■本日の読書:『人口が変える世界 21世紀の紛争地図を読み解く』日本経済新聞社編
1972年、人口問題を考えるローマ・クラブがある恐るべき未来図を描き出した。
『成長の限界』と題されたレポートに添えられたグラフは、人類が恐るべき勢いで増加して地球を埋め尽くすことを直感的に表現していた。
人は増える。経済は拡大する。技術は進歩する。
それは、19世紀から20世紀にかけての常識だった。
我々の知る、右肩上がりの成長という概念。前期よりも今期の売り上げとか利益を増やすことを良しとするプラスな発想は、人口の増加に支えられている面が大きい。
けれども、歴史をひもとけばわかるように、いつの時代であっても人間とはそう増えるような生き物ではなかった。
安定した気候や平和な統治によって少し増えたかと思うと、飢饉や疫病、動乱などによってあっという間に減ってみたりしたのだ。
21世紀になった今もそうだ。
『成長の限界』で描かれたグラフは、大筋においてはそのとおりに推移している。地球の人口は着実に増加している。
だが、日本の人口がついに減少に転じたように。そして旧共産圏のロシアなどでは少し前から減少しているように。
人口問題は単に増える、減るという単純な側面では把握できなくなっている。
本書は、そうした人口問題のさまざまな側面についてできるだけ多くの視点からさまざまな問題を洗い出している。
いくつかピックアップしてみよう。
●中国
一人っ子政策がもたらすゆがみ。
少子化で変化した人口ピラミッドは将来、急速な高齢化をもたらす。2050年には24%が65歳以上に(2005年で7.69%)なる。
年金をはじめとする社会福祉をどうするかは大きな問題だ。
●ロシア
この十年間で500万人の人口減少という、日本を先取りする人口減少。2050年には現在1億4千万人の人口が1億を割り込むという予測も。
何より、年間5万人の自殺者というのは社会の不安がいかに人心を荒廃させるかという見本。
一方で中国移民が中央アジアや極東地域に増えつつある……フン族襲来?
ああそういや、ロシアや東欧で腕のいい技術者や医者は高給を求めて西欧に流れているという移民の連鎖もあるなぁ。
●アメリカ合衆国
今なお人口が増え続けつつあるUSA。
好調な経済はメキシコなどの中南米移民による安い労働力に支えられている。
なお人口は南西部に集まりつつある。
●インド
中国が人口抑制に出たのとは裏腹に、今なお人口ピラミッドはすえひろがりだ。
2050年には15億人をこえ、世界最大の人口を持つ国家に。
労働人口の増加が経済成長につながるという図式で言えば最後の20世紀型超大国か。
もちろん、教育や就労という点をクリアできればの話であるが。
●アフリカ
エイズの猛威は今なおこの地域に爪痕を残している。
HIVの世界感染者の半数以上、2500万人がアフリカにいるという。しかも、感染者は20代から30代。働き盛りや子供を抱える親がばたばた倒れているというねらいすましたかのような危機である。
●たくさんの子供を産むのはどんな人々か
この本に掲載されているフィリップ・ロングマン氏のインタビューはどれひとつとっても実に興味深いものであったが、子供を多く産むのはどんな人々という切り口がおもしろかった。ここに引用しよう。
「キリスト教、ユダヤ教、イスラム教ではいずれも、信仰心があついほど子供の数が多い。『産めよ増やせよ』の思想が宗教的な価値観の中に組み込まれているからだ。欧州では『教会にはほとんど行かない』という人の出生率が特に低いという調査がある。イスラエルでも保守的なユダヤ教徒ほど子供が多い。あまねく出生率が低下している日本や中国はこの例外だが」
――世界全体が保守化するのか。
「宗教原理主義者の台頭、科学の軽視、啓蒙運動の衰退。未来は中世に逆戻りだ(笑)」――未来とはいつか。
「人口動態を考えるとき、人は非常にゆっくりとした変化を想像する。だが一世代で出生率が二割も低下するほど急速に少子化が進むと、数多くの変化は比較的速いスピードで起こりうる。1960年代に米国で台頭したフェミニズムやカウンターカルチャー(既成観念の破壊)が衰退したのは、当時こうした文化を追い求めた人たちほど、子供を産まなかったことも背景にある」
『人口が変える世界 21世紀の紛争地図を読み解く』p218〜219
なるほど。
そうして考えるとあれか?
オタ文化というのもひょっとしたら時代のあだ花であるかもしれぬなぁ。初期オタ世代、つまり私と同じく今40代になっている人はそれなりに社会的圧力があって結婚したり出産している人が多いが、30代のオタになると、周囲を見回しても結婚している割合は低い感じがする。
ああなんか。確かにオタ文化を廃絶したくなるのはわかるなぁ。ローマ帝国衰退期のキリスト教のようにオタ文化が日本を滅ぼす、いや――
オタクなどしょせん、我々、まともな日本人とは違うという思想が――スタンピードのように日本社会を席巻するやも。
こうした、オタ文化が弾圧されるというネタは昔から多かったが、意外とあれが本当になるかもしれない。
押井守の世界が我々のすぐそこにっ!
