■本日の読書:『傭兵ピエール 上下』佐藤賢一
ジャンヌ・ダルクを愛したひとりの傭兵を主人公に、百年戦争末期のフランスを描いた歴史小説である。
本書の読みどころは、百年戦争当時の傭兵部隊の経営だ。
主人公であるピエールは傭兵隊長(シェフ)として部下を束ねているが、百年戦争があった頃の戦争というのは、春から夏にかけてやって、冬には中断するのである。
このへんは、古代のローマ時代からそうで、カエサルの『ガリア戦記』を読んでも、冬になったらローマ軍団は冬営して屋根の下で過ごしている。
冬でもかまわず大戦争をやるようになるのはもうちょい後の話だ。
古代の常備軍であるローマ軍団は冬には軍団基地で過ごしたが、傭兵主体の軍隊はどうなったかというと、契約が解除されて無職となる。
そこで故郷に帰って一般市民に戻れば問題はないが、残念なことに戦乱の時代にそんな雇用はあまりない。
よって、傭兵部隊は寒い冬を過ごすために仕事を変える。山賊や盗賊団に転職するのだ。
そして春になれば再び戦争のために傭兵達に招集がかけられ、傭兵達は将軍の元へと急ぐ。ここで、武装や兵員の審査があり、保有戦力やそれまでの戦歴に応じて報酬の契約がまとまるのである。
ここで袖の下を使ったりするためにも、冬の間に盗賊仕事で稼ぐのは必要不可欠なのだ。
さて、本書はそうした百年戦争当時というか、中世の終わり頃のヨーロッパ傭兵部隊の生活について読む楽しみもあるが、メインはなんといってもジャンヌ・ダルクにまつわるドラマである。
史料がそれなりに残っているので、ジャンヌの行動、わけても戦争における影響についてはそれなりに多くが分かっている。
ジャンヌは軍事的には素人であったが、彼女は自分の正しさを確信していたし、何よりそのカリスマゆえに周囲に自分の正しさを伝染させる力を持っていたらしい。
だから、オルレアン解放戦ではジャンヌの指揮下(影響下?)にある部隊は驚くほどの粘りでもって戦ったという。
つまり、士気上昇効果を持っていたわけだな。
そんなたいした事がないようにも思えるだろうが、戦場においては精神の働きを無視する事ができない。目は敵の歪む顔を見、耳は断末魔の悲鳴を聞き、手には肉を抉り骨を断つ感触が伝わり、鼻は血と汗の匂いをかぐ。その心のありようがいかに殺伐としていようが、血に酔っていようが、兵士の肉体と精神を酷使する事に変わりはない。
簡単に言うと、えらいへたばりやすいのである。
だからジャンヌ・ダルクがもたらす士気効果は戦場においてそれなりに貴重であった。むろん、神意が我にありという宣伝効果の方が戦争全体としてはより大きかったのは事実である。
だからこそ、イギリス軍はジャンヌをただ戦場で殺すのではなく、裁判にかけて異端の魔女として処刑したのである。ジャンヌの神意がニセモノであるという事を内外に示す必要があったからだ。
けれども、それはフランス側にとっても必要な事であったのかも知れない。『傭兵ピエール』では、その思惑を次のセリフで表現している。
「神に遣わされた救世主ラ・ピュセルは、フランス王国のため、どうしても死なねばなりませんでした。なぜなら、あの娘がありふれた女のように、ただ妻となり、母となるだけで、聖女伝説はたちまち崩壊してしまうからです」
『傭兵ピエール 下』p376
敵であるイギリスからも、味方であるフランスからも、死を望まれるジャンヌ・ダルク。
はたして傭兵ピエールによる救出作戦は成功するのか。
そしてピエールとジャンヌの恋のゆくえは。
というわけで、佐藤賢一さんらしい遊び心満載な作品。やはり歴史小説というのはこのぐらい歴史を楽しむ姿勢が欲しい。
■本日の読書:『キャプテン・フューチャー全集9 フューチャーメン暗殺計画/危機を呼ぶ赤い太陽』エドモンド・ハミルトン
ヒーロー物を長く続けた場合に、ヒーローの名声をいかに処理するかはシリーズの方向性を決めるひとつの方法だと思う。
キャプテン・フューチャーのシリーズ後半になる、この『フューチャーメン暗殺計画』と『危機を呼ぶ赤い太陽』は、いずれもフューチャーの持つ名声が作品に色濃く影響している。
『フューチャーメン暗殺計画』では、名高いフューチャーによる新型惑星建設計画を食い止めるべく、大富豪が組織を利用してフューチャーを暗殺しようと考える。
そして『危機を呼ぶ赤い太陽』では、昔、フューチャーに憧れていたヤクザ者が作品に大きく影響している。
そこのところをけっこうインパクトがあるので、紹介してみよう。
「ええ、わたしたち、よくキャプテン・フューチャーと仕事をするわよ」彼女は答えた。「あんた、かれと会ったことないんでしょ?」
「一度、見たことがある」カ・サアアルは、なにか考えこむようにいった。「十二年前の水星で、だ。おれはまだ、ほんのガキだった。かれとフューチャーメンが、はじめて他星系を訪れて帰ってきたときだ。おれたちの世界の大半の大気が失われかけて、これを物質生成装置で解決してくれたときのことよ。みんな住民は半狂乱になってフューチャーメンを迎えたもんだ。あの日のこたァ忘れねェ」かれは乾いた笑い声をあげた。「水星に住んでいる子供は、一人残らずキャプテン・フューチャーのファンだった。もちろんおれだってよ。おれは、大人になったらかれみたいな男になるつもりだったんだ」
『キャプテン・フューチャー全集9』p354
私がここの部分を昔読んだ時には、ガン、と頭を殴られるような衝撃を憶えた。カ・サアアルのセリフで言っているのは『輝く星々のかなたへ!』での出来事で、すでにその当時ですらフューチャーメンは有名人だった。そして、それからすでに12年が経過しているのだという。
……ジョオン・ランドール(カ・サアアルと会話をしている女性)って、この時点で実はすでに30代?
