11月01日

■本日の読書:『ヴィンランド・サガ 3』幸村誠

 雑誌をアフタヌーンに移して、ようやく3巻へ。
 この巻でもっとも感動したのが、やはりp150〜156にかけてのアシェラッドとトルフィンの会話である。

 イングランドに残る過去の遺跡をながめやりつつ、滅び行く世界について語るアシェラッド。おまえはダークサイドに堕ちた背高さん(『辺境警備』)かと。

 『辺境警備』の隊長さんが実は傭兵隊指揮官として有能である点も合わせて考えると、隊長さんのダークサイドって面もあるよね。

 もう、アシェラッドが主人公でいいのではないかと思えるぐらいである。

 この話をアフタヌーンの連載を見ている人にしたら、一様に「えへん、えへん」とナニか語りそうにしやがるのはどうしてでしょうか。

 後、この漫画ではお父ちゃん(トールズ)とか、この巻登場のトルケルとか、えげつないまでに強いキャラも多い。
 この強さがまるで浮ついてなくて、それなりに説得力をもって読めるのは、やはり人々の生活に使う小道具や服装などがきっちり真面目に描いてあるせいではないかと思う。

 このへんの「丁寧で説得力を持つ日常描写」「派手で豪快なクライマックス演出」のバランスは、読んでいてたいへん勉強になる。

11月02日

■本日の読書:『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』阿部謹也

 童話などで知名度の高いハーメルンのねずみ取り男に関する伝説を、その伝説が誕生して流布された流れなども踏まえて考察していく、知的な興奮に満ちた名著。

 伝説を分析するにあたり、その伝説が誕生した13世紀のドイツという背景世界に斬り込んでいく点が本書の面白さの根幹だろうか。

 まったく不思議な奇跡を伝えよう。それはミンデン司教区内のハーメルン市で主の年1284年の、まさに「ヨハネとパウロの日」に起こった出来事である。30才ぐらいとみられる若い男が橋を渡り、ヴェーゼルフォルテから町に入ってきた。この男は極めて上等の服を着、美しかったので皆感嘆したものである。男は奇妙な形の銀の笛をもっていて町中に吹きならした。するとその笛の音を聞いた子供たちその数およそ130人はすべて男に従って、東門を通ってカルワリオあるいは処刑場のあたりまで行き、そこで姿を消してしまった。子供らがどこへ行ったか、一人でも残っているのか誰も知るすべはなかった。子供らの親たちは町から町へと走って(子供たちを探しもとめたが)何も見つからなかった。
 そしてひとつの声がラマで聞こえ(マタイ伝2ノ18)母親たちは皆息子を思って泣いた。主の年から1年、2年。またある記念ののちの1年、2年という風に年月が数えられるように、ハーメルンでは子供たちが失踪したときから1年、2年、3年というように数えている。私はこのことを一冊の古い書物でみた。院長ヨハンネス・デ・リューデ氏の母は子供たちが出てゆくのを目撃した。
『ハーメルンの笛吹き男』p31


 これがミンデン修道士の筆写本になる1430年頃に書かれたもので、知られるかぎりもっとも古い中世史料だそうである。なにせ、又聞きとはいえ当事者の意見まである。

 ネズミ取りうんぬんは、後世で追加されたことだとして――では、実際には何があったのか。

 都市の独立を求める戦いがあった。そこで負けて死んだ若者を偲ぶものではないか。

 東方移民の時代であった。移民請負人によってはるか東方へと移住した若者のことではないか。

 これまでに多くの研究者によってなされた、それらの考察にメスを入れつつ、阿部先生はぐるりぐるりと謎の背後にある中世ドイツの都市国家における人々の生活について語る。
 目の覚めるような真実があるわけではなく、疑いようのない結論が出るわけではないが、それでもやはり面白い本であるのは間違いない。

11月03日

■本日の読書:『日本史リブレット19 中世に国家はあったか』新田一郎

 ホテルで読む物がなかったので適当に本屋からひっこぬいてくる。
 やや散漫な感じではあるが、なかなかに興味深い考察が多い。

 中世日本といえば、イメージとしてやはり鎌倉の武家政権であるが、それは決して古代日本の律令制度を否定するものではなく、現実に合わせて補完するための機構であったとか。

 当時に描かれた地図――「金沢文庫日本図」などから、日本の地理的な広がりを中世の人がどうとらえていたかを考えてみたり。
 これはなかなかに良い視点である。
 地図の線にはそれを描いた人の思想や意識が文章よりもよほど明白に出る。「ここからここまでが日本」というわけだ。ちなみに掲載されている「金沢文庫日本図」では、対馬は日本ではないあたりも興味深い。

11月04日

IF-CON6に参加。

たいへん楽しい時をすごさせていただく。
お会いしたすべての皆さんに、感謝を。

詳細はまた後ほどに。

11月05日

IF-CON6が終わる。
その足で神田明神の方までてくてく歩き、
せっせとゲラの最終チェック。

11月06日

■本日の読書:『こどものじかん 2』私屋カヲル

 えー、りんちゃんには悪いですが、私は宝院先生を応援しよう。

 元より担任の先生と教え子の禁断の愛というのは破滅という薬味もあって美味しいのではあるが。

 さすがにこの巻で明らかになったりんちゃんの生い立ちが悲しい分、これ以上破滅的な展開はよろしくないだろうということで。

 ……別におっぱいに惹かれたわけではないぞ?