■本日の読書:『機動戦士クロスボーンガンダム 鋼鉄の七人 1』長谷川裕一
長谷川裕一といえば、「圧倒的不利からの大逆転」である。
ロボットものでいえば、手足がもげ、必殺技が封じられてからが勝負。そこから逆転できてこそ主役というものだ。
『鋼鉄の七人』もそのノリで突き進む。
1巻だけでも次のような苦難が用意されている。
過酷にすぎるタイムリミット。
圧倒的に乏しい戦力。
恐るべき異能を持つ難敵。
裏切り者の疑惑。
特に、切り札と考えられていたF99『レコードブレーカー』という光の翼を持つモビルスーツが登場してから手もなく敗退して退場するまでの流れはすばらしい。
2巻でもさらなる艱難辛苦が期待される。
なお、今回の敵も全開と同じく木星帝国だ。彼らは“神の雷”計画で木星からコロニーレーザーで地球を攻撃しようというのだ。
「木星と地球がどれぐらい離れていると思ってるんじゃっ
そんな宇宙の彼方からレーザーが届くわけねえだろっ」
「……だめだ! じいさん! 届くんだ」
「宇宙は――宇宙には何もないんだっ 真空っ!
威力はどれほど距離があろうと落ちはしないっ!
ふせぎようが……ないぞっ……」
『機動戦士クロスボーンガンダム 鋼鉄の七人 1』p46〜47
実にスケールのでかい話である。
これで私が思い出したのが、谷甲州さんのファンクラブ人外協の同人誌『こうしゅうえいせい』に掲載された異常兵器カタログの『砲戦距離六億五千万キロ』である。
筆者は現在は架空戦記作家としても有名な陰山[空の要塞]琢磨さんだ。
同じ内容がサイトにも掲載されている。 > こちら
ここで登場する〈雷丸〉(イカヅチマル)という異常兵器は、総計九万発の核レーザー発振器である。
それぞれ1メガトンの核爆弾が爆発して発生する、9万メガトン(!)もの莫大なエネルギーは4300億キロワットの硬紫外線レーザーとなり、6億5千万キロメートルの虚空を超えて約25分で地球へと到達。
到着時、レンズ精度の問題で直径300メートルだったレーザーは直径2キロメートルまで拡散する。1平方メートルあたり毎分13万7千キロワットの目に見えない紫外線はあらゆる生物を焼却し、コンクリート製の建物以外は炎上し、熱せられた大気は急激に膨張して衝撃波をおこしながら周囲を押しぶつす。
“神の雷”もこの〈雷丸〉のバリエーションと思っていいだろう。
恐るべき木星からの狙撃をどのように食い止めるのか。
たぶん最初の1発は発射されるんだろうが、それを地球側でどう防ぐかも含めて楽しみである。
■本日の読書:『機動戦士ガンダム MSイグルー 黙示録0079』林譲治
MSイグルーのノベライズの2巻である。
前回は、闇討ち一号だのモビルスーツと互角の戦車だの、なかなかに愉快な兵器が出てくれたのだが、今回はどうもこう、ぱっとしない。
軌道から大気圏にダイブして戦うモビルダイバー、ゼーゴック(ズゴック改造型)はなかなかにイイ感じなのだが、後はボールとかわらぬモビルポッド、オッゴとひたすらでかくいだけのビグ・ラングである。どうも大味というか、わくわく感に乏しい。まあ、オッゴはどことなく特攻兵器っぽいところもあるのでわくわく感が出ないのも当然だろうが。
後はやはり、連邦がちんぴらなのはオッケーだが、それによってジオン側がなんか微妙に免罪符を与えられている感じなのはちといただけない。
私も連邦とジオンのどちらが好きかというとジオン側であるが、それは、ジオンが悪であり加害者である点をふまえての好きである。0083といい、MSイグルーといい、いかにもこちらが正義/被害者という面を出したジオンはちと気に入らない。
また、ノベライズをされた林譲治さんの筆も前作の「原作である映像作品に変更を加える事なく、ミリタリー的SF的な描写を加えて深みを出す」という点がちと弱いような気がする。
いろいろな意味で無念な続編であった。
■本日の読書:『ゆらゆらと揺れる海の彼方 7』近藤信義
シグルドの若い頃の話とゆー、いわゆる番外編である。
内容については、いつものゆらゆらである。
読んでいて辟易してしまったのは背景情報の羅列だ。
p28からp43まで、シグルドたちが登場する七皇戦争の流れがシュニッツラーとオスターデの会話によって語られているが――できれば半分というか、1/4というか、とにかくばっさり削ったほうが間違いなくすっきりすると私は思う。
ここでかかれている事で読者に押さえてもらうべきは以下の3点でしかない。
シグルドの故郷の国は、長い内戦状態にあった。
有力貴族同士が争っていて、国も民も疲弊していた。
その戦いの中で登場した平民出身のシグルドが貴族諸侯を打倒して国をまとめた。
それだけ語ればいいものをシュニッツラーはバラ戦争や応仁の乱のようなぐだぐだを時系列に沿って解説するのである。
