07月01日

■本日の読書:『蒼空の盾』内田弘樹
 イージス護衛艦「つるぎ」が太平洋戦争末期の日本へタイムスリップするという、設定に関しては架空戦記の原点とも言うべき作品。

 では、この「つるぎ」は過去へ何を運んでいったのだろう?

 いかなる敵も打ち砕くスタンダードミサイルか?
 それを運用する鉄壁のイージスシステムか?
 はたまた、未来の歴史や技術の情報か?

 むろんそのいずれも正解だが、もうひとつ大事な物がある。

 護衛艦「つるぎ」はタイムスリップによって「読者」つまり「私」を運んでいってくれたのだと考えている。

 架空戦記における問題点のひとつに、当時の日本への曰く言い難い思いがある。

 確かにそこには我々のお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが住んでいる。
 我々にとって大事な人々に幸あれと願うのは当然の心情だ。

 しかし、日本の政治システムや、それが国民にどのような苦難を強いたかを考えると。
 特に戦争の当事者たる帝国陸海軍が組織としてどのようなていたらくであったかを知ると。

 どうにも「何のために、いや誰のために日本を勝たせているのだろうか」という気分になってしまうのである。
 少なくとも、あんな組織がリストラされないまま戦後になったらどんな日本になるかは想像したくもない。

 本書で、現代日本人である「つるぎ」乗員が当時の軍組織と交渉して暗鬱たる気分になっているが、それはそのまま読者である「私」の感情でもある。

 それでも、やはり。

 B-29による日本への爆撃を防ぎたいと思う気持ちにブレはない。
 東京大空襲や、広島や長崎への原爆投下を防ぎたいという思いに嘘はない。
 その結果として戦後の日本や世界がおかしな方向へとねじ曲げられようとも。
 国民を無差別爆撃から守ることができなくて何の軍隊か。何のための国家か。

 この点において当時の軍人と、「つるぎ」乗員と、読者である「私」の気持ちはひとつになる。

 さまざまな苦難と錯誤の末、「つるぎ」を中心に陸軍と海軍の垣根をこえた防空システムが作り上げられていく。

 クライマックスは帝都上空へと飛来する300機のB−29との戦いである。

 正直なところ、最後の第四章はやや淡泊な感じがする。もうちょい尺もとって情感たっぷりに盛り上げて欲しい部分ではあるのだが、それでも十分感動的だ。

 内田弘樹さんのこれまでの作品では文句なしに最高。
 私にとっての上半期ベスト架空戦記である。

07月02日

■本日の読書:『BLOOD ALONE 3』高野真之

 2巻にはヴァンパイアな暗殺傭兵集団『深紅の剣』に関する事件と
 クロエの無敵モード、「来い――灰にしてやる」のような緊迫したエピソードもあったが

 3巻は、いつものようにまったりラブラブ話。

 お気に入りは『episode19:HOME ALONE(あなたのいない部屋)』である。

 クロエが出かけてミサキが部屋にひとりでしょんぼりというもの。
 最愛の姉を奪われて孤独な戦いを続けていたクロエに、枷として与えられた吸血鬼の少女、ミサキ。

 無意識の内にミサキは感じている。
 クロエには、自分に見せない顔があると。
 それはひとりで戦っていた頃の、仇敵を追い続けていた頃のクロエだ。

 もしかしたら、クロエは再び戦いへと赴くかも知れない。
 自分と別れて――ひとりで。

 だからミサキは問いかける。
 クロエに背を向けて、冗談めかして。

「クロエもやっぱり……
 たまにはひとりに……
 ひとりになりたい時もあるの?」

 何でもないような口ぶりで。
 でも不安でいっぱいになって。
 そんな少女に、クロエは答える。

「ひとりになりたいこと……か」

 クロエはそっと、少女に手を握る。

「そうだな……
 これまでにもう、ひとりきりの時間は十分過ぎるほどすごしてきたから……」

 クロエは少女を引き寄せる。
 少女の顔を見る。
 少女はクロエを見る。
 互いに手をとって。

「これからは――ふたりがいいな」

『BLOOD ALONE 3』(p174〜175)

 冷たい血を持つ吸血鬼の。
 ちょっと温かい物語である。

07月03日

■本日の読書:『宇宙囚人船の反乱 キャプテン・フューチャー全集7』エドモンド・ハミルトン

 太陽系最果て、冥王星の衛星ケルベロス。
 日本人的には網走刑務所なこの衛星に囚人を護送する宇宙船がバルカン号だ。
 このバルカン号にキャプテン・フューチャーことカーティス・ニュートンが「ついでに」乗り込む事からこの物語ははじまる。

 ケルベロスへの途上で発生した囚人の反乱と、彼らによるバルカン号の乗っ取り。
 囚人達は太陽系外への脱出をはかるも太陽系の外に浮かぶ小惑星に不時着し、宇宙船は破壊されてしまう。
 身ひとつで見知らぬ星に投げ出されたフューチャーメンと囚人達。ケルベロス刑務所に送られるはずの囚人達ははからずも島流しならぬ星流しになってしまった事になる。

 しかも、この小惑星は後2ヶ月で崩壊してしまうというのだ。

 外部からの救助は望めない。

 助かる方法はただひとつ。

 道具ひとつない状態から2ヶ月で宇宙船を建造して、この小惑星から自力で脱出する事だ――

 アクション物の基本は、主人公サイドをどこまで危機的な状況に追いつめる事ができるかにかかっている。

 作者は読者に「もうダメだ」と思わせてなんぼである。

 『レンズマン』シリーズは、そのへんを『ドラゴンボール』と同じように敵を次々とパワーアップさせていって派手なバトルを演出しているが、『キャプテン・フューチャー』の方はむしろシチュエーションに凝る方向で勝負している。

 やや変則的ながら、『宇宙囚人船の反乱』はそのシチュエーション勝負の極点ともいうべき作品だ。

 囚人達の反乱でまず、1段階。
 反乱を鎮圧できずに乗っ取られて、2段階目。
 太陽系の外縁で遭難して、3段階目。
 小惑星が2ヶ月で崩壊するというタイムリミットが設定されて4段階。

 読み始めてからここまで、どんどん状況は悪化していく。
 読者としては「おいおい、どうなるんだ」てなものである。

 もちろんこの後の宇宙船建造がはじまっても、小惑星に住んでいたはずのアンタレス人の謎とか、正体不明の「小惑星の主」の脅威とか、宇宙船に必要なカルシウムが発見できないとか、危機と苦難が繰り返しカーティス達を襲って飽きさせない。

 シリーズ中でも毛色が変わった名作と呼ばれるゆえんである。

 ただ、このタイプのサバイバルネタが好きな人間としては、脱出にもうちょい原始的な方法が組み込んであったらうれしいなぁ、というのはある。

 カーティス達はサイクロトロンによるこの世界での普通のロケットを作って脱出するのであるが、ここは古風に液体燃料ロケット――植物油で作ったロケットを2段式にしてみるとか、あるいはねじり棒式のカタパルトのようなものを初速をつけるのに使うとか。

 とはいえ、こうした発想は現代の発想からのものであるのも事実だ。いわばいろんな技術や方法、過去の試行錯誤を知っていることからくる発想だ。

 この作品が書かれた1940年代初頭という時代は、アメリカは日本やドイツとの世界大戦のまっただ中であり、有人宇宙ロケットなどというものはまだまだ未来の技術だった。

 宇宙ロケットにどんな技術が必要なのかすら、ろくに分からない時代だ。

 あさりよしとおさんの『なつのロケット』のように、過去の蓄積を元にロケットを描くのではなく、何もないところからロケットをイメージし、それを読者が理解できるように伝えなくてはいけない。

