03月01日

■本日の読書:『コミック新旭日の艦隊22 星に願いを』原作/荒巻義雄 作画/飯島祐輔
 どんどんどん、ぱふぱふぱふー♪


 勇気と至誠と快活を教え、熱血を湧かす、
問答無用の勧善懲悪マンガ。ここに大団円!

(『コミック新旭日の艦隊22』巻末の既刊紹介にある煽り文句)

 後世世界における世界大戦は、事実上前の巻で終結している。
 敗北を喫したドイツ第三帝国総帥ハイドリヒは、まるでカードゲーム『ニュークリアウォー』のごとく、核爆弾搭載軍事衛星「トリスタンとイゾルデ」を打ち上げて文明そのもののゼロクリアを目指す。

 ここで戦争終盤はちと影の薄かった本シリーズの主役メカ、「日本武尊」に最後の見せ場が出てくる。R砲を天空に向け、「日本武尊」の全電力を使って軌道めがけて発射する。

 世界大戦で撃たれた最後の1発。

 なおも悪あがきをするハイドリヒ(ゲーマーの鏡のような男だ。負けが決まった戦いで最後まで闘志を燃やし続けることができる男はそうはいない)は、軌道をはずれた「トリスタンとイゾルデ」を、東京へぶつけようと試みるが――?

 ここでちょいと話題は変わる。

 しばしば映画のクライマックスで見られる、最後の最後は『肉弾戦』で締めるべきだという考えは、決して間違っていない。

 頭脳プレイ、大いに結構。
 コンゲームも、確かに盛り上がる。
 超兵器や秘密兵器だって男の子の夢だ。

 しかし、『肉弾戦』にはそれらを上回る納得力がある。拳でつけた決着には、明らかに「これで終わりだ」という強烈なメッセージが込められているのだ。

 そういうわけなので、ハイドリヒの妄執を最後に食い止めるのが『肉弾戦』なのは、たいへん分かりやすく、また、感動もできる。

 きっちり戦争が終結した後。
 なんとか平和が到来する。

 それぞれのキャラは、それぞれの戦後を迎える。
 個人的にお気に入りなのは、20巻で登場したゲルベ・フォン・フレーベ元中将のその後である。悪人ではあるのだが――ある意味で筋のとおった、憎めない男でもある。

 他のキャラにもそれぞれの戦後がやってきて――旭日艦隊司令官の大石もまた、家路につく。

 彼がそこで見たものは……

 最後の最後で、なんとも見事な問答無用のオチがついてシリーズは終幕となる。

 架空戦記のひとつの在りようを示した傑作と言えよう。

03月02日

■本日の読書:『食卓にビールを』小林めぐみ
 あまり期待せずに読み始めて、びっくり仰天。

 大原まり子さんが『SFバカ本』で書いているような、そういうぬるSFな不条理話で、すごく面白い。

 高校生で、人妻で、作家な女の子が日常の中で遭遇するさまざまなSF的事件を、のらくらと適当にやりすごしていくという展開である。

 シュレディンガーな箱に出会って、開けてみたり。

 学校でわらしべ長者をやって、銀河鉄道な回数券とか手に入れてみたり。

 ミミズな異星人の侵略をセレブに撃退してみたり。

 クッキングスクールでパン生地から再生した賞金首と賞金稼ぎの戦いを観戦した上でて生き別れの親子の再会をながめてみたり。

 パチンコ屋で実は宇宙通信機なパチンコ台で目押ししてみたり。

 列車にのってメビウスの輪な無限ループになってみたり。でも、メビウスは輪だけど武蔵野線は環状線ではなくてたいへんなのだ。

 住宅展示場に行ってみたら、いつのまにか宇宙ゼロヨン(ゼロから四〇〇光年)レースになってみたり。

 そして食卓にはビールがあったりなかったり。

 そういうお話なのである。

03月03日

■本日の読書:『食卓にビールを 2』小林めぐみ
 そして2冊目にとりかかる。

 福袋を買ったらちっちゃなおばあちゃんが入っていて、おばあちゃんの知恵袋作りに参加する最初の短編『食卓にビールを☆知恵袋編』は、どことなくラファティの『九百人のお祖母さん』を彷彿とさせる。

 ただ、ラファティじいさまのユーモアSFが不条理といってもなんかこう、底意地の悪い視線が隠されていたのに対し、本書はどこまでも無垢で開けっぴろげな感じである。

 そのへんの、危機感がないかわりに悪意もないピュアさは、ときどき思わぬ感動を生む。

 フェッセンデンの宇宙よろしく手作り銀河の置物に挑戦したところ、ダークマターの入れすぎにビールまで入れたせいでなんかヘンな生き物が誕生してみた『食卓にビールを☆伝説のスネークマスター編』では、うかつにも私は涙腺を刺激されてしまう。

 いや、どこかっつーと「エビスさまは鯛2匹」なのだが。

 なぜここで私が泣いたかは、本書を読むとよかろう。

03月04日

■本日の読書:『食卓にビールを 3』小林めぐみ
 さらに3杯目、あいや、3冊目。

 アパートの壁にブラックホール温泉がわき出したり。

 学校の七不思議を探していたら、時間犯罪に巻き込まれたり。

 惑星の夫婦げんかの陪審員をして、呪われてしまったり。

 不動産屋さんで、ヘンな物件を見つけてしまったり。

 宇宙戦争をなんとかするために、惑星の神様、星系の神様、銀河系の神様などを降臨させてみたり。

 生物部から脱走したウサギを探していたら、宇宙生物の密輸事件に巻き込まれてみたり。

 どこかの廃墟を上へ、上へと放浪する夢をみたら夢でなかったり。

 といった、ぬるーい日常系SFが続く。ああ、なんかこう、ぬるぬると落ち着く。

 とりあえずまとめて仕入れたのは3冊までで打ち止め。残りはbk1で1冊目を読んであわてて追加注文したのが届いてから。

03月05日

■本日の読書:『アンリミテッド・ウィングス 2』松田未来 監修/藤森篤
 リノのアンリミテッド・レースを舞台に、日本製の「研三・改」と日本人の元イーグルドライバーが大暴れをする作品。2巻で完結。

 短いながらも、きっちりレース物として盛り上がって終わりましたよ。

 ちゃんと、予選ではエンジントラブル起こして最下位じゃないけど下位グループからはい上がるしっ!

 最後には、最強のチャンピオンとつばぜり合いして、一度抜いたものの、圧倒的な力で抜き返されて、もうダメかというところで――


「アレ?!」「まさか……」「いや しかし、でも!」

「へ……ようやく」

 女神を描いたファイアバードの機首が、王者(スキップ・ホルム)に迫る!