あ、いや、そっちにショックを受けたわけではなくて。
若き赤毛の天才のイメージが強いカーティス・ニュートンであるし、フューチャーメンというとグラッグにせよオットーにせよサイモン教授にせよ年齢あまり関係ない連中ではあるが、やっぱりそれなりに作品中でも時間は経過しているのだなぁ、という感慨である。
まあ、「あれから1000年」なローダン・シリーズだってあるわけだし、『第二創世記』なんかだと、数百万年ぐらい平気で経過するが、やはりキャプテン・フューチャーでの「フューチャーに憧れていた少年が刃傷沙汰を起こしてお尋ね者になり、流浪の末に植民星(これだってフューチャーが振動ドライブを発明したからである)で悪役に雇われている」というほどのインパクトはなかった。
今風の作品だったら、きっと子供の世代の冒険とかもあるんだろうなぁ、などとよしなしごとを考えてみたりするのである。
■本日の読書:『私立! 三十三間堂学院 4』佐藤ケイ
1巻のクーデター編、2巻の転生激闘編は面白かったが、3巻の女子寮攻防編ははっちゃけ具合が今ひとつで、懸念しつつ4巻の登山編を読む。
……やあ良かった。面白い。
この巻のMVPはやはり、1巻に引き続いて生徒会長である。
このシリーズは男を巡ってのガチンコなバトルが焦点にあり、それを成立させるためには誰かが狂気にも似たあり得ない行動を取らなければならない。
2巻では、学園一の美少女である須美と、彼女の恋人である100人の「実は全員ひとりの人間から転生した」男達が、あり得ないほどにイカレていたのであの遊園地を炎上させるほどのバカなバトルが炸裂している。
それが3巻になると誰もそのような狂気を見せてくれないので、バトルそのものがえらく不完全燃焼であった。
全員正気ではイカンのである。
その点、この巻では生徒会長がダメでイカレた行動を取ってくれている。1巻や2巻がそうであるように、ひとりでも十分な狂気があれば連鎖反応的に周囲も巻き込まれておかしな行動に走ってくれる。
描写そのものは少ないが、このシリーズらしい雰囲気を楽しむことができて満足。
特に、冷静に暴走する生徒会長が、彼女を止めようとする生徒会メンバーに、刀を抜きつつ淡々と語る内容は素晴らしい。
「切断された手足は傷口を洗わずそのままビニール袋に入れ、更に氷水で冷やして病院へ運ぶこと。流水で洗い流したり、直接氷水につけると切断面の組織が失われてしまい、綺麗に繋げる事は難しくなるそうです。消毒も控えてください。よいですね」
『私立! 三十三間堂学院 4』p309〜310
本気度高ーっ!
正気度低ーっ!
とはいえ、不満もなくはない。
完全に正気で安全な日帰り登山の光景はやはり不完全燃焼な感じである。八甲田山死の彷徨ほどではないにせよ、生死の境をうろつくような地獄の登山であって欲しかったと思う。
■本日の読書:『スター・ウォーズ全史 上・下』ダニエル・ウォーレス/ケヴィン・J・アンダースン
スターウォーズ世界の歴史をまとめた本。
最初の劇場版でのヤヴィンにおけるデススター攻防戦を0年とし、2万5千年前のBBY(Before the Battle of Yavin)から、エンドアの戦いで皇帝が死亡して新共和国が誕生した後の陰謀あり、皇帝の復活あり、帝国の残党狩りなどのエピソード(小説やコミックなどがある)を紹介して、最後に別銀河からの侵略(ユージャン・ヴォング編)があって締めとなっている。
年表とかはなく、エピソードの概略を簡単にまとめた内容となっている。
この手のエピソードにありがちなことではあるが、昔の出来事ほどゆるやかに時間が流れ、映画の時代(アナキンらが登場)になったとたんに、むちゃくちゃめまぐるしく幾つものエピソードが重なり合うように発生している。
BBY2000年頃のシスとの戦いは1000年単位で記述されているぐらいである。
ちなみに、この頃は中世銀河系な感じらしく、描写もなかなかに面白い。
共和国の鉱物資源は戦いにより枯渇し、何千という巨大企業が破産した。資源をしぼり尽くされた植民惑星が捨てられ、共和国の宙域は一〇〇〇年ぶりに縮小しはじめた。(中略)
ドラグルチ時代の最後の一〇〇年は、共和国の“暗黒時代”と呼ばれることもある。共和国はもはや通信ネットワークを維持するゆとりもなくなり、コアの外にあるすべての惑星を通信網からはずしたため、これらの惑星はハイパースペース・ルートを使った急使瓶にたよるしかなくなった。(中略)
毎日のようにジェダイが戦いで死傷し、オーダーは共和国の屈強な市民のなかから少しでもフォースに敏感な新人を必死に募った。戦いに送られた多くのジェダイは、まだ子どものような年齢だった。(後略)
『スター・ウォーズ全史』上巻p59〜60
当時のエピソードを二次創作小説かRPGのシナリオにしたくなるような楽しい記述である。
本書は、だから資料的な価値よりも、むしろスター・ウォーズ世界を遊ぶためのイメージソースとして使うのがいいのではないかと思う。年表がないのも、そういう意味では決して悪くない。