11月07日

■本日の読書:『三十年戦争の経済学 軍備と財政』鍛冶信太郎

 IF-CON6で入手した同人誌の1冊。

 ドイツ三十年戦争の本を読むとしばしば、掠奪だの軍税だのという言葉が飛び出す。

 おかげさまで学生の頃の私は神聖ローマ帝国というのは軍事帝国でいつも重税をかけていたのだろうと考えていたのだが、あにはからんや。

 神聖でもローマでもなければ、帝国ですらないと揶揄された神聖ローマ帝国というのは、封建領主の力の強いばらばらな国家であり、三十年戦争勃発時には神聖ローマ帝国には常備軍など存在せず、税金だってそんなに重くはなかったのである。

 だからこそワレンシュタインのような戦争請負人が登場してくるわけであるが。余談ではあるが、ワレンシュタインは明治維新の日本に生まれていれば、大村益次郎と仲良くなれたんじゃないだろうか。一方で山県有朋とはきっと合わなかったに違いない。

 さて、本書を楽しくながめつつ思ったことがひとつ。
 軍隊が行動するのに、金がなくて困ったという記述はあちらこちらにある。

 関ヶ原の戦いで中山道を進んだ秀忠軍が小諸で軍資金が尽きて4日間立ち往生したとか。

 戊辰戦争では政府軍が大津で軍資金欠乏で動けず、三井から3000両をもらって大垣まで進み、そこでさらに十数日止まっていたとか。

 それらを読んで私が思ったのは、軍資金が到着したら、それを具体的には誰に対し、どういうサービスや物品の代金として支払っていたのだろう、という事だ。

 まず考えられるのがツケの支払いである。

 金がなくて動いてなかったとはいっても、軍隊を解散していなければメシは食うし、寝場所もいる。煮炊きのための燃料代だってばかにならない。
 それらの物品やサービスの代金を支払ってからでないと先に移動できないというのはあるだろう。軍隊だからといって掠奪ばかりしていたわけではないのだ。

 武器弾薬の代金というのは考えなくていいだろう。なくはないが、戦っておらず、弾薬を消費していなくても軍資金不足で足止めというのはある。

 移動や輸送のサービスも考えるべきだろうか。
 補給物資の輸送は日本でいえば荷駄隊がある。三十年戦争でも装甲馬車の記述がある。それらを軍隊が自前で保有しているものもあるだろうが、荷馬や川船などは現地で金を払って借りているものも多いかも知れない。特に馬はともかく川船のようなものだと、軍隊が自分で保有するよりは借りた方がいいだろう。

 他にどんなものがあるだろう。いろいろと考えてみたい。

11月08日

■宇宙の戦場その1:『小惑星急行』谷甲州
 航空宇宙軍史シリーズの宇宙戦闘はいずれも傑作なので、それを幾つか概念的な図版にしてみようと思い立つ。
 まず1回目は私がもっとも好きな『小惑星急行』である。

小惑星急行その1
小惑星急行その2

 宇宙機雷の脅威とか、待ち伏せしていた外惑星連合軍の主力艦隊(といっても商船改造型の仮装巡洋艦なのだが)の出現時の腹の中に鉛が入ったかのような恐怖など、戦争ドラマとしても傑作である。

 未読の方はぜひぜひ。

11月09日

■本日の妄想:『皇国の守護者 第二部』

 帝国内で反乱勃発!
 帝都は焼け、皇帝ゲオルギィ3世は行方不明に。
 内乱状態になった帝国へ、皇国から大陸派遣軍が送り込まれる。
 派遣軍司令官は新城直衛中将。

「再び帝国東方領に戻って来られるとはな。そなたといると人生はまったくもって興趣尽きぬ」
「帝国の公報によるとここはすでに本領と同じ直轄地で、東方領ではないそうだが」
「つまり私は帝国すべてを取り戻さねばならないわけか」

 鮮やかな手腕で上陸作戦を成功させた新城であったが、そこへ迫る帝国軍降下龍兵部隊。指揮官はカミンスキィ少将。

「落下傘部隊、か。あの時もこれがあれば便利だったのだがな」
「よしてくれ。敵中に突入するならせめてまともな装備と十分な弾薬を持ち込みたい。あんな短くきった小銃では施条の効果も期待できんぞ」
「あの落下傘部隊は橋頭堡の確保だけが目的だ。後からくる増援は歩兵砲を持ち込んでくるぞ、きっと」
「楽しそうだな新城――閣下」
「ああ、楽しい。また還って来る事ができたのだからな」

 帝国軍の撤退より10年。
 凶眼の男は、ふたたび戦場を手に入れた。

 皇国の守護者第二部 『帝都炎上』、2007年春よりスタート!




 などとゆー妄想を風呂の中でもてあそぶ。
 いや、実際、『皇国の守護者』の続きが出るとしたら、このぐらい時間も空間も飛ぶに違いないと踏んでいるのだが、どうだろう。

11月10日

■宇宙の戦場その2:『アナンケ迎撃作戦』谷甲州
 航空宇宙軍史シリーズの宇宙戦闘図版化第二弾。
 第一次外惑星動乱の掉尾を飾る戦い、『アナンケ迎撃作戦』である。

アナンケ迎撃作戦1
 もはやまともに戦うことが不可能なほどに戦力差が開いたため、外惑星連合軍は太平洋戦争末期のレイテのように、囮艦隊を利用して敵の輸送船団を狙うというテクニカルな作戦を立案する。
アナンケ迎撃作戦2
アナンケ迎撃作戦3
 しかし、何もかも読んだ上で航空宇宙軍は横綱相撲を展開。戦いらしい戦いをさせてもらえずに外惑星連合は敗退する。

