■本日の読書:『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド
従姉の次男、感覚的には年の離れた従弟が大学に上がって文化人類学を学ぶというので、ぜひこれを読めと『銃・病原菌・鉄』を渡して一年あまり。
なんとなくもっかい読み直したくなって買い直す。
ピュリッツァー賞に輝くだけでなく、多くの人が感想やらネタやらに使っているだけあって、本書は読んでいて実に楽しく面白い。
なぜ楽しく面白いかというと、「読者が今、何を知りたいのか」「ここまで読んで、何を疑問に思っているのか」がきちんと分かって書いてあるからだと思う。
これはフィクション、ノンフィクションに限らず、楽しく面白い文章を書く上での基本である。
ノンフィクションで学術系の本は、この部分をおざなりにしていて、自分の書きたい事を書きたい順番でしか書かないので楽しくもなく面白くもない物が多い。もっとも、フィクションで娯楽読み物だって常にこれができているかというと、そうでもないのだが。
たとえば第1部第3章「スペイン人とインカ帝国の激突」を読んでみよう。
章の頭で、まず結果と謎を提供する。
1532年11月16日。スペインのピサロとインカ皇帝アタワルパが出会う。そしてピサロは奇襲をかけ、アタワルパを捕らえる。
なぜ、ピサロはインカ皇帝を捕まえる事ができたのか?
どうしてピサロとインカ皇帝は、この時、この場所で出会ったのか?
旧大陸に住むヨーロッパ人が優れているとか、新大陸に住んでいたインカやアステカの人間が劣っているとか。そんな理由を信じる人は(少なくとも本書を読むような人では)おるまい。
しかし、ならばなぜ、これは逆にならなかったのか。
インカ人が大航海時代を先に向かえてヨーロッパを「発見」したり、スペインに攻め込んで「征服」したり、あるいはインカ人の持つ「伝染病」によってヨーロッパ人がばたばた死滅したり、しなかったのか。
それは偶然であったのか。必然であったのか。
必然であったのだとしたら、それはなぜなのか。
その疑問を、ジャレド・ダイアモンドはひとつずつ答えていく。これがまたニクイ構造になっていて、 「ピサロはなぜ勝利できたか」 と、因果の連鎖の一番最後の出来事から順に追っていく。
読者に与えた謎を、明確に、論理的に、解いていくのだ。
そして、結論が出る。本書のタイトルである、『銃・病原菌・鉄』へと。
読者を楽しませるという事がよく分かっている人の文章は、読んでいて実に勉強になる。
世界的なベストセラーになるのも、むべなるかな、だ。
■本日の読書:『恋愛ディストーション 5』犬上すくね
4年ぶりの新刊。
いや、前に4巻のカバーめくったらなんか、まほ先生がらみのプチ修羅場な場面があったのでいつか続編が出るに違いないとはかない希望を抱いていたら。
無事、再開! (4年間にいろいろあったようだが)人生万事塞翁が馬!
間が開いたとはいっても、いつものぬるい恋愛模様は変わらず。
大前田ドッグは、ほれ、なんかこう、空回りっぷりがアレだし。
山野辺クンは、妄想に生きる様が、痛々しくも面白いし。
そして弱気なくせにいじめっ子なメガネ江戸川と、いろいろため込んだ上でマイペースなまほ先生のカップルは、何やらひとつの終幕へと(いつものようにダラダラと)流されているあたりがよろしい。
まあこのへんは、全員そんな感じか。
積極的に歩いていったり、目標定めて驀進したりするのではなく、なんとなーく、日々を過ごしていくというのが、『恋愛ディストーション』らしくてよろしいのではないかと。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 ラス・カサス、王陽明ほか』
16世紀に生きた人々(その1)。
この巻は微妙にマイナー。
ザクセン選帝侯フリードリヒ。
ラス・カサス。
スレイマン1世。
王陽明。
2頁以上もらってるのは以上の4人。
いずれも1級の人物であるが現代日本における知名度でいうと、せいぜいが大学入試で世界史を選ぶ高校生の中では高い方という感じではなかろうか。
理由はたぶん、この人物らが主人公の歴史小説なり漫画なりゲームなりが出てないせいであろう。そういや、高校時代の私は、オスマン・トルコ帝国を舞台にしたウォーゲームをデザインしようと試みたことがあったな。
ルールは『ブリッツクリーク』(アバロンヒル:BLUE国とRED国が戦う架空戦)利用で。
