06月01日

 なんだかんだいって6月である。
 夏。すなわちサマー。
 台風も通り過ぎた事であるし、むやみに暑い。
 とりあえずまだ涼しい朝のうちにジムへ行く。いつもと同じメニューをこなしたのであるが、なんかやけに疲労が。
 日曜日なので、県立体育館はいろいろと行事があるらしく、弓を持った袴姿の女子高生がぞろぞろと……弓?
 ああなるほど。弓道場があったか。
 後、太極拳の看板持った人とかもいたなぁ。
 それはよしとして、この暑い中、背広をきっちり着込んで行列を作っていたのは何の団体さんだったのだろう?
 まあ、同じ窓を通して外から見れば屋内で器具を使って筋肉トレーニングをしている人間というのも興味深い存在であったかも知れない。
 ナニゴトも相対的なのである。

 本日の読書:『るくるく 2』あさりよしとお
 るくちゃんは相変わらず可愛いですが、悪魔と知ってさらにラブラブ度を上げて騒ぎ立てる主人公の友人たちはかなりこー、あっちの世界に足を踏み入れてしまってるのではないかと心配に。
 まあ、あさりさんの作品のキャラですから、この程度は許容範囲かも知れませんが。
 しかしこー、とってつけたように大家の娘の幼なじみとかが登場するのもあれですが、一番アレなのは何と言っても智天使のヨフィエルでしょうか。
 人間に、鼻やら口やらからもにょにょにょ〜〜んとエクトプラズムみたいなもんで取り憑くのも天使としてはどうかと思いますが、そのあげくに

 「くっくっくっく……手に入れたぞ

     坊主の肉体を──(ぐわーっはっはっはっは)

       神仏習合〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 笑いすぎで腹がよじれるかと思いましたよ。

※神仏習合とは?
 日本の伝統的な神祗信仰と大陸伝来の仏教が接触混淆した結果,生み出された宗教現象。(日立世界大百科事典より)

 あんた、ヤハウェの神さまのところとちごうたんかい。
 それはともあれ、この作品ってどうオチをつけてもなんか幸せには終わりそうにないんだが。……ん? そうか。オチをつけなければいいのか。


 ……よくねぇって。

06月02日

 『週間朝日百科 世界の歴史』という本が発売されていた時期がある。十年ほど前だ。
 興味がある時には買い、そうでない時はパスした。
 が、日記にも書いたがこないだ1冊発掘されたので、ついつい全部読みたくなり、bk1で検索してみたところ。

 ハードカバー12冊、しめてじゅうにまんえん。

 うひゃー。ってなもんで、インターネットで古本屋にアクセス。全巻−1冊そろいを購入。残った1冊も別の古本屋で購入し、はれて全冊そろった。インターネット万歳。昔だと、東京出張の時に時間をみつけて古本屋めぐりするはめになったところである。しかもまた古本屋というところが夜閉店するのが早くて。まあ半ば趣味でやってるよーな所も多いのだろうが、サラリーマンには休日でもないとなかなか足を運べない場所である。
 で、それが届く。でかい、重い。
 えーっと、部屋の中で何か捨てるもの捨てるもの……ああ、去年の『日経コンピュータ』ひとそろいがあった。こいつを捨てよう。
 まあそういうわけで、我が家に130冊の週刊誌がある。まあとりあえず1日1冊を目標に読みますかねぇ。
 ちなみに十年前に買っていたのが30冊あまり重複しているのだが、こりゃどうしましょうか。捨てるのは簡単なのだが(容赦ない)欲しいという人もいるかも知れないしなぁ。でも連番でもないし、適当に買っちゃってるからどうだろー。

 本日の読書:『少女少年 VI』やぶうち優
 小学生で女の子みたいな顔の少年が芸能界のアイドルの女の子に変装して活躍して大騒ぎという漫画である。どうしてこう私のツボをピンポイントで爆撃してくるのでしょうか、この本は。
 連載されているのは『小学6年生』とか『小学5年生』……おいっ。私も子供の頃にこれ買ってたけど、こんな愉快な漫画を連載してまずい方向の趣味に小学生の男の子が走るようになったらどうするんですか。おじさん大喜びですよ。
 まあ冗談はさておき、この漫画は各巻ごとにシチュエーションをいろいろと変えているわけであるが、今回は男の子が男装して仕事をさぼったアイドルに間違えられてとっつかまり、なし崩しに女装させられてアイドルの仕事を肩代わりするはめになっちゃたりなんかしたりするわけであるが。
 これまでで初めての記念すべき展開についてここに記さねばなるまい。

 『別の男の子が、女装した少年に恋心を抱き、あげくのはてに女装がばれても、やっぱりキミが好きだなどとぬかす』

 いやー、オチ的にどたばたと使ったので今ひとつどきどき感はなかったが、おいしい。おいしいなぁ。これは。
 この方向性でさらに突っ走る事を切に希望。

06月03日

 さっそく『世界の歴史』を読み始める事にする。
 まずはまあ1冊だけ別枠で取り寄せた『25 牧畜と農耕』である。
 現代日本の我々にとって、牛というのは食い物のイメージが強いが、当初は食い物である以上に、その力を利用した労働力であったのである。
 で、それは実のところそんな昔の話ではない。
 私の親父は農家の次男坊であったが、戦前、牛を飼っていたという。(いわゆる大人百姓であったのだ)そしてその牛の世話というのを子供の親父がしていた。
 世話といっても、まあ、朝になったら山へ連れていって草を食わせ、夕方になったら連れて帰るだけなのだが。
 なんといっても子供であるから、退屈な牛の世話などほっとらかしにしておいて遊びほうけていたらしい。
 ところがある日、夕陽が落ちる頃合いになって家に帰ろうとしたら、牛がいない。
 親父はあたりが暗くなるまで必死になって牛を探したが、見つからない。
 さすがに子供心にも大事だと思ったのだろう。泣きながら親父が家に帰ると──

 牛はさっさと先に牛舎に帰ってのんびりしていたという。

 これが私の父の世代の話。戦前の日本での話なのだ。そして世界のあちこちでは今なお農耕牛として牛が使役されていたりするのだ。
 世界は広いし、歴史は濁流のごとく流れている。この流れが、いったいどこへ我々を連れて行くのか。感慨深い物がある。

 本日の読書:『世界の歴史25 牧畜と農耕』
・家畜の起源
 牛+鋤によるエネルギー革命 馬による軍事革命
・食料を求めて
 定住が先、その後に農耕らしい トウモロコシの神の像の形はまんまトウモロコシ 栽培植物の人間社会での二次適応は歴史時代から
・中国古代の木材利用
 木材を濫用すれば禿げ山ができる
・魚との共存
 ベントス(底生)からネクトン(遊泳)へと漁労は進化
・暮らしの中の油
 油脂は食用から ビタミンFを含む 乳によるバターの加工技術で家畜を殺さずに油脂を取得 灯火燃料>光は神聖>油も神聖>メシアとは『神に注油されし者』だそうな
・毒の効能
 サソリの毒とトリカブトの毒は相殺する……だってトリカブトの根とサソリの尾は似てるんだもん──って、確認もせずにかいっ! しかも東洋も西洋も同時期に
・繊維から織物まで
 糸を紡ぐ、機を織るというのは先端技術だった
・いしいひさいちのコミカルヒストリーツアー さすが4コマの天才

06月04日

 明け方まで、歯のうずきで眠れず。
 実はまだ歯医者に通っていたのである。いや、虫歯はもうないのだが、十数年前に抜歯した時、仕事が忙しかったのでその後差し歯もなーんもせずに放置しておいたのである。
 将来的にこれはよくないだろうという事で、今回、そこに両側の歯からブリッジをかける事になったのだが、当然その両側の歯というのは虫歯ではなく。きちんとした歯にイロイロとするのはやはりどこか無理があるのだ。
 で、今度は昼食後に下痢に。トイレの王子様になってしまう。熱も出たし。これはあかん。
 病院にいってクスリを処方してもらう。クスリ漬けの毎日が続く。
 やはり脂肪性肝炎のせいだろうか。昨日も一昨日も、夜に発熱して熱さまシートのご厄介になっているのだが、これが朝になるとけろりとしているのでよけいに始末が悪い。

 本日の読書:『世界の歴史64 アメリカ大陸の先住者たち』
 ・二つの世界の不幸な出会い
 アメリカ大陸原産のトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバなどは世界中に普及し人々の糧となった一方で、アメリカには天然痘、はしか、インフルエンザなどが伝播し強制労働などでインカ帝国1千万の人口は17世紀半ばまでに60万に減少。文化の破壊なども考えるとユーラシア・ヨーロッパとアメリカの出会いはアメリカに不幸な結果をもたらしたと言えよう
 ・15世紀の世界あれこれ
 ヨーロッパの人口5500万人ほど。一方で明帝国の戸籍によると5328万1158人……この「8人」とかゆーところまで分かるのはさすが中華帝国。
 フランスの農民の所持品、食器類、箪笥1、寝台1、シーツ・布団各2、枕1、なた・斧各1、鑿1対、毛の靴下1足。
 アイスランド支払い用干物の価格決定。干物1=蹄鉄1。干物100=ワイン1樽。
 アフリカの黄金海岸では身分の高い人に会うと自分の口に指つっこんでふいて相手の口につっこむ……なんの意味がっ?!
 シャムのアユタヤ王朝は仏教が盛んで(そりゃ今もだ)裁判や商売上の大事は女性が決定。
 朝鮮から対馬に焼酒(焼酎)伝来。シャムから琉球に泡盛伝来。酒飲みにはいい時代だったのではなかろうか。京都の周辺で幼児誘拐が横行、生き肝を使った悪性腫瘍の治療のためとのこと(1433)。
 ヨーロッパが来るまでのアメリカでは耕地を納税用「王の畑」祭事用「太陽の畑」農民用「人民の畑」に分ける。
 ・変わる村
 植民地化とキリスト教の布教にともない、それまでのインディオ=インディヘナ(土着の人)の暮らしも変わっている。父系血縁集団からバリオ(教区)と代親(コンパードレ)制度へと。
 ・グアダルーペの聖母
 キリスト教の布教は、どこでもそうであったように土着の信仰とからみあって独特の色彩を持つ。インディオの神々の復興運動なども。インディオの聖母が生まれ、インディオを救うという活動あり。
 ・教会建築にみる土着と外来
 防衛拠点としての教会。分厚い壁と扉。屋外礼拝堂の存在など。
 ・皇帝アタワルパの死と再生
 ヨーロッパの史書ではインカ王は絞首であるが、インディオの絵では斬首の例もあり。敗者は首を切られるというそれまでの習慣からか? ある地方では最初のジャガイモの植え付けをアヤ・ウマ・タルプイと言うがこれは「死者の頭を植える」の意味。再生を意味するか。
 ・インディオの国土開発運動
 ヨーロッパ風に建造された都市にインディオが流入。都市住民はスラムを嫌うが、流入してきた連中からすると自分たちは一旗上げるために田舎から出てきた「チャレンジャー、働き者」なのである。うむうむ。立場が変われば見方も変わる。
 ・アンデスの調べ
 竹笛とか、日本人にとっては郷愁を感じさせる音色。音階はペンタトニック、「ドレミソラ」でアジア的。
 ・アンデスに生きる
 6000m級の山々が連なる高地にはヨーロッパの征服者も手を出さなかったのでインディオも一安心……のはずだが、低地が支配されたので流通ネットワーク(高い所と低い所とでは作物も違う)が破壊されてまずいことに。
 ・民族衣装
 民族衣装といっても、結局は時代と交流で変化するものである。カウボーイの帽子やバンダナはメキシコのものだし、中南米各地の鮮烈な色彩の衣装は16世紀以降の西欧文化やマニラーアカプルコ間の密貿易による絹織物とは無縁ではない。
 ・動物の文化史(主にヨーロッパ視点で)
 犬>大切にされる一方で「犬儒派」という揶揄言葉にも。聖書の章句では犬に偏見があったのでヨーロッパでは長く不遇。
 猫>11世紀にクマネズミが猛威をふるうとヨーロッパにも十字軍帰還騎士と共に猫の軍団がやってくる。にゃーにゃー。
 馬>ヨーロッパ原産は小型であったが中央アジアやアフリカ産と飼育交配、品種改良で装甲騎士をのせても大丈夫な丈夫な馬に。そして17〜18世紀についにサラブレットが登場。
 オオカミ>人間が狩狼官や報奨金を出せば狼も群れを作る。15世紀の「クルトー」や18世紀の「ジェヴォーダンの大オオカミ」はつとに有名。パリの市街でも子供や女が食われる被害が。
 ブタ>高慢だったり粗暴だったり高貴だったりと、毀誉褒貶著しい。
 ニワトリ>卵や鶏肉だけでなく、闘鶏や愛玩用としても古くから人間の傍らに。17世紀からはフランスの象徴で、フランス革命では旗印にもなったが、ナポレオンが嫌がってワシに変更。
 ワシ>やはりかっこいいのは重要なのか政治的宗教的シンボルに。ことにドイツ人の嗜好にはあったらしく、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、ドイツ第二帝国、ワイマール共和国、第三帝国、ドイツ連邦共和国と、まあ延々と。
 オウム>愛のメッセンジャーとして愛玩。一説によると「睦言の単調な繰り返しがオウムの人まねに似ている」のだそうだ。確かに、恋人同士の会話なぞ端で聞いていてくだんねーことこの上もないからな。これは別に独り身を寂しく思ってるわけじゃないぞっ。
 バッタ>仮面ライダー。大量発生しては大被害をもたらす。教会は何百回となくバッタを破門したそうだが、当然のごとく効果はなかった。
 ミツバチ>「いったいどうしたことだろう。クマはとっても蜜が好き」とはプーさんの言葉であるが、人間も甘味料として愛用。日本では百済から伝えられて皇極天皇の2年(えーと、644年か657年)に三輪山でミツバチを飼ったと記されている。ミツバチの統制の取れた社会は、人間社会の規範としてもしばしば書物に登場するが、ああいう生活のどこがいいのだ。
 一角獣>もちろん架空の動物。RPGではおなじみ。処女が好きって、それはただのオヤジ趣味では。
 竜>ドラゴン。これまた架空の動物。RPGでは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を引き合いに出すまでもなく、モンスターの帝王。東洋では神だが、西洋では悪魔。

 ……もしかしてコレを毎日続けるつもりか、わし?