 そうした時代背景を知るだに、エドモンド・ハミルトンの豪腕とそれがキャプテン・フューチャーという傑作を生み出した素晴らしさに感謝したくなるのだ。

07月04日

■本日の読書:『小あくま天使桃色系 2』むつきつとむ
 主人公の克也クンを1巻の時点であれだけ誉めてたので、2巻でへたれてたらどーしよーと心配しつつ読むも、やあ良かった。

 相変わらずのダメ人間だけど、ちゃんと他人の気持ちを大事にするやつで。

 ところで彼と同じようにダメ人間でありながら一途な恋ゆえに成長した男といえば、やはり『めぞん一刻』の五代君を置いて他にあるまい。

 我が友人のふかにゃこと不観樹君は、「あそこまで地道に愛に生きた主人公をわたしは他には知らない」と言っているがまさにその通り。

 もっとも、五代君があそこまでがんばったのは「響子さんにふさわしい男になりたい」という一途な思いゆえ。

 こちらの克也クンは最初からモテモテであるからして、そうした成長をうながすためのモチベーションに欠けているといえば、欠けているのかしらん。

 ヤキモチやいたりだらしないとすぐに怒ったりの響子さんと比べて、こちらのヒロインの明日香は癒し系だからなー。

07月05日

■本日の読書:『興国の楯 通商護衛機動艦隊 必中! 「愛国」超兵器作戦』林譲治
 海上護衛および補給業務の外部委託業者である『通商さん』が活躍する『興国の楯』シリーズの4巻。
 通し番号が(以下略)

 この巻は水冷式まーさんが有名「第7章:戦艦 対 辻参謀」だが、個人的に大いに笑ったのはむしろp120のアメリカ太平洋艦隊ニミッツ提督と、その部下のレイトン情報参謀の会話である。

 自分の名誉のためにアメリカの戦略をねじ曲げようとするマッカーサーに困り果てたニミッツは、日本軍よりもマッカーサーを始末した方がアメリカのためになるんじゃないかと軽口を叩く。
 すると、レイトン中佐はまじめな顔で答えるのだ。

「それでしたら、テキサスより、シカゴで探すべきでしょう。そういえばラッキー・ルチアーノの……」
「エド、いまのはジョークだ。忘れてくれ」
「ええもちろん、ことがことですので、私も忘れますし、記録もメモもいっさい残しません。そうですね、現金はメキシコの銀行に口座を作って(以下略。えんえんと暗殺計画をたてる)」
「おい、エド、さっきから何の話をしているんだ」
「そうです、長官。長官は何も知らず、なんらの報告も受けていない。その態度が必要です。もちろん私は何も言っておりませんが。
 あぁ、あの男の行動をわざと強度の弱い暗号で打電して、敵に(以下略。えんえんと暗殺計画をたてる)」
「エドウィン・トーマス・レイトン中佐!」
「なんでしょうか、長官?」
「マッカーサーを暗殺するような真似は、絶対に認めないからな!」
「はい、わかっております。長官の考えがわかるのは、不肖、このエドウィン・トーマス・レイトンだけといってもいいでしょう」
『興国の楯 通商護衛機動艦隊 必中! 「愛国」超兵器作戦』p120


 だめだこいつらーっ!!

 いや、この会話にはすごく既視感があって。
 それは『フンタ』というバナナ共和国の汚職にまみれた政治家をプレイするゲームでの出来事なのだが、私は大統領の腹心である内務大臣に任命されたのだ。
 このゲームの内務大臣は、1ターンに1回、誰かを暗殺できる。
 で、そのことを大統領と打ち合わせた時の会話。

「わかっておるな、内務大臣」
「わかっておりますとも、大統領。私めにお任せあれ」
「うむ、まかせたぞ」

 そして暗殺宣言フェイズ。

「ボス、誰を殺(や)りゃいいんですかい?」
「チビでハゲで葉巻をくわえた太った小男だ」(大統領のカードのイラスト)
「オーケイ、ボース」

「……って、おいこら。それはわし(大統領)じゃないかーっ!!」
「おや、本当だ? 偶然ですねー」

 本を読みながらこういう出来事を懐かしく思い出してみたり。

07月06日

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 アウグスティヌス、孝文帝、陶淵明ほか』

 ローマが滅びても、ビザンチン帝国は滅びなかった。
 運が良かったとか地政的に恵まれていたとかもあるが、なんといっても、ビザンチン帝国は軍隊が強かった。

 歴史を見ても国家の安定に必要不可欠なのはそれなりに強く、きっちり信用できる軍隊である。

 弱い軍隊では国を守れないし、信用できない軍隊ではむしろ国に害をなす。

 ビザンチン帝国も後々は軍隊が信用できなくなるのだが、少なくとも西のローマが滅びた後の6世紀ぐらいは強かったし信用もおけたのだ。
 さて、その強いビザンチン帝国軍を代表する名将といえば、ベリサリウスである。彼はビザンチン帝国中興の祖であるユスティニアヌス帝麾下の将だ。

 東奔西走して帝国のためにがんばったベリサリウスであるが、強い将軍と強い皇帝という組み合わせは実はあまりうまくない。

 内紛とお家騒動が日常茶飯事のビザンチン帝国で、強い皇帝がなぜ強いかというと、将軍に好き勝手させないから強いのである。

 通説ではベリサリウスは軍人としては有能だったが、政治人間としてはかなり問題があったので、皇帝に苛められたそうである。

 私はむしろ逆で、政治人間として隙だらけで奥さんの言いなりのダメな亭主であったからこそ、ユスティニアヌス帝は彼をイジメル程度で重用し続けたのではないかと考えている。

「ベリサリウスなら、間違って私に反乱しても対処できる」

 強い皇帝であるユスティニアヌス帝は軍事力ではなく政治力の面でそう判断したのではないか。彼が政治面でもソツがない男であったら、もっと早くクビをはねていただろう。


 さて、本書では『アンタラとアラブの詩人たち』という記事がある。

 アンタラというのはアラブの戦士である。母が黒人奴隷で自らの肌も黒かったが、戦士として名を挙げて恋人(従妹というか、縁者であるらしい。アラブでは普通だ)と結ばれるわけだ。

 彼の詩(騎士派詩人とかいうらしい)の一部を紹介するとこんな感じである。

 突き出す槍はつぎつぎと 我が血を求め襲いくる
 インド作りの敵の剣 その白刃も我が血をば 滴らせんときらめけり

 かくなる戦の場にありて 我は君を思いける

 剣また剣が交わると そのきらめきは君の笑み
 君がほほえみかける時 きらりと光るその歯にも似て

 ……まあ、なんだ。
 アラブの戦士って優雅なんだか、度胸があるんだか。

07月07日

■本日の読書:『パンプキン・シザーズ 5』岩永亮太郎

 4巻からの続きである夜会での暴動編(14話)とその後始末(15話)。
 巻末の第16話(途中)はこれまで敵役として出ることの多かった陸情1課の視点での物語。

 この巻でも燃えて泣かせる物語は健在。

 それぞれの正義。
 それぞれの理屈。

 ただの三流な悪党かと思われたパウロ侯爵にも。
 その護衛で除去すべき障害物にも見えたローデリア近衛兵にも。
 単に保守的で無慈悲に思えた陸情1課の面々にも。

 それまで過ごした日々があり。
 望むべき未来があり。
 守るべき大事な物がある。

 それでもぶつかるというのであれば。
 それでも譲れぬというのであれば。
 ただひたすらに、己の正義と己の理屈でその身と心を鎧うというのであれば。

 よかろう。その堅き皮を、パンプキン・シザーズ(かぼちゃハサミ)が切り裂いてみせよう!