とはいえ、あまり知らない人間についてあれこれ読んでみるのもこれはこれで楽しい。宗教改革の旗手であるルターは知っていても、彼を保護したザクセン選帝侯については知らなかったし、メキシコを征服したコルテスは知っていても同時代にそれを批判したラス・カサスについて読むことはなかった。
歴史(history)は人(his)の物語(story)の集合ともいう。
歴史上有名な人物の周囲には、その人物に関わった多くの無名な人物がいる。たとえ無名であっても、そこに多くの人がいた事にかわりはない。
何世紀もの時間をこえ、文化も民族もこえて、彼の人の記録(his story)をひもとくという行為におかしみを感じるのも、やはり人ならではの事なのだ。
■本日の読書:『翼に日の丸 外伝(極光編)』川又千秋
『ラバウル烈風空戦録』世界の短編をまとめた物。
ノリとしては、松本零士さんの戦場漫画シリーズ(コックピット)に近い。
というか、
ガダルカナル上空の激戦で味方とはぐれた私は、霧の中から現れた飛行場に着陸した。はぐれた戦友達も一緒だったが、なぜか戦友達は私を置いて再び零戦に乗って飛び立ち――気が付くと私は無人島に不時着していた。
とゆー『夢幻滑走路』は、ある意味そのまんまである。
収録されている11の作品は、それ単体としては決して悪くない。
だが、私が愛した『ラバウル烈風空戦録』とは、破天荒で、むちゃくちゃで、辻褄が合わない、それこそ「わしが若いころは、ラバウルで烈風に乗ってアメ公の戦闘機をばったばた落としたものじゃ」「はいはい、おじいちゃん。それ何度も聞いたよ」とゆー、老人の誇大妄想な繰り言であったはずなのだ。
これらのこぎれいにまとまった作品は、破綻していないがゆえに、インパクトに欠ける。(先に紹介した『夢幻滑走路』などは、戦場ドラマとしてみた場合、きわめてオーソドックスな作りである)
やはり、物語には勢いというか、旬を逃さないというのも重要なのだな、と思うのだ。
■本日の読書:『ジャイアントロボ 地球が燃え尽きる日 第1話』原作:横山光輝 脚本:今川康宏 漫画:戸田康成
カラー1枚目からいきなりガイア登場!
そして続く見開きでジャイアントロボと対決っ!!
ジャイアントロボの顔や仕草が、なんか、ジョジョっぽいぞっ?!
――夢だが。
なんぼ夢でも、まことに心臓に悪い。
いきなり世界が終わってしまうかと思ったよ。(原作『マーズ』ではガイアが地球破壊爆弾をぶちかまして地球がふっとんでエンド)
OVA版ジャイアントロボ『地球が静止する日』は、元のジャイアントロボだけでなくバビル2世や三国志や水滸伝、赤影や魔法使いサリーまで登場するという『スーパーロボット大戦』もかくやのにぎやかさであった。
今回の『地球が燃え尽きる日』でも、その横山版スターシステムは健在の模様。
いやいや。
健在どころか、第1話にして、国際警察連合(OVA版では国際警察機構)の九大天王がそろいぶみするというにぎやかさ。
影丸(伊賀の影丸)
無明幻妖斉(仮面の忍者赤影)
静かなる中条(バビル2世)
ディック牧(地球ナンバーV7)
大塚署長(鉄人28号)
韓信元帥(項羽と劉邦)
神行太保戴宗(水滸伝)
あばれ天童(あばれ天童)
九紋竜史進(水滸伝)
……豪華すぎるわっ!!
ていうか、1話っ、まだ1話っ!!
やりすぎるほどにやりすぎる。
危険なほどに踏み込んで、踏み抜いて、踏みにじる。
これでこそ、『Gガンダム』の今川康宏。
これでこそ、『スクライド』の戸田康成。
続きもおおいに期待である。
■本日の読書:『惑星のさみだれ 2』水上悟志
東雲半月。
ええ男じゃのぉ。
1巻の終わりに出た時はあまり良い印象がなかったが、2巻にきてがぜんと存在感を増してきた。
……というか、急激に存在感を増してきやがったので、「これは殺す? ひょっとして殺す?」と思いながら読んでいると、本当に殺しやがった。
作者、容赦ねぇ。惚れた。
この巻における半月の扱いと、そして殺し方は、セオリー通りの実にウマイ殺し方だと思う。
主人公を導く兄貴分として、頼りになるところをとことんアピールして、死ぬ。
それも、本来ならば死ぬような戦いではない、格下の相手に。
主人公をかばって、死ぬ。
この後何度でも。
ここに、あの男がいてくれたならと。
ここで、あの男が生きていたならと。
読者にそう思わせる死に方であった。
東雲半月。
まずは会心の生き様であった。
■本日の読書:『空ノ鐘の響く惑星で 12』渡瀬草一郎
全12巻、完結おめでとーっ!(どんどんどん、ぱふーぱふー)
まずは大団円。
決して悪い物語ではなかった。