「捕まえたぜ、王者(チャンピオン)ッ!!」

(なぜ追いつける?! なぜだ? ヤツは第4パイロンの手前で高度を取り、戦線離脱したハズだっ……!)

 あり得ないはずの追い上げ。
 だが――
 高度を上げたのが、集中力が切れたせいではなく、目的があっての事だととしたら?
 高度を上げれば、その時の速度は落ちる。前を行く王者から、引き離される。
 しかし、速度を失って稼いだ高度は。位置エネルギーは。

 降下(ダイブ)によって、再び速度へと変換される――っ!!!!

『アンリミテッド・ウィングス 2』#11 Reach for the Starsより。ト書き部分は私。


 むやみやたらと盛り上がるし、実在の人物出るし。
 正直、2巻で終わるのは惜しい。実に惜しい。

03月06日

■本日の読書:『トウキョウ・ウォー』押井守
 劇場版アニメの『機動警察パトレイバー2 the Movie』のノベライズ。
 帯によると[完全版]だそうである。

 池波正太郎さんが蕎麦を食う場面を実に美味そうに書けば、
 押井守は立ち食い蕎麦を食う場面を実に意地汚く書く。

 基本のストーリーラインは、劇場版アニメと同じ。幾つかの心情や背景が書き加えられている。
 そのひとつが、[接敵]の次の文章だ。

 少し間を置き、もはや延びて正体をなくしかけた蕎麦を箸で突つきながら後藤が口を開く。
「やっぱり、メシか」
 あまり知られていないが、大部隊を運用しての警備活動において、その予算内に占める割合の最も多いのが、“弁当代”である。
 サミットや要人来日など、機動隊と共に特別警戒活動に出動する経験の多い後藤は、経験上そのことを熟知していた。
 その最も典型的な例として、二〇年ほど前の全斗煥来日警備が挙げられる。
 警視庁警備部の機動隊は勿論、近県の特機や、管機、果ては派出所勤務の警察官を臨時に編制する第二機動隊まで動員し、霞ヶ関近辺のラーメン屋台まで営業禁止にして過剰警備の悪名を馳せた空前の厳戒態勢の総予算が八億九二〇〇万円。そのうちの約八割にあたる七億二〇〇〇万円が動員警察官の弁当代に消えている。
『機動警察パトレイバー2 the Movie』p198〜199


 このへんの、出動した機動隊にどうやってメシを食わせるかについての苦労は、大学紛争を扱った『東大落城』でもしばしば書かれている。

 要人警備などは、それでもまだあらかじめスケジュールが分かっているので金を用意するのもたやすいが、紛争や戦争では、突然に出費がかさむことになるので手配をする方は大変である。

 手下を食わせるのは親分が果たすべき最低限の務めだ。

 しかし、実のところそれが一番難しいと言えるかも知れない。

03月07日

■本日の読書:『翼に日の丸 下(閃風編)』川又千秋
 『ラバウル烈風空戦録』のリメイク、いよいよ最終巻である。
 とはいえ、中身は既刊分と外伝短編をまぜこぜにして、ちょろっとだけ書き下ろしを入れてあるという戦時急造型な作りなので、あまりお得な気分にはなれない。

 私はかつて元となった『ラバウル烈風空戦録』について次のような文章を書いたことがある。

 個人的に気に入っているのは、なぜ日本が負けなかったのかはあっちに置いておいて、作品をちょっとボケた元戦闘機パイロットの老人の繰り言にしちゃった川又千秋氏の『ラバウル烈風空戦録』である。なぜにラバウルで烈風ごときががんばったくらいで戦争に負けずにすむのか大いに疑問の向きもあるだろうが、何しろ一パイロットの従軍記であるからにして「わしの若いコロはのぉ」てなもんで、そんな事、考えてもしょうがないのである。刊行が途中で止まっているが、ここはツジツマを合わせようなどとせず、がーっといっていただきたいものだがどうだろうか。
『征途〜大和へと捧げる神楽』


 今でもこの考えに変わりはない。
 歴史のすべてを、戦争の全体像を、俯瞰してながめる箱庭感覚というのもこれはこれで悪くはない。
 しかし一方で、人間ひとりに把握できる事というのはすごく限られている。
 これが前線にいる兵士であればなおのことだ。

 『ラバ空』こと『ラバウル烈風空戦録』は、主人公である風間の一人称であった。
 記述は日記と記憶に頼り、内容は主観である。偏っていたり間違っていたり、無意識に自分に都合のいい記述をしてあったとしてもそれはそれでオッケーというものである。

 それに、『空飛ぶ円盤』の存在など、歴史への介入が予想される記述も多い。

 だから、「ひとりの戦闘機パイロットとして、必死にその日、その日を戦っていたら、ある日、休戦協定が結ばれて戦争が終わった」という展開で良かったんじゃないかなー、とは今でも思っている。

 そういう観点からすると、第7章『荒城の月』は私が望んでいた展開そのままで、一番楽しむことができた。
 時は1944年、再建なったアメリカ軍が持つパワーは、すでに日本軍が真面目に戦えるレベルではなくなっている。
 事、ここに至ってはひたすら耐えるしかない。だが、圧倒的な敵を前に、幽鬼のごとくなりつつ戦い続ける男達の心に、少しずつ荒廃が忍び寄っていく。

 川又千秋さんの作品は、『火星人先史』から楽しませていただいている。
 本書でも、最終章となった『真昼の流星』――日本の『流星』と、アメリカの『シューティングスター』、ふたつの流星の話は、松本零士さんの『戦場漫画シリーズ』を彷彿とさせる叙情たっぷりの名作だと思う。

 そして、それゆえに。
 いつか、どこかで。

 ただひたすら空で戦い続けた男の物語を読みたいものだと願うのである。

03月08日

■本日の読書:『ゲームジャーナル17号』
 付録ゲームは、『関ヶ原強襲!(Storm over Sekigahara)』。

 日本史のターニングポイントである関ヶ原合戦については、これまでも多数のゲームがデザインされている。

 その多くが小早川秀秋や、吉川広家らの裏切りについてあれこれ知恵を絞っている。サイコロ振ってランダムに決まるものから、調略カードを積み込んで裏切りを誘うもの、あるいは他の大名の裏切りの可能性を入れてあるものなど、まあ、いろいろである。

 『関ヶ原強襲!』が興味深いのは、「裏切りは史実通り行われる」というゲームデザインに徹している点だ。いや、裏切るもなにも、小早川秀秋らは最初から東軍ユニットとして盤上に並ぶ。動けるようになるのが中盤以降というだけで。

 さらに、中立を守った吉川広家や結局戦闘に参加しなかった毛利、長宗我部などは最初からマップに存在しない。えらくまた割り切ったデザインである。

 さて――

 小早川秀秋が史実通り東軍として動き、中立化された毛利らはマップから消したことで、このゲームは東軍と西軍の戦力や配置については史実通りである。

 では、史実のシミュレーションとして正しいか?

