、経済的にもライアルはスピカを中心に短いフォールドラインで資源や生産物を運搬し、効率を上げている。
フォールド航法以外に星系間を移動する手段がない以上、ライアルのこの内線戦略を打ち砕く手だてはない――かのように見える。
だが、ひとつだけ、逆転の手だてがあるのだ。
アンタレスを通過できるのは、この時点で人類側だけ。つまり、アンタレスから、ライアル宇宙のユーリスタへ侵攻したとしても、ライアル側はまったくの無防備なのである。
が、それだけでは足りない。
ユーリスタを、そしてカラティル(農業惑星)までを制圧したとしても、やはりスピカを中心に戦力を運用できるライアルは素早く対応してしまうだろう。
そう、スピカがライアルの手にある限りは――
人類がスピカの占領に成功すれば、そこでこの戦争の勝敗は決する。もちろん、ライアルはすべての戦力を結集してスピカを奪取しようとするだろうが、今度はばらばらになって連携がとれないのはライアル側である。
また、フォールドポイントを巡る戦いは原則として防衛側が有利である。人類宙域に広く散らばった各フォールドポイントを守る宇宙要塞をかき集めてスピカのフォールドポイントに結集させれば、奇襲で奪ったスピカを守り抜くこともできよう。
強い側の、その強さの根幹にこそ、逆転のきっかけがある。
これぞ、バトル物の王道ともいうべき展開だ。
| 06月19日 |
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 ビートルズ、毛沢東、サルトルほか』
20世紀後半の世界における人物。
最初にまず、ホー・チ・ミン、ド・ゴール、チトー、毛沢東というレジスタンス活動によって国家を救った英雄4人が登場。
……そういや、この4人、スターリンつながりですな。
ほかにも新興独立国の政治家たちとして、ナセル(エジプト)やクワメ・ンクルマ(ガーナ)、スカルノ(インドネシア)。
戦後の紆余曲折を示す政治家としてペロン(アルゼンチン)、インディラ・ガンディー(インド)、ホメイニー(イラン)らが。
最後に『人類解放の夢』として、差別や貧困と戦ったキング牧師、チェ・ゲバラ、フランツ・ファノン(誰だこいつ)、サルトルとボーヴォワールらがでている。
これらをざっくり読んでやはり感じるのは、まだまだ歴史にするほどの客観視ができていないなぁ、という事だ。
20世紀後半ともなると自分たちの存在と密接に関わるせいもあるだろう。
2000年前も今も、人間とは同じ存在であり、良くも悪くもなっていない――民主主義も、奴隷解放も、人間が良くなったから可能になったことではなく、核兵器も環境汚染も、人間が悪くなったからひどくなったわけではない。
人間も社会も、根幹となる精神は成長も退化もしていないのだと。
ニュータイプになったわけではないのだと。
そうした視点がないと、歴史の記述は、やはりつまらないものになるように思う。
| 06月20日 |
■本日の読書:『七都市物語』田中芳樹
かなりぼろぼろになっているのだが、それでも読み直す。
この本が出た1990年というと私は東京勤務で、本場の朝のラッシュというものを体感していたのであるが、ぎゅうぎゅう詰めになりながら「七都市物語の世界だと、こんなコトはないんだよなぁ」などと考えていたものである。
当時は田中芳樹さんの作品でミリタリ的に“薄い”部分に不満を抱くことも多かったのだが、今こうして読み直してみるとよくぞ、ここまで“薄く”できたものであると、畏敬の念を抱かずにはいられない。
“薄く”というよりは、“端折る”であろうか。
本書に掲載されている『北極海戦線』『ポルタ・ニグレ掃滅戦』『ペルー海峡攻防戦』『ジャスモード会戦』『ブエノス・ゾンデ再攻略戦』のいずれも、みっちり描けばそれぞれ本1冊分ぐらいにはなる。
それを短編にするだけなら、まあ難しくはない。
しかし、短編にした上で、なおかつケネス・ギルフォード、AAA、シュタミッツとクルガン、ギュンター・ノルトら魅力的なキャラを描ききるとなると、これは難しい。
田中芳樹さんの優れた手腕あればこそだろう。
| 06月21日 |
■本日のアニメ:『魔法少女リリカルなのはStrikers』
『管理局の白い悪魔』から『管理局の白い魔王』へ。
『なのはさん』から『なのは様』へ。
いろいろとネタにされている、8話から9話の展開であるが、ティアの悩みや暴走については、まあ、あんなものだろーという印象を抱いている。