スター・ウォーズ世界にみんなで参加し、みんなで楽しむ。
そのためのきっかけにできればいいんじゃないかな。
■本日の読書:『オクシタニア 上・下』佐藤賢一
13世紀フランスで実際にあった『アルビジョワ十字軍』を元に、正統と異端そしてフランスとオクシタニア(今のフランス南部)の争いとそれにまつわる人間ドラマを描いた歴史小説である。
まあ、キリスト教徒でもない私にとってアルビジョワ十字軍というのは「カソリックの生臭坊主を嫌った南仏のキリスト教徒による、ローマからの分離運動を武力でねじ伏せたもの」ぐらいの認識である。
だから、異端の正体とか、教義とかについてはまるで知らないわけであるが、別にそれでも問題のない、エンターテイナーとして優れた作品である。
当時オクシタニアと呼ばれた南フランスの人々と、北から来た、いわゆるフランス人との違いを描くやりかたがなかなか上手い。
オクシタニアの人々はオック語という言葉を使う。これを、関西弁で表記してあるのだ。
『アルビジョワ十字軍』に参加した教皇特使アマノ・アルマリックの次のセリフがほぼ最初か。
あんたはんも、しつこいでんな。こんなん、オクシタニアでは常識でっせ。フランス人は無知やと、それこそ笑われてしまいまっせ。
「異端アルビジョワ派からは改宗なんか、いくらも出えしませんのや」
と、アマノ・アルマリックは地金の南部訛りで突き放した。
『オクシタニア 上』p100
オクシタニアがフランスと違う国というか文化圏にあるというのが、作品上の重要な仕掛けである点を考えると、フランス人が標準語で、オクシタニアの人が関西弁というのは、直感的に分かりやすくたいへん優れている。
さて、本書ではこのオクシタニアのトロサ(トゥールズ)の街に住むエドモンとジラルダがメインキャラクターになるが、私はトロサ伯ラモン七世こそ、個人的に主演男優であると考える。
『アルビジョワ十字軍』と、その後のフランスによる侵攻は、カソリックにとって異端撲滅という名目もあるが、現実的には豊かなオクシタニアの地を誰が統治するかという問題とも絡むわけである。そしてラモン七世は、フランスと十字軍に対抗する、オクシタニア側の指導者である。
彼は神を信じない。異端も正統も、いずれもただの道具にすぎない。自分にとって利益になるというただそれだけでしかない。
ラモン七世は、『無冠の帝王』であるトロサ伯の血筋を引き、有能で、抜け目がない。だが、結局のところ彼は勝てない。勝つことができない。
いかなる神も信じない孤高の権力者は、また、己の勝利すら信じることができないのだ。
敗北者として運命づけられたラモン七世に、異端審問官である主人公のエドモンは最後にこう問う。
「ならば、ひとつだけ問いかけます。仮にフランスに異端が出たら、ラモン殿下は陣羽織に十字架などつけ、北の大地を攻め取りに出かけようと思いますか」
これを好機とフランス王の頭から、王冠をひっぺがそうとなさいますか。この期に及んで、異端審問官一流の尋問かと、ラモンはじりじりする思いだった。端から答えが出ている問いかけだったからだ。ああ、もちろん、北伐など考えない。他人さまの王冠で頭を飾ろうとは思わない。浅ましくオクシタニアに出てきた連中に、侮蔑の念しか抱けないでいればこそ、そんな自分を貶めるような真似をするわけがない。
胸中に自明の言葉を並べながら、恐らくは次の問いかけがあるだろうと、そのままラモンは待ち続けた。が、エドモン・ダヴィヌスは沈黙を守り、ややあってから失笑した。
「いうまでもないと、そう考えておりましたな」
「そら、そうですやろ。普通は攻め取りになんか出かけません」
『オクシタニア 下』p253〜254
本当は勝とうとしない男の、限界がそこにあった。
■本日の読書:『戦う民間船』大内健二
『輸送船入門』や『商船戦記』など、商船と戦争に関する著作の多い大内さんの新刊である。
本書で特に興味深いエピソードが、『1:日本軍の上陸作戦と商船』である。
商船がもっとも脆いタイミングは、輸送中ではなく、荷揚げ、それも港湾施設を利用できない敵地への上陸作戦においてである。
では、荷揚げにはどれだけの時間がかかり、どれだけの損害がでるのか。
たとえば、太平洋戦争の開戦劈頭におけるコタバル上陸作戦では次のようになる。
1941年12月7日
23:55
淡路山丸、瀬戸山丸、佐倉丸の3隻の輸送艦が上陸地点の沖合で投錨。
1941年12月8日
00:00
輸送艦は上陸用舟艇をデリック(クレーン)で海上に降ろしはじめる。
00:55
降ろされた上陸用舟艇へ、網梯子を伝って兵士が乗船開始。
01:35
第一次上陸部隊2000名、上陸用舟艇45隻に分乗して発進。
以後、ピストン輸送で船上から海岸へ兵員5500名を輸送する。
未明
コタバル一帯を制圧。
損害:上陸用舟艇45隻中25隻を損失、輸送部隊400名中135名が死傷。
04:??
