12月01日

 虚淵玄さんという方がいる。
 18才未満禁止ゲーム。いわゆる『エロゲー』と呼ばれるジャンルにおけるシナリオライターであるが、緻密なプロットの組み立てや、ロジカルなストーリー展開、そして何より『燃える演出』において、強烈な個性を放っておられる。

 とりあえず、18才になったらプレイして損はない。

 ……あー、ちなみにエロの方はあまり期待してはいかん。これがエロというのならSEXが入っているドラマは全部エロということになる。その程度のものだ。

 で、この虚淵さんであるが、燃えはあっても萌えはない』人で、ぶっちゃけた話、作品の出来の割にはキャラ人気というものがでない。
 それが露骨に現れるのが、二次創作物、すなわち同人誌の数であろう。『月姫』など、全部そろえようとしたらきっと蔵が埋まるだろうが、作品の完成度では間違いなく『月姫』を上回るであろう『ファントム』の同人誌になると、おそらくそろえてもたかが知れている。本棚の棚一つを占拠できるかどうか。

 だもので、今月末に発売になるという『沙耶の歌』(やはり18禁)では、本人曰く、昨今の市場にかんがみ、

 ・銃禁止
 ・アクション禁止
 ・漢(おとこ)祭り禁止

 などの『縛り』を入れたのだ、そうだ。

 で、その作品の販促用のデモムービーがインターネットで公開になったのでダウンロードしてみたりする。

 ……
 ……………
 ……………………

 まあ、なんですな。
 最後にちゃんと、書いてありますな。

『燃えません!      凍えます。

 ……虚淵さん、あんた男だよ。

12月02日

 昨日より続く。
 虚淵玄さんという人が、『その筋』では著名であるというのは前から知っていたが、実際にその作品をプレイしてみたのは今年になってからである。

 そのプレイ1本目が、『吸血殲鬼ヴェドゴニア』である。

 これが、実にオーソドックスな作りのホラー・アクションなのである。

 物語は、ごく普通の高校生……ああ、そうか。『学生』でないといかんのか。いろいろとこの業界も大変じゃのう。
 その学生である少年が、ある時、吸血鬼に血を吸われてしまうのである。
 吸血鬼(ヴァンパイア)に血を吸われた者は、やはりヴァンパイアになるのだが、彼はその一歩手前の状態、ヴェドゴニアとなる。
 そして彼は、元の身体に戻るために二人組の吸血鬼ハンターと協力して自分の血を吸ったロード・ヴァンパイアを滅ぼすために血と硝煙の世界へと足を踏み入れるのであるが、という話である。

 問題は、だ。
 この作品、虚淵さんがシナリオを書いているだけあって、その方面では何の問題もないのであるが。

 敵と戦う時にはマジで『アクション』が必要なのである。すなわち、すばやいマウス操作が。こういうのを楽々こなす人もいるのだろうが、私は自慢ではないが大昔に『イース』というアクションRPGでいきなり犬に食い殺された経験を持つぐらいアクションという物が苦手である。
 おかげで、ザコ敵と一戦するのにもひぃひぃいう始末。どこがロード・ヴァンパイアの眷属なんだか。

 一週間ほど悪戦苦闘した後で、しかたがないのでインターネット上から、クリアした人のsaveデータをいただいて、戦闘だけスキップさせていただく事にした。

 それはそれで今度はなんとなく寂しい気もしたが、まあそれはよし。

 吸血鬼のアクションというと、『吸血鬼ハンターD』のようなかなりでたらめな物を想像する人もいるだろうが、これが実に地に足がついたというか、現実はそのままにしてそこにデコレーションをのっけたというか、そういう出来になっている。
 主人公は吸血鬼でないと扱えないような、とてつもない化け物バイク(戦利品)に乗って暴れ回る箇所がいくつかあるのであるが、やはりなんぼムチャな改造がしてあってもそこはバイク。

 敵が戦闘装甲車を持ち出すと逃げ回るしかないのである。

 で、ヒロインごとにエンドがあるのであるが、むろん、ロード・ヴァンパイア(外見は少女)と一緒になって人をやめ、ヴァンパイアとなるというエンドもある。
 これはこれでなんともしんみりとしたエンディングでよろしい。

 が、私が一番好きなのは幼なじみの女の子と結ばれて、人間として普通の生活に戻るというエンドである。この場合、最後の敵となるのは元ロック歌手のヴァンパイアなのだが、こいつがなかなか泣かせる。曲を作り歌う事が生きる全てであった彼は、より刺激を求めてヴァンパイアへの道を歩んだのだが。
 そうだ。

 永遠の命と引き替えに彼が失った物は――

 事件が進展するにつれて幼なじみの女の子も危険にさらされるし、吸血鬼と戦う事もある。むろん、ただの人が吸血鬼に勝てるわけがない。が、その決して諦めないまっすぐな視線は、吸血鬼には決して手に入らない物なのだ。
 そして事件が終わった後で、分かれる時に吸血鬼ハンターの女の子が主人公に手向ける言葉が、また、イイのだ。
 ぐっ、とくる。ぐっ、と。

12月03日

 虚淵談義、まだ続く。

 虚淵玄ゲームの中で、プレイした2作目が、『鬼哭街』である。
 いや、これはゲームといってはいかんだろう。何しろ、アクションもなければ分岐もない。とにかくやる事といったらクリックして文章を読むだけである。本当の意味で読み物でしかない。
 そんなもんに金だしていいのか。ハヤカワSF文庫でも4冊、一般の文庫なら6冊は買える4,400円が惜しくないのかと言われると、これはもう、ちっとも惜しくない人間だけ買えば良いのである。私は惜しくない。最近のハヤカワSF文庫、ロクなもんだしやがらないし。

         それはさておき
          閑話休題。

 今回は中華なサイバーアクションである。ヴェドゴニアにみられたまっとうなアクションは影をひそめ、『マトリックス』でもここまではやらんといういかがわしいアクションが満載である。

 主人公は中国のマフィア、青幇(ちんぱん)とかそういう物を想像してもらえばいいが、そういう幇の一員で、内家拳法を使う凶手(暗殺者)であった。
 だが、彼は兄弟子であり妹の夫である親友の裏切りにあい、瀕死の重傷を負う。そして妹は親友とその仲間4人にさんざん陵辱されたあげく、脳味噌の中身を全部吸い上げられて五分割され、5人のサイバネ愛玩人形「ガイノイド」に組み込まれる。

 そして主人公は、一年の時を経て復讐のために上海に戻ってくる。
 仇は5人。
 この5人を一人ずつ殺してゆき、その持つ「ガイノイド」の中に1/5されている妹の魂を1つずつ吸い出して妹を元に戻してやる。(むろん肉体はもうないので、やはり「ガイノイド」の肉体にはなるが)

 だが、なぜだ?
 なぜ俺と、そして妹(妻)を裏切った?
 なぜなんだ?

 復讐を続けていくうちにしだいに見えてくる事件の全容。
 だが、それはあまりにもむごい物だった。

 というわけで、私が言えるのはここまで。何しろ分岐も何もないストーリーだけ楽しむ作品だから、パッケージの裏にも『ネタばれ御法度!』と書いてある。
 よって後はプレイして確かめてみよう。

12月04日

 虚淵ゲーム話、最後は『ファントム』である。
 高校入学のお祝いに……ああ、はいはい、学校ね。
 学校入学のお祝いにアメリカに旅行に来た一人の少年は、一人の男が暗殺される現場を見てしまう。
 本来ならば、口封じのために一緒に殺されるはずのところを、少年は幸いにもある才能を見いだされて生かされる事になる。

 幸いにも?

 いや、幸いとはとても言えまい。
 少年は生かされる代わりにそれまでの自分に関する記憶を消去され、
 そして。
 見いだされた才能――人殺しの才能をひたすら鍛え上げられる事になるのだから。
 少年をトレーニングするのは、少年が見てしまった暗殺者の少女。コードネームは『ファントム』。そう、まぼろしや幽霊のごとく正体を知られることなく確実に暗殺を実行する組織最高のヒットマン。
 少女もまた、洗脳され、記憶を失われていた。少女は『アイン』。
 そして訓練される記憶を失われた少年は、

「あなたはツヴァイ。もう一人の私」

 ドラマとしてみた場合、子供を暗殺者として使うというのはかなり手垢がついている。
 たとえばこの秋にTVアニメにもなった『ガンスリンガー・ガール』などはその典型であろう。
 しかしファントムは構造的にうまくできている。
 まず1点は、視点が記憶を消された少年であるということ。記憶がないのだから余分な些事に影響を受けることなく遊ぶ事ができる。
 もう1点は、これが犯罪組織お抱えの暗殺者である事。いわば国家などの庇護がない上にやってるのは間違いなく悪事なので、たいへんスリリングな展開を楽しむ事ができる。
 さらに、自分の記憶を消した組織の幹部が、きっちり悪役として登場してくれる事。洗脳とかの技術からも想像できるように、旧ソ連の情報部で働いていた旧東ドイツ人で、ソ連の崩壊に伴い、アメリカで犯罪組織に身を投じたという、実にわかりやすい背景を持っている。