 文句なしに、オススメである。

07月08日

■本日の読書:『異次元侵攻軍迫る! キャプテン・フューチャー全集7』エドモンド・ハミルトン(ジョゼフ・サマクスン)

 キャプテン・フューチャー全集7の後半は、『輝く星々のかなたへ』の続編とも言うべき『異次元侵攻軍迫る!』である。

 この作品は、エドモンド・ハミルトン御大ではなく、ジョゼフ・サマクスンによるものだがたいへんこなれた良い出来で、キャラについても違和感はない。

 物語は謎の軍団が射手座にある二重惑星ダヴォルとラゴルへと降下侵攻を開始する場面からはじまる。
 侵攻軍の砲火が、惑星ダヴォルの森を焼く。
 金属資源に乏しい惑星ダヴォルでは人々は植物に手を加えて住居とし、そこに住んでいるのだ。
 地表からの対空砲火による迎撃をものともせず、侵攻軍は揚陸カプセルを射出する。
 そこから陸続とあらわれる上陸軍。
 激しくなる戦闘の中、上陸軍の中にスヴァードという巨人兵士が出現。彼らにはどんな兵器も通用しない。みなすりぬけてしまうのだ。
 ついに崩れる防衛軍。重傷を負った指揮官を抱えて若者は脱出艇へと急ぐ……

 とまあ、いきなりのホットスタートである。私の脳内に浮かんだ映像は映画『スターウォーズ』に近い。

 『輝く星々のかなたへ』で振動ドライブが登場してからというもの、このように舞台が太陽系の外になることも多くなっている。
 それに、さすがに上記の惑星ダヴォルであったような内容を太陽系の惑星でやるとシリーズの後の作品にも与える影響も大きい。けっこう小器用になんでもこなすジョゼフ・サマクスンとしては原作者であるエドモンド・ハミルトンをさしおいてそのような展開は避けたのかもしれない。

 フューチャーメンを3つのグループに分けてスライド式に物語を進めていったり、けっこうテクニカルな構成も楽しい一品である。

07月09日

■本日の読書:『興国の楯 通商護衛機動艦隊 ニューギニア密林死闘編』林譲治

 やれやれようやっと追いついた。

 『通商さん』によるニューギニアの戦いはまだ続く。
 というか、1943年のニューギニアで日本が簡単に勝てるはずもない。できるのは負けないだけで、なかなか終わらないのは当然なのだ。

 この巻の主役は、和製タイガー戦車である。これは見てくれだけタイガーで、中身はかなりイイ加減な作りなのだが敵味方双方の齟齬と誤解と勘違いのおかげで大活躍するという、いつもの愚連隊なノリである。

 それよりもこの巻で私が気になったのは、フラグ管理である。

 p103。陸戦隊の中川中佐は、『通商さん』の下請けで、ニューギニアで道路工事をやってる千手組から鹵獲品のブレンガン・キャリアをもらいうける。中川中佐にはその理由が分からない。

 p143。さらに中川中佐は進撃のためにトラックを千手組から無理矢理に徴発して陸戦隊の輸送に使う。千手組の牧原は憐れむような視線を中川中佐に向けるが抗議はしない。

 こうした描写はこれまでの林さんの作品であれば、中川中佐の破滅/死亡フラグである。林ワールドで「自分の権限と能力を無駄にするタイプの無能者」がたどる典型的な末路であり、私としてはこの巻の最後に中川中佐の断末魔があるものと期待していたのだが……

 おかしい。破滅するどころか出てこない。これはひょっとして、次の巻に持ち越しということだろうか?

 あるいは、前の巻で辻参謀が人間砲撃演算器としての新たな人生を見つけたように。
 中川中佐にも、新たな用途ができるのであろうか。

07月10日

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 ムハンマド・玄奘・カール大帝ほか』

 時代は7〜8世紀。

 『ダ・ヴィンチ・コード』ではキリストの子孫うんぬんが衝撃的な仕掛けとなっているが、そうなったのも元はといえば生身の人間としてのキリストに関する情報がえらく少ないせいである。

 イスラム教の創始者であるマホメットことムハンマド(570?-632)に関しては、人間としての暮らしぶりや言動がそれなりに残っているので『ダ・ヴィンチ・コード』程度の内容では衝撃は走らない。

 むろん、イスラム教徒への悪意もって記述すれば話は別であろうが。


 さてはるか東の地。
 ほぼ同じ時期に中国は隋から唐への時代を迎えていたわけであるが、その中で生きたお坊さんが玄奘(602-664)である。

 日本では、三蔵法師の名前の方が良く知られたこのお坊さんは、はるかインド(天竺)まで旅をして、仏教の原典を持って返ったのだ。

 玄奘は真面目で堅物な人間であったようで、帰国してからはひたすら原典の翻訳をして一生を終えている。当時であっても彼の旅はセンセーショナルで政治的なインパクトも大きく、望めばそれなりの権力や影響力を行使できたはずなのだが、そんな様子はない。

 玄奘によるサンスクリット発音な直訳は新訳とも呼ばれているが、結局のところ普及していない。そのへんにも融通が効かない人柄が現れているように思える。

 彼の旅は、その後、娯楽もこめて西遊記へと進化していった。

 敦煌の莫高窟には、8〜9世紀と思われる『虎を連れた僧侶』の絵が多く出土する。物語も何もないが、おそらくこれが最初の西遊記の原型であろう。

 その後、虎は猿になった。
 おそらくキャラクター性の問題であろう。虎のままでは日常の場面とかもできんし。

 12〜3世紀の南宋においては、すでに西遊記は語り物の演芸として存在していた。ただ、この頃はまだ三蔵法師のお供は猿だけである。

 さらに時代が降って元代になると沙悟浄と猪八戒が加わっていく。

 私が思うに、これには作り手なりの理由がある。
 孫悟空と三蔵法師のふたりだけでは、トラブルの原因となるのが孫悟空のおっちょこちょいだけでは足りず、三蔵法師もそれなりに俗っぽい生臭坊主として失敗のネタになってしまうのではなかろうか。
 そこで、沙悟浄と猪八戒という二人を出して、食い気を出したり、怠けたり、女にひっかかったりというトラブルを彼らに任せたのだろう。

 こうして、トラブルの原因をお供の連中に任せることができたために、三蔵法師は今に続く聖性を回復できたのだろう。

 なお、本書では玄奘の頃のインド北部の王、ハルシャ・ヴァルダナ(??-647)も登場している。このインドの王様も、やはりインド漫画に登場するようで、表紙絵だけが紹介してある。山崎元一氏蔵とあるが、たぶん前に出たアショーカ王の漫画などもこの山崎氏の所蔵するものであるらしい。