 華麗な作戦で大勝利というのは幻想にすぎない。
 弱い側が知恵を絞るなら、強い側だって知恵を絞るのである。

11月11日

11月12日

■宇宙の戦場その3:『スターキング』エドモンド・ハミルトン
 宇宙戦闘の図版化第三弾。
 少し時代をさかのぼって、古典的名作『スターキング』である。
 何せ最初に本になったのが60年近く前の作品だ。

銀河大戦その1
銀河大戦その2

 空間を破壊する超兵器ディスラプターというイメージも厨房くさくて素晴らしいのであるが、暗黒星雲同盟軍の秘密兵器もなかなか負けていない。
 通信回線に攻撃ビームを混ぜて敵を内部から破壊というのはなんともサイバーパンクだし、それに対して圧縮通信や緩衝装置(ファイヤーウォールになるのか?)で対抗するというのはさらにサイバーパンクだ。

 ここであらためて、今は亡きエドモンド・ハミルトンの天才に敬意を表したい。

11月13日

11月14日

11月15日

■本日の読書:『狼と香辛料』支倉凍砂

 そこそこに良作。
 行商人のロレンスは切れ者だし、ホロは可愛い。

 特に、知恵と交渉のキャラであるロレンスはなかなか私の好みである。口八丁手八丁ではあるが決して怜悧なキャラではないのも親近感が高い。

 これはネタ部分であるが、商売でソロバンを使っていたのも面白い。
 ヨーロッパ風味な世界であるから数字などもローマ数字なのだろうが、こいつは筆算には不向きな数字である。古代ローマ時代から、ちょっとした計算はソロバンでやってたそうな。日本の和数字も筆算向きでないがゆえにソロバンが進化したのだろう。
 最終的にはインド生まれのアラビア数字が世界を席巻していくのであるが、これは筆算のしやすさよりもむしろ、「0」を含めた記述のしやすさゆえか。

 キャラはいいのだが、ストーリーにはやや粗というか食い合わせの悪さがある。
 作品のテーマ的には、忘れられていく神であるホロの孤独がポイントなのだが、人々がホロを忘れている、邪険にするという描写があまりないので、ひょっとしてホロの思いこみだろうかという気までしてくる。

 一応は村人代表としてヤレイが出てきてホロにヒドイ事を口走るのであるが、状況が切迫しているのでそれどころではないという感じが強い。「か、神はいつもそうだ。いつも……いつも、理不尽だ」(p304)というセリフも、定番なセリフであるがホロがそんな理不尽な展開はあったろうかという気になる。確かにロレンス視点であればいろいろと理不尽というか、納得いかねー、という場面はあったろうが、これは女に振り回される男特有の反応である。
 まあ、無力な男女の二人連れを武装した集団で捕まえようとしたら、女の子が巨大な狼に変身して返り討ちにあったという場面であるからして、理不尽さを感じる気持ちは分かるが、ライトノベルでそれを言い出したらおしまいだろうとも思うのである。

 後やはり、このホロのテーマ部分が、ロレンス側のストーリーの根幹である貨幣の価値切り下げに関する部分とまるでかみあっていないというのも完成度を下げている。

 むしろホロの存在やそうした忘れられていく神々の物語とロレンスの商売ネタが互いにリンクしあっている方が良かったのではないだろうか。
 ホロを連れたロレンスがあちこちの村や町を歩いてゆき、そうした古の神々が消えてゆき人間の世界へと変わっていく様子をホロの視点を含めてながめるという道中記にするとか。

「ここも、空き屋のようじゃな」
 祠は、朽ちてはいないもののかなり長い間手入れをされていないようだった。
 とはいえ、雨宿りできるだけありがたい。
「ここにも狼がいたのか?」
「いや、熊じゃ。このあたりは二百年前は深い森であったよ」
 驟雨を通して見えるのは、一面の畑。森が残っているのは祠の裏にある小山だけだった。
「そいつは、ここを出てどうしたんだろう」
「助平な熊であったからな。きっと雌の熊のいる森へと移動したのであろうよ」
 意地悪そうに、寂しそうに、ホロは笑った。

 こんな感じで。

11月16日

■本日の読書:『七姫物語』高野和

 まぎれもなく傑作。
 感動するとか、興奮するとかではなく、満足するという意味において優れている。
 派手さのかけらもなくとも、満足感だけで、傑作になれる本だ。

 私が感じるこの満足感は、読み応えという点からきている。
 『七姫物語』はページ数でいえば決して多くはなく、直接書かれている情報量もどちらかといえば少ない。
 しかし、さらりとした描写の中に、さまざまな情報がこめられている。

 たとえばp136で、トエル・タウが商売に精を出してこう呟く。

「米と麦の相場が変動……」
 トエ様は伝書鳩の手紙に思案し、何らかの騒乱が起きると予感している様子だった。
『七姫物語』p136


 この後でカセンに三宮、四宮の軍が侵攻をかけるのだが、これはその伏線になっている。
 この世界での軍隊は数千から一万ぐらいでの作戦行動となる。もしも攻められた時には城の中に備蓄しておいた米や麦を使うことになるが、遠征軍を起こすとなると市場にある米や麦も買い込んで備えるから、米や麦の相場は上がるのである。
 だから、米や麦の相場を見ておけば戦争がいつ起こりそうかというのは分かる。