 むろん、最後にはこの悪党と白黒きっちり決着(かた)をつける事ができる。

 実を言うと、私はこのゲーム、『アイン』ルートのみ終わらせていて他のヒロインのルートは確認していない。その上、HDDがふっとんだのでデータも何もかもない。もう一回インストールして遊んでもいいが、そこまでする事もあるまいと思っている。
 共に『ファントム』として過ごした少女と、少女の夢に浮かぶ地に行けただけで。

 なんかこう、いろいろなもやもやがすっきりと晴れた気分になっちゃったのだ。

12月05日

 『メガトラベラー』の『反乱軍ソースブック(Rebellion Source Book)』を読みながら、GDWが行ったもっとも偉大な功績はやはり、帝国を内乱状態にした事であったとつくづく思う。
 実を言うと、私はやがて帝国が瓦解するであろう事は、トラベラーの翻訳がHJから発売された当初から友人たちに自説として論じていた。
 当時トラベラー・ニュース・サービスは第五次辺境戦争の記事がはなざかりであったが、帝国優位の形で戦争が終息しそうである事は容易に見てとれた。
 理由は簡単で、これがアメリカ人の想像する典型的な戦争をモチーフにしたGDWのイベントである事は明らかだったからだ。

 ・最初に奇襲攻撃を受ける帝国(プレイヤー側)。
 ・イニシアティブを取られた上、無能な提督が指揮をとるため苦戦する。
 ・やがて、有能な人物(ノリス公爵)が指揮権を取り、反撃に出る。
 ・奪われた領土の奪還。そして休戦。

 いかにもな筋書きである。

 だが、そのまま平和な時代になってはまずいのである。

 なぜ、GDWがスピンワードマーチ宙域という帝国の辺境を舞台にしたサポートを中心に行っているか。
 そして、その辺境での国境紛争、第五次辺境戦争を雑誌で半ばリアルタイムに記事にしてきたか。

 ようは、その方がいろいろと面白い冒険が出来そうだからである。
 だから銀河帝国は崩壊するべきだとGDWのマーク・ミラーやフランク・チャドウィックらのデザイナー陣は考えるだろうと私はそう踏んでいた。

 実際、『反乱軍ソースブック』を読めば分かるが、彼らはこれ以上ないというくらい見事に帝国を瓦解させた。皇帝暗殺、そして大貴族の反乱。内戦により疲弊する帝国海軍。それをみた周辺諸国の侵攻。巨大で強大な帝国は、その巨大さからくる通信と移動のタイムラグから同時多発的に発生した事態に対応できずに自らの重みで圧潰してしまったのである。

 で、だ。

 そこでやめときゃいいのにと私なぞは思うのであるが。

 GDWはさらなる秘策を練っていたのである。(この項、続く)

12月06日

 GDWはというか、おそらくチャドウィックの次なる手は帝国の滅亡であった。
 内乱とか崩壊とかではない。
 完全な、完膚無きまでの滅亡である。
 では1万の星と15兆の住人がいる大帝国をいかにして滅ぼすか?

 彼はそれをサイバーテロによって滅ぼしたのである。

 サイバーテロそれ自体は、当時としてもさほど凄いネタではなかった。
 元々トラベラーというのは先鋭のSFネタを使うのではなく手堅いネタをきちんと調理して作ったRPGであるからサイバーテロという手法については私もとやかくは言わない。

 その結果、Traveller New Era(新時代)というなかなかぐっとくる設定のRPGが作られたのも確かであろう。

 でも、である。

 あの古き良き帝国が、
 ローンを支払いながらA型自由貿易船で往来した宇宙が、
 さまざまな思い出のあるあの懐かしい世界が、

 もうないのだ、と知った時の寂しさといったらなかったのだ。

 むろん、トラベラーの主なサポート先であったスピンワードマーチ宙域はサイバーテロの惨禍をまぬがれた。そこは新時代においても変わらず旧来の冒険の舞台を提供してくれた。

 だが、そうではないのだ。それではダメなのだ。

 スピンワードマーチ宙域は、巨大な銀河帝国の銀河回転方向(スピンワード)――ああまったく、この言葉のイメージといったら!――のフロンティアであったからこそ意味があったのだ。
 プレイヤーの視点が辺境にあるからこそ、スペースオペラの、あの頭のてっぺんから、ぶわあぁっ、と広がるようなめくるめく開放感を味わう事ができたのである。いや、とにかく他人はどうか知らないが私はそうだ。

 『銀河乞食軍団』が辺境の星、『星涯(ほしのはて)』を舞台にしているのも。
 『銀河辺境シリーズ』が文字通り『銀河辺境(リム)』と名付けられているのも。
 『不定期エスパー』の主人公が仕えるのがさほど重要ではない星の新興の『エレスコブ家』というファミリーであるのも。

 つまりは、そういう事なのだと私は理解している。

 それをゼロクリアしてしまったGDWの決断力には正直感服しているが、どうにも間違っていたんじゃなかろうかという気がしてならない。

 ちなみに、GURPS:Travellerでは正史(?)で皇帝を暗殺するはずの男が、宇宙船事故(?)で死亡している。

 では私ならどうしたか。それを次に語ろう。

12月07日

 トラベラーについて語り始めるとガンダムの次ぐらいに長いのだ。

 銀河帝国を内乱により荒廃させたのは、GDWの英断であったと私は思っている。
 ここまではよし。私としては不満はない。
 さて、その次だ。

 私ならばどうするか?
 むろん、滅ぼすのは論外である。
 私ならここで一大キャンペーンシナリオ集を出す。
 キャンペーンの冒頭は、PCから全てを奪い尽くすところから始める。

 帝国にいまだ忠誠を誓う貴族のPCは、ルカン皇帝によって貴族の地位を剥奪され、領土と財産は没収され、さらには濡れ衣をきせられて命までねらわれる。忠実な部下が己の身を呈してかばってくれ、PCは身一つで帝都を脱出する。

 中堅運輸会社の社長である資産家のPCは、テュケラ運輸かヴィラニ帝国の罠にはまって莫大な負債を抱える。これを返すためには危険であっても持ち船のすべてを投入して戦闘宙域にむけて輸送船団を送り込むしかない。陣頭指揮に立ったPCはこれもまた罠である事を知る。輸送船団は待ちかまえていた艦隊のど真ん中にジャンプアウトして拿捕され、PCは破産する。

 艦隊指揮官であるPCは、敵軍と内通したかも知れない惑星への無差別爆撃を命じられる。それを何とかして回避しようとしたPCは、信頼していた副官に裏切られて指揮権を剥奪され、爆撃目標の惑星に一人取り残される。そして惑星に核ミサイルが降り注ぎ、熱線と放射能によって住人は皆殺しにあう。PCもまた瀕死の重傷を負い、サイボーグとして蘇る。

 などなど。
 名誉も、財産も、理想も、尊厳も、故郷も、家族も、愛する人も、何もかもとりあえずまず奪う。
 奪われる悔しさを味わってもらうために、最初のシナリオでは財産や地位による優越感をたっぷりと味わえるシチュエーションを用意しておくと良いだろう。

 そして、文字通り身一つとなったPCを、内乱により荒れ果てた星へと集める。かつては豊かだったその星は、内乱で幾つもの勢力がその資源を求めて争った結果、ぼろぼろになり、人々の心は荒廃し産業は壊滅しどこからも見捨てられて朽ち果てていっているのだ。

 キャンペーンの目的は、その星を復興させ、周囲の星と連携して独立した小さな星間国家を築き上げる事である。最後のシナリオではむろん、キャンペーンの序盤でPCたちを罠にはめた連中が襲撃してくるのだがそれを撃退する。
 小さいが、新しい何かが、崩壊する帝国の中で誕生したのだ。

 で、時間を飛ばす。1世紀ぐらい飛ばす。ゲームシステムもこれを機会に一新しても良いだろう。

 1世紀後、帝国は再び統一されている。

 もちろん、その中核となったのはルカンやデュリナー達ではない。先のキャンペーンで誕生した小さな星間国家である。PCたちは帝国中興の祖なのである。なんならPCのリーダー格が帝国皇帝になったという設定にしてもいい。
 そんなムチャなと思うかも知れないが、そのための1世紀である。波瀾万丈の歴史絵巻がそこに繰り広げられ、幾度か危機を乗り切ってPCたちの国家がついには帝国全土を再統一する過程を仰々しく正史としてルールブックに記せばよろしい。
 キャンペーンにおけるPC達の苦労に、デザイナーはきっちりと報いるべきである。

 だが、安心は出来ない。帝国の国境線はノリス大公ががんばったデネブ領域をのぞいて後退しているし、かつての反乱軍残党が帝国内には残っているのだ……

 私なら、こんな感じで新たな冒険の舞台を用意する。

 あなたなら、どうするだろうか?