読んでいて楽しいし、書いてあることは面白い。登場するキャラクターは生き生きとしており、ストーリーの構成にも無理はない。
きれいに終わった本シリーズを言祝ぐ気持ちもある。
が、やはり。――薄い。
11巻の感想
私は1巻の感想で、主人公である王子フェリオをしてつまらない男といい、11巻の感想で間違わない男だとも書いた。
が、12巻を読みすすむうちに、むしろ問題はフェリオと相対する敵の側にあるのではないかと思うようになった。
最初の内乱編の敵であるラリパッパ兄。
その後のカシナート司教や、タートムの指導者。
ラトロアの国家元首であるジェラード。
すべての裏に位置するボスキャラとしてのメビウス。
渡瀬さんらしく、丁寧に描写されたこれらの敵は、彼らなりの人生を持ち、目指す志があり、それゆえにフェリオと衝突する事はあるにしても絶対に倒すべき悪ではない。
キャラとしての深みについてはむしろ優れているのだが、それゆえに。
物語構造とは相容れない部分が多すぎたのだ。
これも 10巻の感想 で述べたが、『空鐘』が新しい展開を迎え、新キャラが登場するたびに私はどうにも違和感を感じてしょうがなかった。普通、物語が先に進むとキャラが増えるのは当然である。なのになぜ、『空鐘』だけは違和感があったのか。
今なら分かる気がする。
どの登場人物も、『空鐘』という物語のためには存在していないからだ。
彼らは何よりもまず、自分自身の物語の主人公なのだ。
たまたまストーリーの都合で『空鐘』と彼らの物語が交差したので登場したが、『空鐘』に必ずしも従属しているわけではない。なるほど、これなら違和感があって当然だろう。
ここまでキャラが自己主張するのも、これはこれで面白くはある。しかしそれならそれで物語の方をこれらのキャラに合わせてやるべきであった。まるでコンシューマゲーム機の大作RPGを彷彿とさせる『空鐘』の物語構造は、これらのキャラに必ずしも合っていたとは思えない。
なんとかする方法がなくもない。
敵キャラのうち、メビウスとシズヤ達をキャラではなく『運命』にしてしまうのだ。
メビウスとシズヤ達、特にシズヤに限って言えば物語の都合に合わせない『空鐘』登場人物の中で、例外的に物語と相性がいい。理不尽なまでの強さや、あからさまなヒールっぷり、そして常に主人公であるフェリオと衝突する配置につくなど、他のキャラの自己主張で生じた隙間を埋める大活躍をしてきた。
ならばいっその事、「実はクスリのせいでおかしくなってます」などという苦しい設定など全部とっぱずして、理不尽な運命、荒ぶる神として君臨してしまえばよろしい。
具体的に言うと山田正紀さんの『三人の『馬』』(『虚栄の都市』改題)における、テロリストどもである。
個人的にはイロイロと不満点もある物語に従属しない登場人物達だが、キャラがイイ具合に育つ事もむろんある。
ある意味でウルクやリセリナよりもヒロインらしいヒロインであったイリスや、最終巻だけ読むと間違いなく主役であるカボチャはその最たるものだろう。
なんというか、内乱編の頃はパンプキンがここまで美味しいキャラになるとは予想だにできなかった。道化ゆえにシリアスやらせるとかっこいいことこの上ない。まさかエピローグを主人公達ではなく、パンプキンで締めることになるとは思わなかった。
つうわけで、12巻のパンプキン名言録で最後は締めよう。
「バニッシュよ。汝の眼にはもはや、妻の姿しか映らぬのであろう。だが、我は汝の行為を許すわけにはいかぬ。この地に暮らす人々の生活を、余所者の我々が壊すことなど、あってはならぬのだ。我はこの地の子供らと約束をした。明日もまた、あの広場で会うと――すまぬな、バニッシュ。我は汝を――」
パンプキンの身が、高く――それこそ天井付近に及ぶほどまで高く、跳ね上がった。
「――止める」
p269。ここからカボチャ最強伝説がはじまる。
「――人殺し同士、汝らに対しては、我は手加減をせぬ――我が名はパンプキン。死者を迎える灯火にして、闇夜に踊る殺戮の道化師なり。来るが良い、シズヤ。我を倒すつもりであれば、汝らの命を天秤にかけるべきであろう」
p278。単身で敵を足止めしつつ。カボチャが輝いております。
「よいな、エンジュよ――イリスのことは、汝に託した。これより未来は、汝がイリスを護るのだ。我の役目は終わった。道化の幕には、引き際というものがある――」
p357。さらばカボチャ。
■本日の読書:『涼宮ハルヒの退屈』谷川流
『涼宮ハルヒの憂鬱』を気に入ったものの、『溜息』で心の底から不愉快になって読むのをやめたが、ちまたで人気沸騰ということで続きを読むことに。