 インド漫画というのは見た事がないので、どっかで読んでみたいものだと思ってみたり。

07月11日

■本日の読書:『ゼロの使い魔 8』ヤマグチノボル
 いつも通り。

07月12日

■本日の読書:『地雷撲滅をめざす技術』下井信浩

 第二次世界大戦で大規模に使用されるようになり、その後は世界中で使われることとなった地雷。

 本書は、地雷とはどのようなものであるかという点からはじまり、それが世界のどこで使われて被害をもたらしているかを説明している。
 そして地雷を除去するために必要な技術を分析し、その技術開発についてまとめてある。

 地雷という兵器のやっかいな点は、設置が簡単であるのに、除去が困難だという点だ。

 設置だけであれば、それこそ爆弾のように空からばらまいてもいい。
 地雷に一発必中とか、一撃必殺とかは誰も求めない。無駄を承知で大量に設置しておけばそれでことたりる。

「地雷がこのへんにあるかもしれない」

 それだけで、軍隊の行動は制約を受ける。
 兵法の基本は嫌がらせであり、嫌がらせとしてみれば地雷や機雷ほどに優れた兵器は他にない。

 おかげで、世界中の紛争地帯で地雷が使用されるようになった。
 1997年に対人地雷禁止条約(オタワ条約)が結ばれた現在も、この条約を批准していないアメリカやロシア、中国などの地雷生産国はせっせと地雷を作り、輸出している。

 地雷といっても、戦闘にだけ使用されるのであればこれは人間の業であるから仕方がない。争うな殺すなといっても、センのないことだ。

 ただ、最近の対人地雷は、戦闘以上に敵の社会を破壊するためのテロとしての側面が大きくなっているのだ。

 軍隊が地雷に遭遇しても、とにかく必要な地域(基地周辺や道路)だけを8割ぐらい除去すれば事足りる。

 しかし、そこに住む人にとってはそうはいかない。地雷があるかも知れないとびくびく暮らすのはよくない。農作業や迷った家畜を探して茂みに入ったらズドンというのではたまらない。
 ほぼ100%に近い除去を、街や道路だけではなく、生活するエリア全体で実施しなくてはならない。

 除去の方法も問題だ。
 軍隊であれば地雷除去にはかなり荒っぽい方法がとられる。
 悠長に時間がかけられないなら、そのへんに砲弾をぶちこんで地雷を誘爆させたりもする。
 しかし、そこに住む人間にとっては、街や畑をばかすか吹っ飛ばしてしまうわけにもいかない。どうしても、ひとつずつ人間が確認して除去していくことになる。

 危険であり、熟練を要する仕事である。

 地雷が今なお残る紛争地帯の多くは低開発地帯で、暑熱など環境面にも気をつける必要がある。それこそ、地雷のあるあたりまで移動するだけで大仕事ということだってあるのだ。

 たとえば地雷除去車両は安全面からも頑丈であることが望ましいが、頑丈で重い車両となると、低開発地帯では道路や橋というインフラが耐えられない可能性が出てくる。
 ハイテクを駆使した器材もそうで、やはり低開発地帯ではメンテナンスすら困難になる。

 頑丈でありながら、軽く。
 高性能でありながら、修理の負担が少ない。

 そうした相反する要望の中で、筆者をはじめとする技術者達は地雷除去の道を探る。

 地雷がばらまかれている現実に文句を言ってもはじまらない。
 地雷除去の技術には世論の支持こそあれ、金もなければ人もないというのもこれまた事実だ。

 そうした現実は現実として。
 自分にできることを考えて、実行する。

 そういう技術者達によって、我々の社会は動いているのである。

07月13日

■本日の読書:『空ノ鐘の響く惑星で 11』渡瀬草一郎
 前の10巻の感想は こちら

 渡瀬さんらしい、丁寧にきちんと組み立てられた物語構成は健在。

 また、これも渡瀬さんらしいのだが。
 架空の世界であったとしても、その世界の重みは現実と変わらない。

 人間がそう簡単に変わるものでもなければ、積み重ねられた歴史がそう容易に軌道を変えるものでもない。
 主人公やその周囲のキャラが少々がんばった程度で、世の中の問題点が解決されたり、人々が幸せになったりするわけではないのだ。
 そういう物語の重みは私にとって心地よく、好ましいものだ。

 けれども、それゆえにと言うべきか。

 世界がリアルであるがために、物語の牽引役としてのフェリオの弱さを再確認もしてみたりもする。

 何しろこの巻では、主人公たるフェリオがほとんどでてこないのだ。
 もちろんそれなりに登場はするし、続く最終巻ではアクションもあるのでフェリオは活躍するだろう。
 しかし、成熟した精神の持ち主であり、周囲への気配りも欠かさないフェリオは危険はおかしても、あからさまにダメな行動はなにひとつ取らない。

 ヒーローの多くはうかつであり、そこつである。
 しばしば失敗や間違いをしでかし、窮地に陥る。
 それでも、彼らはそこから挽回する。だからこそヒーローたりえる。

 むろん、フェリオにも失敗や間違いはある。
 しかしアクションヒーローがやるような「あからさまに読者にも理解できる」タイプの失敗や間違いとは無縁だ。

 彼は落ち着いて考えるべき時には、落ち着いて考えるのである。
 だから彼が窮地に追い込まれた場合、それは少々派手にアクションしたところで挽回できるものでもないのだ。

 考えてみれば、『陰陽の京』の1巻主人公である保胤クンもそういうヤツであった。
 ……おかげで、2巻からはすっかり影が薄くなったよな。

 けれども。
 そうした問題点を上回る説得力と納得力があるのもこの巻の特徴である。
 ジェラルドなどのラトロア側キャラクターひとりひとりについても、実に丁寧にしっかりと描かれている。新しい重要キャラがほとんどでなかったおかげで、前の巻であったような「それまで舞台の袖で待っていた役者が登場したような違和感」もなかった。

 まあ、その分、p294から登場の“練気”のリョガクさんはえらく割りを食らった感じがあるがっ!

 残り1巻。
 物語はきれいに終わらせることこそが、一番難しい。
 これまで楽しませてもらった本シリーズ。
 ぜひとも有終の美を飾って欲しい。

07月14日

■本日の読書:『歴史群像 No.78』
 今月号から幾つか。

●『軍用拳銃の世界』松代守弘
 兵器としての軍用拳銃の全盛期は、ひょっとしたら騎兵の時代かも知れない。
 松代さんも述べているように、16世紀とか17世紀の拳銃というのは

「長さ十数メートルの、使用回数が限られたサーベル」

 と言えなくもないのである。馬上で長い槍を取り回すよりは、腰に拳銃を2丁ばかり差して、突っ込んでパンと撃って引き返してくる方が騎兵としても楽であろう。

 極端な話、今なお軍用拳銃というのは射撃武器というよりは白兵戦武器なのだ。

●『南海の覇者 長宗我部戦記』河合秀郎
 戦巧者として知られた父親を継ぎ、若くして家督を継いで、四面楚歌の中を奮闘して土佐一国を切り取り、さらに四国全土を制圧した長宗我部元親。

 その人生や戦歴はどことなく織田信長にも似ている。

 実際、長宗我部元親の初陣(22才)は永禄3年(1560年)5月26日。
 一週間前の5月19日には、桶狭間の戦いで織田信長(当時27才)が今川義元に勝利している。

