■本日の読書:『WSW EXODUS ――地平の涯へ、ぼくらは転がり続ける』長野聖樹
作者を知らぬわけでもなく、またこの本が対象としているであろう中高生からは2回り以上年長(むしろ親の世代だ)の私がこの本を正しく評価するのは困難であろうとは思うのだが、けどやっぱり言ってしまう。
まごうことなき(私にとっての)駄作。
知識が足りないのはまだよろしい。
文章があちこちおかしいのも勘弁しよう。
キャラが完全に記号としてしか機能していないのも百歩譲ったとしても。
やはり、全体構成をもう一度修正すべきであったと思う。
とにかく展開が早すぎるというか、エピソードを詰め込みすぎである。半分、いや三分の一に削ってもまだオッケーである。
たとえばこんな風に……
オープニング:
ヒロインの乗るロボットが登場。追手との戦闘に。
普通の学生であるところの主人公、戦闘に巻き込まれて死亡。
ヒロイン、主人公を宇宙技術で蘇生。でも、ロボットが近くにいないと主人公は死ぬ。
再び追手が登場。しかたがないので主人公がロボットを操縦。
宇宙技術による蘇生が地球人には特殊エフェクト。種割れ。主人公が追手を撃破。
ミドル:
主人公の肉体が元に戻るまでの間、ロボットとヒロインが主人公の家に居候することに。
ヒロイン、主人公と常に一緒にいるためにメイド兼クラスメートに。
そこへ新たな転校生。実は追手側のパイロットで銀河帝国の姫君。
姫君、主人公に興味を持つ。
学校内では主人公をめぐっての姫君とヒロインのバトルが繰り広げられる。最初は単に主人公の素質を巡ってのものであったが、だんだんと恋のさや当てに。
クライマックス:
ついに追手の本隊が到着。決戦することに。
ヒロインと一緒に戦う気満々の主人公だが、ヒロインは主人公を巻き込まないために勝手にひとりで出撃する。
実はとっくに主人公の肉体は元通りに回復しており、一緒にいる必要はなかったのだが、ヒロインが主人公と離れたくなかった事が分かる。
追手にぼこぼこにやられるヒロインとロボット。
そこへ姫君の力を借りて主人公が登場。ロボットに乗り込んでヒロインを説得。
ヒロインと主人公の心がつながり、ロボットの潜在能力フルパワー開放。
エンディング:
追手を撃破して再び元の学園生活に。
だが、帝国は諦めたわけではなかった……もちろん姫君も。
果たしてこの先どうなるのだろうか、でおしまい。
どうだろうか、上記のような展開であればエピソードもキャラも半分以下になり、内容も充実すると思うのだが。
全体として、作者のやりたいこと(目的)は分かるのだが、その手段がなんというか稚拙で……惜しいのである。
■本日の読書:『帝立第13軍学校歩兵科以異常アリ!? 1』石田あきら
力持ちの女の子+ハンマー(攻城兵器)という組み合わせの四コマ漫画。
異世界ファンタジー学園物であるからして、『ハリーポッター』の親戚と言えなくもないこともあるわけがない。
全体として軍学校としてのトーンはたいへん低く、むしろ普通の学園物。でも攻城ハンマー。
力持ちの女の子である主人公のクリスはお兄ちゃんも軍学校に行ってその後戦争かなんかで戦死してるらしい。いつも元気な女の子だけにp37の泣きそうな顔での「死んじゃ……やだ」は破壊力抜群。
その親友のメノアは猟師に育てられた弓の名手。でも本当の両親は不明で高価なネックレスだけが残されている。なんとなくこの地方の元の王族の忘れ形見ではないかと。これは基本だよな。
クラスメートで騎兵科から異動してきたラフィスはロリ担当。とにかくチビだが態度は大きいという、これまた基本に忠実なキャラ。
すっとぼけた担任のオリファー先生は実は元軍の英雄じゃなかろうかと思ってみたり。だって基本だろ?
感動したり燃えたり萌えたりはないのだが、まったりと王道展開を楽しめる。
人生に疲れたり、ちょっと息切れしたときの清涼剤として一服どうかな?
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 都市・運河・橋』
さてさて、17世紀から18世紀ぐらいになると、ヨーロッパにおいて、いろいろなものが『転がり』はじめる。
たとえば鉄だ。
中世までの鉄は、木炭を燃料としていた。だから、鋳鉄の製造は森林の近くで行われてきた。だが、イギリスではこの頃から森林資源を食い尽くしてしまい、鉄材の供給をまだ手つかずの森林を持つスウェーデンやロシアに頼るようになる。
ここで石炭が登場する。石炭が燃える石である事はずいぶんと前から知られていたが燃料としての利用はさほど進んでいなかった。生の石炭というのはこれがまた硫黄分などを含んでたいへん具合が悪く、石炭で鉄を作っても脆くて使い物にならなかったのだ。
だが、同様に燃料として石炭を利用していたビール醸造業がこの石炭をなんとか使えるものにしてしまう。石炭を燃料とするとビールが石炭で臭くなるのを、石炭を不完全燃焼させて揮発成分をとばしてコークスにして臭いを消したのである。
そしてこのコークスが製鉄にもまこと具合が良いのだ。
こうして、石炭が大規模に燃料として使用されるようになると、生産力は一気に向上する。そして、安く大量に鉄が供給されるようになると、それは日用雑貨から工場、兵器にいたるまですべてを変えていくのだ。
石炭や鉄を大量に運ぶための運河が建設され、丈夫な橋ができ、大砲などの火砲が普及する。
それまで文明の到達したレベルという意味ではヨーロッパも他の地域も大きな差はありはしなかったのだが、ここに来てその文明の質そのものに差がつき始めるのは、これらの『転がり』が日常生活まで変えていったからだ。
さて、他にもこの世紀あたりからいろいろと面白いものが見えるようになる。
フランスはルイ14世「太陽王」の時代、パリなどの都市計画が進められる。『救貧院』などの福利厚生も進む――わけだが、世の中一面だけ見ては物事を見誤る。
そうした貧乏人救済の背景には、そういう貧乏人をほっておいて彼らの自助努力に任せると、『奇跡の宮廷』なんかが誕生してしまうという厄介な事があるのだ。
この『奇跡の宮廷』というのはキリスト教的な奇跡――盲人が目が見えるようになったり、いざりが歩けるようになったり、とゆーやつである。パリにいるそうした障害を持つ乞食たちは、自分達の仲間内で集まるといきなり健常者に戻ってしまうとゆーのである。まあ、キリストがやったのも同じといやー同じなのだが、まあそういう乞食ギルドをして『奇跡の宮廷』と呼ぶわけだ。
社会福祉は、別に「かわいそうだからやる」わけではない。(このへんを勘違いすると、「あいつらはかわいそうじゃないから福祉は必要ない」などととんちんかんな事を言い出すことになる)やった方が、治安がよくなり、生産性が上がるからやるのだ。
そういうわけで、パリにおいてこうした治安維持から福祉にいたるまでを担当する役職が、1667年に設立した『警視総監』の役職である。これ、訳語があれだからお巡りさんのエライ人のよーに思うが、実際には日本でいえば江戸の町奉行、すなわち今の都知事みたいなお仕事である。なんでもやるのだ。もちろん一番重要なのが治安維持であるのは言うまでもないから、名前としてはさほど筋違いではない。
ところで話はあちゃこちゃに飛ぶが、この前年に、イギリスではロンドンの大火があった。火事などの災害には消防署であるが、ここらはさすが資本主義の国、イギリスである。まず作られたのが『火災保険』で、その火災保険会社が、『私設消防団』を編成したのだ。むろん、私設であるからして保険に加入している人の家以外の消火はやらない。民営化である。まあそれだけだとやはり大火には力不足であるから、そういうのが統合して公的な消防隊が編成されるようになったのだ。
こうした民営から公営の流れのなかに、郵便事業もある。最初は王室郵便が民間の郵便事業の必要性から民間にも開放されるのだが、これも言葉通りにうけとってはいけない。赤字財政を補填するために、高い値段で郵便事業を国が請け負うという一種の税みたいなもんなのだ。そしてそこに、ロンドンの資産家ウィリアム・ドクラが料金一律1ペニー前払いという『ペニー郵便』という事業を興し、がっぽりと儲けるようになるのだ。
以後郵便馬車など(御者がラッパ銃をもってるやつだ)、儲かりそうなところにはどんどん民間の資産家が入り込んで事業をおこしていくようになる。
そしてその進化の中で19世紀になり、切手(かの有名なペニー・ブラックがこの時期だ)を用いた近代郵便が公的に行われるようになるのである。
■本日の読書:『空ノ鐘の響く惑星で 8』渡瀬草一郎
タートムによるアルセイフ侵攻!