『涼宮ハルヒの退屈』
退屈になるとロクなことをしないハルヒが草野球で大暴れ。
まあ、楽しいのだが。なんかリアリティレベルが変動しているようで(世界の、ではない。キャラの、だ)いまひとつ。
『笹の葉ラプソディ』
えーと、これはほれ。いわゆるアレか。
転校生と出会った後で、実は子供の頃に出会っていて結婚の約束をしていたとか、そういうやつだろうか。
『ミステリックサイン』
ちょっと便利すぎるキャラになっている長門のエピソード。
そのうち能力制限がかけられるんじゃあるまいか。
『孤島症候群』
話としてはベタであるものの、4つのエピソードの中で一番面白かった。
私は、無意味に無駄に頭をひねるようなバカ話が大好きなのである。
それに2巻で私がキョンを見捨てようと考えた事件へのキョンなりの解答もある。
それにいくらハルヒでも、心底人死にがでることを望んでいるわけではないだろう。もしハルヒがそんな奴なら、たいていのことには付き合ってきた俺でも、そろそろ満タンになりつつある容量の小さな堪忍袋がパンクするぜ。
『涼宮ハルヒの退屈』p244
どうやら、それなりのラインはあるようだ。
――が、このラインを守るようだと、このシリーズで発生する事件は今後、本書に描かれているレベルにとどまるのではないかという危惧もある。
……『七瀬ふたたび』の後の『オイディプスの恋人』で受けたトラウマは、あれ一回でこりごりであるとも言える。
なんかこのままでは『オイディプスの恋人』エンドが待ってそうでなぁ。
■本日の読書:『涼宮ハルヒの消失』谷川流
なるほどっ!
いや、シリーズ最高傑作の呼び名も高いとゆーので読んでみて、私はようやくこのシリーズの読み方を間違っている事に気が付いた。
実は、『消失』を読み進めていて、私はまるで楽しくなかった。
面白くはあった。くすりと笑うこともあれば、にやりと笑うこともあった。
だが、楽しくはなかった。消失してしまったハルヒ、SOS団を作ることのなかったハルヒがそうであるように、私は常に不満を抱えていた。
だが、ようやっと。
終盤になり、キョンが改変された世界がいいのか、元の世界に戻りたいのかを自問するのを読んで、私は自分の不満がなんであるかに気が付いた。
「宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」
ハルヒが退屈な世界にサプライズを求めていたように。
私はハルヒに、私がこれまで読んでない何かを求めていた気がする。
つまりは世界(本)に勝手に何かを期待し、それがかなえられないとなると不満を感じていたわけで、ああなるほど、ハルヒに対する不満はいわゆる近親憎悪に近いのか。メタな話であるな。
そんな無意味な不満をいだいてもしょうがない。ハルヒと同じだ。作品の中にある楽しみというものは、自分で探し出さねば楽しくなろうはずもないのだ。
キョンがそうであるように、その世界(本)を選択したのは自分自身であるのだから誰に文句を言う筋合いでもないのだ。
それでもまぁ、逆恨みというオプションは便利であるから残しておくがな。
■本日の読書:『涼宮ハルヒの暴走』谷川流
前の巻で脳内革命を起こしてすっかり楽しくなった私がココにっ!
ひょっとして作品の完成度もこれまでで一番高いんじゃあるまいか。
『エンドレスエイト』
いわゆるひとつの『ビューティフルドリーマー』とゆーか『CROSS†CHANNEL』とゆーか。
いやいや、これはこれで楽しい。というか、私にとってのシリーズ最高傑作はこれだ。
夏休みを一万五千四百九十八回を繰り返すというのもオツだが、一万五千四百九十八回の中で一度もやらなかった事、ハルヒが満足するに足る事というのが夏休み最終日に宿題をみなで分担して片づける勉強会の開催というのが、うまい。
ちゃんと、ハルヒの成長というか変化につながっているあたりが特に。
『射手座の日』
ネットゲーム対戦ネタ。
『エンドレスエイト』がハルヒというキャラの変化(と成長?)につながっているとしたら、『射手座の日』はハルヒだけでなく長門というキャラの変化(と自覚?)につながっている感じでよろしい。
それに2巻で(私の脳内枢密院で)不評だったハルヒがみくるを自分のモノ扱いした事件から、ハルヒがそれなりに成長している事も――なにより、それをキョンが確信しているあたりも、ふたりが良い方向へ向かっている事をうかがわせてほほえましくなってくる。
『雪山症候群』
閉ざされた山荘ネタ。しかも、ハルヒの力ではないっぽい?