12月08日

 寒い一日であった。

12月09日

 友人が、動画もとれるHDD2G容量のカメラを持ち出して、あちこち画像を撮る。
 後で見ると、カメラの映像は意外ときれいで、前を歩く作務衣を着た親父が、のすのすと一目で分かる傍若無人な歩き方をしている。こいつはてんぱったやくざがそばにいても平気で前を横切るね。
 見えているのは後頭部。
 白い、頭。いや、髪の毛が白いのではない。毛がないのである。だから白い。密度の問題であろう。
 思えば親父も40すぎる頃からちっとずつ薄くなっていた。遺伝かどうかは知らないが、私の髪は薄い。だから邪魔にならないように月に1回散髪で坊主頭にしている。本当は剃り上げて脱毛というのもあるのだろうが手間をかけるのが面倒だ。

 12月だというのに、横川のシアトルズベストに行き寒風吹きすさぶ中、モカをすする。
 広島は太田川流域の狭い三角州だ。 △ の外はいきなり山である。だから四季のうつろいは山をながめても分かる。色づいた木々が多いが、枯れてはいない。びみょう。

 横川駅周辺の上空を警察のヘリがひょこひょこ飛ぶ。目的地があるわけではなく、何かいったりきたりしている。捜し物だろうか? だとするとかなり大事……のはずだが、地上は静かなものである。

「だいたい、世の中そうそう大事件にでくわすほど、今日のサイコロ運悪くないですよ」

 甘いな。今の時代、そういうイベントはサイコロではなくくじ引きみたいに押しつけられるのだ。

「今日のシナリオ、おれが犯人で逃走しないといけないんです〜」

 こうやって最初から役柄をうまく回すことができるのでハンドアウトは便利だ。
 逃げる男。空中から迫るヘリ。うなるローター、すさまじい風圧で、道路に固定されていないものがぶわぶわ吹き散らされる。姿勢を低くしないと動くこともままならない。

 さて話は変わるが。
 いや、この状態で話すのもたいへんなのだが、時は金なり。

 今から10年以上前の話だが。
 12月であるからして、太平洋戦争の開戦をRPGで記念しようではないかと、ばちあたりな企画を立ち上げたことがある。
 その頃出入りしていたサークルは、ウォーゲームのキャリア(carrier=保菌者)がまだまだ古強者として参加していたからな。
 パイロットとかやってもその他大勢でつまらないから、当時真珠湾軍港を探っていた密偵をプレイするのがよかろうということになり、なし崩し的にシステムはシャドウラン2ndと決まった。
 シナリオは、『真珠湾開戦前夜:真珠湾の目を潰せ』だったのだが。
 これがどういうものかというと……

12月10日

 それで、どういうシナリオを作ったかというと、これが『大魔王作戦』なシナリオなのである。
 『大魔王作戦』(ポール・アンダースン)に関してはこちらを参照して欲しい。

 1941年12月1日。
 御前会議において日本帝国はアメリカ、イギリスなどとの戦争を決意した。
 開戦劈頭におけるハワイ真珠湾攻撃をごり押しした山本五十六連合艦隊司令長官(本来、連合艦隊司令長官という職務は文字通り日本海軍の一部隊である連合艦隊という艦隊指揮官でしかなく、真珠湾奇襲攻撃のような戦争全般に関するような作戦は海軍軍令部なり大本営なりが定めるものである。越権行為といってもさしつかえあるまい)は、沈痛な表情で式鬼(暗号化)が運んできた情報を読み返していた。

『布哇真珠湾に、米海軍は百目巨人(アルゴス)を配備せり』

 アルゴスとはギリシア神話に出てくる、全身に目がある巨人である。むろん、アメリカ海軍が配備した百目巨人は神話そのままの巨人ではなく、警戒システムの一種である。
 これは電探(レーダー)とは異なり、感応魔術を使って目標を探知する物である。もしもこれに竹箒がセットされていれば――

 日本海軍の航空機の主力エンジンである竹箒は、出力は低いが持続性に富み、長い航続距離を誇る。

「たとえレーダーをごまかす事ができても百目巨人をごまかす事は出来ん」

 かつて駐在武官としてアメリカにいた事のある山本五十六にはかの国の魔法技術の高さがよく分かっていた。
 百目巨人をそのままにしておけば、虎の子の南雲機動部隊は奇襲攻撃をかけるどころか逆に返り討ちになりかねない。

「戦争が始まるまで不用意な行動は取りたくなかったのだが、な」

 彼はハワイへ式鬼を飛ばす事にした。
 暗号化も何もされていない普通の式鬼は、一見するとごく普通の商談に関する問い合わせである。
 だが、その届け先であるハワイにある商事会社は実は日本帝国の諜報機関が運営している会社で、そこには日本帝国きってのスパイ・マスターがいたのだ。

 というわけでPCは日本帝国の密偵やら、アメリカ人犯罪者やらになって、真珠湾上空に浮かぶ大飛行船『ヘカトンケイル』を撃墜するために働くというシナリオである。
 しかし、残念ながらプレイする機会を逸して現在に至る。
 そのうちどこかで遊ぶことにしよう。

12月11日

 だるい

12月12日

 えー、久々にアレをやります。

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史7 神話と伝説』

●混沌から秩序へ
 世界がどうやって生まれてきたかという哲学的な謎の答えを、むかしの人々は神話に求めた。
 アッカドの創世神話では、とりあえず原初の海があって、そこに最初の男女の神、ティアマトとアプスがおられた。やがて幾世代もの神が誕生して世界はやかましくなったのでティアマトとアプスは神々を一掃してしまおうとしたが返り討ちにあい、その死体から今の世界ができた。
 まあ、こうした原初にとりあえず海ありきは、日本神話なんかでもそうだが、世界的に多くみられる神話であるらしい。
 アメリカインディアンの、天から女が落ちてきたのでカメがうけとめて、「さあどうしたらいいだろう?」「陸地が必要だな」「じゃあ、海底から泥をとってこよう」で、ビーバー、ジャコウネズミ、アビなどつぎつぎチャレンジしたあげく、最後にヒキガエルが半死半生で口の中に泥を一すくい持ってきたので陸地を作る事ができたというのは愉快である。ビバ、ヒキガエル!

●神の子、始祖王の物語
 王様はなぜエライのか。
 現実問題として王様はエライのだが、それに思想的な理由付けが必要になってくると人間もだいぶ進化してきたのではないかと思う。
 でもって、お手軽なのが、「王様は神」あるいは「王様は神の子(子孫)」という事にしてしまう方法である。
 ロムルスなんかその典型であるが、基本パターンというのがあるらしい。
 ・奇跡的な誕生。
 ・その誕生によって害される(予言などがある)王が捨て子にするなどの迫害を行う。
 ・しかし、子供は自然や獣などに守られて害されない。
 ・そして辺境の地ですくすくと育ち、やがて復権をなす。
 洋の東西を問わぬようである。

●文化の始まり
 火。
 まさに文化、文明を象徴するものである。獣と人とを分けるのも火の使用であろう。
 で、その火を人間にもたらしたモノでメジャーどころといえば、やはりギリシア神話のプロメテウスであろう。こうした文化英雄(どういうネーミングだ)あるいはトリックスターが、火を人間にもたらしたという神話は多い。
 アフリカ・ウガンダの文化英雄トウレは他部族の鍛冶屋に弟子入りして火を盗んだりしている。
 他にも、穀物がどうやって人の手に入ったか。
 これで多いのが何かの死体から穀物が出てきたというもので、日本の神話でもスサノオがオオゲツヒメをぶち殺したら死体から五穀が生えてきたりしている。
 盗むというのも多く、やはりまた日本の話になるが、弘法大師が杖に隠して唐の国から麦の種子を持ち帰ったというのも、これはもう立派に神話の一つと言えるであろう。

●英雄たちの生涯
 神話における英雄が、なぜ英雄なのかというとやはり先に王様の話で持ってきたように神の子だから、というのが多い。
 でもって、
「神の子」
「捨て子」
「辺境での成長」
「武勲」
「劇的な死」
 の五要素でもって物語られる事が多い。
 ヘラクレス、ペルセウスなどのギリシア神話だけでなく。ゾロアスターもそうであるし、シグルズもそうである。意外や意外、キリストも(聖書の中では)似たような生涯を送っているし、日本では源義経などは、最初の「神の子」以外は皆あてはまる。
 そういう意味では、我々は神話のアーキテクチャというのを皆多かれ少なかれ持っており、現実の人間でもそのアーキテクチャに当てはめて英雄にしてしまうのであろう。
 なかなか興味深い事である。

12月13日

 マシンを新しくする。
 DVD−RAMを搭載し、バックアップの手間と時間を大幅に削減する。
 筐体も小型化して音も静かである。
 とはいっても、いろいろと環境を移行するだけで大騒ぎであるが。

12月14日

 RPGのサークルの例会に久しぶりにでる。
 今日はアルシャードのマスター回り持ちキャンペーンの第6回である。
 おそろしいことに、後1回で最終回という今回になっても、PCの目的やら行動理念やらはてんでばらばらで、パーティーというようなきっちりした枠組みはない。
 最終回は私がGMなので、状況を把握するために概要をまとめてみよう。