今度は戦争だっ!――だが、ここで内乱編の悪夢が思い起こされて不安になったのは私だけではないはずだっ!
だが大丈夫!
渡瀬さんは失敗をくり返すようなことはなかった!
でも、新キャラが多くなるのはしょうがないか。何せ今までタートムってラトロア以上に背景扱いだったから。
それにしても前の巻でもそうだが新人作家などがよく失敗する「たいしたことのないネタをずるずるともったいぶって腐らせる」という欠点と本シリーズは無縁である。
ちゃんと謎は明かすし、疑問には答える。たとえば、リセリナのお義父さんのネタとか。
個人的には7巻p290の、御柱についてのコウ司教のセリフが今のところシリーズの白眉である。
「連れて行きなさい、ラトロアの者よ。貴方たちは御柱のことについて、そして死の神霊のことについて、何も知らなさ過ぎる。御柱の完全な停止は、人という種の終焉を意味します。御柱の稼働は本来、国や神殿勢力がどうこうという次元の事象ではないのです」
「例えばキャルニエの御柱。この星の大気は、あの御柱があればこそ、人の住める状態を保っているのです。ネディアにしても同じこと。この大陸周辺の海は、あの御柱によって毒素を抜かれている――ザガードの御柱は温度の急激な変化を抑えていますし、フォルナムの御柱は、この大陸そのものを支えています。そしてウィータの御柱は他の全ての御柱を管理し、それらの機能を正常に保ち続けている――わかりますか? 貴方たちの世界を支える柱――それが御柱なのです。輝石など、たかが副産物に過ぎません。御柱なくして、この世界は存在し得ない。そのことすら貴方たちは把握してないのでしょう?」
もちろん、こういう世界設定については好む人(私だ)と「ファンタジーにSF的なものを持ち込むのはルール違反だ」と嫌う人がいるのはしかたない。だが、ファンタジー=作者の自由に設定できる世界であればこそ、そこにきちんとした筋の通る理屈が通っていると読者に対する説得力が上がるというものである。
さて8巻に話を戻すとこの巻ではタートム軍の侵攻において、シズヤ(万能悪役)の指揮する玄鳥部隊が大きな役割を果たしている。
玄鳥はこれまでも幾度も登場し、暗殺から高速移動まで八面六臂の大活躍であるから、戦争でも使えるのは悪くない。(というか、毎回新しい戦術やら錬金術を使われても困る)さらに、その戦闘力が「空中からの襲撃によって、地上部隊の隊列を乱したりモラルを下げて味方の攻撃を支援」するというのは実にしぶくてよろしい。
ただ、それならばもう一手あるとうれしかったと思うのが「玄鳥に風笛をつけて、降下すると金切り声のようなサイレンを鳴らして威嚇する」とゆー描写である。
これは第二次世界大戦において猛威をふるった「Ju87 ストゥーカ」のネタである。スペイン内戦において、ドイツ軍が「ジェリコのラッパ」と呼んだその音が鳴り響くと、スペイン人民軍の兵士は恐怖に逃げまどったのである。
この急降下爆撃機のように、空襲というのは現代のようなハイテク戦争でない限り、物理的な攻撃力よりも心理的な攻撃力の方が大きい。そのぐらい、「自分達では手が出せない空からの攻撃」は地上の兵士のモラルを砕くのだ。
そして魔法や錬金術など使わなくとも、玄鳥に風で鳴る笛をつけるだけでそれは達成できる。これがあると面白かったんだがなぁ。
さて、それはさておきウルクの記憶はあっさり元に戻りました。いや、悪くはないがもうちょい萌え展開があっても良かったのに。
それより今回は、今まで影が薄かったフェリオの兄王ブラドーが意外な萌えキャラ属性を発揮。前線に出てきてケガをした自軍の特殊部隊の女の子(貴族の娘)を助けた後、なんと戦闘で破れた女の子の服をちくちくと縫ってしまうという裁縫特技を披露する!
「クラウス卿、でも僕は針仕事が好きなんだよ。それに、破けたままの服を見ると妙に落ち着かない。直せる針と糸と技術があるのに、それを生かせないのもつまらないだろう」
いやー、見直しましたぜ国王陛下。
■本日の読書:『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之
やたーっ!
久しぶりの古橋分の補給が届いたぞ。
この次はいつ補給がくるかわからないので短編集ということもあり、今日は1話だけ。
表題作でもある『ある日、爆弾がおちてきて』である。
空から降ってきた女の子は実は爆弾だった――
この手のネタはSFでは古くからある(本当)。私が大好きなジョン・ヴァーリィの『バガテル』(『バービーはなぜ殺される』に収録)では、次のよーにはじまる。
一発の爆弾がいた。第四十五レベル、レイ通り、プロスペリティ広場から遊歩道を百メートルばかり下った“花とギフトの店バガテル”のすぐ外だった。
「ぼくは爆弾だ」と爆弾は通行人に声をかけた。「あと四時間と五分十七秒で爆発するぞ。ぼくはTNT換算で五万英国トンの爆発力があるんだ」
そういうわけなので、きっと古橋さんらしくえげつなかったり後味が悪かったりあさっての方角へ驀進したりしているに違いないと読みすすめてみると――
あれ?