イギリス軍の2機の双発爆撃機による空襲。
淡路山丸、被弾して補給物資のガソリンの入ったドラム缶が引火爆発。炎上。
瀬戸山丸、至近弾一発。デリックのひとつが破損して揚陸任務に支障。
04:??+10
イギリス軍の2機の双発爆撃機による空襲。
瀬戸山丸、被弾。高射砲が破壊され、兵員死傷。
??:??(朝?)
炎上する淡路山丸をのぞく瀬戸山丸、佐倉丸が一時沖合に退避するも、
上陸部隊支援のため再び揚陸再開。
18:30
物資の半分を揚陸した瀬戸山丸と佐倉丸が再び退避。
1941年12月9日
00:00
応急修理後、再びコタバルへ向かう。
07:00
座礁の危険を冒してコタバル海岸に接近し、物資の揚陸再開。
この記録を見てふたつの点が分かる。
ひとつは、空襲に対する脆さである。イギリス軍の攻撃は旧式の小型爆撃機によるもので、爆弾の搭載量も威力もはなはだ貧弱である。それが2機ずつばらばらに攻撃をしかけただけであるのに、輸送船団は大損害を受けた。
たった4機の攻撃で、宝石より貴重な優良大型商船の1隻が、開戦直後の戦いで脆くも失われたのである。
もうひとつは、物資の揚陸にかかる時間の長さである。
上陸作戦が開始されてから3時間ほどの早朝には、搭載された兵員の上陸はほぼ完了し、コタバル沿岸を制圧している。
しかし、それから日が暮れて夜になるまでほぼ半日以上かかって、2隻の輸送船は物資の半分しか揚陸できていない。そして一時退避の後、翌日までかかってようやく物資の揚陸を完了させているのである。
さらに気をつけねばならないことがある。
港湾施設が使えないというのは、揚陸そのものにかかる時間もさることながら、揚陸した物資を実際に使えるように集積地まで運ぶという手間もあるという事だ。
海岸に無造作に積み上げられたままの物資は輸送船以上に空襲に弱い。ガダルカナルでの戦いでは、揚陸に手間取る輸送船が空襲を受けて炎上し、さらに揚陸したばかりの物資も空襲を受けて失われるという、何のために苦労して運んだのやらという光景が繰り返されたそうだ。
コタバル上陸作戦では、揚陸した物資を運搬するために、多数のリヤカーが搭載されていたという。確かにそれらはあって悪いものではないし、当時の日本の黎明期な自動車産業で、運転技術を持つ日本人がきわめて稀少であった事も考えれば自動車を台数用意できなかったのも分かる。
だがやはり、こうした部分をなんとかしなければ海上護衛にいかに力を注ごうとも揚陸に時間がかかりすぎてしまい、損耗は避けられない。
港湾はあっても設備が整っていない南洋の島々への補給でもこれらの問題は日本軍にとってネックになっているはずである。
国力に乏しい日本が戦い抜くためには、できるだけ物資を無駄にせずい、時間を活用する必要があったはずだ。そのために、乏しい国力をなんとかやりくりしてでも輸送と揚陸にもっと設備と機械力を投入できなかったものか。
そうした事に思いをはせてみれば、ひるがえってみて自分の仕事のやり方にも考えるべき点は多い。時間が足りない、人手が足りないのであれば、そこを諦めて後は根性でやってしまうのではなく、どこか改善できるべきところはないか。
歴史に学ぶというのは、やはりそういう事であろうと思う。
■本日の読書:『仮面のメイドガイ 4』赤衣丸歩郎
「刺客のごとく忍び寄り
恋の矢つがえてハートを闇討ち
今宵限りのキューピット
主人の恋路に努力する
それがこの俺メイドガイ!!」
『仮面のメイドガイ 4』ご奉仕17
いやいや、赤衣丸歩郎さんのネームはいい。
深夜に書斎でメイドガイを音読していると、まるで読経をしているかのように心が静かになる。
……ああいや、本当に仏壇の前で読経するのもいいかも知れぬな。今度試してみるか。
さて、面白いのは面白いのだが、いつものといえばいつもの内容。
まあ、お笑い系はあまりアバンギャルドに新しいことばかり挑戦すると逆に作者が消耗しちまうからこれはこれでいいのかも知れない。
●この巻この1枚:
ご奉仕20における 忍者メイド 対 コガラシ&フブキ のバトルの場面。
ここは全体的に良い絵がそろっているのだが、特に星十字な仮面の忍者メイドが、土人形を従えて屋敷の屋根に月をバックにしている絵がお気に入り。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 ダンテ、ティムール、洪武帝ほか』
14世紀の世界にいた人々。
ちなみに、洪武帝(Hung-wu)とは、明の太祖である朱元璋である。「しゅげんしょう」は一発で変換するが、「こうぶてい」では光武帝(後漢の始祖)しかATOKでは出なかった。
なんとなく知名度対決のようで面白い。
この時代、ヨーロッパの東ではオスマントルコが大活躍をしている。南のスラブ人(ユーゴ・スラブ)の土地、バルカン半島がオスマントルコの勢力圏に組み込まれるのはもうちょい後であるが1389年のコソボの戦い(私としては最近の民族紛争で身近だ)でハンガリーなどのバルカン諸国が率いる十字軍はオスマン軍に大敗を喫している。
以後、ハンガリーにせよセルビアにせよ、このへんの国々はオスマンの顔色をうかがいながら忍従の日々を暮らし、たまったひずみは今なお民族間のいさかいの種となっている。
もしもモンゴル帝国がなければ、中央アジアに興ったホラズム・シャー国にどのような未来があったかを考えるのが一興であるように、オスマン帝国なければビザンチン帝国とバルカン半島諸国はどんな歴史を歩んだろうか。
セルビアのアーサー王ことマルコ王子は架空の人物としても、バルカンの覇者であったドゥシャン大帝のように、それなりに強大な国家が生まれる下地がなくもなかったはずである。なんとなれば、西ヨーロッパ諸国と比べて東ヨーロッパは豊かであったから。