そのへんの誰が何のために、という点に結末がついてないあたりは、どことなく違和感もある。単純におさまりきらなかっただけかも知れぬが。
『暴走』をキャラの変化エピソードだとすると、ハルヒ、長門ときて今回は古泉クンか。
作者の代弁者としてかなり便利に使われている少年の本音が見えてきた点はなかなかに興味深い。
■本日の読書:『涼宮ハルヒの動揺』谷川流
『ライブアライブ』
ハルヒ成長エピソード。
鶴屋さんがすっかりレギュラーにっ! めがっさにょろにょろ。
『朝比奈みくるの冒険 Episode00』
そういえば、ワタシも高校時代の文化祭で、自主製作映画作りましたよっ!
脚本はワタシ。
真夜中までテープ編集したりとかなっ! 楽しかったよっ!
……ちなみに、出来については聞くな。
『ヒトメボレLOVER』
長門にヒトメボレをした少年の話。
キョンの、同時攻略ハーレムエンドを目指すエロゲ主人公な言動に強く共感。
なぜヒトメボレしたかの説明が、SF的に納得できる点を高く評価したい。
『猫はどこに行った?』
冬山での推理ゲーム。
まあ、ゲームとしてはこんなものかも知れないが、『名探偵コナン』っぽくもうちょっと盛り上げるというか、謎を出してからどたばたあちこち駆け回るとかして欲しかったなぁ。
特に入れ替わりネタは気づくまでの迷走っつうのが楽しいと思うし。
『朝比奈みくるの憂鬱』
未来情報を過去に伝える時の難しさは、知ってしまったがゆえに逆に未来が変わってしまうという危険が常にある点だ。
なんとなれば、世の中は最善手で動いているわけではなく、知ってしまうとついついそのへんを意識・無意識は別に修正してしまう危険があるからだ。
その結果が誤差として歴史を変えずにすむならよし。逆にバタフライ効果で大きく歴史を変えてしまってはえらいことになる。
後者の場合、未来人がみくるに情報をほとんど与えないのも理由としては納得できる。
バタフライ効果がある世界では、意識せずに歴史を変えてしまう危険が常にある。
SFでは昔からあるネタでは、恐竜時代にタイムトラベルして恐竜をハンティングした時に間違って近くにいたほ乳類を殺してしまい、それが実は人類の先祖になるはずだったので人類は誕生しないことになってしまった――とかだ。
他にも、石ころの位置をずらしたら、その石にけつまずくヒトがいなくなって、それが原因で死ぬはずの人が生きていたりとか。
ほとんど言いがかりのような事件で歴史が変わってしまうパターンもある。
この逆の、歴史が何をやろうとしても変更不可能な設定もある。
そういう設定では祖父殺しのパラドックスは起きない。
祖父殺しのパラドックスというのは、自分の父親が生まれる前の時点にタイムマシンで移動して祖父を殺してしまうものだ。父は生まれず、結果として自分も生まれない。生まれない自分がタイムマシンを使うはずもなく、そうすると祖父は死なず、父が生まれて自分が生まれて――おや? というやつだ。
歴史が変更不可の設定では、祖父は何をやっても殺せない。何か邪魔が入ったり、実は生きていたり、別の人を殺してしまったりと、歴史そのものがタイムトラベラーの邪魔をするのだ。
その点では、ハルヒ世界は、歴史はかなり可塑性が高いようだ。
まあ、ハルヒそのものが世界と歴史を好きなように変えちゃう奴ではあるしな。無意識にだがっ!
■本日の読書:『涼宮ハルヒの陰謀』谷川流
めがっさにょろにょろ。
ふたたびみたびのタイムマシンネタ。
この巻のヒロインは朝比奈さんである。そのはずである。でも、どっちかっつーと、鶴屋さんの印象が強いような気がするなぁ。本当にあなたは普通のヒトですかと。
さて、この巻ではひさびさに新キャラ。それもどうやら敵っぽいのが仕込まれた。
未来人っぽい青年がひとり。
「でもでも、そう思わせておいて、ミスリーディングってことはないかねっ! 実はタイムマシンを使えるだけの現代人だとかっ!」
『機関』と対立してるっぽい少女がひとり。たぶん超能力者。
こちらはいかにも新学期から学校に登場しそうな勢いである。
「いやいや、転校生は未来人っぽい青年の役目でっ! 超能力者っぽい少女は実は年上で学校の先生ということはないかなっ! そろそろレギュラーで教師がいてもいいころだとは思うよっ!」
ひょっとしてこのままハルヒの成長物語で終わってしまうのか、いやそれはそれでかまわん気がするのだがなぁ、と思っていたのだがそうもいかないようである。
ただ、敵やバトルの存在は両刃の剣である。
たとえば『フルメタルパニック!』は生徒を巻き込んだバトル展開が学校という容器に入りきれずに(学園物としては)破綻している。
一方で、物損も記憶も修繕が可能な『灼眼のシャナ』ではバトル展開を学園と完全分離しているため、学園物としての展開を維持可能だ。