 これが難しい。なぜなら、西軍プレイヤーは「小早川が敵であり、毛利は動かない」という事を知った上でゲームをプレイすることになるからだ。

 マップ上に並んだ駒を見れば一目瞭然だが、東軍が圧倒的に優勢である。
 西軍が徳川家康の本陣へ攻め込める可能性は皆無だ。
 西軍プレイヤーは、だから「いかに東軍の攻勢を耐えるか」だけを考えてプレイすることになる。

 つまり、「石田三成の立場をシミュレーションする」という意味では、シミュレーションとして成立していないという事になる。

 では、まるでダメかというとこれまたそういう事はない。

 このゲームはチットドリブン&強制終了システムとなっている。東軍プレイヤーも西軍プレイヤーも、手持ちの戦力を自由に動かすことはできない。

 関ヶ原の戦いでは、東軍西軍ともに、幾つもの大名の連合軍である。それぞれの大名は自分の思惑をもって戦っており、東軍であっても徳川家康がすべてを自由に采配できるわけではない。西軍の石田三成においては、ちゃんと事前の打ち合わせ通りに動いてくれた大名の方が少ないありさまだ。

 つまり、このゲームでは東軍プレイヤーも西軍プレイヤーも、関ヶ原合戦のシミュレーションの一部だということだ。一応はそれぞれの勝利のためにゲームをプレイするが、それはそうしないとシミュレーターがうまく機能しないからである。

 そういう意味では「合戦シミュレーター」としての本ゲームのシステムはなかなか興味深い。槍隊、鉄砲隊、弓隊のそれぞれが持つ特性や、武将コマによるコマンドコントロール、エリアの取り合いや野戦築城の防御効果など――

 戦国末期の合戦を表現するものとしては、なかなか具合がいいシステムのような気がする。明智光秀と羽柴秀吉の山崎の戦いなんかも、このシステムでうまく回るんじゃあるまいか。

 そのへんの汎用性が関ヶ原というかなり特殊な合戦に向いているかどうかは、実際にプレイして確かめてみるしかあるまい。

03月09日

■本日の読書:『歴史群像76号』
 つれづれとカラー記事についてまとめ。

●『エア・アパッチ』白石光
 『本番台本』などで有名なB25ミッチェルによる、日本軍の船団襲撃についての記事。

 B25といえばスキップボミングである。これは爆弾を低空で飛びながらぽいっと落とす方法である。水切り石のように、爆弾(一般には250kg)は水の上で跳ねて命中する。むちゃくちゃ接近する必要があるので、対空能力に劣る輸送船や小型艦相手でなければ使えない戦法であるが、命中率は水平爆撃よりも良い

 B25J低空襲撃型は機首部分に8挺のブローニング50口径重機関銃を集中配備しており、船団襲撃では実に重宝していた。徹甲弾であれば非装甲の輸送船はおろか、駆逐艦の上部構造ぐらいはずたぼろにできる威力だ。
 私は日本人なので、どうもこう、「こいつを喰らわされる」立場に感情移入してぞっとするが、確かにまぁ、当時の記録フィルムを見ても『ごっつい』光景であるのは否定できない。

 で、この機首部分に縦4挺×2列の重機関銃が入っているのだが、記事にこの機首の整備用ハッチを開いた写真が掲載されていた。四角い弾薬箱が8個置かれ、そっから機関銃まではベルトリングか8個延びている単純な構造である。これなら整備もたやすいし、補給も簡単だ。重機関銃そのものも、陸軍のM2の改造版であるし。
 ……でも、日本軍にはこの、すごく単純な方法がそもそもできなかったんだよなぁ。

●『駿河丸子城』西股総生
 凋落いちじるしい武田勝頼が作った防戦用の山城。
 小銃火力を有効に使うための堡塁の配置などに、見るべきもの多し。
 堡塁がどのように使われたかの推定復元図は実に興味深いものであった。
 近在の古城をまた今度どっか歩いてみよう。

●『防護巡洋艦吉野』田村尚也
 日清戦争において活躍した日本の高速巡洋艦。黄海海戦というと、清国側であれば当時アジア最強艦であった『定遠』と『鎮遠』が、日本側であればこれに対抗して巨砲を搭載した『三景艦』(『松島』、『厳島』、『橋立』)が有名である。

 だが、実際の戦いにおいては機動力と速射性能こそが勝敗を決したわけである。
 その点でいえば、吉野は、安式(アームストロング社製)の中小口径の速射砲のみを多数搭載し、さらにはそれらを無煙火薬で発射、またバー・アンド・ストラウド社の測距儀も搭載するなど日本海軍においては最新鋭の装備を搭載した艦であったのだ。
 吉野におけるこれらの装備の有効性は、後の日本海軍に受け継がれていく。

 なお、防護巡洋艦は、装甲巡洋艦のようにがっちり舷側部を装甲帯でくるむのではなく、そっちは一番外側に石炭庫をおいて、穴が開いてもそこで食い止めるようにし、喫水線の直上にある防護甲板に装甲をはった安い構造になっている。

●『支援車両Now&Then』松代守弘
 軍隊というのは元より「自己完結性」が高い。
 古代ローマ帝国のローマ軍団が強かったのは、「ローマ軍は兵站で勝つ」と塩野七生さんが繰り返し『ローマ人の物語』で書いているように、ローマ軍が自軍を維持するために居住する町(軍団基地)から道路にいたるまでを全部、自前で用意できたからである。

 近現代になるとこの傾向はさらに強くなる。災害地において軍隊が緊急出動するのは、軍隊が高度な「自給自足」能力を持っているからである。メシも炊けば、風呂も沸かす。病院もあれば、橋も作る。

 これらを支援する機材は、今ではほぼすべてが自走式になっている。この記事では主に日本軍と自衛隊の持つ支援車両が紹介されているが、今回はじめて写真を見たのが、『坑道掘削装置』であった。山がちでトンネルも多い日本では必須の装備なのだろうが、自衛隊が所有しているとは思わなかった。
 ちなみに、写真で見るその勇姿は、まさしく『ドリル』である。ぎゅんぎゅんぎゅん。

●『The Battle of ケーニヒグレーツ』佐藤俊之
 ケーニヒグレーツの戦いとはなんじゃい? 地名からしてドイツっぽいが。ナポレオン戦争か七年戦争かいのぉ?