06月05日

 いつものように熱さまシートを額に貼って眠り、いつものように朝になるとけろりとしている。まあ人間の体温は朝がもっとも低くて夕方から夜がもっとも高いのだそうだが、「しんどい」と感じるタイプの熱が出るのは体温の高低に関わらずやはりまずいのではなかろうか。
 最近は睡眠薬を半分にして服用している。医者の忠告を受けての事だが、つまりはなんのことはないパキンと二つに割って片方ずつ飲んでいるわけである。もちろんもう片方は翌日飲むのである。これを捨てられるか捨てられないかで人生の勝ち組みと負け組みが決まるのだっ! ま、そんなこたぁないか。
 そういえば前に日記に書いた新しいプロテインであるが、さすがに森永だけあって牛乳に溶かすとミルクセーキのような感じでまずくはない。うまいとはちょっといいがたいが。

 本日の読書:『世界の歴史59 遍歴職人と石工たち』
・遍歴職人が伝えたもの
 ヨーロッパ文化の均質化をもたらしたものは、遍歴職人の旅から旅への生活ではないか。
・14世紀の世界あれこれ
 1平方キロの人口密度は仏伊20人、英15人、中欧8人、スカンジナヴィア5人と推定。英国1時間=60分、1分=60秒の考え方が標準化。十字軍帰還兵士がカードゲームを普及させる。ロンドンで2階から水を捨てたり夜間に鍛冶仕事をしたり禁止、一方でパリでは上流で屠殺禁止(何しろパリだけで年間25万頭も殺しているのだ)。
 イラクのナジャフ(イラク戦争で一躍有名)にシーア派初代イマームのアリーの墓があり、崇拝の対象に。
 チャンパの王は1万4千頭の象を保有し、各村で世話をする……これって、国が農村にトラクターを貸し出したようなもんか?
 元、1337年に漢人の武器所有を禁止し馬を没収するが、30年後に滅びたところをみるとあまり実効性のない法令だったのでは。
 日本、僧院での男色を扱う『稚児草紙』書写される、ショタ本の走りか。1355年、京都で子供の合戦遊びに大人の武士が興奮して参加し刃傷沙汰に、血の気が多いなぁ。またこの世紀に米を煮た姫飯(現在のご飯)が普及。
 アステカ人は海産物は貴族用で庶民は淡水魚を食べるそうな。
・親方職人徒弟
 親方は徒弟を12回以上殴ってはならないという規定が……11回まではオッケーらしい。親方が家長的な権限を握っていたが、職人徒弟も労働時間の短縮運動などを行う。
・楽器を鳴らして客を呼ぶ
 中国ではギルドは行(こう)、あるいは幇(ほう)と呼ばれる。やはり親方が家父長。研ぎ屋はラッパを、いかけ屋は鐘を、という風に楽器を鳴らして町を歩いたそうな。
・石工たちの仕事場
 石膏屋やモルタル屋はしばしば不純物や量をごまかして不正を働いたらしい。古今東西、人間のやる事なんてこんなもんである。賃金は親方は職に関わらずほぼ一定。夏と冬では労働時間=日照時間が違うので賃金も違う。
・カシュミールの紙漉き職人
 カシュミールとは言うまでもなくインド北部のあのパキスタンとの紛争地帯である。15世紀にこの地を治めた名君(らしい)ザイヌ・ル・アーベティーンはサマルカンドからはるばる職人を移住させ、この地でムスリム人による製紙が行われた。だがインドのカーストによると、誰が着たかも分からぬボロ布から作った紙(しかも異教徒のムスリム人による)は不浄なものなのであまり普及しなかった。比較的近年まで宗教的文献用には紙を使わず貝葉(ばいよう)、すなわちシュロヤシの葉を使っていたそうな。こうしたムスリム職人は今なお存在するが、近代化の波にどんぶらこと流されているらしい。しかしまぁ、インドだからなぁ、分からんぞぉ。
・旅に暮らした職人
 ヨーロッパの大聖堂やその鐘などは当然ながら多数の職人を必要とし、そういう意味でも職人が旅から旅を続けたのは当然と言える。旅をする職人は職業に応じた服装をした。中世というのは服装で身分が分かる時代だったのである。さらに行った先のギルドでは複雑なステップを踏んで自分がギルドの一員である事を示したという。……ミツバチのダンス? なんかほんまかウソか、にわかには信じがたい話であるな。
・「道々の者」たち
 日本においては職能は「芸能」「識」として、それぞれに「道」があるとされた。職能人は、天皇家の供御人(くごにん)、神社の神人(じにん)、寺院の寄人(よりうど)などの組織化が行われた。興味深いのは下級女官の流れをくむ遊女や、博打を仕切る双六別当などがそうした職能集団に属している点であろう。その後、天皇、神社仏閣の権威が低下すると職能の世俗化も進み、遊郭や裏社会に溶け込む者もでてきた。む、江戸時代に公家の屋敷で博打が非公然と行われていたのもこれと関係があるのかしらん。
・ツンフトの時代
 14世紀ヨーロッパはペストだの凶作だので人口が7000万人から5000万人に減少。社会も停滞へと移行した。その中で気をはいたのがツンフト(ギルド)が都市を統治したドイツのアウクスブルクで、若い起業家が大金持ちになるという事もあった。代表的なのがフッガー家で銀と銅の商いをするようになって資本金10倍、利益率927%の成長とぶいぶい言わせる。だがその後、スペインのハプスブルク家に貸し付けが焦げ付いて命取りに。まあ世の中そんなもんだ。実際、市民の財産の格差はすさまじく、上位3%が市民の財産の80%を占有するようになる。こうなってはツンフト自治も形骸化し、倒れるのは自明の理と言えよう。
・物乞いも技術のうち
 コーランによると、貧しい者への施しはムスリムの義務となっている。つまり、貧しい者がいてくれなきゃ『困る』わけで、技能者としての物乞いの存在する必要性がここにある。といっても、小説やドラマのこじゃれた乞食のように口八丁手八丁で金をせしめるわけではなく、まあ半ば強奪するよーな輩が多数を占めていたのが現実であった。
・あいさつ
 日本は知らない人でも通り過ぎる時に会釈したりする事があるが、これは世界的にも珍しい、らしい。中国では目上の人と出会うと小走りに通り過ぎるのが礼にかなうとされていたりした。渡り職人の仁義も、日本だとふーてんの寅さんのようなのが江戸時代からあったが、水滸伝の登場人物など出会うとたんにケンカして互いに力量を認めてから仲直りするのである……野村先生、これどこまで本気にしていいのか読んでる私にも分かりませんっ。アジアに進出した日本企業はお辞儀の作法を教えるのに苦労するというが、アジアの人々の多くはむしろ握手の方を好み、ニューギニア奥地でも握手は伝来してるそうな。SARSが流行するのもなんかわかるような。マオリ族の親しい友人の間では鼻をくっつけたり、東アフリカのキクユ族は相手の手に唾をはきかけたりと、ユニークなものも多い。インドの性愛の聖典『カーマ・スートラ』には様々な愛撫の技があるがキスはないそうな。代わりに相手の匂いを嗅ぐ手法が満載。インド人ってフェチ。性愛ではないが、子供、特に男児の生殖器を撫でてあやすのはかつての日本の一部をはじめ世界各地に散見されるという。

06月06日

 彩色版SDゴッグ完成。プラモデルも色を塗るだけでまたひと味違った楽しみがあるなぁ。
 ちなみに、どうやって作っているかというと、まずプラパーツを切り離す前に2度塗りを行い、その後切り離して組み立ててやすりをかけてもう一回ちょんちょんと塗っているのである。
 絵の具は、定番とも言えるタミヤカラーのアクリル塗料。乾きは早いがこういうのは急いては事をし損じるので、塗った後は半日とか一日とか放置してのんびりと作った。
 勢いにのって、プラスチックフィギュアのスケルトンを塗ってみたが、どうにも失敗っぽい。うーむ。骨がニュートラル・グレイでは雰囲気がちょっとなぁ……新しい色を買うか。
 まあそのうち手際も良くなるであろう。

 本日の読書:『A君(17)の戦争 5』豪屋大介
 ファンタジーの戦争モノとしては、かなり面白い部類に入る本作品。
 4巻をまるまる一冊ビューティフル・ドリーマーして本巻ではいよいよ背景にある巨大な『世界への介入者』との戦いなども予感させていやがおうにもヒートアップしてまいりました。
 新キャラである王女様は「うむ。お前の嫁になりにきたのだ。なんなら子供も産んでやるぞ」などと豪快かつ率直な物言いが好感を呼びます。
 富士見ファンタジア文庫の中では期待のシリーズといっても過言ではないでしょう。
 
 でもね。

 私はもう完結まで買わない。読まない。

 理由:しんどいから

 こう言ってはなんだが、私は昭和30年代生まれで田中魔王と同世代のオタクである。歴史もアニメもSFもウォーゲームも一通りはこなしてきた。
 いや、どっぷり首までつかっていると言ってもいい。
 だからなんとゆーか、こー、予防線をはって文章を書いている感じとか、いや私は知らないで書いているわけではないんですよ、でも富士見ファンタジア文庫だからこのへんでね、てな感じが鼻につくのだ。
『つーか将来は平成天皇と呼ばれることになっている御方が、煙草を嫌われているそうで』
 だの
『……戦艦8隻巡洋戦艦8隻をいっぺんに建造するよりもムチャですぅ。」
 「そんな一部の人にしか分かりやすくない、魂に余裕のないミリタリー寄りの設定マニアが心臓どきどきさせながらツッコミ入れたがるたとえを使ってはいけないよ……』
 だの
 読んでいて実に痛々しいのである。
 娯楽小説を書いている物書きが照れてどうする。堂々と胸はって書かんか、という気分なのだ。その点で、私の中で本小説は先日の『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』とは対極に位置するわけである。

 本日の読書2:『世界の歴史54 贈り物と宴会』
・二つの宇宙と贈答
 ああっ、なんかこー、哲学的でよくわかりませんが贈与・互酬の概念は各文化でかなり普遍的なわけですな。
・13世紀の世界あれこれ
 ヨーロッパでボタン発明。年号をA.D.で表すようになる。火薬が伝達される。ハーメルンで130人の子供が行方不明に。後の「ハーメルンの笛吹男」伝説へと。
 カイロ大飢饉。人肉まで食われたそうだからかなりひどかったと思われ。イスラムの史料に羅針盤が登場。おお、ここまで来たか。
 ベトナムで儒教の国学院が設立される。この時期の旅行を元にした『東方見聞録』では真実やら法螺やら入り交じった記述が。たとえばスリランカの住民は気力がなく臆病なので兵士には適さず、イスラムの傭兵を雇う……たぶん最後のとこだけ真実。
 中国ではモンゴルがぶいぶい。『東方見聞録』の記述も、マルコ・ポーロが実際に見聞した事が書かれているっぽい。
 日本、褌や日の丸が登場。日の丸は国旗というわけではなく意匠。高麗、民衆の窮乏はなはだしく元から10万石の米を贈られる。よっぽどひどかったのではないかと思われる。
・贈り物が結ぶ世界
 贈与を順繰りに回すことで隣りの社会との関係を円滑にする仕組みは世界のあちこちで見られる。アメリカのポトラッチ、ニューギニア東部の島々でのクラ交易など。こうした贈答の形をした交流・交易には宴会がつきものであった。現代のサラリーマン社会でもそうだが、一緒に飯を食らい酒を飲むのは重要なコミュニケーションなのである。人間の本質ってそう変わるもんじゃないよな。戦争なども、掠奪した宝物を臣下に贈与する事で王の威信を高める効果あり。
・贈与から貨幣経済へ
 ヨーロッパでキリスト教が浸透するにつれ、現世的であった贈与のシステムに、『来世の救いのため』という名目が追加される。ただ、完全に世俗と切り離されたわけではなく、農地を修道院に贈与するから、老後の面倒を修道院でみてくれ、というのもあったのである。教会はこうして蓄えた富を再分配する銀行としての役割も果たした。また、都市においても同様の年金制度などが見られるようになる。
・結婚は交換の中心
 西ケニア、テソ族の婚姻においては嫁償慣行があり、夫側が何やかにやと金や物をふんだくられる。何しろ贈り物を届けた嫁先でビールを振る舞われるためにはビールの壺の蓋を取る「蓋の金」が必要なのである。
・中世都市の人びと
 自力救済で逆恨みだろうが復讐オッケーの中世ヨーロッパでは、都市がアジール(平和領域……非武装地帯(DMZ)?)の役割を持つ。変わりに犯罪には裁判を。都市では村に代わる共同体として兄弟団が結成されたのだよブラザー。
・「芋粥が食べたい」
 はい、言うまでもなく『今昔物語』の一説、芥川龍之介の翻案で一躍有名になったあれ。まあようするに宴会があったらその残り物(下し)を家来がちょうだいする仕組みなわけで。ちょうど武士の台頭する時代だったから、その家来の「侍」の中にはふつーの家臣も入れば、地方の有力武士もいたと、そういうわけであるわな。
・さまざまな新年
 ヒジュラ暦>イスラームの暦。世界で10億人が使用する太陰暦。1年354日でじわじわとずれるが、何しろラマダーン(9月)の断食があるから使わないわけにはいかない。イスラーム世界でも農作業や土着の祭礼は太陽暦だそうな。
 ペルシア暦>イランやアフガニスタンで用いられ、春分の日を元旦にするという農作業的にはきわめてまっとう。ちなみにエジプトのコプト暦はナイルの増水期(8月末)を年初としており、シリア暦は雨が降りはじめ種まきが始まる秋を年初に。農業と暦の深い関係がここにある。
 インド暦>インドだけあって、地方ごとにさまざまな暦が使われている。太陽暦、太陰暦、太陰太陽暦などいろいろ。太陰太陽暦では月がどの星座に位置してるかで日が決まるので、同じ日が2度続いたり、逆に1日とんだりと、実にアバウト。
 ユリウス暦>ユリウス・カエサルによる太陽暦。なぜ冬のさなかに1月1日をもってきたか? 謎である。
 グレゴリオ暦>ユリウス暦のびみょーな太陽年との差異をなんとかしようと100年単位の閏年をなくした暦。グローバル・スタンダード。
 中国暦>年号なんかからも想像されるように、正月とか年号とかは帝王の特権であり、しばしば変更された。現在は太陽暦だが、太陰太陽暦も「農暦」として根付いている。
 

06月07日

 SDアッガイ完成。
 胴体部分は、本来が黄土色であるが、ちょっと思い立って黒を混ぜて塗ってみたところこれが大失敗。手足をつけると実にかっこわるい。
 「待て、あわてるな。あわてたら負けだ」
 母親の血筋であろうか。こういう時にあわてると私はたいがい失敗する。
 で、いったん放置して読書とか他のことをやってから、もう一度考え直す。
 「手足は茶色だ。これに似合う色で手持ちの物はというと……うーん黒か?」
 というわけで、黒で塗ってみる。おお、割合にいい具合ではないか。元々、忍者モビルスーツの異名を取る機体である。明るい系の色で塗るよりはいっそ黒の方が雰囲気にもあっている。
 で、絵の具が乾くのを待ちながら、模型づくりの参考として友人から借りた『ガンダム・センチネル』をつらつらとながめる。
 なんというか“恐竜的進化”という言葉がぴったりくる感じである。
 強そうなイメージを見る者に植え付けるために、肩やら背中やら太股やらにごてごてとくっつけるのはいいが、なんかもうMSの『人型ロボット兵器』という原点を見失っているような気がしてならない。
 ここまでごちゃごちゃしたのでは、なんのための手か足か、という事になる。無意味だろうが非効率だろうが人型ロボット兵器の手は殴るために、足は蹴るために存在するのだと強く主張したい。
 でかい大砲を積載するなら戦車や戦艦で十分である。遠距離砲撃戦を無視した有視界戦闘こそ、モビルスーツのあるべき姿ではないのか。
 というわけで、一年戦争後に開発されたという設定でオレ・モビルスーツを考えてみた。

 RGM−13G GM−G(Grapple)
 一年戦争の後、連邦のモビルスーツ開発はジオンの技術を吸収して飛躍的に進歩した。
 そして、性能が向上し、機体の重量や機動力に余裕ができるようになると技術者は競って強力な火砲をモビルスーツに搭載した。
 そんな中で、格闘戦に主眼を置いたジムがRGM−13G、グラップル・ジムである。
 装備はきわめてシンプルである。ビーム・サーベル1本、ビーム・ライフル1丁、固定武装は頭部バルカン2門のみ。
 なんのことはない、一年戦争で量産されたRGM−79ジムと基本的に同じである。
 だが、だからこそ、なのである。
 出力の向上した核融合ジェネレーターの余力は、ジムを一回り太くした肉厚の装甲に回された。装甲板の改良と合わせ、グラップル・ジムの防御力は往年の名機RX−78ガンダムを上回る物となった。
 模擬戦闘において対戦パイロットに「(弾を)当てても当てても迫ってくる」と言わせた頑丈さは、特筆に値する。
 そして至近距離まで迫ってからがグラップル・ジムの本領発揮である。高出力のビーム・サーベルやナックル・ガードを装着した拳の一撃は容易に敵モビルスーツの装甲を打ち砕いた。
 特に対ビーム装甲やIフィールドが一般的になってくると、グラップル・ジムのナックルはその威力が単純な運動エネルギーだけに有効打となる事がしばしばであった。
 だが、結局のところGM−Gが主力モビルスーツに選ばれる事はなかった。
 性能に問題があったわけではない。ただGM−Gは、「安価」すぎたのである。
 高価な電子装備や火砲を搭載したモビルスーツに比べ、グラップル・ジムは1/4から1/5以下の値段であった。戦時のように大量生産するというならともかく、平時においては兵器産業にとってあまりに旨味の少ないモビルスーツだったのだ。
 よって、少数が教導部隊や訓練部隊に配属されただけの幻の機体に終わったのである。
 この機体に関する一つのエピソードを最後に紹介しよう。
 グリプス戦役において、12機のグラップル・ジムが実戦に投入された。そのうち3機が破壊され、他の機体も多かれ少なかれ損傷を被った。対する戦果はというと撃破1、未確認1であまりぱっとしない。
 だが──
 破壊された機体も含め、全機のパイロットが生還、あるいは救助された。

