| 12月01日 |
■本日の読書: 『キャプテン・フューチャー全集10 小惑星要塞を粉砕せよ!』エドモンド・ハミルトン
キャプテン・フューチャーの長編シリーズ掉尾を飾るのは、ウル・クォルンとの戦いである。
やはり、生まれた時からのライバルはひと味違うのぉ……と読み始めるとびっくり仰天。
なンと、この話におけるウル・クォルンは異次元の支配者、『上帝』の手下にされていた。しかも愛人のヌララも『上帝』に奪われている。
キャプテン・フューチャーと対決してその頭脳と知識を誉められた時のうれしそうなウル・クォルンの顔が、ことさらにその落魄たる運命を感じさせる。
違うっ! 違うんだっ!
こんなのオレの好きなウル・クォルンじゃないっ!!
あいつはっ、あいつはっ、全太陽系を敵に回していてさえ威風堂々、旌旗翩翻とした悪の天才だったはずだっ!
しかも決戦になる前にカーティスに殴り倒されてからは一行も登場せずに終了。あげく、エンディングでも登場しない上に裏切ったはずのヌララに「どうかウル・クォルン博士に哀れみを」と慈悲を請われる始末。
そういうわけで、どうにももの悲しいシリーズの終幕である。
作品の出来はいいし、敵の親玉たる『上帝』もハンサムでカーティスと互角の肉弾戦ができる手強いヤツであったのだが……
それでもウル・クォルンの惨めな姿が私の心を暗くするのである。おかしいなぁ、高校生の頃にハヤカワ版で読んだ時にはこんな気分にはならなかったのに。
なんとゆーか、ほれ? 最強だと思っていた格闘家が老いてよぼよぼになり、格下の若造に倒されるのを見る気分?
うがーっ!
ウル・クォルンの運命が、これで最後だとオレは認めないーっ!
『宇宙英雄物語』の紅竜先生のごとく、最後の最後でエラそーに人類に宣戦布告するエンドを私はよーきゅーするーっ!!
| 12月02日 |
■本日の読書: 『七姫物語 第四章 夏草話』高野和
四都同盟までのお話。
姫をかかげた軍隊があっちでもこっちでも動いた割には大きな戦はなし。
なんとなく演習っぽい感じであるが、弾薬や燃料を必要としない戦争において、演習と実戦に基本的に差はない。
実戦では矢玉のように消耗するものはあるが、全体からみれば一部である。
一方で食い物や衣料は演習でも実戦と同じくらい必要とする。歩けば腹は減るし、草履(靴)はすり減る。
余談であるが 『たべもの戦国史』(永山久夫) によると兵士が食う米の量は5合/日とのこと。
靴や衣料についてはなんかいい資料がないかしらん。当時の朝鮮との交易で日本は朝鮮産の綿布を大量に輸入している。防寒に優れた朝鮮産綿布を用いた戦闘服(battle dress)が生産されたのは間違いないが、お貸し具足のように、足軽レベルにまで供給された事はあるのだろうか。まだまだ装備の多くを自弁する傾向にある戦国時代である。具足ならともかく服ぐらい自分でなんとかするのが基本であろうが、たとえば今でも学校の制服を指定した衣服店で購入するように、城下において足軽市場のようなものを戦の季節がはじまる春先に開いてバーゲンセールしてたりはせんだろうか。などということを、p120からの『三節 問答雲』を読みながら思ってみたりもしたものである。
衣食住のうち住については洋の東西を問わず、環境は劣悪であった。将軍とか王様とかいう身分においてすら、行軍中はテントか馬車で過ごすのが当たり前である。日本ではしばしば寺社が野営地として選ばれ、エライ武将はお堂などを利用することができたが足軽であれば軒下や納屋でむしろをかぶって寝ることができれば御の字である。
病気が蔓延することもしばしばで、それは戦闘力を大きく損なっていった。