なんでしょうか、このさわやか青春の甘酸っぱくもホロ苦思い出エンドは?
こんなの、オレの知ってる古橋タンじゃねーっ!! 。・゚・(ノД`)・゚・。
そりゃ確かにこの前の『デモンベイン』はゲームの外伝だったのであまりヘンな事はできなかったし、その前の『蟲忍』はイラストの人との合作だったのでオチはさわやかだったし、さらにその前の『サムライ・レンズマン』はレンズマンとゆーくくりがあるから、デュランダル議長声のアリシア人が「いいかね、レンズの力によってこの銀河に住むすべての知的生命体は幸せに暮らすことができるようになるんだ」などと優れた男女を何万年も交配させてスーパーコーディネーターを生み出す計画を実行したりしてはまずいだろうがそういうのは例外だと思っていたのにっ!
いやいや、まてまて。
まだ私はひとつめの短編を読んだにすぎない。
きっとこの先に私の望むたっぷりと毒を含んだ古橋作品があるに違いない。そうだ、きっとある。
……あるよね?
■本日の読書:『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之
さて今日は2番目の短編、『おおきくなあれ』だ。
今年の風邪は脳にくる。
げらげら。
やあ、カジシンっぽい出だしでたいへんよろしい。
この風邪で“ゴードン症候群”(言うまでもないが、アルジャーノンのアレだ)になったクラスメイトの女の子が、なんか衝撃があるたんびにどんどん記憶が飛んで幼い頃に戻っていっちゃうわけである。
SFでいえば、逆転する時間に暮らす遡時人(そときびと)な感じだろうか。『時尼に関する覚え書き』(あ、これも梶尾真治さんだ/『恐竜ラウレンティスの幻視』収録)を思わせる感じである。
とはいえそんな深刻な症状ではなく、戻りすぎて受精卵になったりはしない。
なかなか小粋な作品である。
……って、おいっ。こんなもので私は騙されないぞーっ!
■本日の読書:『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之
3番目『恋する死者の夜』である。
毎晩彼女はやってくる。
彼女にとって、特別な日をくり返すために。
彼女が一番、幸せだった日を。
僕が一番、後悔している日を。
とゆーわけでっ。
やあ……ようやく、ようやく3番目でちょっとは黒古橋分(くるはしぶん)を味わうことができましたよ。
死者が生者と混じって生きている社会という、SFよりはちょとファンタジーよりかな?
死者は、生きていた頃の記憶に従って、その一日をくり返す。
ここで傷のついたレコードのようにという比喩が使われているのだが、そろそろ若い世代には意味不明になってやせんかしらん。
ちなみに毒は(ちびっと)あるがオチはない。そこいらがちと物足りぬ。
■本日の読書:『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之
4番目『トトカミじゃ』。
古い図書館っ! 本の山っ! 静かに流れる日々っ!
おのれ、古橋っ! わしのセピア色の思い出をピンポイント爆撃してくるとは恐ろしい子っ!
いかん。こんなノスタルジーをかきたてられてしまっては毒もオチもなくても普通にしみじみとしてしまうではないか。
■本日の読書:『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之
5番目の『出席番号0番』。
クラスにひとり、憑依人格がいて、そいつが日替わりでクラスの誰かの身体を拝借するというネタ。
『おおきくなあれ』がカジシンっぽい小話だと書いたが、こちらは草上仁さんっぽいアイディア。
だが、草上さんであればもうちょいアダルトな展開だろうな。こんな風に。
目を覚ますと、見知らぬ天井があった。
そして傍らは、見知った女の子が寝ていた。
総務の吉田ちゃんだ。ちっちゃいせいでエレベーターが混み合うと「あうー、降りますー、降りますー」とか言って手を挙げないと誰も気が付かない。
しかし、こうして裸になってみると……ううむ。意外とめりはりのきいたボディ。
「ふにゃ……」
吉田ちゃんが目をこする。そして俺をみて、にこー、と笑う。いつもは俺と顔を合わせると視線をそらしてそそくさと逃げるくせに。
「おはよーございますー」
「おはよう」
その時には俺にも昨日何があったのか分かっていた。くそ、いくら先輩(会社設立以来だからかれこれ70年)だからといって、俺の身体を使ってナニしやがる。
んでもって、まあ、主人公をはさんで憑依人格の社員と総務課の女の子のラブロマンスみたいなのが展開されるわけである。
もちろん、本作ではそのようなオトナの展開はしない。いかにも学園物っぽい物語に仕上がっている。
■本日の読書:『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之
6番目で『三時間目のまどか』。
自分の顔が映るはずの教室の窓に、女の子が映った。
実はその子は6年前にこの教室にいた女の子で――俺は6年前の女の子と窓ごしに会話をした。
ちゅうわけで、ネタは時間跳躍型通信モノ。再びカジシンっぽく。
この話で重要なのは、古文の“しぇむら”先生である。なぜかとゆーと、この話にワンポイントつけているのが、なんっつうても“しぇむら”先生だからだ。
この“しむら”先生は、舌の巻き具合で「それはつまり、若者はみな未来に向かって進んでいかニェばならぬということなのディェす」ちゅう発音になるので主人公ら、生徒達が“しぇむら”と呼んでいるわけだ。ほら、そーゆーあだ名のつけかたキミもしただろ? 俺達もしていた。
こいつはショートショートなので、ムダなキャラやムダな描写はできない。だから別に“しぇむら”先生を普通のしゃべりかたをする普通の先生にしても、それはそれでかまわんわけであるが――それだと作品的にはちと物足りない。
本筋には無関係であっても、学園物としてのスパイスをきかせているのがこの“しぇむら”先生であり、そういう技巧がこの作品をいい具合に締めているのである。
■本日の読書:『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之
最終話『むかし、爆弾がおちてきて』。
はい、最初と最後でぐるりと一周です。ふたつの話には別に何の関係もないけど、こういう遊び心は好きだな。
時空潮汐爆弾が真上に落ちてきて時間の流れが60億分の1の停滞時空に閉じこめられた少女。彼女にとっては戦後60年たった今も、「わずか0.3秒後」のことでしかない。
止まった時間の中で少女はただひたすら、待ち続ける。来ることのない恋人を。訪れることのない明日を。
つうわけで最後もカジシンっぽい時間ネタ。だが、私が想像したのは星野之宣さんの『2001夜物語』に掲載された『愛に時間を』(もちろん、タイトルの元ネタはハインラインだ)
展開もオチも基本を押さえている。しんみり。
こうして全部読んであらためて思ったのがこの短編集は見事なくらいセオリー通りだという事だった。
作品のアイディアや展開はこれまで何度も使われてきたいい具合に『枯れた』ネタを利用し、それを今のライトノベル風にアレンジしてある。
すべての作品で主人公の男の子は高校生ないし学生(ライトノベル読者のメインターゲット)で、読者視点から一歩もはずれないようにしてある。
言うは簡単、やるは困難。そしてそれを読ませる物にする力量はさすがの一言。
やはり古橋秀之は若手(まだ30代だよね?)実力派であると再認識させられたしだい。
■本日のガンダム:デスティニーガンダムを考える
広島では一週遅れなので、先週末にガンダムSEEDデスティニーの最終回があった。
うちに来ていた甥や姪と一緒にビデオに撮ったのを視聴した。
レイが議長を射殺するところでは、「なんで?」と子供に聞かれたので私としては「たぶん、キラを撃った弾丸がはずれて議長に当たったんじゃないかな」と答えるしかなかった。(意外と正解かも知れないと今では思っている)
さて、今日は最終回でふがいない敗北を喫したデスティニーガンダムについて考察してみよう。ソースとなる情報はWikipediaからだ。
ZGMF-X42S デスティニーガンダム
スペックをぱっとみて気づくのが、てんこもりな武装である。
頭にバルカン。
近づく敵にビームブーメラン。
接近戦ではビームソード。
遠距離の敵に大型ビームランチャー。
さらについでにビームライフル。
とどめに輝く掌、シャイニングフィンガー。
防御用には、シールドの他にビームシールドも装備している。
遠距離から近距離まで、オールレンジに死角のないパーフェクトな万能機である。
だがちょっと待て。
そんなにたんまりと搭載して本当にいいのか?