 このへんを説明しちゃうと物語は冗長になり、テンポも悪くなる。かといって、まったく説明しないのも伏線としては不親切だ。
 だから、「何らかの騒乱が起きると予感している様子」という描写になっているのだろう。
 このように、知っている情報をただ羅列するのではなく、取捨選択していける作家さんは、私たいそう好みとするところであるのだ。

 他にも、お姫様を演じているカラスミの描写も丁寧だ。

 序盤に化粧されて姫へと変化していく自分の姿を、カラスミは半ば感心し、半ばあきれたように鏡をながめている。これは自分ではないと。
 そして戦がはじまり、しばらく普通の女の子、本来の自分がそうである女の子となって市井に隠れていろいろあった後で、再びカラスミは姫へと化粧されていくp234〜238の描写と会話はこの本の静かなクライマックスである。
 姫であることを、その意味を。覚悟して、選ぶ。
 これが、自分であると。

 ここで文章のページにイラストをはめてしまうあたり、編集の人も芸達者である。最初にこのページをめくった時に思わずうなってしまったほどだ。

 この続きにも、たいへん期待している。

11月17日

■本日の読書:『ねじまき博士と迷い猫』樹川さとみ

 我が敬愛する彬兄殿によるオススメ。
 ほのぼのと良作。

 動物に育てられた野生児リーが女の子だったり、けっこう聡明だったりするのはお約束。
 元気のいい女の子に振り回される人間嫌いの少年博士のおたおたぶりも楽しい。

11月18日

■本日の読書:『ねじまき博士と謎のゴースト』樹川さとみ

 母親襲来。

 この手の話で母親が襲来する時はおおむね無敵モードなので、対抗しようとするアレックスの負けはもともと決まっている。それでも健気に対抗するアレックスはイイコだよなぁ……

 第四章の青空バカンスは、旅行に行って遭難パターン。野生児リーの本領発揮で、やはりアレックスはドキドキしっぱなし。

 思うに、この物語、最初は『マイ・フェア・レディ』ぽく企画されていたというが、今となっては朴念仁で人嫌いの天才少年アレックスをいかにリーが調教するかというお話になっているような。

 それと、カボチャロボットのジャックはきっと元のボディはばりばりの戦闘ロボだと思うのだがどうだろう。『宇宙家族カールビンソン』のおとうさんみたく、無敵で。

11月19日

■本日の読書:『七姫物語  第二章 世界のかたち』高野和

 季節はめぐり、冬。
 今より昔。世界の多くの土地で、冬は静かな時代だった。
 雪の積もる冬に戦はできないから。何より兵站がもたない。
 鉄道と自動車が発達した20世紀でもそうで。ドイツとソ連が激突した東部戦線では、最初の2度の冬には戦いはそれなりに停滞したものだ。後の2度の冬は、しだいにソ連の底力が発揮され、ドイツは押し返されたがゆえに短くなった補給線を頼って。それぞれ夏と同じくらい激烈に戦ったものであるが。

 七姫物語の舞台である東和の地でも、やはり冬に戦はしない。かわりに、まつりを行なう。
 過ぎゆく年への感謝をこめて 祭り を行ない。
 新しき年へ向けて 政り を行う。
 どちらの まつり も言葉の源は同じ。そしておそらく、意味も同じ。
 この巻はだから、まつりの話だ。

 また、タイトル通りに世界のありようが詳しく描かれている。カラスミの他の六姫もすべて登場している。まあ、琥珀姫は退場シーンであるが。

 そのすべてを――とは言えないが、ほとんどの部分を、カラスミの一人称で描き続けている点に、私はすごく感動している。

 これだけ大きく、これだけ深い世界を、少女の視点、少女の言葉だけで語り続ける力量に。(いや、作者の人はだいぶ苦しんでいるのではないかとも思うが、これはそれだけの価値のある苦しみだとも思う)

 この巻で何度も繰り返し出てくるのが、象徴としての姫の扱い。
 人が互いに争うには、「私たち」と「彼ら」をどこかで切り分ける必要がある。
 それは信じる神であったり、先祖の血筋であったり、使う言葉であったりする。東和の人々は、信じる神も、血筋も、使う言葉も互いに親しい。
 だから、彼らが争うには七姫が必要だったのだろう。「私たち」と「彼ら」を切り分けるために、互いに掲げる姫が。

 でもだからこそ。
 神ではなく、血筋でもなく、言葉でもないから。
 姫ならば、姫であれば。
 いつかすべて、みんなでひとつの「私たち」になれるかも知れないと。

 さて、ネタとしてこの巻で面白かったのが、姫を真似たファッションが流行しているという部分である。

「これだけ派手だと、喪服でもないのに、この姫の格好真似するお金持ちのお嬢さんとか多いんだってさ。七宮でも見られるかな」

『七姫物語 第二章』p127

 これはまあ、我々の世界でもよくあることなのだが。
 連想で思い出したのがふたつ。

 ひとつは、ジェイムズ・ティプトリー・Jrの『接続された女』という傑作短編。これはCMを含むあらゆる広告が法律で禁止された未来社会で、企業(いわゆるメガコーポ)がサクラとして利用する美しい男女にまつわる話だ。