 互いに顔も名前も知りようもないふたりの若者の人生はすごくシンクロしているようで、その結果はあまりにも大きく開いていた。

 もしも産まれた場所が入れ替わっていたならば。彼らの人生もまた、入れ替わっていたのだろうか。

●『清朝激震! 太平天国の乱』来村多加史
 中国ではしばしば有能な若者が科挙を受け、官吏になるという道が開かれていた。
 が、有能でありながら科挙に合格せず仕官できないとこれは厄介である。

 太平天国の乱における指導者、洪秀全もそういう若者であった。

 傷心の彼がのめりこんだのがキリスト教による一神教の思想というのは面白い。
 唯一絶対神たるゼウス、ヤハウェ、上帝、まあともかくそういうのをのみ敬い、地上のいかなる権威もそれにかなうものではないというのは、亡国にもってこいといえる。

 世の中に不平不満を持つ人間が集まり、またそういう人々の支持も得て、洪秀全の軍は怒濤の進撃をかけた。
 面白いもので、動いている間は暴徒にも似た反乱軍というのは負けない。
 負けるのは、足を止めてからである。
 暴れまくった太平天国の乱も、南京(天京と命名)を中心とする独立国家の様相を呈する頃から斜陽を迎える。

 そして、彼らとの戦いで武勲をあげて後の清朝を牛耳るようになった鎮圧軍は、古来からの八旗軍のような正規軍ではなく。

 西洋の軍備、戦術を身につけた李鴻章らの軍であった。

 李鴻章は反乱鎮圧後も権力を維持し、やがて西洋化された一大軍閥を築き上げる。清朝の軍制改革を成し遂げたのだ。
 だが、彼の軍は日清戦争においてやはり同じように西洋化された日本軍と戦って敗れ、やがて清朝そのものの死へとつながるのである。

●『スイス傭兵500年史』佐藤俊之
 ローマ教皇ヨハネ・パウロの死去と、新教皇の選出の際、日本のテレビ報道でもバチカンの様子がしばしば流された。

 そこで、バチカンを護衛する、槍を持ったカラフルな兵士の姿を目にした人も多いだろう。

 彼らこそ、500年にわたって教皇を守り続けたスイス傭兵である。
 なぜにスイス人で、どうして傭兵が教皇を守るのか?
 それには、500年にわたるスイスの歴史が深く関係している。

 私がスイス傭兵について最初に知ったのはまだ大学生の頃。
 新谷かおるさんの『エリア88』において、映画『第三の男』の有名なセリフと合わせてスイス傭兵について語られた場面である。

 ヨーロッパの中央に位置し、東西南北の連絡路を扼するスイスは戦略的要地である。

 自分が支配できればそれにこした事はないが、支配できないなら他の誰も支配しない事が望ましい――皇帝の力がひどく弱い神聖ローマ帝国において、皇帝がせっせとスイスのあるあたりを自治都市に任せていたのはそういう背景があった。

 その後、自然の流れとして自治都市は自治を守るために互いに協力しあうようになり、今のスイスが誕生する。

 安全保障の要となるのが軍事力であるのは古今東西、変わりはない。
 槍を持ったスイス歩兵は、その密集陣形によって中世の花形である騎士の前に立ちふさがり、さらに旺盛な戦意というか、むしろ凶暴性によって戦場で大暴れをした。

 特に『ブルゴーニュ戦争』(やはり佐藤俊之さんが 歴史群像70号 で記事を書かれている)での活躍はヨーロッパ中に知られた。

 ヨーロッパ諸侯からスイス傭兵が引く手あまたになれば、「誰にどれだけの傭兵を貸し出すか」が、スイスの安全保障となりえる。むろん外貨獲得や失業者対策にもなったろう。

 しかし、ナポレオンの時代となり国民国家と徴兵による常備軍が整備されるようになると、スイス傭兵の出番はなくなる。

 今もスイスが傭兵を貸し出すのは、バチカンのみとなっている。

07月15日

■本日の読書:『こどものじかん 1』私屋カヲル
 ロリ漫画
 アニメにもなったらしい『ちょこッとSister』の方が、癒し系ロリ漫画であるとしたら、こちらは、挑発系ロリ漫画
 同じロリ漫画のように見えてこれがまるで違う。

 ハラハラドキドキ度は、もちろん『こどものじかん』の方が高い。

 そういえば、『エマ』ではジェントルな青年がメイドと恋に落ちて社会的地位を危険にさらしているが、考えてみればそれはこの『こどものじかん』で、新任教師の青年が受け持ちの小学生と恋に落ちるのとある意味では同じかも知れないとか考えてみたり。

 リカバリがない分、こっちの方が人生へのダメ度は大きいがなっ!

 とはいえ、ファンタジーでフィクションであるからして、恋愛事情というのは破滅と裏腹であればあるほどに燃えるというのは古典時代からの伝統である。

 ギリシア悲劇の『オイディプス王』は、知らぬこととはいえ父親を殺し母親と結婚して破滅する。

 日本の『源氏物語』では、義母との道ならぬ恋をはじめ、その手のエピソードには事欠かない。

 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』をはじめとする近代以降の小説については言わずもがなだ。

 まあ、そういうゴタクはさておいてヒロインであるりんちゃんは実に可愛らしくも憎らしい小悪魔として描かれている。
 なるほど、これならば破滅してもよかろうという青年教師がいてもおかしくはない。

 がんばれー。奈落の前には一度盛り上げるのを忘れずになー。

07月16日

■本日の読書:『興国の楯 通商護衛機動艦隊 ウエワク奪還作戦』林譲治

 ……えー。
 『ニューギニア密林死闘編』を読んだ後で、シリーズ最新刊まで読んだからまとめて処分(最近は友人にプレゼント)するべえかと段ボール箱に詰めようとしたら。

 まだ1冊残ってました。しかも、『ニューギニア密林死闘編』の前の巻が。

 だからっ! 通し番号をっ!!

 まあ、気づかない私もたいがい抜けているのだが。

 タイトルにもあるニューギニアのウエワクという地名は私にはおなじみの場所である。
 といっても、ゲーマーらしくゲームで覚えたというわけではない。

 谷甲州さんの『覇者の戦塵:ニューギニア攻防戦』だ。ここではウエワクのあたりが激戦地であったから、記憶にも新しい。

 『通商さん』はこの巻でも変わらずビンボ臭い戦いをしている。
 それも、前線でだけではなく『通商さん』らしく、後方支援の方面で。

 徴兵された熟練工を兵役につけたまま本土に送り返して『生産連隊』として利用したり、ガイコツのような外観で品質も性能も低いが前線にまで届けることができる簡易トラック『ステンカー』(ステンガンみたいな適当な作りなので連合軍側が命名)を作ってみたりと、イロイロと史実の抜け道をついてくるあたり、なかなかにツボを心得た作風である。

 当時の日本の法制度では熟練工だから兵役は免除というのはまずもって受け入れられないだろうし、同様に揺籃期の日本の自動車産業ではジープのような量産性と品質と性能のバランスが高いレベルで取れている車を作ることができない。

 そのへんを知ってる人や分かってる人がニヤリとできる、マニアな架空戦記である。

07月17日

■本日の読書:『密偵ファルコ 亡者を哀れむ詩』リンゼイ・デイヴィス
 ファルコシリーズ12巻!
 ありがたいことに、ファルコは表紙の上の『密偵ファルコ』という文字の左右に通し番号があるので、『興国の楯』のような失敗をしないですむのである。
 重畳、重畳。

 ……ただし、表紙の装丁が変わった6巻の、その次の7巻からだがっ!