たとえば、デスティニーガンダムの原型となったのはインパルスガンダムである。
インパルスガンダムはオールレンジをはなから捨てて、用途に応じて武装を換装するシルエットシステムを採用している。
機動戦仕様のフォースシルエット。(推進力強化)
接近戦仕様のソードシルエット。(でかい剣装備)
砲撃戦仕様のブラストシシルエット。(火砲満載)
換装そのものについては異論もあるだろうができるだけ死荷重を減らそうとしたインパルスの手法は誉めてもよかろう。実際に、TVシリーズでもよく活躍していたし。
じゃあなんでデスティニーはこんなになったかというと、Wikipediaでは設計思想についてこのような記載がある。
この機体の原型はインパルスに新型シルエット「デスティニーシルエット」を装備した「デスティニーインパルス」だが、かつてない重武装と高出力なシステムにインパルスの機体構造が耐えられないことが判明。このハイスペックを維持するために十分な機体強度を持つ新規の非変形型機体フレームと最新型の動力機関「ハイパーデュートリオン」を採用した。
謎はすべて解けた!
どうもザフトの設計や軍政を担当する人は単機で戦場を支配する、フリーダムやジャスティスの再来を狙ったっぽい。
だからとにかく積めるだけ武装を積み、その上でその武装を使うための素体となるデスティニーを作り上げたのだ。インパルスではそれに耐えられないから、強度を上げ、主機の出力を上げて。
これではデスティニーガンダムが敗北に終わったのも当然と言えよう。使っている技術がいくら進歩していようが所詮は二番煎じがロボットアニメで活躍できるわけがないのだ。
デスティニーガンダムが最終回で活躍するためには、本来は逆の発想が必要だったのだ。
フリーダムやジャスティスのようなモビルスーツを設計するのではなく、フリーダムやジャスティスを倒すためのモビルスーツ――モビルスーツ殺しのモビルスーツを。
非変型型機体フレームと最新型の動力機関を生かし、「肉を切らせて骨を断つ」一撃必殺のモビルスーツ。となると、インパルスで言うところのフォースシルエットを進化させた、重装甲で機動性が高く格闘戦に秀でたモビルスーツとなるだろうか。
敵にいくら撃たれようが斬られようが致命傷にはならず、顔と顔を触れ合わさんばかりに肉薄して敵の動きを止め、その拳の連打で装甲の外から衝撃で内部のシステムとパイロットを粉砕するガンダム。
「これでどうだっ!――な、まだ、まだ動くのかっ?!」
「へっ、もう終わりかい?」
「なぜだシン! なぜこうまでして戦うっ!」
「そんな事知るかよ。議長の目指すプランも、ラクス・クラインの目指す未来もオレにはどうだっていい。オレはただ――あんたを倒したいだけだっ!!」
「くっ、理想も何も解さないこの狂犬がっ!」
「そうさ。オレはただの狂犬でこの機体は運命――あんたの滅びの運命だよっ! おらおらおらおらおらぁぁっ!!」
それこそが、ありうべき『運命(デスティニー)』の姿ではなかったか。
私としてはそのように考えるのである。
■本日の読書:『ワールドタンクミュージアム図鑑』モリナガ・ヨウ
ミュージアム図鑑とゆータイトルがアレだが、これは『ワールドタンクミュージアム』という食玩にくっついていた1枚の戦車解説のイラストをまとめたものである。
そしてまた、これが実に良い本なのだ。戦車好きならば読んで損はない。
何せこの情報化時代の世の中。戦車のスペックについての本はいくらでも手に入る。
だが『戦車を見て、触って、乗ってみた感覚』というのが分かる本というのは意外と少ない。
モリナガ・ヨウさんのイラストは、そういう『皮膚感覚』の部分がたいへん優れている。
たとえば、P31にある軽駆逐戦車ヘッツァーのイラストをみてみよう。
2台のヘッツァーが並び、1台が射撃。砲口の先で煙がもうもう。もう1台が「はずしたっ!」と叫んでいる。
そして解説文には、こう書いてある。
『一発撃つと土けむりで何も見えなくなる。僚車を近くに置くのがルール。砲口は地面から1.4mの高さなのである』
――そりゃそうだっ!