 本日のDVD:『The Cokpit ザ・コックピット』原作 松本零士
 『音速雷撃隊』を見る。ロケット特攻機、桜花の物語である。
 アメリカ海軍ではこの機体を『バカ・ボム』と罵ったという。貴重な搭乗員を誘導装置として使い潰すというのは、どう考えてもまともな発想ではない。
 だが、この異常な発想による異常な兵器を、この国はわずか60年、2世代前には平然と送りだしたのだ。それはあまりにも苦痛に満ちた記憶であると同時に、決して忘れてはいけない事実である。
 我々は、日本人には、そういうところがある。何かあった時に、極端から極端に走る傾向が。
 決して他人事ではない。周囲を見回してみれば良い。
 人々が、そしてマスコミが、どのような反応を示してきたか、示しているか。

「せめて後30年、生かしてくれたら。あの月までロケットを打ち上げる。それが俺の夢だった」
 と語る特攻隊の桜花搭乗員に、桜花を運ぶ一式陸攻の機長が言う。
「この戦争で死んだ世界中の若いのが、後30年生きていたら、いろんな事をやったんだろうなぁ」

 現代に生きる私はその30年を、特攻隊として送り出された若い兵士の分を、生かしてもらっている。
 だからこそ。
 その30年を、大事にしなければならないと思うのである。

 本日の読書:『世界の歴史49 学院と学生生活』

■学校と知識の役割
 社会の発達と同時に、教育レベルの高い人材への需要が増大。
 特に、イスラム圏においてその動きが早く9世紀から。
 続いて中国でも10〜11世紀から。
 ちょっと遅れてヨーロッパでは12世紀〜13世紀から。

■12世紀の世界あれこれ
▽初期
 シャンパーニュなどの都市で市が日を決めて開かれる。貨幣や手形で決済ができる。ゾーストにドイツ最古の公衆浴場の記録。
 ファーティマ朝の首都カイロでは公衆浴場が盛ん。垢擦り、むだ毛処理、マッサージなど専門の職人がいた。
 アンコール・ワットの建築が始まる。
 アンデスでは性交渉を慎めば神の助けが得られるという信仰が。そういやゲルマン民族でも童貞を捨てる時期が遅いほどいい戦士になるっていう願掛けがあったなぁ。
▽中期
 クリュニー(フランス)修道院で蒔いた種の5倍という当時としては驚異的な豊作の記録が。何しろ蒔いた種と同じくらいしか収穫できない年もざらだったのだ。
 朝鮮では同姓や近親婚の禁止令が。思えば日本はそのへん昔からかなりルーズ。妹萌えとか姉萌えとかも昔からあったのだろうかと思ってみたり。
▽後期
 ロンドンでユダヤ人の迫害。ということはヨーロッパのあちこちで迫害があったのだろう。
 キエフ(ウクライナ/ロシア)、東と西を結ぶ交易都市として繁栄。ここはウォーゲーマーにとっては実になじみ深い都市であるよなぁ。
 アラブでは八百屋が野菜の鮮度を保つために水を蒔いたり、砕いたタイム(タチジャコウソウ)を振りかけたりする。こういうのが文化的生活というものである。
 南宋軍、金との戦いで火薬を使用。いよいよ戦争はきな臭くなってきた。源平の動乱続く京都で左京に散乱する4万2300の遺体の供養が行われる。なんとも世紀末な話である。

■コーラン学校からマドラサへ
 7〜8世紀頃から、イスラームでは、まず子供はコーラン学校へ行く。やる事はひたすらコーランの暗記である。
 出来がいい少年は、マドラサという学校へ行く。10世紀末頃から普及。イスラーム法学を中心に勉強し、卒業した者はウラマーという知的指導層になり、官僚や商人などへ進む。ちなみに勉強はやはりひたすら暗記、暗記、暗記。

■イブン・シーナの勉強法
 イブン・シーナとは後世ヨーロッパでアヴィケンナとして知られる(ちなみに私は知らなかった)大哲学者。イスラームだけでなくギリシア哲学にも手を出す。
 勉強方法は、夜通し寝ずに本を読む。昼間はやはり寝ずに本を読む。睡魔におそわれても我慢する。できなければちょっとうたた寝をして、また本を読む。こうして暗記するまで本を読む。「読書百遍意おのずから通ず」とはこの事か。……しかしもっと効率がいい方法はなかったのかね。

■コーラン学校の教師たち
 あまり学はなかったらしい。よって、あまり社会的地位も高くなかったらしい。「クッターブ(コーラン学校)の先生より馬鹿な人」という悪口も残っている。上述の哲学者も、いい先生が回りにいなかったのだろう。

■大学と学生の誕生
 中世ヨーロッパでは、学生がギルドを作って(これがユニバーシティとかカレッジ)、先生を雇い学問をした。また学生が集団でとった宿、すなわち寮が教室を兼ねるようになり、学寮の起源ともなる。

■蘇軾(そしょく)の科挙受験記
 宋の時代、科挙の試験は下から解試、省試、殿試の3段階に分かれていた。
 解試>全国各地で行われる予備試験
 省試>文芸の進士科、儒教の明経科、法律の明法科など専門ごとに分かれていたが、進士科のみ重んじられ、後に他の科はなくなってしまう。ここの合否が実質的な及落を決めた。
 殿試>皇帝自ら下問する一種の確認試験で、落第はなく、順位を決めるもの。
 こうして科挙に合格すると知的エリートとして、高級官僚の道が開けていたかというと……そうでもない。
 隋に始まるが、この王朝は短命に終わり、唐王朝では門閥勢力が強くてなかなか任官・出世できず、宋の時代でようやくパワー・エリートに。

■皇女アンナ・コムネナの教養
 ピザンティン帝国における教育であるが、お国柄というべきかホメロスなどのギリシア古典の暗記などが行われていた。皇女アンナ・コムネナは『アレクシアス』という史書をものにするほどの才女であったが、キケロ曰く「信頼するに足る単純な文体と叙述のかわりに修辞や学問を気取ったため、ページごとに女性作家の虚栄心が顔を出している」。うわー、容赦がないなぁ。

■教育こそ財産
 イスラーム世界は、ユダヤ人にとってはわりあいに住み良いところであった。何しろ人頭税さえ払えばユダヤ教の信仰はオッケーだったからである。彼らは自らの民族的アイデンティティを維持するために子供にしっかりとヘブライ語の読み書きとユダヤ教の基礎知識を身につけさせた。さらに知識人・学者を育てるイェシヴァという教育機関も設けた。

06月08日

 SDゾック完成。これによって、SD水陸両用モビルスーツ3体セットはすべて完成した事になる。
 友人からドライブラシという方法を教えられ、試しにゴッグの足でやってみる。銀をちらすと、おお、装甲がはげたような感じにっ。素晴らしい技術である。最初に考えた人間は神。
 自信もついたので、手持ちのウォーハンマー系ボードゲームから流用しているプラスチックフィギュアを塗ってみる。
 まずは、バーバリアン。両手持ちのグレートソードを構え、腰布をまいただけのスタイルである。ぺったりぺったり。うむうむ。重ね塗りをする事でそれなりにサマになってくるものではないか。
 次はエルフ。右手に剣、左手に弓という愉快な出で立ちである。エルフだから緑色系で服装は統一してみよう。おお、なんかそれらしい姿に。
 三番目は魔法使い。魔法使いのくせにチェインメイルを着ていやがる。贅沢なやつめ。老人ってことはないだろうから、いっそ黒髪、黒髭に。
 こんな感じで、なかなか愉快な暇つぶしのタネが出来た。
 もちろん、一方では朝からジムで筋肉トレーニングも欠かさない。欠かさないのに体重は減らない。ああっ、力むと腹が出てズボンのボタンがっ!
 いかん。いかんですよこれは。服が着られなくなってしまうではないですか。そういえば最近はLサイズのパンツをはいた時にどうも太股のあたりが窮屈である。
 まあなるようになるであろー。

 本日の読書:『世界の歴史44 アウトローの世界』
 
 ■民衆のヒーローとして
 かの有名なロビン・フッドや水滸伝の登場人物たちのように、無頼の者(の物語)が民衆のヒーローになることがしばしばあった。
 まあようするに、既成の身分制度や信仰の強要に対する反発が、こうしたアウトローをヒーローたらしめたのであろう。

 ■11世紀の世界あれこれ
 ▽初期
 西ヨーロッパで大開墾時代始まる。当時の農民の献立は大麦粥/パン粥+ブタの脂身とキャベツなどの野菜の煮込み。魚は肉より高級食材。ヴェネチアで海上交易の融資・保険制度始まる。
 トルコ人に「雨降らしの石」の信仰……それだけ? 解説っ、解説求むっ。インターネットで検索したところモンゴルに起源を持つ気象操作系の魔法から転じて魔法を意味する言葉らしい。つまりオカルトが流行という意味なのか?
 南インドの献立はバナナ、凝乳(チーズ?)、バター、米、エジプト豆など。香辛料のカルダモン、胡椒も常用。ヨーロッパよりいいもん食べてますねー。上位カーストでは飲酒ひかえめに。
 宋では民間人が武芸者をやとって武芸を習うことを禁止……つまり、それだけ自警の動きが強かった? 日本では熊野詣が流行。
 メキシコのモレロスにトルテカ文化。つまりケツァルコアトル様が信仰されてたのか。
 ▽中期
 西ヨーロッパで煙突発明。それまではさぞ煙が大変だったろう。
 カイロに高層住宅。14階だても。登り降りはしんどかったろうなぁ。
 ウイグル文学の最初の有名な本、道徳書『幸福の知識』……なんかむっちゃいかがわしいタイトル。
 北インドのクジャラートにモスク建造。イスラム人、着々と領域を広げているぞ。ビルマ王、戦争に勝って僧侶500人を国に連れて帰る。そんなにありがたいものだっけ。
 宋で銅銭の輸出禁止を解く。銭不足に。日本もそういやたくさん輸入したんだよな。
 ▽後期
 イングランドの人口、推定150万〜200万人。今の広島県と同じくらいか。
 宋の人口、2496万人(ただし男子のみとの説も)。いずれにせよ、えらい違いだ。

 ■アイヤール
 イスラーム世界の任侠をアイヤールと呼ぶ。都市の発展にともない登場。祭りなどで活躍するのも日本の任侠と近い。

 ■水滸伝の世界
 正業からドロップアウト(落草)した任侠集団の物語。最初は各豪傑ごとの講談話だったのが、元の末期頃からまとめられて今の形に。
 無頼の者たちの特徴としては、独特の服装、特異な風習(食人など)、仲間内だけ通用する言葉、あだ名で呼び合うなど。やはり祭礼では賭博などの管理運営を仕切っていたらしい。
 水滸伝そのものはフィクションであるが、明、清の時代の民衆運動に与えた影響は大きく、禁書扱いされる事も。

 ■『清明上河図』を読む
 張択端の手による絵巻物で、絹本に着色(ただしほとんど脱色している)、長さ5mの大作。清明節(4月初旬)の北宋の首都、開封(東亰)のにぎわいを描いたもので、絵そのものもさることながら、そこから当時の市井の人々の生活を読みとっていく木田先生の文章が素晴らしい。間違いなく本巻における最良の記事であろう。
 もちろんこれは写真ではなく、事実をそのまま描いた物ではないだろうが、それゆえに写真以上に当時の様子を映し出してくれているのだ。

 ■民衆の夢
 ロビン・フッド伝説が登場して広まるまでの流れを解説。日本では琵琶法師が『平家物語』を吟じていた頃、イギリスでは吟遊詩人がロビン・フッドの物語を披露していたかと思うと興味深い。
 当初は自作農だったロビン・フッドが16世紀以降は貴族に格上げされ、物語も勇壮な物から中世バラッド時代には登場しなかった恋人マリアンとの恋愛物へと変わっていく……のはともかく、筆者の上野さんがそれを嘆いているのが私としては興味深かった。なんかこー、「萌えなどいらぬ」って感じで。

 ■京童の「悪行」
 京は大内裏、朱雀大路を中心に東(洛中)と西に分かれ、西は10世紀に書かれた慶滋保胤の『池亭記』によると、湿地が多くて開発が遅れていたらしい。……ん? 保胤? どこかで聞いたような……ああ、そうかっ。こないだ読んだ『陰陽の京』の主人公ではないか。そーか。そういやこのへんの時代だよなぁ。安倍清明なんかも。
 話を戻すと、東の京はさらに上京(内裏や権門の屋敷などあり)と下京とに分かれる。京童はこうした上京の屋敷につとめる身分の低い侍や雑色であったらしい。主人が地方の受領となって自分も地方に行くと権力をかさにきて「不善」をなして金を貯め、いざ小金持ちになって悪い仲間に狙われるとそいつらを捕らえた上、出獄後の報復をおそれて皆殺しにするという「悪行」をなしたり、とは『今昔物語』。
 まあこういう乱暴行為のどちらにも京童が絡んでいた。彼らの多くは若く、無鉄砲で、衆を作って悪さをした。中には俺はいずれ一角の大人物になるんだと吹聴していた奴もいたかもしれない。
 そう。何しろあの平清盛も、若い頃は京童だったのだから。
 

06月09日

 一日一冊を目標に読み続けていた『週刊朝日百科 世界の歴史』であるが、さすがに今日は息切れ。
 あーちょっと疲れたか。微熱も出てるし。

 本日の読書:『ガンパレード・マーチ episode ONE』榊涼介
 むかし怪しげな戦国時代&幕末物を書いていたという点で記憶していた榊さんが、ゲームのガンパレード・マーチをノベライズしたシリーズの一冊。
 いや、読んだのはこれが最初だが他にも既刊が3冊ある。
 まあそれはともかく、ガンパレード・マーチである。こないだアニメも見た。もちろんゲームもプレイした。
 どういうゲームだったかというと、痴情のもつれで険悪な雰囲気になった部隊を何とかしながらむちゃくちゃ後がない戦争をひたすら行うゲームであった。
 痴情のもつれというのは冗談でも何でもない。
 私は、こう言ってはなんだが、シミュレーションゲームに関してはちょっとうるさい。難易度は、普通の人が悲鳴を上げるくらいが丁度いい。ただ、運任せや単調なのは勘弁で、詰め将棋みたいなのがいいのだが。
 で、その私の目から見てガンパレード・マーチのシミュレーション部分は難易度はやや高いものの、どちらかというと単純作業の繰り返しで、あまりチャレンジ精神をかきたてられる物ではなかった。
 だが、痴情のもつれに関しては違う。
 これはそうとうに熾烈で、戦闘などよりよほど危険であった。
 なんといっても、本作でも登場する恐るべき整備班長、原さんには、何度となく殺された。ウソではない。本当に殺されたのである。
 頼りになるお姉さんという雰囲気の原さんの中には、どす黒い怨念にも似た激しい愛憎が渦をまいていたのである。
 彼女が、主人公(私)に裏切られたと思ったら、もう最後である。彼女は常にナイフを持ち歩き、そして私を見つけると甘えるようにすりよってきて、

 ──ナイフで刺すのである。

 どすっ。
 私は、幾度となく腹腔を貫く刃の感覚に恐怖した。
 ぐりゅっ。
 それだけでは飽き足らないのか、原さんはナイフをねじりあげる。ぶちぶちと内蔵が切断され、動脈が引きちぎられて血があふれだす。
 どぼどぼ。
 ナイフを伝わって原さんの手までを血まみれにし、赤い動脈血が地面にしたたり落ちる。
 膝の力が抜け、がくり、と私は跪く。臣下が王の前で許しを請うように、原さんの前で。
 原さんはうっとりとした表情で私を見下ろす。しだいに視界が暗くなる。
 そして私が死の間際に見た光景は──
 陶然とした表情で手についた私の血を舐める原さんの顔。
 これまでで見た、一番きれいな──