たとえばドゥシャン大帝が持つ銀山(ドイツ人技術者が運営)からの収益だけでも、当時のイングランド王家の歳入に匹敵していたらしい。
だが、やはりこの時代のイスラムの大学者であるイブン・ハルドゥーンに言わせれば、そうした考えは不適であるとのこと。
彼は歴史を学んだ後、イスラム諸国で政治家として経験を積み、文明圏として豊かさを享受している場所よりも、その周辺に位置する辺境の蛮族からこそ、新たな国や文化が生み出されるという歴史観を打ち立てている。
彼は晩年になってアラブの地へ侵攻してきたティムール帝とも会い、そうした考えを伝えている。このティムールによる帝国もまた、辺境より生まれてきたものであった。
■本日の読書:『デュラララ!!×3』成田良悟
普通に面白い。
が、成田良悟を読んで普通に面白いだけでは損をした気分になってしまう。
自分でも身勝手だとは思うが、こればっかりはどうしようもない。
理由はやはり、新奇で珍奇で数奇で猟奇な、まあ、そういうナニかに不足していたせいだろう。
シリーズ1巻ではデュラハンまわりはともかくダラーズのリーダーの正体がアレだったのが実に愉快であった。
シリーズ2巻では人斬り事件の顛末も、罪歌の“正体”も、そしてクライマックスでの平和島静雄の大暴れ場面も、どれもが楽しく面白かった。
で、3巻であるが、実はあんま意外性がない。
事件の仕掛け人である折原臨也自身、今ひとつ不本意な展開であったようで、さほどにはっちゃけてくれない。天秤の揺れは小さなものだし、天秤そのものをブチ壊すエターナルチャンピオンも出ない。
その分、まとまりは良いし、面白いのだが――やはり、物足りない。
なんとも贅沢な話ではあるが、それでも、「斜め上の面白さ」を求めてしまうのが、成田良悟の作品なのである。
■本日の読書:『灼眼のシャナ XIII』高橋弥七郎
前のXII巻の最後は、『零時迷子』が発動して主人公消滅の危機。しかも、あれこれ因縁のありげな“銀”とか、いろいろと引く終わり方であった。
で、XIII巻はオープニングをのぞくといきなりそれから2ヶ月後である。主人公生きてるし、オヤジは一時帰宅するし。
なんんつーか、不徹底。いや、確かに技法としては「引いた後で、ちょいと肩すかしくらわせて焦らす」のもアリであるのだが、その場合、不安を煽っておかないと意味がない。
前巻の引きがうやむやになってるのは、「不安が存在しない」ためだ。
まさかココで学園も三角関係も、キャラも伏線もナニもかも吹き飛ばして物語と世界が第一部完になってしまい、第二部は荒廃した地球でトンファー構えた主人公がレジスタンスとして暴れるとか、そういう超展開を期待しているわけではない。
だが、それならせめて不安を煽るような描写や演出があってもよかろう。高橋さんの文章は言葉遊びが多く表現には技巧を凝らしているのに、そうした外連味があまりないのでハラハラしないのだ。
ともあれ、このシリーズではしばしば発生する「マジメになりすぎてツマラナイ」巻になっていたと思う。
そもそも、手札のほとんどが敵側である紅世集団、仮面舞踏会(バル・マスケ)にあるのに、やつらはカッコつけるばかりで思惑を隠しっぱなしなので話が進まないのだ。
判断しようにも情報がそもそもないのだから、主人公サイドは様子を見るしかなく、おかげで話が停滞する停滞する。
して考えてみると。
……教授はいいキャラだなぁ。
こういう時にこそ戦闘シーンで手に汗握らせるべきであるのだが、こちらもどことなくパワーダウン。
紅世のバトルは元より作者の制定した「俺ルール」以外に頼るべきものがないタイプのバトルだ。使う技の特性も威力も対抗手段も、作者が説明しなければ(あるいは登場人物から伝えなければ)読者には伝わらない。
それを面白く描くには、読者を「俺ルール」世界に引きずり込むか、あるいは「俺ルール」をオープンにした後で仕掛けを入れる必要がある。
前者の良い例がX(10)巻で描かれた先代の炎髪灼眼の討ち手が参加した大戦であり、後者の良い例がI(1)巻で描かれた悠二の次のセリフだろう。
「向こうに主導権を与えちゃ駄目だ」
悠二は、自分でも驚くほど、冷静になっていた。さっきの自己分析の副産物なのか、自分がやるべきこと、やれることが、明確に頭に浮かぶ。
「こっちが待つってのはつまり、相手に何か準備させたり、次に行動を起こすのを受け止めて動くってことだろ。それじゃ、罠の中に自分から飛び込むようなもんだ」
『灼眼のシャナ』p195〜p196
不利であればこそ、主導権をゆずってはならない。なんというか、まさしくXIII巻の主人公サイドの状況を端的に表しているよな、これは。
長編であるがゆえに、まだ「クライマックスへ運ぶには未処理の部分が多い」というのは分かる。が、「未処理だからまだクライマックスまでは遠いだろう」と侮られるのはやはり良くない。
常にいつクライマックスに、いつ最終決戦になるか分からない緊迫感が欲しいところだ。
繰り返すが悠二も1巻で断言している。主導権は不利な側(作者)が握ってなんぼである。
■本日の読書:『歴史群像 No.79』
記事からふたつ紹介。この号も読み応えは多い。
●『日本の軍用船 二等輸送艦(SB艇)』瀬戸利春
先日、『戦う民間船』(大内健二)の紹介で港湾施設が整っていない南洋での荷下ろしについて述べたが、日本海軍もまるで無為無策というわけではなく、戦訓を元に幾つかのアイディアを出している。
それが現在の強襲揚陸艦、将来のホワイトベースにつながる二等輸送艦である。上陸用舟艇と同じく波打ち際にどし上げて艦首のトビラを降ろすとそれをタラップに戦車などの車両がそのまま上陸できるという優れものである。