恥ずかしながら、私はヘッツァーの低い車高については利点しか見えていなかった。低ければ発見されにくいし、敵の弾も当たりにくい。いいことばかりではないかということである。
だがそうではないのだ。実際に乗ってみれば狭いのはたいへんだし、見通しも悪い。土煙だってでるだろう。
ちなみにここで重要なのは、ヘッツァーが一発撃つと土煙がぶわーっと上がったのが事実かどうかということではない。(そのへんは地面の状態にもよるはずだ)
そういう、ヘッツァーの搭乗員的な視点がこのイラストから感じ取れる事が重要なのだ。
もっともらしさ、とでも言おうか。私はよく、納得力という表現を使う。
そして、そのモリナガ・ヨウさんのイラストはすべからくこの納得力にあふれているのだ。T−34/76の搭乗員が内部でばたばたしている図(P47)とか、SU−122の搭乗員5人が突撃砲の上に立っていて、一枚しかないハッチからよっこいせと入っていっている図(P111)とか。
スペックからはなかなか見えてこない、『そこに戦車がある感じ』が、ひしひしと感じられるのである。
■本日の読書:『ゲームジャーナル16号』
「帝国陸軍最後の栄光」ということで、ビルマ防衛戦と硫黄島の戦いがテーマ。付録ゲームもこのふたつ。
負け戦好きの私としてはぜひ日本軍でプレイしてみたいものである。硫黄島がいいかなー、なんか日本軍だけこっそり別マップに配置できるのが、『宇宙の戦士』のアレクニド側みたいでいい感じである。(「そこ核地雷」「ぎゃーっ」)
ところでこの雑誌には、同人時代からずっと毎号『B級SFゲーム分科会』といういしだたかしさんの記事がのっているのだが、今号は『Battle Fleet Mars』である。
SPIというだけでおおむね想像がつくだろうが、実際中身はどんなもんかというとこれがすごい。
とにかく、天体の動きと物理法則をできるだけ忠実に再現したシステムになっているので、太陽系マップには、惑星の軌道がまず円で描かれている。
その円には刻みが入っていて、「このターンは金星はここ、地球はここ、火星はここ」という具合に、惑星が移動する。もちろん内側の惑星は高速で一周するし、外側の惑星はのんびりである。
だから宇宙艦隊を出撃させる場合には、「到着予定日時の、その惑星の位置」へ向けて発進することになるし、一度動かすとそうそう軌道や目標を変更できない。もちろん計算を失敗するとあさっての方角に飛んでいってしまう。
なんでそんな愉快なことになっているか、今のドイツゲームなどを遊んでいる人にはちとわかりにくいだろう。だが、このゲームが出ていた1970年代とか80年代のシミュレーションゲームというのは、そういうモノだったのだ。記事にもこうある。
「むしろ当時はこうしたハードウェア的シミュレーションを軸としたゲームデザインが普通でした。ゲーマー側も物理現象がきちんと再現されていないと文句を付けていた時代だったようにも思います」
たぶんこういう時代はもう二度と来ないだろうなぁ。いや、その方がいいのだが。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 銃と火薬』
2005年、アメリカはハリケーン「カトリーナ」によって大きな被害を受けた。
日本でも、米軍占領下では、台風にこんな感じの女性名がつけられたものである。
そういうわけなので、この号についている「映画のなかの世界史90」で、『キャサリン大帝』という名前が出たときにはいったいどこの台風だと思ったものだ。
そもそも、キャサリン大帝って実在の女性か?
それが実在するのである。ただし、一般的にはキャサリンという名前ではなく、『エカテリーナ』という名前で知られているが。
そう、ロシアの啓蒙専制君主、エカテリーナ(エカチェリーナ)女帝である。
この映画ではエカテリーナ女帝が、イギリスの軍人とアメリカ独立戦争におけるバンカー・ヒルの戦いをミニチュア・ウォーゲームで指揮するという場面がある。
ボストン郊外の丘の上(実はバンカー・ヒルではなくブリーズ・ヒル)に陣取って気勢を上げるアメリカ独立派民兵軍。武装解除を求めるイギリス軍に対し、かなわぬまでも一矢報いてやろうと鳥打ち銃などを手に立てこもっている。
対するイギリス正規軍の赤い制服が整然と丘の上へと登っていく。
ど〜ん。どど〜ん。
突然、丘の上で大砲が鳴り響き、イギリス正規軍の隊列を吹き飛ばす!
混乱したイギリス軍に民兵達が突撃をかけ、かくしてバンカー・ヒルの戦いはアメリカ独立派民兵の勝利に終わった!
「……女帝」
「なんでしょうか?」
「アメリカ独立派民兵は、大砲を持ってなかったのですが」
「私は持っています」
悪いプレーヤーの見本ですかあなたはっ?! さすが専制君主っ!
■本日の読書:『絶対可憐チルドレン 1&2』椎名高志
やったーっ!
ついに待ち望んでいたものが来ましたよーっ!!
内容については、蝶ブラボーの一言。(察しろ)
超能力者は全世界的に増え続け、超能力を制するものが世界を制すというパラレルワールド。(ああっ、なんか『ロード・レオン』っ?!)
日本に3人しかいない、レベル7(『あらゆる物が破壊され、物が飛ぶ』元ネタは地震の震度階。改正メルカル?)の10才の少女達の活躍と、それを監督する青年のどたばたSF漫画である。
超能力というと迫害ネタが付き物である。
常人よりも優れた能力を持つ超人、進化人、ミュータント、コーディネイター、まあ呼び名はどうあれそういう人々に対して妬みやそねみを感じるのはこれはまあ、人間としては普通のことである。
本書でも、『普通の人々』という名前の超能力者排斥のテロリストが敵手として登場し、『未来は踊る』のエピソードでは、数年後に超能力者とそうでない人々との間で戦争が起こり、世界が破滅するという未来予知がなされている。
その未来の場面では、主人公の皆本が、成長してテロリストとなったチルドレンのひとり薫を射殺してしまう。
未来は変えられるのか?
そもそも、いったいどんな出来事があって少女達と皆本は道を違えてしまうのか?
なんとなくこー、3人のチルドレンの中では、サイコメトラー(接触感応力者……いかん、接触官能力者と入力してしまうところだった)の紫穂が鍵を握っていそうな気がする。
触れた相手や物から情報を引き出す彼女は、自分でも言うように他人に一番嫌われやすい。隠している心を読まれるのは人間にとって最大の屈辱だ。
「私も――
たいていの人が、(私が)手を触れると
すごく嫌がるわよ」
「でも……
私には、ひとり、そうじゃない人がいるの」
そういうわけなので、3人の中では一番オトナな紫穂が、この中では一番危ないのである。彼女がダークサイドに堕ちると暗黒の未来予知へ一直線である。
そしてそれは、負の感情からだけではなく、ちょっとした恋心からも堕ちてしまう危険性をはらんでいるのだ。
■本日の読書:『石油技術者たちの太平洋戦争』石井正紀
『石油の一滴は血の一滴』
この言葉は、なんとなく第二次世界大戦で日本人が言いそうなセリフであるが、実はその前。第一次世界大戦があった1917年12月、当時のフランス首相クレマンソーによる、軍のガソリン備蓄量が3日分を残すのみとなったのをとらえての発言である。
当時の主要燃料はいまだ石炭であったが、最新鋭兵器である飛行機や車は石油から精製したガソリンで動いていた。石油が戦争遂行に大きな影響を及ぼすようになったのは第一次世界大戦からすでにそうであったのだ。
その石油が、1940年8月の対日禁輸によって入って来なくなった。当時、日本の石油輸入はアメリカに大きく依存しており、日本軍の南部仏印進駐によってそれまで段階的に経済制裁を加えてきたアメリカがついに本気で日本を屈服させるべく切り札をきってきたのだ。
後の視点からすれば、イギリスやフランスを支援するアメリカがこのような対応を取るのは分かり切っていたのであるが、どうも日本人はこういう点で楽観的というか想像力に乏しいというか。
東條内閣の戦争経済にも深く関与してきた企画院総裁の鈴木貞一は石油の全面禁輸に対してこのように言っている。
「アメリカはじつにひどいことをやってきた。戦争で人を殺すのも、メシ(石油)をあたえないで殺すのも、結果としては同じじゃないか」