 最初はシリーズ何巻まで出せるか、出版側も危ぶんでいたんだろうという事をうかがわせる話である。
 まあよくあることだ。『銀河英雄伝説』だって5巻まではローマ数字だったのがアラビア数字に切り替わっている。このベストセラー小説も、田中芳樹さんが書き始めた頃は「これがダメなら徳間はスペオペ見限りますからね」などと言っていた。

 『SFアドベンチャー』はその前に見限ったくせにーっ!!

 さて、今回はそういう出版業界がらみの殺人事件である。

 むろんファルコであるからして、その出版業界というのは西暦74年、2000年前の古代ローマ帝国な出版業界である。

 紙ではなくて、パピルスで。
 印刷機はなくて、筆写で。

 どこからどうみても舞台装置はローマ帝国(しかもかなり精緻な)であるのに、登場人物の人間くささや性根という点では明らかに現代の我々と同じなのがファルコの特徴だ。

 売れない物書きとか、金儲けにあくせくする編集者とか、物書きになろうと家出した青年とかがぞろぞろ出るが、彼らの衣服をトーガからユニクロに、鵞鳥ペンとパピルスをノートパソコンに置き換えれば、私の知人友人として存在していてもまるでおかしくない。

 特に私が好きなのは、アマチュアの物書きが芸術の神ミネルウァの神殿脇に集まって会合をしている場面である。互いに描いた物を持ち合って読み、そのヒドイ出来にみんなでヤジを飛ばすというあたりは、にやにやとしっぱなしであった。

 ちなみに真面目にプロを目指している青年は彼らに対し「酒とおしゃべりでぐだぐだやってるだけの非生産的集団」と冷たいが、これはこの青年が勘違いしておる。

 ウォーゲーマーのサークルは、ゲームをやらなければ(ボーリングや麻雀というゲームならよろしい)長続きするように

 小説や漫画のサークルも、マジメに書かないでぐだぐだおしゃべりする方が長続きするというものである。

 まあ、それが良いか悪いかは別としてだな。
 生産的な人間ばかりというのも、集団としては居心地が悪かろうて。

07月18日

 大雨しとしと。

07月19日

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 黄巣・ウラディミル1世ほか』

 時代は9〜10世紀。

 黄巣(?-884)というと誰じゃらほいという感じであるが、唐帝国末期に反乱を起こした塩商人である。

 塩の専売と、塩商人という組み合わせには、私としてはアメリカの禁酒法時代における闇酒場とマフィアみたいにどことなく心くすぐられる部分がある。

 SFでも、『デューン 砂の惑星』は後半のなんか壮大になっちゃう前は、そもそもメランジという貴重なスパイスの独占やそれを生み出すデューンという惑星の支配権が騒動のきっかけとなっている。

 スペオペなどでも古典的なこのネタは、そのうちなんかで使いたいものだ。


 表紙タイトルであるもうひとり、ウラディミル1世(960?-1015)も知名度では低かろう。
 名前からしてロシアっぽいが、実際にウラディミル1世はロシアの王様である。といっても、当時の辺境であるロシアにしっかりとした王国があったわけではない。

 血筋も生粋のロシア人ではなくノルマン系で、ひいじいさまはヴァイキングのリューリクである。
 ヴァイキングが西では北フランスにわたってノルマンディー地方を占領したように、東に向かった連中はロシアの大地を流れる幾本もの大河を伝って南下してあちこちに領土を広げたのだ。
 さらに長駆して、黒海からビザンチン帝国へと出稼ぎに出る連中も多く、当時のビザンチンではヴァリャーギ親衛隊というでかい斧を持ったヴァイキング部隊もいたのだ。

 さて、ヴァイキングである上に、ローマ帝国由来の伝統やインフラもなくまだまだ未開のロシアでは、国家といってもかなり曖昧なものであった。

 ひいじいさまのリューリクが築いたノヴゴロド公国(モスクワのあるあたり)にしても、これはノヴゴロドという交易地を中心とした都市国家の連合体のようなものである。

 だから、財源も税収というよりはヤクザのみかじめ料の徴収のようなものである。

 ロシアに冬がくる11月になると、公爵様は強面の部下を集めてヴァイキング由来のロングシップでざばざばと川を上がったり下がったりして支配下の土地から貢ぎ物を徴収する。

 これが、巡回徴貢(ポリューディエ)である。

 主に毛皮や農作物であるが、戦などで得た奴隷とかもいただろう。
 繰り返すがこの頃はロシアというと未開の土地である。洗練された文化的な品があるわけがないのだ。

 そしてそれらを蓄え春になると、ドニエプル川を南下し、黒海からビザンティンへと向かう。

 花の都、ビザンティン。ローマな文化がまだ残る街である。

 ここで、貢ぎ物を市場に出し、かわりに絹製品や銀製品、ブドウ酒などの工業製品を買い込んで再び北上するのだ。

 こういうわけで、実はロシアはビザンティン帝国、つまり東のローマ帝国とはえらく結びつきが強いのである。それもこれも河川を利用したこの交易ルートの存在ゆえ。

 地勢は、そのまま歴史につながるのだ。

 そしてウラディミル1世の頃になると文化的により深い部分――つまり血縁や宗教においても相互の結びつきが強くなる。
 ウラディミル1世はビザンティン皇帝の姪を嫁に迎え、同時にキリスト教(ギリシア正教)に帰依したのだ。

 いわば、土着の神様よりもいろいろとレベルが高くて強い(そして御利益も高い)キリスト教の神様を味方にし、きらびやかな文化と文明を背景に、領域をより強固に支配するようになったのだ。

 こうした結びつきは、キエフをロシアの大地では一頭抜きんでた存在にするが、それがやがてローマ・カトリック側をバックにつけた西の大国ポーランドとの衝突にもつながっていくのだ。

07月20日

 まだ長雨は続いている。

07月21日

■本日の読書:『日本沈没 第二部』小松左京+谷甲州
 あの名作、『日本沈没』の第二部である。

 日本が海の底に沈んでから25年。
 21世紀を迎えた世界では漂白の民となった日本人が、苦難の歴史を続けていた。

 日本を脱出した第一世代が高齢化していき、現地生まれの日本人が増えていくなか、日本人のアイデンティティを確認するためかつてD計画のスタッフであった中田首相はふたつの計画を立ち上げる。

 ひとつは、地球の気象や生態を人間活動も含めてシミュレーションする地球シミュレーターの構築。
 ふたつめは、かつて日本があった大地に浮かぶ新たな大地、ギガフロートの建設である。

 だが、ギガフロートの建設が海流を含む地球環境にどのような影響を及ぼすかを地球シミュレーターで追うと、誰もが予想だにしない結果がはじき出された――


 本書のSFおよびドラマのキモとなる部分は第六章『凍る山河』の、このセリフだろう。

「ですが、これだけはいえます。我々にとって未来は、苦難に満ちたものになるはずです。なぜなら日本列島の沈没は、単なる前触れにすぎなかったのだから――」
『日本列島第二部』p340


 あの未曾有の大惨事である日本沈没がただの前触れにすぎないという壮大な仕掛けはまことに小松左京さんらしい。
 こんな風に豪腕でもって読者の鼻面をぐいぐい引きずり回すのが、小松左京の持ち味でファンにはたまらない部分である。