後はまあ、蓬莱学園みたいなのもあるが、これは舞台として例外すぎるやな。
その点で、ハルヒはシャナに近い。世界や時間をいじくりまわすことで本当に致命的な例――ハルヒが真実に気づく――をのぞけば、何度でもやり直しが可能なのだ。
むしろ、敵やバトルの存在はキャラの成長物語としての展開に悪影響がありそうなのがよろしくない。他のメンツはいいのだが、ハルヒの成長によくないのだ。
これまでもハルヒの能力に関するイベントは、ハルヒの成長にほとんど寄与していない。ハルヒ自身に知られてはいけない事柄が多すぎるからである。ハルヒの成長は、文化祭でのライブやネットゲーム対戦のような普通の学園生活でこそ、説得力を持って描けるのだ。
ところでこの巻でも登場した朝比奈さん(大)であるが、私は彼女をよくない未来の方から来た女性ではないかと思っている。
「近いうちに、もっと大きな分岐点がやってきます。とても強力な未来……。そちらが選ばれてしまうと、わたしたちの未来は……ええと、あまりよくないことになっちゃうかも」
『涼宮ハルヒの陰謀』p394<
おそらく、朝比奈さん(大)は楽しいSOS団の活動の最後に、すごく悲しい出来事に遭遇しているのではないか。それは世界を滅ぼすような事ではなく、未来が崩れ落ちることでもないが、多くの人が不幸になったのだろう。
朝比奈さん(大)は、自分が消えてしまう事を承知で、ハルヒ達をより良い未来へと導こうとしているのではないか。自分達の失敗を繰り返さないように。
「つまりそれは、キョンくんは未来で死んじゃうってことかなっ? 確かにみくるやハルにゃんにとっては最悪に近い未来だろうねっ! あ、でもハルにゃんの力があると、簡単に生き返ったりするんじゃないかなっ?」
いや、そんな朝倉涼子再びみたいな事になるかどうかは……
■本日の読書:『涼宮ハルヒの憤慨』谷川流
めがっさにょろにょろ。
『編集長★一直線』
ゲリラ活動集団であるSOS団を撲滅するために、生徒会が文芸部の部室明け渡しを要求するという、それだけ聞けば明らかに学園物のノリ。
生徒会長が『機関』と古泉が用意した「ハルヒを退屈させないための悪の生徒会長」というのも愉快ならば、その悪の生徒会長クンが実はけっこう、古泉になんかされなくても問題を起こしそうなイイ性格の持ち主だというのも面白い。
たぶん、彼もまたSOS団候補生だったのだろう。
『ワンダリング・シャドウ』
中休みな話?
ネタは宇宙からきた生命体がクラスメイトの愛犬にとりついてという、学園SF漫画などで普通にありそな話ではある。『一番湯のカナタ』っぽい感じか。
が、展開といい結末といい、今ひとつぴりっとこない。ハルヒがいい感じにクラスに溶け込んでいる様子とかはほほえましいのだが、ハルヒの裏面の話としてはどうも足踏みしている感じが強い。
長いシリーズであるからこんな話もあると好意的に解釈しておこう。
長い、といえば8巻までで高校1年の3学期。ほぼ1年が物語時間で経過している。
本編を朝比奈さんが卒業してしまうまで、となると残りは1年となる。
タイトルは全部が『涼宮ハルヒの〜』となるのだろうが、どうしても終盤でやらないといけないのが、『涼宮ハルヒの絶望』である。
SOS団もそこに集まったメンバーも、そしてみんなで楽しんだイベントのすべてが実は自分の現実改変能力によるものであったとハルヒが知って絶望する話というのは、やはりクライマックス前に欲しいところである。
ほれ、新井素子さんの『星へ行く船』シリーズでもあったではないか。
「最初から知ってたんでしょ。私がこんな神様みたいな力を持ってるって! 私が世界を壊さないように、私が退屈しないように、SOS団のみんなで私を楽しませて、ご機嫌とって! 全部、最初から知ってて――っ!!」
そう叫ぶハルヒの顔には、怒りも、悲しみもなかった。
あらゆる激情がこめられた顔は、ただの能面だった。
「未来人に、宇宙人に、超能力者っ! 最初っから全部そろってた! そしてキョン、あんたは何? 私をどうやって楽しめるために来たの?」
問いかけると同時に答えがきたのだろう。今や全知全能の神そのものとなったハルヒはたちどころにすべての真実を知ってしまう。
ハルヒの頬がわずかに痙攣した。
「そう――つまりオチまで用意してたんだ。十分に楽しんだ私が現実に満足して力を手放して。それでみんな幸せになれるオチまで。私がキョンを好きになって、この世界を好きになって、力を手放すところまで。そこまでこの力は用意してたんだ」
『涼宮ハルヒの絶望』(妄想展開)
そういうわけで、がんばれキョン。めがっさがんばれ。
1巻と同じ手はもう使えないぞっ!