 もうひとつが、『朝日百科世界の歴史84 子どもの発見』に記載されていた人形にまつわる話。 2003年7月の読書日記 にも書いたが、引用しておこう。

●ファッション人形から手遊び人形へ
 14〜15世紀にヨーロッパで人形が作られるようになる。これは何かというと、ファッション人形なのである。
 つまり、女性の最新流行のファッションを、女性が遠く異国まで旅して見せるのはたいへんだしというわけで、人形に精緻なファッションをさせて、送ったというのである。はー、なるほど。このタイプは19世紀にいたるまでヨーロッパの貴婦人の間で大切にされていた。
 その後、19世紀にもなるとモード雑誌がその役目を担うようになるが、一方で人形製作者たちは素材にビスクなどを使って人間のような肌合いを与える方法を考えたり……誰だ、今、美少女フィギュアのようだと思ったのは。
 いや、その通りなのだ。
 19世紀のビスクの人形の写真があるが、これはもう立派に美少女フィギュアといっても通用する。ちなみに、人形の頭部はドイツ製が多かったそうで、さすが職人気質。日本人とも通じるものがあるな。
 ちなみに人形のワンフェスなどの祭りに相当する最初が、第一回万国博覧会というのもなかなか洒落がきいていてよろしい。

 この巻では絵巻物などがその役目をしていたが、たぶんファッションに関しては精緻なファッション人形も使われているのではあるまいか。

11月20日

■本日の読書:『キャプテン・フューチャー全集10 ラジウム怪盗団現る!』エドモンド・ハミルトン

 長編シリーズも、これを含め後2編。
 時代的にもキャプテン・フューチャーのおしまい、1946年(昭和21年)で第二次世界大戦後まもなくに書かれたものである。

 ハミルトンの筆の冴えも円熟味を増し、完成度はとても高い。
 冒頭の文章を紹介してみよう。

 いま、虚無の宇宙空間をおぼつかなく進む老朽宇宙船〈オリオン〉の中には、手で触れられさえしそうな重苦しい緊張感が充満していた。船は、噴射炎を掩蔽して所在を隠しながら、土星から地球へ向かっているところである。
『ラジウム怪盗団現る!』p15


 なんとも、必要にして十分な文章である!
 ムダな修飾も繰り返しもない簡潔な文章でありながら、最初の一文で読者の興味を引きつける役割も果たしている。次の文章は、それを補完し、さらに状況の説明も短くまとめて行っている。
 このようなテンポの良い文章を書くために、ハミルトンは立ったままタイプライターを打っていたという。モノは試しということで私も立ったままこの読書日記を書いている。
 おお、なんかこれはこれで具合がいい。腰の負担や、肩の負担がないから腰痛や肩こり対策にはよさそうだ……

 ……テンポの良い文章が打てるかというと、まだ未熟であるな。

 さて、もう一文、紹介しよう。
 この後、〈オリオン〉の通信室に、惑星パトロールからラジウム怪盗団についての電文が届く。無線封鎖中なので応答はせず、通信士が艦橋へと走る。
 すると、船長は緊張したおももちで、船尾カメラの映像を見ている。その場面である。

 その窓の向こうには、まるで宝石をちりばめたような宇宙空間がひろがっていた。その中には、土星がぼつンと黄色い輝きを放っている。そして船首の方向には木星が見え、その向こうには小惑星帯が、かなたの太陽光を受けてぼんやりと白く輝いている。
『ラジウム怪盗団現る!』p16


 この文章と、それがもたらすイメージこそ。
 この本が書かれて60年の歳月を経ても色あせない、スペースオペラの魅力だと思う。
 私もスペースオペラを書くのであれば、この域に達したいものだ。

 ……というわけで、これから、一日二時間は、この立ったままタイピングというのを試してみようかしらん。いや、何事もまず形からということで。

11月21日

■本日の読書:『七姫物語  第三章 姫影交差』高野和

 冬が終わり、季節は春に。
 これまで空姫であるカラスミが中心であった物語は、七姫すべてを含む群像劇っぽく動きはじめる。舞台の袖にいた七姫(黒姫だけはちょくちょく出ていたが)が、第二章を経て、第三章でいよいよ舞台の中央へ上がってきたのだ。

 そろそろ地図が欲しくなってきたので描いてみよう。

東和全図

 雰囲気的には、東南アジアの地形っぽくまとめてみた。大河はメコン川の感じで。ただし、中原との位置関係は南ではなく東になる。

 海運事業が未発達という描写が第二章(p73〜74)にあるので、港湾都市はないものとする。海岸線も入り組むことはなくすっきりとしてみた。
 ただ、なんとなくクライマックスでは強襲上陸作戦がありそうな感じでもあるので、スズマだけは海の近くに配置した。
 琥珀姫が南に流刑されており、やがてそこが大きく発達したというのは大河の河口に港湾都市が建設されたのだと推測。地勢的に、東和のさらに東は大洋が広がっている感じである。航海術などの文明が発達すれば、経済的な中心都市になりえるはずだ。

 この地図だとあまりシンセンが東和の中心ぽくない。
 シンセン、スズマとマキセ・クラセの双子都市の位置を逆にしたいところであるのだが、第三章のp246からの描写では、シンセンやスズマは明らかに川の上流=北側に位置している。

 第三章で私が楽しく感じたのは、七つの都市すべてを巻き込むツヅミを巡る戦いが、戦う前に決着したという点である。

 アート・オブ・ウォーという言葉がある。
 戦う前に勝利をおさめる。孫子の兵法、謀攻編で言うところの『百戦して百勝は最善ではない。戦わずして相手を屈服させることこそ最善の方法である』のヨーロッパ版だ。
 イギリスの名将マールボラ公がこのタイプだ。彼は戦えば必ず勝ったが、常にその前に勝てる状況を作る事に腐心している。