強襲揚陸艦というとコワモテな感じだが、我々の身近にあるものでいえばカー・フェリーだろう。桟橋のあるなしはあれども、あんな感じである。
二等輸送艦ももう少し早く生まれていれば強襲揚陸艦として活躍できただろうが、残念ながらこの艦が具体化したのはガダルカナルでの激闘が終わった後の1943年はじめであった。43年11月には設計が終わってすぐに起工、ブロック建造方式と溶接工法を駆使して3ヶ月で最初の艦が竣工している。
日本軍だってやればできるのである。
昭和19、20年の2年間で103隻の建造が計画され、終戦までに72隻が完成している。
……本当にやればできるなぁ。
こうして作られた二等輸送艦は、最初に予定されていた強襲揚陸艦としてのお仕事はないものの、硫黄島やフィリピン方面への輸送に大車輪で活躍した。すでに日本が戦前から持っていた世界第三位の商船団は壊滅状態にあり、二等輸送艦もアメリカ軍の空襲や潜水艦の攻撃で大損害を被った。海軍に割り当てられた49隻のうち、実に37隻が戦没している。
しかし、二等輸送艦の奮闘は無駄ではなかった。硫黄島やレイテ島での日本軍の奮戦を支えたのは、これらカー・フェリーの先祖だったのである。
それだけに、これらの艦が戦前から、あるいはせめてガダルカナルやニューギニアの前に存在してくれればと思わなくもないが……ああそういや、そういう話が谷甲州さんの『覇者の戦塵』だったか……しかし、終わった過去を悔やんでもはじまらないのである。
情報を集め、経験からきちんと学び、自分の責任と権限において必要な手を打った男達が、日本にも大勢いたという、二等輸送艦はその証明であろう。
●『戦象の世界史』松代守弘
戦象である!
私が戦象というと思い出すものが2つある。
20数年前、アド・テクノスのウォーゲーム『アレクサンドロスの遺産』で見た戦象ユニットの猛威(サイコロの目しだいでは役立たず)。
数年前、オスプレイのメンアットアームズ・シリーズの『インドのムガル帝国軍』でアンガス・マックブライトの美麗なカラーイラストとして登場したインドの戦象。
そして今年、私のマケドニアン・ファランクスと激闘を繰り広げた、モンテズマ率いる戦象部隊である(『Civilization 4』)。あの戦争ではひでぇ目にあった。
あ、しまった、3つだ。
象を戦場で使うメリットは3つある。
まずなんといっても見てくれが頼もしい。味方には心強く、敵には恐ろしい。
その見てくれの元となる背の高さゆえに、背中に乗った射手(当初は弓だが、時代がくだればマスケット銃)による攻撃の威力は大きい。
そして……そして……あれ? この2つだけ?
実のところ、戦象についてはデメリットのほうが列挙にはことかかない。
戦象はなんといっても高価であるし、戦場だろうがどこだろうがたくさん食べる。象の食料を調達しようとすれば軍の動きは制限されるし、いざ戦場に到着しても象のコントロールはなかなかに難しい。暴走したら味方にだって大損害が出る。しかもそのたのもしい巨体は火器の威力が上がるとただの的になってしまうようになる。
歴史上における戦象の参加した有名な戦いでも、アレクサンドロス大王のインド遠征や、ハンニバルのザマの会戦、フビライによるビルマ遠征など、戦象を使っている側の敗北の方が目立つくらいだ。
して考えてみると、現代によみがえった戦象=駆逐戦車エレファント(ドイツ)が、巨体ゆえに頻発する機械的な故障や、機動力のなさに泣かされたというのも、なんというか、戦場に駆り出された象の呪いのような、そんな気もしないでもないのである。
■本日の読書:『歴史群像 No.79』その2
●『ボロディノ1812』有坂純
ナポレオンのロシア遠征、そのハイライトであるボロディノの戦いがいかにヒドイ戦いであったかは私もよく知っている。
アドテクノスのウォーゲーム『ナポレオン、モスクワへ』で大陸軍(ラ・グラン・タルメ)を指揮しつつ「なんでわしはこんな損害が多いのが分かっとるのに攻めんといけんのじゃ」という気分になったものである。
まあ、このへんはゲーマーたるもの、歴史と勝利条件を知っているがゆえのいたしかたのない部分でもある。
長篠の戦いのゲームであれば武田勝頼プレイヤーは織田徳川連合軍に突撃をかけねばならず、アザンクールの戦いであればフランス軍プレイヤーはやはりイギリス軍に突撃をかけねばならない。
織田信長連合軍が鉄砲三段撃ち(これは最近怪しくなってきた)と馬防柵(こちらは壕もあれば盛り土もある本格的なものらしい)で守っているところへ。
イギリス軍がウェールズ出身のロングボウ部隊(射程と速射性に優れる)が柵を作って待ちかまえるところへ。
大損害食らうのは分かっていても突撃をかけるしかない。
では、ボロディノの戦いはどういうところへナポレオンは突撃をかけたかというと、ロシア人お得意の野戦築城された土造りの平たい城、角面堡(かくめんほ)や突角堡(とっかくほ)に突撃をしかけたのである。
この時代の兵隊は、いまだ隊列組んで突撃である。メインウェポンは先込めのマスケット銃で火縄銃よりは進化しているが連射はできない。だから最後は白兵突撃で相手をその衝撃力で打ち砕く(敗走させる)わけだが、そうなる前に撃ちすくめられて突撃側がこらえきれずにずるずる下がってしまうこともある。
ロシア軍の野戦陣地はフランス軍の火力をある程度は防ぎ、逆にロシア軍の大砲は隊列を組んだフランス軍を叩きのめした。
実はナポレオン麾下で最高の将帥であるダヴー元帥は、こんなヤバそうなところを攻めても被害が出るだけだから、迂回しましょうと進言している。