■本日のアニメ:『涼宮ハルヒの憂鬱 I〜VI』
アホウのように画面をながめつつ私はものすごく納得していた。
何に納得かというと、キョンがシリーズ1巻、『涼宮ハルヒの憂鬱』のクライマックスで取った行動への、だ。
3年前に読んだ時、私はキョンがハルヒにキスをして世界を救った事に納得できないでいた。むろん、理解はしている。あそこでキス以外の展開はありえない。
いや、そりゃもちろん広い意味でならばありえる。
俺はハルヒの肩を抱くようにして顔を近づけた。
ハルヒの唇から、小さな「は」とも「ふ」とも聞き取れる吐息がもれた。
驚きに見開かれた目が俺の顔を見上げ。続いて、ゆっくりと下がる。
視線の先にあるのは俺の手。続いて俺の手が握るナイフ。朝倉が使っていたのと同じコンバットナイフ。それは今、ハルヒの腹を裂き、臓器を抉っている。
「俺は、みんなにまた会いたいんだ」
さっきのセリフを繰り返す。
「せっかく、面白くなってきたんだからな」
だからハルヒ、ここでリセットされるのは困るんだ。大丈夫。世界を元に戻したらお前ももう一度再生される。俺が再生してやる。
そうすればお前はまたSOS団の団長だ。自覚症状のない神様だ。そして俺はそれに振り回される気の毒な一般人。周囲にいるのは宇宙人に未来人に超能力者だ。
これまでよりもさらに面白くて楽しい日々が、俺達を待っている。
「だからハルヒ、元の世界に戻ろう」
俺はハルヒに笑いかけた。笑いながらナイフの切っ先をハルヒの腹の中に押し込む。
とても、さわやかな気分だった。
『涼宮ハルヒの憂鬱』(暗黒妄想バージョン)
などというオチだって、あるにはあるのだ。
実をいうと、そういうオチじゃないかと少しは期待していたのも覚えている。
なぜかというと、私は『憂鬱』のハルヒの言動にこれっぽっちも魅力を感じなかったからだ。主人公のキョンはなんであんなイヤな女に振り回されてひどい目にあいながら、最後はキスまでしやがったのか。
しかるに、アニメを見た私はキョンの決断と行動に、それなりの共感と、大いなる憐憫をもって納得している。
確かに、アレならばよろめこう。アレならば魔が差そう。
それほどに絵の力と声の力は大きかった。
小説ではキョンの一人称(騙る語り方)ゆえにハルヒについての描写に抑制がかかっている。特に『憂鬱』『溜息』でのキョンは意図的にハルヒの魅力について口をつぐむ。
だがアニメは違う。語り手たるキョンですらフレームの中に収める方法で、ハルヒの可愛らしさがリミッターなしで迫ってくる。
いくらその言動が迷惑であったとしても。恒星のごとき明るさとパワーをふりまいて暴れまくるハルヒがそばにいれば、そりゃあ、平凡な少年としてはうれしかろう、楽しかろう。
そして同時に、小説の方ではそろそろ一年が経過してもどこか保護者としての視点でしかキョンがハルヒを見ようとしない理由も分かったような気がする。
キョンは意識してか無意識でかは分からぬが、深刻な疑念を抱いているだろう。
ハルヒは明らかに成長している。その精神は良い方向に向かっている。
だが、自分はどうなのかと。自分がハルヒに対して向けている思いは、ハルヒに対して抱いている思いは、これは本当に自分の思いなのかと。
ハルヒが、そう望んだから――自分はハルヒに恋しているのではないのか、と。
まあ、ぶっちゃけてしまうとそんなん当たり前なのだが。
いきなり恋心が双方向で設定されるはずもなし。最初はたいてい一方通行だ。
そしてそれを双方向にするために、恋する側はさまざまなアプローチをかける。外見をきれいにしたり、内面をみがいたり、自分の持てる力を使って相手の心を自分に向けさせようとする。
恋をするには相手がいる。
恋心というのは、相手がそう望んだからこそ生まれるという側面だってあるのだ。自分ひとりで作ったりはぐくんだりするようなものでは最初からない。
だから、気にする必要はあまりないのだが。キョンという少年はそのへんで潔癖なところがあるからなぁ。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 エリザベス1世、カモンルイスほか』
16世紀の世界の人物その2。
表紙にエリザベス1世の名前があって、表紙絵が船と船がくんずほぐれつしている海戦の絵となれば、まずまっさきに浮かぶのがエリザベス1世のイギリスと、スペイン無敵艦隊(アルマダ)との戦いである。
30年ほど昔、小学生であった頃の私が図書館で拾い読みした本にこの『無敵艦隊』の名前があったときに、どれだけ興奮したことか。
なんせ『無敵艦隊』ですぞ! 『無敵艦隊』!