古代のローマ軍や13世紀のモンゴル軍があれほどにまで強かったひとつに、行軍中にあっても兵士の寝床をきちんと整え続けたという点は評価すべきだろう。ローマ軍団は優れたマニュアル化によってノウハウを整え、モンゴルは遊牧の民としての生活がそのまま行軍につながるという形で。どちらも行軍中の兵士の損耗は同じ時代の他国に比べて格段に低かったはずである。
野営地の整備は、損耗以外にも機動力に大きく影響する。たとえば戦国時代の日本では野営した次の日の明け方、ばらばらに散って思い思いに寝ていた兵士が起こされ、これまたばらばらに炊事をはじめてその日の米を炊いて食らい、残りは握り飯にするなどして支度を調え、旗印を探して自分の部隊を見つけ、隊列を整え、それから行軍開始である。日はとうに高く登っていよう。
『三国志演義』では野営中の軍隊が奇襲でヒドイ目に遭っている場面がある。装備と隊列を整える時間と空間がなければ、野営中の軍隊など烏合の衆だから当然だ。逆に、『ガリア戦記』での野営中のローマ軍団が奇襲されたと時に驚くべき粘りを見せるのはその時間と空間を稼ぎ出せる野営能力の高さゆえであろう。
『七姫物語』ではテン・フォウやトエル・タウが食い物に気を配る場面がよくある。衣食足りて礼節を知るというが、軍隊も衣食足りてはじめて戦闘力を発揮できる。
しかしマニュアル整備ひとつとっても、本来は時間のかかる改革だ。戦争がはじまってからでは遅いし、逆に平時にあっては従来の方針を変更する事への忌避感が働く。特に一宮、二宮のような大国にあってはなおさらのことだろう。
けれども、敵国が改革をなして強くなり、痛い目にあったら。おそらく一宮、二宮などの大国にあっても改革を真似る事になるだろう。
『七姫物語』でどこが勝者となり、どのような結末を迎えるかは別として。
おそらく、その結末の後に登場する政治なり軍事なりのシステムには、テン・フォウやトエル・タウの影響が色濃く残っているのは間違いない。彼らが退場した後で、残された東和の指導者たちはあの二人にしてやられた気分になるのではないか。
| 12月03日 |
■本日の読書: 『新・時空のクロスロード1 緑の指の女の子』鷹見一幸
『時空のクロスロード』は、世界崩壊のお話である。
さて、皆さんは世界崩壊というと何を想像するだろうか?
多くの人が想像するのが、『北斗の拳』とか『マッドマックス』のような暴力の支配する荒野だろう。
こういう物語は別名、『アフター・ホロコースト』と呼ぶ。世界崩壊の、その後の物語である。
前シリーズである『時空のクロスロード ピクニックは終末に』は致死性の伝染病によって人口が激減し、世界が崩壊した後の『アフター・ホロコースト』だ。
本書での崩壊の因子は、まるで人類に敵意をむきだしにしたかのような植物である。
『死の世界 1』(ハリイ・ハリスン)の惑星ピラスのようなものだが、あちらは動植物含めた生態系全部が敵に回るので、それよりはマシであろう。
が、本書は『アフター・ホロコースト』ではない。
前の『時空のクロスロード』の伝染病のように、世界崩壊が過ぎ去った後、というわけではないからだ。現在進行形で世界は滅びつつある。まだ、世界は崩壊していない。
さてココで世界崩壊について考えてみよう。『北斗の拳』では核戦争が勃発し、世界は崩壊している。
それでも『人類は滅びてはいなかった!』 わけで、人類滅亡ではない。滅亡していないなら、世界崩壊ではないのではないか? こういう疑問もあるだろう。
そこで世界という概念の問題になる。