 PCは6人いる。

 皇帝のクローンの少年。目的は皇帝に会うこと。善意のかたまり。この少年の善意の前にはいかなる取引も通用しない。カエサル流に言うのならば、どんなひどい結末も、最初は善意から始まるものだという典型のようなキャラクター。今回はGM。

 誰かのクローンの兵士。帝国の軍人だったが、ククルス・ドアンのように突然、殺し合いがむなしくなり人生の目的を探す旅に出る。そのままずるずると反帝国組織プリムローズに荷担しているが、武装闘争を繰り広げる組織内にあって今ひとつ居心地はよくない模様。

 正義感にあふれるハンター。弱者を守るという目的を持っている。ふつうにやれば主人公になれるのだろうが、金に目がくらんで出自を商人(富豪)にしたものだから、周りからは「金持ちのボンボンが世間も知らんとヒーローのまねごとをしている」とみられている。

 一攫千金を夢見るバルキリー。いきなり第一話で麻薬の密売を任されて素直に取引を成立させようと誠心誠意努力する。むろん彼女に悪意はない。彼女なりに人間というものを理解しようとしているのである。これまでの冒険である程度の金は手に入ったようであるが、じゃあその金で何かしようというわけでもないようである。機械の考えることはわからん。

 世界征服をもくろむパンツァーリッター。騎士というよりは、珍走族という感じで、ヤキソバパンがあれば幸せ。ある冒険で出会った少女にいきなり結婚を申し込むが、その少女のおなかにはすでに赤ん坊がいた。今では目的は庭にブランコのある小さな家で幸せに暮らすことである。

 恋に生きるサムライ。元新撰組副長の土方歳三の従妹。恋する相手は才谷梅太郎こと坂本龍馬。元新撰組なので考え方がたいへん殺伐としている。恋路を邪魔する者は野太刀二刀流で誰であろうが斬って捨てる。才谷梅太郎がプリムローズの参謀役をつとめているのでプリムローズで斬り込み隊長を務めているが、帝国に意趣があるわけではない。

 …
 ……
 ………
 …………どうしろと?

 とりあえずもう最終回手前なので今回は、皇帝のクローンを主軸に話をまとめることとなった。

 つまり、皇帝のクローン(NPC)が、皇帝のクローン(PC)を捕らえ、別の皇帝のクローン(NPC)と一緒になにやら自分の邪悪な目的のために利用しようとしている。
 さらに、別の皇帝のクローン(NPC)は帝国に捕らえられて帝都に監禁されている。
 PCたちは、捕らわれの皇帝のクローン(PC)と皇帝のクローン(NPC)――帝国に捕らわれている方である――を助けるために、皇帝のクローン(NPC)と戦うというシナリオであった。

 …
 ……
 ………
 …………一言いい?

 おまいらクローン(エイリアス)をむやみやたらと出しすぎ。

 しかもおそろしいことに、今回のシナリオが終わった時点でまだ皇帝のクローンは一人も減っていないのである。

 最終回のGMは私だが、どうしろというのだ、この状況を。

12月15日

 う〜ん。う〜ん。
 昨日、サークルの定例会で遊んだ後、そのまま忘年会ということで皆で流川(広島の飲み屋街)にくりだす。
 むろん脂肪性肝炎の私にアルコールは御法度であり、食事をしただけなのであるが。
 やはり居酒屋のこってりした食事がよろしくなかったのか、肝臓が張って張って。
 痛くはないのだが苦しい。
 う〜ん。う〜ん。

■本日の悪戦苦闘:『9S〈ナインエス〉』葉山透
 私はかなりハイペースで本を読む。
 これは読む本がたくさんあるからであるが、その私がどうにも苦手とする本がふたつある。
 ひとつは難解な本である。まあたいていの人がそうであろう。
 もうひとつは退屈な本である。
 難解で退屈な本の場合はあまり問題にならない。読まないからである。
 本日、ようやく半分ほど読み進めた『9S』は私の基準では退屈な本に分類される。半分まで読むのに正味で1時間しかかかっていないが、5分読んでは他のことをしているのだからちっとも進まないのである。
 キャラクターは別によろしい。ステロタイプで、それぞれの顔に大きく『三流』と書いてあるがこんなもんであろう。平成ゴジラ映画を見ることにくらべればどうということはない。
 だが、作品世界におけるオーバーテクノロジー(ある天才科学者の残した遺産)がでてくるたびに、なんともいえぬ脱力感が私を襲うのである。
 フィクションである限り、どんな『天才』も作者の知恵や知識を上回ることはできない道理なのだが、そこいらへんをうまく見せるのが演出というものであろう。
 残り半分で私を狂喜乱舞させるどんでん返しを強く希望しながら、とりあえず今は年に一度のプレゼントである『ローマ人の物語XII 迷走する帝国』の方を先に読むとしようかい。

12月16日

 肝臓はおとなしくしてくれている模様。
 今のうちである。

■本日の読書:『ローマ人の物語XII 迷走する帝国』塩野七生
 いよいよ衰亡へと向かうローマ帝国。
 繰り返される蛮族の侵入。
 戦費により圧迫される国庫。
 その場しのぎの場当たり的な対応しかできなくなったローマ帝国は、まさにそこに住んでいた当時の人々にも分かるほどに斜陽の時代を迎えていた。

 衰退の時期であるから楽しいことなどあまりないのであるが、『海の都の物語』でもそうであったように、こういう場面になると、俄然、塩野七生さんの文章の冴えと語り口調の巧みさが栄える。

 さて、本書をふまえた上で私なりにこの3世紀という時期にローマ帝国が衰亡した原因について推測してみたい。
 軍人上がりの皇帝が乱立し、その政策も統一性を欠いた、というのは結果であり原因ではないと思う。

 ローマ帝国が衰亡したのは、やはり『ローマの平和 Pax Romana』が失われたからであろう。広大な領土を持つローマ帝国は、その内懐に持つ資源を有効に活用すれば十分に繁栄を謳歌することができたからである。それができなくなったのは、領土の安全が失われ、社会が不安定になったからだと言える。

 ではなぜ、ローマ帝国は帝国の安全保障を失ったのか?

 周辺諸国が好戦的になったから、というは答えの半分でしかないと思う。
 なぜ周辺諸国は好戦的になったのか? なぜ交易という共存共栄ではなく戦争という手段を選ぶようになったのか?

 答えは簡単である。ローマ軍が弱くなったのだ。

 むろん、弱くなったといっても強弱は相対的な物である。周辺諸国はローマとの長いつきあいによってローマ軍の戦い方というものを学んだのだ。
 2世紀までのローマ軍というのは基本的にカエサルの時代と何ら変わりがない。重装歩兵が戦列のバックボーンをなし、正面からごつごつと相手をうち破る手堅い戦術を用いてきた。騎兵はあくまで補助兵力であった。
 ローマの軍団兵はおそらく当時の地中海世界ではもっとも洗練された歩兵部隊であった。兵站もよく整えられ、いざ戦争となったら無類の強さを発揮した。
 だが敗者は敗北から勝者よりも多くを学ぶ。
 ローマ軍団に幾度となく敗北を喫した周辺諸国は、しだいしだいにローマとの戦い方を学習していった。
 ようは、ローマの戦争のやり方というのは相手に決戦を強要して敵主力をうち破るやり方なのである。ならば決戦を強要されないような戦い方をすればいい。あちらへこちらへと散発的で比較的少数からなる部隊でゲリラ戦をしかければいい。
 こうした理由で、ローマは戦いに勝つのが難しくなった。たとえ勝てたとしても局地的な勝利にとどまり、大勝利にはつながらない。さらには時間もかかる。
 やがて、こうした戦いが恒常的に続くようになると、ローマの強さである兵站が逆にローマを苦しめることになった。つまり、軍費に金がかかりすぎるようになるのである。
 軍事費の増大は増税だけでなく、粗悪な貨幣の鋳造や、他の、たとえば水道や道路といった社会のインフラを整備するための予算を食いつぶすことにつながった。
 なかなか勝てないしお金も時間もかかるので、ローマ軍が国境を越えて周辺諸国を攻めることは少なくなり、結果としてローマは受け身に、すなわち攻められてからそれを撃退するという方式を取らざるをえなくなった。言うまでもなくこれは下策である。国土を荒らされてはますます国力が低下する一方なのだから。
 こうして、悪循環が生じる。攻勢防御によって国境を安定させようにも効果が乏しく戦費がかかるので守勢防御に切り替わる。守勢防御では国境が安定しないので社会の不安定化を招き国力が低下する。国力が低下するとさらに軍事力を維持するのがつらくなり、その分、景気が悪化する。

 ローマ軍の編成も、防衛用に変化する。すなわち、内線の利を生かして侵入してきた敵を撃破する騎兵軍団がそれまでの重装歩兵に変わって打撃戦力の中核を担うようになったのである。これはのちに東ローマ帝国の時代にさらに特化して(鐙も使われるようになった)重騎兵軍団の誕生となる。
 言うまでもなく、騎兵は歩兵よりも金がかかる兵科である。ローマ帝国はさらなる軍事費の出費に悩まされることになる。