男の子というのは、無敵とか最強とか、そういうキーワードが大好きなのである。そしてそれはたぶん、大人になっても。
が、表紙をよくよく見てみよう。船には、オールがついている。つまりこれは漕いで移動するガレー船なのだ。しかも、手前の船には三日月のマークとか、頭にターバン巻いたおっちゃんとかがいる。ここまで見ればいやでも気づく。
「こいつはイギリスでもスペインでもねぇ!」
私は表紙をめくって裏を確認した。
表紙――レパント沖の海戦、グリニッジ、国立海事博物館(写真 WPS)
これはレパントの海戦。オスマントルコ帝国とキリスト教国の戦いである。確かにスペイン艦隊も主力であるが、こいつは違う。
そして、はたと気づく。
レパントの海戦と、スペイン無敵艦隊との戦いは、同じ時期にあったのだと。
レパントの海戦が1571年である。 詳細は こちら。
無敵艦隊の戦いが1588年である。 詳細は こちら。
なんと、17年しか経過していない。
レパントの海戦において、絶頂期にあったオスマントルコ帝国海軍を撃破したスペイン艦隊が、新興国イギリスに手もなくひねられている。
地中海最強のガレー船と発展型のガレアス船はあくまで接舷して乗り込み肉弾戦で勝負をつけようという発想の戦闘艦であり、一方のイギリス海軍主力であったガレオン船は高速で帆走し、大砲で勝負しようという戦闘艦である。
そして、その両者の戦いで明らかになったのが「機動力のあるガレオン船は、ガレアス船を近づけずに好きなように攻撃できる」という結論で、風が穏やかな地中海であればともかく、大西洋でガレアス船に勝ち目はなかったのだ。
そして、帆走技術の進化の結果、地中海においてすらガレー船に勝ち目はなくなり、以後は急速に帆走戦闘艦へと進化を遂げるのである。
して考えてみると、第一次世界大戦で戦艦が絶頂期を迎えた後の第二次世界大戦で空母機動部隊にその座をゆずりわたしたのと似た海戦の革命がこの時期にあったのだなぁ、と感慨深かったりもするのだ。
たぶんスペイン無敵艦隊の提督とか艦長とかには、若い頃にレパントの海戦で歴史に残る大勝利を目の当たりにした者も多かったろう。その彼らが最強と思い、無敵と信じたガレアス船のスペイン艦隊が、イギリスの高速戦闘艦に翻弄され、負けたのである。その胸中は、日本海軍の艦長や提督らと似ていたのではあるまいか。
■本日の読書:『ファイナル・スカーレット・ストーム 散る桜、咲く桜』中岡潤一郎
地球規模の変動により、20世紀になって男子の出生率が21.75%に低下。女性の数が圧倒的に増えた世界における太平洋戦争の仮想戦記、ついに完結。
最終巻も娘さん達が戦場で血しぶきをあげ、肉片とハラワタをぶちまける苛烈な戦場は健在。
前の巻でも紹介したが、同じ戦場の場面でも、そこに登場する人間を「若い女の子」にしてしまう事で従来とは違ったものが見えてきたり、新しい形のドラマが誕生するという点が、すごく面白い。
戦略、戦術という切り口が他の作品と変わらなくても、新しい形の物語は作れるのだなぁ、という事を再確認させてくれる。
3巻は恋や愛に関するドラマが多い。従来の仮想戦記と違い、いちいち後方に下がらなくても戦艦や空母の中でそれが展開できるのはやはり目からウロコである。
思えば、ホーンブロワーシリーズも最初に書かれた『パナマの死闘』ではホーンブロワーの乗るリディヤ号にヒロインのバーバラを(滞在した町で疫病が蔓延したとかいう設定をつけて)乗せていた。それゆえに、船の中でラブロマンスが展開できたわけだ。日本では宇宙戦艦ヤマトやマクロスなどのアニメで同じような事をやっている。
男子の出生率を極端に下げるという 「if」 を導入した結果、女子が軍隊に入って戦争ドラマに女性と女性の視点を入れることに成功した『スカーレット・ストーム』。
とすると、この次に来るのは。
一定期間で、男性から女性へ性転換するという架空世界における第二次世界大戦。『闇の左手的架空戦記』。
あるいは。
世の中に男性しかおらず、子供はどこか施設の中で生まれてくるという架空世界における第二次世界大戦。『惑星スパルタの反乱的架空戦記』
あたりであろうか。
ぜひ読んでみたいものだなぁ。
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