たとえば乳幼児にとって世界とは家族だ。家族がばらばらになり、両親がいなくなればその子供にとって世界が崩壊したと言っていい。
10代の学生がイジメで自殺するのも、学生にとって学校が世界そのものであるほどに重要なウェイトを占めるからだ。
学校を卒業して社会人になれば、世界はさらに広がってくる。
親から独立したり、結婚して一家の主になれば、もっと広く見えてくる。
自分の衣食住をはじめとする生活が、いかに多くの人の仕事に支えられているかが分かる。
余談になるが、前に若い人と話をしていた時に「今の日本なら誰とも会わずにひとりで生活できるじゃないですか」という感じの言葉を聞いて違和感を持った覚えがある。もちろん、発言者は「友人・知人としての交流」という点で会う、会わないという意図であろうから他意はない。
ネットや電話などの情報・通信サービス、貿易や配送などの流通・金融サービス、物を作る生産システム、そして電気・水道。ガスなどの社会インフラを整備する多くの人々を意識の外に置いているだけである。
が、一家の主ともなれば、それらはなくてはならないものになる。常時意識したり感謝したりすることはないだろうが、己が平凡な一日を生きていくだけで、どれだけ多くの人々と関わっているかについて忘れることはできない。
世界とは、社会のシステムそのものなのだ。
だから社会システムの崩壊こそが、世界の崩壊と呼べる。『北斗の拳』の人類は滅びてはいない。それでも世界を構成していた社会はばらばらになり、崩壊しているのだ。
本書では、毒を持つ植物が世界崩壊の因子となっている。食べ物がなくなり、人口が減少し、それまでの社会を維持できなくなった。
ここまで劇的でなくとも、崩壊は訪れる。「こんな社会、なくなってもかまわない」とひとりひとりが思うだけで、社会は崩壊してしまうのだ。
これは試そうと思えば誰でも試せる。一番小さくて身近な社会、家族の間で「こんな家族、なくなってもかまわない」と思い、行動してみるといい。社会は簡単に崩れていく。
それでも。
社会を滅ぼすのが人間であれば、社会を維持するのもまた人間なのだ。
家族という社会の外に、地域や職場、学校という社会が、その外に国家とか地球という社会がある。それらはすべてつながっている。この社会を維持していくも滅ぼすのも、他の誰かの役割ではない。自分の、あなたの役割なのだ。
あなたは社会をどうしたいだろう。
答えを言葉にする必要はない。ただ覚えていてほしい。
あなたには、それができるのだと。
これは、そういう物語なのだ。
| 12月04日 |
■本日の読書: 『新・時空のクロスロード2 黄色い瞳の男の子』鷹見一幸
新・世界崩壊シリーズ、その2
この巻で崩壊しつつある世界のポイントは、穀死病と食糧不足ではない。
不足した食糧をどう配分するかの意志決定にある。
民主主義という意志決定システムにはさまざまな問題点がある。うまく機能しない事もある。というか、うまく機能する方が珍しいシステムでもある。
それでもこのシステムには他にかえがたい優れた点がある。
どれだけ状況や結果が悪くなろうが、それは自らの責任だということだ。
もちろん、政治家や官僚に対して文句は言える。悪いことをすれば糾弾も可能だ。しかし主権が国民のひとりひとりにあるのも間違いない。
政治が悪をなし、それによって誰かが泣いたり死んだりしたら、その責任は国民のひとりひとりが負うのである。知らないとか自分はやってないという理屈は通用しない。処罰はされないし、糾弾もされないし、そもそも知らなければ罪悪感すら抱けないが、それでも責任はあるのだ。
そんな責任は勘弁してくれと思うだろうか?