 ローマ人が怠惰になったわけではない。
 皇帝が無能ぞろいだったわけではない。

 ローマ軍が周辺諸国の軍と比較して相対的に弱くなったことが、ローマを衰亡させていったのだ。

12月17日

 昨日、『ローマ人の物語』を読んだので気分が歴史モードに。
 当時の雰囲気を味わうために、オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズの『ローマ軍 カエサルからトラヤヌスまで』『アーサーとアングロサクソン戦争』『ガリアとブリテンのケルト戦士 ローマと戦った人々』をながめたり、アド・テクノスの『アレクサンドロスの遺産』のマップを広げたりしている。思えば、ローマ帝国のウォーゲームというとSPI/HJ社の『The Punic Wars/ポエニ戦争』ぐらいしか持っていない。

 残念ながら3世紀のゲルマン民族に関しては手持ちに資料がなく、さても彼らがどのような生活をしていたのだろうかと思いをはせてみたりする。

12月18日

 本屋に行く途中、八幡川でカモの親子が4羽、一列縦隊になって上流から下流へと泳いでいるのをみかける。
 そして本屋から帰る途中、今度は8羽に増えたカモたちが下流から上流へと進んでいるのをみかける。

 増援を呼んだか。

■本日の読書:『9S(ナインエス)』葉山透
 なんとか苦労して最後まで読み通す。
 努力の甲斐なく、ちっともおもしろくないまま結末を迎える。
 何がおもしろくないのかつらつら考えてみるに、ゲームの設定資料のようなネタの書き方がいかんのではないかという結論に達する。
 ようするに、未消化なまま、ネタだけぶちこみましたという感じなのである。
 この方法は、ネタそのものがすさまじくおもしろいとか新鮮でない限りうまく機能しない。とゆーか、だめじゃん。
 作者には次の文章を送らせていただこう。『スキャナーに生きがいはない Scanners Live in Vain』(コードウェイナー・スミス/『鼠と竜のゲーム』収録)の冒頭である。

『マーテルは怒っていた。血液を調節して怒りを引かせようともしなかった。』

12月19日

 今日は漫画を読む日とする。

■本日の読書『エマ 1〜3』森薫
 19世紀ヴィクトリア朝を舞台としたメイドと若い紳士の恋物語。
 というわけで、うちの『龍の守護者』のメイドの紫苑と主人の有樹に感想を言ってもらおうか。

「え?!」
「作品としての質はともかく、あふれんばかりの愛がある作品ですね」
「ああなるほど。そういうことを言えばいいのか。えーと、エマがけなげだと思います」

 小学生の読書感想文か君は。もっとこー、自分たちの境遇と照らし合わせて何か言うことはないのか。

「いや、その……ねぇ?」
「エマにくらべると私は幸せです。たとえ結ばれることはなくてもメイドとして有樹さまにお仕えできるのですから」
「え? ええっ?!」
「ふむ。いい心掛けだ。私が有樹と結婚しても使用人として雇ってやろう」
「ソフィアっ?!」
「有樹さまは乳がでかいだけの下品なロシア女とは結婚なさいません」
「ふふん。胸の小さい女はその中に入る心も狭いとみえる」
「だからっ、なんでここでそういう話になるんだよ」
「有樹よ。上に立つ人間というのは、その特権に見合った品格が求められる。特に天梁ともなれば名家だ。この作品の主人公のウィリアムの父君、ジョーンズ氏は正しい」
「いや、このオヤジさん、どうみても乗り越えるべき障害として描かれてると思うんだが」
「なに? 有樹もメイドがいいというのか。メイドフェチなど精神の病だぞ」
「いや、だからメイドがどうこうという問題じゃなくて。ウィリアムはひとりの人間としてのエマが好きなんだろ? つまり……」
「つまり?」
「つまり……その……ふたりを応援してやりたいなー、と……」
「有樹さま……」
「紫苑。おれは、」
「だからこれは有樹と紫苑とは何の関係もないだろうが。こら、何をそこで見つめ合ってるっ! 離れろ!」

 若いなぁ。

12月20日

 朝起きると、あたり一面の銀世界。
 さっそく、コートを着込んでウォーキングシューズをはいて新雪に足跡をつけに散歩にでる。
 うお、寒い寒い。
 街路樹も雪化粧をしてきれいなものである。
 明日は出かけるので雪が溶けているといいなぁ。

■昨日の読書:『School Rumble(スクールランブル) 3』小林尽
 実は昨日は漫画を読む日だったので、こいつも読んでいたのである。
 これは思いっきり恥ずかしい漫画である。
 エロというわけではないが、青少年の妄想トリガーを誘発する要素が満載になっている。『起想力』(てきとうな造語)にあふれた作品と呼ぶべきであろう。
 読む人間しだいで、萌えてもよいし、エロスを感じてもよい。

■本日の読書:『百姓の江戸時代』田中圭一
 江戸時代は百姓が中心となって国を動かしていた時代であったという説を、当時の幕府直轄領である佐渡に残る村々の資料を元に展開している本。
 江戸時代の百姓というと、私なぞは白戸三平さんの『カムイ伝』の印象が強く、農村は重税にあえぎ武士は狡猾に税をしぼりとり、身分制度の枠で締め上げられていたという感じなのであるが、田中さんはそれは違うと何度も何度も何度も何度も何度も何度も本書の中で述べられている。
 当時の史料を元にされているし、内容はそれなりに説得力があるのだが、こう何度も繰り返されてはいささかなりとも耳にタコである。日頃、よほど鬱憤がたまっていたのであろうか。こういうのを読むと先日読んだ『ローマ人の物語』などにおける塩野七生さんの偏った記述が可愛らしく思えてくる。やはり本業が先生の場合と作家の場合の違いであろうか。
 それはさておき、戦国時代から江戸時代にかけて農村から切り離された武士が農村に対して強い発言権を持たないのはこれは考えてみれば当然のことであろう。前に読んだ『武士の家計簿』においても、著者の磯田さんは「先祖が武士であった方に話を聞いても、自分の先祖がどこの村から収入を得ていたかは知らない方が多い」と書かれていた。
 だから、本書において佐渡の百姓が検見(その年の稲の出来具合を調べること)にきた武士が田畑に入らず、接待を受けて適当にやっていると訴えでて佐渡奉行のクビが飛んだり、その代わりに定免(租税をその年の出来具合ではなく田畑の大きさから毎年一定にすること)にする時に、基準となる年のひとつを「その年は豊作だったからはずして計算してほしい」と願い出て幕府がその通りにしているという部分など、いかにもごもっともな感じである。
 思えば、明治時代になって日本がいきなり富国強兵政策に乗り出せたのも日本に十分な数の資産家がいたからで、その資産を蓄えていたのは当然、百姓や町人だったわけである。
 なんにしても、くだくだしい部分はさておいて本書は当時の訴状や回状などの史料がちゃんと読み下し文プラス解説付きで記載してあるのでなかなかおもしろい。
 お勧めである。

12月21日

 週1回ののフィットネスクラブでのトレーニング。寒くて身体を動かすのがおっくうな時期だけに、これを欠かすわけにはいくまい。
 というわけで寒空の下、バイクを走らせる。
 ついでに体脂肪率を測定した。

 前回(11/16)     今回
 ・身長166cm     ・同じ
 ・体重74.7kg    ・73.8kg
 ・脂肪率27.4%    ・25.2%
 ・脂肪量20.5kg   ・18.6kg
 ・標準体重60.6kg  ・同じ
 ・肥満度23.2%    ・21.7%

 おお、なんかいい具合である。このペースを維持して60kg台まで落とすべし。

■本日の読書:『週刊朝日百科世界の歴史12 帝国・官僚・軍隊』

●古代帝国の群像
 何をして古代帝国と呼ぶか。
 なかなかに微妙な問題である。とりあえず具体的に国をあげよう。
 まずはオリエントから。
 紀元前2350年頃、メソポタミアを統一したアッカド王サルゴン1世(なんか特撮ヒーロー物の悪役のような名前である)は『四海の王』を称している。これがまあ、最古の帝国といえなくもなかろうという話である。
 その後、紀元前16世紀頃になるとエジプト新王国がシリア・パレスティナ地方へと進出して帝国らしきものを築くと、それと東地中海の覇権をかけてヒッタイトが争うようになる。トロイアを制圧したミュケナイ王国もエーゲ帝国と呼ばれることあり。
 その後、アッシリアが比較的かっちりした帝国を作るも周辺諸国の反乱で滅亡する。その後のペルシア帝国ぐらいになると、典型的な古代帝国と呼べるだろう。
 西にむかって、こちらはローマ帝国。地中海の覇者となってからは都市国家から帝国へと変容した。
 東の中国では、短命に終わった秦の後に興った漢帝国が、その後の中華帝国の基礎を築きあげた。
 インドではあまり古代帝国と呼べるような存在はなかったが、紀元前3世紀頃のマウリヤ朝がそれっぽい感じである。
 古代帝国のポイントは、まずもって軍事力である。軍事力でもって他民族や諸国を制圧してそこに冠たる。そしてその軍事力による平和によって国を栄えさせるわけである。
 あと、宗教を利用した権威づけも重要なポイントである。皇帝は神の代弁者であったり神によってその立場に就いたりしている。