 などと考えて読んでみたら、なんと普墺戦争、プロシアとオーストリアによるドイツ統一のための主導権争いの戦争における、決戦であった。

 名将モルトケによる電信と鉄道を利用した戦略機動といえば、この後の普仏戦争が名高いが、すでにこの時点で同じものが使われていた。
 さらに、プロシア軍の後装式ライフルと、身を隠して射撃戦に徹するという火力重視戦術は、この決戦にいたるまでの戦いでナポレオン戦争時代の最後は歩兵突撃というオーストリア軍をさんざんに打ちのめし、オーストリア軍将兵の士気を下げ、指揮官に自軍の能力と自分の指揮への不信を抱かせていた。

 だが、不利であればこそ主導権を手放しては勝てるものも勝てなくなる。消極的になり、動きが鈍くなったオーストリア軍主力を、3軍に分かれたプロシア軍が迫る。

 そして名将モルトケはオーストリア軍の動きから決戦が行われる場所と時間を察知。
 真夜中に国王をたたき起こして「明日、決戦します」と告げて了承を得るや、全軍に前進を命令。

 そして戦史に名高い(いや、私は知らなかったのだが)ケーニヒグレーツの戦いが行われるのである。

03月10日

■本日の読書:『空ノ鐘の響く惑星で 10』渡瀬草一郎
 9巻の感想はこちら

 10巻記念ということで、10才のショタな男の子が登場。
 これまでショタ担当であったエンジュが最近は影が薄いので残念であったが、やれやれ一安心である。

 本巻の内容を一言でまとめるのならば「ラトロアへ行こうと各キャラが決意する」である。コンピュータRPGで言えば、賢者の塔で大魔王が封印されているダンジョンの情報を得たとか、そういう感じか?

 そういうわけで、ジラーハ編はこの10巻だけで終わり。次はラトロア編である。たぶんこれでシメ。最後に地球か過去、あるいは未来に行く可能性はあるが、なんとなく終わりが見えてきたことは素直に言祝ぎたい。

 そして『空鐘』名物、新しい局面になると新キャラがぞろぞろ湧いて出る展開も健在。
 この、『作者(ストーリー)の都合で、キャラが増える』というのは読んでいて違和感多し。

 しかし、シリーズ物というのは本来そういうモノである。次々とキャラが増えるのは当たり前で、普通ならば違和感を覚えない……はずだ。

 ましてや、渡瀬さんの描くキャラは薄くもなければ適当でもない。背景に人生があり、言葉には思考があり、行動にも妥当性がある。魅力のあるなしでいえば、どのキャラも魅力たっぷり。文句を言う筋合いはどこにもない……はずだ。

 にも関わらず、キャラが増えると「またか?」という感じは否めない。

 『空鐘』のキャラクターは魅力的である。だが、それは俳優の持つ魅力だ。そこには明確な役割が存在し、登場していない時も世界のどこかに存在しているというよりは、「舞台の袖で出番を待っている」感じが強い。

 それが私が感じている違和感の原因だとしたら。

 物語というのは、きちんと計算し、丁寧に組み立てたとしても、なかなか思うようにはいかないモノである。

03月11日

■本日の読書:『食卓にビールを 4』小林めぐみ
 女子高生奥様の日常系まったりSFの4巻目。

 日本列島のプレートがひっくりかえりそうになったり、

 校庭がジャックと豆の木になったり(そういえば童話の方でドナドナされた牛はどうなったのだろう?)

 MRIでインプラントされたり

 ウサギなショタッ子で双子のパラドックスしてみたり

 勇気のないライオンを、太陽コロナで火の輪くぐりさせてみたり

 物産展にいったら全員宇宙人の商店主だったり

 文芸部の合宿で11人いたり

 重力レンズ効果で美しくシェイプアップしてみたり

 まあ、そういう形で今回ものったりのたのたとSFである。
 え?
 ええ、SFですとも。何かご異議でもございますかな?

03月12日

■本日の読書:『私立! 三十三間堂学院 3』佐藤ケイ
 元女子校のお嬢様達が、転校してきた男一人を頭脳と肉体のすべてをかけて奪い合うシリーズもついに3巻目。

 今回は、お嬢様学校につきものの寮を舞台にした攻防戦である。
 高校生とは思えないハイスペックを、これでもかといわんばかりに無駄に使う愉快なクライマックスバトルは健在。

 ただ、3巻ではこれまでに比べて戦闘へのお膳立てとなる展開部分は今ひとつ。
 1巻も2巻も、「主人公を狙って対立、それがエスカレーションしてバトルに」という、戦闘に至る展開では一本筋が通っている。

 対して3巻は、同じようにみえて、主人公は対立軸に存在していない。もちろん、この巻のメインヒロインである寮長の女の子と、寮に攻め込む生徒会長の主要な関心事のひとつが主人公にあるのは間違いない。
 しかし、寮攻防戦のきっかけとなった主人公はあくまで「大工仕事の手伝い」として駆り出されたのであり、そこには1巻や2巻のように「オトコを奪う」という意志が欠けている。

 どれだけ非常識な展開があろうが、原因が「色恋沙汰」であれば問題ない。それが本シリーズの大前提であるから。しかし、原因が「色恋沙汰」でない場合は、論理の飛躍やすり替えが必要になり、どうしても展開に精彩を欠くのだ。

 後、せっかくの英仏百年戦争(アザンクールの戦いか?)な歴史試験のネタ(p128)が最後の寮バトルで使われなかったのは残念。

03月13日

■本日の読書:『ちょこッとSister 5』竹内桜 原作/雑破業
 サンタクロースから妹をもらって溺愛する漫画もすでに5巻。
 最初の「あんちょこを見るのでちょこ」というキャラ設定もすっかり影を潜めている。
 たぶんちょこちゃんのプレイヤーさんも忘れているんじゃなかろうか。
 やはり、ロールプレイでは無理のない設定というのが必要ですなっ!