 という経験を、もう数え切れないほど味わったのである。とてももう一度プレイしたいとは思わないのであるが、小説はなかなか面白かったので、残りも読む事にしよう。

06月10日

 ううむ、微熱が下がらない。
 こういうのが一番やっかいである。大人しくしているには退屈だし、かといって何かをするには身体がだるい。
 精神の方も今ひとつ退嬰した感じである。
 一言で言うと、「かったりー」。
 二言で言うと、「むちゃくちゃかったりー」。
 カタカナだと、「ムチャクチャカッタリー」。
 おお、なんかハウス食品あたりの商品名のような感じが。香ばしいスパイスの匂いがただよってきそうである。


 ……いかんな、おとなしく寝ることにしよう。

 本日の読書:『世界の歴史39 海の交易路』

 ■にぎやかなインド洋
 インド洋周辺は生物相も豊かで古来、交易品に不自由しなかった。紀元前10世紀頃のシバ(イエメン)の女王はエルサレムのソロモン王のところへインドの物産を持っていったという。その後も南インドから大量のローマ時代の金貨が発掘されている(ただローマ帝国の金貨だとは書いてないので私のよーな疑い深い人間は困るのである)。
 7世紀以降、東に唐、西にアッバース朝と大帝国が誕生するとインド洋交易はさらににぎわいを見せる。アラブ人が唐の広州に万を数える居留地を作ったりした。(一方で唐末にはやはり万を超える外国人が虐殺されたりしてる。どこでも儲かってる外国人はどうにもこうにも憎たらしいものらしい)中国の宋の時代となると鉱工業の発展などで商業化はさらに進む。マ・クベ大佐が愛する壺なども重要な交易品であった。
 さらに12世紀以降は、北インドも10世紀のトルコ系ムスリムの征服(ガズナ朝)などもあって広大なムスリム商業圏の一角に入る。
 全体的な特徴としては、国家権力や軍事力を背景としない自由貿易が主流であった事だろうか。このへん、ヨーロッパの大航海時代以後の植民地主義などとの違いが興味深い。

 ■9〜10世紀の世界あれこれ
 ▽9世紀
 西ヨーロッパでは、聖職者を除きラテン語が分かる者がいなくなる。退化だ〜、退化してやがる〜。北ヨーロッパに本格的都市集落。木造要塞に木造家屋……びみょーに弱そうであるが、日本だって偉そうな事はいえないのである。タマネギを常食とあるが、これは北ヨーロッパに限らんのではなかろうか。
 819年、イランでカリフ立ち会いのもとチェスの選手権大会が開催。バグダード市内に浴場だけで6万軒……絶対それ、さば読んでます。つーか、筆者も編集者も誰も疑問に思わないのかっ!
 ウイグル、キルギスに敗れて西へ。トルコ人はフェルトの服を着て、フェルトの天幕に住み、馬乳を飲み、馬肉を食べる。中央アジアにいた頃は質実剛健だったのである。
 メキシコで金属器導入。ほとんどが銅製。
 ▽10世紀
 西ヨーロッパでは城というものはまだ石ではなく丸太造り。イングランド、ヴァイキングにデーン税、つまりみかじめ料を払い始める。連中はおっそろしいのだ。
 バグダードでは上流階級はニンジンが嫌いで柔らかい白パンが好き。好き嫌いできるのは金持ちの特権だよな。
 イブン・ファラドーンの『ヴォルガ紀行』によると、トルコ人は副葬品として生前に殺した人数分の木の像を埋めるそうな。キルギス人は火葬。ついでに故人の召使いや奴隷も一緒に埋めることも。しかも生き埋め。やめろ〜。呪ってやる〜。
 中国で纏足の風習が始まる。宋では民間の送金手形発行を禁止。という事はけっこうやってたわけだな。民間の、という事は官制もあったわけで。
 エスキモー、犬をそりに使い始める。それまでは人力だったのか?

 ■港市シーラーフ
 イランのペルシア湾岸の商業都市シーラーフは、大型船舶が入港できたので交易の中継都市として栄える。9〜10世紀の最盛期には人口60万人。うひゃー。夏は南西モンスーンを使ってここから西、インド方面へ。冬には北東モンスーンを使ってインド方面から船団がやって来た。後にイラクが荒廃すると、さっさとシーラーフの商人たちは紅海方面へ移住し、カイロとの交易に。町は寂れる。

 ■ムスリムたちの旅の手引き
 このころの地図が5つあるが、どれもこれも独特の世界観を表していて面白い。ほー、南が上ですか。形はいい加減であるが、地図によっては東は中国、西はヨーロッパ、北アフリカまで描かれている。イブン・アル・ファキールの『国々の奇事の学』による地図も掲載されており、それによると世界は鳥の形をしているそうな。亀の上の象の上の世界というのはよく聞くが、鳥というのは初耳、いや初見である。いったいその本にどういうもっともらしいウソが書いてあったのか興味深い。

 ■海の冒険商人
 インド洋で活躍したのは木製のダヴ船で縫合型構造船(竜骨がない)。三角帆を利用。『アラビアン・ナイト』(ペルシア語説話集から8世紀頃にアラビア語で編纂)の船乗りシンドバードの冒険について本書では『到底すべてが事実とはいえないが』とあるが、いや、まぎれもなくあれは大法螺だと思います、藤本先生。同じような本として『インドの不思議』というペルシア人の書いた船乗りから聞いた話が一部掲載されているが、これにも『70隻の海賊船に出くわしてしまったのです』などと愉快な法螺が書かれている。
 『シナ・インド物語』というアラビア語の本もあり、これにはインド洋交易の品々が記載されている。中国の絹、チベットの麝香、モルディブ諸島の竜涎香、インドの胡椒、マレーの錫などの多くの産物があげられている。中国では犀角が高値を呼ぶとか、広州での関税の実態や取引方法など、商人のための豆知識集となっている。

 ■紅海の交易都市サワーキン
 見開きのイラストで、丸い出島のような小島に港やモスクなどびっちり建物が密集している絵が描かれている。こういうのはながめているだけで楽しい。

 ■南海の中国人
 唐代の揚州や広州には南海から外国船が多数入ってきた。外国商人の主力は大食(タージー)と呼ばれたムスリム商人で、「貧乏ペルシアに病気の医者」という俚諺が残っているように、銭荘(金貸し)などでぶいぶい言わせていたらしい。
 北宋末に朱ケ(しゅいく)が書いた『萍(へい)州可談』という本でも、やはり外国商人といえば大食で、広州に住む外国人の蕃坊(区画)ではある程度の自治とイスラームの信仰が許されていた。商船に出資したら帰港時に利子10割。ただし何年帰ってこなくても利子は上がらない。もしかして持ち逃げもっ? 航海中船は嵐よりも座礁を恐れるとか、飲み水の補給に注意しないと虫がわくとか、船が漏水すると鬼奴(肌の黒い南海奴隷で崑崙奴とも)に船の外側から補修させるとか、指南針という羅針盤を使っているとか、なかなか貴重な本である。一方で、身の丈110丈(360m)のノコギリザメ(もちろん、船をまっぷたつにするのである)の話とか、山のように巨大な蛟竜をさけるまじない(絶対効果がある)とか、愉快な法螺話も一緒にしてある。
 マルコ・ポーロの時代(13世紀の元)の中国船は、かなり大型で堅牢な船も造られており、海の民であるヴェネチア商人のマルコを驚かせている。中国ではその前の南宋の時代の船が発掘されたが、マルコの証言を裏付ける堅牢な造りであったそうな。

 ■船乗りの神々
 大海原を相手となると、最後はやはり神さま頼りである。ヨーロッパではギリシア・ローマ時代から悪霊を追い払う「目玉」が船首につけられ、これが後のフィギュア・ヘッドになったという。またキリスト教の聖人ニコラスやペテロは漁師をしていたので船乗りの守護聖人であった。
 中国では、やはり海神様として竜が信仰されてきたが、11世紀頃からま(女馬)祖信仰が盛んになった。なんでも福建省甫田県の林さんところの6女(えらい具体的だなおい)が、道教の道士から教えられた不思議によって海上で遭難しかけた父(林さん)を救った事から船乗りの女神になったという。東南アジアまで伝来。

 ■香料のある暮らし
 乳香、没薬、白檀、沈香などの焚香は宗教行事などでよく使われる。日本の線香も仏教伝来と共に西から伝わった。初期のキリスト教では病気の多くは一種のこころの病で、取り憑いた悪霊は焚香、薫香で治るとか言っていたらしい。
 インドではココヤシやマングローブなどの木材が中東へ輸出され、船の材料に。一方で11世紀以降、トルコ系ムスリムの騎馬民族が侵入してくるとインドのヒンドゥー諸王国は中東から馬を輸入。騎馬隊に対抗するにはやはり騎馬隊が必要だったのだろう。

 ■賭博
 元々は賭博と占いは同根であった。賭博用具の原点ともいうべき物はサイコロで、最初はタカラガイなどの表裏という2面ダイスだったのが、紀元前2千年ぐらいには骨を使った立方体が誕生し、4面やら6面やらに進化した。現代のRPGではさらに8面、10面、12面、20面など多様なサイコロが使われている。
 中国では盤上遊技として紀元前3世紀までに六博(双六)が誕生し、碁も生まれた。将棋の原型はインドで、紀元前3世紀頃のチャトランガなどが判明している。西にいってはチェスになり、東に行っては日本まで。広島市の平和公園でも、30年ほど前は日曜日になるとゴザを敷いて賭け将棋に興じる人々がいたものである。
 スポーツも賭博として使われた。古代オリンピア競技も賭博の対象となると同時に不正が発生。ローマ帝国では剣闘士の戦いに金が賭けられた。現代でもサッカーくじなど、根強く残っている。
 闘牛が古代エジプトの壁画などに残っているが、動物賭博もこのころからはじまるのでは。闘牛、闘犬、闘鶏をはじめ駱駝、豚、蛇、魚、虫、鳩、とまあ一通り人間というのはやってみるものである。現代も競馬は盛んだし。
 宝くじは、元々は目的があったものが多い。日本の江戸時代の富くじは寺社修復費用の調達、ヨーロッパのロッテリーは相続人のいない財産の分配、アメリカの南北戦争では北軍(つまりあの偉そうな顎髭のリンカーン大統領)側が戦費調達に。言うまでもなく、このタイプは射幸心をあおるので現代社会でも根強い人気を誇る。

06月11日

 だるい

06月12日

 少し元気になる。
 プラスチックフィギュアのスケルトンを塗る。手には死神御用達風の鎌を持っている。……なんて楽なんだっ。
 感心してしまう。いやー、骨しかないと、塗り分けが必要ないからなぁ。
 ついでにプラスチックフィギュアのミイラ男を塗る。……さらに楽だっ!
 何しろ包帯をまいているだけなのである。あまりに愛想がないので、インパクトとしてふんどし部分だけ色を変えようかと思ったくらいだ。
 ミステリー好きの友人と話をする。
「全然別の動機で複数の人間が殺人事件を起こすが、被害者が時間的・地理的・人の縁などの面で近い人物だったため、読者には連続殺人のように見える、という作品書くの禁止」
 よほど飽きたらしい。
 
 本日の読書:『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流
 第8回スニーカー大賞、〈大賞〉受賞作。なんというか、見事に市場原理にのっとった作品。
 分かりやすいストーリー。
 読みやすい文章。
 かみくだかれたキャラクター。
 心地の良い演出。
 古典SFならよくあるネタをちょこっと持ってきてある部分などに面白みをわずかに感じたが、私なら読んで速攻でゴミ箱に叩き込む作品である。大丈夫。私にも学習能力はあるから、これは友人からの借り物である。
 こういうのだ。こういうのを書くべきなのだ。商品としての小説、特にヤングアダルトとはこういうものなのだ。
 それが分からない奴は、同人をやっとれ。そういう出版社の血を吐くような思いが伝わってくるようではないか。

 本日の読書:『世界の歴史34 暮らしと宗教』

 ■文化複合体としての宗教
 シルクロードで変容した仏教を元に、宗教というものが拡大するにつれて、単に信仰の場としてだけではなく、美術などの芸術・文化、政治活動、娯楽(ものによっては好色文学さえ例外ではない!)などの様々な物を取り込んでいった点を力説。

 ■7〜8世紀の世界あれこれ
 ▽7世紀
 ピザンティン帝国、穀倉地のエジプトをペルシアに奪われ、いわゆる「パンとサーカス」ができなくなる。ブリタニアのキリスト教化すすむ。
 7世紀初頭、ムハンマドに神の啓示がある。そういう人間はこれまでも、これからも、山のようにいたしいるし出現するであろうが、この男のは特別に「きて」いた。なんとシリア、エジプト、イランとじゃかじゃかイスラーム化が進むのである。おそらくは「ありがたい神の教えを広めよう」という善意から来たのであろうが、できれば私にはご遠慮願いたい。
 インドではヴィシュヌ神、シヴァ神の信仰が広まる。仏教文化が栄える一方で、カーストの分化も進む。
 随の国勢調査、人口4601万9956人。大運河も完成。でも、あっというまに滅ぶ。諸行無常。日本では聖徳太子ががんばったり大化改新があったり、朝鮮経由で多くの文物を輸入して近代化をはかる。
 マヤ文明の中心地、ティカルの人口は約1万人。
 ▽8世紀
 ヨーロッパで、キリスト紀元が普及。ピザンティン帝国では、王室工場のほかに修道院が手工業生産の場となる。西ヨーロッパで三圃式農業がはじまる。
 アラブ、上流階級の間でポロ流行。馬を巧みに操れるということは、騎兵隊も編成できるということだろうなぁ。バグダード建設。競馬場もできる。
 唐とイスラーム(とうとう中央アジアまできた)がタラス川の戦い。これを機会に製紙技術が西方に伝わるというのは有名なのだが、いったいなぜ戦闘で勝って製紙技術? 技術者が捕虜になったとしてそいつの名前が残ってないのに、この戦いがきっかけだという事だけ伝わっているのはなぜ?
 唐の人口は4814万3609人。塩の専売を実施。価格が一気に11倍にはねあがり、闇商人が横行する。日本では服装として袴や足袋が普及する。

 ■国際都市長安の宗教事情
 仏教は、中央アジアからシルクロード経由で中国までやってきたが、やっぱり原典に触れたいというのが宗教家の情熱というものであろうか。三蔵法師こと玄奘が三蔵(教蔵、論蔵、律蔵)の梵本675冊を唐に持ち帰ってさあ翻訳だぁ、とがんばったのも7世紀の話。
 密教は道教と呪術比べを天子の前でやったりとか、宗教思想の真理探究というか、西方伝来のマジックというか。でもなんかやっぱりこういう方が天子にはありがたいらしく国師になったりして。弘法大師空海も、教えを受けたりしたり。
 中央アジア経由からは、さらにゾロアスター教(拝火教)とかがはるばるやってきたり、景教(ネストリウス派キリスト教)がやってきたりとか。なんでもキリストと母マリアは神ではなく啓示者だとゆーので、異端邪説として迫害されたらしい。ええやんそんなん、とか他人事だから思うのであるが、我が家の浄土真宗だって西門と東門とかに別れていたりまあ身内ほど気にくわない時は気にくわないのであろう。

 ■コーランと日常生活
 イスラームの教えを奉じるアッバース朝が「平安の都」=バグダードを建設。9世紀の史料によるとなんと人口150万人。ティグリス・ユーフラテスの沃野と水上交通に支えられた大都会である。そこに住む人々を律するのが、イスラームの教え、シャリーアである。日常生活の規範ともいうべき5柱の教えを中心に、人々の生活に深く根ざしたのがイスラーム教の特徴といえよう。それが現代まで続いているのがいいことなのかどうなのかはさておいて。
 ちなみに「5柱」とは、信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼である。

 ■世界の巡礼地
 世界地図(アメリカは一部だけ)が見開きで描かれ、そこにびっちりと世界の巡礼地が、宗教ごとに違うマーク入りで書いてある。見ているだけで愉快というか、呆れるというか。