●帝国と官僚
 国家が巨大になると、それを運営するためにはどうしても人手がいる。これが官僚である。そして官僚の行動基準として法の整備がどこの古代帝国においても重要となってくる。
 中国で誕生した律令は、刑法である「律」と行政法である「令」とに分けられる。

●帝国と軍隊
 古代帝国が周囲を圧倒する軍事力を保有しているのは事実である。とはいえ、その軍事技術そのものはアッシリア帝国のような例をのぞくと格別、他国と格段の差があったわけではない。やはり、運用とそれをバックアップする人的、物的、そして何より精神的支援が大きく物を言うのであろう。
 ローマ帝国の例で言うと、最初は有資産階級の兵だったのが、市民兵に変わり、その後、戦争が忙しくなると専門の職業軍人となり、それが将軍との個人的な保護−被保護(クリエンテラ)関係を経て皇帝の支配下に置かれるようになる。おもしろいのは、ローマ皇帝というのはまずもって将軍の第一人者(インペラトール)というところから始まり、その後、帝政へと移行している点であろうか。

●中華思想と異民族
 はるか時代は18世紀になり、ある外国人が清の皇帝の元へ謁見に来た。『英吉利朝貢』の旗を掲げた船に乗ってやってきた彼らは、つまるところ大英帝国の外交使節であるのだが、清国は「三跪九叩頭(3度ひざまずいて9回頭を床につける」挨拶を求め、大英帝国の紳士をたいそう怒らせたのだそうである。
 とまあ、そういうエピソードに代表されるように中国は古来、自らを文明の中心と位置づけ、他の国はすべからく蛮族扱いしたのである。
 しかし中華思想は身勝手ではあるがそれなりに親切な思想であり、『文化』とは、蛮族を『文(礼節)』をもつように『化(感化)』するという意味が、『文明』には蛮族に『文を明らかにする』という意味がこめられているのである。
 やはり大きなお世話だという気もするが、古代帝国の時代、まぎれもなく東アジアにおいて中国は文化、文明の最先端を爆走していたのである。
 もっともこのへんの力関係というのは軍事力などによってどうとでも変わるもので、中国が強ければ直接支配を、そこまでの手間がかけられない場合は冊封を、蛮族が強ければ歳幣・歳貢という贈り物と、現実に即した形式がいろいろあるものなのである。

12月22日

 今日は私の誕生日である。
 はっぴばすでぃ・とぅ・みー。40才にリーチ。
 今日は冬至でもあり、古来ひとびとは太陽の復活を祈って祭事を執り行った。
 ローマ人やゲルマン人が祝った太陽の祭りが、キリスト教と結びついて今のクリスマスの風習へとつながっている。
 まあもっとも、これは北半球の話で、南半球では夏至なのであるが。
 世の中すべからくそんなものである。北極圏でシロクマが冬眠もせずにうろうろしている頃に、南極大陸ではペンギンが白夜をながめているのだ。

■本日の読書:『覇者の戦塵1944 インド洋航空戦〈下〉』谷甲州
 谷甲州さんは航空宇宙軍史を書かれていたころからその傾向が強かったのであるが、とにかく視点を限定した作風で知られる。
 登場人物の等身大の視点で物語られるので、状況がさっぱりわからないことがしばしばある。
 たとえば本書は架空戦記物であるが、登場人物として敵である連合国側の人間がでてこないので、戦争が全体としてどうなっているのやらわずかな記述から読み解くしかない。
 つまり、

 空母ミッキーマウスの戦闘指揮所でハルゼー提督は言った。
「薄汚いジャップめ、空母もろとも地獄へ落としてくれるわ。全艦最大戦速! ブルー、レッド、グリーンの各ドラゴン中隊を発進させろ! ペガサス部隊は何騎出せる?」

 とか

 しかしこれはすべて日本艦隊の軍師、真田幸村の罠であった。
 彼はカラの空母を囮にすることでアメリカ艦隊を北方へ誘引し、その隙に、猿飛佐助ら十勇士をフィリピンに送り込んでマッカーサーを暗殺しようとしたのだ。

 などという記述はないのだ。
 これはもう、谷甲州さんの芸風なのでそれがイヤなら読むべきではない。というか、そういうのが好きなやつだけ読めばいいのである。
 とはいえこの日記は我が脳の外部記憶の意味合いもあるので、ここらで本書を整理してみるのもよかろう。

戦略環境:
 日本は、米英と戦争状態にある。ソ連とは冷戦状態である。ドイツとの戦いが決着するようであれば、ソ連戦車軍団がなだれをうって日本に攻め込む危険がある。
 日中戦争は勃発していない。軍部の暴走を日本政府は止めることに成功している。
 さらに本書で重要な鍵となるのが満州油田である。そもそも覇者の戦塵シリーズは1931年に満州で油田が発見されたところからはじまっている。
 当時の日本が大規模油田地帯を確保したことにより、さまざまな国内問題が解決され、代わりに山ほどの国際問題を抱えることになったのである。
 なお、ドイツ、イタリアとの三国同盟も存在しない。
 それでもいろいろな紛争や外交の結果、1941年にアメリカは日本とドイツに宣戦を布告している。
 どちらかというと防衛的な戦争のため、日本は今までのところ投機的な作戦はせずに守りを固めている。

技術環境:
 覇者の戦塵シリーズは、『技術者の視点からみた太平洋戦争』という側面を持つ。いや、今はどうか知らないが作品が始まったころには谷甲州さん自身がそう言っていた。
 最大の歴史改変ポイントは、電探(レーダー)である。日本軍は1930年代に視界がむちゃくちゃ悪い冬のオホーツク海でソ連と海戦をしたり沿海州からの日本海越えの本土爆撃を体験した結果、レーダーの重要性に目覚めてその開発に力をそそいだ。その結果、1944年現在では駆逐艦が潜水艦のような小型艦艇にいたるまでレーダーを装備しているだけでなく、機載のレーダーを使った、空中指揮機や、はては敵のレーダーを妨害する機体まで投入する始末である。むろん、レーダーで得た情報を速やかに伝えるための無線の充実も欠かすことはできない。
 また、満州で油田が発見された結果、満州の開拓が進み、大規模開発のためのトラクター工場などが民生レベルでも充実している。それはそのまま設営隊における重機の保有へとつながっている。さらには、本書の冒頭で演習を繰り広げる戦車部隊の中には口径105ミリ砲を装備し、前面装甲120ミリに達する四式砲戦車(駆逐戦車)などというバケモノが登場する始末である。
 また、海軍においてもオホーツク海戦における遠距離砲戦の有効性の低さやマスプロダクション手法の導入などによって、大和級の建造中止、対空、対潜に特化した小型護衛艦の量産などが行われている。

作戦環境:
 日中戦争が行われていないので、日本にとってビルマ戦線というのは副次的な戦線であった。つまりわざわざ戦力を投入してビルマを攻め取る必要がなかったのである。
 だが、連合国が中国の南京政府(蒋介石政権)と手を結ぶ可能性が高くなり、事態は一変する。もしも中国が日本に宣戦布告し、中国沿岸部に連合国の航空隊が進出するようになると、日本のシーレーンは決定的なダメージを受ける。
 それを防ぐには、先にビルマを押さえなくてはいけない。
 そしてビルマを押さえるには、インド洋の東、アンダマン海の制海権を奪取せねばならず。
 制海権を取るにはまずもって制空権を確保せねばならない。
 本書、『インド洋航空戦』はそのような環境下に実施された。てっとりばやく制空権を手に入れるため空母部隊の支援下に、アンダマン諸島のイギリス軍航空基地を占領するというのである。
 そのためにわざわざ海上護衛総隊から商船改造の小型空母2隻が艦隊に組み込まれている。
 だが、一方のイギリス軍はイラストリアル級空母2隻を基幹とする艦隊を投入してきた。飛行甲板まで装甲で覆われた、機関銃でも穴があく軽空母とは格が違う正規空母である。
 はたして、上陸作戦と対空母航空戦の二正面作戦を劣勢で強いられた日本軍に勝機はあるのか?