 この巻に副題をつけるとしたら、「ねこにゃんダンスの巻」であろうか。
 特に第33話冒頭の破壊力といったらない。
 変態は変態を知る。あの場面を見てにやにやできるようなら、あなたも立派な変態である。共に奈落堕ちしようではないか。

03月14日

■本日の読書:『ゆらゆらと揺れる海の彼方 6』近藤信義
 前の巻の感想は こちら

 さて、いつものように地図を出そうか、地図を。
ゆらゆら地図 バストーニュ大戦その2
 人間ドラマ、特にバストーニュがらみについてはもはや何か書く気力もなくなる。いや、もちろんこういうのもアリだとは思う。思うけど、その……国をふたつに割って、多くの人々を死においやった戦いのそもそもが『お互いに言葉が足りず、誤解でした』では、脱力するしかあるまい。
 『バシュタールの惨劇』ふたたびじゃないんだからよぉ。

 さて、気を取り直してバトル部分に着目しようか。
 前の巻はジュラとローデウェイク側がメインだったので、この巻では皇帝シグルドとアールガウ神聖皇帝側がメイン。

 5巻でバストーニュを締め上げる2本の腕のうち1本を無力化された帝国軍に対し、たいへん都合のよすぎる感じはあるが、一応は策略で内戦を終わらせた王国軍は正面戦力で優位に立つ。

 ここでシグルドが選んだ「速戦即決」は、兵法にのっとった良い方法であると言える。

 敵がふたつに分かれている場合は、片方の敵を倒しても戦争は終わらない。だが、敵がひとつにまとまっていれば、それを倒せば戦争は終わる。
 それに、ひとつにまとまったといっても、それは策略によるもので決して一枚岩になったわけではない。むしろ、ふたつに分かれていた時と比べて、軍への信頼が下がるために戦力としては低下している事が多い。時間をかければこれは何とかなるので、その時間を与えないためにもすばやく決戦を挑むのは良い考えである。

 さらに、自軍が敵軍より数で劣る状態で戦いを挑むのも、決して悪くはない。なぜなら、決戦というのは「互いに勝つつもり」でやってないと、なかなかうまく機能しないのだ。

 たとえば、ナポレオン最後の戦いである『ワーテルロー』。
 この決戦が発生したのは戦略的劣勢であるナポレオンが各個撃破を狙って打って出たのを、イギリスとプロイセンが受けて立ったためである。
 一度はプロイセン軍を、そしてカトル・ブラでイギリス軍を撃退したナポレオンは、最後まで勝つつもりで攻め続けたし、それは迎え撃つウェリントン将軍にしても同じことだ。
 互いに勝利を狙ったがゆえに戦いは激烈で、そして、その結果は致命的なものになった。

 これがどっちかが明らかに劣勢で、さっさと逃げるタイミングを図っていたのであれば、ここまで徹底的な決着はつかなかっただろう。

 つまり、『ゆらゆら』の6巻で皇帝シグルドが決戦を行ない、この勝利で戦争を終わらせるには「バストーニュ側にも勝てそうだと思ってもらう」しかないわけで、そのためならば、数的劣勢を演出してみせるぐらいは(質や戦術で勝てる見込みがあるならば)許容範囲なのである。

 そういうわけで、戦場に至るまでの流れは決して悪くない。戦記物としては十分である。
 戦場での戦いそのものはいつものように「海獣の能力頼り」であるが、まあ、これについては本シリーズの根幹とも絡むのでまあいいだろう。

 かくしてバストーニュは滅びた。アールガウ神聖帝国の武威は絶頂に達し、もう一方の主役であるローデウェイク王国側も領土を拡大し軍事力を増強させている。

 いよいよ両国の決戦となるかというと……なんとなく、帝国側は内戦が起こりそうな雰囲気だし、世界そのものも冥海と海獣がらみでなんかカタストロフが起きるんじゃあるまいかという予感を感じさせている。

 バストーニュのダメな人間ドラマもこれで終わりのようだし、続きをできるだけ早く読みたいものだ。

03月15日

■本日の読書:『すぱすぱ 6』三宅大志
 絵もキャラも内容もアレだが、魂は感じられる漫画、6巻にしてようやく三角関係にひとまずの区切りが。
 三角関係の結果そのものは普通。
 仰天したのは、三角関係が解決されたのに過去の因縁が解決されなかったことである。

 主人公とその幼なじみの許嫁は、子供のころに悪霊に襲われて魂の半分を奪われ、それがきっかけで主人公は退魔の力と記憶を失い、幼なじみは成長できない身体になったわけであるのだが……

 はい、もうおわかりでしょうが、悪霊登場しませんでした。いや、すでに過去で退治されてるのかも知れないが、こういうお話では最後に復活してバトルとか、そういう展開になるものだと思うのが普通だよね?

 そもそも、この漫画のタイトルになった『すぱすぱ』だって、幼なじみが悪霊退治に使うSPAS12ショットガンなわけで。1発も撃たずに終わってはアレだろう。いや、恋敵を撃ってしまってはもっとアレだが。

 さすがに首をひねりながらあとがき漫画を読んだところ、どうやら雑誌連載が終わって後は書き下ろしとかそういう事らしい。なるほどなるほど、

 何はともあれ、がんばれー。

03月16日

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 石油からプラスチックへ』
 科学技術の発展というのには、ランダムにみえて一定のパターンがある。
 望まれる時に登場できなければ、社会に定着しないのだ。

 たとえば19世紀になって、ふじ色の合成染料「モーヴ」(アニリン染料)が大流行している。

 この「モーヴ」はどろりとしたコールタール、ガス灯の石炭ガスやコークス製造のための石炭乾留炉から大量に出る産業廃棄物の再利用(最初はキニーネを作るつもりだったらしい)からはじまっている。

 また、同じく産業革命による、衣料の大量生産がなければ、合成染料の需要はほとんどなかったろう。

 あるいは、万国博覧会やデパートとマネキンという、大衆消費への流れがなければ、多くの人々が着飾ろうとも思わなかったろう。

 はたまた、空気中の窒素から肥料を作るための「ハーバー=ボッシュ法」。

 窒素と水素からアンモニアを合成するというのは、化学的にはたいへん単純な作業であるが、これを実現するためには200気圧の圧力と、500〜600度の温度でガスを循環させる必要がある。

 これまた、それだけの反応器を作り出す鉄の加工技術が背景になくては小規模な実験はできても大量生産には結びつかない。ドイツでは大砲で有名なクルップ社がこのアンモニア合成のための反応器を作っているが、高温高圧に耐える反応器というのはまんま大砲である。

 このあたり、社会と技術の関係というのはたいへん重要であるからして。
 歴史犯罪を志す者、あるいはタイムスリップや次元断層に巻き込まれやすい人はしっかり勉強しておくように。

03月17日

■本日の読書:『撲殺天使ドクロちゃん 7』おかゆまさき

 いつもの。

03月18日

■本日の古本屋
 #もの書き大阪オフとゆーことで、大阪でスパワールドに。
 塩サウナで塩を揉む。揉む揉む。

 ふぁるしおん(くらげっこ)君の案内で、大阪の古本屋で昭和40年頃の『丸』とかを買う。
 もちろん役に立つ記事もあれば、『現代の脅威/米ソの海底基地を探る』などとゆー愉快記事もあって、どちらかというとこういう愉快記事にこそ私の興味は集中していたり。

 傘を1本紛失する。たぶん、昼飯の時。

03月19日

■本日の読書:『さゆリン 1〜3』弓長九天
 私に地雷を踏ませることを生き甲斐にしている彬兄殿から借りて読む。

 微妙にはずれた女の子や男の子による萌え系といえなくもない四コマ漫画。

 女の子が暴走型で、男の子が苦労性なのは、そういや、一昨日読んだ『ドクロちゃん』なんかもそうだよな、と思ってみたり。

 私がじっくりねっとり読んでいると、彬兄殿が少し怪訝そうにしていた。何を怪訝そうにしていたのかは知らないが、私はだいたい本を読む時は真剣ですぞ?