 ■イコンとマリアの地
 キリスト教は偶像崇拝を禁止している。まあそういう事になってる。元はといえば、ユダヤ教からきたもので、旧約聖書の「出エジプト記」でシナイ山でモーゼが十戒を受け手いる間、なーんか自信をなくしたユダヤ人たちは黄金の牛の像を造って崇めたので、モーゼ激怒とか。絵まで掲載されてますですよ。ああっ、モーゼが十戒を刻んだ石版を画面の隅から投げつけようとしてますっ。なにもそこまでかりかりせんでも。そういう余裕のない態度が、めぐりめぐってバーミヤンの大仏を爆破したりすることになるのではないかと思うのですよ。
 で、やっぱりキリスト教徒も人の子なので、形があるものがいいなぁ、でも偶像崇拝はダメだって聖書にあるしぃ、っていうわけで出てきたのが聖遺物と聖像画である。
 聖遺物は、そのものずばり、聖人の遺骸とか遺品とか、死に絡んだ物とか、そういうものである。RPGでも、聖者の骨を剣の柄に入れると対アンデッドにプラスボーナスとか、そういうのがあるので聖遺物は重要である。しかし、キリストが磔にされた十字架(と言われているシロモノ)にキスするふりしてかみついて、破片をいただこーとか、そういうのはやっぱりフェチ(呪物崇拝)だよな。
 聖画像の方は、さらに偶像に近いのであるが、元々は、カタコンベの十字架や子羊の装飾とか、教会のステンドグラスとか、そういう装飾品から行くところまで行ったわけなのである。何しろ聖画像(イコン)そのものに御利益があると考えるようになっちゃうわけで。ピザンティン帝国の皇帝の中には、神学的にみていかんやろ、とか考えてイコン禁止、とか言い出した人もいるのだが、結局は民衆のフェチが勝利するのである。

 ■人身供犠の祭り
 隋書に古代クメール人についてこう書かれている「都の東に神がましまし、婆多利(パドレスヴァラ)という名である。これを祀るには人肉を用いる」。ちなみに都は当時ラオス南部にあったそうな。クメール人はその後、南に移動してアンコール文明を築き上げ、カンボジアにアンコール・ワットとか作るのであるが、それはまあ置いておいて。で、クメール人が聖山として信仰していた山は、千数百年たってラオスのラオ人の時代になっても、名前は変われどやっぱり聖なる山なのである。じゃあ生贄も、と思ったら、さすがにそれはせずに水牛を生贄として捧げる童貞と処女の身代わりにしている。
 タイ北部の方でも似たような伝承はあって、先住民ラワ族の精霊は人肉を「うまうま」と食っていたのだがお釈迦様がやってきて「それはだめー」というので、水牛で我慢する事になったとか。

 ■葬送と死生観
 葬送の構造はだいたいどこでも、「死」>「死体の破壊」>「浄化」の三段階を踏む。
 ・洗骨 家とかにおいといて腐っていくのを喪に服して待って、最後に骨を洗ってきれいにしちゃう。
 ・土葬 「埋葬」という言葉が意味するように、実に一般的な方法。死者を地下に、という観点から地下に死者の国があるという感覚にもつながる。ボルネオ島では完全に埋めずに枝や葉っぱをかぶせるだけというのもある。
 ・風葬と鳥葬 まあようするに、鳥獣が食べるがままにほうっておくわけであり、いわゆる放置プレイ?
 ・火葬 すみやかに処置、というのと火による浄化、というのでこれまたポピュラー。むかしのRPGでは敵を殺しただけでは復活してくる事があったので、焼いて灰にしてそれを海や川にばらまくという事をしたものである。
 ・水葬 どんぶらこ。メラネシアの諸民族やアメリカ・インディアンの間でみられる。沖合まで運んで船ごと沈めるとか。
 ・ミイラ化 乾燥方法によってさまざま。エジプトのミイラは、香辛料と炭酸ナトリウムに漬け込んで、布にくるむ。東アフリカでは死体の水分を絞り(どうやるのかたいへん興味深い)内蔵を取り出してバターに漬け、また死体に戻す。オーストラリアのアボリジニや北米インディアンでは火で炙って乾燥。南太平洋では、日干しにするところもあり。だいたい赤道をとりまくようにして点在。
 ・食っちゃう 出たっ! 出ましたっ! 屍食ですっ! ハンニバル・レクター博士大喜びですっ! ところが、どっかから(美食倶楽部かなにか)圧力があったのか、内堀先生の口調は「その実態についてははっきりしないところが多い」などと逃げていますっ。まあ、全部食べちゃうわけではなくて、死者に愛着を示すために肉の一片を口に含むとか、そういうものが多いらしい。

 ■コミカルヒストリーツアー
 あいかわらずいしいひさいちさんの4コマは面白いなぁ。最初の1コマ目にイスラーム教徒と書かず、回回(中国での呼び名)と書いてあるのがミソ。

06月13日

 熱を出してダウン

06月14日

 引き続き熱を出してダウン。

 本日の読書:『ガンパレード・マーチ5121小隊の日常』
 ゲームではあまり深く語られる事のなかった、5121小隊の日常。
 というか、日常=戦争なのですが。
 1945年、第二次世界大戦は予想もしなかった形で終結した。
 「黒い月」の出現。そして人類の天敵、「幻獣」の襲撃。
 人類は互いに殺し合うのをやめ、共同戦線をはって幻獣と戦った。それは長く苦しい消耗戦となった。
 じわじわと幻獣の領域は広がり、人類は自らの領地を熱核兵器で焼き払うというきわめつけの焦土戦術を行いながら後退を続けた。
 イギリスも、ソ連も、インドも、中国も滅びた。ユーラシア大陸から撤退した人類は、次にそれにはりつくように弓の形をした弧状列島──日本で戦う事となった。
 大損害を受けた日本軍は、その損害をカバーするために学徒動員を行った。
 いわば彼らは捨て駒であり、学徒兵が死ぬ事で稼ぐ時間によって、正規軍を再編成する。それが本当の目的だった。
 幻獣との最前線、九州は熊本。
 そこで、ただの捨て駒であったはずのただの一小隊が──
 これはその「彼ら」の物語である。

06月15日

 少し回復。
 日曜日だが、今日はジムではない。
 福山へ行って、病院に入院している叔母を見舞ったのである。なんでも転んで膝の皿を割ったそうで、転んだぐらいで割れていては瀬戸物のよーなもので、くしゃみ一つするのも大変ではないかと言ったら、たいそう不服そうであった。
 この叔母には、幼児の頃から、というか生まれた時からお世話になっている。幼稚園のころは夏休みになると泊まりに行って、当時はまだ元気だった祖父とかとも遊んでもらったものである。
 そういうわけで、ふと思い立って見舞いの帰りにその幼稚園のころに遊んでいた公園へと立ち寄る。
 周囲をコの字型に囲まれた小さな公園で、中央に石造りのクジラがあり、その口の中とかに入って遊んだものであるが……おお、30有余年たってみると、なんと腰までもない小さなクジラであったのだなぁ。そのころは何もかもがとても大きかったのだが。
 そしてくるりとクジラを回ってみると……ありゃ。
「きゃ」
 大学生らしい若いカップルがクジラを背中にいちゃいちゃしていた。
 いや、おじさん別にのぞきをしよーとか、そういうつもりではさらさらないのですよ? とゆーか、児童公園でナニをしていますかキミ達は。確かに、人の視線は遮られていますが、子供が遊びにきたら
「おにーちゃんとおねーちゃんがチューしてるー」
 とか、騒ぎ出しますですよ?
 まあ、そしらぬ顔で通り過ぎましたが、内心げらげら笑っていたり。
 おそらく私がまだ幼稚園児で、あの公園で遊んでいた三十年前にも、やっぱり人気がない時にはあの公園でいちゃつくカップルがいたのだろうなぁ、と思うと。
 そして、望むらくは三十年後にも。
 善哉。善哉。

 本日の読書:『ガンパレード・マーチ5121小隊 決戦前夜』
 おちゃらけた表紙絵と、帯の「もとこちゃん大ピーンチ!!」とかにのせられてうかうかと買った人がいたら、かなり気の毒なシチュエーションである。
 3月から4月までの戦いで、九州方面の軍の戦力は80%ダウン。
 そのくせ、戦線の穴を埋めるために独立混成小隊をやたらと作ってはそれこそ銃の撃ち方や分解・組み立ても知らない十代前半の少年少女を最前線に送り出し、死なせる。本土から新兵が送られて来た時には、既に基幹となる部隊は壊滅している。
 戦況は洒落になっておりませんぜ、旦那。末期症状というか、もうすでに昏睡状態の患者というか。
 そんな中、上層部は乾坤一擲の作戦に打って出る……ああっ、そんな日本人が好みそうな、しかも必ず失敗するような作戦をっ。
 熊本城決戦──そう、『決戦』なのである。これで負けたら後がないのである。では勝ったら事態はよくなるのかというと、実は貴重な予備戦力も全部すりつぶして身動きとれなくなるだけではないかと。
 それでも、前線の兵士は戦わざるをえない。これまでは後方にいた整備部隊もおっとり刀で銃を握り戦う羽目になる。うわーっ。その状況はもう、なんとゆーか、負け確定ではっ?
 果たして戦いはどうなるのか?
 それは次の巻のお楽しみなのである。

06月16日


 夜に発熱。ばたんきゅー。

 本日の読書:『朝日百科世界の歴史29 街道と町』

 ■神と人の通る道
 写真が1枚。荒涼とした大地。地平線まで続く、岩と砂。その中に、緑のベルト地帯が──オアシスである。城壁に囲まれた、幅50m、長さ400mほどのそこには、ただ緑だけがあり、そこに水があることを教えてくれる。
 人々は、こうしてオアシスからオアシスへと、旅を続けたのだろう。
 道は、人を、物を、情報を流す。それだけの事が、文明にとってはとても大事だったのだ。ローマは無数の街道を造り、その道が保証する高速交通網を利用して長大な国境線を守ろうとした。そこには、実に合理的な戦力の有効活用という視点がある。
 人々が道を行き来している文明は健全である。そしてそれはインターネットの世界にも言えるのだろう。

 ■5〜6世紀の世界あれこれ
 ▽5世紀
 コンスタンティノポリスの人口20万人に。国際都市として多数の民族が住む。
 アラビア半島で賞金を賭けた競馬で不正が発覚。部族間戦争に発展。
 トゥルファン、制度・文物・冠婚葬祭は中国風。服装は男イラン風、女中国風。漢字とイラン文字を併用。
 インド、このころから10進法。
 このころの江南の茶のいれかた。餅状の茶をあぶって砕き、湯を注ぐ。ネギ、ショウガを加えることも。どういう飲み物だ。
 ▽6世紀
 コンスタンティノポリスの人口40万人に。ピザンティンではチュニック、長ズボンなどの遊牧民の服装が一般服に。一方でイタリアとアフリカでローマの学校制度消滅。暗黒時代はじまる。
 インドからイランにチェスが伝来。イランでは紙を中国から輸入し、宮廷への報告書などに使用。おお、文明人だ。
 陶弘景が『神農本草経』を著作。薬物を上(不老長寿)、中(健康薬)、下(治療薬)に三分する。建康の寺院500余り、僧10万人。

 ■緑のオアシス城郭都市
 水だ。
 まずもって水である。
 人が生活するには、そこに住むには、都市ができるには、水の存在が不可欠である。
 砂漠というか荒野というか、そんな中央アジアにもあちこちに水系は存在した。というか、存在しないと人が住めないしシルクロードもできない。
 その一つが、ザラフシャーン川流域である。パミール高原の雪解け水を集めて西流するこの水域は、古来、人々の灌漑水路などもあってまさに白い砂の上の緑のベルトのような景観を持っていた。
 この緑のベルトの中心都市として栄えたのが、サマルカンドである。紀元前10世紀頃からの古い歴史を持つこの都市は、今でこそウズベク共和国などという日本人にとっては聞いた事があるよーなないよーな、アフガニスタンの北にある小国の一都市であるが、かつては計算高い商人であり勇猛な戦士であったソグド人の支配する町であったのだ。
 かの三蔵法師もこの町を訪れた時にシベリアの毛皮、中国の絹、インドの香辛料といった「異方の宝貨」(『大唐西域記』より)を見ている。
 その後、13世紀にこの町はモンゴルの徹底的な(あいつらは理性的に野蛮さを発揮するのだ)破壊を受けたが、14世紀から16世紀のティムール帝国の首都として歴史の檜舞台に再び立つのである。

 ■オアシスと都市
 その水であるが、人口が増えると水は足りなくなる。これはもう自明の理である。人間もそういう意味ではウィルスや微生物と変わりがなく、環境さえ許せばぽんぽこ増えるのである。
 たとえばシルクロードの西の端、シリアの古都ダマスクスであるが、ここはバラダ川という山から流れ、砂に消えていく川の水利を利用していた。ここにカナート(ここでは主に表流水路で、地下の横穴式は特にカナート・ロマーニと呼ぶ。ああ、確かにローマ人が掘りそうな水路だよなぁ)を網の目のようにはりめぐらし、複雑な水利慣行を行っていたが人口がわずか20年で53万人から300万人に爆発的に増加したため、灌漑農業は危機に瀕している。

 ■国際商人ソグド人
 はい、よその国までずかずか入り込んできて金儲けをする連中を、よく思わないのは皆さんも心に覚えがあるでしょう。中国人は「サマルカンドでは、子どもが生まれると口の中に石蜜(砂糖)を入れ、掌に膠をおく。その子が成長したとき、口はつねに甘言をあやつり、銭をもてば膠でねばりつくようにと」と揶揄している。
 ソグド人は漢人の史料では胡と呼ばれている。中央アジアを中心に拠点を置き、西へ東へと旅をして商売をしてきた。西はコンスタンティノポリス、そして東は洛陽であるが、なんと日本にも証拠の品がある。もちろん、ソグド人が直接持ってきたわけではないだろうが、ソグド語の焼き印が押された香木が法隆寺の蔵にしまってあるそうな。うはー。
 ソグド人はその時に強力な遊牧民と協力して、その軍事力を背景に商売を有利にすすめようとした。マニ教の布教活動などもそのあらわれである。だが、8世紀からのイスラーム侵攻によってソグド人は文字や宗教といった民族のアイデンティティを失う。東方でその後をついだのはウイグル人であった。
 
 ■異分化の渦巻く都市
 ササン朝(ペルシア)の主な通商路と題した地図が掲載されている。イランというと、こう、なんか全体的に砂漠っぽい白いイメージであるが、内陸はともかくけっこう山がちであるのだなぁ、と感心する。こうして見るとやはり、チグリス・ユーフラテス川にきっちり要となる都市が必要である。
 だが、アレクサンドロス大王の遠征の後、古都バビロンは急速に衰退し、その代わりとしてクテシフォンという町が誕生した。
 ここは後にイランの橋頭堡ともいうべき地となり、様々な分化が住み分けを行うようになるが、やがてアラブ人によってイラン人は追放されたのである。

 ■民衆の道、王の道
 イランの(現代の)道をたどりながら、かつての古道とそこを旅した人々についていろいろと思いを馳せようというコラム。こういうの好きです。ビーストゥーン(神の座)山のそそりたつような威容の写真とか、そこに彫られたダレイオス大王の碑文とか、クテシフォンが栄え、サマルカンドが栄えた頃のイラン高原の道は、ローマ人の舗装された道とはまるで違う、人が通り動物が踏み固めた自然の道で、それはやはりそこを行き来する人と物の量的な限界、ひいては質的な限界を表しているように思える。

 ■チャードルの効用
 イラン女性は、全身をチャードルで覆う。これはなんか古めかしい、女性には気の毒な事のように感じる人もいるかも知れないがあにはからんや。女性にしてみれば、どんな粗末な服でもチャードル一枚で、どこへ出ても恥ずかしくない服装になるのである。逆に、チャードルの下でどんなきらびやかで肌も露わな格好をしていても、これはもう全然オッケーなわけで、ははぁ、と感心することしだい。
 なお、農民や遊牧民の女性は現代でもひだをたっぷりとったプリーツスカートで、下着はなし。これをよいしょと裾を広げてしゃがめば、見渡す限りの大平原でも誰にも見られずに用を足す事ができるのである。いやはや。