 基本は、引いて引いて、引きまくりだ。

 ただ、もうひとりの著者である谷甲州さんは、力量において何劣る人ではないものの、そういう作風ではない。

 だからこの『日本沈没 第二部』はどうもやはり、隔靴掻痒というか、なんか物足りない、そういう気持ちにさせられる作品でもあるのだ。

 もちろん、谷甲州さんが得意とする中央アジアでの凍えそうな描写(第四章『難民たち』)は健在であるし、逆に小松左京さんが主導であったであろう、日本人の、いや、人類の未来について政治家が語り合う描写(第七章『流氷の海』)は実に熱い。

 ひとつひとつの描写は悪くも物足りなくもないのだが、やはり全体としてのバランスは今ひとつだ。

 それはたぶん、上記のキモとなる部分を中心に組み立てなかった、いや、組み立てられなかったせいではないかと思う。

 『日本沈没 第二部』は決まった主人公を持たない群像劇で、さまざまな人物がいろいろな視点で、世界全体を描いていっている。
 この手法そのものは決して悪くはない。

 だが、それゆえに。

 話が散漫になってしまう危険は常にある。特に本書では、視点人物相互のリンクがきわめて少ない上に別々のモノを見ているので、まるで幾つもの短編をスクランブルして読んでいる気分になってくるのだ。

 それもまた、世界と未来という巨大なシロモノを描くために必要不可欠であったのかも知れないが、だとしたら、やはり中軸となる部分を最初から最後までより明白にすべきである。

 たとえば、同じようにマルチな視点でリンクに乏しい多数の登場人物を配したデイヴィッド・ブリンの『ガイア』が、「地球に落下したマイクロブラックホール」をすべての中心に据えたように。

 だからこそ。

 『日本列島の沈没は、単なる前触れにすぎなかったのだから――』

 この部分をより生かす形でプロットを構築すれば、あるいはもっと別の第二部がありえたのではないか。

 そう思うと、無念な感じがするのである。

07月22日

■本日の読書:『人工進化の秘密! キャプテン・フューチャー全集8』エドモンド・ハミルトン

 獣人大進撃。

 だーいぶ昔。その昔。私が高校生の頃に学校の図書室でこの本(ハヤカワ版)を読んだ時に、すっごくがっかりした記憶がある。

 元々私は、ウルトラマンよりもウルトラ警備隊や地球防衛軍を応援する男の子であった。メカデザイナーの河森さんがやはり子供の頃の記憶として「でかいトカゲごときに最新鋭戦闘機がやられるのは納得いかない」とおっしゃってたが、その気持ちにはまったくもって同感である。

 そう、私はハイテクなおもちゃが大好きなのだ。

 年齢と共にローテクも好きにはなったが、やはり今なおワープとか高加速とか、ビームとかレーザーとかにはワクワクするのである。

 であるからにして、このお話が30億年前に銀河を支配して太陽系にも移住してきたデネブ人の母星、デネブに到着した時の私のがっかりぶりは想像していただけるであろう。

 ウルトラスーパーすごい科学文明(あるいはその遺跡)があるに違いないとワクワクしてページをめくったら。

 もののけ姫な大森林。
 そして登場するのは、ケンタウロスにマンティコアに人面犬。
 しかもやつらのオツムの出来は未開大陸の土人である。
 何せセリフが「ハーイ、ホオオ! ハーイ、ホオオ!」だっ!

 よつばちゃん風に言えば、ちょーがっかり。

 お話はいつものノリですごく面白いのだが、その分、なんでわざわざデネブでこんなネタをせにゃならんのかと。土星かどっかでデネブ人の人工進化な遺跡を発掘するだけでも面白いのになぁ……

 そういうわけで、本書を読んだ私は、自分でハイテク惑星だすときには、この無念をきっと晴らしてみせるとあらためて堅く誓うのであった。

07月23日

■本日の読書:『鋼の錬金術師 14』荒川弘
 私が読んでから2時間後には夏休みに入って少年サッカーの試合をしてきた甥がやってきて読みふける。

 周囲で大人達が話をしていても、まるで耳なし芳一状態。
 子供の集中力とはすごいものである。

 さて、それほどまでに愛される『鋼の錬金術師』であるが、この巻もその圧倒的なパワーは健在。

 人造人間の親玉、『お父様』は実に人非人で(なぜATOKは変換しやがらないかね)、やはりラスボスとしては今ひとつであるがその一歩前としては見事、見事。

 なお、読み終わった甥に私が勝ち誇って

「ほらみろ、エドのお父さんと人造人間の親玉は別だったろう」

 と威張ったのは当然である。

 後、前の巻の感想で「傷の男」が道化一歩手前という話をしたが、ありがたくも今回、「傷の男」も物語の核心に迫っていき、どうやらすべてを知った上で人造人間サイドと戦うことになるようだ。(国家錬金術師への憎しみはそのままとしても)

 続きが楽しみではあるが……でも、こうなってくると、なんか「元の身体に戻る」うんぬんが、当事者のエルリック兄弟としてはともかく読者的には軽くなってきたなぁ。

07月24日

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 エル・シッド、ハインリヒ4世、司馬光ほか』
 11世紀前後の人物である。

 ハインリヒ4世(1050-1106)の名前はたぶんあまり知られていない。
 その対となるグレゴリウス7世(1021?-1085)もそうだろう。

 理由はたぶん、ハインリヒにせよグレゴリウスにせよ、(歴史上では)ありふれた名前で、これだけだと誰かわかんねーせいだと思う。

 ところが、このふたりがケンカした『カノッサの屈辱』(1077)となるとそれなりに有名なんじゃあるまいか。教皇に破門された皇帝が、雪の中を裸足で我慢して許してもらったというアレである。

 そのときの神聖ローマ皇帝がハインリヒ4世で、そのときのローマ教皇がグレゴリウス7世なのだ。
 ちなみに、『カノッサの屈辱』がなんで屈辱かというと、中世ヨーロッパは主従関係が契約によって成立している封建社会なのだが、これは互いに相手にふさわしいという証明が常に必要なのである。

 だからローマ教皇に破門された皇帝は主としてふさわしくない、あるいはそういう名目がたつので別の皇帝を擁立して今の皇帝は追い出しちゃおうとなってしまうので、皇帝としてはナニがなんでも破門を撤回してもらわないといけなくなったのである。

 それが焼き土下座のような雪中我慢比べであるというのは、ヤクザの指ツメとかそんな感じが強くするが、法が整備されていないレベルでの(ヤクザの内輪というのはまさにこれだ)人間のやることは、どこでもこんなもんなのだ。

 『殴り合う貴族たち』 で紹介された平安貴族のドツキ合いもそうであった。

 なお、恥をそそぐという点でもヤクザのケンカよろしく、7年後皇帝はとうとうローマに軍を進めてにっくきグレゴリウス7世を追い出し、自前の教皇をすえたのである。


 日本では『千一夜物語』として知られるアラビアン・ナイトがまとめられたのは、ちょうどこの頃である。

 アラビアン・ナイトには、ハールーン・アッラシードという人物がしばしば登場するが、このハールーンは8世紀から9世紀にかけてのバグダッドのカリフである。そのころのバグダッドは栄華の街であった。