 この日も引きつづきスパワールドに。
 さらに塩サウナ。床一面の塩に頭だけ出して潜り込み、全身で塩の心を感じる。
 ビバ塩サウナ。

 傘を1本紛失する。たぶん、電車の中。

03月20日

■本日の読書:『戦艦大和復元プロジェクト』戸高一成
 今日は呉へ行って『大和ミュージアム』で大和を見てくるのである。

 同行するenoさんこと鷹見一幸さんはかつて『大日本帝国第七艦隊』という架空戦記で公試中の大和(一号艦)を戦争前に沈めてしまったという愉快な経歴の持ち主である。
 今日はその贖罪ということで、やけにしおらしい面持ち。

 広島駅で顔を合わせて、呉線で移動開始。かつて大阪の環状線で働いていたらしい“都落ち”な列車の中で、「呉線は、本線並みに強固な鉄道なので、重量級の蒸気機関とかが最後にやってきたのがココなのですよ」などとenoさんから講釈を受ける。

 列車の中では他にも架空戦記のネタについてあれこれ語り合う。

 簡単な歴史改変として「日本軍航空機のプロペラを欧米並みにする」という案が出る。航空機のエンジンを改変したり、弱電まわりを強化したり、生産技術やパイロット養成をレベルアップするにはたくさんの改変を積み重ねる必要があるが、これなら比較的簡単で無理なく歴史を変えられるのである。
 ……読者への納得力が乏しいのが難点であるが。

 呉の大和ミュージアムは盛況で、垂れ幕にも『150万人突破』とか書いてある。実際、連休の中日とはいえ親子連れや中学校の生徒など、若い人も多い。むろん、一番多いのはなんといっても年配の方々であるのだが。

 中に入ると、すぐに1/10大和を拝むことができる。

「ほう」
「ううむ」

 海千山千の男ふたりが、思わず絶句する。(3分だけ)
 ふたりとも、知識としては大和を知っている。大量の資料を読みあさっているし、さまざまな写真や映像にも目を通している。

 しかし、そこにある『本物』を前にしては口を閉ざすしかなかった。(繰り返すが3分だけ)

「なるほど」
「これなら」
「勘違いするよね」
「しますねぇ」

 こうして『本物』をながめれば誰でも納得するだろうが、
 大和は実に「分かりやすい」フネなのだ。

 ぎゅっと、絞り込まれた船首からずどん、と大きくふくらんだ船体。

 中央部分にがっちりとまとまった砲塔や艦橋。

 すっきりと無駄のない先進的なデザイン。

 知識がなくとも、資料を読まずとも、大和はそれを見ただけで、真髄を理解できる。
 外見に、大和を大和たらしめているすべてが顕れている。

 その、圧倒的な納得力

 すでに大艦巨砲の時代は終焉を迎えていた。たとえ空母機動部隊がなくとも、戦艦はすでにあまりに高価で貴重になりすぎ、総力戦を戦う主力艦としての機能に限界をみせていた。

 その事を知識としては知っていたとしても、コレを見れば、大和を見れば、「まだ戦艦も捨てたものではない」という思いがわきあがったとしておかしくはない。

「『青の6号』で、戦争中に伊賀艦長が日本にもどってきて、大和を見て感じた安心感が分かりますねぇ」
「うん。『大和があればまだ日本は大丈夫だ』という気分になるよね」

 『青の6号』そのものは漫画だが、当時の海軍で伊賀艦長のような事を言っている人は多い。
 空母ではこうはいかない。空母を見ても、頭の中に空母が敵と戦って叩きのめす絵は浮かばない。空母はその航空機でもってそこから見えない敵と戦う兵器だ。だから、空母とその敵は一枚の絵におさまらない。
 しかし、戦艦は。大和は違う。
 大和は水平線に浮かぶ敵と戦うためのフネだ。敵をその目で見て、その拳(主砲)で殴るフネだ。だから、大和を見るものは、一幅の絵の中に、無数の敵を相手に獅子奮迅の戦いをする大和を見ることができる。

 戦況は不利だ。
 だが、それは大和にとって織り込みずみの危険だ。
 もとより、劣勢な海軍でもって自軍より多い敵戦艦と戦う艦隊決戦のために生まれたフネである。頭の中に浮かぶ大和の戦いがいかに不利であっても、それは絶望を意味するわけではない。

 明治維新からわずか70年。
 日露戦争における日本海海戦(1908)年からだと、わずかに30年。
 一世代前は、まだ戦艦を自国で建造する事すらできなかった日本がここまで到達できたという事に、当時の日本人がどれほどの誇りと自信を抱く事ができたか。

 軍需に頼りすぎた技術力のいびつさや、誇りと自信が悪い方向にも作用したという事はさておいて。確かに、大和にはそれまでの戦艦にない到達点というものがあった。

 日本を意味する『大和』という名前が託された事も、この戦艦を特別なものとしていた。

 日本の、そしてひょっとすると世界の戦艦の頂点にたつ存在として生まれた大和は、しかるに不遇で短い一生を終えることになる。

 たっぷり大和を見て、ついでに零戦とか海龍とかも見て私達は外に出た。
 陸奥の主砲や舵を左手に建物をぐるりと反時計回りにまわって、公園に出る。

「大勢人がいましたね」
「でも、これがいかに武勲艦でも雪風ではこうは人が集まらないよな。たとえ戦艦でも、武蔵であってすらだめだろう」
「大和は、英雄――ですからね。非業の死を遂げる伝説の英雄であり、神である」
「神か、そうかも知れない」

 日本と同じ名前を持つ大和は、また、日本の神話に出てくる有名な英雄とも名前を同じくする。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)。

 漂白の末に力尽きて倒れた英雄の最期とも、大和の最期は重なるのである。


 さて、『戦艦大和復元プロジェクト』という本は、この1/10大和を建造した男達について書いた本である。大勢の人々がこの大和の復活にいかに尽力したかがよく分かる。
 また、大和の誕生とその死に関しても良い副読本となっている。これから『大和ミュージアム』へ行こうという人、あるいはすでにいってあの大和のホンモノっぷりに感動した人は読んでみて損はないだろう。

03月21日

■本日の読書:『ブラック・ラグーン 5』広江礼威
 日本ヤクザ編、完結。
 伝統的なヤクザ映画を、香港アクション風に作らせたらこうもなろうかという、アレでソレな展開。