 ■市
 人間は交換する生き物である。石器時代であっても、とにかく、なんでもいいから遠方の物とは交換したがったものである。ただ、そこにあった互酬、再分配、交換を通しての社会的慣習や文化的伝統はヨーロッパで生まれた「市場主義」にどんぶらこと流されている。まあ、これもいつまで続くのかねー。
 私の住む隣りの町は「五日市」で、「廿日市」とか「十日市」という町もある。おそらく日本全国でそういう町名があるだろう。これらは日を単位に市をたてて人が集まった名残である。
 広範囲から人が集まる市とか、年に一度の農産物や加工品などは、「大市」として年に一回とかの割合で開かれた。ヨーロッパでは、修道院などのキリスト教の使節に関連して開かれる事が多かった。実際、修道院はその教義からいっても葡萄およびワインと縁が深く、それらの一大生産業者であった。
 アンデスでは、現代でも標高差による農産物の交換の市が立つ。山の上の方からジャガイモが、山の下の方からはトウモロコシが。
 「ロンドン橋落ちる」という童謡の歌われていた時期、ロンドン橋の上は市の立つ場所だった。このように市は峠、河原、橋、浜辺が多かった。これは複数の世界の境界領域であり、道の岐もそうである。「暮れの市にいけば死んだ親に似た人に会える」とは日本や韓国で古く言い伝えられてきた言葉である。夏目漱石がロンドン在学中に正岡子規の訃報を聞いて詠んだ句がある。「霧黄なる市に動くや影法師」

06月17日

 ちょと元気になる。
 元気になったついでとばかり(こいつがいけねぇ)第二次スーパーロボット大戦αの続きをやってみる。
 部隊に名前をつけようというイベントがあったのであるが、普通の名前は面白くなかろうという事で、『ティターンズ』という命名をしたところすんなり通ってしまった。
 ティターンズというのは、地球至上主義の人種差別論者によって編成されたガンダム世界の悪役で、前作の第一次スーパーロボット大戦αでは敵として登場している。
 だから、スーパーロボットの乗組員達が「我々ティターンズは……」とか言い出すとおかしくてしょうがない。
 なかなか良いネーミングであったと我ながら悦にいっている。

 本日の読書:『剣客商売 天魔』池波正太郎
 久方ぶりに秋山小兵衛、大治郎親子に会いに行くため本を取る。
 小兵衛の古狸ぶりは相変わらずであるが、大治郎もしだいに父の融通無碍なところを真似し始めた感じで、そういう若者の成長ぶりもまた、このシリーズの楽しみであろう。
 楽しみといえば、女剣士の佐々木三冬と大治郎という男女の仲も楽しみである。とはいえ、冗談で言われた『毛饅頭』が分からず、二人して小兵衛のところに聞きに行くようではこれはどうにも、なかなか先は長そうである。
 池波先生の筆は相変わらず達者である。読後も爽やかで、心地よい思いをさせてもらった。

06月18日

 インターネットをいろいろ見て回り、ガンプラ(ガンダム系プラモデル)のもっともらしさというのはどうあるべきかみたいなのを学ぶ。
 ついては、そこで多用されていた焼いた針金でもって、「ビームサーベルで斬られかかった跡」とか「撃たれた跡」というのをSDゾックで試してみる。
 なるほど、穴の盛り上がったところはドライブラシでコントラストをつけるのであるな。
 ほほぉ……ふむふむ。
 なんか歴戦の勇者っぽくなってきたではないか。

06月19日

 ガンプラに限らず、「汚し」のテクニックというのは、臨場感を出すためにプラモデルでは必須の技能らしい。そうか、覚えねばならんことがまた一つできたな。
 たしかに、プロの仕事というのを見るために買ってみた『ホビージャパン7月号』では、私の好きなT−34/76の1940年型短砲身と1941年型のプラモデルの写真が掲載されていたが、キャタピラや車体前面に泥が付着していたり塗装が剥げているところがあったりと、実に素晴らしいできばえであった。
 それにしてもちんまい砲塔がいい味を出しているなぁ。この狭い中で独ソ開戦時にはろくに訓練も受けていないソ連の戦車兵ががんばったのだ。

 机の中を整理していたら、古いトラベラー・ジャーナル誌にまじって、『第五次辺境戦争』(GDW/HJ)のヒストリカルノートが出た。
 簡単に説明すると、トラベラーは宇宙を旅する冒険SFのRPGである。残念ながらハリウッドのアクション映画とかスター・ウォーズのような事はできないのだが、作品世界から醸し出されるSFの“匂い”とでもいうべきものは、今なお、私を魅了し続けている。
 宇宙を旅するといっても舞台がないと何かと不便なので用意されたのが、スピンワードマーチ宙域と呼ばれる場所で、ここは銀河帝国(第三帝国)の銀河回転方向(こっちから射手座方向を見てちょい左手)のところにある国境で、銀河帝国の他にも様々な国家、種族が生活している。
 その中でも銀河帝国と不倶戴天の敵がゾダーン連盟である。人類が中心種族となっているとはいえ、コスモポリタンな雰囲気があり、文化の多様性を持つ銀河帝国と違い、ゾダーン連盟は思想的に管理された社会である。どうやってかというと、超能力を使ってである。超能力で相手の思考を読みとる行為が平然と行われているゾダーンの社会は、帝国にとって異星人以上に異質な存在だった。
 文化の違いが摩擦を生み、やがて戦争へと発展したのが第一次から第五次までの辺境戦争なのである。
 第五次辺境戦争は、ゾダーンの奇襲攻撃によって幕を上げ、帝国の頑強な抵抗や無能な提督の更迭などにより持久戦が続き、やがて損害に耐えきれなくなったゾダーンからの歩み寄りによる和平で終わる。
 もっとも、この“ヒストリカルノート”はあくまで架空世界の架空の戦史であり、ボードゲームの『第五次辺境戦争』は必ずしもこの通りには進まない。
 いや、まあ、正直なところを言わせていただければ。

 プレイしてみた感じでは、プロットなどが煩雑なばかりであまり面白いゲームではなかったように思うのである。
 いや、戦闘結果表(CRT)で彼我の兵力比10:1の次がいきなり100:1というのはかなり笑えたが。
 余談であるが、帝国のTL16海兵隊(最精鋭)あたりになると、大隊規模(500人ほど)で現代21世紀のアメリカ軍並の装備をした軍団規模(10万人以上)の部隊を相手に持久戦ができるのである。(勝つことはさすがにできない)おお、戦国自衛隊みたいでSFっぽい。

 こういうファンアイテム的なゲームは、雰囲気を楽しむ事を第一に考え、それ以外の全てを切り捨ててでも手軽に楽しくわいわいと遊べるようにすべきなのだと私は思う。
 しかし……まあ……無理もないかな〜と思うのである。
 このゲームを作ったGDWという会社は、第二次世界大戦の始まりから終わりまでを網羅するウォーゲームのシリーズを出していた(確かシリーズ完結前に倒産したように記憶している)ところなのであるが、やったらめたら補足ルールやユニットが多いので有名であった。
 「第501独立重戦車大隊」の駒のように、この規模のゲームではあまり重要ではないような(しかしその手の好き者にはたまらない)物を入れる事に生き甲斐を感じているようなところがあった。
 己を振り返ると感じるところがあるようなないような。

06月20日

 かわぐちかいじ氏の漫画、『ジパング』について友人と話をする。
 なんでもないことやとんでもないことを、さも意味ありげな演出で盛り上げる手腕に長けた氏の事であるから、日本核武装計画というのもどうなるかはわからんが。
 おそらく現時点での結末はこうだろうと、こちらも適当なよもやま話として考えてみた。

 試作重爆撃機「富嶽」に原爆(と思われるシロモノ)を搭載して、ハワイ真珠湾へと飛び立つ草加。
 果たして世界初の原爆は本当に完成したのか?
 それを知る科学者は自殺を選び、真相を知る者はいない。
 草加の目的は、第二のパールハーバー……そして、世界最初の原爆投下なのか?
 終戦へ向けて動きはじめている歴史の中で、核の炎の洗礼は本当に人類にとって必要なのか?
 疑問が渦巻く中、一路「富嶽」は飛び続ける。
 アメリカ空軍による迎撃は失敗に終わり、最後の望みの綱は終戦工作のためにハワイにいた護衛艦「みらい」の対空ミサイルのみ。
 死にかけていた草加を救う事によって歴史を変えてしまった「みらい」の角松は今度は草加を殺すことで、『未来』を決定するのか。
 はたして──

 そして、再び近未来の日本。
 その日本は、我々の世界の日本とは同じようでいて、どこか違っていた。
 ただ一つ、同じなのはその日本が平和だという事だった。

 【完】

 つまり、草加の乗る「富嶽」が撃墜されたのかされなかったのか。本当に原爆は完成していたのか。そしてそれは投下されたのかされなかったのか。
 すべては謎のままという事で、うやむやにされちまうのではないかと。
 いやもう、98%の確率でこうなると思うね、私は。

06月21日

 RX−79ガンダム、いわゆる『陸戦型ガンダム』を色塗りして完成。
 さっそく、今後のレベルアップのためにこの道に詳しい友人を訪ねて批評してもらう。
「塗りむらができておる」
「うむ。それは気がついておった」
「塗料が濃いのを無理矢理に塗っているな。塗料は薄く塗るものだ」
「そうか。どうすればいい」
「まず、薄め液はきちんと使うこと。それと、失敗したとしてもすぐに塗り直さないこと。まずは筆の使い方を覚えることだな」
「塗り直さない、か」
「間違えるなよ。『すぐに』塗り直さない、というのは乾くまで辛抱して、それから塗れ、という意味じゃ」
 まずは基本から。がんばるべし。

 ビデオ屋で借りた『ブレイド2』を見る。
 おもいっっっきり、B級である。頭の中がすっからかんでもたいへん楽しく見る事ができる。
 ダンピールの主人公がヴァンパイアを狩る場面からはじまり、ロード・ヴァンパイアの依頼を受けてヴァンパイアの変種を狩るために共闘。だが裏切り者がいて……

 ああ、なんてお約束な展開にお約束な演出にお約束な結末。うっとり。

 吸血鬼版、水戸黄門と呼ぼう。
 吸血鬼の血をひくヴァンパイア・ハンターというと、菊池秀行氏の『吸血鬼ハンターD』があるが、こっちもはったりのむちゃくちゃさ加減ではいい勝負である。
 いやー、すかっとするいい映画だった。

 本日の読書:『朝日百科世界の歴史24 移動と定住』

 ■3〜4世紀の世界あれこれ
 ▽3世紀
 アフリカでブッシュマン(狩猟・採取)がバントゥ族(農耕・牧畜)に駆逐される。そうか、ブッシュマンは蔑称で今はサンというのか。
 ローマ人の皮のブーツの写真。靴底には鋲。けっこう履き心地はよさそうに見える。
 ペルシアでポロ競技さかん。おお、騎馬民族。
 インドでナーガールジュナ(竜樹)が大乗仏教の教理を確率。クシャーナ朝おとろえ、ササン朝ペルシアに従属。
 日本では熊や猪の頭骨祭りが行われた形跡あり。曹操が穀物の消費を抑えるために禁酒令を出す。そりゃ通りませんぜ、旦那。
 ▽4世紀
 ガリアやイベリア半島にキリスト教が、一方でローマ帝国西部ではギリシア語が読める人が少なくなる。
 ローマは官僚が世襲化したり、傭兵士官の大半がゲルマン諸部族出身者に。
 インドでは『カーマスートラ』成立。都市には遊女が9段階に分かれて存在。なんとっ、レンズマンでも第三段階までなのに遊女の方はその3倍かっ。
 中国の上流階級は干し棗を鼻につめて便所に入り、排便時には着物を脱ぐ。木片で吹き……木の皮? なんにせよ痔が怖そうだが、細かいところは手で。その後は小豆を砕いた洗い粉で手を洗う。

 ■平城から洛陽へ
 遊牧民族の拓跋が北方より中国本土へ侵入、どんどん南下して定住生活を送るにつれ、漢民族の文化に取り込まれていく。
 この頃に都市の近くに作られた石窟は、いわば観光地であり、日帰り旅行で行ける距離に作られた。

 ■トニュククの戒め
 突厥(トルコ)のビルゲ可汗が「お寺でも建てようかぁ」と文明人っぽい事を言うと、重臣トニュククはこう言ったという。
「あかん。うちとこの人口は中国の1%やで。それでもわしらが好き勝手できるんは、遊牧してとらえどころがないからや。これが寺なんぞ造ったりして定住してみい。相手と同じ土俵で勝てるわけないやろ」
 この老騎兵指揮官、現代の日本の首相も十分につとまると思われる。

 ■漂白者の世界
 むかしの漂白者の中には、当然ながら思想家や宗教家がいた。インターネットもなければ本も活字も一般的でない時代、最先端の哲学を伝授するためには、まずもって告知が重要であった。
 つまり、辻説法には人寄せの何かが必要だったのである。奇術や芸能演舞、からくりの山車やありがたい芸術品(仏像など)が用いられた。
 当時の史料に天竺から雑伎が献ぜられたとの記録。よく自ら手足を切断し、胃腸を腹からえぐり出し、それをまた元通りにする、など。皇帝によってはこの幻伎を禁ずる人も。

 ■胡俗
 胡俗とは胡人の風習である。広くはアジアの遊牧民からインド、イラン系の風習を指す。中国ではいろいろな形で胡俗が生活に入ってきた。
 衣:戦国時代の武霊王は、戦車戦だけでなく機動力のある騎馬戦に馬を利用しようとし、そのために乗馬に向いた胡服=ズボンを採用する。
 衣:唐代は交流が盛んで、女性は新奇なファッションとしてブラウス(衫)にスカート(裙)、チョッキ(被)などを着用。
 食:は名前から想像しやすい。胡がつく物などはたいていそう。ごま、きゅうり、すいか、あぶら菜、あさつき、えんどう豆、胡餅などである。
 住:唐代頃から椅子が一般的に。それまでは床に座る。後漢の霊帝が胡牀(こしょう)という折り畳み式の携帯用椅子を愛用したという。
 楽:芸能や歌舞音曲も、西の派手な物がもてはやされた。はげしく旋回する胡旋舞とか。ポロ競技とか。

 ■ドナウを渡ったゲルマン人
 中学校の歴史の教科書にも掲載されている『ゲルマン人の大移動』について、学校の歴史の先生は、『東のフン族に負けて逃げてきたわけじゃけぇ、大敗走と言ってもええんじゃないかのぉ』とのたまわれた。
 実際、移動なのか、浸透なのか、侵入なのか、そのへんはまあ視点によって変わるわけで。この項の著者の尚樹先生も、ブルガリア人と「スラブ人のバルカン半島へのinvasion(侵入)」と話をすると、「それはpenetration(浸透)だ」と言い直したそうな。
 まあなんにせよ、ゲルマン人は時代と共に少しずつローマ帝国の領内に増えていったわけであるが、376年の西ゴート族へのドナウ河渡河を許可したのは、この『大移動』のきっかけになったと言える。
 おおよそ、8万人ほどのゲルマン人が移動したが、それだけの数のいわば難民をすぐさま処理できるほどにはローマ帝国に往年のパワーはなく、たちまち食料不足による餓死、混乱、略奪となり、ローマ帝国の屋台骨はさらにぐらぐらと揺れていく。
 そして410年には、西ゴート族によるローマ市の略奪があるのである。

 ■あるローマ貴族の没落
 ガリアの地に大地主として生活していたパウリヌスの一生を引き合いに、ゲルマン人の侵入により崩壊していく西ローマ帝国の様子が語られている。
 元老族議員でありながら、帝国の指導とは無縁に地主として豊かな富をむさぼっていた前半生と、西ゴート族の侵攻による混乱、右往左往する優柔不断な貴族の姿、流れるままに流されて、土地も何もかも失って、最後は入信して修道院でひっそりさびしく晩年を迎えて筆をとる。
 その彼の著作があちこちで引用されていて興味深い。タイトルは『感謝の祈り』だそうだ。

 ■住居
 放牧をする人々の夏の小屋と冬の住居&畜舎の使い分け。
 稲作地帯で見られる高床式の穀物倉とその神聖化。
 物干し場と作業場の関係。
 炉やかまどの気候による配置の差と煙の処理。ペチカのように煙道を作って、そこに煙と熱気をこもらせて温める仕組み。
 家畜の生活場所と人間の生活場所が壁一枚へだてて一つの事も。