まことに申し訳ないが、民主主義とはそう思ってくれる人のためのシステムである。
責任はない、とか。いや我が国の政治は民主主義ではそもそもないと考える人が多い場合、民主主義は民主主義ではなくなる。自分以外の誰かに責任を押しつけ、「お前が何とかしろ、俺は知らない」となってしまう。
それでいいじゃないかと割り切れるのは、政治がそれほど悪くないときだけである。
悪くなったとたん、人々は政治に背を向ける。ひどいときには暴動やクーデターの騒ぎになり、そこまでいかなくとも社会は機能不全をおこす。統治する側は暴力による強制を必要とし、ますます状況は悪化する。
民主主義でも似たような展開は起こるが、そこまで悪化する前に行動を起こさせるシステムがある。
良い言葉でいえば、「君の力が必要だ。一緒にがんばろう」で、
身も蓋もなくいえば、「てめぇも手を貸せ。でなきゃ一緒に地獄巡りだ」ということだ。
それでも悪くはなるし、死んでしまうかもしれない。が、どうせ人はいつか死ぬ。死ぬならせめて納得して死にたい。
本書では人を選別して“処分”する意志決定を、洗脳によって行っている。納得できない事を、洗脳によってむりやりに納得させることで、意志決定を人々から奪っているのだ。
ある意味でそれは福音でもある。食料は足りない。生きるために最低限の食料を配給したところで、それでも足りない。誰かを犠牲にする意志決定を、自分でやりたいという人間はあまりおるまい。
しかし、痛みと責任をそれぞれが自覚しない意志決定は脆い。
犠牲が大きければ大きいほどに、それを自らの責任だと思わなければ、破綻した時の揺り返しもまた大きい。
民主主義とは、痛みと苦しみを皆で背負うシステムだ。
その真価は、状況が悪い時にこそ発揮される。
ひとりであれば、少数であれば潰れてしまうような意志決定の重荷を、皆で背負う事ができるのだから。
| 12月25日 |
■今月の読書:リスト&一言感想
ココは備忘録的な読書日記ですが、作品名や作家名などでの検索効率も考えて見直しを検討中です。
そのため読後に感想書いてない本が増えたので、ちょいとリストだけ作成。後でちゃんと埋めます。
それだけだとアレなので一言感想も。
『新・時空のクロスロード3 赤い心の女の子』鷹見一幸
世界滅亡物語、とうとう「隣りの世界の滅亡」からついに、「この世界の滅亡」へとお話がシフト。滅亡ネタは『ススムちゃん大ショック』のバリエーション。社会とは結局、信頼で成り立っているのである。
『新・時空のクロスロード最終譚 一番列車は朝焼けに』鷹見一幸
最初のシリーズの後日談で、鉄道を復旧させるお話。インフラを維持するために黙々と働く人々の姿に、『パーマンはつらいよ』のバードマンとパーマン1号の会話を思い出した。
「なんの得にもならず、人に誉められもしないのになぜ行くんだい?」
「わからない。でも行かずにはいられない。わけは後で考えるよ」
『機動戦士ゼータガンダム1/2』長谷川祐一
本編の3話ともに、「弱いモビルスーツでどう戦うか」がポイント。
それにしても、やはりロリだったか。
『機動戦士クロスボーンガンダム 鋼鉄の七人 1』長谷川祐一
長谷川祐一さんらしい、主人公サイドをどこまでも不利になるよう追い込んでいく過程が素晴らしい。短編ではできない大逆転が楽しみである。
『パンプキン・シザーズ 6』岩永亮太郎
間の話はアニメ化に合わせてキャラの立ち位置を紹介するお話であったようだ。
『絶対可憐チルドレン 7』椎名高志
最後の方のエピソードは目とかが別人。萌え記号の投入?