 第三章のツヅミを巡る戦いはまさしくこのアート・オブ・ウォーである。決戦を求める三宮ナツメの常磐姫は戦えない――戦っても意味のない状況へと追い込まれてしまう。残された手は、他都市の介入を避けるためのカセンとの同盟であった。

 カラスミ、トエル、テンにとっては望み得る最良の結果である。よしんば戦って圧勝したところで弱体化したナツメを従属させられるだけであるが、同盟したのであればナツメの力をそのまま取り込むことができる。

 東和の争いなど、中原の争いに比べるとコップの中の嵐でしかなく。
 兄弟喧嘩、いや、姫だから姉妹喧嘩のようなものである。
 とにかく中原の争いが終わる前にこの状況を終わらせないと、七宮が争っている状態で外部から大勢力の介入があれば待っているのは破滅である。我々の歴史でいうと、大国ペルシアの介入を受けたギリシア諸都市が近い。

 東和のありよう、国のありようを変えてひとつにまとめるために。
 姉妹喧嘩を終わらせる方法を探る道はまだ続く。

11月22日

■本日の読書:『ブラック・ラグーン 6』広江礼威

「メイドだ、くそったれ!! メイドがもう一人でやがった!!」

 この最後のページのセリフが、この巻というか、ロアナプラの町のぐだぐだをよく表しているような、いないような。

 それにしても、『仮面のメイドガイ』といい最近のメイドはこんなんばっかりか。
 イロモノなメイド小説だと思って書いてみた 『龍の守護者』 がなんかまっとうな作品に思えてくる。

 アクションとか台詞回しが、西(イギリス)のヘルシングか東(タイ)のブラック・ラグーンかという感じに、いい具合に煮詰まっているのもこの巻の特徴。
 双子騒動でもその傾向があったが、ヤクザ編後半の5巻から、見栄のはりかたが実に大仰でよろしい。

11月23日

■本日の読書:『皇国の守護者 4』原作 佐藤大輔/作画 伊藤悠

 原作にプラスアルファをもたらす優れた漫画もいよいよ4巻目。

 金森の死の場面での兵のセリフとか、原作にない演出を組み入れることで、ドラマ性をさらに引き上げている。

 p174で漆原が狙撃された場面で手紙が散らばるのも芸が細かい。こいつも伏線だろう。

 細かな描写を重ねることで説得力を増す魅力も健在。
 雪壕の場面や、戦う兵の動きひとつひとつに意味があり、読んでいて感心することしきり。

 神は細部に宿る。細部といっても、細かい情報の羅列では得られない。
 細かい知識や情報は十分に咀嚼した上で描かねば神が宿ったりしないのである。

11月24日

■本日のゲーム:『Fate/hollow ataraxia』(※注:18禁)

 1年以上にわたってハードディスク上の肥やしとなっていたゲームをそろそろなんとかしようと起動。
 気がつくと止められない私がここに。
 ちなみに指のつかれる左クリックはやめにしてenterキーを叩き続けている。

 『歌月十夜』と同じく期間限定で日常が繰り返すパターン。
 私は『時間ループ』ネタが大好きであるが、それは主に本として読む場合。
 アドベンチャーゲームの『時間ループ』にはちとうるさい。

 というのも、ループはアドベンチャーゲームのもつ「自らの選択による没入感」を阻害するからだ。ループはコマンド総当たりのようなもので、選択=決断の持つ重さを薄れさせる。

 ナニ選んでも一緒なら、なんで悩む必要があるのか、という事である。

 選択に失敗して死亡しても、それが織り込み済みであるループではどうにも投げやりな気分になってしまう。

 が、そこはさすが奈須きのこ。
 問答無用で読者を俺ワールドに引きずり込むブラックホールのような固有結界は健在。

 『月姫』のネロ・カオス戦に匹敵する名勝負『決戦』に到達するや否や、だれていた気分も頭脳もすっきりしゃっきり。

 弓から放たれた矢は、そこにいない目標を射抜くことができるのか?
 宙に舞い上がった剣士は、飛来する矢を足場もなくかわすことができるのか?

 できる。できるのだ。

 シグルイ風に語ればこんな感じ。
 最後のクライマックスに使ってもいいほどのむちゃくちゃ熱い戦闘場面を、中盤であろうと惜しげもなく使うあたりがきのこ節。

 もっとも、この熱い場面というのはあくまできのこワールドに没入してこそ得られる快楽である。戦っている場面で事実だけ羅列してもたいした事はやっていない。
 そもそも、そういやなんでアーチャーと戦わないといかんのかという疑問を抱きはじめるともはやダメである。

 ここで熱くなり、感動できるのはゲーム世界にのめりこみ、酩酊状態にある読者にのみ許された特権だ。そのための絵であり、エフェクトであり、何より音楽だ。

 最初から最後まで。
 道理もなければ是非もなく。ツジツマが合わなかろうが矛盾しようがただひたすらにその場面が盛り上がるように描ききる。
 これこそが奈須きのこの魅力だ。堪能、堪能。

11月25日

■本日の読書:『鋼の錬金術師 15』荒川弘

 回想シーンに戻って、イシュヴァール内戦編。

 前の巻で手足もがれた(あくまで比喩的表現)はずなのに、気がつくと主役に躍り出ているマスタング大佐の男っぷりはなんとも見事。

 『第61話 イシュヴァールの英雄』でのヒューズとの会話はロイ・マスタングの行動理念の原点であろう。

 かっこいいし面白いのだが、問題もある。

 現実と違い、ドラマではどうしても背負うものや過去の罪を大きくすることでバランスを取る傾向がある。

 たとえばエルリック兄弟は、母親の人体錬成と弟の肉体を失うという過去や罪があるからこそ、あれだけ強いし、主役にもなっている。平凡な過去や幸せな記憶だけもっているくせに無敵超人というのでは、どこか納得がいかないというか、バランスが悪くなるのだ。これも等価交換というべきか。