 最後はなるよーになってしまうというか、やはりこうオチるかという感じで、実に切ない。

 姉御の無敵ぶりは、やはり「自分のルールでのみ戦う」という迷いのなさか。
 誰が相手でも、場所がどこでも、姉御は戦争のルールでのみ戦う。彼女が得て、彼女が失い、彼女が求める戦争のみ。

 そうしてみると、自分のルールを見失いかけたレヴィへの姉御が放つ次のセリフ、

「お前は、こいつと同じ生き方を望むべきじゃない」
『ブラック・ラグーン 5』p99


 これは「自分のルール」を見失いかけたレヴィへの忠告なのか。
 いずれにせよ、再び舞台はタイへと戻る。彼らにとっては見知った日常。

 しかし、ここで埋められた種は深く根を張って、やがて彼らの心臓を食い破るだろう。

03月22日

■本日の読書:『歴史群像 76』
 今度は本編の方からいくつか。

●『越前朝倉興亡記』大野信長

 昭和42年(1967)――
 現在の福井県福井市で発掘調査が開始された戦国期の城下の遺構からは、調査が進むにつれて往時の遺物が次々と出土した。
『歴史群像 76』p50


 この冒頭ではじまる大野さんの文章は、歴史群像67号の『戦国宇喜多盛衰記』と同じく、歴史モノで情感に訴える基本パターンを踏襲している。
 最初に結論というか、美味しいところをまず出して。
 そこから、ぐいー、っと過去に遡って語っていくというヤツだ。NHKの『その時歴史が動いた』でもよく使われている手法である。

 有坂さんの「引っ張るだけ引っ張る」手法も類似パターンであろうか。演出というのは、やはり大事なのだ。

●『隠蔽されたバルバロッサ作戦の真実』守屋純
 前に、グデーリアンがヒトラーから賄賂としてポーランドの農場をもらった『ハインツ・グデーリアン もうひとつの素顔』という記事を書かれた守屋さんの記事。
 内容はグデーリアンが己の虚栄心のために行った戦闘と、その結末についてである。

 前と同じく面白いのだが、ひょっとして守屋さんはグデーリアンが嫌いなのか、あるいはグデーリアンのファンである誰かにイヤな思いをさせられたのかとも考えてみたり。
 いや、そういう個人的な好き嫌いで歴史をとらえる人はそうでない人よりも私は好きではあるのだが。

●『酸素魚雷は決戦兵器たりえたか』瀬戸利春
 初期の架空戦記では大活躍していたが、最近は信管が鋭敏すぎて自爆する場面が一回は書かれるという酸素魚雷。

 自爆場面読むたびに「ああまたか」と思うのは私だけではあるまい。こういう、分かっている人向けの記述を読むたびに、「架空戦記読者のために書かれた架空戦記」という、SFの失敗を繰り返しているような居心地の悪さを感じてしまうのである。

 さて、記事の方であるが酸素魚雷の思わぬ成功に、日本海軍がこれを切り札として装備や戦術に組み込もうとした過程が描かれている。

 しかし、現実は厳しかった。

 酸素魚雷の長射程は確かに日本軍のアドバンテージにはなったが、たいていの兵器がそうであるように、決定的な差ではなかった。少し有利、というほどでしかないのだ。

 そしてその少しばかりの有利と引き替えに、あまりに雷撃に特化した日本海軍の駆逐艦は、他の能力、つまり対空、対潜という護衛艦としての機能をいちじるしく損なった。

 雷撃能力と、護衛艦としての能力のどちらが実際には役に立ったかは言うまでもあるまい。
 なるほど、冒頭にある「酸素魚雷を持ったことが日本海軍の誤りだった」という艦船研究家の言葉にもうなずくべき点はある。

03月23日

■本日の読書:『密偵ファルコ11 聖なる灯を守れ』リンゼイ・デイヴィス
 ファルコのパートナー探しその3。
 今回のパートナーは、愛するヘレナの弟である。といっても、ゲルマニア編でも活躍したファルコと仲のいい下の弟ユスティヌスではなく、むしろどちらかというと仲の悪い上の弟アエリアヌスの方だ。

 11巻まで付き合っているため、殺人事件捜査より、古代ローマ帝国の暮らしぶりとかそっちの方が面白くなってしまっている。
 今までで一番笑ったのはヒラメ料理(3巻参照)であるが、この巻でも古代ローマにおける神官職とか、不動産とか、楽しいネタは満載である。

 あまりに風俗ネタが楽しいので「そういえば今回は誰が犯人だったろうか……いや、そもそも誰が殺されたんだっけ?」というえらく大事なところを忘却していたり。

 しかし、ミステリといってもトリックや犯人探しが楽しい本ばかりではない。密偵ファルコシリーズは、古代ローマ帝国にしっかりと根をおろした男とその周囲の人々が織り成す人間ドラマにこそ、面白さの根幹がある。

 本巻でも、クライマックス部分の「パートナー達」とのやりとりは感動モノだ。

03月24日

■本日の読書:『絶対可憐チルドレン 4』椎名高志
 この巻も、3巻に引きつづきシリーズで脇を固めるエスパー達がどんどん増えていっている。どいつもこいつもイイ感じにクセの強いキャラで、実に楽しい。

 つまり、そうすぐにはシリーズが打ち切られたりはしないということだよなっ?!(まだ不安)

 この巻で一番愉快なコマは、超能力による暗示で夢の世界にとらわれた皆本と薫が、病院のベッドで眠りながら同じ動きをする『シンクロナイズド睡眠』(p130)

 状況が悪いシリアスな場面だけに、小ネタのギャグがうまいなぁ。

03月25日

■本日の読書:『鋼の錬金術師 13』荒川弘
 マスタング大佐、手足もがれたーっ?!(比喩的表現)

 大総統、見事な逆襲。
 人造人間達が軍部にここまで深く根を張っていたのに、東部にいたマスタング大佐はともかくとして、なんで中央にいたヒューイ准将(中佐)は気づかなかったかな。まあ、最後には気づいて始末されちまったわけだが。

 なんにせよ、主役はエルリック兄弟だからマスタング大佐があまりがんばり過ぎるのも困りもの。このぐらいで丁度いいっちゃあ、丁度いいのだ。

 そしていよいよ、“お父様”がその素顔を表す。いや、さすがに「エルリック兄弟がラスボス(もどき)と面識のないまま話が進む」のはまずかろーというのがあったのではあるが、けっこう急転直下な展開。

 つうか、今回のでやはり思ったのは、アリが巣を壊す人間の子供を憎めないようなもので、“お父様”はラスボスではあるまい。
 むしろ大総統の方がラスボスとしては具合がよろしい……が、こっちはマスタング大佐用だろう。