それでもナポレオンは攻撃を命じた。ナポレオンは戦場の勝利ではなく、戦争の勝利を求めていたからだ。
ロシアを屈服させるには、都市を占領するのではなく、野戦軍を撃破するしかない。そして、敵の野戦軍を撃破するには敵が「ここで戦おう」と思っているところで戦って勝つしかない
確かにダヴー元帥の言うように、迂回して後ろから攻めれば簡単に撃破できるだろう。
しかし、そんな不利な態勢になったロシア軍が本気で戦うとは思えない。さっさと逃げ出してさらにロシアの奥地へと引っ込み――そうでなくても補給に限界がきている大陸軍は、それに付き合ってさらなる泥沼に足を踏み入れることになる。
それゆえ、ナポレオンは不利を承知で、苦戦を承知で、正面から攻めた。その決断力はまさにナポレオンが一代の英雄であることを示している。
フランス軍の戦力は歩兵10万3千。騎兵3万1千。大砲587門。
ロシア軍の戦力は歩兵11万4千。騎兵2万1千。大砲630門。
戦力はほぼ互角。指揮能力や練度はフランス軍が優位で、対するロシア軍には野戦陣地という地の利がある。
なるほど、これならばロシア軍も本気で戦うはずだ。というか、現状でこれ以上にロシア軍に有利な、あるいは互角な戦場は望む事もできない。ロシアのクトゥーゾフ将軍も腹を決めたろう。
そして戦いは、まさに屍山血河となった。
勇敢に突撃をかけるフランス軍はロシア軍の火力に大損害をだし、粘り強く戦うロシア軍もすさまじい勢いで消耗していった。
ロシア軍の損害は4万4千。勇将バグラチオンも戦死した。
フランス軍の損害も約3万。指揮をとっていた将官12名が戦死している。
戦いはナポレオンにとって最悪に近い形で終わった。ロシア軍は撃破された――が、統制が取れたまま撤退に成功した。勝利したフランス軍はそのあまりの損害に追撃をかける事ができなかった。
ナポレオンにとり、戦術的な不利を看過した上で戦略的勝利を目指したボロディノの戦いは、戦術的な勝利を得ることはできたが戦略的には大敗北となった。ナポレオンは、モスクワを一時的には占領するが、結局のところ戦争は相手が負けたといわなければ勝てないのである。大軍ゆえに破綻した補給、さらに長期の遠征と冬将軍により大陸軍は失血死したのだ。
■本日の読書:『撲殺天使ドクロちゃん 8』おかゆまさき
お?
ドクロちゃんはエスカリボルグなどのギミックこそいかがわしいが、ストーリーはオーソドックスで、基本的な流れはあまり変わらない。
「状況説明のオープニング」から「事態が悪化するミドルフェイズ」を経て、「撲殺のクライマックス」を迎え、「まったりとエンディング」へつながる。
まあ、主人公である桜君をイジメたり自爆させたりする流れはいつもどおりだが、微妙に撲殺のタイミングや描写を変えたところ(p37)もあり、そのへんがなかなかに面白かった。
まあ、マンネリはよろしくないからね。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 ジャンヌ・ダルク、ドラキュラ、鄭和ほか』
15世紀の世界に住んでいたひとびと。
表紙裏にある『映画の中の世界史』コラムは当然のごとく、ジャンヌ・ダルクの映画について。
ここで紹介されている『聖ジャンヌ』(1957)という映画は私は見たことはないし、ジャンヌ役のジーン・セバーグも知らないのだが、彼女のたいへん短いセシール・カットには見覚えが。
この短いくせに妙になまめかしい髪型は、ジャンヌ役の時に丸坊主にしたところから生まれたそうな。
なるほどなるほど。
男装することでより女性の魅力が引き立てられることもあるように、髪型も短くすることで色っぽくなることもあるのだなぁ。
一方、中国の大航海時代(というには持続性に欠けたか)を築いた鄭和の大遠征であるが、この鄭和という人物、なんと代々イスラム教徒の家系であるそうな。
じいさまかひいじいさまか、とにかく一族は中央アジアの方から雲南に移り住み、イスラムの信者であったという。
モンゴルが支配する元帝国の元では、国際色豊かな経歴と人脈とを持つ鄭和の一族は支配階級の一員であったが、明の時代になるとこれは逆転する。まだ少年だった鄭和が去勢されて宦官になってしまったのは、そういう変転があったせいだろう。
それでも西方の文化や人々と縁が深かった一族の影響もあり、宦官でありながら戦場で武勲をあげた鄭和は35才で船団指揮官として第一次遠征を行い、その後63才になるまでの29年間に7回の大航海で東南アジア一帯からインド、アラビアからアフリカまで行ったという。なんでもアメリカにも行ったとか行かないとか。
盛時の鄭和について、同時代の人がこう記している。
内侍鄭和はすなわち三保は雲南の人である。
身長は9尺(180センチ)、腰まわりは10囲(100センチ)、顔は四角ばって鼻は小つくりであるが、貴相である。
眉目は秀麗で、耳は白くて長い。歯は貝のようである。
歩く姿は虎の如く、声言は喨々(りょうりょう)としている。
宦官というイメージからはほど遠い、海の男という感じである。南京に鄭和公園というのがあり、そこに像があるそうだが、それもこの記録を元にしているらしい。
■本日の読書:『絶対可憐チルドレン 6』椎名高志
薫の大人バージョンが表紙であった続きなのか、メガネな葵の大人バージョンが表紙。
ということは、7巻は紫穂の大人バージョンか。
前の巻に引きつづき、賢木が大活躍な巻。
紫穂と同じくサイコメトラーな医者で、棒術を使って相手に触れて動きを見切るという、「読み系」の最強技を披露。
「言ったろう、お前の動きは完全に見切っている」
どこまで活躍してみせてくれるかと思いきやっ!