06月22日

 アルシャード、マスター持ち回りキャンペーン第三回の日。
 前回は会う人ごとに
「あなた強いですか?(パーソナルクエスト)」
「(他のPCに)こいつ、斬っていいです?」
 などと言うアブナイPCだったので、今回はまっとうなヒロインを目指す。
 まっとうなヒロインであれば、愛がなくてはいけない。
 というわけで、同じヤシマから流れてきたサムライでジャーヘッドの才谷梅太郎(坂本竜馬)が登場したので、こいつと実はむかし恋仲だった事にする。もちろん今日その場で決めた。
 そして、出会いがあれば別れがある。
 今や帝国軍の将官(階級は少将)となっている、浮遊要塞「五稜郭」の指揮官。土方歳三。
「トシ兄さん、私、あの人を愛してしまったんですっ」
「そうか、お前はお前の道を行くがいい」
 こうして敬愛する従兄と別れ、愛する男を追う。
 うむうむ。美しいのう。

 ……どう収拾をつけるつもりだ。

 とりあえずパーソナルクエストの『強い奴を探す』は『恋に生きる』に変更しよう。
 ついでにコネクションの『師匠:近藤勇』は『恋心:坂本竜馬』で。

06月23日

 塗りをマスターするべく、HGUC『ハイゴッグ』を買う。
 思えば、ガンダムのOVAでまがりなりにもまともなのはこのハイゴッグが出た『0080ポケットの中の戦争』だけである。個人的には、一番の悪役であるジオンのキリング中佐がそのまま放置されているのがすっげー気に入らないのであるが。殴らせろ、あいつを。
 登場するモビルスーツそのものは、なんか軽量で機動優先という感じで、どちらかというと脆い印象があるが、1年戦争のモビルスーツなど、あれでいいのである。アムロのガンダムが異常なのだ。ガンダムか、あるいはアムロが。
 ハイゴッグも、とてもこの華奢な身体ではガンダムハンマーを受け止めるなどできないだろうと思うのだが、そもそもそんな機会などそうそうあるはずもないのであるからこれでいいのである。
 しかし、どう見てもモビルスーツというよりはレイバーだよな、これは。
 で、ガンダムカラーというガンプラ専用の塗料を買ったのであるが、その溶剤であるMr.カラーうすめ液の蓋を開けたとたん──

 うおっ。これは、シンナーではっ。

 すさまじい匂いがあたり一面に広がる。たまらん、これはたまらん。「おーいとめー、シンナーに気をつけて壁ぬんなー」「はーい、親方ー」である。
 窓全開、エアコン全開。
 塗料の方も蓋をあけると油の匂いがぶわわわーっと。
 半ば後悔しながら、すでに素組みで造っておいた『陸戦型ジム』を青色に塗ってみる。
 おおっ。塗料の乾く速度がアクリルなどとは段違いである。なるほどなぁ。
 しかしまあ、アクリルの方が今の私には性分に合っているように思える。

06月24日

 速水螺旋人さんの日記にあった、質問に答えると三国志的に自分の能力値を決めてくれるページにいってみる。
 どれどれ……

 武力 60 、 知力 92 、 政治力 74 、 魅力 42

 ううむ。知力92は高いが、政治力74はごく普通で、後の二つは低い。三国志の登場人物としては、冴えた軍師だが嫌われ者なので策を授けても主君に却下され、それが原因で負けてしまい「それみたことか」とか言いながら敵側に寝返るものの重用されずに不遇の一生を送る、という感じであろうか。
 他にも、三国志の武将のどれに当てはまるかというサイトもあり、そちらでは『孫堅』(孫権の父)であった。友人が『劉表』を引き当てたが、それはつまり友人の皮をかぶっているが、不倶戴天の敵ということかっ?!(孫堅は劉表との戦いで戦死)

 本日の読書:『ほろびの魔剣 ホルスマスター14』嬉野秋彦
 最近はヤングアダルトを面白いと思って読む事が少なくなったのであるが、ありがたい事にこのホルスマスターというシリーズは面白く読ませていただいている。
 『鉄面皮』とあだ名される傲岸不遜な、しかし腕はたつ主人公。
 主人公が唯一溺愛するその妹。どういうわけかしゃべれない。
 主人公と妹に同行する格闘家の少女。いつもいらんことを言っては主人公に殴られたりねちねちと苛められたりする。
 この3人が、旅から旅への珍道中というか、行った先でトラブルに巻き込まれて剣をふるったり人を殴ったりするというお話。
 キャラクター同士の掛け合いがきっちりフォーマットに従っていて読みやすいのと、まともな中世風の世界にホルスという魔法の武器をぶちこむ事で派手な展開にしている点がよろしい。
 いよいよ、本巻から連続3部作で最終話(第一部完?)なので、事態が動く動く。怒濤のごとく世界が雪崩をうって突き進んでいく。
 一緒に流れていくもよし、傍観してにやにや笑うのもよし。

06月25日

 母がドイツ・イタリア旅行のついでに、ドイツ人の男性と結婚した妹(私にとっては叔母)の所へ遊びに行く事となった。
 私はいかないのだが代わりに日本らしいお土産でかさばらない物ということで、夏向きの甚平を買う。自分用のと2着。
 いずれも龍の意匠がしてあり、背中にはそれぞれ『虎』と『龍』の一文字が。私は辰年なので『龍』を着る事にする。
 鏡でみると、は虫類のような目つきと合わせてとてもカタギには見えない。気に入ったので夏の普段着にしよう。

 本日の読書:『朝日百科世界の歴史19 遊牧騎馬の民』

 ■1〜2世紀の世界あれこれ
 ▽1世紀
 ローマ帝国で人口調査、5400万人。おおうっ。 ヴェスヴィオ火山大爆発。どどーん。
 パルティア発行の貨幣の文字がギリシア文字からアラム文字へ。こんなところにもギリシア文化の香りが。
 インド洋でモンスーンを利用した季節航海がはじまる。ガンダーラの仏像の写真。腹が出てます。なんか親近感が。
 漢帝国でも人口調査、5959万4978人。数もさることながら、なぜヒトケタまで求めますか。さすがです。 人を殺しても絹20匹(40反=大人40着分)を納めると死罪を免れる法が。絹が高いのか人の命が安いのか。あ、でも死罪を免れても獄につながれるのか。
 ▽2世紀
 ローマ帝国の祝祭日、年に135日に。仕事はどうしていたのだろう。パルミラ、ローマの植民都市になり住民はローマ名を追加。
 インドで大乗仏教が興隆。
 漢では文字を最低9000字知っていれば官吏の資格ありとされる。問題は誰が教えていたかだよな。やっぱり官吏の父親が息子に直接教えて世襲に近かったのではないかと推測。製紙法発明される。ただし一般には木簡や竹簡が使用される。 日本では木製の農具で稲作が行われる。

 ■カザフの四季
 あれです。著者の加藤先生が遊牧民と一緒に暮らしたフィールドワークをまとめた手記で、厳密には歴史とちょい違います。
 しかし、今でもこういう生活をしている人々がいるのかと思うと感慨深いものが。
 写真がなかなか良くて、老人が鷹匠してるのとか、ゲル(住居)の中で牛の直腸をぶら下げて干し肉にしてるのとか、馬乳酒造ってるおばちゃんが、もう日本人のおばちゃんとそっくりとか、毛皮を車座になった女性が叩いてなめしてるのとか。

 ■まう・まわる
 遊牧民の祭りでは、しばしば何かの周囲をぐるぐる回るというのが信仰的動作に。
 写真で、モンゴル地区の『祭壇』なるものが掲載されているが、これがもうすごく適当なシロモノで、風化してどうこうとかいうのではなく、ごろごろと自然石が積んで(つーか放り出して)あるだけ。
 この回りを馬でぐるぐるー。

 ■牧畜革命
 これまたメインはフィールドワークによるもの。まあ、遊牧民の生活は余り変化してないということか。
 母子、雄雌分離の放牧や、雄の去勢による管理とか、そういうシステム回りが中心。
 いずれにせよ、「他の動物の乳を飲む」という行為をシステマチックにした所に、遊牧を現在まで成り立たせた要素があるという主張である。

 ■ラクダの“パン”と“肉”
 ラクダは、一日に約140gの塩分を必要とするため、牧草のような柔らかい物(パン)だけではダメで、硬い葉やサボテンのような塩辛い植物(肉)が必要である。

 ■遊牧民とウマ
 まず最初は「くつわ」と「はみ」と「手綱」である。これで騎馬の術が実用化に入った。紀元前2千年頃の話である。
 長い間、騎馬民族の得意とする戦法は騎射で、その機動力を生かした遊撃戦法であった。歩兵中心のローマ軍団もこれには手を焼いている。
 遊牧民の格言にも、しばしば馬は登場する。「馬を大切にすれば歩かなくてすむ。若者を大切にすれば捨てられることはない」老いては子に従えということでしょうか。しかし「種馬が病んだら去勢馬に、去勢馬が病んだら食肉に」というのは含蓄があるようなないような。

 ■大草原の石人
 騎馬民族は、しばしばだだっぴろい草原に石人を建てて祀った。中にはもう男根そっくりというのもあり、それが大地に垂直に立てられているのは大地母神との一体による豊穣……なのかぁ?
 まあとにかく、よくわからんのである。そもそも石人が何を祀っているのかも。

 ■黄金の器物にみるスキタイ人の暮らし
 「歴史の父」でほら吹きとしても有名なヘロドトスが紀元前450年頃に地中海北部のスキタイ人の所を訪れ、その生活をいろいろと見ている。
 曰く、裕福なスキタイの戦士は倒した敵の頭蓋骨に金を張って杯とし、戦いに勝利するとこれで祝杯をあげた。(おお、織田信長みたいだ)
 曰く、スキタイの族祖は3種の黄金の神器(鋤と軛と戦斧)を天からさずかって王位を得た。

 ■競馬
 騎馬民族の死者祭りには競馬がつきものである。19世紀にも死者のための供養祭で競馬が行われ、なんと1着の賞品は若い花嫁&持参金の家畜たくさんだったという。
 一方で日本の5月5日の賀茂競馬は左右から1騎ずつ駆けていく10番勝負であるが、これは稲の出来に関する晴雨の天候卜占であったという。さすが農耕民族。

 ■格闘技
 ・南米ヤノマメ族の決闘、「胸たたき」は、一方が後ろ手に組んで胸を山し、それを思いっきり殴打する。もう一方は耐えた回数、今度は殴り返し、これの繰り返し。
 ・神明裁判としての決闘では、しばしば代理戦士をたてて行われた。神は正しい方をご存じなのだから、誰が戦っても一緒という理屈である。いや、それなら代理をたてる必要はどこにもないがな。代理をたててる時点で、なんかこー、きなくさいのじゃけれども。
 ・「人狩り」と書いて、るびが「メンシェン・ヤークト」。「剣闘士」と書いて「グラディアトーレン」。はてさて、この項の著者の寒川先生はドイツの大学で学んだのかしらん。
 ・ボクシングは未開種族には例外的であるが、相撲は世界的に広く行われてきた。ちなみにアフリカのヌバ族のボクシングでは右手に2kgの銅製の重りをつけている。グローブの代わりか?

06月26日

 HGUC『ハイゴッグ』を購入したので、作成例を見るべく、今月の『HOBBY JAPAN8月号』を購入する。
 水陸両用MS大会という愉快な特集で、当然、ハイゴッグも掲載されているのだが……
 プロの真似をしようなどと考えた私が悪うございました。すいません、ここまで改造しておられるとは正直思いませんでした。キット素組みとの比較写真が掲載されているが、ちまちまと、しかしごってり変更されている。
 素直にきちんと継ぎ目消しというのに挑戦して、きちんと色を塗ってそれで満足いたしますです、はい。

06月27日

 こしゅこしゅと、夜中に流しで洗い物をする私。
 いや、食器や鍋を洗っているわけではなくて。
 HGハイゴッグのプラモデルのパーツを、中性洗剤で洗っていたりするのである。
 「絵の具のノリが今ひとつ良くない」
 「それはお前、油を落としたらどうか」
 との友人のアドバイスに従い、油分を落としているのである。
 瞬間接着剤も買った。
 パテも買った。
 耐水の紙ヤスリも買った。
 さらにはコンパウンドも買った。
 よっしゃ、てなもんである。
 今回の目標は、継ぎ目消しとむらのない色塗り。
 …………
 うーむ。
 こう、安くてパーツの数が少ないのを一つ買って、練習した方がいいかも知れぬなぁ。

06月28日

 朝はざんざんぶりの雨。
 家でごろごろしていたいところであるが、会社の先輩と一緒にジムでトレーニングがあるのでお出かけ。
 甚平は膝までしかないので、素足につっかけだと少々濡れても大丈夫というのがよろしい。もちろんジム(フィットネスプラザ)は屋内なので雨は関係ない。
 先輩は仕事が忙しくて二週間ぶりで少々、顎が上がっていた。私の方は週に1回から、できれば2回来ていたのでトレーニングに問題はない。
 さてお楽しみ。
 一ヶ月ぶりの体脂肪チェックである。

 前回(5/26)     今回
 ・身長166cm     ・同じ
 ・体重76.8kg    ・77.5kg
 ・脂肪率26.1%    ・23.8%
 ・脂肪量20.0kg   ・18.4kg
 ・標準体重60.6kg  ・同じ
 ・肥満度26.7%    ・27.8%

 脂肪が1kg減少した事を素直に喜ぶべきかどうなのか。微妙である。まあ、ダイエットなんてこんなもんかも知れない。
 昼には雨もあがり、薄日もさしたが湿気の多い一日であった。

 本日の読書:『朝日百科 世界の歴史14 海に生きる』
 ■紀元前1世紀〜5世紀の世界
 ▽紀元前5世紀
 この頃のローマ自由市民の数は75〜100万。ギリシアに専門のパン職人現る。大麦パン普及。化粧品が普及。
 アケメネス朝ペルシア、不正をはたらいた裁判官は生きたまま皮膚をはがれ、椅子に張られる。うひゃ〜〜。
 インドでダルマスートラ、つまり法典が編纂。
 孔子、『春秋』執筆。楚国で弩を使用。墨子、のろしを使った早期警戒網を提案。
 ▽紀元前4世紀
 アレクサンドロス大王、マケドニア人(兵士)とペルシア女性の集団結婚式を行う。
 インドで寡婦が殉死の風習。寡夫はどーしたのだろう。
 中国各国で布銭、刀銭、円銭などの金属貨幣が流通。
 ▽紀元前3世紀
 ローマにひげ剃りの風習が広まる。剣闘士競技が開催される。ギリシアにバビロニアの占星術導入される。先端科学か?
 中国では伸ばした爪が尊重される。女性は耳に穴を開けて飾りをつける。木製の名刺が出現。字が書けるというのがアピールになるだろうから、履歴書のようなもんかね?
 ニューメキシコ南西部に定住農耕民。
 ▽紀元前2世紀
 地中海はローマの海に。ローマにパン屋進出。この頃、アレクサンドリアの人口約100万人と、書いてあるのだが……どこのだっ?! えーと、エジプトかなぁ?
 パルティアで馬の蹄鉄を造る。ミトラ信仰盛ん。
 中国では3人以上が集まって理由なく酒を飲むと罰金。……すいません、これは何を目的とした法律なんでしょうか? ネズミ取り用に猫が家畜化されるのニャー。
 ペルーでナスカ式土器。写真もあるがこれは……漫画? デフォルメの具合がいい感じにきいてます。
 ▽紀元前1世紀
 カエサル、新聞と官報をかねる日報を発行。マスコミの力をふるった最初の権力者か? それともギリシアにいるかな? アレクサンドリアの図書館の蔵書、70万冊に。やっぱりエジプトだよな。仏教徒もいたらしい。
 南アラビアで兄弟が妻を共有する一妻多夫制。あー、「兄弟」ね。「兄弟」。やぁブラザーってなもんだ。
 中国、宮廷で温室野菜の栽培。さすが食の国。