『過去にこのような事が〜』という記述には、背景世界に深みをもたらすという利点が確かにある。だがやるのであれば『銀河英雄伝説』のようにそのエピソードだけでも光る部分を選んで、エッセンスのみ伝えるようにすべきだろう。
背景情報も、設定も、ドラマで使われない部分は削るだけ削るほうがかえって光るのではないかと思う。
こうした部分をのぞけば、傭兵による村の襲撃場面など、それなりに面白いだけに残念だ。
■本日の読書:『超鋼女セーラ』寺田とものり
タイトルだけでしばらく笑い転げる。
ロボ娘でお姉さんキャラのセーラと、少年、茸味くんのラブラブ話。
茸味くんがセーラの純な恋心に正面から答えるタイプなので、迂遠であったりもったいぶったりする展開はまるでなし。
セーラに告白されると、茸味は自分からもセーラが好きでつきあって欲しいと答える(p67)など、好感がもてる。
ストレートな展開にストレスなく読めること請け合いだ。
一点だけ気になったのは、スティールアーツというロボット格闘競技に関する展開である。セーラの父親がスティールアーツにセーラとともに出場して欲しいと頼むと、茸味は
「セーラ先輩に怪我させたくありませんし、セーラ先輩が他人を殴るところも見たくありません」(p241)
と正直に男らしく答えている。
これは茸味くんの立場としては当然で、私も首肯できる回答だった。
もちろん、この小説の流れとしてはセーラはスティールアーツに出なければいけない理由があるのだろうし、そこらへんの問題をどうクリアするかが終盤の山場であろうとも思ったのだが――
この後、ふたりは距離を置くもののなしくずしにスティールアーツの校内予選がはじまってしまう。そして茸味くんは気がつくとセーラと一緒にバトルしている。
私としてはかなり意外で、拍子抜けしてしまった。
セーラから茸味くんへ、スティールアーツに出なければならない理由、あるいは出たい理由が語られることもなければ。
茸味くんがセーラへ、「怪我をしてもいいし、他人を殴ってもいいから、一緒に戦おう」という決意が語られるわけでもない。
つまり、「怪我をさせたくないし、他人を殴ってもほしくない」というたいへん力強い言葉をひるがえす、これに匹敵する重い言葉も場面もないままで戦っているのだ。
このへん、バトル前後で焦点がサブヒロインの恋心に移行している点もあってか、えらく散漫な感じは否めない。
その部分に関しても、ロボットバトルと恋心を連動させるのはオッケーだが、ロボットバトルがそれほどにこの作品世界で重いものなのか? という疑問は残る。もちろん、重いのだろうが、それにしてはロボットバトルの扱いが東北ローカルで主人公も高校に入るまであまり知らないなど普通の趣味の範疇でしかない。『ゲームセンター嵐』のように、ゲームのバトルが世界の平和と連動しているとか、そういう風な演出があれば違ってきたのだが。
こうした瑕瑾はあるものの、ことラブ話の部分での茸味くんは逡巡のない立派な少年で、読者はいらいらせずにふたりのバカップルぶりを楽しめる。
続編もあるようなので、期待したい。
■本日のもの書き:『くまたんとキス』
くまたんシリーズの8作目。『小説の部屋』に収録。> こちら
IRCチャットで、キスの話が出たので久しぶりに。
『構想3分、執筆1時間』。思いついたら書いてみようというやつである。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 ピョートル大帝、デフォーほか』
18世紀ごろの人々。
ダニエル・デフォーという名前に聞き覚えがなくても、『ロビンソン・クルーソー漂流記』といえば、「ああ、アレか」という人は多かろう。
彼は17〜18世紀の商人であった。
アジアやアフリカ、アメリカとの貿易が拡大する時代にあっては、商人は博物学に興味を抱かざるをえない。世界のどこに行けば、どんな物が手に入るのか。それはどこで売れるのか。単に知識を追い求めるのではなく、そこに現世的な利益を求める商人の姿勢は、そのままロビンソン・クルーソーの姿であろう。
日本の鼠小僧が19世紀の江戸に登場したように、パリにも18世紀に鼠小僧がいた。
名前をルイ=ドミニク=ブルギニヨン・カルトゥーシュ。はしっこい小男で、身軽に屋根をかけて煙突から侵入したという。また、彼はパリ市内に協力者による情報網を持ち、市井の人々から警備状況を教えてもらったり、かくまってもらったりしたという。
このカルトゥーシュの協力者は後に裁判にかけられたものだけでも750人を超えていたというから、かなりのネットワークである。これら義賊団は仲間内だけで通用する隠語を使って会話をしていたらしい。
……とすると、こんな感じだろうか。
「パリ市庁舎の警備情報うpきぼんぬ」
「くれくれ厨uzeeeee」
「そんなことより、カルトゥーシュが武装騎馬隊に追いかけられているのだが」
「あqwせdrftgyふじこlp;」
「カルトゥーシュ、オワタ」
「おまいらモチケツ」
「実はここにそのあたりの下水道の地図が つ*地図*」