「ただ……俺のほうがちょっとなまってて、追いつかんようだ」
ダメじゃんっ!
あげく、敵エスパーにクビを締められつつ。
「チクショウ! 読めてはいるんだ! 読めては!
やむをえんから、ここで殺そうとしてるな!!」
もはや完全にギャグキャラ。
どうして、椎名さんはこういう、イイ具合にはずれたキャラが得意なんでしょうか。
はずれたキャラというと、やはり主人公である皆本の鏡像である兵部京介もいいキャラである。
彼が主役の『荒野のエスパー』は、この巻でも一番面白いエピソードだろう。性格は黒いし気分屋で我が儘ではあるが、兵部にはやんちゃな子供のような魅力がある。
こうして考えると、破滅の未来を変えるには兵部の力が必要だと思える。
理性とモラルを重んじる皆本だけでは、おそらく未来は変えられない。ふたりが(目指すところは逆であっても)力を合わせてこそ、歴史の流れは変わるんじゃなかろうか。
■本日の読書:『宵闇眩燈草子 七』八房龍之助
宵闇シリーズもめでたく完結。
前半は、虎蔵アメリカぶらり旅の続き。
やっぱりシーボイガン(シホイガン)の町は“喰われた”か。
ああいや、実はシーボイガンっつーと、その昔(1979年)今は亡きSPIが出したゲーム“The Creatures that ate Sheboygan”(シーボイガンを食った怪物)っつうのがあったのだね。奇才コスティキャンのゲームで日本でもRPGマガジンの付録として付いていたから、遊んだ事がある人も多かろう。
……多くもないか。
前作の感想で、銃弾やダイナマイトごときで死ぬキャラは貴重だと書いたが、けっこうそんな感じだったガンスミスのオヤジや、ムチュあたりまで、フツウでは死にそうにない(ムチュはかなりヤバかったが)事が判明して、少しばかりがっかり。
せっかくアメリカ編にはそれなりにまともなキャラが多いと思ったのにー。
むしろキャラとしては前巻でも出ていた欲深な神父が、人間としての常識をわきまえているあたりに、どことなくおかしみを感じてみたり。つうか、日本では京の字の役目だろうな、これは。
何にせよ、すごいスペックを持った連中が我が儘ほうだいをしたあげく、何事もうまくいかずに世の中がぐっちゃんぐっちゃんになるという、まあ、実に愉快な展開ではあった。
……ラスキン爺がいなくて良かったよなっ!
さて、アメリカぶらり旅から虎造は世界ぶらり旅に――穴ふさいで回るっつうて、おまえそんなに馬道士きらいか。なんというか、考えてみればあのめんどくさがりが、馬道士に関しては死体ばらばらにして焼いた灰を世界中の海にばらまいたりしとるぐらいなので、なんか互いに(風水以外にも)すごく合わないのはあるのだろう。
それにしても、虎蔵おまいまだ40代だったのかっ! なんか、天狗がどーこー言ってたからきっと平安鎌倉あたりから生きているのとばかり!
後半では、日本では京太郎と椎名(シーナ)さん、そして魔女なご老体がいつもののんべんだらりと不健康な生活を。
椎名さんに追っ手が入っていつものように京太郎がヒドイ目に遭って死にかけるのを見た時には、すごくほっとしたというか、コレコレこれだよと、自分の嗜好を再確認。やはり虎蔵やラスキン爺さんが大暴れするよりは(いやそれはそれで好きだが)京太郎やジャックがヒドイ目に遭って血反吐はいて死にかける場面こそオレは見たいのだなあ、と。
その一方で女性や子供が血反吐はく場面はあまり見たくないのはきっとオレが常識と良識をわきまえているからに違いないなどとも考えてみたり。
なんにしても、八房さんの作品は大好きであるから、これからもぜひぜひ我が道を行っていただきたい。
[戻る]
この日記は簡単ホームページ日記で作成されました。