 ■ナイル川から二つの海へ
 発掘された当時のパピルスの文書が紹介されているがこれがすっげー面白い。要約してみる。
 新王国第20王朝のラメセス11世の治世23年(紀元前11世紀頃)の事である。
 ナイル川中流域のテーベで、ある神官が大司祭から聖なる船建造のための木材を調達するよう命じられる。
 神官はナイル川を下り、河口の町タニスの総督に会い、協力を要請する。
 総督は後に新王国第21王朝の王になるぐらいなのでそうとうの野心家。おそらくはここで大司祭と神さまに恩を売っておくと後々ええことがあるじゃろうと踏み、金と書簡をくれる。
 神官は海へ出る。沿岸沿いにちまちまと移動している最中、金と書簡を船員が盗んでとんずらをこく。神官大弱り。
 そこへ他国の商船が通ったので、「犯人が捕まったら返すから」などと言ってお布施を強要。有り金巻き上げる。でも足りない。
 しかしここで帰っては子供の使いでもあるまいし大司祭の怒りも怖い。とりあえず目的地のビュブロスの町に到着。
 ビュブロスの領主、書簡もないどこの誰かも分からない奴に会いたくはなかったが、しつこいので会うだけ会う。「金はないけどレバノン杉ください」「おとといきなはれ」
 困り果てた神官、再びタニスの総督に金を無心。総督は内心そうとうにあきれ果てたろうが、毒を食らわば皿までの心境で金や物品をごっそり送る。
 ビュブロスの領主、掌を返したかのようにレバノン杉を売る事を決意。300人つれてぞろぞろと森林へ。ぎ〜こ、ぎ〜こ、と木を伐採。木材を乾燥させたりとか、そういうのはなしっ?!
 木材を運びだそうとした矢先、無理矢理お布施を強要された商人の訴えによって軍隊がビュブロスにやってくる。
 ビュブロスの領主、自分の町で事を荒立てたくなかったので、神官と木材の筏をさっさと出港させ、自分は知らんぷりを決め込む。
 神官、嵐にあってキプロス島へ流される……
 ここでパピルスが破損されていて残念ながらこのかなり罰当たりな神官がどうなったかは分からない。
 だが、このパピルスの文書がどうやら大司祭への報告書になっているようなので、なんとか木材を持って帰る事ができたのではなかろうか。
 なんにしても愉快な話である。

 ■漂流と海賊
 1870年代、ブラジルで後に『パライバ碑文』と呼ばれる石に刻んだ文章が発見された。古代フェニキア文字で、カナン人の商人がアフリカからここ(南アメリカ)まで漂着した事が書かれていた。
 碑文の年号を解読すると紀元前521年。コロンブスの2000年前である。
 碑文そのものの信用性はさておき、このような事があってもおかしくないほど、アフリカ航路はフェニキア人によって開拓されていたらしい。

 ■地中海の植民者たち
 ギリシアは山がちで平地が少なく、人口問題に常に悩まされていた。ギリシア人は海へと進出した。しかしローマ人などと違って進出したら母都市の事は知らんからね、という風であったらしい。
 そもそも考えてみれば母都市を出て海を渡り、どこかあてもなく新天地を求めるという山師のような事に上流階級の人間が参加するはずもない。下層の市民やら、次男坊、三男坊やらが半ばやけっぱちで海に繰り出したのであろう。中には一家から成人男性1人を出せなどという触れが出ていたりする。
 しかしまぁ、どこに行くかマジであてもないのはさすがに困る。そこで役に立つのがデルフォイのアポロ神殿である。さまざまな植民団がここにやってきて、神託を受けて旅だっていった。
 神託? いいのかそれでっ? などと考えるのは現代人。古代の人間は信心深かったのである。それにおそらく巫覡の方もまったくあてずっぽうで「あそこへ行くがよい〜」などとやってたのではおそらくないのではないか。たぶん、あちこちに船出して帰ってきた商人やら、成功してお礼を持ってきた以前の植民団の連中から海外情報を集めてそれらしい候補を幾つかストックしていたのではないかと思われる。

 ■贈り物
 ▽ローマ帝国あげます
 4世紀のローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、時のローマ教皇シルウエェステル1世に、「ローマ帝国を寄進します」と一筆したためた。これが『コンスタンティヌスの寄進状』である。
 つまり、教会に言わせるとローマ帝国はローマ教皇の物で、それを俗世の皇帝に貸してやってる状態になったのである。
 そのローマ帝国も、5世紀になると西ローマ帝国は滅びてしまう。残った東ローマ帝国はギリシア人だからローマ教会とは仲がよろしくない。寄進状もただの紙切れか……と思いきや、9世紀になってカール大帝が西ローマ帝国レベルの国家を築き上げる。カール大帝はやはりローマ帝国の復活というのに心ひかれたらしく、時のローマ教皇レオ3世にお願いしてローマ皇帝として認めてもらう。
 やったー、我がフランク帝国はローマ帝国なんじゃーっ、とカール大帝はたいそう喜んだが……
 ところがぎっちょん、15世紀になってそもそも元となった「コンスタンティヌスの寄進状」が偽書である事が判明した。やれやれ。
 ▽贈り物が身分証
 ニューギニアの東、トロブリアンド諸島ではクラ交易という贈答の方式が人や物の交流に役立っていた。
 左回りに旅をする場合、島の人は首飾りを持って船を出す。そして相手に首飾りを贈って代わりに腕輪を受け取るのである。
 右回りに旅をする場合、今度はその腕輪を持って船を出す。そして相手に腕輪を贈って代わりに首飾りを受け取るのである。
 こうした贈り物交換を通した交流を、マリノフスキー先生が1920年代に研究としてまとめ、文化人類学に多大な貢献をしたのである。
 ▽ポトラッチ
 北西部アメリカのインディアン諸部族の間で行われていた贈り物合戦がポトラッチである。
 どういうものかというと、贈り物というよりは大宴会で、招いた客の前で大散財をしてもてなすのである。食い物や酒は当然ながら、何の関係もないが高価な物とかを、「もてなしのため」だと言ってぶち壊したり、火にくべたり、やりたい放題するのである。
 もてなされた側はこれでひっこんでいるわけにはいかない。何年もかけて財産をため、先の相手を呼ぶのである。そして、自分が受けたのよりも豪勢な大々散財をぶわーっとやっちゃうのである。
 アメリカ人は合理的な人間なので、こういう風習はバカげていると1930年代には禁止してしまったが、実にアメリカ人らしい皮相な考え方である。
 これは、贈り物をしてるのではない。相手にケンカを売っているのである。だが普通にケンカであればけが人も出れば死人も出る。しかし、これが贈り物をする、という事にしてしまえば一応は好意のあらわれと見なされるからけが人も死人も出ない。無駄とはいえ消費によって産業も活性化する。いい方法ではないか。
 ▽沈黙交易
 ヒマラヤのブータンは牧畜が盛んである。ブータンの東、ダクパ族はミタン牛というのを飼っているのであるが、この牛とブータンの牛をかけあわせるとたいへん良い牛ができる。
 だがブータン人はダクパ族が「獰猛」なので、怖いから直接、牛を買う事ができない。
 そこで、ブータン人は交易の品を山の上にもってあがって、のろしをあげて合図をし、下山する。
 「獰猛」なダクパ族は山にあがって交易品をみて、気に入ったら牛を1頭山の上につないで、下山する。
 再びブータン人が山にあがって牛をみて、気に入ったら牛を連れて帰る。
 「獰猛」なダクパ族は山にあがって交易品を持って帰る。
 なんとも興味深い交易だが、世界のあちこちに同種の交易はあり、新井白石も樺太のアイヌと和人の間で同じような沈黙交易が行われていると記している。
 ……ところで、ダクパ族って本当に「獰猛」なのかなぁ?

06月29日

 ワールドタンクミュージアム、第4弾発売〜。
 さっそく10箱買う。
 3箱、90式。ガッデム。
 残りは、74式戦車が2両、61式戦車が2両、60式自走砲が1両、87式自走対空砲が2両。
 まずまずの戦果である。というか、私としては十分に満足である。
 こうして、同縮尺のミニモデルを並べて見ると、大きさとかの違いがはっきり分かって実に教育的である。ためになると言ってもいい。いずれ私のコレクションは、私が結婚して子供をもうけるなどというありそうもない場合をのぞいて、甥の手に渡るのであるが、その前にきちんと教育をせねばなるまい。
 第二次世界大戦は、戦車と航空機と潜水艦の戦争だった。この3つが、戦争の勝敗をはっきりと分けた。
 太平洋戦線では地形的に言っても戦車はそう活躍しなかったが、欧州戦線の戦いを最終的に決めたのは、航空機と戦車だった。
 戦車は陸の王者だった。
 だが、その陸の王者も空を支配する航空機にはかなわなかった。数多くの戦車が、戦闘爆撃機に、爆撃機に、襲撃機に破壊された。
 長く続いた戦争が終わり、人々は平和を享受する事となった。核による相互破壊という不安定なバランスの上とはいえ、平和は平和である。人々の多くはそれを言祝いだ。
 しかし、世界のあちこちではやはりきなくさい戦いが行われていたし、戦いに対する備えもやはり必要だと考えられていた。

 軍人はしばしば、昨日の戦争を見ながら今日の装備を決め、明日の戦争に備える。

 日本にとって、昨日の戦争とはすなわちまずもって外交と内政の失敗だった。
 国民を豊かにする事に失敗し、経済を建て直すために戦争に邁進して全てを失った。
 他国を味方にする事に失敗し、失敗を糊塗するために戦争に突入して全てを失った。
 そこで日本はまず外交においてはアメリカの忠実な犬、言葉を選ぶのならアメリカの信頼できる同盟国という地位を確保するために努力した。アメリカこそは世界の最強国であり、そことの同盟関係は安全保障上、決して無駄にならないと考えられたからだ。
 経済においては貿易立国を目指し、世界の工場たるべく働き続けた。より良い品質の物を、より安い価格で。それは時にブリキのおもちゃや衣料であったり、鉄鋼や船舶であったり、自動車や半導体であったりしたが、とにかくその時、その時で国際競争に勝つべく全力を尽くした。
 結果としてこの二つの方針は日本に平和と繁栄をもたらした。
 憲法9条でもなんでもなく、この二つが成功したからこそ、日本は戦争をしないですむ──すなわち戦わずして勝つ事が出来たのである。

 さて、問題は軍人達である。

 とりあえず、戦争をしないですむ方向に国が向かったのは日本の軍人達にとってありがたい話であった。
 彼らは昨日の戦争を忘れていなかった。好き勝手に国の予算や人材を使ったあげくにあそこまで徹底的に敗北したのでは、人間謙虚にもなろうというものである。
 彼らは謙虚に敗北の原因を分析した。戦力の絶対的な不足と、核という切り札に関しては、外交によって補いがついた。すなわちアメリカ軍をあてにできる目処がたったのである。
 ならば自分達は必要最小限、不足する分を何とか補えば良い。軍人達はそう考えた。
 海においては、ガトー級潜水艦の猛威を日本海軍は忘れていなかった。世界最大の大和級戦艦も、開戦当初は世界最強の機動部隊も、輸送船を護衛できないのであれば意味がない。新生日本海軍──海上自衛隊は、潜水艦を封じ込めるべく持てる技術の粋を尽くした。
 空においては、B29の跳梁跋扈をパイロット達は忘れていなかった。制空権を握る事。それが不可能でも敵に制空権を掌握されないように嫌がらせはできるようにする事。新しく誕生した日本空軍──航空自衛隊は、迎撃戦闘機を揃え、鍛え上げる事に全てを賭けた。

 では、新生日本陸軍──陸上自衛隊はどうしたか。

 困った事に、陸においては海や空のように明確な目標が存在しなかった。
 とりあえず昨日の戦争において、アメリカやソ連の戦車にまったく歯が立たなかったのは事実だった。特に戦争末期のソ連軍の満州侵攻はその物量と合わせて多大なる衝撃を日本の軍人に与えた。
 まず戦車。
 まず火力。
 戦後しばらくは、アメリカ軍が(大量に余剰もあったので)戦車を供給してくれたが、やはり今後の事も考えると自前で兵器製造技術のノウハウを確保しておきたい。(永遠に続く同盟などない)
 とはいっても貧乏であったので、待ち伏せ攻撃に特化した60式自走砲などを作ってはみた。悪くはないが、これだけではどうにもならない。
 そこで、アメリカの技術を応用して61式戦車を作ってみた。車体の幅を狭くしたので背が高くなったが、これはまぁ、これでよし。さあ次だ。
 74式戦車は、日本にとってかなり満足のいく戦車だった。MBT(MainBattleTank)としての十分な性能を確保したし、なんといってもデザインがいい。
 ワールドタンクミュージアムで、タイガー1と74式を並べてみるとよく分かる。74式の方がほっそりとしており、背が低い。滑らかなデザインの砲塔は洗練された美しさに満ちている。
 97式戦車で戦わされ、無念に散っていった旧軍の戦車兵の仏壇に供えてあげたいくらいである。
 だが、戦車ばかりで忘れてはいけない。昨日の戦争においては航空機こそが戦車の天敵であった事を。
 そこで、自衛隊は87式自走対空砲を作り上げた。航空機、そして新たに登場した対戦車ヘリコプターに対抗する手段である。敵が強力な物だから、自然と87式も豪勢な装備を搭載する羽目になった。
 こんな物にエネルギーを注ぎ込むくらいなら、戦闘機を充実させた方が早いと考えるのはアメリカのように天下無敵の航空兵力を有している国だけである。
 日本も、そしてドイツも、制空権を奪われた時にどんな悲惨な事態が生じるかいやというほど昨日の戦争で思い知っていた。
 確かに、航空機やヘリコプターの進化によって87式は考えられていたほどには戦車部隊のエアカバーとしての役割を果たせないかも知れない。だが、何度も言うように軍人とは昨日の戦争を見ながら今日の装備を決めるのである。

 そしてついに日本製の第三世代MBT、90式が完成するのであるが──こいつはデザインがなぁ…… *sigh*

06月30日

「あっ」
 とか言っている間に6月が過ぎ去ってしまった。
 子供のころ、1ヶ月という時間は無駄に長かった。
 大人になると、1年という時間でも無為に過ごしてしまう。
 いかん。いかんですよこういう事では。
 そういうわけで、先週末からRGZ91B リ・ガズィ・カスタムのSD版プラモデルを作成している。
 目標は、継ぎ目消しとムラのない塗装である。
 大人の良いところは、まず資本力が子供とは違うのでそれなりの資材を調達して臨む事ができるのと、もう一つ。
 先の話ではないが時間に対して悠然と構えていられる事である。
 だから、まずタミヤセメントをべったりと塗りたくってぎっちりパーツを接着して1日放置、とか平気でやっちゃうのである。
 黙々とやすりかけをしゃこしゃこしゃこしゃこしても倦む事がないのである。
 さっと一刷毛して半日放置し、その後でまたぺたり、とか重ねて塗ってもぜんぜんオッケーなのである。
 しかしかといって泰然自若に構えていたらあっというまに老人になってしまうから、それなりにがんばろう。

 ちなみにリ・ガズィという機体であるが、こいつはMAへの変形機構を有している。いわゆる量産型Zガンダムの進化の系譜にあるわけである。

 実に気にくわない。

 ロボットが変形する事に文句があるわけではない。ゲッターは「チェィィィンジ!」で変形する。あれは良いのだ。空のゲッター1、陸のゲッター2、海のゲッター3と、それぞれに得意とするフィールドが違うから変形に意味がある。
 だがリ・ガズィは違う。地上で使うのであれば、走るよりよほど高機動な航空機形態への変形は妥当であると私も思う。Zガンダムも主にそういう使われ方をしていたと聞いている。そもそもの始まりであるガンダムも、機動力を上げるためのGパーツ、Gファイターとの変形合体で空を飛んでいる。
 だが繰り返すが、リ・ガズィは違うのだ。そもそも宇宙でしか使用しないMSが航空機に変形したからといって航続距離が伸びたり機動力が上がったりなどするわけがないではないか。いやするのかも知れないが私はそういうのは認めぬ。
 男のこだわりという奴である。
 何? それならどうしてリ・ガズィを手間暇かけて作成しているのかだと?
 決まっている。

 作成に失敗しても精神的ダメージが小さいからである。

 大人の知恵という奴だ。

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