「キター━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!!!!」
「神キター」
「武装騎馬隊、カルトゥーシュを見失っているモヨリ」
「実は漏れ、さっき道を聞かれたので反対を教えてしまいました」
なお、最後にはカルトゥーシュは車裂きの刑となっている。
■本日の読書:『春は出会いの季節です アルテミス・スコードロン』扇智史
何十冊という新刊が毎日のように書店に並ぶ現在、すべての本を読むことなど誰にもできはしない。
ともすれば、ついつい同じ作者だのの本ばかり買うようになってしまう。
だから友人知人のアンテナというのはすごく貴重になる。この本も私が敬愛することになっている彬兄殿の推薦である。
本書は、女性士官養成学校に進学した主人公が、熱血スポ根な流れで一人前の戦士に育つというものである。
面白いし、読ませる話である。
きちんと書いている、と私は思う。
だが、きちんと書いたものをしっかり読むにはヒキが必要だ。
これが普通に熱血スポ根であれば、ライバルがいたり、試合があったり、コーチが病気で死にかけたりするのであるが、そういうものが『アルテミス・スコードロン』にはないのだ。
主人公とその周囲のメンツは血反吐をはきかねない勢いで精進するのであるが、ヒキがないので、なぜそこまでするのかがわからない。どうやらお姉様な先輩キャラだけは何かそうせなばならぬ理由があるようなのだが、裏の事情をまるで明かしてくれないのでヒキになっていない。
どこまで行けばオチがつくのかわからない話というのは、内容の善し悪しとは無関係に、しんどい感じがするのだ。
■本日の読書:『絵巻物に見る 日本庶民生活誌』宮本常一
昔の人の服装や暮らしぶりなどを知る貴重な手がかりが、その当時の絵や彫刻である。文章からだけではわからない着こなしなども、絵ならばわかる。
まあ、今の日本漫画が、はるかな未来に今の我々の生活をうかがう役に立つかというとちと疑問ではある。
『旧暦の20〜21世紀は地球温暖化が問題となった時期である。気温の上昇にともない女性のスカートの丈は短くなり……』
すいません、未来の学者殿。それはただパンツ見せてるだけです。
さて、本書は主に平安〜鎌倉時代の絵巻物から、当時の人々の生活を描き出している。
平安時代の用便方法とか。(くみ取り式以前。人糞を肥料として使う前?)
絵巻物に五徳はよくでるが、自在鉤はほとんどない。(煮て食う文化と、蒸して食う文化の違いか?)
板敷きの床に茵(しとね)や蒲(がま)を編んだ蒲団を敷いて座る人々。(蒲団と座蒲団布は共用。ちなみに上には袖のついた夜着をかけて寝る。冬はさぞ寒かろう)
夜の照明たる篝火は京都では近畿、中国地方の武士が回り持ちで担当した。(夜間照明の性質上、治安維持も担当?)
こんな感じで、絵巻物からは読み解かれたいくつものエピソードが紹介された本である。人間、見るべきところを見れば、そこから情報はいくらでも読み取れるのだ。
■本日の読書:『歴史群像No.81』
今月もまたよみどころ多し。
●『国産プロペラ物語』野原茂
日本の戦闘機におけるプロペラについては、前々からいろいろな話を小耳にはさんできた。
曰く――
「戦後にハミルトン社に戦争中に使ったプロペラ技術の使用料を払おうとしたら、そんな古い技術なら100ドルくれればそれでいいとか言われた」
曰く――
「アメリカ軍が接収した日本の戦闘機に、自分のところのプロペラをつけて飛ばしてみたら最高速度や上昇速度がぐんと上昇した」
これらのエピソードの真偽はともあれ、日本のプロペラ技術が遅れていた印象は抱いていたのである。
だから、黎明期からのプロペラ開発の流れが簡潔にわかりやすく書かれたこの記事は私にとって願ったりであった。
同じ2000馬力級エンジンを持つ英米の機体と並べると、日本の四式戦『疾風』はやけにプロペラがちっちゃい感じがあった。プロペラは小さい方が機体も低く軽くできるのだろうが、この記事によると、やはりエンジン出力のロスが大きかったらしい。
そういや、今のエアレースなんかに出てるのもみな、プロペラはでかい印象があるなぁ。いや、確かにでかいほうがカッコいいのだが。
●『真説 加藤清正』中西豪
加藤清正といえば騎馬武者で虎退治である。
聖杯戦争にサーバントとして召還されたときにはランサーがぴったりだろうが、彼が一軍を率いる武将として活躍した朝鮮役での陣立て史料をみると意外な数字がある。
「高麗国出陣武者分備定」
部将格の武士:150
寄騎:578
鉄炮衆:1820
弓:256
忍:10
陪臣、下僕、浪人衆:9790
ここには当時の主力兵科である長鑓衆(長柄衆)の編成が記されていない。
何か理由があって書かなかったのかもしれないが、中西さんはこれはむしろ、清正隊は鉄炮衆を主力にもってきたせいではないかと分析されている。なお、武士や寄騎などは騎乗であるが、清正は彼らに短い馬上筒の装備を義務づけている。