9話でシグナムがティアに拳で制裁を加えるのも、魔法少女アニメとしてはどーかと思うが、悪くない。
ただ、8話後半の演習におけるなのはの言動と演出は、あれは実際にあったコトではなくてティア視点におけるエフェクトがかかっているものと推測している。
なのはがあそこまでひぐらしな表情をするような場面ではないと思うのだ。実際に9話がはじまったとたん、なのはの表情も声も、完全に元に戻っている。
なのはがショックを受け、残念に思うことがあるとしたらそれは、ティアが演習において魔法の非殺傷モードを殺傷モードと取り違えていた点、そして何より指揮官として育成したいティアが簡単にパニックを起こしてしまった点だろうか。
ミスをするのは誰にでもあるが、ミスをした時にパニックを起こすような人間を指揮官には置けないのである。なのは的には、どうしてもフロントでがんばってもらう必要があるシグナムやヴィータ、フェイトではなくティアこそをフォワードの次席指揮官としたい意向があるのではなかろうか。
そのティアのみせた心の脆さは、なのは的にはショックだろう。なのは自身は9才にして鋼のような心の持ち主であったから、そうした弱い人間の心についての理解が乏しいのかもしれない。
9話でティアを優しく抱きよせるなのはの姿に。
ローマ内乱時に政治家としての限界を見せたアントニウスへ“見切り”をつけたカエサルの姿が、私にはだぶって見えたのである。
| 06月22日 |
■本日の読書:『MC☆あくしず vol.5』
今回の特集はツンデレツィタデレ(城塞)作戦。
1943年のクルスク突出部における戦いである。
ダジャレはともかく、どうツンデレにするのかと思ってみたら、登場する戦車をツンデレ風に紹介している。
●4号戦車G型
ツンだと:
「ちょっと、何モタモタしてんの! 置いていくわよ!」
デレになると:
「やっぱり私がいないと全然ダメなんだから……これからもずっと一緒にいてあげるわね」
数の上からは最後まで主力だった4号戦車は、幼なじみ系ツンデレなのである。
こんな感じで、タイガー戦車は高飛車なお嬢様キャラでツンデレ、パンター戦車は真面目な侍ガールでツンデレとなっている。
この中で興味深いのは、タイガーやパンターなどの戦車に対抗した猛獣狩りのソ連軍自走砲SU152のツンデレである。
こいつは152ミリ砲というどでかい大砲を小柄な車体に無理矢理に載せている。砲弾の重量は50キログラム。これを狭い戦車の中でえっちらおっちら抱えて装填して発射するのだが、何しろ小さい車体であるから20発しか搭載できない。
ちょっと戦闘が長引いたら弾切れであるし、そもそも装甲が薄いから、タイガーやパンターと正面から殴り合いをしたらあっというまにぼこぼこにされてしまうのである。
それでも152ミリ砲というのは破格で、タイガー戦車の88ミリ砲やパンター戦車の75ミリ砲の2倍である。砲身の長さは短いので威力は数字ほどではないにせよ、タイガー戦車の100ミリもある装甲を正面からたたき割る威力をもっていた。
良くも悪くも、この巨砲に特徴がある戦車(自走砲)なのだ。
●SU152
ツンだと:
「はやく装填しなさいよっ! このバカ! グズ! のろまっ!」
デレになると:
「こんなにたくさん狩れちゃった……ちょ、ちょっとだけ感謝するわ。
これからも……いっぱい装填してよね……」
だから、装填手部分に視点を置いたツンデレというのは、SU152をよくあらわしていて、なかなかに秀逸といえよう。
| 06月23日 |
■本日の読書:『MC☆あくしず vol.5』
連載の『萌えよ!戦車学校』は、北アフリカの戦い。
p72の「三時間目:砂漠の補給戦と機動戦」にある砂漠のシーソーゲームというイラストを見ると、北アフリカの戦いがなぜいったりきたりとダイナミックであったかがよくわかる。
勝って前進する港から前線までの補給路が長くなり、負けて下がると短くなる。
補給路が長いと不利で、短いと有利なのだ。
これで思い出すのが、アドテクノスのウォーゲーム『アフリカンギャンビット』(高梨俊一デザイン)である。
これは港に揚陸した補給ポイントを消費して戦うゲームなのだが、とにかく補給を届けるのがたいへんなのだ。
トリポリの港に、10ポイントの補給物資が揚陸したとする。