 その点で、あまりマスタングやスカーの過去や罪を大きく取り上げるのは、主人公としてのエルリック兄弟の立場を失わせる危険があるのだ。

 そして、そのバランスをへたに取り戻そうとすると――さらに危険が増える。
 バランスを取るために今から大きな傷や罪をふたりに負わせることになりかねない。それはこう、できれば避けていただきたいところである。

 個人的には、最後には気持ちよく終わって欲しいからだ。なにせ、小学生の甥や姪も読んでいるのだ。

11月26日

11月27日

■宇宙の戦場その4:冥王星会戦 『宇宙戦艦ヤマト』
 宇宙戦闘の図版化第四弾。
 我がスペオペ魂の原点である『宇宙戦艦ヤマト』第一話の冥王星会戦だ。

冥王星会戦

 冥王星会戦は作中では触れられていないが、目的はガミラス艦隊の撃破ではないと思われる。

 はっきり言って、戦って勝てる要素などかけらもないのだ。この戦いの最中、沖田十三は(部下に聞かれないようにこっそりとだが)「ヤツらにはこのフネでは勝てない」などとトンデモないことを言うが、口ぶりからして昨日今日分かったことではない感じである。

 もちろんこのセリフは、その時はまだ未完成であったヤマトでなら勝てるという伏線なのだが、ここはちょいと適当に捏造してミリタリーなそれっぽい感じにしてみよう。

 つまり、沖田艦をはじめとする地球艦隊は対艦用の兵装をもっていなかったとここでは設定しよう。沖田艦も、その他の艦も、ガミラス艦と戦うことを考えていなかったがゆえに、会戦になった時点で負けが決まっていたというわけだ。

 「ヤツらにはこのフネでは勝てない」は、「ヤツらにはこのフネ(が今持っている武装)では勝てない」の意味だったのだ。

 となると、地球艦隊の目的は何かということになるが、十中八九ガミラスの冥王星基地の破壊である。
 ガミラス最前線の冥王星基地は、地球の死命を決する遊星爆弾の発射基地でもある。地球が放射能に汚染された死の星になっているのは冥王星からの戦略爆撃によるものだ。たとえガミラス艦隊を全滅させても遊星爆弾の爆撃だけで人類は絶滅してしまう。
 本編でヤマトが地球を旅立つ時にも冥王星基地の撃破だけはどれだけの犠牲を払おうとも遂行しようとしたのもそのためだ。

 冥王星会戦で沖田艦の砲撃がガミラス艦に弾かれているのも、沖田艦の主砲が装甲貫徹力の小さい榴弾のようなビーム砲にセッティングされていたせいではないだろうか。
 第二次世界大戦の海戦でいえば、第三次ソロモン海戦で霧島が三式弾でアメリカの戦艦サウスダコタを砲撃したようなものである。あれは本来はガダルカナル飛行場を砲撃して火の海にするためのものであった。
 第三次ソロモン海戦では焼夷散弾である三式弾は戦艦の装甲は打ち破れないものの大火災を発生させて深刻な損傷を与えたが、酸素のない宇宙では装甲を打ち抜けないのであれば燃えるわけもなくあっさり無力化されたようだ。

 その後、雪風が沖田の命令を無視してガミラス艦に肉薄してミサイル攻撃を行い、撃破に成功している。
 雪風搭載のミサイルもまた、惑星砲撃用のミサイルだったのではなかろうか。ミサイルは大きくロケットの部分と弾薬の部分に分けられる。雪風はじめ、地球艦隊のミサイル駆逐艦は、ロケットの部分が小さくて速度が遅く射程が短く、代わりに弾薬部分が大きくて威力のでかい――動かない惑星を砲撃するためのミサイルだったと推測する。これを機動力のあるガミラス艦を攻撃するのに使うのであれば、至近距離まで近づかねばならない。それがどれだけ致命的な事かはその後すぐに雪風が袋だたきにあって沈んでいることからも推測できよう。

 雪風艦長の古代守はその後の展開などをみるに性格はアレだが決して無能な軍人ではないはずである。敵に突っ込んだのも、その時点で損傷を受けていた沖田艦を逃がすためであったとも考えられる。古代としてはせっかく苦労して冥王星の近くまで運んだミサイルを無駄に投棄(逃げるのであれば、当然である)するよりは、敵艦隊にぶちこんで陣形を乱し、味方を一隻でも逃がす手助けをしようという計算もあったのではないか。(好意的解釈)
 さらに、ミサイルを撃ち尽くして身軽になった雪風であればそこから逃げ切れる可能性も皆無ではない――ここまで考えてあのような命令違反をしたのだと考えておこう。(とっても好意的解釈)

 いずれにせよ冥王星会戦は、ガミラス艦に見つかった時点で敗北が必至であったのだ。ガミラス側が最初に降伏勧告をしてきたのも、それが分かっての行為ではないか。
 冥王星近傍にいるというその事実が、ガミラス側をして「お前たちの手の内は全部知っている」という降伏勧告につながったのだとすると。

