■銅大の読書万歳(6) 作品名:『飛鳥の国 国家誕生への道』 著者名:氷鉋愛子(ひがのあいこ) 出版社:新紀元社/株式会社新紀元社 ISBN:4−88317−215−5 私たちの住む日本がどのように誕生したのか。 実ははっきりしたことはまだ良く分かっていない。 史書としては古事記や日本書紀があるが、ここに記述してあるどこまでが本 当の事で、どこが神話や伝説、あるいは捏造・改変した部分なのか、学者によ っても議論の分かれる所である。 さて、そういう学術的な論争はさておいて。 私たちが『歴史』を感じるのはどんな時だろうか? 子供の頃、高価で専門家しか扱えない機械だったコンピュータが、いつのま にやら職場や家庭に入り込んで、事もあろうに自分が使っているのを自覚した 時。 造船会社に入るのがエリートという時代に入社したのに、いつしか斜陽産業 になっていて。ついにはリストラされたんだよと親戚のおじさんが寂しそうに 話しているのを聞いた時。 好きだった俳優や歌手、スポーツ選手などの引退や訃報を聞かされた時。 そう。そういう時に、私たちは『ああ、時代は変わったんだな』と歴史を感 じるのである。 当たり前の事が当たり前でなくなり。 盛んであった物が衰退し。 それまで思いもしなかった物が生活に入り込んで来る。 そういう変化の積み重ねが私たちに『歴史』を感じさせるのである。 今回紹介する『飛鳥の国 国家誕生への道』は、複数の王国の集合であった 倭の国が、大和王朝を中心に統合されていき、そして天皇を中心にすえた一つ の国家へと変わっていく様を描いた物語である。 この物語が『正しい』とは私も思わない。というか、私の知識では分からな いので判断のしようがない。 だが、前述した『歴史』を感じさせるという点では実に巧みな物語となって いる。それは国家誕生の歴史を、ある一族の興亡の物語と重ね合わせているか らである。 その一族の名は蘇我。 史書ではどちらかというと悪役的な描かれ方をする蘇我家であるが、彼らと て最初から大貴族としてぶいぶい言わせていたわけではない。弱小の豪族とし て軽んじられていた時代もあったのだ。 物語は、辺境の豪族と思われていた大和の一族が吉備の国をうち破る所から 始まる。時代は6世紀初頭。ホトケ神が大陸から伝わってきた時代である。 大陸とのパイプを持っていて、いち早くホトケ神(仏像)を目にした蘇我稲 目は、その上品な美しさにカラ文化のすばらしさを感じる──このあたりのく だりは実にうまい。当時の人間にとって、神とは実際に力ある存在であり、軽 々しく扱う物では決してなかったのだという雰囲気が伝わってくる。 やがて九州の筑紫の国も大和との戦に敗れ、大和の国は名実共に倭を代表す る国家となっていく。 その中で、古い軍神を祭る物部の一族とホトケ神を信仰する蘇我の一族が対 立。蘇我の勝利に終わる。 蘇我は飛鳥の地にカラの文化を取り込んだ都を造り、繁栄をきわめる。 大きくなった蘇我一族は今度は自分たち同士で争いを始めるようになる。争 いは次第に大きくなり、ついには蘇我本宗家がクーデター(大化改新)により 滅ぶ。だが、そのクーデターは結局の所、蘇我家自身の自滅をも意味していた。 クーデターに参加した蘇我倉山田石川麻呂も力をつけてきた大王の陰謀により 自決。 蘇我家は歴史の表舞台から姿を消す。 しかしながら、大王の朝廷もまた、一枚岩ではなかった。 後継者問題から飛鳥大乱(壬申の乱)が始まる。これに勝利した大海人大王 は王の中の王、『天皇』となる。そして大乱によって疲弊した豪族たちに代わ り朝廷に権力を集中させるようになる。 蘇我の一族が憧れ、恋いこがれたカラ風の国家の誕生である。 だが、その朝廷のどこにも蘇我の名前はなく。 一族の血をひく石川朝臣石足も、国史編纂(日本書紀)のために自分の家の 記録を提出しながら── 気に入らない大王を殺害したり、まつりごとを朝廷ではなく自分の家で行っ たりという記録に。 「何やら秩序もないようで、野蛮な感じだ。とてもその世の中にはついてゆけ ぬな」 ──そう感じたりもするのである。 そう。確かに時代は変わったのである。 そして、人も。 日本史に興味がなかったという方も、ぜひご一読を。
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