 ここは、“お父様”を下克上して“親父”がラスボスに成り上がるのを楽しみにしようではないか。

03月26日

■本日の読書:『食卓にビールを 5』小林めぐみ
 1ヶ月でまとめて読んでしまったので続きがしばらくないかと思うとちと残念。
 そういうわけで、少しながめに各短編の感想を。

イカ編:
 前にも出たのだが、この世界では煮出されるのがすごい刑罰なのだろうか?
 確かに、自分を煮出されて、その汁をうまそうに、あるいは不味そうに飲まれたらそれはそれですごい屈辱な感じはする。
 ほれ、弱肉強食な大自然の掟からすると、「自分が食われる=食物連鎖で下に立つ」ということで、なんか「俺はこいつに勝てない」という感じかも知れぬ。

ジーン編:
 私もRPGが苦手で。いや、コンピュータとかのだが、レベル上げがどうもね。手を抜いてしまうのだ。
 ファイナルファンタジーの6だったか? 1回だけ友人から借りてボス戦までがんばったことがあるのだ。これまでのNPCに励まされて送り出されて――そして惨敗。
 何度やってもダメなので聞いてみたら、レベルが致命的に低すぎたそうな
 レベルアップだけが楽しかったのは、25年近く前にプレイしたウィザードリィ(FM-7)だけだなぁ。

マンホール編:
 時間ループネタ。
 時間ループネタは、タイムマシン物をはじめとして、いろいろ便利に使われているが、個人的には「ループしなくなってからが勝負」だと思っている。
 失敗しても繰り返せばいいというのでは、ぬるいのだな。
 やはり、もうループできない。やり直しはきかない。という所まで追い込まれてからがポイントなのだ。
 だから「閉じた時間の輪」ネタで気に入っているアニメは、『ジェネレイター ガウル』だったりする。

世界征服編:
 何気ない一言がえらい騒ぎになるお話。
 そういうので思い出すのが普仏戦争の『エムス電報事件』である。
 別になんのことはないナポレオン3世からの外交電報にビスマルクが手を加え、いかにもフランスがプロシアを脅迫しているかのよーな文章に仕立て上げて発表したのだ。
 これでプロシア国民はもちろん、フランス国民も大激怒。
 フランスは準備も整わぬまま、なし崩し的にプロシアとの戦争に突入してボロ負けするのである。

スポ根編:
 魔術師の扱う四つの力を、地水火風のいわゆるファンタジー的お約束ではなく、「電磁力、重力、弱い核力、強い核力」の四つの物理的な力とするというネタは、SFファンであれば誰もが思いつくものだ。
 しかし、これは実際にはえらく難しい。(いや、私は一度これでゲームが作れないかシステムを考えてみました……3分だけ)
 どうにもこの4つの力はバランスがよろしくないのだ。だからギャグとはいえ、きちんとネタを使っている小林めぐみさんには、拍手を送ろう。つまりエールを。食卓にエールを。

狐狩り編:
 「狼男は誰だ?」
 女子校ではじまる、情け無用のハンギングっ!――ではない。
 さすがにこー、『アンソニーが死んだのは狐狩りで』というネタは、なんぼなんでも女子高生が使うには古すぎやしないかといらん心配をしてみたり。

魔王編:
 このシリーズを読んでいて、「ああ、なんかSFだ」という感触を抱くことは多い。
 だが、「ああ、ほんとにSFだ」と思ったのはコレか。
 いや、読者を置きっぱなしというか、キャラをどっかあさってに突き放した感じというか。
 そういう、SFによくあるドライな感触が強くするのである。内容ではなく、読者へのスタンスというものが。

クリスマスパーティー編:
 そういやコレは、富士見ミステリ文庫であったか。
 宇宙人殺人事件である。
 しかも、死体がない。いや、SFミステリではよくあることだがっ!
 もちろん、オチは脱力系だ。

03月27日

■本日の読書:『海軍めしたき物語』高橋孟
 太平洋戦争開戦ちょっと前。
 下っ端海兵として戦艦〈霧島〉に乗り込んだ筆者の、ひたすらメシを炊き続けるお話。
 前に読んだのは高校生の頃だった(図書館で借りた)ので、こうして20年以上たって読み直してみると、また新たな発見もあって面白い。

 その当時は軍隊内部で行われる陰湿なイジメや体罰について、「なんとも良くないことだ」とは思いもしたが、なぜそれが存在するかについては今ひとつ分かっていなかったと思う。

 ようは、ストレスなのだ。
 猿山の猿と人間の群れに、さほど大きな違いはない。

 普段は同年兵同士で口をきくことはなかった。みんなスネたようなふくれっ面で、毎日がシラケ切っていた。
 一般社会からみたら、同じ艦内で生活していて横の連絡がないなんていったら、奇異な感じがするだろうが、軍艦の勤務は、乗り組み前の想像にはほど遠く、戦友という感情が芽生える余地がないところであった。
 なにもかも機械的に動いていて、人も機械も武器も、ただ物理的に作用し合って動いているようだった。
 同年兵同士がケンカをしないのも殴られるからやらないだけ。作業の動作の機敏なのも殴られるからであった。
『海軍めしたき物語』p93〜p94


 このへんは当時の筆者が最下級の三等主計兵というバイアスもあるだろうが、おおむねそんなものだろうとは思う。
 下っ端であればこそ、ストレスは何かの形で発散させねばならない。新兵にイジメや体罰を加えるのも、それが伝統であり形式になっていればこそ、罪の意識をさほど覚えることもなくストレスの発散になったはずだ。

 まあしかし。これでもホーンブロワーなど海洋冒険小説で描かれるところの帆船時代の船乗りに比べると実に安楽な生活である。なんといっても熱い風呂がある。
 そして現代の船乗りはさらに安楽である。少なくとも風呂で洗面器一杯の湯だけもらって立って身体を洗うことはない。

 使われている技術の進歩により、本書でたびたび書かれているような「新兵を殴って身体で仕事を覚えさせる」方法は非効率きわまりなくなった。
 軍隊組織であってもストレスは軽減されている。機械や電子技術による効率化は、それなりの余裕と合理性を与えてくれている。

 猿と人間に、その心のありようで大きな差はあるまいし。
 昔の人間と今の人間とで、倫理的に進歩や退歩があるわけもあるまい。

 ようは、科学の違いなのだ。
 科学があれば、猿だって人間になる。
 科学を失えば、人間だって猿になる。

 では、さらなる科学を得た『宇宙戦艦のめしたき物語』はどうなるかというと。
 実は、そういう本もあるのである。

03月28日

ぬべー

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のべー

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