どうやら打ち切られはなさそうだが、安心はできない。
『ジョン平とぼくと』大西科学
普通に手堅いのだがやや不満。これが作者の全力ではない、という感じか。
誰もが使い魔を持つ世界なのにそこの人間のメンタリティが我々の世界と同じだという点に違和感がばりばり感じられる。もちろん、そこはワザとそうしているのだろうが、それだけに。
『ロケットガール2 天使は結果オーライ』野尻包介
めでたく新装開店。アニメも期待。
『アルテミス・スコードロン 春は出会いの季節です』扇智史
彬兄殿のオススメ。
『トップをねらえ!』の最初の方の話を大まじめにやった話。作者がこういうのが大好きなのはすごくよく分かる。全力で書いているのもよくわかる。好きか嫌いかというと好きなお話。
だがその真面目っぷりがどこか空回りしている感じも強い。
『ローマ人の物語XV ローマ世界の終焉』塩野七生
ついに完結。1年に1冊で15年。毎年楽しみだったなぁ。
最終巻は淡々と終焉へと向かう物語である。
『人口が変える世界 21世紀の紛争地図を読み解く』日本経済新聞社
sfさんのオススメ。
実に刺激的で面白い本。人口というキーワードを元に世界を切り開いていく視点がすばらしい。
『人気テレビ番組の文法 見る人・出る人・作る人のために』純丘曜彰
sfさんのオススメ。
これまた刺激的で面白い本。ところどころ毒もあるが、むしろこの本の真価は理想というか建前を高らかに掲げてある部分にあると思う。
『MC☆あくしず vol.3』
肌色の多いミリタリー雑誌。
私も『放課後ワールド・ウォー』を寄稿させていただいている。
個人的に気に入ったのはロンメルを狐耳で下半身剥き出しの女の子にした記事。なるほど、こんな上司や部下なら嫌う人はとことん嫌うよね。
『豪拳ヤマト1 風雲欧州大戦』飯島祐輔
スターリンがえらく燃える赤い男に。
『ユリア100式 1』原作:原田重光/作画:萩尾ノブト
『ユリア100式 2』原作:原田重光/作画:萩尾ノブト
下ネタ上等のバカ漫画。すごく下品でバカで笑える。特にフィアンセの女の子が登場してダッチワイフのユリアと激突するエピソードは爆笑もの。
『バーサーカー 赤方偏移の仮面』フレッド・セイバーヘーゲン
『宇宙の戦場』の次は、本書に収録された『宇宙の岩場』にしようと考えて読み直す。
『レパントの海戦』をスペオペ的に描いた戦いなのだが、かっこいいなぁ。
『仮面ライダーSPIRITS 11』原作:石ノ森章太郎/漫画:村枝賢一
相変わらずライダーたちはボロボロである。
『朝日百科世界の歴史 ステンカ・ラージン、ピープスほか』
17世紀の世界の人物。
『遙かに仰ぎ麗しの』PULLTOP(※18禁)
みやびちゃんぷりちー。
| 12月26日 |
■宇宙の戦場その5:『岩場』の戦い 『バーサーカー赤方偏移の仮面』より
今から40年前の1966年。
アメリカのSF作家フレッド・セイバーヘーゲンの手によって『宇宙戦争』の火星人にも匹敵するおそるべき敵が生み出された。
本作の『無思考ゲーム』冒頭の文章を紹介しよう。
その恒星船は、生物の乗り組んでいない巨大な要塞だった。すでに死に絶えて久しい支配者たちが、その昔、生きとし生けるものを滅ぼす目的で発進させた機械なのである。それとその同類は、地球暦とはおよそ関わりのない遙かな過去に、名も知らぬ星間帝国のあいだで行われた戦争から、地球がうけついだ遺産であった。
『バーサーカー赤方偏移の仮面』p13
すべての生きとし生けるものを破壊すべく、もはや意味のない命令に従って宇宙を放浪して殺戮を続ける機械。
人々は、それを〈狂戦士〉(バーサーカー)と呼んだ。
『バーサーカー赤方偏移の仮面』p14
バーサーカーの恐怖は、なんといってもそのタフさにある。一隻、一隻がデススターかイゼルローン要塞かというようなシロモノなのだ。
かつて大激戦があった。おそらくそれは、まだ人類が槍でマンモスを狩っていた大昔のことだろう。そのころ〈バーサーカー〉はどこかで恐るべき強敵に遭遇し、その一撃で深い痛手を負ったのだ。いちばん広いところで幅2マイル、そして深さ50マイルにもおよぶ大空洞が、そこにできあがっていた。
指向性核弾頭の連続的な爆発で、何重もの装甲、何層ものデッキをつぎつぎに突き破られたあげく、深奥にある生命のない心臓の最後の防衛線がようやく損害を食い止めた跡なのだ。
『バーサーカー赤方偏移の仮面』p60
しかもこの怪物は、破壊されるまで現役なのだ。RPGに登場する邪神や超兵器はしばしば封印されていたり眠っていたりする。
かつて大暴れしていたとしてもそれは過去か神話の話だ。
バーサーカーは違う。こいつらは現在進行形で暴れまくっている。
〈バーサーカー〉は生き延び、敵を撃ち倒し、戦いのあと、その修理機械が余分な厚みの装甲板をほかから転用して、とにかく傷口の表面だけはふさいでしまった。〈バーサーカー〉は徐々に破壊の跡を修復してゆくつもりだった。