 そこであえて「バカめ、と言ってやれ」と返した沖田十三の胸中やいかに。

11月28日

■本日の読書: 『歴史群像 No.80』

 佐藤俊之さんの名前が2号続けてない。JGCでもお会いできなかったし、ちと気がかりである。

●『誤算と失策の関ヶ原』橋場日月

 この記事はタイトル通り、東西両軍の誤算と失策に着目した関ヶ原戦役(Battle of Sekigahara)について書かれている。
 家康ら東軍陣営も、三成ら西軍諸将も、互いに右往左往してミスを積み重ねつつ、気がつけば関ヶ原のただ一日で決着がついてしまったというものだ。

 負けた石田三成ら西軍側にミスが多かったのはこれまで指摘されてきた通りであるが、徳川家康のミスもまた多い。

 関ヶ原以前の家康の腹づもりがどのへんにあったかと考えるに、最大の関心事は徳川家の生き残りであったろう。天下もなにも、まずは生き残ってからである。

 そして生き残りのためには、270万石の大封はプラスにばかり作用しない。というか、明らかにまずい。まだ戦国の気風が残る日本はマルチゲームでターン制限をとっぱらった延長戦モードである。トップにいるということは、それだけで周囲から引きずり落とされる危険と裏腹だ。
 もしも家康がここで消極的に行動した日には、政敵に「なあ? みんなで徳川の領土を分割しない?」などとやられる事は間違いない。

 これを防ぐには、ただじっと待っていてはだめだ。自分から積極的に動いて与党を増やさねばならない。そして与党を増やすには利権が必要である。家康が前田家に、続いて上杉家にちょっかいをだしたのは天下を取るというよりはこの与党を増やすための利権確保の側面が強い。

 上杉攻めに取りかかろうとした家康に対抗して石田三成らが挙兵したのは、家康にとってもっけの幸いではあったろう。が、それはあくまで三成らが「簡単に片づけることができる」レベルでの軍勢しかもたなかった場合である。当初家康は、三成らが兵を集めてもそれほどたいしたことにはなるまいと考えていたようだが、気がつけば毛利、宇喜多を中核に10万を超える大軍が集まっていた。

 ここで家康をつぶせば270万石を山分けできるわけだから、そりゃー、欲に目がくらんだ連中も大勢集まろうというものだ。

 だが、欲に目がくらむのは東軍諸将だって同じである。上杉攻めで手に入る120万石に、さらに毛利や宇喜多らの領土だって切り取り放題。もちろん、負けてしまえば一切合切を失うとはいえ、人生のチャンスである。

 今年のNHK大河ドラマ『山内一豊』でも小山評定がクライマックスになっていたが、豊臣恩顧の諸将にとって東海道にある自分達の城や兵糧を提供するという事は、家康を必ず最前線に引きずり出すための計略であるという見方もできる。東西決戦になってしまった今、家康には是が非でもがんばって戦って勝ってもらわなければ彼らとて困るのである。

「大国に封ぜられて行くか、運尽きなば討ち死にと思い極めたり」
 これは関ヶ原に出陣する前の福島正則のセリフである。

 双方ともに、自軍陣営側の欲望や思惑を一本化することなど思いもよらない。気がつけばずるずると深みにはまっていき、そして運命の関ヶ原合戦へとつながるのだ。

11月29日

■本日の読書: 『歴史群像 No.80』

●『独ソ開戦極秘の図上演習』守屋純

 今から25年前、私がウォーゲームをはじめた頃。
 架空戦記といえば、第三次世界大戦モノを指す冷戦まっさかりの時期である。
 すでに独ソ戦=東部戦線はウォーゲームの花形であった。
 バルバロッサ作戦だけとってもけっこうな数のゲームがあったが、そのほとんどがあるひとつの視点でデザインされていたように思う。

 つまり、「なぜドイツは負けた/勝てなかったのか?」と。

 学生であった私はそれにさほど疑問は抱かなかった。鉄のカーテンの向こうにあるソ連の情報が少ないのは当然であり資料の多くは西側――西ドイツ経由で入ってくるせいだ。

 そういうこともあってソ連の視点である、「なぜソ連は勝った/負けなかったのか?」というデザインはまずなかったように思う。

 そして、ウォーゲーマーにとって英雄とでも言うべきドイツ軍の将帥はおしなべて「モスクワを狙っていれば」とか「ヒトラーの戦争指導が無定見で」などと、諸悪の根源をヒトラー総統に押しつけていたのである。

 だから、バルバロッサ作戦とは「ドイツ軍が勝てるはずの戦い」であったわけだ。

 時は流れ、ソ連は崩壊していろいろな資料があふれだすようになった。
 歴史群像におけるこの記事も、そうした新しい資料に基づいている。ポイントとなるのは独ソ戦のはじまる半年前。1941年初頭に行われた独ソ戦図上演習だ。

 二回の図上演習を通して、攻勢作戦ではドイツに太刀打ちできないことを知ったスターリンと赤軍幹部は、戦略方針を転換してナポレオンの大陸軍と戦った時のように、領土奥深くに引きずり込んで戦うことを決めたというのである。

 ヒトラーと国防軍はスターリンと赤軍指揮官(ジューコフら)の仕掛けた罠にはまったというわけだ。

 なかなか興味深い話である。
 記事の内容がどれほどうなずけるかは別としても、ソ連側の視点が増えるのは歓迎したい。
 ソ連はなぜ勝てたのかについての考察が深まれば、独ソ戦はより面白くなると思うからである。

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