ちなみに数の上での主力は直臣(会社でいうと正社員)ではなく、陪臣(会社でいうとパートやアルバイト)である。
おそらくは長鑓なども含まれるだろう陪臣について兵科が記載されていないのは、詳しいところまで把握できていない=編成未了ということで、これではいかに数があっても頼みにするには心許ない。朝鮮役のために出陣した加藤隊の実態とは、寄り合い所帯めいたものであったのかもしれない。
だからこそ、火力支援を重視し、未熟な鑓衆が無理をしないでも戦えるように鉄炮の比率を高めたとも言える。
なお、その火力支援であるが、蔚山城の戦いにおいては清正隊の火力が籠城を成功させた大きな要因と言われている。
どのぐらい撃ったかというと、清正の家臣加藤大助は従者4人に鉄炮2挺を交代で装填させて1日に280発を発射しているという記録がある。記録にあるくらいだから、まあ、撃ちに撃ったのであろう。
■本日の読書:『リングテイル 勝ち戦の君』円山夢久
無面ノ騎士ノキタル戦、負ケヲ知ラズ。
カノ人ヲ讃エテ呼ブ、〈勝チ戦ノ君〉ト。
仮想の世界を、物語の舞台を。
読者の脳内に生き生きと現出せしめているものはなんだろうか。
原則的には、それは読者自身の脳である。
私にとって、文字も読めない時から母に読み聞かせられていた『くまのプーさん』たちが住む森は今でもすぐそこに存在している。
一方で、どれだけ深い学識に支えられていたとしても『指輪物語』の世界は私にとってどうにも希釈で縁遠い。
だから、『リングテイル』の世界が私にとって触れられるがごとき濃密であるのは、理由を探すようなものではない。
それでもあえて答えをひとつ出すとしたら、やはりバランス感覚だろうと思う。
世界の描き方。世界の見え方。
そこにないものを描かず。そこにあるものを省かず。
あるべきものをあるがままに描写する。
だからこそ、この物語はすべてが腑に落ちるのだろうと思うのだ。
■本日の読書:『フェイト/ゼロ 1 第四次聖杯戦争秘話』虚淵玄
過去話の外伝というのは今ひとつ興がのらないものである。
ましてや何が起こっているかわかっている、結末がどうなるかもわかっている物語であれば、「先の読めないドキドキ」感がない気がするのだ。
だからフェイト本編の10年前に行われた第四次聖杯戦争を題材にした作品。本編を読めばどうなるか丸わかりな作品であれば、そうなってしかるべきなのだが――
どういうわけか、1巻を読んだ時点で、私はたいへんドキドキわくわくしている。
面白い。楽しい。
考えてみれば当たり前の話で、展開が史実通りになるからといって歴史小説がつまらないわけではない。結末がどう転ぶとしても、その過程に意味がないわけがないのだ。
『青髭』ことジル・ド・レが狂的な殺人者で、彼がセイバーをして『聖処女』=ジャンヌ・ダルクと見なした点は実に愉快であるし。(本編発売前は、私もセイバーの正体候補としてジャンヌ・ダルクを考えていたし、そういう人は多かろう)
『征服王』アレクサンドロス大王の実に豪快なキャラと全マスター中最弱&最ヘタレなウェイバーの組み合わせは、どちらかというと停滞しがちなドラマを実に見事に攪拌してくれるし。
そしてフェイト本編における後々まで残る違和感――桜を“ああなる”とわかっていないはずがないのに間桐の家に養子に出した凛の父親は果たして凛の回想にあるように人間としても立派な人であったのかどうか――も、間桐の青年の視点から解き明かされそうである。
ただ唯一の無念としては、前回に続きランサーがケルト系英霊であった点である。
中華な英霊が出ると期待してたのだが……具体的には三国志の関羽とか。
この外伝に登場したキャラの中で、私が今のところ一番気に入っているのが最弱のウェイバー君である。
とにかく、どの一人をとってしても覚悟が決まっているか頭のねじが外れまくっているかその両方であるのに対し、彼だけはこちらの世界とあちらの世界の狭間に生きている。
彼が主人公であれば、あるいは――
だが、残念なことに彼は主人公ではなく、士郎のような器も持ち合わせてはいない。単に臆病な小人であり、聖杯戦争にもっともふさわしくない。
だが、だからこそ。
独り恐怖に震えていた少年の小さな肩を、そのとき、優しく力強く包み込むものがあった。
その硬く大きく温かい感触に、他ならぬウェイバーが面食らった。この巨漢のサーヴァントの手――いかつく節くれ立った五指は、矮躯のマスターにとって畏怖の対象でしかなかったというのに。
「おう魔術師よ。察するに、貴様はこの坊主に成り代わって余のマスターとなる腹だったらしいな」
いずこに潜むとも知れぬランサーのマスターへ向けてライダーは呼びかけると、じつに底意地の悪い憫笑で顔を歪めた。
「だとしたら片腹痛いのぅ。余のマスターたるべき男は、余と共に戦場を馳せる勇者でなければならぬ。姿を晒す度胸さえない臆病者なぞ、役者不足も甚だしいぞ」