しかし、銀河系には幾多の生物種族が住み、その多くは頑強で利口だった。どういうわけか、戦闘での被害は、修理の速度を上回って蓄積されていった。そこでこの大空洞もあまり手を加えられず、いまはもっぱら運搬機の通路に使われているのだ。
『バーサーカー赤方偏移の仮面』p60
このバーサーカーと出会ってしまった人類は、幾つもの星を灰燼にされた後でようやくすべての星の戦力を集めてバーサーカーに決戦を挑む。それが本書に掲載されている『宇宙の岩場』という短編である。
キリスト教連合国とオスマン・トルコ帝国が地中海の覇権を争った1571年のレパントの海戦をモチーフとしたこの戦いは、図にしてみるとこんな風な戦いだった。

史実におけるレパントの海戦については、 こちら も参照してみるといいかもしれない。
| 12月27日 |
■本日の読書:『ローマ人の物語XV ローマ世界の終焉』塩野七生
ローマ人の物語ついに完結。
最終巻の表紙は人物ではなく、破壊された水道橋の写真である。
西ローマ帝国から皇帝が消えた後のゴート戦役。
東ローマ帝国の名将ベリサリウスは、ナポリの街を攻めるのに古くなって使われていない水道橋をたどって市内へと兵を送り込む。
その後のローマ攻防戦では、今度は守勢にたったベリサリウスが同じ手で攻められないようにローマに入る水道橋を破壊する。
私がこのエピソードで感慨深かったのは、水道橋が侵入路で使われたことでも、ローマ籠城のためにあっさり破壊されたことでもなく。
ベリサリウス以前に、誰もそれをやらなかったことである。
いや、やったのかもしれない。本書に書かれていない、あるいは記録にないだけで、水道橋を使った城攻めはこの前にもしばしば行われていたのかもしれない。
それでも。
この戦いかたが、古代ローマという時代の終焉を象徴しているように私は思うのだ。
大理石の美術品を破壊して作ったつぶてを投げ。
水道橋を破壊して漆喰でかためる。
そこにある。
ためらいのない。
何かをふっきったような行動に、私はそれまでのローマ世界にあったものとの断絶を見る思いがする。
そんなものは、もうどうでもいいのだと。
大事なものは、もうそこにはないのだと。
過去を、歴史を、かつてそこで暮らしてきた人々の思いを切り捨てる。
世界の終わりとは、そういうものだろう。
その血をひいていても。その名を受け継いでいても。
その人たちの思い出を捨てた時点で、ローマ人はこの世界から消えてしまったのだ。
諸行無常。
| 12月28日 |
■本日の読書:『ユリア100式 1』『ユリア100式 2』原作:原田重光/作画:萩尾ノブト
アンドロイドをセックス用に特化させたものとして、セクサロイドというSF用語がある。中には風俗用セクサロイド開発だけで長編一本書いた人もいるぐらいだ。その結果、日本の人口が減少しはじめるというオチはなかなか愉快であったが今となっては笑い話にもならんな。
さて、本書のヒロイン、ユリア100式はそのセクサロイドの系譜につらなるものであるが、実際にしつこく連呼されているのはダッチワイフという愉快ワードである。
とにかくなんかあるたびに「ユリア100式マニュアル」という区分けでダッチワイフ、ダッチワイフと繰り返す。
このへんの下ネタ全開のギャグを楽しめるかどうかが本書の評価の分かれ目となるだろう。私は大好きである。
特にユリア100式を拾ってしまったまじめな青年の、これまたまじめで堅物な婚約者のお嬢様が登場した話での会話のすれ違いっぷりは見事である。
「私は……ただのダッチワイフなんです! だからまりあさんが思ってるような怪しい関係じゃありません」
「ただの性欲処理器具です。だから彼女とかじゃないんです! 心配しないでください!」
ユリアがセクサロイド=ダッチワイフだということをふたりが知らないゆえのアホな会話だ。
本書は下ネタギャグ漫画であってエロ漫画ではないので18禁ではない。しかし、このギャグはある意味でエロ以上に危険だと思われたのか、神奈川県で有害図書として指定されたそうな。
むべなるかな。
| 12月29日 |
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 ステンカ・ラージン、ピープスほか』
17世紀の世界の人物。
インドでは、マラーター王朝というのが誕生するのだが、この創始者であるシヴァージーという王様のインド漫画が紹介されていてこれが実に愉快。
当時このあたりを支配していたムスリム諸王朝の武将アフザル・ハーンが軍を率いてやってきたところ、シヴァージーは直接会見の席をもうけ、そこで暗殺したのである。
シヴァージーは左手にナイフを握り、右手を掲げた。
その右手にあるは暗器、虎の爪(TIGER CLAWS)!