 しかし、実際にエピソードがまとめられた11世紀になるとすでにバグダッドは度重なる戦乱ですっかり衰えていた。繁栄の中心は西のカイロであったという。

 そのカイロも、1065年にエジプトを襲った大飢饉によって餓えに襲われる。通りからは犬や猫が姿を消し、さらには

『物陰から鉤のついた綱を投げ、通行人を吊り上げては殺して食う』

 などという、アラビアン・ナイトそのままな光景すら見られたという。

 栄光と絶望、繁栄と貧困が入り交じるアラビアン・ナイトの物語は、こうしたカイロの街の風景であったのだろうか。

07月25日

ばもー

07月26日

ぼもー

07月27日

べもー

07月28日

じゅのー

07月29日

■本日の読書:『小あくま天使桃色系 3』むつきつとむ
 ダメ人間な克也クンの桃色な物語も、これにて一応の完結。

 どこまでも癒し系な恋人の明日菜と、あくまでも生意気な妹キャラの水穂ちゃん。
 三角関係に、読んでいてやきもきなりそうなのにならないのは、やはり明日菜の包容力だろうか。

 考えてみれば、年上の恋人としては前の巻の感想でも書いた『めぞん一刻』の響子さんがいるが、あちらは泣くは怒るわすねるわですごく面倒な女性である。

 もっとも、それゆえに五代君はがんばって成長したわけで、克也クンが甘えまくってずるずるとダメ人間街道を進むのとはえらく対照的であった。

 その明日菜がいなくなった時にはじめて克也クンが成長を見せるのも、当然といえば当然と言えるのかも知れない。

07月30日

■本日の読書:『魔法の月の血闘! キャプテン・フューチャー全集8』エドモンド・ハミルトン

 キャプテン・フューチャーの冒険が映画化される!
 その名も『大宇宙のエース』で、この微妙なタイトル具合がなかなかによろしい。
 ところがこのB級っぽい映画撮影の背後には冥王星の衛星ステュクス(シリーズ初期の『暗黒星大接近!』で登場)への陰謀が隠されているという。

 カーティス・ニュートン達、ホンモノのフューチャーメンは正体を隠してこっそり撮影スタッフにもぐりこんでその陰謀を探る。自分達を演じる役者にバケるわけだ。

 撮影スタッフを乗せた宇宙船は太陽系外縁にあるロケ地へと向かう。

 木星の大溶岩地帯、〈大火炎海〉。
 水棲人が住む海王星の広大な海。
 そして風変わりな最果ての星、ステュクス。

 映画のためにはかつてキャプテン・フューチャーが活躍した場所でロケが必要な道理で、読者はロケ隊と一緒にもう一度あの冒険の場所へと戻ることができるわけだ。

 シリーズもこのあたりになると、初期作品で使った設定が頻繁に利用され、キャプテン・フューチャーが好きな人間には馴染みの酒屋に入ったような居心地の良さを感じさせてくれる。
 正体を隠して自分自身を演じるところなども含め、コミカルな要素満載の作品である。

 事件も無事に解決し、公開された映画をみた批評家氏は絶賛するも、ひとつだけ苦言を呈する。

 主演俳優だけは、どうにも大根役者で、とてもキャプテン・フューチャーには見えない――と。

 オチもきっちり定番な作品である。

07月31日

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 朱子、サラディン、エレアノールほか』

 12世紀前後の世界の人物。

 ジョン“欠地王”というイングランド国王がいる。
 歴史上ではどちらかというとバカで暗愚な王様扱いされており、“欠地王”ないし“失地王”の呼び名も、フランスにあったイングランド領を失ったせいだとされているが、実際には父王ヘンリー2世の末子として誕生し、「兄弟が多いからお前に相続する土地はない」と言われたせいである。
 それはそれとして、父王にはかわいがられたそうであるが。

 兄貴が十字軍遠征でも気を吐いたリチャード“獅子心王”で、中東で戦争している兄貴の留守にロビンフッドとケンカして痛い目にあうなど、物語の上でもやられ役というか間抜け役を押しつけられている感もあり、なんか気の毒な感じがないわけでもない。

 元々の兄弟が多くて末子という点であるが、これは本人には何の責任もないことである。
 これはすべからく父王ヘンリー2世と、母親のエレアノールに由来する。

 母親の王妃エレアノール(1124-1204)は、フランスのアキテーヌ公爵家のひとり娘で、フランス王家であるカペー家の持つ王領の3倍の広大な土地を相続している。しかもとびきりの美女であったとか。
 エレアノールは政治的な思惑もあって最初はフランス王ルイ7世と結婚するも、子宝に恵まれず、女児2人を産んだものの男児は誕生しなかった。

 さらに性格的にも地味で禁欲的なルイ7世と情熱的なエレアノールはうまく合わず、結局は離婚。
 そしてエレアノールはそのまま今度は若いイングランド国王ヘンリー2世と結婚する。離婚から2ヶ月後という時期をみても、たぶん再婚が決まってからの離婚であろう。
 再婚時にエレアノールは27才。
 若獅子ヘンリー2世は19才と姉さん女房である。

 それから10年後。
 ふたりの間には5人の男の子と3人の女の子が生まれていた。
 のちにイングランド国王となるジョン“欠地王”はこの最後のひとりである。

 こうして量産されたエレアノールの子供達はあちこちの貴族や王族と縁組みを行い、このへんのややこしい関係が後の英仏百年戦争とも絡むようになる。
 「世界の薔薇」あるいは「ヨーロッパの祖母」ともいわれる女性は、老いてなお矍鑠としており、息子の“獅子心王”リチャードが十字軍遠征から帰る途中に神聖ローマ帝国で捕虜になれば身代金を持って身請けに走り、カスティリヤの孫娘をフランス国王に嫁がせるために後見人としてピレネー山脈に登ったりと実に元気であった。


 さて、そのエレアノールの息子、“獅子心王”(ライオンハート)リチャードの好敵手と目されるのがサラディン(1138-1193)である。

 イスラム世界においても、さらにはキリスト教圏においても、有徳の騎士として知られるサラディンであるが、その一生を追ってみるとそれなりに狡猾な人間でもある。

 サラディンは十字軍と戦うヌール・アッディーンの部将として歴史に登場し、彼の代官としての位置づけでエジプトに派遣される。

 その後、ヌール・アッディーンからは半ば独立という形でエジプトのスルタンとなる。虚と実をきちんと把握していたサラディンはじっとヌール・アッディーンが死ぬまで待ち、それからシリアに進出して十字軍と対決するようになる。

 1世紀近く十字軍の支配にあった聖都エルサレムを解放したサラディンは、ここで寛容の精神をみせてキリスト教徒を解放している。だが、私が思うにサラディンとしては無用な虐殺を好まなかったというのもあるだろうが、本音としては「状況が自分のコントロールからはずれて暴走する事を好まない」ためではなかったかと思う。

 ヌール・アッディーンとの関係にも見られるように、サラディンはとにかく手堅い人間であった。何をするにしても名目を立て、計算をし、確実と思われる手段で目的を達成していっている。
 キリスト教徒を解放したのにしても、ここで虐殺してしまうとその影響がどこまで広がるか分からない。そんな衝動に任せたその場の勢い的な行動を、サラディンは嫌っていたというのが本当のところではないか。

 それが「高潔なイスラムの英雄」としてのサラディンの名前を高め、現代にまで伝わっている事を知れば、他の誰よりサラディン自身が苦笑するのではないかと思う。

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