『フェイト/ゼロ 1』p331
もしもウェイバーが生き残るのだとしたら、彼だけはこの戦いによって未来への希望を担うことができるのではないかと。
絶対的な敗北の決まっている征服王と。必ず負けることになるライダーと。共に戦うことで、その背中を見ることで。切嗣の生き様から士郎が何かを得たように、ウェイバーもまた何かを得るのではないかと。
なんとなくそういう事も思ってみたりするのである。
■本日の読書:『魔法使いのネコ』石岡正和
石岡正和さんの個人誌が久しぶりに出たというので、通販で読ませていただく。
石岡さんの描く魔法や怪異もまた、あるべきものをあるように描いている。
世界にきちんとルールがあるからこそ、物語が浮ついたりしないのだろう。
そのせいで、どうしても地味な感じはあるが、これもまた石岡さんの持ち味だと思うのだ。
このシリーズを金澤尚子さんから「銅さんなら間違いなくこのシリーズ気に入ると思いますよ」とおすすめいただいた事に、改めて感謝する次第。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 マリア・テレジア、乾隆帝ほか』
18世紀の世界の人物その2
『大唐帝国』などの著作をもたれている宮崎定一さんのコラム『景気と人生』が面白い。大航海時代になり新大陸から大量の銀が流入したヨーロッパであるが、銀はあくまで貨幣であり、それ自体は消費財にはならない。金を使うアテがなくてはただのインフレになってしまう。
が、ここで実に具合のよろしいことに古代ローマ帝国が斜陽を迎えてからというもの、ヨーロッパでは貨幣が不足するデフレの方が長く続いていたのである。中世の封建制度というのが荘園の自給自足体制をとっているのは、貨幣不足という意味もあったのだ。
そこに新大陸より大量の銀。ヨーロッパの経済は好景気へとシフトする。(ただ、中世の終わり頃からヨーロッパでもドイツの銀山の開発が進んでいたので、別にアメリカからの流入だけが景気の回復につながったわけではない)
金回りのよくなったヨーロッパの人々はこの銀をアジアへと持ち込んだ。アジアにある香料や茶、絹や綿などの衣料がアメリカ銀で購われてヨーロッパへと運ばれる。
そして今度は、アジアの経済が潤うようになる。
『ナマコの眼』では、アメリカから太平洋をわたった銀でナマコ加工業が発展し、そのナマコを中国に売って茶葉を購入してヨーロッパへ戻るという世界を一周する貿易の事例が書かれていたが、こんな感じでアジア経済も大航海時代の恩恵はたっぷり味わっていたのである。
これが後になるとプランテーション経営、アヘン売買など、ヨーロッパ列強によるぼったくりな植民地化も行われるようになるが、18世紀ぐらいまでであれば、大航海時代には良い側面も多かったのである。
この好景気の流れを代表する人々が、18世紀のイギリスにいる。
ロイズ・コーヒー・ハウス。
17世紀後半に開店したこのコーヒー屋さんは、ただコーヒーを飲む場所ではない。コーヒー屋には人が集まる。おしゃべりもする。新聞も届く。情報交換が盛んに行われ、商談も行われる。
そしてその情報を一番よく耳にはさむようになるのが、店主である。
コーヒー屋の経営者であるエドワード・ロイドさんはソードワールドの冒険者の店のオヤジよろしく自分が聞いた情報をまとめて、交易関係の情報をまとめた『ロイズ・ニュース』の配布をはじめる。
それを知った商人たちがさらに集まり、コーヒー屋はさながら証券取引所の様相を見せはじめる。
このロイズ・コーヒー・ハウスこそ、今の保険市場ロイズなのである。
さて、18世紀になるとコーヒーよりも紅茶の方が高尚な飲み物であるというイギリス人の嗜好がはっきりしてくる。
ロイズ・コーヒー・ハウスにも出入りしていた商人トマス・トワイニングはその紅茶を扱う茶商である。
彼が店を開いたストランド街には今も紅茶を扱うトワイニング社が残っている。
さて、紅茶を飲むには陶磁器である。
日本で戦国時代に茶の湯の広まりと同時に茶器が高値で取引されたように、イギリスでも紅茶を飲むための陶磁器ががんがん売れるようになる。
その製陶業で財を成したのがジョサイア・ウェッジウッドである。
彼は巨大な工場村を作り、そこには図書館や学校、病院など社員の福利厚生施設も建設した。一方で、工場では作業工程について厳格な取り決めを行い、品質の管理に努めたのだ。
ウェッジウッドは他にも送料の会社負担、返品の許諾などの流通面での改革も行い、さらにはブランドイメージを上げるためのサロン風展示場の建設、英語のみならず外国語のカタログ配布などPR面でもアイディアを出している。
さて、こちらはずっと東に行ってアジア。
ロイズ・コーヒー・ハウスで大勢の商人がわやわややるようになって久しい頃。
若き皇帝が中華帝国に君臨した。
乾隆帝である。