まことにその通りではあるのだが、その前に我が身を省みろと。
かくして日本は、南方の資源、なかんずく石油を求めて日中戦争の泥沼に足を突っ込んだまま太平洋戦争に突入するのである。
この本では、石油を確保するために南方に送られた7000人の石油技術者の足取りを追い、彼らがどのように悪戦苦闘して石油を日本に届けようとしたかが書かれてある。
本書でも書かれているように、石油技術者はたいへんがんばって占領地の油田や精製施設を修復し、運営して石油を掘り出している。
昭和17年(1942年)には167万リットル。翌18年(1943年)には230万キロリットルの原油が日本に送られている。
だが、本当の問題は石油技術者の努力とはまったく無関係なところにあった。
タンカーである。
開戦時総トン数58万トンのタンカーを保有していた日本であるが、1943年までに40万トン、44年には累計75万トンものタンカーが失われている。事実上、日本の油槽船団は壊滅したと言っていい。
とにかくこのタンカー不足は戦略から戦術にいたるまであらゆる点で日本の戦争遂行能力を縛ってきた。
燃料が不足したため、海軍の艦艇は速度にも、航続距離にも、作戦期間にも厳しい制約を受けた。そのために戦術を駆使する余地がなくなり、作戦は硬直化し、個々の戦いにおいても劣勢を強いられた。また、ガソリン不足のために航空機パイロットの育成にも事欠き、練度も低下、また質の悪い油を利用するために機体の損耗も上昇した。
太平洋戦争において、序盤にあれだけ活躍した日本海軍が後半になってそれこそ一方的にアメリカ海軍にボロ負けするようになったのは、アメリカのレーダーやVT信管といった技術だけでも、生産力による数の差だけでもない。
石油が不足していたために、最善を尽くすことができなかったのだ。その無念たるやいかほどであったかと思うとまことに口惜しい。が、まあ、甘い見通しで全面戦争に突入したツケといえばツケではあるのだ。
こうして戦争末期の昭和20年(1945年)になると日本政府は「南方の石油が届くなどという甘い見通しは捨てよう」などという戦略方針をたて(それはそれで間違っていない)、南方では運び出すこともできないままタンクに満杯になっていく石油を、しょうがないから現地で燃やしていたわけである。
しかし、だからといって「国内の油井を増やして」などと言い始めてはもはやなんのためにはじめた戦争なのやらとなる。しかも、石油技術者の多くは南方に送り、作井機などの資材も南方に置いたままである。もちろん、それらを本国に持ち帰ることができるぐらいなら最初から苦労はしていない。
日本ではたいていそうであるが、現場の人間はなんとかがんばろうとするものである。
しかし、現場がどれだけがんばったところで、その上のレベルでの方針が的はずれでは、その努力は無駄に終わる。
戦略指導がいかに重要か、本書に書かれた事例からでも分かろうというものだ。
昨今いろいろとかしましい平和教育や愛国教育なども大いにけっこうであるが、その前に本書からも読み取れる『冷たい方程式』について考える力を養うべきであろう。
■本日のアニメ:『灼眼のシャナ 第2話』
正直に申し上げまして、まるで期待しておりませんでしたが……ほれ、彬兄殿(その名前に光輝あれ)が誉めてたからちょっと好奇心で。
いや、マジでいいですぞこいつは。
冒頭で主人公の悠二はすでに存在を食われて死んで残り滓――トーチ――となっており、そこにヒロインのシャナが出現するという展開は変わらず。
が、原作ではすでに消えていてシャナが存在を借りるだけの『平井ゆかり』のオリジナルについて2話かけて描いてあるのがたいへん好印象。
存在を食われた『平井ゆかり』はしだいに誰にも認識されなくなり、希薄になり、忘れ去られる。彼女がどんな人間だったか、何を楽しみにして生きていたか、誰が好きだったか――それらすべてが失われてしまう。
そして、
彼女が好きだった夕日の景色を、
彼女と共にながめているうちに、
彼女は聞こえないつぶやきと共に消えた。
悠二というキャラを際だたせるのに、この場面は実に効果的であると思われる。
この少年、普段は茫洋としたつかみ所がないキャラなのだが、『他人のためにこそ、本気で怒る事ができる』まことに主人公らしい主人公なのである。この時の平井ゆかりのエピソードは彼が覚悟を完了し、やがて来る戦いに自ら身を投じるためのかっこうの起爆剤となるであろう。
なお、原作との比較のために1巻を読み直したところ、「なぜこの作品を読み続ける気になったのか」を思い出した。
悠二の見せた戦術眼に関する部分である。(p195〜196)
敵に対して待ちの姿勢に入ろうとするシャナを、悠二が止める。
「向こうに主導権を与えちゃ駄目だ」
「こっちが待つってのはつまり、相手に何か準備させたり、次に行動を起こすのを受け止めて動くってことだろ。それじゃ、罠の中に自分から飛び込むようなものだ」
「連中の企みのキモは分かってるんだ。だから、その邪魔をしてやればいい」
「貴様、まさか」
悠二の意図を察してアラストールは驚いた。
悠二は、うん、と頷いて続ける。
「もう、手段を選んでる余裕はなくなってると思う。待ってれば、こっちが不利になるだけだ。まだ無事な連中から、きっちり守っていかないと」
これだよこれ。
この、イニシアティブだけは死守するというのは、私が尊敬するゲーマー鹿内靖さんが『オペレーション・グレネード』という西部戦線末期のゲームの作戦研究でこう述べられている。
マップ上を見渡せば、ローエル河の両岸に強力なアメリカ軍と消耗しきったドイツ軍が対峙しているように見える。
――その通り。
アメリカ軍はすっかり攻撃準備が整っているように見える。
――その通り。
どこからでもローエル河を押し渡れるように見える。
――その通り。
以上のことから、アメリカ軍がイニシアティブを持っているように見える。
――まったくもってその通り。
だからこそアメリカ軍プレイヤーはイニシアティブを持っているものと思いこんでしまう。
そこに、つけいる余地が出てくる。
『灼眼のシャナ』の1巻における悠二のセリフも同じである。
パワーのぶつけ合いではなく、特殊能力の後出しジャンケンでもない。
読者と同じ視点で考える公平さが、やはり私にとっての魅力であったのだな、とつくづく思ったのである。
■本日の読書:『オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ ばら戦争〜装甲騎士の時代〜』テレンス・ワイズ/著 G.A.エイブルトン/彩色画
調べ物のついでに読んだので、備忘録代わりに幾つかメモ。
●1461年3月29日:タウトンの戦い
激しく降りしきる雪の中、戦闘開始。
ヨーク軍、300ヤード(約270m)の距離での遠矢。風に乗って命中。この時に使用したのは重い徹甲矢(風の影響を受けにくく狙いが正確)。
ランカスター軍、応射。むろん風は逆風であるからして、50ヤードも手前に落ちた。(ということは有効射程はさらに短いと思われる)このとき、ランカスター軍は軽量の矢まで撃ち尽くしたという。通常、軽量の矢は近距離でのみ使うとのこと。
●1475年のイギリス軍の陣立て
▼イギリス王室軍
指揮官……70人
重装甲兵……815人
射手……6,801人(そのうち宮廷射手――王室狙撃兵?――184人)
1部隊は重装甲兵11人+射手97人
▼貴族諸侯軍
指揮官……122人
重装甲兵……463人
射手……10,173人
1部隊は重装甲兵4人+射手83人
重装甲兵は騎乗して騎兵としても、あるいは下馬戦闘もこなした。
さすがに王室軍は重装甲兵の比率多し。役人が軍人であるのが当然な時代だからか。
だが、この中には戦列のバックボーンであるはずの槍兵が含まれていない。
この時代の射手(ロングボウ)は特殊の専門兵であり、良い射手に対しては王家も貴族も高い金を払って常時雇用していたようである。
よって、おそらく槍兵は戦争があるときの臨時雇い――傭兵か領地からの徴兵であったと考えられる。
●軍徴集の様子
▼書簡に見られる徴集兵。
17の村より、17人の射手と85人の兵士が徴集されている。
「各村から1人は射手を出せ」とお達しか仲間内の協定があったのではないか?