トリポリの港には腹をすかせたイタリアの守備歩兵師団が2個いたので、これにまずメシを食わせる。食わせないとこのターンの終わりに死ぬ。
こんな仕事もしないやつらにメシを食わせたくはないのだが、しょうがないので2ポイント食わせる。残り8ポイント。
さて、こいつを前線に運ぶためのトラック部隊=補給ユニットが1個ある。
補給ユニットが1度に運べる補給ポイントの数は4ポイント。が、まずは補給ユニット自身が補給(ガソリン)を消費しないと動かない。残り7ポイント。
せっせと湾岸の道路を走ってベンガジまで届ける。1往復しておしまいで運べたのは4ポイントだけ。
さらにベンガジにもおなかを空かせたドイツ装甲師団が2個いた。備蓄の前にまず消費して結局、残りは2ポイントである。
トリポリには3ポイントが、輸送することもできずに放置となる。
まとめると、補給10ポイントがトリポリに届いて
4個師団の維持に4ポイント。
補給の輸送に1ポイント。
残り5ポイントが、トリポリに3、ベンガジに2ポイント。
この調子で備蓄をすれば、3ターン後にはトリポリに9ポイント、ベンガジに6ポイントがたまる。
この6ポイントを使って1個装甲師団でトブルクを攻めようとすると、まず移動に1ポイントが消える。
残り5ポイントのうち、4ポイントを装甲師団が自分で運びつつトブルク前面に到着。
攻撃では攻撃力1点につき、1ポイントを消費する。攻撃力3の装甲師団は3ポイントを消費して残り1ポイント。
攻撃が成功すればトブルクを占領できる。撤退したイギリス軍の補給があればそれを奪うことができるが、失敗すると残りの1ポイントなど、攻撃を受けないでも次のターンの維持費で消えてしまう。
このゲーム、プレイ時間のほとんどは、補給ポイントをせっせと前線へ運ぶことで終わってしまう。どっちかが攻勢をかけるとその補給ポイントがすごい勢いで減っていくのである。補給ポイントがなくなれば、防御すらできないのでずるずると後退する羽目になる。
補給がたいへんなこのゲームをドイツ=イタリア軍側でプレイすると、では史実のロンメルとアフリカ軍団がやったような無茶な攻勢をやらなくなるかというと……実はそうではないのが面白い。
というのも、補給ポイントがあるのなら、守るよりも攻めるほうが有利なシステムのゲームなのだ。
イギリス軍プレイヤーが補給ポイントと戦力を十分にそろえて攻勢に出たなら、ドイツ=イタリア軍プレイヤーに抵抗の術はない。そもそも、補給も戦闘ユニットの数も、相手が上なのだ。
ならばイギリス軍側が準備を整える前に攻勢に出るしかない。相手を攻撃し、戦力を削り、補給ポイントを消費させ、あわよくば補給ポイントを奪う。輸送ユニット(トラック)すら、奪えるかもしれない。
だからゲーム中盤のひとつのクライマックスが、トブルクの攻防となる。ここを落とすことができなければ、枢軸側の負けは確定する。
では、トブルクが陥落したら?
その後で、ロンメルがやったようにエジプトへ攻め込むかというと、さすがにそこまでは決断できない事が多い。失敗すれば史実のようにすべてを失う。
だが、勝てる可能性はある……かもしれない。
そしてエジプトを奪えない場合、守りに入ったとしても敗北の可能性は常にあるのだ。
もちろん、これは高梨俊一さんのデザインしたゲームでの話である。
常に最善の戦略が決まっているわけでもない。サイコロの目や相手プレイヤーの戦略によって変化するだろう。
だが、補給という視点から見たとしても、積極的に攻め続けたロンメルの戦略は必ずしも間違いとは言えないと思う。
むしろこのゲームをプレイしていると、リスクを承知の上で、イニシアティブを握り続けるために攻勢を繰り返したロンメルの決断力に私は畏敬の念を抱かざるをえないのだ。
| 06月24日 |
■『アフリカンギャンビット』にみる補給輸送のgifアニメ
ふと思い立って、昨日書いた『アフリカンギャンビット』の補給の動きを、gifアニメにしてみる。 
とはいってもたいしたことはしていない。
パワーポイントで描いたヘクスマップをコピーしてちょっとずつ補給や輸送ユニットを動かしていくぱらぱら漫画である。
全部で18枚の画像を、こちらはベクターからGiamというフリーソフトをダウンロードしてつなげて表示したのだ。
これはなかなか面白い。ほかにも使えそうである。
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