生涯に10回の外征で勝利を飾り、自ら『十全老人』と称したこの皇帝こそは、アジアにもまた好景気の波が押し寄せたことを具現化した存在である。
何せあなた、はるかチベットからネパール、ミャンマー、ベトナム、台湾と広大な中原の辺境でたびたび外国に乗り出して戦争をしかけておきながら、国庫はみじんも揺るがなかったのである。
かつて漢の武帝が。随の煬帝が。外征によって国庫を破綻させてしまった事を考えれば、乾隆帝の戦争はまるで桁が違う。
茶葉や絹織物、景徳鎮の陶磁器などをヨーロッパに売りさばき、清国は空前の好景気の中にあった。おかげで人口もばかすか増え、乾隆帝の治世61年が終わる18世紀末には4億を数えるようになる。
だが――
乾隆帝の統治下において栄えたであろう無数の商人や経営者の中に、ロイド、トワイニング、ウェッジウッドらに相当する人物はいない。個人としては匹敵するか凌駕する商人もいたのだろうが、その後の清国の凋落に彼らの後継者は飲み込まれてしまい、歴史に名前を刻むことができなかったのだ。
■本日の読書:『マルドゥック・スクランブル 圧縮』冲方丁
この1巻だけ読んで放置していたのだが、このたび続きも読んだので日記に書くことにする。
さてこの作品、すごく面白いのだが――実はどうしても違和感がぬぐいきれなかったので1巻で読むのをやめていた。
その違和感の正体がキモとなる『マルドゥック・スクランブル 09』という法律である。
私はドクターやウフコックが、個人として超技術を持つバットマンのような存在であったりするのには納得できる。あるいはナイト財団のような、あるいはチャーリーやクレオパトラのような。クロノスやBF団だってかまわない。
とにかく、『己の正義』のために超技術を恣意的に使うのであれば、そういう話だろーと己を納得させることができるのだ。
だが、『マルドゥック・スクランブル』ではあくまで超技術は体制の持ち物である。戦争の後で封印しているとはいえ、スゴイ技術だ。
スゴイ技術を封印して管理できるような体制というと、私は人類補完機構のような秘密結社めいた連中がいてくれないとどうも落ち着かないのである。このへんは私のバランス感覚なので、冲方さんが悪いわけでも『マルドゥック・スクランブル』の出来が悪いわけでもない。
むしろ、他の面では文句をつけようがない傑作であるがために、違和感が残ってしまうのだ。残念なことである。
■本日の読書:『マルドゥック・スクランブル 燃焼』冲方丁
しかし、その違和感を押し込めることにさえ成功すると、2巻からは俄然、面白くなってくる。
封印された超技術の“楽園”といい、コインに封じられた記憶を奪うためのカジノの場面といい、文句なしのエンターテイナーだ。
■本日の読書:『マルドゥック・スクランブル 排気』冲方丁
カジノでの決着がブラックジャック、それもディーラー側が最強のカードで――スペードのAと黒い片目のジャック――このカード相手に勝利するという場面では本を持つ手が震えるほどの興奮を覚えた。
そしてもちろん、決着はド迫力のバトルでつく。
白眉となるのが、バロットがボイルドの片足を吹き飛ばした後である。
ボイルドが、壁から歩道へと歩いてきていた。左足は膝のすぐ上から消失している。にもかかわらず、目に見えない左足を動かして歩き、車道に降り立ったのだ。
ボイルドは、残りの装置の働きを最大限に活かし、重力を左足の形にして体を支えていた。血はほとんど出ていない。重力によって重要な血管を圧迫し、止血しているのがバロットに感覚された。
「手足を吹き飛ばされたくらいでは、俺は止まらない」
『マルドゥック・スクランブル 排気』p350
すげえぞ、ボイルド!
ボスキャラってのはやっぱり、このぐらいやらないといかんのである。
全部読んでの感想は大満足。途中で放り出したままにしておかなくて本当に良かった。
■本日の読書:『風雲児たち 幕末編 10』みなもと太郎
安政の大地震から、ハリス来日のへんまで。
黒船来航のどたばた騒ぎから、いろいろ本を読むだに当時の老中、阿部正弘の評価というのは今ひとつ高くない。寝業師な政治家で、本音が見えにくい――つまりは優柔不断に見えるということなのだろう。
だから、みなもと太郎さんの描く阿部正弘が真実ではないにせよ。幕末編10巻までの幕府側主役は間違いなく彼であった。
そろそろ退場する阿部正弘があの世で江川太郎左右衛門(36代)とどのような苦笑いをかわすか思いつつ。
お疲れ様、と慰労したい。
■本日の読書:『真説 鉄砲伝来』宇田川武久
鉄砲伝来。
教科書では、1543年に種子島に漂着したポルトガル商人から手に入れたのが普及したとされている。
というのも、鉄砲伝来についてそれなりにきちんとした史料は『鉄炮記』しかないからである。
この史料については私も聞きかじるぐらいであった。本書では『鉄炮記』の全文(意訳)が紹介されており読むことができた。
感想――短っ!