 とまあ、こんな感じである。

12月23日

 うお、頭が、頭が痛い。

12月24日

 私はロボットが好きである。
 SFファンであるからにはむろんのこと、アイザック・アシモフのロボットシリーズも好きであるし、それなりに一家言ある。たとえば『第零原則は美しくない』とか。
 そしてマジンガーZなどの人が搭乗して操縦するロボットも好きである。
 だからロボット物のRPGもむろん買う。『ジークジオン』とか『メックナイツ』とか。

 こないだ全部まとめて資源ゴミに出したが。

 この広範囲における殺戮を生き残ったのはやはりというかなんというか、『バトルテック』であった。(ただこれもリストラは免れず、いくつかの英語版サプリはやはり処分された)
 2003年現在においても新作が存在するように、バトルテックはよくできたゲームである。むろんのこと、アメリカのゲームにありがちな、次々と追加ルールが発表されてごちゃごちゃと複雑になる運命からは逃れられないが、基本システムがしっかりしているので救われている。

 ゲームというのは割り切りが重要である。
 何を表現するのか。何を演出するのか。そこのところをきっちり踏まえてデザインをしなくては、なんともしまらない物になってしまう。
 その点で言うとバトルテックは、メック操縦者の気分を味わうためにいくつものポイントが用意されている。

『メックは兵器の王者だ』
 メックは他の兵器よりはるかにタフである。中量級以上のメックの戦いは、ラッキーヒットをのぞいて一発や二発でケリがつかない。ごつい装甲をがしがし削りあい、機体中枢が露出するようになってからが本番である。

『よく狙ってトリガーをひけ』
 メック戦闘はマークワン・アイボール(目)に頼っている。だからこそ、見晴らしのよい高地が重要であり、姿を隠せる森が意味を持つのだ。敵の照準を狂わせるために動き回るのもひとつの戦術である。

『熱くなりすぎるな』
 メックは熱を出す。武器も熱を出す。いかに残熱量に気をつけながら戦闘するかが重要である。そしてむろん、熱をためないだけではなく、ここぞという時には熱のリスクをおかして一斉射撃する度胸もメックウォリアーには必要とされる。

 この三点がバトルテックのバトルテックたる由縁であろう。
 だからクランの技術とかは私はあまり好きでないのだ。

12月25日

 今年度最後の薬湯サウナ。
 湯治はよい。心も身体もリラックスする。

■本日の読書:『陰からマモル! 2』阿智太郎

 『おとなりを まもり続けて 400年』

 はい、いつものフレーズは健在です。いやあ、いいなぁこの言葉の響き。間抜けで。
 1巻で使われていた繰り返しギャグは2巻でも健在。このへん、火浦功に近い雰囲気がある。むろん、火浦功の方が技術は上である。
 だが火浦功は仕事をしないが、阿智太郎は仕事をする。この差は大きい。
 がんばって精進して欲しいものである。あ、仕事をしないのは精進しなくていいから。

12月26日

 いきなりの寒気。
 ぶるぶる。

■本日のゲーム:『沙耶の唄』Nitro+(注意:18禁ゲーム
 ええまあ、こう。
 だいたい想像がついてましたが。短いです。
 これまで私がプレイした中で最短記録
 内容についてはおおむね満足しています。このネタなら、あまりしつこく水増ししない方がいいので、尺は合っていると思いますし。
 ただまあ、あれです。
 虚淵さんの作品ではヴェドゴニアが一番近いので、あれとも共通している部分なのですが、虚淵さんとオカルトは、ある一線でやはり相容れない部分があるように思えます。
 すなわち、理屈っぽいのです。
 口はばったいようですが、こういうのは、理屈ではいかんのです。ほとばしる感性。情念。狂気。それがホラーでは大事だと思うのですよ。
 むろん、『沙耶の唄』にそれらがないわけではありません。ですが、作品中でいちばんいっちゃってる人が、あの人というのは、やはり、厳しいかなぁ。いや、虚淵さんらしいといやぁ、ものすごくらしいのですが。

 あとまあ、これはそういうのを期待していたわけではないのですから、むろん私としては文句はありませんが。

 商品としては、まがりなりにもこいつはエロゲーに分類されるわけなので。

 股間のモノが縮こまるのは、商品としてはどうかと。

12月27日

 なんかこー、だるいというか。
 やる気がでねぇというか。
 いかんなぁ。

12月28日

 とりあえずやる気を出さねばならない。
 寒い中、バイクに乗ってフィットネスクラブに。今年度最後のトレーニングである。
 えっほえっほ。
 やはり身体は適度にいじめないとなまってしまうからな。
 トレーニングが終わった後、忘年会をして、家に帰る。

■本日の読書:『週刊朝日百科世界の歴史 法と裁判』

●復讐と平等の論理

 中国の新の時代の話。
 ある役人が不正を働いて県知事に処刑された。
 死刑になった役人の母親は、罪に対して罰が大きすぎると判断。復讐を決意する。
 母親は身代つぶして街の若い衆に酒食の恩を売っておき、その連中を中心とした数千の軍勢を率いて県城を攻め落とし、県知事をひきずりだす。
 そして県知事をぶち殺して、その首を息子の墓に供えたという。

 ……中国っていろいろな意味でスケールがでかいよなぁ。

 とまあ、こういうわけで。
 劉邦の法三章「殺人、傷害、窃盗は罪」に代表される法は、成文法として出される前から中国(朝鮮も)では民衆法として存在していたとかなんとか。
 そりゃまあそうだろう。
 なお、現代中国では刑事犯は首から犯した罪について書かれたプレートをぶら下げてトラックの荷台にのせられて市中引き回しだそうである。(この本は1989年出版)

●マヌ法典と浄化儀礼

 ヒンドゥーの法典であるマヌ法典における『法=ダルマ』は、宗教、正義、義務、道徳、慣習などなど、幅広く生活全般を規定しているものである。
 でもって、ヒンドゥーなのでひたすら階級の差が広い。
 下の階層が上の階層を殴った>手を切り落とせ
 下の階層が上の階層をののしった>焼いた鉄釘で口を刺せ
 いずれも逆の場合は罰金とかそんなもん。
 いいのかこれで。

●神の摂理と人の世

 イスラームの法は、世の中の行いを、「やれ」「やるな」「やってもやらなくてもいい」に分けてある。
 でもって、とりあえず裁くのは神様なので、たとえば「やるな」というのをやっちゃった場合、誰が告発して誰が裁いて誰が刑を執行するかについてイスラームの法はきわめて無関心なのだ。つうか、そこまで決めない。
 いや、ここまで決めてるだけでもたいしたものだが。だいたい「豚肉を食ってはいけない」というのにしたところで、当時のアラビア半島で豚が少なく、どうやら豚に偏見があって「おまえたちは何を食べてもよいがまさか豚までは食おうとはすまいな」という文脈があるもんだから豚食禁止……だそうで。
 なお、アルコールは禁止なのだが、そのへん国によってびみょーに差異があるらしい。オスマントルコの皇帝も大酒のみはけっこういたもんである。
 断食は、「やれ」の行為なのでみなやるのだが、むろん、日中何も飲まず食わずでは生産もあがらないのである。それでもみんなで我慢するから、団結力が高くなるのであろう。

●民衆による治安維持

 キリスト教はユダヤ教の親戚筋であるが、ローマ帝国の人々は最初のうち、『ユダヤの連中の中でも特に怪しい新興宗教』ということで、日本人がオウム教に対して感じるのと同じようなうさんくささを覚えていたらしい。
 それは時として暴走して、基本的人権(ローマの市民権)を無視するところにまでいったらしい。なにやら、同じ町内にオウムの人が引っ越してきたときの住民運動を思わせるが何しろ古代の話である。私刑のあげく、役人に「こいつらを罰しろ」とむりやり押しつける始末。
 で、ローマの役人がどうしたかというと、情けないことに法を曲げてキリスト教徒を処罰したのもけっこういたらしい。こういうのは塩野七生さんは一言も書いてないぞ。って、あの人はローマびいきだからしかたがないのだ。

12月29日

 11月9日に本棚を2つ買って本の大整理をしたのであるが、この時点ではまだ漫画が大量に未整理の状態で平積みにされていた。
 このままでは、ここを拠点にカオスが広がる危険きわめて大である。
 そこで、さらに部屋の隙間にメジャーをあてて計測し、金属ラック1つと正方形のラック2つ(連結型)、漫画収納ケース5つ、文庫収納袋(新書まで入る)8つを用意する。
 せっせと詰めて並べてと作業を繰り返し、まあなんとかそれなりに整理できた。袋やケースに詰めた漫画本は取り出す手間はあれど読めないわけではないしな。
 で、50冊ばかり不要なのがでたので、これは友人に進呈することにする。
 これでよい正月を迎えられそうである。

 ……ああっ、この作りかけのフルアーマーガンダム(プラモデル)どないしよっ?!