書簡には「リチャード・スライサースト、武具(鎧)と弓をもって国王に仕える」という記載あり。中には「武具あり、しかし着用不可」などというのもあって、おそらく親兄弟の武具を持っていくことになったが身体には合わないなどという事もあったようだ。
そして、武具なしについては「スタッフ(棒)が使える」とある。これらが槍兵として軍役についたと考えるのが妥当。
▼1483年にロンドンへ徴集されたウェールズや北部地方の軍勢の様子を記録したもの
「兜をかぶってない者はほとんどなく、弓矢を持たない者はひとりもいない」
「彼らは胸にも、ほかのどの部分にも金属の鎧をつけていない。上級の兵士たちはその限りではなく、胸甲と甲冑ひとそろいを身につけている。実のところ一般兵のチュニックはそれよりもずっと着心地がよさそうだ。チュニック腰の下まであって、麻くずか何かの柔らかい詰め物がしてある。チュニックはしなやかであるほど矢や剣の衝撃に耐えるのだそうだ。おまけに鉄よりも夏場は軽く、冬場も重宝することだろう」
■本日の読書:『海東青 摂政王ドルゴン』井上祐美子
15才の少年は、父を失った。
そして実母が殉死“させられる”事を知る。
見上げれば満州の高き空を飛ぶ鷹、海東青。
少年は、力強き翼を欲した。
一代で満州族(女真族)の覇者となったヌルハチの19子、ドルゴンのそれからの一生を描いた作品。
井上祐美子さんらしく、乾いた感触でさくさくと読める作品。
この本の時代である17世紀の中国では、火器の存在が野戦においてもかなりのウェイトを占めるようになる。特に技術先進国である明では、弓兵に変わって銃兵が戦場の主役に躍り出るのだ。技術や工業力で劣る満州族は、それに対抗するために騎兵の重装甲化を進め、彼らは『鉄騎兵』と呼ばれた。ただし馬甲はない。機動力の問題だろうか? 馬がやられたらアウトではあるが、どうせ戦場には何頭も替えの馬を連れているのである。
だが、ヌルハチが戦傷(おそらくそれが原因で死亡)を負った1626年の寧遠城の戦いでは、西洋式の大砲(紅夷砲)の火力支援を受けた堅城に手酷く敗北を喫している。続く太祖ホンタイジは自軍の火力装備率を上昇させていく。
思えば騎馬民族=騎兵が大国を制する最後の時代であったと言えるかも知れない。
■本日の読書:『秘太刀馬の骨』藤沢周平
こないだNHKのTVドラマにもなったというので。
かつて、暴れ馬に襲われた藩主を助けるためにひとりの剣客が編み出した一太刀にて相手を屠る剛剣“馬の骨”。
スターレジェンド的特技としてはクリスタルシンガーあたりで、ダメージ判定において、実ダメージを5D10増やす――ただし、これで対象のhpが0にならなかったら、増えた分は帳消し(技が決まらなかった)というトドメ技専用特技ということでどうかしらん。
その“馬の骨”を家老の派閥に連なる半十郎と、家老の甥で“馬の骨”に並々ならぬ関心を持つ銀次郎が探っていくという連作短編である。
“馬の骨”を編み出した剣客、矢野惣蔵の矢野道場はその後、2代にわたって継がれてきた。不世出の剣客であった先代に“馬の骨”が伝わったのは間違いないが、その先代は十年前に死亡。
“馬の骨”は幻の剣として消えたかと思われていた。
だが、七年前。汚職の疑いをもたれていた時の家老が惨殺され、その死体を検分したひとりが「ほう、“馬の骨”か」と呟いたという。
“馬の骨”はやはり誰かに伝授されていたのだ。半十郎と銀次郎は矢野道場を探る。若い剣客で憑かれたかのように“馬の骨”を探る銀次郎は先代の時分に矢野道場の高弟として知られた男達に試合を挑み、立ち合いから“馬の骨”を探ろうとする。
だが、他流試合を禁じている矢野道場はおいそれと試合に応じない。そこで銀次郎は相手を調べて弱みを探り、それを暴露されたくなければ試合をしろと脅す。あまりといえばあまりのやり口に苦々しさを隠せない半十郎であるが、こうなったからには、最悪の事態を防ぐためのブレーキ役として己がいるのだと考えてそれに付き合う。
ひとり、そして次のひとり、と試合を続けていくが“馬の骨”の正体は見えてこない。
ひょっとして、何か大きな見落としがあるのではないか? そう考えはじめた時、藩政に大きな動きが発生する。狂犬のように暴れまくった銀次郎も去った後、半十郎はただひとり、最後まで“馬の骨”を追い続ける。
果たして“馬の骨”の正体は? そして、その使い手はどこに?