ぞぶり、と。シヴァージーの指がハーンのはらわたをえぐった。(PIERCED THE KHAN'S STOMACH)
漫画の場面はこんな感じ。紹介してあるのは1枚だけだがなかなかに面白そうである。
| 12月30日 |
■本日の読書:『化物語 上』『化物語 下』西尾維新
連作短編ということでまずは1話だけ読むつもりでおいて、気がつくと全部読み終えていた。
相変わらず中毒性の高い文章を書く人である。
物語は高校3年生の阿良々木暦(あららぎこよみ)が、彼の周囲に起こる怪異について語る構成となっている。
最初に登場する戦場ヶ原ひたぎ(せんじょうがはらひたぎ)をはじめ、誰も彼も、どれもこれも、あれもそれも皆エキセントリックで愉快な会話を繰り広げてくれる。
その中でもやはり病弱な優等生の看板をかかげていた戦場ヶ原ひたぎのインパクトはほかのヒロインを圧倒している。
病弱にみえて実は怪異によって体重を失っていたとか、それに気づいた阿良々木くんにいきなり敵対行動をとるというのは、まあ、この手の読み物ではふつうだ。
口や態度でてひどく拒絶してもいいし、怪異っぽく変身してくれてもいい。
少女の影が鋭い爪になって切り裂いてくるのも、バルディッシュザンバーあたりでまっぷたつというのも、想定内だ。
だが、いきなりまずカッターナイフを少年の口の中につっこみ。
続いてホッチキスを(しかも太い側を)口につっこんではさみ、脅しをかけてくるとは思わなかった。
中途半端に日常なだけに、こええよ。
読者の予想を斜めに裏切るというかくつがえすというか。このへんのズレた感覚が西尾維新の持ち味であろう。
まさしく私はこれが読みたくてこの本を開いたのだから。
このズレ具合がいいように出てくるのが会話場面だ。
ひたぎとの初めてのデートに引きずり出された(文字通りの意味で)主人公は頭を捕まれて連行されていく中で、次の会話を行う。
「……お前には本当におどろおどろかされるな」
「おどろがひとつ多いわよ。まあ、阿良々木くんを少しでもおどおどろかせたいと思う、私のサービス精神の賜物ね」
「おどがひとつ多いんだよ! 本当ひでえことばっか言いやがって。お前に慈悲はないのかよ」
「茲非ならあるわよ」
「心がねえ!」
「全く、大袈裟な。会話に多少のエスプレッソをきかすのは、礼儀のようなものでしょう」
「高校生には苦すぎる……」
『化物語 下』p233
この会話は一例だが、どの会話も似たようなものだと思ってそう間違いではない。
ズレているのに。そのズレが心地よい。
一年のしめくくりとしては、なかなか良い本だ。
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この日記は簡単ホームページ日記で作成されました。