12月30日

 正月を迎えるために部屋の片づけをしていて、GDW/HJの『サード・ワールド・ウォー』のブリーフィングブックを見つける。

 これは、1985年に日本で出版されたウォーゲームで、1990年に湾岸(イラン)で紛争が発生してそれに介入する形でソ連とアメリカが衝突。紛争が飛び火して、世界戦争に発展するというシナリオである。
 ゲームであるからにはいきなり終わってしまう全面核戦争はオプションにはなく、まずは両軍が通常兵器で激突するという設定になっている。

 1990年というともう一昔前であるから、そのデザインコンセプトは古い。戦争のやり方もやはり古い。

 まずワルシャワ条約機構軍は、ドイツ(セントラルフロント)で、トルコ(サウザンフロント)で、ノルウェー(アークティックフロント)で前面攻勢に出て、それをNATO軍が迎え撃つという展開である。

 とにかく第1ターン、東ドイツから雪崩をうって突撃してくるワルシャワ条約機構軍のスチームローラーは圧巻である。何しろ冷戦が始まってからこっち、ワルシャワ条約機構はこの日のために国を左前にしてまで軍備を整えてきたのだ。味方の損害お構いなしでごりごり突進をかけてくる。

 迎え撃つNATO軍は少数精鋭である。もっとも強力なのは重装備のアメリカ師団で、こいつは装備している戦闘ヘリコプターの数が多いので空中機動ZOCまで有する。これに練度最高のイギリス軍、序盤の防衛ラインをひく全軍のバックボーン、西ドイツ軍が続く。他のNATO諸国の戦闘力はあまり高くはないが、それでも一般的なワルシャワ条約機構に所属する東ヨーロッパの国々に比べると装備、練度ともに高い。

 北と南は第二戦線で、どちらも主力は回せないが代わりに北ではノルウェー軍やスウェーデン軍が地の利を生かした戦いを行い、南ではトルコ軍が粘り強く抗戦を行なう。
 いずれにせよ時間はNATO軍の味方であり、誰も手出しできないアメリカ本土から続々と輸送される重装備師団と世界最強空軍によってワルシャワ条約機構軍はどの戦線においても衝撃力を失い戦争は終結する。

 もう一度言うが、むろんゲームであるからには勝利得点上はワルシャワ条約機構に勝利の可能性がある。ドイツの都市の占領やボスポラス海峡の突破などで得点を稼ぐことができるからだ。だが、ゲーム終了ターンに主導権を握っているのは間違いなくNATO軍である。

 おそらく――

 実際に、このような戦いが発生したとしたら、同じような結果になったであろうことは間違いない。
 だが注意すべきは、この戦いの前提が、『NATO軍、わけてもアメリカ軍が想定した第三次世界大戦のシミュレート』であることだ。
 大西洋はアメリカ海軍とイギリス海軍がコントロールし、核兵器は使われないか、ほんの少しお互いにコントロールできる程度でのみ使用される、そういう前提がこのゲームにはある。

 だが私には、もしも過去において実際に戦争が始まったとしたならば、クレムリンの連中がこのゲームの前提を守るとはとても思えないのである。
 空軍で劣り、継戦能力で劣る自軍の弱点をそのままにしてわざわざ負ける戦いをするだろうか?
 それよりは――
 それよりはもしも実際に戦争をするというのであれば――

 まず、西ヨーロッパのNATO軍の後方航空、兵站の基地に戦術核をたたき込み、敵の戦争計画を根本から覆す方法を採用するのではないかと思う。むろん、報復核攻撃の危険はあるだろうが、そうしなければ負けるのだからためらう必要はどこにもないはずだ。

 さらにはひょっとしてひょっとすると――

 報復をアメリカがためらう可能性に賭けて初っぱなから戦略核の使用というシナリオもあったのではないだろうか。
 もしも戦争を始めるのであれば、敵がもっともいやがる作戦を使うのが当然であろう。そして全面核戦争の恐怖というのは、当時のアメリカがもっとも忌避する選択であったと思う。

 あの当時、全面核戦争の確率は実はかなり高かった可能性を、私は否定できない。

12月31日

 さて、今年の末に我が外部頭脳となったマシンであるが、最近、何が不満なのかうるさい。やかましい。静かにしろ。
 こいつの構成品目はというと、

 筐体:Windy Pandora Figaro たいへんちんまい
 CPU:セルロンの2G まあこんなもんだろう
 メモリ:1G あとから追加するのもめんどうだし
 マザーボード:Shuttle FB51 3年は動け
 グラフィック:NVIDIA GeForce4 Ti4200 同じく3年使うつもり
 ハードディスク:IBMの115G
 DVD:パナソニックのDVDマルチドライブ

 思うに、熱、なのではないかと推測。明け方とか冷え切ってる時は静かだし。うるさいのはつまりいつものごとくファン関係か。ぶぶぶぶぶとか、ががががががとか。
 少々うるさいのは我慢するとしても、熱でぽっくりいかれるのは困るな。夏場とか。
 冷却の手だてを考えるべきやもしれぬ。

■本日の読書:『われらの有人宇宙船』松浦晋也

 思えば、2003年は宇宙開発にとってあまり良い年ではなかった。

 2月1日、スペースシャトル「コロンビア」が帰還途中に分解し、7人の乗員と共に失われた。

 11月29日、H2Aロケット6号機が個体燃料ロケットが分離せずに打ち上げに失敗した。

 火星に向かっていた探査衛星「のぞみ」は12月9日をもって火星周回軌道への投入を断念、宇宙をさまようことになった。

 こちらは無事火星までなんとか到着した欧州宇宙機関(ESA)の無人火星探査機「マーズ・エクスプレス」であるが、分離、降下した着陸機「ビーグル2」は今もって音信不通の状態である。

 せめてもの明るいニュースは中国で、2003年10月15日に有人宇宙飛行船「神舟5号」の打ち上げに成功、無事帰還を果たしている。また、「長征」ロケットは地道に実績を上げている。

 さて、こうした中で我々は宇宙開発とどのように向き合うべきだろうか?

 今さら後戻りはできない。我々の生活はもはや宇宙開発と密着している。

 金だけ出して外国のロケット、外国の技術ですべてまかなうべきだろうか?

 否。アメリカのスペースシャトルの運用や国際宇宙ステーションの開発にみられるように、いくら金を出しても自前の技術がなければいいように振り回されて得るものは少なくなる。

 では、大金を投入して長期の開発プロジェクトを推進し、SSTO(単段式)だかTSTO(二段式)だかの宇宙往還機を開発するべきだろうか?

 これも否。景気が悪いというのもあるが、これらには素材工学などの面での技術的なブレイクスルーが必要である。むろん、突如としてものすごい新技術がこの世のどこかで誕生し、その波及効果で宇宙往還機が建造できるようになればそれはそれでありがたいが、そういうのを期待しながらむなしく日々を送るのはいかがなものだろう。

 まずは、頭を使うことである。我々にはひとり一個、進化の頂点(奇形ともいう)にある脳髄がくっついている。これを使って宇宙開発について考えてみよう。すべてはそこから始まるのだ。この本の価値は、「ふじ」という宇宙船の構想を出したことではない。
 自分たちが宇宙へいけるようになるためにはどのような方法が適しているだろうと、あれこれ宇宙好きの人間が考えてその結果をまとめたところにあるのだ。

 いや、むろん興味のない人間にまで強要はしない。だが、思考訓練に終わるとしても宇宙開発について考えるのはなかなかにおもしろいものである。
 思えば、現代に続く宇宙開発の父、ツィオルコフスキーは実際にロケットなんか作りも触りもしなかった。だが、彼の研究は今なお色あせることがない。

 本書においても、ツィオルコフスキーの導き出したロケット工学の公式が記載されている。単純な公式であるが、それゆえに厳格で、実に容赦がない。絶対的な数字の前には甘い構想など吹き飛ぶこと請け合いである。

 だが、それゆえに私はツィオルコフスキーはすごいと思う。

 考えてもみて欲しい。我々にはスペースシャトルやH2Aを打ち上げる強力なロケットエンジンが存在する。長足の進歩を遂げた素材や、彼が夢にも思わなかった電子機器を持ち合わせている。
 そのわれわれでさえ、ツィオルコフスキーの公式の前にはあれこれ苦心惨憺するのである。
 動力飛行機すらまだ飛ばない時代に、最初にこの公式を発見したツィオルコフスキーの思いはいかばかりであっただろうか。

「宇宙旅行などとても無理だ」

 ふつうの人間ならそう思うはずだ。とんでもねぇ。大富豪が資産を投げ出そうが天才科学者が大発明をしようが、この数字を満たすことはできやしないと。
 だが、ツィオルコフスキーは違った。
 彼はこつこつと何とか宇宙に行く方法を考え続けた。

 その先に、私たちの宇宙開発のすべてが存在する。

 この本の副題である『日本独自の宇宙輸送システム「ふじ」』という言葉を、あきれたりあざ笑ったりする人もいるだろう。
 何を夢のようなことを、と。
 宇宙開発はあちこちで停滞したり失敗したりしている。景気もよくない。たとえ景気がよくなったとしても、少子高齢化の時代を前にしてそれらに何の役にも立たない宇宙開発に予算が投入される可能性など零に等しいと。

 そうではない。
 そうではないのだ。

 確かに「ふじ」が実際に作られる可能性は低い。おそらく宇宙が好きな人間が集まって作り上げただけの机上の計画に終わるだろう。夢想といえば夢想である。

 けれども、夢をみない人間は夢を実現させることなどできないのだ

 たとえどんなに実現困難でも夢をみて、その夢をつないでいくこと。
 それこそがツィオルコフスキーからこの「ふじ」に至るまでの宇宙開発の歴史なのだ。

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