ミステリ仕立てで、なかなか興味深い剣豪小説。藤沢さんらしく、暖かい視点も健在。
■本日のアニメ:『魔法少女リリカルなのは』……をスターレジェンドにしてみる
我が大恩ある彬兄殿――その名を万民こぞって頌徳せよ――が、前々からさんざっぱら「魔法少女リリカルなのはをスターレジェンドでやりましょう」とわめきやがる言うのでシナリオのあらすじを作成。
●シナリオタイトル:空からやってきたお友達なの
●PC1:魔法少女(エスパー)
キミはある日、不思議な友人と出会った。フェレットそっくりだが彼/彼女は実は宇宙人で、他の星から“ゲート”をくぐってやってきたらしい。
今キミは、彼/彼女(PC2)と共に、この星にある秘宝“ジュエル・シード”を探索している。
だが、そこにキミと同じ魔法の力(超能力)を持つ少女が現れた。少女の名前はフェイト。彼女も“ジュエル・シード”を捜しているらしい。
●PC2:探索者(アップリフトアニマル)
キミは知性化動物(アルジャーノン)の探検家だ。
惑星アタラクシアに開いたゲートをくぐってこの星にやってきたのはいいが、突然、衛星軌道上で攻撃を受けて船は大破。そのまま地上へと墜落してしまった。
そこでキミはひとりの少女/少年(PC1)に助けられる。どうやらこの惑星アタラクシアの住人は外の宇宙にも人々が住んでいる事を忘れてしまっているらしい。そしてどうやら自分はこの星の人間にとってはただのペットに見えるようなのだ。
しかたなくキミは友人となった少女/少年(PC1)の助けを借りてこの星の調査を開始した。どうやらキミが撃墜されたのは“ジュエル・シード”という秘宝と関係があるようなのだが。
●PC3:ゲート公団監察官(コンポーザー)
キミはゲート公団の監察官だ。惑星アタラクシアには、10年前に一度だけゲートが開いた事があり、公団の調査船が送り込まれている。
今回、再び開いたゲートを通ってキミは前回の調査船の消息と、その乗員であるプレシアの行方を捜すことになった。プレシアは“ジュエル・シード”と呼ばれる遺失技術を追っていたらしいのだが。
●PC4:魔法少女の兄or姉(クリスタルシンガー)
キミはPC1の兄or姉だ。キミは一族に代々伝わる剣術――というよりは複合戦闘術――の修行をしている。
ある晩、近くの神社がる森で修行をしていたキミは謎の怪物に襲撃される。そのキミを助けてくれた魔法少女は、実はキミの妹/弟(PC1)だった。
●舞台:『望郷惑星』アタラクシア
未知宙域にある惑星。大歪曲によって文明がことごとく失われ、まったくのゼロから再出発したため人々は自分達がこの星で進化し、誕生たのだと考えている。
文明レベルは、20世紀末〜21世紀初頭の地球とほぼ同じ。ぶっちゃけ現代日本。
だが、シナリオ開始時点から10年前に一度だけ、偶然にもゲートが開いた事がある。
●敵:プレシア・テスタロッサ(ヴィークル戦闘は「時の庭園」)
10年前に偶然開いたゲートを通ってこの星にやってきたゲート公団監察官のプレシア・テスタロッサを乗っ取った抹殺者(リムーバー)。
この星にある遺失技術の産物“ジュエル・シード”を狙っている。
●ヒロイン:フェイト・テスタロッサ
プレシア・テスタロッサによって生み出されたエスパー。母であるプレシアの命令に従って“ジュエル・シード”を回収している。
●オープニング:
▼PC4+PC1&PC2
突然、森の中で怪物の襲撃を受ける。そこへ、PC1&PC2がやってきてPC4を助ける。怪物は“ジュエル・シード”の影響で誕生。
▼PC1&PC2
怪物を倒し、空高く舞い上がっていく“ジュエル・シード”を追ったふたりは、そこでもうひとりの魔法少女フェイトと出会う。フェイトは“ジュエル・シード”を奪って退場。
▼PC3+PC1&PC2
そこへPC3が登場。事情を確認しようとするが、衛星軌道上からの攻撃を受けてPC3の宇宙船は大破し墜落する。この攻撃はどうやら、プレシアによるものらしいと分かる。
●ミドル:
▼怪物の襲撃
全員登場。町を巨大な怪物が襲撃する。“ジュエル・シード”の影響によるものだ。PCは協力して怪物を倒し、さらにやってきたフェイトを撃退して“ジュエル・シード”を手に入れる。
▼情報収集
“ジュエル・シード”
遺失技術の産物でほぼ無尽蔵のエネルギーを保有している。安全な回収(不活性化)にはエスパーが必要。あれだ、『虎よ、虎よ』のパイアみたいなものだと思いたまえ。
“プレシア”
プレシアは“ジュエル・シード”を集めて爆破させ、時空震(大歪曲のちっちゃいもの)を起こして時空に穴を開けようとしている。目的は他の抹殺者を呼び寄せるため。
“フェイト”
フェイトはプレシアが自分では回収できない“ジュエル・シード”を集めるための道具として育ててきた魔法少女。
▼フェイトとの戦い
“ジュエル・シード”をめぐって、PCとフェイトとの戦いが行われる。結果は引き分けに終わるが、フェイトに埋め込んだ洗脳装置で強制介入したプレシアによって、“ジュエル・シード”はすべて奪い去られる。
●クライマックス:
▼ヴィークル戦闘
軌道上にあるプレシアの宇宙要塞「時の庭園」(コア部分はゲート公団の調査船で、それに要塞をくっつけた)との戦い。
PCが勝利すると、プレシアは手持ちの“ジュエル・シード”を使って時空震を起こそうとする。ここでもう一度フェイトの力を引き出そうとする。
▼プレシアとの戦闘
「時の要塞」に乗り込んで、プレシアを倒し、フェイトを助けて“ジュエル・シード”を回収する。
●エンディング
▼名前を呼んで
すべての“ジュエル・シード”が不活性になると惑星アタラクシアのゲートが不定期だが開くようになる。これから惑星アタラクシアに新たな時代が訪れるのだ。
フェイトはひとまずゲート公団によって保護され、アルファ星域に行くことになる。ひとまずのお別れ。
「どうすれば友達になれるのか分からないんだ」というフェイトに、PC1がかけた言葉は……
※11/1追記
これを読んだ彬兄殿は、このままでは「フェイトが悪の手下AとしてPCにぶち殺されるのでは?」との懸念を抱いた。
それももっともである。
ミドルフェイズに1シーン追加して、PC1とフェイトが町で出会ってそこで身の上が分かるとかそういう心の交流シーンを挿入した方がいいだろう。
■本日の読書:『朝日百科世界の歴史 庭園と音楽』
ロンドン王立協会(The Royal Society of London for ImprovingNatural Knowledge)というと、伝統と格式を感じる科学の殿堂である。その設立は1660年で、72年にはあのアイザック・ニュートンが会員となっている。
だがその一方で、実は初期メンバーの中には今で言うと動物磁気や永久機関などの「とんでも」な科学に手を出してもいる者も多い。だからスウィフトの『ガリバー旅行記』におけるラピュタの科学者のサロンは、この王立協会を皮肉ったものだとも言われている。
しかし科学という果実を、公開実験などを通してお茶の間に届けたのもやはり王立協会の成果である。こういうのは少々下品で猥雑な方が良いのだ。
また18世紀は西洋音楽もまた大輪の花を咲かせた時代でもある。大バッハの死がバロック音楽の幕引きを行い、その息子達がウィーン古典派を準備し、世紀末からハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらが相次いで登場する。
その背景には、やはりオルガンなどの楽器の進化も見逃せない。ゴシック様式の巨大な大聖堂という空間を音で満たそうというパワフルなオルガンは、18世紀を代表する楽器である。
弦楽器に目を転じても、15世紀以来、一世を風靡したヴィオラ族弦楽器群はついにこの時代になって新興のヴァイオリン族にその主流の座を奪われる。わけても北イタリア、クレモナのヴァイオリン製造者アマーティー一族の門下であるアントニオ・ストラディヴァリは今なおその名前を轟かせる天才楽器製造者である。その人気のほどは、彼の90余年の生涯に作られたおよそ600個の楽器がいかに引く手あまたであるかからも分かるだろう。
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この日記は簡単ホームページ日記で作成されました。