意訳してひらがなふっても新書で5ページにしかならない。
なんともはや。しかもこの記録は戦国の終わった1606年に、種子島の領主がじいさまが鉄砲の伝来に関わったという記録を残そうとライター(僧侶)に発注して書かせた「我が家の名誉」を伝えるための文章である。
あからさまなウソこそあまりなくても、誘導はしているはずだ。
そういうわけで、クロスチェック。
きちんと年代とかエピソードが記された史料がないなら、それ意外の史料などを元にあれこれ推理を働かせたのがこの本である。
歴史を読み解く知的な興奮を味わえる良書だ。
なお、個人的にたいへん面白かったのは砲術師の秘伝書にある鉄砲の由来である。
なんと、お釈迦様の時代、無意鬼という凄腕のメカニックがいて彼が鉄砲を発明。んで、お釈迦様は鉄砲を使った説法によってこの世の悪を鎮めたという。
お釈迦様のイメージがワイルドアームにっ!
かっちょえー。
■本日の読書:『荒野に獣 慟哭す 4』原作/夢枕獏 漫画/伊藤勢
小説の漫画化、あるいは逆でもいいしアニメ化でもなんでもよろしい。
私がそれらの作品を評価するポイントのひとつが、付加価値である。
せっかくメディアを変えるのだから、なんかくれ。
そういう点で、伊藤勢さんはモンスターコレクションの頃から安心して楽しめる素晴らしい漫画家さんだ。
この夢枕獏原作の『荒野に獣 慟哭す』もなんかすでに原作のノリから逸脱して、伊藤勢さんっぽいノンストップで怒濤の展開をみせている。
シリアスとギャグの緩急のつけかたもさすがだ。
これまでもメタ的に伊藤勢さんや夢枕獏さんが出ていたが、特にp81〜p85のへんになると、
「(メキシコにいろいろネタを集めにいきたいから)確か獏さんの小説でメキシコが舞台になるやつがあったよな……」
などとメタにもほどがある会話が飛び出している。
あげく、編集さんから
「伊藤さ〜〜ん! また妙な山っ気出してるな〜〜!?
真面目に仕事しなさいよう〜〜〜!」
と言われて伊藤勢さん答えて曰く
「真面目なポンチ絵描きなんざな 陰気な噺家よりサマにならねえだろうがよ!」
思いっきり納得してしまったよ。
そしてこの巻のトリは、独覚兵、毘羯羅とサイボーグ美女、オードリーの殲滅戦。
伊藤勢さんのバトルの特徴として、判断から行動への躊躇がない。説明もろくにしないのですごいスピードで絵が流れていく。
このへんのスピード感覚は漫画でなくともすごく参考になるところだ。
そして一敗地にまみれた(脳髄も床にまみれた)オードリーがごろごろと転がりながらびくびくと死のけいれんをするのをひょいとまたいで我らが主人公、周平登場。
「ちぇっ、期待したほど消耗してねえか
つかえねえなサイボーグ」
……本当に主人公かおまえ〜〜〜〜っ!?
■本日の読書:『戦艦大和地中海決戦録 戦艦大和欧州激闘録II』内田弘樹
魔改造大和の続編。
今回はこちらの世界でいえば、朝鮮戦争に相当する、南北に分断された半島国家の悲劇、イタリア戦争が舞台である。
さて、今回の魔改造ポイントを列挙してみると次のようになる。
●極大弾重量二万二〇〇〇
46センチ(18インチ)主砲を51センチ(21インチ)へと拡大。
投射する砲弾の重量は1発あたり2万2000キログラムになる。
●トランジスタ・グラマー
それまでの真空管によるアナログ射撃指揮システム「ヘカトンケイル」を、トランジスタを利用したコンパクトなデジタル射撃システムへと改造。
●ユナイテッド・ステイツの心臓
主機関を28万馬力に換装。これは、建造が中断された〈ユナイテッド・ステイツ〉の主機関を流用したものである。
なんとも破格というか、ありえねーというか、なんで戦艦1隻改造するのにココまで金と手間をかけるのだよというか。そういう疑問をお持ちの方も多いだろう。
むろん、理屈はいくつもつく。
その最大のものが、冷戦という時代背景である。これが敵味方合わせての総力戦の最中、しかも負けかけてるとかになると無駄なことができない。なんだかんだいって、すでに戦艦の時代は終焉を迎えている。大和を改造するよりは航空戦力を充実させるべきだ。
が、冷戦であれば別だ。冷戦において必要とされるのはむしろ象徴、イメージとしての抑止力である。そしてコスト度外視の魔改造大和には、コスト度外視であるがゆえの凶暴なイメージがある。
しかし、そんなごたくよりも。
p144でのマクナマラの台詞こそがすべてではないかと思う。
「このままでいいのですか、黛大佐? フランス海軍ごときに我々が敗れたままで?」
まさに――まさに。
マクナマラの言う通りである。
フランス海軍ごときに大和が負けたままというのは、どうにも納得がいかない。(実際に負けたのは三河であるが、これが大和が負けていてくれたら、もっと納得いかない気分が盛り上がったろう)
北斗の拳でいえば、モヒカンなチンピラに、ラオウ様が膝をついているようなものである。何か理由があったとしても、そんな光景を認めるわけにはいかない。やり直しを要求する。
そして、再び繰り広げられる大和のリベンジであるが――やっぱりちょっと、タメとかヒキとかは足りない感じである。かなりあっさり風味であるが、溜飲は下がるのでよしとしよう。
大和は最強でなくてはならない。
大和こそは、『傷だらけの破壊神』であるのだから。
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